「描け」と先生は言った 東村アキコ『かくかくしかじか』

『かくかくしかじか』を読み終えた。ぼくはそんなに漫画を読まない。東村アキコの他の作品も読んでいないが、とにかく『かくかくしかじか』は特別な作品だ。ぼくは自分も先生のダメな生徒だと思って、涙なしに読むことはできなかった。先生は「描け」と言った。作者東村アキコ美大受験のために通った宮崎の絵画教室にいた先生だ。竹刀を手にしたスパルタ絵画教師にびしびし鍛えられたアキコは見事美大に合格するが、結局油絵は描かず、漫画家の道に進むことになる。
 たっぷり時間があったはずの学生時代には、ろくに漫画も描かなかった作者が宮崎でOLをやり始めてから寝る間も惜しんで、漫画を描き始める。一度でも創作にあこがれた人ならだれでも、何かを作りたいけど、何を作ったらいいのだろう、何かを書きたいけど、何を書けばいいのだろうという悩みを持つ。それを持たない人は、一握りの才能にあふれる人間だけだ。白い紙を前にして抱く恐れは、実は根源的なものなんじゃないだろうか。いわば有罪宣告を受ける被告のような気持ち。
 漫画家になった東村アキコが、描いたのは、「描け」と言ってくれた先生のこと、その先生を見捨てた自分である。最後の方で、先生のスパルタなやり方に腹を立て、絵画教室を辞めた男の子がひょっこり現れる。彼はアキコに漫画家になりたいと言う。しかし、結局漫画は描けなかったというメールがアキコのところに来る。彼女はつぶやく。「描けないお前の気持ちもよく分かるよ」
漫画家になりたければ、描くしかない。彼女が描けたのは、先生の「描け」という言葉がずっと聞こえていたからだ。そして、無我夢中で漫画を描いてきて「天下を取った(?)」彼女が、40を前にして描き始めたのが、漫画家東村アキコ誕生を描く自伝的漫画『かくかくしかじか』である。漫画は、思い出したくないことへ向かって、描き進められていく。
「毎月(『かくかくしかじか』を)描き始めてやっとあの頃のことを思い出す」「思い出すというか無理やり、記憶を閉じ込めてる引き出しを少しだけ開けて、嫌々あの頃の自分と向き合う」「先生ごめん」
 先生は「描け」と言った。それは前へ進めという意味でもあり、見るべきものを見ろという意味でもある。前に進むことは、ときに自分が見たくないものをもう一度見なければならないこと、でも、それはとてもこわいことなのだ。自分のダメ人間ぶりを描く勇気というかしたたかさというか、東村アキコには、ちょっと野蛮なものを感じるのだけど、その中心にあるのが、『かくかくしかじか』に響く先生の「描け」という理屈を超えた一言だ。