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物理学と切手収集

2014-09-15

マリ紛争と音楽

フランスの介入で当面は落ち着いている西アフリカのマリ北部紛争を、マリの音楽を通して見てみようと思います。といっても、フランス含めて現地の言語を聞くだけで理解出来るわけではないので、表面だけ見ているようなものですが、紛争に触発されて、そしてそれと関係なく、マリという場所で良い音楽が作られてるというのが伝えられれば幸いです。


まず、マリの地理と紛争のおさらい(詳しくはウィキペディア記事)。マリの北部はサハラ砂漠で、首都バマコ含めて人口のほとんどは南部、主にニジェール川沿いに住んでいます。砂漠の方では、定住しているソンガイ族などの他に、国境も自由に行き来するような遊牧民トゥアレグ族などが住んでいます。マリ人の多くは黒人で、北アフリカの人達により近いトゥアレグ族などは例外になります。そして宗教的には90%以上がイスラム教徒です。


今回の紛争は2012年の初め頃、トゥアレグ族独立運動として始まり、4月には北部マリの主要な都市を制圧した反乱軍がアザワドという国名で独立を宣言しました。しかしその後、反政府で同盟を組んでいたイスラム過激派の勢力が強くなり、ほとんどの都市をイスラム過激派に乗っ取られてしまいます。過激派によって古都トンブクトゥ遺跡などが破壊されてしまったのは大きく報道されたと思います。


これと同時進行で首都バマコでは3月にクーデターが起きるなどして、マリ政府は全くと言っていいほど北部での反乱に対応出来ていませんでした。そこで2013年の1月に元宗主国フランス国連の許可を得て軍事介入。日本で大ニュースになった隣国アルジェリアでの人質事件は、この介入が背景にありました。フランスの作戦はとりあえず軍事的には成功し、今のところ反政府勢力は弱まっていますが、これから安定した政治の基盤が作れるのか、という面ではまだ不安が大いに残ります。


ではでは、音楽に行きましょう。


トゥアレグ族

まずはトゥアレグ族の音楽。色んな意味で抜かせないのがティナリウェン(Tinariwen)。このバンドの結成の経緯はこの紛争とも大いに関係があります。80年代にリビアカダフィ大佐は、隣国のトゥアレグ族独立運動を支援し、トゥアレグの若者達を呼んでトレーニングをしていました。ティナリウェンが結成されたのはその駐屯地での事。ティナリウェンはもう戦っていませんが、カダフィ大佐がいなくなった事で軍事訓練を受けたトゥアレグがマリに戻っていき、それが今回の戦乱の原因の1つになりました。


2011年には既にマリ北部は危険になっていたようで、アルバムの録音はアルジェリアで行われていました。

Tassili

Tassili

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基本的には、グルーヴ感のあるトゥアレグ民族音楽エレキギターに乗せたかっこいい音楽ですが、"Tassili"はビデオにも出て来るようなアメリカのアーティストとの共演を含めて、色々と冒険したアルバムでした。


イスラム過激派には音楽を禁止しようとしたものもあって、ティナリウェンはターゲットとなってしまったとか。現在も避難中で、一番最近のアルバムはアメリカで作られました。

Emmaar

Emmaar


もう1つマリのトゥアレグ音楽で紹介したいのはタミクレスト(Tamikrest)。ティナリウェンよりも若いグループです。去年出したアルバムのタイトル"Chatma"はSistersと言う意味で、戦争で苦しむ女性達に捧げたそうです。

Chatma

Chatma

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曲の中では、レゲエの入ったItousが個人的には好き。トゥアレグ音楽の可能性を広げる意味では、このアルバムでティナリウェンを越えたと思います。かなりオススメ。


トゥアレグ音楽が気に入った方は、隣のニジェール出身のBombino、Etran Finatawaもチェックしてみてください。


砂漠のブルース

北部マリに定住している人達の音楽で有名なのは、砂漠のブルースとも呼ばれる独特のスタイルのギターで世界に知られるようになったアリ・ファルカ・トゥーレ(Ali Farka Toure)です。彼は2006年に亡くなりましたが、彼に直接影響を受けた人達が今回の紛争を受けて音楽を作っています。


まずアリのバンドに参加していたサンバ・トゥーレ(Samba Toure)。

Albala

Albala

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アリのスタイルを踏襲した音楽と言って良いと思いますが、緊迫感のある録音です。


次に、アリの息子、ヴュー・ファルカ・トゥーレ。アリよりも「エレキギターですよ」という音楽を主にやっている印象でしたが、前回のイスラエルのイダン・ライヒェルとの共演と

Tel Aviv Session

Tel Aviv Session

今回の"Mon Pays"(フランスでMy Countryの意味)は、どちらも音量を抑えたアルバムになってます。

Mon Pays

Mon Pays

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↑このPeaceという曲は、シディキ・ジャバテ(Sidiki Diabate)との共演。シディキの演奏するコラはハープのような楽器で、シディキの父トゥマニ(Toumani Diabate)が今一番の名奏者。アリとトゥマニの共演も素晴らしかったので、いつかは起こっただろうという息子達のコラボ。今後も楽しみです。


北部マリからはもう1人、シディ・トゥーレ(Sidi Toure)。名前が紛らわしいですが、アリ・ファルカ・トゥーレと直接の関係は無いはずの人。"Alafia"の意味は平和。

Alafia

Alafia

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似た系統の音楽なのは分かりますが、タッチがかなり軽いです。


グリオ

トゥマニやシディキ・ジャバテに代表されるのが、南部マリの音楽の中心になるグリオ(ジェリ)の伝統です。グリオは、世襲制で芸を何百年も受け継いできた人達で、地域の歴史を伝える語り部です。昔の日本にいたとしたら平家物語古代ギリシャだったらトロイ戦争の話を歌っているような人でしょうか。それが身分制度として現代にも存在するのがマリの社会ということです。


