ナナメヨミBlog

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冷戦終結と日本の混迷

 前回のエントリーでは冷戦が終結した1990年代前半までの日本政治をおさらいした。では、冷戦期の日本を取り巻く国際政治、国内経済、自民党政治はいかにして日本の「黄金時代」をもたらしたのだろうか。

冷戦期の国際政治と高度経済成長

 まず、国際政治では米ソ対立、いわゆる冷戦があった。東アジアには共産主義を掲げるソ連、中国とその衛星国家(北朝鮮ベトナムカンボジアetc)があり、太平洋を隔ててはいるものの隣り合うアメリカにとっては安全保障面で極めて重要な地域であった。共産圏封じ込めの拠点として日本に米軍基地を駐留させる(と同時に日本の軍事的暴走、共産主義化を食い止める)、日米安保アメリカにとっては大きな意味を持っていた。朝鮮戦争ベトナム戦争では米軍の出撃拠点として大いに活用された。
 冷戦期の日本国内の経済は戦後復興を経て、高度成長、その後は失速したものの1990年代初頭まで安定成長を続けることになる。それは、アメリカからの技術支援を受けつつ、低賃金で優秀な労働力を活用して低価格・高品質の工業製品を製造し、欧米に輸出することで成り立っていた。鉄鋼・化学製品から電化製品・自動車まで、輸入した原材料・エネルギーを加工して最終製品にするまでの工程を国内で完結させ、国内企業は得た利益を積極的に設備投資することで更なる経済成長を遂げた。国内完結型・国内資本主導の経済発展は「成長の果実」を日本国内に多くもたらした。円高が進展したのちも、合理化・高付加価値化によって危機を乗り切った。

冷戦・高度経済成長と自民党長期政権

 冷戦構造と高度経済成長という状況において成立したのが自民党の長期政権である。外交面では日米安保を重視し、共産主義から日本の自由主義経済を守るという大義名分のもと、都市部ホワイトカラーや経済団体、保守派の支持を集めた。しかし、都市部の労働組合に加入している労働者や公務員、寄る辺の無い中小零細の労働者には社会党共産党といった左派政党、創価学会の影響下にある公明党を支持する層が多く、とりわけ1970年代以降、自民党は都市部での影響力を徐々に落としていく(その影響は今でも続いている)。それを補うのが地方の支持基盤である。高度経済成長の「成長の果実」を公共事業や補助金として地方に落とすことで、地方の商工業者、各種団体、住民の支持を集めてきた。都市と地方の一票の格差も相まって自民党の重要な権力基盤となった。象徴的なのが国土の均衡ある発展を訴えた、田中角栄の「列島改造論」である。都市部から集めた税収を地方の新幹線や高速道路、橋梁の整備にあてることで住民の支持を得、商工業者は仕事にありつくことができたのである。
 国際政治(軍事)では日米安保、国内経済では輸出工業立国による高度成長、日米安保と経済成長を支えて政治的に地方の発展を促すことで安定的な長期政権を築いた自民党政治、この三つの要素がうまく機能したことが冷戦期の日本に「黄金時代」をもたらしたのである。

ポスト冷戦の国際情勢と日本経済

 では、冷戦終結によって何が変わったのだろうか。
 国際政治では米ソ対立の冷戦構造にかわって、アメリカの一極支配「グローバリゼーション」が現れた。旧共産圏が自由主義経済のプレイヤーとして名乗りを上げた。東アジア、東南アジア、東欧、ロシア、中東、南米…世界中で、かつての日本のように低賃金を武器に輸出工業国としてめざましい発展を遂げる国が出現した。一方で、社会主義政権が倒れた「権力の空白地帯」での紛争、グローバリゼーションによる伝統的社会の破壊、その反動によるテロリズムなど、ポスト冷戦は新たな政治問題を生み出している。だが、日米安保の枠組みは大きく変わることはなかった。湾岸戦争支援、PKO、イラク戦争の復興支援など、軍事支援により踏み込むことになる。日本の米軍基地は温存され、普天間返還も代替基地に移設する方向である。
 大きく変化したのは国内経済である。高度成長と円高の結果高コスト体質となり価格競争力が低下したのに加え、冷戦終結による新興国の勃興は輸出工業国としての日本の地位を下げた。日本企業は製造拠点を海外に移し、国内産業は空洞化、高い失業率が常態化した。そして、高コストで人員調整の難しい正規雇用を低賃金でフレキシブルな非正規雇用に置き換える動きが加速した。経済成長率はゼロ近辺にまで低下し、ゼロ金利政策が取られた。給与所得の低下と金利収入の低下によって、企業はなんとか危機を凌いでいるが、国民生活は疲弊することとなった。とくに、正規雇用非正規雇用の格差問題のように、国民の一体感は失われ、不公平感が蔓延している。

冷戦終結後の日本政治(1990年代、細川連立政権から森政権まで)

