elmoとPonanzaの力関係

ちょっと遅れましたが、アンケートをやってみて面白かったので少し解説してみます。


アンケートはこれです。



まず少し背景から。


5月3~5日に世界コンピュータ将棋選手権が川崎で開催されていました(第27回世界コンピュータ将棋選手権)。Ponanza*1は、3連覇を狙っていたプログラムで、大方の予想でも本命とされていました。一方elmoは新参加で、Ponanzaに二次予選でも決勝トーナメントでも勝ち、優勝したプログラムです。


「2局の結果から何が言えるか?」というのが質問で、結論から言うと多分25~50%が一番ありそうな所で、75%以上はあまりありそうにないという風に考えていますが、どういう風に考えてそうなるのか書いてみます。


この問題をどう考えるのかは、前提知識によって違ってくる、というのが重要なポイントになります。

予備知識がゼロの場合


まずコンピュータ将棋どころか、将棋についても予備知識が無く、どういう性質のゲームなのか分からない場合を考えてみます。


この場合、elmoとPonanzaが対局する前にはelmoが勝つ確率は全くの謎です。なので、0%から100%まで同じくらいありえそう、という前提から入ることにします。この時に考えられるelmoの勝率の分布(事前分布)はこう。



elmoとPonanzaの対戦結果などの新情報が入るたびに、ベイズの定理に従ってこの分布を更新する、というのがベイズ統計の考え方。elmoがPonanzaに2勝した場合には、この分布にxの2乗を掛けて*2、分布の下の面積が1になるように正規化すると、事後分布の出来上がり。新情報を組み込んだ確率分布になります。



(青は事前分布、赤が更新後の事後分布)


この場合の事後分布はシンプルで、3x2です。当然のように、elmoの勝率が高い確率が高くなります(この話はずっと「確率の確率」なのが少しややこしいですが避けようがなさそうです)。アンケートで出て来た区間ごとに分布の下の面積を計算すると、

区間 確率
0~25% 1.6%
25~50% 10.9%
50~75% 29.7%
75~100% 57.8%


となって、実際の勝率が75~100%の区間にある確率が一番高くなります。

大差は付いていないと仮定した場合


「対戦情報以外に何も知らない」というのは、実際とかけ離れています。elmoとPonanzaという特定のプログラムについて何も知らなかったとしても、この2つのプログラムはどちらも選手権の決勝に出て来るレベルのものです。この場合には、「どっちが上かは分からないけれど、95%とか5%みたいな一方的な勝率はあまり無いだろう」、というのはリーズナブルな仮定です。そこで一例ですが、こういう事前分布から始めてみます。



elmoの勝率が10%以下の確率も、90%以上の確率も約10%という仮定です。ここからさっきと同じように2勝0敗の対戦結果を組み込んで事後分布を計算するとこうなります。



この場合には、elmoの勝率が50~75%の範囲に入る確率が50%くらいになっています。75~100%まで上がる確率は25%弱。つまり、「どちらが強いかは分からないけれど、どちらかが圧倒的に強い事はないだろう」という仮定から始めると、50~75%が恐らく妥当なアンケートの選択になります。

Ponanzaが有利だと考えていた場合


実際の状況をもっとよく知っていた場合を考えてみます。今回の大会のelmoとPonanzaの直接対決以外の情報で、勝率を推測するのに使えそうな情報はこの辺です*3

  • Ponanzaは2連覇中。今年のプログラムは去年のプログラムとの対戦では8割ほどの勝率。
  • elmoは新参加。強豪プログラムのコードを利用して作られているとはいえ、この強豪プログラム自体はPonanzaほど強くはなかった。
  • 直接対決以外ではPonanzaは全勝。
  • elmoは2次予選で技巧に負けた以外は全勝。
  • PonanzaはGPUを大量に使うなど、マシンのスペックでelmoより上。
  • 人間の間の前評判では、Ponanzaが圧倒的有利という話だった。表彰式でのelmoの瀧澤さんと、Ponanzaの山本さんのやりとりが分かりやすい。



要するに、elmoの勝率の事前分布は、少ない方にピークがあるものだったはずなわけです。例えばこんな感じ*4



elmoの勝率は2割くらいじゃないか、という前提です。山本さんの「10%も行かないんじゃないですか〜」は誇張が入っていたかもしれませんが、もう少し自信満々に、低い勝率に高いピークがある分布で考えてたんじゃないでしょうか。僕はそんな詳しくないのでこれくらいでやってみます。



すると、25~50%の勝率になる確率が50%くらいになりました*5。まだPonanza有利ですが、elmoが勝ち越す可能性も結構ある、という結論になります。


もっと自信を持ってPonanza有利を予想していた人なら、elmoの勝率が50%を超えている可能性はあまり無さそう、と言っているでしょう。「まだ25%以下」と考えている人も結構いるのは、アンケート結果から分かります。

最後に


elmoが2勝した、という情報だけからだと、elmoの勝率は結構高いんじゃないか、と思わせるアンケートでしたが、他の情報を利用するとそうとも言えなくなってきます。持っている情報と、その情報をどういう風に評価するかによって事前分布は変わるもので、最終的に考えるelmoとPonanzaの力関係も変わってくる、というのをかなりアバウトにですが示せたかと思います。


あと、1回や2回の勝負では、多くの人間が思うほど極端に分布が変わるわけではない、というのも言えると思います。これは例えば、スポーツの1試合の結果で結論めいた話をするのは危険、みたいな応用も出来ますね。

追記


Ponanzaの山本さんが、(主に自分の研究・開発のためでしょうが)対戦させた結果をブログに書いてます。


電王戦2017最終局前夜 - 山本一成とPonanzaの大冒険


引用
「あとで検証したところ、Ponanza173勝 elomo89勝 4引分 勝率65.8%でした。(対局条件は10秒秒読み・Xeon24core ・定跡なし・クラスタなし・Deep Learning未使用)なかなか公平な対局条件をつけるのは難しいですが、まだなんとかPonanzaのが強そうと言えそうですね。」


大会と同じ条件ではないのでアンケートの答えが確定したかのような話にはなりませんが、大会と比較してどちらかが明らかに有利になる、という比較にも見えません*6。elmoの勝率が25~50%という可能性は高くなったと思います。

*1:今回の登録名はPonanza Chainer

*2:x2がこの観測結果に対応する尤度関数(Wikipedia記事)。偶然にも、Wikipediaの「簡単な例」がピッタリ同じ話です。一般には、elmoとPonanzaの対戦成績がa勝b敗だった場合、尤度関数はxa (1-x)bになります。

*3:コンピュータ将棋関係者、特にelmoとPonanzaの開発者さん達はもっと色々挙げられるでしょうが、遠くから見てるような自分でも分かるような情報から考えます。

