リスクマネジメントの「入口論議」

Date: Wed, 21 Dec 2005 13:52:12 +1200
私が阪大で12・5に行った講義に対して、知人より下記の投書がありましたので、参考までに転送します。リスクマネジメント手続きの基本形に対する意見です。ご関心のある方はお読み下さい。

課題「この流れ図にどの程度当てはまっているかを考え、その事例の改良すべきと思われる点、あるいは上記流れ図の問題点を論述しなさい。」
(意見1)まず前提として、「0.問題提議」の前に、すでに「問題」なり「軋轢」が相当起こっている場合がほとんどだと思います。その中で、主に行政が行ってきた施策が、相当レベルで住民(利害関係者)を「逆なで」しているケースが多いと思います。故に、どこに行っても、どれだけ地元のことを考えた施策を提案しても、「役所の言うこと(やること)は信用ならない」というのが前提となっていて、事が上手く進まない様に思います。したがって、簡単に「0.問題提議」に至らない場合が多々あり、利害関係者が同じテーブルに着かない場合もあります。最近では少なくなった様ですが…。
(意見2)それから、「0.問題提議〜16.目的・目標の達成度の評価」という一連の流れを、責任をもって遂行する部分に強制力がないことも問題と思われます。例えば、いわゆる「アセスメント法」では、「15.管理とモニタリングの継続」までを、事業者の責任として明確化していますが、「16.目的・目標の達成度の評価」に関する責任は明確化されていないと思います。
(意見3)|以上が問題点で、改良すべきと思う部分は、「0.問題提議」の前に「−1.背景の整理(過去の贖罪?の態度を明確化)」という「ターミナル」を作ること。

回答1) その通りかと思います。「二項対立」で「闘争」するとはそういうこと【】。
 きちんとした場を設けて、そのテーブルにつかない人は無視するしかありません。あとは世論が判断します。イラクスンニ派がまるごとボイコットする政治は失敗だが、半分席に着けば、後は無視しても「成功」ということになるでしょう。反体制がテロ行為を行う可能性はあります。国内の環境問題でも一部の人々が実力闘争に訴える場合もあります。愛知万博でもそうでした。しかし、それでも対話は可能です。
 相手を信用しないと頭ごなしにいうことは可能ですが、世論が支持するとは限りません。互いの信頼関係を築くよう努めるのは双方の責務です。サイモン・レヴィン「持続不可能性」にある「Build trust」の戒めとはそういうことだと思います。
回答2) これは監視(アフターケア)が必要です。それが制度として法的に担保されていないとすれば、確かに問題ですね。
 方法書、準備書、評価書の過程で「完全」なものは通常書けませんから、事業者自身が「あとは事後調査で監視し、必要に応じて対処する」ようなことを書くと思います。それが担保になるでしょう。
回答3) 2002.4にWWFジャパンが捕鯨に関する「対話宣言」を出したときにも、過去の反省を出発点とする旨書かれていたと思います。*1しかし、これを常に求めるかどうかは疑問です。明らかな失態がない場合には、入口論で物別れに終わるでしょう。結局は、自由意志に基づく協力関係の問題です。対話の円卓を蹴る権利は誰にでもある。蹴った以上はその後の合意形成に関与できない。しかし、多くの人が参加しないと成り立たない。蹴る側と蹴られる側のどちらに大義があり、世論が支持するかの問題だと思います。蹴るのが支持を得られないとわかれば、環に加わるしかない。

*1:クジラ保護に関するWWFジャパンの方針と見解 (WWF会報2002.4.1より「6.日本政府に対し、海洋資源保全に貢献するよう強く働きかける=過去の乱獲や不適正なデータ処理などに対する真摯な反省を促す。乱獲については、過去の捕鯨国に対しても反省を求める。また、日本政府が、国際社会での信頼を高めるべく努力するよう強く求める。国際的な信頼向上のためには、日本政府はクジラ類とその他の水産資源の、保全と管理に積極的に貢献することを明瞭に宣言し、具体的な貢献策と、その実施計画を示すべきである。 WWFは、一方的な非難や対決的な姿勢ではなく、対話を通じて、日本政府が海洋生物資源の保全に大きく貢献するよう働きかけていく。」