うめだもちおは DISられるべきなの?

梅田さんの「目からうろこが何枚も落ちたオープンソースの“人間的本質”」ってコラムがネットで批判を生んでいたようだが、よくわかりません。
言及した日記・blogのうち、被はてブ数が多いものを当該はてブから探して読んでみました。

ここら辺を見てみると論点は以下のような物らしい:

オープンソースのリーダである日本人が一人だけだって!?

a. については、俺も反感を覚える。たとえば、もっちーとも知り合いの石黒さんだっているだろう。Zebraは世界に通用した OpenSource Softwareじゃないのだろうか?? なんで無視してるんだろう...

オープンソースの理解がおかしい! 無償公開や世界中じゃなくて..

b. が正直よく分からない。例えば、おくじさんは以下のように批判している:


オープンソースとは、ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意し、そのソフトウェアをさらに開発していく方式のことだ。

全然違います。 「無償公開」する必要は全然ありません。 金を取って公開しても構いません。 利用や再配布に制限を行わないからといって、 何もかも無料で公開しろなんてルールはどこにもありません。

「世界中の不特定多数」が参加する必要もないし、 そういう環境を提供する必要もありません。 完璧に違うことと勘違いしていらっしゃいます。

「開発していく方式」のことでもありません。 オープンソースというものは、 あくまでライセンスでこうだったらオープンソース、そうでなかったらオープンソースでない、という条件を定めているだけです。 それ以上のことはどっかの勘違い人間がテキトーなことをほざいているだけです。

enbug diary(2008-03-15)

でもオープンソースの定義によれば、「無料で頒布することを制限してはなりません。」ってあるから、結局は無償で配布されちゃうんじゃないのかなあ。少なくとも配布するときにそれを考えないとバカでは。

さらに「世界中の不特定多数」については、おくじさんは大げさ過ぎる「環境」を考えている気がする。
一度ソースを「自由にコピーしていいよ」っていって人に渡したら、もうそれは不特定多数にわたって不思議はないでしょう。このインターネット時代、Web サーバ (Gopherサーバでもいいけど) の片隅にソースを置けば「世界中の不特定多数」が見て改造できる「環境」になったと言っても過言ではないと思います。仲間しか見てないつもりの mixiの公開日記に書いた犯罪告白が、じつは世界中の不特定多数に読まれるのと同じように。
「自由に配ってね」って意思表示だけで充分な「環境」の用意になりませんか?

「開発していく方式」に対する批判も、なんか本末転倒な感じがする。「オープンソースライセンスの定義」が生まれるまえにはオープンソースな開発手法ってのが意識されていたでしょう。それは Proprietary な開発手法に対する *1 アンチテーゼのように。本来、そういう開発手法があって、それを実現するための道具としてライセンスを云々したように感じます。それを「ライセンスでこうだったらオープンソース」というのは、オープンソースを矮小化してる気がする。

まあ、これは自分がオープンソース側の人間というより Free Software側の人間であるせいかもしれません。ライセンスという形式的なものでとりあえず仲間を広げようとした戦略的なオープンソースに対して、思想・哲学を多めに含む Free Software。そいうわけで、開発体制というやや哲学的なものを見過ごされると納得いかん。

オープンソースの動機は利己的なものだって?

これは俺はレトリックとしてありだと思う。
やっぱりノウアスフィアを開墾したい!って利己的な意欲がオープンソースの動機としてでかいと思うから。

まあ、ここらへんは生越さんの記事に、naiveなノウアスフィアの獲得ではない例がいろいろ書いてあるのだけど、結局のところ利己的の範囲に入るのではないだろうか? おごしさんの辛子のききすぎたオリジナルを読むと、「利己的と言い切る事自体 naiveすぎる」ってことだろうか?

自分は、オープンソースなんてなんで成り立つかわからないオッサンに対して「本質は利己的」っていうことは必ずしも間違いじゃないと思うんだけどどうなんだろう? すくなくとも慌てて DISるほどの物ではないと。ここらへん、エゴがでかそうな :-) ダンコーガイさんもおなじようだ。

利己的ということでいえば、思い出す小説がある。凡庸かもしれないが西村京太郎の「汚染海域」だ。ネタバレになるかもしれないので、読もうかという人は飛ばしてほしい。

工場廃水による公害になやむ住民を助けに来た主人公は、臭い物にふたをしようとする工場と風評被害を恐れる漁師たちによって妨害され、事件が起きる。物語の最後に、エビがとれなくなった漁師たちが工場に詰め寄る場面がある。主人公は、いままで散々妨害してきた漁師たちが怒っているのを見て、自分の利益のためエゴで動いているだけじゃないか、と突き放す。だが、それに対して地元中学教師がいうことばがいい:

「そうです。だからこそ彼らを信頼できるんです」

汚染海域 (徳間文庫)

汚染海域 (徳間文庫)

*1:もしかすると「伽藍」である「Free Software」に対する