同じくコラを演奏するバラケ・シッソコ(Ballake Sissoko)が出したのは、"At Peace"というアルバム。

At Peace

At Peace

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トゥマニとコラ2本の共演だった"New Ancient Strings"、チェロとの共演"Chamber Music"に続いて、瞑想するような音楽です。

New Ancient Strings

New Ancient Strings

Chamber Music

Chamber Music


逆に感情を表に出してきたのがバセク・クヤテ(Bassekou Kouyate)。彼もグリオですが、ンゴニというバンジョーのような楽器にアンプを付けてます。

Jama Ko

Jama Ko

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PVはあまり紛争と関係無いように見えますが、みんなで集まって音楽やって踊るのがマリの文化だよ、という抗議だそうです。他にも、イスラム主義に対抗した過去の偉人について歌った曲などあって、こういうのがグリオの役割なのだろうな、と思わされます。


グリオギタリスト、ハビブ・コワテ(Habib Koite)のアルバムは、いつも通りの楽しい音楽を大体やってますが、"Soo"はHomeの意味で、同じタイトルの曲は明確に紛争を意識したものです。

Soo

Soo


その他

ロキア・トラオレ(Rokia Traore)は貴族の出身だという事で、本来は音楽をやるべきではないのだとか。

Beautiful Africa

Beautiful Africa

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普通にかっこいいアフロポップです。


ファトゥマタ・ジャワラ(Fatoumata Diawara)は、女性ボーカルが表に出てくるワスル音楽の人。

Fatou

Fatou

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彼女はマリの他のスターを集めて反戦の歌を録音したり、過激派に占領されたトンブクトゥを描いた映画に出演したりしているようです。

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(この記事で名前を出した人も沢山出て来ます)


最後にですが、マリ北部では毎年Festival au Desertという音楽フェスティバルがあって、ここで紹介したようなアーティスト達が集まっていました。一度は行ってみたいイベントですが、現在は中断中。元通りに戻ってほしいものです。

Live from Festival Au Desert Timbuktu

Live from Festival Au Desert Timbuktu

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追記

北部マリのガオ出身で、紛争のためにバマコ避難していた4人組がソンゴイ・ブルース(Songhoy Blue)というバンドを作ってます。このブログ記事を書いた直後に存在に気が付いたんですが、↓この1曲だけ出してたので追記は書かないでいました。

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今年に入ってからMusic In Exileというアルバムを出していて、PVももう1つあります。

Music in Exile

Music in Exile

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ここで紹介した中だとタミクレストと並んでオススメです。

2012-12-31

多数決の何が悪いか(おまけ)

(出来る限り、前編後編を見なくても読めるように書きましたが、気になったらそちらも読んでみてください。)


このシリーズをブログにまとめるきっかけの1つは、「だれからも文句のでない投票方式」という日経サイエンスの過去記事でした(2013/1/2 16:38追記・訂正 きっかけは記事全文ではなく、紹介文でした。全文はリンク先でダウンロード購入、または日経サイエンス2004年6月号を探してください。このブログで書いた話と重複が多いですが、著者の推奨する選挙方式について筋の通った解説がされているのでオススメです。)。この記事の論旨は僕のブログ記事と同じで、投票者それぞれが候補1人に票を入れる形の多数決よりも、候補をランク付けする方式の方が好ましいというものですが、提案している方式は少し違います。この記事の話を少し詳しく見てみます。


まず、「完全な投票方式は存在しない。どんな方式にも何らかの欠陥がある。」というのはアローの不完全性定理への言及でしょう。これについては後編で書きました。2000年のアメリカ大統領選も、多数決の問題点を指摘する際に多用される例になっています*1


ただ、「2002年のフランス大統領選挙では,予想に反して,極右政党ルペンが上位2人の候補者で競う決選投票に進ん」だ事が、2回投票制の問題のように書かれています。これには疑問です。この選挙の結果(リンク)を見ると分かるのは、10人以上の候補がいた1回目の投票から、シラクルペンの決選投票の間で、ルペンの得票率がほとんど伸びていないことです。これは、ルペンには熱狂的な支持者が一定数いて、それ以外のほとんどの人はルペンに反対していた事を示しています。もしフランス大統領選が1回勝負の多数決だったとすると、ルペンが勝ってしまった可能性もあります。この選挙はむしろ、「2回投票制は過半数での勝利を要求するので、ルペンのように大多数に嫌われている候補を当選させない」、という成功例でしょう*2。(2013/1/2 11:03追記 IRVではシラクジョスパン直接対決になっていたと思われるので、それほど良くなかった、と言う事は可能です。)


それでも、著者達が提案している選挙方式は興味深いです。引用します。


「投票者はすべての候補者について選好順序を示す。これに基づいて候補者どうしを1対1で比較したとき,他の候補者をすべて打ち負かした者が当選者となる。また,他の候補者をすべて打ち負かすほどの多数の支持を得た候補者がいなかった場合は,1対1の比較で最も多くの候補者を打ち負かした者を選び,さらにその中でも最も多くの順位評点を獲得した者を当選者とすればよい。」


最初の部分に出てくる、他のどの候補と1対1で勝負しても勝てる候補は「コンドルセ勝者」と呼ばれます。この方式では、候補のランキングを投票してもらって、コンドルセ勝者がいたらそれを当選させる、という事になります。確かに、コンドルセ勝者を当選させる、というのは選挙方式に求めたい性質の1つです*3


