悩む男 二葉亭四迷『浮雲』

 最初の言文一致小説として知られる二葉亭四迷の『浮雲』は次のように始まる。
「千早振る神無月ももはやあと二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰れも頤を気にし給う方々。しかし熟々見て篤と点検すると、これにも様々種類のあるもので、まず髭から書立てれば、口髭、頬髯、頤の髭、暴に興起した拿破崙(ナポレオン)髭に、狆の口めいた比斯馬克(ビスマルク)髭、そのほか矮鶏(ちゃぼ)髭、貉(むじな)髭、ありやなしやの幻の髭と、濃くも淡くもいろいろに生分る。」
 この冒頭部分だけ読むとどう見ても戯作調。これがいわゆる「言文一致」なのかと驚くが、『浮雲』が発表された明治20年から22年当時、二葉亭四迷以外にもさまざまな言文一致の試みがなされており、言文一致体が新しい書きことばの創出であったことがわかる。「風景」や「内面」は自明のものではなく、日本の近代化の過程における制度のひとつであることを論じた『日本近代文学の起源』で柄谷行人は「『浮雲』はなかば人情本や馬琴の文体で書かれているのであって、語尾が『だ』であっても、『言文一致』というべきものではなかった」と述べ、そのことに不満をもっていた二葉亭が『浮雲』第二編では、まずロシア語で書き、それを口語に翻訳したというエピソードを紹介している。 
 言文一致体ともう一つ『浮雲』によって始まったのが、近代文学の代名詞とも言える「悩む男」の系譜であり、主人公内海文三はそのさきがけである。
 文三は叔母お政とその娘お勢の家の二階に下宿している。18歳のお勢は明るく愛嬌もある美人で、文三はお勢にひそかに恋心を抱いている。お政は役所勤めの文三をお勢の婿にと考えるようになっていた。そんなとき文三は突然、役所を首になってしまう。文三の免職を知り、お政はてのひらを返したように冷たくなる。元同僚の本田という男が、しばしば文三を訪ねてくるようになる。どうも目当てはお勢らしい。人当たりもよく、文三と違って世渡り上手な本田は、お政の気に入られ、文三はますます疎んじられるようになった。一方、文三はお勢の気持ちが自分に向いているのかどうか、そんなことばかり思い悩んでろくに職探しもしない。
「『内面』から『言文一致』運動をみるのではなく、その逆に、『言文一致』という制度の確立に『内面の発見』をみよう」という柄谷の見方からすれば、文三は十分に近代人の内面を備えている人物とはいえないかもしれない。しかし、うじうじと思い悩んでばかりいて、一向に行動に移ろうとしない文三は、十分に有資格者。お勢のなかに必死に自分に似た者を見ようとし、本田の中に自分の嫌いな要素ばかり発見する文三は、本当には何も見ていない。
「だッて私ァ腹が立つものを。人の事を浮気者だなンぞッて罵ッて置きながら、三日も経たないうちに、人の部屋へつかつか入ッて来て……人の袂なンぞ捉えて、咄が有るだの、何だの、種々な事を云ッて……なんぼ何だッて余り人を軽蔑した……云う事が有るなら、茲処でいうがいい、慈母さんの前で云えるなら、云ッてみるがいい……」
 お勢の爆発は、悩む男が一向に彼女をまともに見ようとしなかったことへの報復である。