*4:これもただの一例です。

*5:ここでさらに言うと、対局内容(多分特に定跡の選択)から、詳しい人ならもう少し細かい更新ができるでしょう。

*6:この情報をどう料理するのかも人それぞれでしょうし、それはそれで問題無いわけです。

ニュートリノ振動前史

2015年のノーベル物理学賞の受賞理由は、「ニュートリノに質量がある事を示すニュートリノ振動の発見」でした。


どうも「ニュートリノに質量があると何がすごいのか」という方向の解説が多くされているようなのですが、ニュートリノの種類(フレーバー)が変わる振動という現象自体が大発見で、長年の疑問を解決したものだったので、その話を書いてみます。


このブログでは「ニュートリノって何?」というシリーズ物を書いていて、ちょうど「ニュートリノ振動の解説が大変だなぁ」となって勢いを失って更新されていない状態なので、ある意味その続きになります。そもそもニュートリノってなんなのか、という所から読みたい人には長いですがおすすめしておきます。今回の記事だけでも読めるようにしてあるので、重複部分があります。

太陽ニュートリノ

地球で観測出来るニュートリノの発生源の1つに太陽があります*1。太陽の熱の元になっているのは、水素をヘリウムに変える核融合反応で、この反応が起こるたびに電子ニュートリノが出て来ます*2


1960年代の話。当時すでに、太陽の内部で起こっていると思われるこの反応は知られていて、最終的にヘリウムになるまでのルートが3つある事も知られていました。


上の図でppI, ppII, ppIIIと書かれているのが3つのルート。ルートによって、出て来るニュートリノのエネルギーが違ってきます*3。ここにはルート別の割合がパーセントで書いてありますが当時は不明でした。これらの反応は太陽の表面ではなく内部だけで起こっているものなので、太陽から来る光をいくら観測しても割合は分かりません。そこで、ニュートリノを観測する事で、太陽での核反応の測定が直接出来るのでは、というアイディアが出て来ました。

ホームステイク実験

観測出来るはずのニュートリノの数を計算したのはジョン・バーコールという宇宙物理学者でした。太陽の表面温度、半径などから太陽の内部状態を推測して、それぞれの核反応が時間当たりに起こる回数を求めたわけです*4


そして実験を行ったのがレイ・デイヴィスという人。塩素にニュートリノが当たると、ある確率で塩素37の原子核がアルゴン37に変わるという計算がありました。そこでデイヴィスは、サウスダコタ州にあるホームステイク金鉱に水槽を作り、ドライクリーニングに使われる洗浄剤*5を40万リットル貯めました。実験の写真はブルックヘブン国立研究所のページで見られます。


これを放っておくと、洗浄剤に含まれる塩素がアルゴンに変わってくれるわけですが、ニュートリノが反応する確率というのは低いので、これだけの量の塩素を置いても1日に1回も反応してくれません。何週間か待って、アルゴンの原子を数十個集める、という実験というわけです*6。この実験の結果は1968年に初めて発表されて、バーコールの予想の7分の1のニュートリノしか見つかりませんでした。

ニュートリノ振動

バーコールの計算もデイヴィスの実験も初めての試みという事で、当然ながらどちらも疑問視されました。しかしどちらも長年改善を続けて、他の研究者の検証にも耐え続け、実験で見つかるニュートリノの数は理論予想の3分の1ほどで落ち着きました。


実験で見えるニュートリノの数が、理論上の予想と一致しない、というのは「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれるようになりました。理論計算が間違っているとすれば、一番近くにある恒星の中で何が起こっているのか分かっていないという事で、それは天文学の視点では大問題になりえます。


この問題の解決策としてニュートリノ振動という現象を1976年に考えたのがブルーノ・ポンテコルヴォとサモイル・ビレンスキーの2人でした*7。もしニュートリノに質量があるとすると、太陽での核反応で生まれた電子ニュートリノが、地球にたどり着くまでに他の種類(ミュー型またはタウ型)のニュートリノに変わることが可能になる、という説です。他の種類のニュートリノはデイヴィスの実験では観測出来ないので、数が減っている事が説明出来るわけです。


この説を検証して、実際に正しい事を示したのが90年代以降の神岡、サドベリーでの実験で、30年続いた問題の解決となったわけです。


最後に物理屋向けに一言。太陽ニュートリノ問題の解決にはPMNS行列による真空での振動だけでなく、MSW効果という物質効果が必要になります。面白い物理なので知らない方は調べてみてください。

*1:ニュートリノの発生源についてはシリーズその3

*2:ニュートリノの種類についてはシリーズその5

*3:ニュートリノの数も違うように書いてしまっていたのですが、どのルートにしても陽子1つが中性子に変わるたびに電子ニュートリノが1つ出て来るので数は変わりません(電子が吸収されるか陽電子が出て来るかの違いはありますが。)

*4:太陽の内部温度に一番大きく左右されるのは、回数で見ると一番少ないppIIIのルートのニュートリノの数で、デイヴィスの実験で主に測られたのはこれでした。他のニュートリノがほとんど見えなかったのは、ppIIIのルートと比べるとエネルギーが低いため。

*5:テトラクロロエチレン

*6:水槽にヘリウムを通すとアルゴンを集められたそうです。アルゴン37は電子捕獲で崩壊するので、これを観測すれば数えられます。半減期は35日。

*7:ポンテコルヴォは、ニュートリノと反ニュートリノの間の振動現象も1969年に提案していました。

マリ紛争と音楽

フランスの介入で当面は落ち着いている西アフリカのマリ北部紛争を、マリの音楽を通して見てみようと思います。といっても、フランス語含めて現地の言語を聞くだけで理解出来るわけではないので、表面だけ見ているようなものですが、紛争に触発されて、そしてそれと関係なく、マリという場所で良い音楽が作られてるというのが伝えられれば幸いです。


まず、マリの地理と紛争のおさらい(詳しくはウィキペディア記事)。マリの北部はサハラ砂漠で、首都のバマコ含めて人口のほとんどは南部、主にニジェール川沿いに住んでいます。砂漠の方では、定住しているソンガイ族などの他に、国境も自由に行き来するような遊牧民のトゥアレグ族などが住んでいます。マリ人の多くは黒人で、北アフリカの人達により近いトゥアレグ族などは例外になります。そして宗教的には90%以上がイスラム教徒です。


今回の紛争は2012年の初め頃、トゥアレグ族の独立運動として始まり、4月には北部マリの主要な都市を制圧した反乱軍がアザワドという国名で独立を宣言しました。しかしその後、反政府で同盟を組んでいたイスラム過激派の勢力が強くなり、ほとんどの都市をイスラム過激派に乗っ取られてしまいます。過激派によって古都トンブクトゥの遺跡などが破壊されてしまったのは大きく報道されたと思います。