多数決では、コンドルセ勝者が勝つとは限りません。それどころか、直接対決で全員に負ける候補、「コンドルセ敗者」が当選する事さえあります。2002年のフランス大統領選が多数決で行われていた場合、コンドルセ敗者だったかもしれないルペンが、もう少し得票率を伸ばせば勝っていました。市民の過半数に嫌われている候補でも、反対票が何人かの候補に割れてしまうと、多数決で勝つ可能性があるという事です。


コンドルセ勝者がいない場合もあります。その一番単純な例は、後編でも書いたコンドルセパラドックス。投票者3人が、候補3人をランク付けした結果、こうなった場合です。


1人 A、B、C

1人 B、C、A

1人 C、A、B


直接対決でAはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つようになっています。どの候補も、他の2人両方に勝ってはいません。つまりコンドルセ勝者はいません。これがコンドルセの「パラドックス」と呼ばれる理由は、「全体の意見」というものがあるとした場合、それによるとAの方がBより良く、Bの方がCより良いのに、Aの方がCより良くはなっていないからです。


候補の数が増えると、このようにコンドルセ勝者がいない確率が増えてきます。著者達の提案では、その場合には「1対1の比較で最も多くの候補者を打ち負かした者を選」ぶ事になります。リーズナブルだと思います。それでもまだ決着がつかない場合は、「最も多くの順位評点を獲得した者を当選者」とします。これは、後編で紹介したボルダ得点のこと。候補が10人いた場合、1位票に9点、2位票に8点、…、10位票に0点、と得点を割り振って合計を争います。


実は、この方式はブラック方式*4というものに似ています。ブラック方式では、コンドルセ勝者がいれば当選させて、その後すぐにボルダ得点で評価をします。この記事の提案は、それよりも1つステップが多くなっています。


記事の選挙方式も、ブラック方式も、投票でランク付けが出来る事と、コンドルセ勝者が確実に当選する事がメリットです。問題だと思うのは、ボルダ得点で起こる、有力候補を一番上と下に分けて差を付ける戦略*5が有効なのではないかという事と、複雑すぎないかという事です。


結論の、「候補者をどの順で好ましいと評価するかという情報を投票に取り入れることにより,投票者の意思をより正確に反映させることができる」、というのには賛成ですが、「この方式は世界中の国々で容易に実施可能」、というのはまだ断言できないように思います*6

*1:ただ、「最も人気のあったアル・ゴアジョージ・W・ブッシュに破れ」、という書き方だと、選挙人制度の批判のようにも見えてしまいます。

*2:実際には、多数決だった場合には、ルペンに当選して欲しくない人達の票がシラクジョスパンに集まっていたでしょう。こうなると、それぞれの候補が実際にどれくらい支持されているのか分からなくなってしまいます。これが前編、後編両方でしつこく書いた戦略投票の問題です。

*3:2回投票制、IRV、ボルダなどの弱点の1つは、コンドルセ勝者が当選するとは限らない事です。ただ、コンドルセ敗者が勝つ事は無いので、多数決よりはマシ。

*4:中位投票者定理で知られるDuncan Blackが提案したもの。

*5:つまり、実際の選好とは違う投票の仕方。「泡沫候補選挙戦の行方を左右するといった矛盾を避けられる。」とあるのは疑問です。

*6:同じくらい良さそうな方式の中でもIRVを僕が推しているのは、既にオーストラリアアイルランドで実施されているからです。

2012-12-30

多数決の何が悪いか(後編)

(「多数決の何が悪いか(前編) - 物理学と切手収集」の続き)


前編では、多数決以外の選挙方式の2つ、2回投票制とIRVの紹介をして、民主主義での選挙の目的から考えて、IRVが多数決よりも優れていると思われる事を書きました。今回は、IRVの問題点とされている事と、選挙方式の話をするとよく出てくるアローの不可能性定理の話を書いておきます。


IRVでの戦略投票

前編では、2000年アメリカ大統領選挙ブッシュ、ゴア、ネーダー)の例で、多数決では支持している候補に投票しない事が最善策になる場合があることを書きました。IRVでも、戦略投票、つまり正直に投票しない事で有利になるケースはあります。例えば、投票者の分布が下のようになっている場合。


投票者の選好(当選してほしい順番)

8人 A、B、C

5人 C、A、B

4人 B、C、A


この17人の投票者が、IRVでみんな素直に自分の選好を票に書き込んだとします。候補Aの1位票8つは過半数にならないので、第1ラウンドでは当選者が決まりません。除外されるのは、1位票が一番少ないのは候補B。そしてAとCの直接対決ではCが9対8で勝ち。というわけで候補Cが当選します。


実は、「A、B、C」と投票した人たちが少し工夫をすると、Aが当選するように出来ます。8人のうち2人が「B、A、C」と投票するのです。


戦略投票(2人が自分の選好とは違う投票)

6人 A、B、C

2人 B、A、C

5人 C、A、B

4人 B、C、A


今度は、最初に除外されるのは候補Cです。そして、AとBの直接対決では、Aが11対6で勝ち。Aを支持している人たちがBに1位票を入れる事で、厄介な候補Cを第2ラウンドから除外することが出来たのです。


つまり、IRVにしても戦略投票は可能です。ただ多数決とIRVでは、最善の戦略が投票前に分かる可能性が大きく違います。多数決の場合には、有力候補が誰なのか分かっていれば、その中で一番支持出来る候補を選ぶのが最適の戦略になります。大きな選挙なら、誰が有力なのかは大体分かるでしょう。


上の例のようなIRVの戦略投票をするためには、まず候補が4人以上の場合、最後まで残る可能性が高い3人が誰なのかは知っている必要があります。これは多数決とあまり変わらないですが、それだけでは上のような戦略は取れません。まず、自分の支持している候補Aが、直接対決でBには勝てて、Cには勝てない、というのが分かってないといけません。さらに、自分がAを2位に下げる事で、Aが最後の2人に残れなくなってしまう恐れもあります。例えば、Aを支持する8人中2人ではなく、4人が戦略投票をしたとします。


