1-台湾食道

料理には全く興味がなかった。

20歳から一人暮らしをしていたので、仕方なく
自分で料理を作ることはあったが、味には特にこだわらず、
その瞬間、腹が満たさればさえそれでよかった。

私が料理に興味を持ったのは、ふとしたきっかけだった。
25歳の時、付き合い始めた彼女が料理や、
食べることが大好きだったのだ。

この彼女は、私の影響をよく受けた。
私が自転車が好きでよく乗っていると、彼女も自転車を買った。
私がリュックサックを背負っていると、彼女もリュックを買った。
私がRICOHのカメラを使っていると、彼女もRICOHを買った。
私が甘酒が好きでよく飲んでいると、彼女も甘酒にはまった。
彼女が私の影響を受けて、新しく始めたことは挙げればきりがない。
しかし私が彼女から影響を受けたものはなかった。

ただひとつ、料理を除いては。

ある日、私は彼女に母直伝の「焼き飯」を振舞った。
私にとってはなんら特別でない、むかし母がよく作ってくれた
平凡な味だったのだが、彼女はそれを嬉しそうに食べた。
人間はこんなに幸せそうな顔をするのだろうか
というくらい、その女はその瞬間、幸せそうな顔をした。
それは私にとって自分の作ったものを
人に食べてもらう初めての経験だった。

こんな料理でも喜んでいる人がいる。
もっと美味しい料理を作ったら、この女は
一体どんな顔をするだろう。

それ以来、私は料理に興味を持ち始めた。
舌を鍛えるために、安くて美味しいとされる
レストランにも数多く行った。
調理師養成の学校になんて通う暇もなければ、金もないので
上沼 恵美子の料理番組を録画し、毎日見た。
料理の本を買っては実際に作って研究した。

やがて、彼女は夢を語り始めた。
外国で日本家庭料理のレストランがしたいと。
天ぷらや刺身なんかの特別な料理じゃなく、
もっと日本の家庭の味を世界に広めたいと。

私は驚いた。
それは私がその時、抱いていた夢でもあった。
いつか外国でレストランがしたい。
金はないし、生涯かけてやっていきたい仕事もなかった。
しかし今は彼女がいる、そして夢もある。

あとは、やるだけである。

しかし、どこでやろう。
私は20ヶ国程、自分の足で外国を歩いて
自分の目で外国を見てきた。
やるなら、親日的で味覚も近い台湾か、
南国が大好きなのでタイだと思った。
彼女は学生時代、留学したフランスだと言って
決して譲らなかった。

ここで私達の意見は合わなかった。

しかし彼女に影響を与えるのは私の得意分野だ。
私はまず、彼女を台湾に連れて行った。(以下ブログ参照)
http://d.hatena.ne.jp/hw12/
帰ってきてからは、嫌がる彼女に台湾のドラマを見せた。
最初は見るのを嫌がっていた彼女だったが、
次第に台湾を気に入ったようで、今では
「また台湾に行きたい」とまで言うようになった。

全く単純な女だ。

台湾でレストランをしよう。
庶民のための安くておいしい日本家庭料理が
食べられる食堂を開こう。

これが二人の夢になった。
まだまだ料理素人の私にとって食の道は厳しいだろう。
外国で店をするとなると苦労もたくさんするだろう。
言葉も勉強しなければならない。
何年かかるかも分からない。
前途が明るいか、暗いかも分からない。

しかし台湾で食堂をしたいという夢は変わらない。
今はただ二人、前に進むのみである。

台湾に通じる食の道を。