猫の行方 その1 内田百閒『ノラや』

ノラや』は、内田百閒の飼い猫ノラの失踪とその後飼われた猫クルツに関する文章をあつめた作品集。昭和32年3月、ノラがふらっと家を出たまま帰ってこなくなった。その後の百閒の悲しみようは大変なもので、毎日めそめそと泣き暮らし、風呂のふたの上に寝ていた猫を思い出すからといって風呂にも入らなかった。奥さんからの知らせで駆けつけた平山三郎は「どうしてこういう事態になったのかわからぬが、とにかくこれは本物で、もっと真剣にならなければ」(文庫解説)と思ったことを回想している。
 猫探しの情熱も並々ならぬものがあり、新聞広告や折込チラシによってくり返し情報提供を求め、ノラに似た猫がいるとの知らせのたび奥さんらが近所を駆け回った。ときには、埋められた猫の死体を掘り返すことまでさせている。

 
「行くのか」と云つて家内が起ち上がらうとすると、先に立つてもう出口の土間に降りて待つてゐる。家内は戸を開けてやる前に土間からノラを抱き上げ(…)洗面所の前の木戸の所からノラがいつも伝ふ屏の上に乗せてやらうとしたら、ノラはもどかしがつて、家内の手をすり抜けて下へ降りた。さうして垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて向うへ行つてしまつたのだと云ふ。(「ノラや」三月二十九日金曜日)

 百輭はノラが出て行ったときの様子をこのように書いている。「木賊の繁みを抜けて行つてしまった」というフレーズは、百閒がノラの失踪を回想するとき必ず出てくるものだ。「木賊の繁みを抜けて」という言葉は、何度も繰り返されることによって、単なる事実以上の意味を持つように思えてくる。
 百閒は、幼少時の岡山や師・夏目漱石など、いまここにないものを描いてきた。猫もまた、その失踪によって「いまここにないもの」のリストに加えられる。ノラ失踪前に書かれたのは「彼ハ猫デアル」一篇にすぎない。百閒の最初の作品集『冥途』の表題作は、土手にある小屋掛けの一ぜんめし屋で亡き父の声を聞く。「私」は泣きながら「お父様」と叫びはするが、父に会うことはできない。死者の息づかいを身近に感じながら、そこへ行くことはできない。百輭にできるのは、回想しつつ待つことだけである。
 ところが、ノラはなにくわぬ顔で「木賊の繁みを抜けて」行ってしまった。それがひゃ百閒の心の「もつと奥の何かにさはつた」(「泣き虫」)にちがいない。「泣き虫の源は遠い」という百閒は、また今度もそこへ行くことができないという思いで泣いていたのではないだろうか。
 そこに現れたのがノラにそっくりな子猫クルツ(またはクル)である。ノラ同様、クルツもまた偶然百輭の家に迷い込んだ野良猫である。これもまた初めから飼うつもりだったのではなく、いつの間にか居ついてしまったようだ。「クルはノラの伝言(ことづけ)をもたらしだのだと私は思う」(「ネコロマンチシズム」)。クルのことを書くときしばしば百閒が使うフレーズだ。伝言の内容に言及されるとこはないが、そんな風に思うことでクルの向こうにノラを見ている。クルは内田家に六年飼われて、病死している。

「クルはゐますね」
「ゐるよ」
 家内が云ふには、どこかから帰つてきてどろどろに汚れたきたない毛のまま、布団の足許のところで寝てゐたクルが、いきなり起きて飛びついて来た。きたないではないかと云つても構はず家内の胸にしがみついた。(「カーテル・クルツ補遺」)

 クルは亡くなったあともこんな風にときどき現れては悪さをしたようだ。あとにも先にも百輭がこんなにはっきりと死者との再会を描いているのは、これきりである。「一昨年の夏、私共の手許で病死した猫が、死に切れないで迷つて来た、などど、そんな風にはだれも感じてゐない。/さうではなく、ただうちへ帰りたくなつたのだらう。クルが帰りたくなつたのは自然で、当り前のことである」(「クルの通ひ路」)
 ちゃんと会えていたんだな。鏡花のようにおおげさに幽霊が出るようなことはなくても、猫となら会えるんだという思いが押し寄せてきた。絶筆となった作品が「猫が口を利いた」(『日没閉門』所収)というのも偶然というには出来すぎている。
ノラや』はノラ失踪後の日々の記録として読めるだけではない。猫をどう読むかという解釈の試みでもある。百閒が果たそうとして果たすことができなかった、失われたものとの再会、死者に会うということが唯一行われている作品、それが『ノラや』なのである。