戦略投票(4人が自分の選好とは違う投票)

4人 A、B、C

4人 B、A、C

5人 C、A、B

4人 B、C、A


こうなると、1位票の数でAは最下位になってしまい、除外されてしまいます。こうならないという自信が無いと出来ないわけです。多数決では戦略投票が常に起こっているのに対して、IRVで戦略投票が出来るケースは限られる、という事になります。


不可能性定理について

選挙方式の話をすると、少し知識のある方から「アローの不可能性定理との関係はどうなの?」という声が良く出てきます。アローの不可能性定理は、「完璧な選挙方式は無い」などと要約されるもので*1、社会選択理論という一分野が発展するきっかけになった重要な発見です。ただ、「完璧な選挙方式は無い」というのは超訳のようなものなので、論じるためにはまずどういう定理なのか知る必要があると思います。


まず、アローの定理は、集団の中の個人それぞれの選好を集めて、そこから集団全体の選好を決める方法(社会厚生関数)に関するものです。ここで言う選好は、選択肢にランク付けして並べたもの。同じくらい好ましい、と言うのも可能ですが*2三すくみのような状態はあってはいけません。つまり、Aの方がBより良くて、Bの方が良ければ、Aの方がCより良くないといけません*3


アローが示したのは、3つ以上の選択肢がある場合、以下の条件を全て満たす社会厚生関数は存在しない、という事です。


1.どのような個人を集めても、全体の選好を決めることが出来る。(完備性)

2.全員が選択肢Aの方がBより良いとしている場合、全体の選好でもAがBの上に来ないといけない。(パレート原則)

3.全体の選好は、1人の選好をそのままコピーするものではない。(非独裁性)

4.個人の選考での選択肢Cの位置を変えても、全体の選好におけるAとBの関係には変化が起こらない。(無関係な選択対象からの独立性、IIA*4


実は、最初の3つの条件はほとんどの選挙方式で満たされています。問題なのは、4つ目の条件。どういう事を言っているのか、例で考えてみます。3人だけの集団でも起こる、コンドルセパラドックスと呼ばれる状態から話を始めます。下に書いたのは、3人の投票者が、候補者A、B、Cをランク付けした結果。


1人 A、B、C

1人 B、C、A

1人 C、A、B


この状態では、普通の選挙方式を使って3人の候補の順位を決めることは出来ません。全体の選好は、AとBとC、どれも同じだけ好ましい、という事になります。


IIAという、アローの定理の4つ目の条件がどういうものかというと、投票者がCについての意見を変えても、全体で見てAとBは引き分けのまま、という事です。これはリーズナブルでしょうか?例えば、3人目の投票者がCのランクを1つ下げたとします。


1人 A、B、C

1人 B、C、A

1人 A、C、B


こうなると、多数決でもIRVでも、Aが当選します。これらの選挙方式はIIAを満たしていないという事です。


なぜこうなったのかは、最初の状態がコンドルセパラドックスと呼ばれる理由を見ると分かります。


1人 A、B、C

1人 B、C、A

1人 C、A、B


AとBだけを見ると、Aが2対1で勝っています。BとCに注目すると、Bの2対1。そしてCとAだと、Cの2対1。つまり、じゃんけんのような勝敗関係になってしまっているのです。アローの定理が語っているのは、このような状態がありうるのに、「全体の意見」として一貫したランクを付けようというのには無理がある、という事です。


実際の選挙方式を比較する際に、アローの不可能性定理の話を出しても、有益な話に持っていくのは大変だと思います。IIAを満たしていないのは前提として、どのように満たしていないのか、というのが重要なのですから。


もう1つ、選挙方式に関する不可能性定理に、Gibbard-Satterthwaiteの定理というものがあります。これは、どの候補も勝つ可能性があって、独裁者のいない選挙方式では、戦略投票が可能である、というもの。アローの定理の延長なのですが、これの方が、グサッと来るような…


IRV以外の案

情報量の観点から、IRVが良さそうだとここまで書いてきましたが、IRV以外にも、ランクから選挙結果を出す方法はあります。


一番単純で、多分IRVより有名なのは、ボルダ得点というもの。18世紀にフランスのボルダという数学者が提案した方法で、順位に応じて候補に点数が与えられて、その合計で選挙の順列が決まります。候補が5人の場合、1位に4点、2位に3点、…最下位の候補には0点、という具合です。これは、政治以外で使われている事がよくあります。


ボルダ得点の問題は、簡単に戦略投票が出来ること。候補A〜Eのうち、AとBが有力候補だったとします。その場合、Aに当選して欲しい人は、Aを1位、Bを最下位、と投票して、Bに当選して欲しい人は、Bを1位、Aを最下位にするのが最善策になります。ラプラスがこの問題を指摘したところ、ボルダは、この選挙方式は「正直者のためのものだ」、と返事したそうです(笑)記名票の場合は、この問題は抑えられるかもしれないですね。


もう1つ挙げておきたいのが、クームズ(Coombs)方式。これはIRVと同じで、過半数で勝つ候補が出てくるまで、1人ずつ候補を除外していく選挙方式ですが、除外の仕方が違います。クームズで除外されるのは、最下位票が一番多い候補。この方法は、この人はダメ、という意見を直接反映できる面でIRVよりも優れている可能性があります。問題かもしれないのは、IRVよりもさらにちょっとややこしい方法な事と、候補を全員ランクしないと除外に参加できない事。上からのランクと下からのランクを両方書けば良い事にする、という解決案がありますが、票のデザイン的にややこしくなります*5


