積んでたとのばなを見た。えーと、途中まで


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積んでたのは最新話の前の回と、最新話
で、まず前の回を見た
とゆーか、思い出した
前の回を以前見たときに、何かこういきなり演劇が始まって、一回そこで「うむ、後で見よう」と積んだ当時のことを思い出したのである
僕はなんとゆーかこう、「いいからはよ」な人なのである
もうちょい正直に書くと、えーと、ちょっとその導入が鼻についたのである当時
ちょっとやり過ぎだなあと、開始即この長さの「あれ?開く動画間違えた?」な展開はアレだなあ、と
荘厳さ、華やかさ、カッコよさ、粋(いき)、それらはガルシアテクストの美点ではあるのだけれど、それらがこーゆー形で表側に回ってくるとちょっと僕は息が詰まるのである
ざっくり書いちゃうと、あの演劇の導入は筆が走りすぎましたなガルシアP、と感じたのである
や、でもゆーても元来「そーゆー」Pなのである
むしろこう、最初は抑制が効いてたのであり、だからこそとのばなはヒットしたのである
抑制が効いてたとゆーか、削ぎ落していたと表現すべきであろうか
最初は単発の予定だった第一話の見事さは、その抑制が効いた削ぎ落としにあると僕は見ている
単発としてどんだけ削ぎ落しても残る「骨」の味わい
豚骨スープのアクをこしてこしてこしまくった結果の澄んだ濃厚さ、みたいな話なのである
で、シリーズを追ってくウチにだんだんと筆が走っていってるな、とは感じてて
それはもう当然である
だって沢山の人にシリーズが受け入れられて嬉しくなって、筆が走らないわけがない
で、その流れでもって前述の「荘厳さ、華やかさ、カッコよさ、粋(いき)」などとはまた別のガルシアテクスト、とゆーかまた別の削ぎ落とされていたガルシアPの一面が、裏側から表側に回ってきた
最新話で
なのでまあ、何とゆーか予想がついたとはよー言わんけど、「あー、この危険性はあった」と今となっては何か納得もいくわけで
や、まあ最新話の話はとりあえず置いといて、積んでたその前の回なんですけどね
演劇のシーンを超えてからは「そう、これだよこれなんだよやっぱ面白いわー」と
実にとのばなテイストな「ってその人物は美希じゃなくて涼ちんかーい!やられたー!」な快感とか、北斗と真の「キスより前に、別れ話を始めるけどね」のくだりの「いやん真さんったらおっとなー☆」な言い回しとか、北斗と翔太の「でも通じ合ってる」感とか、そうそうこれなんだよこれなんだよやっべー昨日ちょっと最近積んでるんですよねえとのばなとか書いたのやっべー全然おもしれえじゃんやっべーあんなこと書いといて2828してるじゃん俺やっべーコレ意外と次の問題の最新話も見てみればそこまでアレでもないんじゃねだって全然いい感じじゃーん、と
で、うん、ごめんやっぱ引いた最新話
や、ちょっとねえ、今最新話の2:50秒あたりで止まってるのね見るの
や、とりあえず「そこ」までの自分の流れを書いとこうと思いまして
で、うーん
うーん、うーん
走ったなあ‥‥筆‥‥
や、あの展開は筆が走った結果、とゆー意味ではなくて
「このエピソードは、連載を決めた第3話の時点で確定していました」、とガルシアPは書いてはる
なので何が走ったのかとゆーと、裏設定として表には出さない選択肢もあった(これまた本人談)でありながら、でも表にそれを出したとゆー意味で筆が走ったなあ、と
やっぱ率直なところ、ものごっついとのばなマニアがものごっつい微量に配置された情報を再構築するとギリギリ気づくか気づかないか、気づいてどっかでその気づきについて書いたとしても「や、それはねーだろとのばなでそれは」と反論くらうぐらいのギリギリさが限界なんじゃないかなあ
とゆーか、その裏設定は完全に自分の腹の中にしまっておくぐらいの度量が欲しかった気がする
その上で、その毒を自分だけで服毒して抱え込んだままで、描ききって欲しかったなあと
「でも、周りの人間を含む『桜井未来の強さ』を描くのは、今だと思いました。」
や、それを描くのは「今」じゃないんだと
腹に毒を抱えてのたうちまわって、でも一切その苦しみを表には出さずに脂汗を流しながら少しずつ少しずつ、「周りの人間を含む『桜井未来の強さ』」を搾り出し描いていく
その「強さ」こそ、ガルシアPには求めたかったなあ、と
やっぱね、そこを視聴者と共有しちゃイカンと僕は思う
あのエピソードを描くことで、その設定を視聴者と共有し互いに毒を浴びることで楽になってはイカンと僕は思うのだ
や、描くも描かないも、どっちも修羅の道であったことには違いないわけではあるんですが
まあ要は、僕としては「そっち」の修羅道を歩んで欲しかったな、とゆー話なのである
んじゃ続き見てきます(見るんかい)