これと同時進行で首都のバマコでは3月にクーデターが起きるなどして、マリ政府は全くと言っていいほど北部での反乱に対応出来ていませんでした。そこで2013年の1月に元宗主国のフランスが国連の許可を得て軍事介入。日本で大ニュースになった隣国アルジェリアでの人質事件は、この介入が背景にありました。フランス軍の作戦はとりあえず軍事的には成功し、今のところ反政府勢力は弱まっていますが、これから安定した政治の基盤が作れるのか、という面ではまだ不安が大いに残ります。


ではでは、音楽に行きましょう。

トゥアレグ族

まずはトゥアレグ族の音楽。色んな意味で抜かせないのがティナリウェン(Tinariwen)。このバンドの結成の経緯はこの紛争とも大いに関係があります。80年代にリビアのカダフィ大佐は、隣国のトゥアレグ族の独立運動を支援し、トゥアレグの若者達を呼んでトレーニングをしていました。ティナリウェンが結成されたのはその駐屯地での事。ティナリウェンはもう戦っていませんが、カダフィ大佐がいなくなった事で軍事訓練を受けたトゥアレグがマリに戻っていき、それが今回の戦乱の原因の1つになりました。


2011年には既にマリ北部は危険になっていたようで、アルバムの録音はアルジェリアで行われていました。

Tassili

Tassili


基本的には、グルーヴ感のあるトゥアレグの民族音楽をエレキギターに乗せたかっこいい音楽ですが、"Tassili"はビデオにも出て来るようなアメリカのアーティストとの共演を含めて、色々と冒険したアルバムでした。


イスラム過激派には音楽を禁止しようとしたものもあって、ティナリウェンはターゲットとなってしまったとか。現在も避難中で、一番最近のアルバムはアメリカで作られました。

Emmaar

Emmaar


もう1つマリのトゥアレグ音楽で紹介したいのはタミクレスト(Tamikrest)。ティナリウェンよりも若いグループです。去年出したアルバムのタイトル"Chatma"はSistersと言う意味で、戦争で苦しむ女性達に捧げたそうです。

Chatma

Chatma


曲の中では、レゲエの入ったItousが個人的には好き。トゥアレグ音楽の可能性を広げる意味では、このアルバムでティナリウェンを越えたと思います。かなりオススメ。


トゥアレグ音楽が気に入った方は、隣のニジェール出身のBombino、Etran Finatawaもチェックしてみてください。

砂漠のブルース

北部マリに定住している人達の音楽で有名なのは、砂漠のブルースとも呼ばれる独特のスタイルのギターで世界に知られるようになったアリ・ファルカ・トゥーレ(Ali Farka Toure)です。彼は2006年に亡くなりましたが、彼に直接影響を受けた人達が今回の紛争を受けて音楽を作っています。


まずアリのバンドに参加していたサンバ・トゥーレ(Samba Toure)。

Albala

Albala


アリのスタイルを踏襲した音楽と言って良いと思いますが、緊迫感のある録音です。


次に、アリの息子、ヴュー・ファルカ・トゥーレ。アリよりも「エレキギターですよ」という音楽を主にやっている印象でしたが、前回のイスラエルのイダン・ライヒェルとの共演と

Tel Aviv Session

Tel Aviv Session

今回の"Mon Pays"(フランス語でMy Countryの意味)は、どちらも音量を抑えたアルバムになってます。
Mon Pays

Mon Pays


↑このPeaceという曲は、シディキ・ジャバテ(Sidiki Diabate)との共演。シディキの演奏するコラはハープのような楽器で、シディキの父トゥマニ(Toumani Diabate)が今一番の名奏者。アリとトゥマニの共演も素晴らしかったので、いつかは起こっただろうという息子達のコラボ。今後も楽しみです。


北部マリからはもう1人、シディ・トゥーレ(Sidi Toure)。名前が紛らわしいですが、アリ・ファルカ・トゥーレと直接の関係は無いはずの人。"Alafia"の意味は平和。

Alafia

Alafia


似た系統の音楽なのは分かりますが、タッチがかなり軽いです。

グリオ

トゥマニやシディキ・ジャバテに代表されるのが、南部マリの音楽の中心になるグリオ(ジェリ)の伝統です。グリオは、世襲制で芸を何百年も受け継いできた人達で、地域の歴史を伝える語り部です。昔の日本にいたとしたら平家物語、古代ギリシャだったらトロイ戦争の話を歌っているような人でしょうか。それが身分制度として現代にも存在するのがマリの社会ということです。


同じくコラを演奏するバラケ・シッソコ(Ballake Sissoko)が出したのは、"At Peace"というアルバム。

At Peace

At Peace


トゥマニとコラ2本の共演だった"New Ancient Strings"、チェロとの共演"Chamber Music"に続いて、瞑想するような音楽です。
New Ancient Strings

New Ancient Strings

Chamber Music

Chamber Music


逆に感情を表に出してきたのがバセク・クヤテ(Bassekou Kouyate)。彼もグリオですが、ンゴニというバンジョーのような楽器にアンプを付けてます。

Jama Ko

Jama Ko


PVはあまり紛争と関係無いように見えますが、みんなで集まって音楽やって踊るのがマリの文化だよ、という抗議だそうです。他にも、イスラム主義に対抗した過去の偉人について歌った曲などあって、こういうのがグリオの役割なのだろうな、と思わされます。


グリオのギタリスト、ハビブ・コワテ(Habib Koite)のアルバムは、いつも通りの楽しい音楽を大体やってますが、"Soo"はHomeの意味で、同じタイトルの曲は明確に紛争を意識したものです。

Soo

Soo

その他

ロキア・トラオレ(Rokia Traore)は貴族の出身だという事で、本来は音楽をやるべきではないのだとか。

Beautiful Africa

Beautiful Africa


普通にかっこいいアフロポップです。


ファトゥマタ・ジャワラ(Fatoumata Diawara)は、女性ボーカルが表に出てくるワスル音楽の人。

Fatou

Fatou


彼女はマリの他のスターを集めて反戦の歌を録音したり、過激派に占領されたトンブクトゥを描いた映画に出演したりしているようです。

(この記事で名前を出した人も沢山出て来ます)


最後にですが、マリ北部では毎年Festival au Desertという音楽フェスティバルがあって、ここで紹介したようなアーティスト達が集まっていました。一度は行ってみたいイベントですが、現在は中断中。元通りに戻ってほしいものです。

