脱出の意味 ポール・オースター『最後の物たちの国で』

 ポール・オースターは90年代にいわゆるニューヨーク三部作(『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)が紹介され、多くの読者を獲得しました。彼がニューヨーク三部作で試みたのは、いかにして「私」という存在を跡形もなく消し去るかということでした。
 こんなふうに言うと奇妙なことのようですが、生きることがこの世のどこかに自分の居場所を作ることだと考えれば、彼はその反対の過程をあざやかに示して見せたということができます。かつてカフカが『変身』や『断食芸人』で描いたように、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が当時の教師や親を怯えさせたように、ポール・オースターも生きること、そしてそのために正当化されるもろもろの正確な陰画を描こうとしたのだと思います。
 『最後の物たちの国で』はアンナ・ブルームという女性が遠い国から恋人に送ってよこした長文の手紙という形式をとっています。新聞社の特派員として派遣されたまま消息を絶った兄を追って、アンナもその国に入る。しかし、そこは政府もほとんど機能してない無法地帯。一度入ったら二度と出られないと言われている。かつてお金持ちのお嬢様として、何の苦労も知らずに生きてきたアンナはホームレス同然になり、街の「物拾い」の仕事をして糊口をしのぐ生活を強いられる。
 崩れ去り、消滅することを運命づけられた街に生きるアンナは、ニューヨーク三部作の主人公たちとは対照的に強く生き抜くことを選ぶ主人公なのです。消えゆく運命を街そのものが担うことによって、小説はアンナの冒険というストーリー性が芽生えています。この街からの脱出を夢見るアンナにとって、脱出とは今を生き抜くことであり、そのためには「物語」が必要だったということになります。