ランクに頼らない方法でも、単純な多数決よりも良い方法はあると思います。1つの例が、"approval voting"というもの*6。これは、候補それぞれについて支持・不支持の2択の意思表示をする方法。普通の多数決と違って、何人支持してもOK。


支持と不支持の境目を自由に決められるので、正直な投票の仕方がいくつもあるのがapproval votingの利点とされています。見方を変えるとそれは、投票者が候補をどれくらい支持しているのか良く分からない方法とも言えます。ランクを付ける方が支持・不支持の強さが明確になって良いと思いますが、強く賛成も反対もしない候補をランク付けするのが難しい事を考えると、approval votingの方が人間の心理にマッチしているかも、とも思います。


最後に

今回の総選挙では、「自民の圧勝は自民支持の結果ではなく、民主反対の結果」というような話がされていて、比例の得票率からも確かに説得力を持った話だと思います。ですが、ランク付けをする投票制度だった場合、これについては議論をする必要も無く、有権者が候補にどういう順位を付けていたのかが分かるようになります。アローの定理が、「民意」というものを選挙で完璧に測る事が無理だと言っていても、出来るだけ多くの情報を有権者から受け取り、結果に反映させる事を諦める理由にはなりません。IRVのような方法が、より広く知られ、実際の選挙で少しずつ導入されていって欲しいです。


参考文献

D. Amy, Behind the Ballot Box (Preager, 2000). 一般向け。ただ、比例制の説明が多い。


H. Nurmi, Comparing Voting Systems (Springer, 1987). 選挙方式に求められる理論上の性質を丁寧に解説し、それぞれの性質をどれだけ満たしているか、という観点選挙方式を比較している本。中級。


Handbook of Social Choice and Welfare, edited by K. J. Arrow, A. K. Sen, and K. Suzumura (Elsevier, 2002). 専門向け。


読んでないけど参考になるかもしれない一般書:

W. Poundstone, Gaming the Vote (Hill and Wang, 2008).

和訳もあり。

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?

(2013/1/2 1:21追記)

この本については、Twitterで情報が入りました。

との事なので、読まなくていい…じゃなくて、ますます参考になりそうな本のようです。僕も読んでみます。

*1Wikipedia記事:「アローの不可能性定理 - Wikipedia

*2:無しのケースでもほぼ同じ定理が証明できます。

*3:推移的という事です。

*4:Independence of irrelevant alternativesの略。

*5:いずれにしても、良く知らない候補は上から順にランクした、という人が出る可能性は大いにあるので、候補の出てくる順番をランダム化するなどの対策が必要です。

*6:決められた範囲内の点数を付けるrange votingというものもありますが、これは戦略投票を仮定するとapproval votingと同じ投票行動になるはずで、正直に点数を付けると損をします。というわけでダメな方法だと僕は思います。

2012-12-29

多数決の何が悪いか(前編)

11月にアメリカ、12月に日本の選挙がありましたが、その選挙の方法について思うところがあるので一度まとめて書いておきます。選挙が終わってから書いているので、結果に不満だからか、というとそういうわけでもなく*1、一般論として以前から考えている事です。書いていて長くなったので、この前編ではまず都合の良い話を主に書いて、後編でそれに対して考えられる批判などを書くことにします。


選挙の目的

少なくとも建前上、今の民主主義選挙を行う目的は、市民の意見を出来るだけ平等な*2形で政治に反映させる、というものと思われます。平等性の観点からは、日本での「一票の格差」の問題、アメリカでの選挙区のゲリマンダーの問題などありますが、今回はそれは問題にしません。1つ1つの(小)選挙区に限った話として、多数決が市民の意見を政治に反映させるのに本当にベストな方法なのか、という部分に注目します*3


念のため「多数決」の定義。有権者が最も好ましい候補1人に票を入れて、単純に、得票数の最も多い候補が当選する、という選挙方式をこの記事では多数決と呼びます。最優先の候補以外に票がカウントされることがない事から、「単記非移譲式」という用語もあります。英語では、plurality voting*4、first-past-the-post (FPTP、FPP)*5などと呼ばれる方式。


日本でもアメリカでも、ほとんどの選挙で使われている多数決ですが、上に書いた選挙の目的から考えて大きな問題があります。


まず、1票に含まれる情報量が少ない事。選挙に出てくる候補に対する意見や印象は、積極的に支持したい人から、絶対ダメという人まで、色々あると思います。ですが、多数決の投票で聞かれるのは、どの人が一番良いですか、だけ。多数決の選挙では、「この人はダメ」、という意思表示はもちろん、「AさんよりはBさんの方が良い」、という意見も伝えられません。候補が2人だけならこれでも問題無いですが、4人、5人と増えていくと、投票者1人が持っている意見のうち、多数決の票で伝えられるものの割合はどんどん減っていきます。


多数決では、票に含まれる情報の量が少ないだけでなく、その質にも問題があります。「戦略投票」と呼ばれる問題ですが、例えばこういう事です。


あなたは、2000年のアメリカ大統領選で緑の党のラルフ・ネーダーを支持していたとします。世論調査の報道を見ると、ネーダーが多数決でブッシュ(共和党)とゴア(民主党)に勝てるとは思えません。さらに、ブッシュとゴアはどうやら僅差だというのが分かってきます。


あなたがネーダーに投票してもしなくても、彼は確実に3位。出来ればネーダーに勝って欲しいといっても、彼に票を入れる事で選挙結果に影響があるとは考えられません。あなたにとって好ましい選挙結果になる確率を少しでも上げるためには、ブッシュとゴアのどちらか「マシな方」を選ぶのが、あなたの最適戦略になります。


