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拓殖のあと このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-02-22 父の思い出(1)

[]父の思い出(1) 13:28 父の思い出(1)を含むブックマーク 父の思い出(1)のブックマークコメント

週末から業務の嵐なのだが、今日の午後は少し時間があるので、はてなブログを使って父、齋藤正孝(さいとう・まさたか、1936〜1999)のことを書いてみる。

父は北海道夕張市の出身で、祖父炭鉱夫、鉱夫頭と呼ばれる立場の人だった。祖母専業主婦。どちらも1964年(だったはず)に亡くなっているから1968年生まれの私は写真でしか顔を見たことがない。

特筆すべき、なのかどうかわからないが、この祖母祖父には11人の子供がいて、男5人、女6人の大所帯、私の父は3男坊だった。これは父から聞いた話だから本当かどうかわからないけれど、夕張では13人兄弟というのが最多だったのだが、齋藤家も子沢山でかなり有名だったそうだ。当然ひどく貧乏で、父は幼い頃から新聞配達をしながら生活費学費をまかなっていたという。「冬の新聞配達は本当につらかった」「犬に吠えられて怖かった」「夕張時代にいい思い出なんかない!」となんども言っていたのを覚えている。

そんな父だが、夕張高校(当時の夕張市の進学校、今はない)在校時の思い出として、こんなことを話していたことを覚えている。「俺は理数系が得意だったから先生に「お前の学力ならばMITにいける、頑張りなさい」といわれたんだ」と、これはちょっとだけ誇らしげに言っていた。私はそれを聞いた時、「北大東大京大に行けるってんならまだ理解できるけど、よりにもよってなんでMITなんだろ??」と思ったのだった。

これは今でもわからない。親父が高校生だったのは1951年〜53年だったはずだが、つまりは米軍による占領終了の前後であり、その頃だと、アメリカへの強い憧れというものが、北海道の夕張高校教師や生徒にもあったのだろうかと想像するが、わからない。こういうことは当時の新聞記事やら雑誌やらを調べて、「日本におけるMIT言説」みたいなことを明らかにすればよいのだとも思うが、たぶんそんな時間はないだろうから、ここに書いて終わりにしたい。

なお、私の弟は、名古屋大学で、ざっくり言って水素と金属の反応(私が弟の博論を読んでもよくは理解できなかった)で博士号をとったので、MIT(でもどこでもいい、大学学問をしたいという)父のはかない夢は、その息子がある程度かなえたのだともいえるかもしれない。そうはいっても、やはり父本人は大学に行きたくてしょうがなかったとは聞いている。そのあたりのことは、また別の機会に。

2018-02-21 やっぱり続けよう

[]やっぱり続けよう 13:18 やっぱり続けようを含むブックマーク やっぱり続けようのブックマークコメント

はてなダイアリーって「限界集落」だと、確かツイッターで読んだのだけれど、確かに最近さっぱり使っていません。日記を書いているヒマがあったら研究したいし、そもそもヒマがないのでもあるし…。ただ、ある程度まとまった文章を残しておける場所ではあるので、アカウントを削除してしまうのももったいないような気もするのです。こうやって時々書いておけば、何かの役に立つかもしれない、私の戯言でも100年後にはひょっとすると何かの証言になるのかもしれないとは思うのです。…こんなことを書いているのは、先週末から一昨日まで長崎大学調査をしていて、「この先生、もうちょっと何か文章を残しておいてくれたらなあ」とつくづく思ったからなのです。

2018-02-14

[]2018年02月13日のツイート 23:01 2018年02月13日のツイートを含むブックマーク 2018年02月13日のツイートのブックマークコメント

2018-02-13

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2018-02-12

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2018-02-10

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2018-02-08

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