ウェブ進化論 もうちょっと

天気も良いので、洗濯機をガンガン回している間の時間で 江島氏のエントリと、

Googleはネットワークの向こう側で「モノづくり」を行う技術志向のコンピュータ・メーカーだ」という指摘はものすごく本質をついた鋭いものだ。これは何かの比喩としてではなく文字通りの意味において正しい。

日本の産業界は「モノづくり」を志向しているらしいが、その「モノ」が金属やプラスチックで構成された物質だと決めつけているのはなぜだろうか。これは端的にいって「モノ」という言葉のカテゴリー・ミステイクだ。「モノ」とは、それがあることで消費者のライフスタイルをちょっぴり良いものへと変えることができるキッカケのことだ。「こちら側」ではモノが溢れているが、「あちら側」ではモノが欠乏している。

昨日コメントをくださったsponta氏のエントリを並べていろいろ考えてみる。

DTPやDTVができるようになって、普通の人が本を出版するようになったり、映画をつくるようになりましたか?
実現するのは、スマートなユーザーの出現であって、コンテンツメーカーの増加ではない。

草薙素子ではないワタクシは「あちら側」だけで暮らすことはできないけど(お腹だって空くし、街で買い物だってしたいしさ)せっかくだから「あちら側」から「こちら側」に何かを持ってきたい、とも思うのです。形のないものだから「はいどうぞ」と手渡すわけには行かないけど「Google Mapをひとに見せたときの驚きと感動の表情」だって、十分な架け橋ではないかしら。

ワタクシの期待するところの総表現社会というのは、あらゆる人が激論を戦わせることでも立派な本を出すことでも映画を作ることでもなくて、ただこうして毎日日々を書き留めて誰かと関わりを持つ事であったり、自分が撮った写真でちょっと気の利いたカードのデザインをすることだったり、卒業式のために生徒と一緒に6年間を振り返るムービーを作って1200人で涙することなのです。だいぶ「こちら側」に引きずられた視点ではあるけどさ。けして出版や劇場公開が必要なわけではなくて、ネット上で完結していればよいわけでもなくて、玉石混合ド大量のアウトプットのなかからモアベターなものを選べる感性を養う、という感じ(うわ、教員ぽい語彙!)。

これからだって既存メディアの優勢は続くだろうし(個人的には本がなくなるとツライ)、世の中のあらゆる人が表現活動で食い扶持を稼ぐとは考えにくいし。二つの世界の乖離は続くだろうから、どうやってうまく手をつないでいくか、できるだけたくさんの方法が考えていけばいいのだろ。

…ホントに口語でしか文章が書けなくなってるなあ。とほほ。