このように多数決の選挙では、有力候補以外の支持者のいくらかは、自分が一番良いと思っていない候補に票を入れる事になります。「民意」を汲み取るのが選挙の役割だとすれば、このような「ウソ」の票は出来るだけ減らしたいもののはずです。


他の選挙方式

上の戦略投票の問題を認識している人は、かなりの数いると思います。ただ、問題だと思っていても、他にやりようが無いじゃないか、と諦めている人が多いのではないでしょうか。日本とアメリカではほとんどの選挙が多数決で行われていて、それが当然、と思われている節があります。そこで、他にも選挙の方法はあるし、中には国政選挙で長年使われているものもある、と伝えるのがこの記事の1つの目的です。


まず、多数決から一段登った方法と言えるのが、2回投票制*6。多数決が英米系の国で多いのに対して、フランスや旧フランス領で多く採用されている選挙方式です*7


2回投票制の基本は「過半数でないと勝てない」という事*8。1回目の投票は、多数決と同じように行われます。3人の候補がいる選挙で、このような結果になったとします。


候補A 40%

候補B 35%

候補C 25%


多数決では当然候補Aが勝つことになりますが、2回投票制では、得票率が50%を超えないと勝たせてもらえません。過半数を取った候補がいない時には、上位2名(この場合AとB)の決選投票が後日行われる事になります。そして、候補Cに入れた人の多くがAよりもBを支持すれば、決選投票でこのような結果になる事もあります。


候補A 45%

候補B 55%


1回目の投票では2位だった候補Bが、決選投票で逆転して当選、というわけです。


2回投票制のメリット、デメリットの話は後に回すとして、もう1つ、先進国で使われている選挙方式を紹介します。アメリカで使われる用語"instant runoff voting"の略を使って、この記事ではIRVと呼ぶことにします*9。"Runoff"は上で説明した決選投票の事。1回目の投票と決選投票を別々に行うのではなく、1回の投票で決選投票まで出来る事からこの名前がついています。先進国でIRVを使っているのは、オーストラリアアイルランド


IRVでは、1人の候補を選ぶのではなく、候補をランク付けする事で投票します。A〜Dまで4人の候補がいる場合、"B(最も支持)、C、D、A(最も反対)"などのように投票出来るわけです。下に書いた、9人が投票した結果の例でIRVの仕組みを解説します。


第1ラウンド(投票結果そのまま)

4人 A、B、C、D

2人 B、C、D、A

2人 C、B、D、A

1人 D、B、C、A


IRVは2回投票制と同じく、(1位票で)過半数を取らないと勝てません。上の場合、候補Aを1位にした人は4人で、過半数にならないので第1ラウンドでは勝者が決まりません。その場合、1位票が一番少ない候補を除外します。というわけで、候補Dを除外した結果こうなります。


第2ラウンド(1位票が少なかったDを除外)

4人 A、B、C

2人 B、C、A

2人 C、B、A

1人 B、C、A


Dを1位にしていた人は、Bを2位にランクしていました。この人の票は候補Bの1位票としてカウントされます。これでBの1位票が3に増えましたが、それでもまだ過半数には届きません。勝者がいないので、1位票が2つしかない候補Cを除外します。


第3ラウンド(1位票が少なかったCを除外)

4人 A、B

2人 B、A

2人 B、A

1人 B、A


候補AをBより上にランクした人は4人、BをAより上にランクした人は5人という事で、Bが過半数を取って選挙に勝つことになります。


多数決との違い

2回投票制の例でも、IRVの例でも、最初にリードしていた候補Aが負けてしまいました*10。多数決に慣れていると、1位だったのにおかしいじゃないか、と思うかもしれません。ただ、どちらの場合も、候補がAとBだけの場合にはBが勝っています。つまり、Aが最初にリードしていたのはそもそも、Bと他の候補が票を分け合ってしまったから、という見方が出来ます。もう1つの見方は、候補Aは多数決では勝てるかもしれないけれど、実は多くの投票者に嫌われていて、そのような候補は2回投票制やIRVではなかなか当選できないという事です*11


選挙方式には多数決以外のものもあり、多数決と違う結果になることもある、というのはこれで示せたと思いますし、1人の投票者が選挙で伝えられる情報の量が、2回投票制やIRVの場合、多数決よりも多いのも明らかだと思います。では、多数決で起こる、戦略投票の問題は違う方式を使えば避けられるでしょうか?また、2000年の大統領選のネーダー、ブッシュ、ゴアの例で考えて見ます。候補が3人の場合、IRVと2回投票制はほぼ同じなので*12大統領選挙がIRV方式で行われるとします*13


あなたは、出来れば「ネーダー、ゴア、ブッシュ」と投票したいとします。上で書いたように、多数決の場合にネーダーに入れてしまうと、「ゴアの方がブッシュより良い」というあなたの意見が結果に反映されません。


ではIRVでネーダーを1位にランクする事で、似たような損をするかというと、しません。なぜかというと、ネーダーが最初に除外されたとしても、あなたの票は「ネーダー、ゴア、ブッシュ」から、「ゴア、ブッシュ」に変更されるだけだから。「だめもと」でネーダーに投票しても、損はしない。つまり、正直な自分の意見を票に書けば良い事になります。


選挙で投票者が伝達する情報の量も質も、2回投票制やIRVが多数決に勝っています。一方、多数決は単純で、選挙を行う費用が抑えられます。それを理由として、もっと優れていると思われる制度を採用しない理由になるか、という問題になります。


2回投票制は、どうやっても1回しか選挙を行わなくて良い制度よりも費用がかかってしまうでしょう。ただ、IRVの場合、多数決との費用の差はかなり縮められるもののように見えます。投票を行うのはどちらも1回で、違いがあるのは開票作業の手間です。そしてこれは、選挙の電子化が進めば大きな問題ではなくなるでしょう。