Live from Festival Au Desert Timbuktu

Live from Festival Au Desert Timbuktu

追記

北部マリのガオ出身で、紛争のためにバマコに避難していた4人組がソンゴイ・ブルース(Songhoy Blue)というバンドを作ってます。このブログ記事を書いた直後に存在に気が付いたんですが、↓この1曲だけ出してたので追記は書かないでいました。

今年に入ってからMusic In Exileというアルバムを出していて、PVももう1つあります。

Music in Exile

Music in Exile


ここで紹介した中だとタミクレストと並んでオススメです。

素粒子の質量が違うわけ

ヒッグスの話です。最初におすすめしておきたいのが、去年のヒッグス粒子発見の数日後に書かれた「http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/d/1207.html#08」(特に、「何がすごいのか? 」の部分)と「ヒッグス粒子ってなあに?」。


今年のノーベル物理学賞を受賞したヒッグスとアングレール(とブラウト*1)が解決したのは、力を伝達するゲージボソンという粒子が、どうすれば質量を得る事が出来るか、という問題でした。去年のヒッグス粒子の発見は、彼らが考えた「ヒッグス機構」と呼ばれる仕組み*2が実際の世界で働いている証拠になりました。


ヒッグス粒子の発見で「完成」したと言われている標準模型は*3、これまでに発見されている素粒子の性質と、その間に働く作用をかなり正確に記述出来ると考えられています*4。この理論でのヒッグス機構の働きは、「弱い力」を伝えるWボソンとZボソンという粒子に質量を与える事です。この2つの粒子に大きな質量*5があるために、伝える力が働く距離がとても短くなり、「弱く」なる事を説明しています。


標準模型では、電子やクォークなどの素粒子にもヒッグス場のおかげで質量が生まれる事になっていますが、これはあくまでオマケ。ヒッグス達が発見したのはあくまで、ゲージボソンに質量を与える方法でした。とはいえ、報道では「物質に質量をもたらす」部分が強調される事が多いですし、そっちの話を少ししてみます。(ありがちな誤解については、以前このブログで書きました。「ヒッグス粒子には出来ないこと - 物理学と切手収集」)

素粒子の質量の違い

この話のスタート地点としては、「素粒子の質量はヒッグス(場)と関係あるらしい」というだけの理解で良いと思うんですが*6、素粒子の質量は種類によって違います。上に書いたようにオマケで質量をもらったレプトンとクォークの質量は大体こんな感じ*7

レプトン 質量(MeV)
電子 0.5
ミュー 100
タウ 2000
クォーク
アップ 2
ダウン 5
チャーム 1000
ストレンジ 100
トップ 200000
ボトム 4000


MeVという単位の意味は、そういう単位で測れる、という事以外気にしなくてもいいです。ここで注目したいのは、質量が0.5MeVしかない電子から、20万MeVもあるトップまで、素粒子の質量に大きな差がある事です。なんでこんな差が出るのか、物理学者は説明出来てるのか?というのは自然な質問だと思います。


答えは、出来てると言えば出来てるし、出来てないと言えば出来てない、です。なんのこっちゃ。


なぜ違いが出るのか、には「質量はヒッグス場との結合定数に比例して、これが素粒子ごとに違うから」という答えがあります。どういう意味かというと、ヒッグス粒子と反応しやすい素粒子は、質量がその反応しやすさに比例して大きくなるという事です。そしてその「反応しやすさ」は、実験で作られたヒッグス粒子がどのように崩壊するかを調べれば測ることが出来ます。


例えばトップクォークは質量が大きいので、ヒッグス粒子と強く反応すると考えられます。逆に質量の小さい電子は、ヒッグス粒子とはほとんど反応しません。ここから、ヒッグス粒子が崩壊する際、トップクォークが出て来る事は多く、電子が出て来る事はほとんど無いという予想が標準模型からは出て来ます*8質量とヒッグスとの結合定数が比例しているかどうかは、実験で確かめられるわけです*9


ただ、そもそも電子とヒッグス、トップクォークとヒッグスの結合定数が違う理由はなに?と聞かれると、標準模型にはその答えはありません。標準模型が教えてくれるのは、そこに定数があって、実験で測れば分かる、という事だけだからです。標準模型を超える理論が出来れば説明出来るのかというと、それもあやしいですが、とにかく今広く受け入れられている理論では全く説明出来ないんですね。

*1:他にも…

*2:真空でのヒッグス場の期待値が0では無くなる事で、ゲージ対称性が自発的に破れ、結果破れた対称性に対応するゲージボソンが質量を得る。

*3:下に出て来る、ヒッグスと他の素粒子の結合定数が測られていないので、まだ完成していない、という意見もあり。

*4:今までに明らかに示されている例外はニュートリノ振動のみ。標準模型ではニュートリノに質量はないとされているが、ニュートリノ振動は質量が無ければ起こらない。

*5:どちらも陽子の約100倍の質量。

*6:これでも予備知識が必要なのが難しいところ…

*7:実際はもっと精密に測れてる。「レプトン (素粒子) - Wikipedia」「クォーク - Wikipedia

*8:これは、ヒッグス粒子が崩壊した直後の話。実際の実験で検出されるのは、トップクォークがさらに他の粒子に崩壊したもので、そのような崩壊の連鎖のあとでは大量の電子が普通出て来る。検出されたものから、元のプロセスがどういうものだったのか復元するのは、LHCのような実験では大事な手順。

*9:これは、まだ確かめ始めたところ、と言って良いと思う。

多数決の何が悪いか(おまけ)

(出来る限り、前編後編を見なくても読めるように書きましたが、気になったらそちらも読んでみてください。)


このシリーズをブログにまとめるきっかけの1つは、「だれからも文句のでない投票方式」という日経サイエンスの過去記事でした(2013/1/2 16:38追記・訂正 きっかけは記事全文ではなく、紹介文でした。全文はリンク先でダウンロード購入、または日経サイエンス2004年6月号を探してください。このブログで書いた話と重複が多いですが、著者の推奨する選挙方式について筋の通った解説がされているのでオススメです。)。この記事の論旨は僕のブログ記事と同じで、投票者それぞれが候補1人に票を入れる形の多数決よりも、候補をランク付けする方式の方が好ましいというものですが、提案している方式は少し違います。この記事の話を少し詳しく見てみます。


まず、「完全な投票方式は存在しない。どんな方式にも何らかの欠陥がある。」というのはアローの不完全性定理への言及でしょう。これについては後編で書きました。2000年のアメリカ大統領選も、多数決の問題点を指摘する際に多用される例になっています*1