 政治はどうか。冷戦終結によってビジョンを失った左派政党は没落したが、反共という大義名分を失った自民党も内部分裂し、自民脱党組と左派の社会党などが組む細川連立政権が誕生する。日本では皮肉にも社会主義の現実性が失われた後に社会党は「無害化」し政権に加わることになる。そののち、非自民連立政権も分裂し、自民党社会党(+新党さきがけ)による連立政権となる。社会党自衛隊の合憲性や日米安保といった問題で主張を「現実路線」に転換した。自民党が政権の中心に居続けるが、野党は左派の社民党共産党が徐々に議席数を減らし、変わって財政再建景気対策社会保障などを争点とした「反自民党」的性格を持つ政党が支持を集める。新進党の結党と解党、民主党自由党(一時期政権に)、合併して今の民主党が誕生する。この間の自民党政治はどうだったのか。バブル崩壊の後始末と新興国の台頭に苦しむ日本経済は長期不況に陥り、自民党政権は1990年代には赤字国債による景気対策を連発した。「底割れ」をなんとか防ぐ程度の効果はあったものの、国民(とりわけ都市部住民)には「政治家の地元への利益誘導」「利用者のいない無駄な道路・施設の建設」「官僚の天下り法人の延命」などマイナスイメージが強く、国債残高をいたずらに積み上げて財政破綻の不安を煽る面も強かった。そのため、1990年代後半以降、「財政再建景気対策か」が政治の重要な争点となる。行革推進・消費税増税の橋本政権が1998年に参院選で大敗し倒れると、続く小渕・森政権は大型の景気対策を行った。しかし、国民の先行き不安は強く、根本的な改革を求める声が強まっていた。

小泉政権自民党政権の迷走

 そこで誕生したのが小泉政権である。「構造改革」によって財政の赤字を減らし、規制緩和によって経済成長率を高めるという、財政再建景気対策を両立させるという一挙両得な理屈である。高い内閣支持率を誇る反面、公共事業を削減するために地方の支持基盤を失いかねないデメリットがあった。それを埋め合わせたのが国民の愛国心に訴える政治家の発言や北朝鮮外交、そして都市部での集票力を誇る公明党との連立・選挙協力である。政権に継続して居続けることで、政権与党に取り入りたい地方の各種団体の支持もなんとかつなぎとめた。郵政民営化問題では党内の郵政民営化反対派と支持基盤を切り捨てたが、無党派層の熱狂的な支持によって総選挙で圧勝した。輸出相手国となる欧米が順調に経済成長し、新たなマーケットとして新興国が台頭したこともあって、経済成長もまずまずの水準に回復した。一方で、リストラや非正規雇用の拡大、過剰な競争による国民生活の疲弊、社会保障制度への不安・不信が高まることになる。小泉以降、安倍・福田・麻生政権は発足当初こそ支持率は高いが、国民の疲弊・不安を取り除く有効な手立てを打てないがために徐々に支持を失い1年毎に政権が交代するようになる。彼らはいずれも、小泉人気で味を占めた自民党議員ら(特に小泉チルドレン)によって選挙の看板として担ぎ上げられた国民的人気の高い世襲政治家である。安部政権は指導力不足が露呈し参院選に大敗して「ねじれ国会」となり退陣、福田政権は大連立を模索するも失敗して国会運営に行き詰まり退陣、麻生政権はリーマンショックによる経済不安と旧来的なバラマキ政策、自民党政権運営能力への不信感から支持を失い衆議院の任期ぎりぎりまで引っ張った挙句に解散し、自民党衆院選で大敗することになる。リーマンショックによってアメリカ追従型の小泉構造改革路線への否定的評価が強まり、麻生政権は小泉路線の修正に党内合意が不十分なまま取り組もうとしたことで自民党の内部対立を招いてしまい、自民党はあらゆる層に見放されたためである。また、この大敗の背景には、小泉政権以降の地方冷遇に加え、自民党の下野が濃厚になったことで、旧来の支持基盤で有る地方の団体が相次いで民主党支持に転換したこともある。

長すぎた「冷戦気分」時代を乗り越えられるのか

 冷戦終結以後20年の政治の動きを総括すると、日本の政治は保革対立にかわる政治体制=二大政党制の確立、「アメリカの優秀な下僕」として対米協力の強化や経済の規制緩和を進めた。内乱や戦争もなく平和な時代ではあったが、日本経済の成熟化と新興国の台頭により国内経済は長期不況・低成長に苦しみ、国民生活の疲弊、雇用・社会保障への不安、財政破綻の不安をもたらした。「対米追従」という選択が、アメリカに戦争で負け、米ソ対立という国際情勢のもとでなされたのなら、経済大国となり米ソ対立の冷戦構造が終結した時点で、新たな選択肢を検討する手もあったはずである。自民党が下野し細川連立政権が誕生した時期には、様々な主張の小政党が乱立した。しかし、外交の見直しには踏み込まず(むしろ貿易自由化によりアメリカへの接近を図った)、ビジョンを失った左派政党が「無害化」したことで完全に思考停止になってしまった。冷戦期のアメリカ追従の時代しか知らない日本の政治家にはより優秀なアメリカの下僕となる発想しかなく、無理な対米追従・経済成長政策がもたらす日本国内の社会・生活の歪みを見て見ぬふりをし続けた。そのツケが今の政治の混迷なのである。政権交代によって誕生した鳩山民主党政権にも力強いビジョンはなく、「自民党が悪い」という薄っぺらい主張しかない。民主党政権運営能力への不信が高まっているが、さりとて自民党回帰とも行かない。かくて小政党が乱立しはじめた。みんなの党たちあがれ日本日本創新党etc。今のところこれらの小政党は、寄り合い所帯の自民党民主党が内部で百家争鳴を繰り広げているのを尻目に、明確な政策を打ち出し、支持が高まりつつある。しかし、政権を取るには足りず、かといって連立を組めば、小政党同士が対立し、より混迷が深まる。ならば、小政党同士でまとまってしまえば…あれ?細川連立政権の二の舞になる?
 いったい、日本政治はどこに向かうのだろう。21世紀の国際情勢を踏まえた、日本の「百年の計」を打ち出せるのだろうか。安易に政権をすげ替えただけではダメだということが分かった今こそ、政治の真価が問われるのである。