制度が複雑すぎて理解されないのでは、という疑問も、実際にオーストラリアアイルランドの国政選挙、そして他の国の地方選挙でも実際に使われている事を考えると、大きな問題ではないと思われます*14


とりあえずの結論

IRVの方が、多数決より良いと思います。


…後編では、IRVでも起こりうる戦略投票の例、IRVと類似した他の同じくらい良いかもしれない選挙方式、アローの不可能性定理との関係、などカバーする予定です。


多数決の何が悪いか(後編) - 物理学と切手収集」に続く

*1:まぁ、満足しているとも言いませんが

*2:性別、財産などの条件で差がつかない

*3:上に書いた目的から考えると、議会の選挙では比例制を拡大する事に自分は概ね賛成です(例えば、参議院は全部比例制で良いのではないか、とか)。ただ、ある地域の代表が議会にいる事のメリットを強調する意見にも一理あると思うので、1人の候補を選出する選挙区があるのは前提として、その中でどうやって選挙を行うべきか、という話。大統領、市長など、1つしか枠がない役職の選挙もある以上、避けられない問題でもあります。

*4:Pluralityは、他と比較して多数の意味。

*5:競馬で、ゴールポストを最初に通過した馬が勝つ事に例えた名前。

*6:英語ではtwo-round systemまたはrunoff voting。Runoffは、優勝決定戦のこと。

*7:各国の選挙方式の一覧はここで見られます。 "List of electoral systems by country - Wikipedia"

*8:決選投票に3人以上残れるような変種もありますが、ここでは一番単純な方法の説明をします。

*9オーストラリアでは"preferential vote"と呼ばれ、"alternative vote"という呼称も使われます。

*10:もちろん、逆転しない場合の方が実際は多いはずですが、違いを強調するためにこのような例にしました。

*11:IRVの例では、1位票4つ、最下位票5つと、例にしても極端ですが。

*12:実際には、2回投票制で1回目に投票した人と2回目に投票した人が全く同じにはならないですし、投票の合間に意見が変わる可能性もあるので、結果がIRVと同じとは限りません。

*13選挙人制度とかは本筋ではないので割愛(笑)

*14:"History and use of instant-runoff voting - Wikipedia"

2012-04-30

ニュートリノって何?(その1〜ニュートリノ説誕生)

昨年末に、ニュートリノが光よりも速く移動したかも、という発表があったのは知っている人も多いかと思います。この話は実験ミスらしい、という事でほぼ決着しているのですが、ニュートリノってそもそも何?という話はあまり無かったように思うので、何度かに分けてその辺の解説をしてみます。物理をちょっとかじった事がある、くらいの人向けを狙ってみます(外れてるかも知れません)。


本題に入る前に、超光速ニュートリノの結果が否定された話にリンクしておきます。日本語で見つかったソースは、Wiredの「ニュートリノの光速超えにさらなる反証|WIRED.jp」と、科学コミュニケーター林田さんのブログmisatopology.com」です。


実験ミスの原因は、ケーブルがしっかり繋がってなかった、なんですが、どういうこっちゃ、と思った人は「OPERA: What Went Wrong | Of Particular Significance」の3つ目の写真をどうぞ。英語が読める方なら、どういうミスがあったのか詳しく解説されているのでその意味でもこのブログ記事はオススメです。


というわけで、シリーズ1回目。ニュートリノの存在がどのようにして予測されたのか。


β崩壊

福島第一原発の事故でおなじみになってしまった放射線の種類の1つに、β線があります。β線は、原子核から放出された電子。β線の出てくる核崩壊が、β崩壊です。


ニュートリノが絡んでくるからこの話をするのですが、まず、まだニュートリノが発見されていない1930年にいると想像してみてください。β崩壊について当時分かっていた事を2つ挙げると、

  • β線は電子。*1
  • 原子核の質量は一番軽い水素の原子核でも電子の質量の約2000倍。

他にも分かっていた事は色々ありますが、まずこれだけとして考えます*2


なんと、上の2つだけから、ある核種から出てくるβ線のスペクトル(エネルギー分布)が予想できます。これを説明しますね。例として下に、炭素14のβ崩壊を描いてみました。


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元々の炭素14の核は静止状態にあります。ある時突然崩壊が起こって、電子が速度veで放出されて*3、原子核は窒素14に変わります*4。飛び出した電子と真反対の方向に原子核が動き始めないといけないのは、直感的にも分かると思います。原子核の方が電子よりもずっと重いので、原子核の方がゆっくり動いてる(vNの方がveより小さい)、というのも多分。大砲を発射すると反動は大きいけれど、ピストルだとそこまででもない、という例えでどうでしょう*5


なぜこうなるかというと、運動量が保存されているから(分かっている人には少々くどい説明をします)*6。崩壊する前は、静止状態の原子核があるだけなので全体の運動量は0です。運動量が保存されるという事は、崩壊の後も、運動量の合計は0にならないといけないという事。窒素の運動量pNと、電子の運動量peという2つのベクトルを足して0にしないといけないわけです。


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ベクトル2つを足して0にするには、上の図の真ん中の例のように、2つのベクトルの大きさが等しく、正反対を向いていないといけません。つまり窒素の原子核と電子の運動量は、大きさは一緒、向きは正反対。そして原子核の方が質量が大きいので、より小さい速度で同じ運動量に達します。だから原子核の方が、電子よりも遅く動いている、という事です。


さて、電子と原子核の運動量の大きさはどうやって分かるんでしょうか?これにはエネルギー保存則を考えます。質量はエネルギーの一種(E=mc2)なのを思い出して、崩壊前後のエネルギーを書き出すとこうなります。