ただ、「2002年のフランス大統領選挙では,予想に反して,極右政党のルペンが上位2人の候補者で競う決選投票に進ん」だ事が、2回投票制の問題のように書かれています。これには疑問です。この選挙の結果(リンク)を見ると分かるのは、10人以上の候補がいた1回目の投票から、シラクとルペンの決選投票の間で、ルペンの得票率がほとんど伸びていないことです。これは、ルペンには熱狂的な支持者が一定数いて、それ以外のほとんどの人はルペンに反対していた事を示しています。もしフランスの大統領選が1回勝負の多数決だったとすると、ルペンが勝ってしまった可能性もあります。この選挙はむしろ、「2回投票制は過半数での勝利を要求するので、ルペンのように大多数に嫌われている候補を当選させない」、という成功例でしょう*2。(2013/1/2 11:03追記 IRVではシラクとジョスパンの直接対決になっていたと思われるので、それほど良くなかった、と言う事は可能です。)


それでも、著者達が提案している選挙方式は興味深いです。引用します。


「投票者はすべての候補者について選好順序を示す。これに基づいて候補者どうしを1対1で比較したとき,他の候補者をすべて打ち負かした者が当選者となる。また,他の候補者をすべて打ち負かすほどの多数の支持を得た候補者がいなかった場合は,1対1の比較で最も多くの候補者を打ち負かした者を選び,さらにその中でも最も多くの順位評点を獲得した者を当選者とすればよい。」


最初の部分に出てくる、他のどの候補と1対1で勝負しても勝てる候補は「コンドルセ勝者」と呼ばれます。この方式では、候補のランキングを投票してもらって、コンドルセ勝者がいたらそれを当選させる、という事になります。確かに、コンドルセ勝者を当選させる、というのは選挙方式に求めたい性質の1つです*3


多数決では、コンドルセ勝者が勝つとは限りません。それどころか、直接対決で全員に負ける候補、「コンドルセ敗者」が当選する事さえあります。2002年のフランス大統領選が多数決で行われていた場合、コンドルセ敗者だったかもしれないルペンが、もう少し得票率を伸ばせば勝っていました。市民の過半数に嫌われている候補でも、反対票が何人かの候補に割れてしまうと、多数決で勝つ可能性があるという事です。


コンドルセ勝者がいない場合もあります。その一番単純な例は、後編でも書いたコンドルセのパラドックス。投票者3人が、候補3人をランク付けした結果、こうなった場合です。


1人 A、B、C
1人 B、C、A
1人 C、A、B


直接対決でAはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つようになっています。どの候補も、他の2人両方に勝ってはいません。つまりコンドルセ勝者はいません。これがコンドルセの「パラドックス」と呼ばれる理由は、「全体の意見」というものがあるとした場合、それによるとAの方がBより良く、Bの方がCより良いのに、Aの方がCより良くはなっていないからです。


候補の数が増えると、このようにコンドルセ勝者がいない確率が増えてきます。著者達の提案では、その場合には「1対1の比較で最も多くの候補者を打ち負かした者を選」ぶ事になります。リーズナブルだと思います。それでもまだ決着がつかない場合は、「最も多くの順位評点を獲得した者を当選者」とします。これは、後編で紹介したボルダ得点のこと。候補が10人いた場合、1位票に9点、2位票に8点、…、10位票に0点、と得点を割り振って合計を争います。


実は、この方式はブラック方式*4というものに似ています。ブラック方式では、コンドルセ勝者がいれば当選させて、その後すぐにボルダ得点で評価をします。この記事の提案は、それよりも1つステップが多くなっています。


記事の選挙方式も、ブラック方式も、投票でランク付けが出来る事と、コンドルセ勝者が確実に当選する事がメリットです。問題だと思うのは、ボルダ得点で起こる、有力候補を一番上と下に分けて差を付ける戦略*5が有効なのではないかという事と、複雑すぎないかという事です。


結論の、「候補者をどの順で好ましいと評価するかという情報を投票に取り入れることにより,投票者の意思をより正確に反映させることができる」、というのには賛成ですが、「この方式は世界中の国々で容易に実施可能」、というのはまだ断言できないように思います*6

*1:ただ、「最も人気のあったアル・ゴアがジョージ・W・ブッシュに破れ」、という書き方だと、選挙人制度の批判のようにも見えてしまいます。

*2:実際には、多数決だった場合には、ルペンに当選して欲しくない人達の票がシラクやジョスパンに集まっていたでしょう。こうなると、それぞれの候補が実際にどれくらい支持されているのか分からなくなってしまいます。これが前編、後編両方でしつこく書いた戦略投票の問題です。

*3:2回投票制、IRV、ボルダなどの弱点の1つは、コンドルセ勝者が当選するとは限らない事です。ただ、コンドルセ敗者が勝つ事は無いので、多数決よりはマシ。

*4:中位投票者定理で知られるDuncan Blackが提案したもの。

*5:つまり、実際の選好とは違う投票の仕方。「泡沫候補が選挙戦の行方を左右するといった矛盾を避けられる。」とあるのは疑問です。

*6:同じくらい良さそうな方式の中でもIRVを僕が推しているのは、既にオーストラリアやアイルランドで実施されているからです。

多数決の何が悪いか(後編)

(「多数決の何が悪いか(前編) - 物理学と切手収集」の続き)


前編では、多数決以外の選挙方式の2つ、2回投票制とIRVの紹介をして、民主主義での選挙の目的から考えて、IRVが多数決よりも優れていると思われる事を書きました。今回は、IRVの問題点とされている事と、選挙方式の話をするとよく出てくるアローの不可能性定理の話を書いておきます。

IRVでの戦略投票

前編では、2000年アメリカ大統領選挙(ブッシュ、ゴア、ネーダー)の例で、多数決では支持している候補に投票しない事が最善策になる場合があることを書きました。IRVでも、戦略投票、つまり正直に投票しない事で有利になるケースはあります。例えば、投票者の分布が下のようになっている場合。


投票者の選好(当選してほしい順番)
8人 A、B、C
5人 C、A、B
4人 B、C、A


この17人の投票者が、IRVでみんな素直に自分の選好を票に書き込んだとします。候補Aの1位票8つは過半数にならないので、第1ラウンドでは当選者が決まりません。除外されるのは、1位票が一番少ないのは候補B。そしてAとCの直接対決ではCが9対8で勝ち。というわけで候補Cが当選します。


実は、「A、B、C」と投票した人たちが少し工夫をすると、Aが当選するように出来ます。8人のうち2人が「B、A、C」と投票するのです。


戦略投票(2人が自分の選好とは違う投票)
6人 A、B、C
2人 B、A、C
5人 C、A、B
4人 B、C、A


今度は、最初に除外されるのは候補Cです。そして、AとBの直接対決では、Aが11対6で勝ち。Aを支持している人たちがBに1位票を入れる事で、厄介な候補Cを第2ラウンドから除外することが出来たのです。


つまり、IRVにしても戦略投票は可能です。ただ多数決とIRVでは、最善の戦略が投票前に分かる可能性が大きく違います。多数決の場合には、有力候補が誰なのか分かっていれば、その中で一番支持出来る候補を選ぶのが最適の戦略になります。大きな選挙なら、誰が有力なのかは大体分かるでしょう。


上の例のようなIRVの戦略投票をするためには、まず候補が4人以上の場合、最後まで残る可能性が高い3人が誰なのかは知っている必要があります。これは多数決とあまり変わらないですが、それだけでは上のような戦略は取れません。まず、自分の支持している候補Aが、直接対決でBには勝てて、Cには勝てない、というのが分かってないといけません。さらに、自分がAを2位に下げる事で、Aが最後の2人に残れなくなってしまう恐れもあります。例えば、Aを支持する8人中2人ではなく、4人が戦略投票をしたとします。


戦略投票(4人が自分の選好とは違う投票)
4人 A、B、C
4人 B、A、C
5人 C、A、B
4人 B、C、A


こうなると、1位票の数でAは最下位になってしまい、除外されてしまいます。こうならないという自信が無いと出来ないわけです。多数決では戦略投票が常に起こっているのに対して、IRVで戦略投票が出来るケースは限られる、という事になります。

不可能性定理について

選挙方式の話をすると、少し知識のある方から「アローの不可能性定理との関係はどうなの?」という声が良く出てきます。アローの不可能性定理は、「完璧な選挙方式は無い」などと要約されるもので*1、社会選択理論という一分野が発展するきっかけになった重要な発見です。ただ、「完璧な選挙方式は無い」というのは超訳のようなものなので、論じるためにはまずどういう定理なのか知る必要があると思います。


まず、アローの定理は、集団の中の個人それぞれの選好を集めて、そこから集団全体の選好を決める方法(社会厚生関数)に関するものです。ここで言う選好は、選択肢にランク付けして並べたもの。同じくらい好ましい、と言うのも可能ですが*2、三すくみのような状態はあってはいけません。つまり、Aの方がBより良くて、Bの方が良ければ、Aの方がCより良くないといけません*3


アローが示したのは、3つ以上の選択肢がある場合、以下の条件を全て満たす社会厚生関数は存在しない、という事です。


1.どのような個人を集めても、全体の選好を決めることが出来る。(完備性)
2.全員が選択肢Aの方がBより良いとしている場合、全体の選好でもAがBの上に来ないといけない。(パレート原則)
3.全体の選好は、1人の選好をそのままコピーするものではない。(非独裁性)
4.個人の選考での選択肢Cの位置を変えても、全体の選好におけるAとBの関係には変化が起こらない。(無関係な選択対象からの独立性、IIA*4


実は、最初の3つの条件はほとんどの選挙方式で満たされています。問題なのは、4つ目の条件。どういう事を言っているのか、例で考えてみます。3人だけの集団でも起こる、コンドルセのパラドックスと呼ばれる状態から話を始めます。下に書いたのは、3人の投票者が、候補者A、B、Cをランク付けした結果。


1人 A、B、C
1人 B、C、A
1人 C、A、B


この状態では、普通の選挙方式を使って3人の候補の順位を決めることは出来ません。全体の選好は、AとBとC、どれも同じだけ好ましい、という事になります。


IIAという、アローの定理の4つ目の条件がどういうものかというと、投票者がCについての意見を変えても、全体で見てAとBは引き分けのまま、という事です。これはリーズナブルでしょうか?例えば、3人目の投票者がCのランクを1つ下げたとします。


1人 A、B、C
1人 B、C、A
1人 A、C、B


こうなると、多数決でもIRVでも、Aが当選します。これらの選挙方式はIIAを満たしていないという事です。


なぜこうなったのかは、最初の状態がコンドルセのパラドックスと呼ばれる理由を見ると分かります。


1人 A、B、C
1人 B、C、A
1人 C、A、B


AとBだけを見ると、Aが2対1で勝っています。BとCに注目すると、Bの2対1。そしてCとAだと、Cの2対1。つまり、じゃんけんのような勝敗関係になってしまっているのです。アローの定理が語っているのは、このような状態がありうるのに、「全体の意見」として一貫したランクを付けようというのには無理がある、という事です。


実際の選挙方式を比較する際に、アローの不可能性定理の話を出しても、有益な話に持っていくのは大変だと思います。IIAを満たしていないのは前提として、どのように満たしていないのか、というのが重要なのですから。


もう1つ、選挙方式に関する不可能性定理に、Gibbard-Satterthwaiteの定理というものがあります。これは、どの候補も勝つ可能性があって、独裁者のいない選挙方式では、戦略投票が可能である、というもの。アローの定理の延長なのですが、これの方が、グサッと来るような…

IRV以外の案

情報量の観点から、IRVが良さそうだとここまで書いてきましたが、IRV以外にも、ランクから選挙結果を出す方法はあります。


一番単純で、多分IRVより有名なのは、ボルダ得点というもの。18世紀にフランスのボルダという数学者が提案した方法で、順位に応じて候補に点数が与えられて、その合計で選挙の順列が決まります。候補が5人の場合、1位に4点、2位に3点、…最下位の候補には0点、という具合です。これは、政治以外で使われている事がよくあります。


ボルダ得点の問題は、簡単に戦略投票が出来ること。候補A〜Eのうち、AとBが有力候補だったとします。その場合、Aに当選して欲しい人は、Aを1位、Bを最下位、と投票して、Bに当選して欲しい人は、Bを1位、Aを最下位にするのが最善策になります。ラプラスがこの問題を指摘したところ、ボルダは、この選挙方式は「正直者のためのものだ」、と返事したそうです(笑)記名票の場合は、この問題は抑えられるかもしれないですね。


もう1つ挙げておきたいのが、クームズ(Coombs)方式。これはIRVと同じで、過半数で勝つ候補が出てくるまで、1人ずつ候補を除外していく選挙方式ですが、除外の仕方が違います。クームズで除外されるのは、最下位票が一番多い候補。この方法は、この人はダメ、という意見を直接反映できる面でIRVよりも優れている可能性があります。問題かもしれないのは、IRVよりもさらにちょっとややこしい方法な事と、候補を全員ランクしないと除外に参加できない事。上からのランクと下からのランクを両方書けば良い事にする、という解決案がありますが、票のデザイン的にややこしくなります*5


ランクに頼らない方法でも、単純な多数決よりも良い方法はあると思います。1つの例が、"approval voting"というもの*6。これは、候補それぞれについて支持・不支持の2択の意思表示をする方法。普通の多数決と違って、何人支持してもOK。