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崩壊前のエネルギーは、炭素14の質量エネルギー(mic2)のみ。崩壊後のエネルギーは、窒素14の質量エネルギー(mfc2)と電子の質量エネルギー(mec2)、そしてそれぞれの運動エネルギー(KfとKe)。エネルギーの保存則から、前のエネルギーと後のエネルギーは同じでなくてはならず、それを表したのが下から2番目の式。これを変形すると、原子核と電子の運動エネルギーの合計(Kf+Ke)が、質量欠損、つまり崩壊前後の原子核の質量の差(mi-mf)と、電子の質量によって表されました。


この右辺は、質量を測りさえすれば分かる一定の数字なので*7、炭素14のβ崩壊なら毎回一緒です。という事は、出てくる運動エネルギーも毎回一緒で、それによって運動量の大きさも毎回一定に決まるという事になります*8


スペクトルの矛盾

というわけで、炭素14から出てくるβ線のスペクトルの予想は、こうなります。


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毎回一定のエネルギーで出てくるという予想。測定誤差や、元の炭素14がじっとしているわけではない事を考慮に入れても、鋭いピークが現れるはずです。ところが、実際に計測されたスペクトルは下のような曲線でした。


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予想に反して、滑らかな分布だったんですね。スペクトルを予想するのに必要だった前提は、

  1. β崩壊で出てくるのは、原子核と電子だけ
  2. エネルギーは保存される
  3. 運動量は保存される

の3つ。予想が間違っていたという事は、このうち最低でもどれか1つは間違っている事になります。この問題に気付いたニールス・ボーアは、エネルギー保存則は統計的にしか成立しないのではないか、という可能性まで考慮していました*9


そこで、今まで検出されていない新しい粒子があるのではないか、と提唱したのがヴォルフガング・パウリでした*10。エネルギーが保存されていないように見えるのは、その新しい粒子がエネルギーを持っていなくなってしまっているからだと言うのです。出てくる粒子が3つあれば、エネルギーと運動量を保存しても、電子のエネルギーは1つには定まりません。↓に、3つの運動量を足して0にする例を描いてみました。電子の運動量peが色々な値を取れるのが分かります。


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パウリがこのアイディアを公表したのは、核物理の学会が行われていたチュービンゲンへの公開書簡です。1930年12月4日付。その書き出しは、"Liebe Radioactiven Damen und Herren"(「親愛なる放射性紳士淑女の皆様へ」)というものでした。全文は「Pauli letter collection - CERN Document Server」(下のFulltext:PDFをクリック。)で読めます。


ニュートリノ命名

この時、パウリが新しい粒子に付けた名前は"Neutron"でした。中性(neutral)の粒子という意味ですが、1932年に中性子が発見された際、neutronの名前は取られてしまいました。


そこで新しい名前を考えたのが、エンリコ・フェルミ*11。イタリア語では、中性子の名前はneutroneになります。たまたまなのですが、イタリア語で"-one"の語尾は、大きいものを表すのに使われるもの。反対に、小さいものを表す語尾は"-ino"です。フェルミは、発見されていない粒子は中性子よりも軽いはず、という事で、これを小さい中性の粒子(neutrino)と名付けました。


以上、ニュートリノ説の誕生でした。

続く

*1:これを発見したのはアンリ・ベクレル。H. Becquerel, Comptes Rendus de l'Academie des Sciences 130, 809 (1900). (フランス

*2:ホイッグ史観的なやり方なのは承知の上で、物理を分かりやすく説明する事を優先します。とか言って分かりにくかったらかっこわるい…

*3:本文中、ベクトルには矢印を付けていませんが、混乱する箇所はないと思います。面倒なだけなので、分かりにくかったらすいません。

*4:炭素の元素番号は6、窒素の元素番号は7なので、原子核の電荷は+e増えてます。電子の電荷は-eなので、合わせると前後で増えたり減ったりはしていません(電荷の保存)。

*5:力学の話は暴力的になっていけませんね…

*6:運動量は、p=mv/√(1-v2/c2)。速度が光速よりずっと小さい場合には、p=mvで近似できます。β崩壊の場合、この近似は原子核については当てはまりますが、電子については当てはまらない場合が多くなります。

*7:真空での光速cももちろん定数

*8:運動エネルギーと運動量の大きさが一対一で対応しているということが示せれば十分。運動量pで動いている質量mの物体のエネルギー(質量エネルギー+運動エネルギー)は、E=√(m2c4+p2c2)。

*9:W. Pauli, in Neutrino Physics: Second Edition, edited by K. Winter (Cambridge University Press, Cambridge, 2000), p. 5-6.(5/1 15:16追加)なぜボーアがそう考えたかというと、β崩壊するビスマス210の崩壊熱を測ったところ、崩壊1回ごとに出てくるエネルギーは、滑らかなβスペクトルのピーク付近のエネルギーだと分かったからでした(C. D. Ellis and W. A. Wooster, Proceedings of the Royal Society A 117, 109 (1927) )。β崩壊では、毎回出てくるエネルギーは違うけれど、平均はエネルギーを保存するように定まっているのでは、と考えたわけです。ビスマス210はラジウム系列の同位体で、当時はラジウムEと呼ばれていました。

*10:実は、この説には角運動量の保存を救う意図もありました。炭素14のスピン角運動量は0、電子のスピンは1/2、窒素14のスピンは1です。崩壊後の2つの粒子のスピン1/2と1をどう組み合わせても、元のスピン0にすることは出来ません。スピン1/2の粒子がもう1つ出て来きているとすれば、この問題も解決されます。(これはちょっと進んだ話なので本文から割愛。次の記事で解説するかも知れません。)

*11:E. Fermi, Collected Papers: (Note e Memorie), (University of Chicago, Chicago, 1962), Vol. 1, p. 538-540.