支持と不支持の境目を自由に決められるので、正直な投票の仕方がいくつもあるのがapproval votingの利点とされています。見方を変えるとそれは、投票者が候補をどれくらい支持しているのか良く分からない方法とも言えます。ランクを付ける方が支持・不支持の強さが明確になって良いと思いますが、強く賛成も反対もしない候補をランク付けするのが難しい事を考えると、approval votingの方が人間の心理にマッチしているかも、とも思います。

最後に

今回の総選挙では、「自民の圧勝は自民支持の結果ではなく、民主反対の結果」というような話がされていて、比例の得票率からも確かに説得力を持った話だと思います。ですが、ランク付けをする投票制度だった場合、これについては議論をする必要も無く、有権者が候補にどういう順位を付けていたのかが分かるようになります。アローの定理が、「民意」というものを選挙で完璧に測る事が無理だと言っていても、出来るだけ多くの情報を有権者から受け取り、結果に反映させる事を諦める理由にはなりません。IRVのような方法が、より広く知られ、実際の選挙で少しずつ導入されていって欲しいです。

参考文献

D. Amy, Behind the Ballot Box (Preager, 2000). 一般向け。ただ、比例制の説明が多い。


H. Nurmi, Comparing Voting Systems (Springer, 1987). 選挙方式に求められる理論上の性質を丁寧に解説し、それぞれの性質をどれだけ満たしているか、という観点で選挙方式を比較している本。中級。


Handbook of Social Choice and Welfare, edited by K. J. Arrow, A. K. Sen, and K. Suzumura (Elsevier, 2002). 専門向け。


読んでないけど参考になるかもしれない一般書:
W. Poundstone, Gaming the Vote (Hill and Wang, 2008).

和訳もあり。

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?

選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?

(2013/1/2 1:21追記)
この本については、Twitterで情報が入りました。

との事なので、読まなくていい…じゃなくて、ますます参考になりそうな本のようです。僕も読んでみます。

*1:Wikipedia記事:「アローの不可能性定理 - Wikipedia

*2:無しのケースでもほぼ同じ定理が証明できます。

*3:推移的という事です。

*4:Independence of irrelevant alternativesの略。

*5:いずれにしても、良く知らない候補は上から順にランクした、という人が出る可能性は大いにあるので、候補の出てくる順番をランダム化するなどの対策が必要です。

*6:決められた範囲内の点数を付けるrange votingというものもありますが、これは戦略投票を仮定するとapproval votingと同じ投票行動になるはずで、正直に点数を付けると損をします。というわけでダメな方法だと僕は思います。

多数決の何が悪いか(前編)

11月にアメリカ、12月に日本の選挙がありましたが、その選挙の方法について思うところがあるので一度まとめて書いておきます。選挙が終わってから書いているので、結果に不満だからか、というとそういうわけでもなく*1、一般論として以前から考えている事です。書いていて長くなったので、この前編ではまず都合の良い話を主に書いて、後編でそれに対して考えられる批判などを書くことにします。

選挙の目的

少なくとも建前上、今の民主主義で選挙を行う目的は、市民の意見を出来るだけ平等な*2形で政治に反映させる、というものと思われます。平等性の観点からは、日本での「一票の格差」の問題、アメリカでの選挙区のゲリマンダーの問題などありますが、今回はそれは問題にしません。1つ1つの(小)選挙区に限った話として、多数決が市民の意見を政治に反映させるのに本当にベストな方法なのか、という部分に注目します*3


念のため「多数決」の定義。有権者が最も好ましい候補1人に票を入れて、単純に、得票数の最も多い候補が当選する、という選挙方式をこの記事では多数決と呼びます。最優先の候補以外に票がカウントされることがない事から、「単記非移譲式」という用語もあります。英語では、plurality voting*4、first-past-the-post (FPTP、FPP)*5などと呼ばれる方式。


日本でもアメリカでも、ほとんどの選挙で使われている多数決ですが、上に書いた選挙の目的から考えて大きな問題があります。


まず、1票に含まれる情報量が少ない事。選挙に出てくる候補に対する意見や印象は、積極的に支持したい人から、絶対ダメという人まで、色々あると思います。ですが、多数決の投票で聞かれるのは、どの人が一番良いですか、だけ。多数決の選挙では、「この人はダメ」、という意思表示はもちろん、「AさんよりはBさんの方が良い」、という意見も伝えられません。候補が2人だけならこれでも問題無いですが、4人、5人と増えていくと、投票者1人が持っている意見のうち、多数決の票で伝えられるものの割合はどんどん減っていきます。


多数決では、票に含まれる情報の量が少ないだけでなく、その質にも問題があります。「戦略投票」と呼ばれる問題ですが、例えばこういう事です。


あなたは、2000年のアメリカ大統領選で緑の党のラルフ・ネーダーを支持していたとします。世論調査の報道を見ると、ネーダーが多数決でブッシュ(共和党)とゴア(民主党)に勝てるとは思えません。さらに、ブッシュとゴアはどうやら僅差だというのが分かってきます。


あなたがネーダーに投票してもしなくても、彼は確実に3位。出来ればネーダーに勝って欲しいといっても、彼に票を入れる事で選挙結果に影響があるとは考えられません。あなたにとって好ましい選挙結果になる確率を少しでも上げるためには、ブッシュとゴアのどちらか「マシな方」を選ぶのが、あなたの最適戦略になります。


このように多数決の選挙では、有力候補以外の支持者のいくらかは、自分が一番良いと思っていない候補に票を入れる事になります。「民意」を汲み取るのが選挙の役割だとすれば、このような「ウソ」の票は出来るだけ減らしたいもののはずです。

他の選挙方式

上の戦略投票の問題を認識している人は、かなりの数いると思います。ただ、問題だと思っていても、他にやりようが無いじゃないか、と諦めている人が多いのではないでしょうか。日本とアメリカではほとんどの選挙が多数決で行われていて、それが当然、と思われている節があります。そこで、他にも選挙の方法はあるし、中には国政選挙で長年使われているものもある、と伝えるのがこの記事の1つの目的です。


まず、多数決から一段登った方法と言えるのが、2回投票制*6。多数決が英米系の国で多いのに対して、フランスや旧フランス領で多く採用されている選挙方式です*7


2回投票制の基本は「過半数でないと勝てない」という事*8。1回目の投票は、多数決と同じように行われます。3人の候補がいる選挙で、このような結果になったとします。


候補A 40%
候補B 35%
候補C 25%


多数決では当然候補Aが勝つことになりますが、2回投票制では、得票率が50%を超えないと勝たせてもらえません。過半数を取った候補がいない時には、上位2名(この場合AとB)の決選投票が後日行われる事になります。そして、候補Cに入れた人の多くがAよりもBを支持すれば、決選投票でこのような結果になる事もあります。


候補A 45%
候補B 55%


1回目の投票では2位だった候補Bが、決選投票で逆転して当選、というわけです。


2回投票制のメリット、デメリットの話は後に回すとして、もう1つ、先進国で使われている選挙方式を紹介します。アメリカで使われる用語"instant runoff voting"の略を使って、この記事ではIRVと呼ぶことにします*9。"Runoff"は上で説明した決選投票の事。1回目の投票と決選投票を別々に行うのではなく、1回の投票で決選投票まで出来る事からこの名前がついています。先進国でIRVを使っているのは、オーストラリアとアイルランド。


IRVでは、1人の候補を選ぶのではなく、候補をランク付けする事で投票します。A〜Dまで4人の候補がいる場合、"B(最も支持)、C、D、A(最も反対)"などのように投票出来るわけです。下に書いた、9人が投票した結果の例でIRVの仕組みを解説します。


第1ラウンド(投票結果そのまま)
4人 A、B、C、D
2人 B、C、D、A
2人 C、B、D、A
1人 D、B、C、A


IRVは2回投票制と同じく、(1位票で)過半数を取らないと勝てません。上の場合、候補Aを1位にした人は4人で、過半数にならないので第1ラウンドでは勝者が決まりません。その場合、1位票が一番少ない候補を除外します。というわけで、候補Dを除外した結果こうなります。


第2ラウンド(1位票が少なかったDを除外)
4人 A、B、C
2人 B、C、A
2人 C、B、A
1人 B、C、A


Dを1位にしていた人は、Bを2位にランクしていました。この人の票は候補Bの1位票としてカウントされます。これでBの1位票が3に増えましたが、それでもまだ過半数には届きません。勝者がいないので、1位票が2つしかない候補Cを除外します。


第3ラウンド(1位票が少なかったCを除外)
4人 A、B
2人 B、A
2人 B、A
1人 B、A


候補AをBより上にランクした人は4人、BをAより上にランクした人は5人という事で、Bが過半数を取って選挙に勝つことになります。

多数決との違い

2回投票制の例でも、IRVの例でも、最初にリードしていた候補Aが負けてしまいました*10。多数決に慣れていると、1位だったのにおかしいじゃないか、と思うかもしれません。ただ、どちらの場合も、候補がAとBだけの場合にはBが勝っています。つまり、Aが最初にリードしていたのはそもそも、Bと他の候補が票を分け合ってしまったから、という見方が出来ます。もう1つの見方は、候補Aは多数決では勝てるかもしれないけれど、実は多くの投票者に嫌われていて、そのような候補は2回投票制やIRVではなかなか当選できないという事です*11


選挙方式には多数決以外のものもあり、多数決と違う結果になることもある、というのはこれで示せたと思いますし、1人の投票者が選挙で伝えられる情報の量が、2回投票制やIRVの場合、多数決よりも多いのも明らかだと思います。では、多数決で起こる、戦略投票の問題は違う方式を使えば避けられるでしょうか?また、2000年の大統領選のネーダー、ブッシュ、ゴアの例で考えて見ます。候補が3人の場合、IRVと2回投票制はほぼ同じなので*12、大統領選挙がIRV方式で行われるとします*13


あなたは、出来れば「ネーダー、ゴア、ブッシュ」と投票したいとします。上で書いたように、多数決の場合にネーダーに入れてしまうと、「ゴアの方がブッシュより良い」というあなたの意見が結果に反映されません。


ではIRVでネーダーを1位にランクする事で、似たような損をするかというと、しません。なぜかというと、ネーダーが最初に除外されたとしても、あなたの票は「ネーダー、ゴア、ブッシュ」から、「ゴア、ブッシュ」に変更されるだけだから。「だめもと」でネーダーに投票しても、損はしない。つまり、正直な自分の意見を票に書けば良い事になります。


選挙で投票者が伝達する情報の量も質も、2回投票制やIRVが多数決に勝っています。一方、多数決は単純で、選挙を行う費用が抑えられます。それを理由として、もっと優れていると思われる制度を採用しない理由になるか、という問題になります。


2回投票制は、どうやっても1回しか選挙を行わなくて良い制度よりも費用がかかってしまうでしょう。ただ、IRVの場合、多数決との費用の差はかなり縮められるもののように見えます。投票を行うのはどちらも1回で、違いがあるのは開票作業の手間です。そしてこれは、選挙の電子化が進めば大きな問題ではなくなるでしょう。


制度が複雑すぎて理解されないのでは、という疑問も、実際にオーストラリアとアイルランドの国政選挙、そして他の国の地方選挙でも実際に使われている事を考えると、大きな問題ではないと思われます*14

とりあえずの結論

IRVの方が、多数決より良いと思います。


…後編では、IRVでも起こりうる戦略投票の例、IRVと類似した他の同じくらい良いかもしれない選挙方式、アローの不可能性定理との関係、などカバーする予定です。


多数決の何が悪いか(後編) - 物理学と切手収集」に続く

*1:まぁ、満足しているとも言いませんが

*2:性別、財産などの条件で差がつかない

*3:上に書いた目的から考えると、議会の選挙では比例制を拡大する事に自分は概ね賛成です(例えば、参議院は全部比例制で良いのではないか、とか)。ただ、ある地域の代表が議会にいる事のメリットを強調する意見にも一理あると思うので、1人の候補を選出する選挙区があるのは前提として、その中でどうやって選挙を行うべきか、という話。大統領、市長など、1つしか枠がない役職の選挙もある以上、避けられない問題でもあります。

*4:Pluralityは、他と比較して多数の意味。

*5:競馬で、ゴールポストを最初に通過した馬が勝つ事に例えた名前。

*6:英語ではtwo-round systemまたはrunoff voting。Runoffは、優勝決定戦のこと。

*7:各国の選挙方式の一覧はここで見られます。 "List of electoral systems by country - Wikipedia"

*8:決選投票に3人以上残れるような変種もありますが、ここでは一番単純な方法の説明をします。

*9:オーストラリアでは"preferential vote"と呼ばれ、"alternative vote"という呼称も使われます。

*10:もちろん、逆転しない場合の方が実際は多いはずですが、違いを強調するためにこのような例にしました。

*11:IRVの例では、1位票4つ、最下位票5つと、例にしても極端ですが。

*12:実際には、2回投票制で1回目に投票した人と2回目に投票した人が全く同じにはならないですし、投票の合間に意見が変わる可能性もあるので、結果がIRVと同じとは限りません。

*13:選挙人制度とかは本筋ではないので割愛(笑)

*14:"History and use of instant-runoff voting - Wikipedia"