未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

誰がBLOGを書くのか?

梅田 Blog論2005年バージョン(2)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050426/p1 裏切られた期待として、

大組織に属する超一流の技術者や経営者が本気でBlogを書くということも、どうも日本では起こりそうもない。

と悲観している。確かにその印象はある。日本の大企業に属する超一流の誰かが実名でBlogを書くという状況は想像しにくい。一人や二人でなくて何万人も専門家がその専門について日々記すと言う状況は考えにくい。
守秘義務ウンヌンカンヌンという話は確かになくはないがそれだけで説明できるほど話は単純ではないと思う。米国で働く時にだって入社一日目にNDAへのサインをするし常識の範囲での守秘義務はある。
わたしがシリコンバレーで見聞きした範囲で言えば、以下のようなイメージである。Stanford大学のデータベースグループは毎週金曜日の午後に公開セミナーをしている。http://www-db.stanford.edu/dbseminar/ 企業からの発表者がいろいろなお題で発表するのだが、OracleやらIBMやらMicrosoftやらベンチャーやらの技術者が聞きに来ていて自由に議論をしている。単に質問をするというより、「お前はそーゆー実装をしたけど、俺はこーゆー実装をした。XXXと言う条件の場合は俺の実装の方が有利だと思うがどうか」つーような真剣勝負がはじまったりする。守秘義務?何それ?もちろん、製品の出荷スケジュールとか顧客の障害事例とかの話題はないが、技術に関する議論は、非常にオープンにされている。細かいことは隠してもしょうがない、シリコンバレーと言う地域で共有するくらいの暗黙の了解があるんじゃないかと言うくらい、オープンである。まあ、仮にそーゆー事を形式的に禁じたとしても人材の流動性が高いので昨日はSybaseに勤務していたが、今日からはOracleだ、IBMだというような話は日常なので、常識の範囲での知識の共有は人の移動とともに自然に半強制的になされてしまう。それがある意味、シリコンバレーと言う地域の競争力の源泉でもあったりする。ここで注意してほしいのは技術情報といっても、企業秘密に属する類のものではない属人的なノウハウだとか、ある種のコミュニティの暗黙知みたいなものである。そーゆーものがシリコンバレーのコミュニティでは共有されている。
わたしはそーゆー価値観にある地域に90年代居住していた。プロフェッショナルとして生きて行くには、自分の価値を常に発信しておく必要がある。社内のプロジェクトの中でも外でも。寡黙は無能を意味する。(といったらさすがに言い過ぎな気もしないでもないが、そーゆーような感覚である)確かにおれがおれがというスタイルはちょっと疲れたりもするが、そーゆー社会だと思っていれば、当たらずとも遠からず。
日本の企業に長年努めていて、情報発信を自らしなければいけないという状況というのはまずない。そもそも自由に発言をするインセンティブがない。そーゆー訓練もしてきていない。上司が「今日は無礼講だからどんどん言いたいことを言って〜」なんて言う言葉にのって本当の事を言うのは単なるバカであるかサラリーマン漫画の主人公だけである。守秘義務がうんぬんかんぬんというのは後付の理屈に違いない。
日本の大企業の閉塞感を批判するのはたやすい。しかし友人が裸の王様でいることを見過ごすことを、たとえいらぬ世話だと思われていても看過することは難しい。大企業の犯罪が減らないのも、犯罪とまでいかなくても、半社会的な行為がなかなか減らないことも、自由な発言がしにくいことに要因があるとわたしは思っている。日本と言う地域がもっと風通しが良くなって人々が自由に発言できるような社会になれば、それはそこに暮らす一人一人の幸せに通じるだけではなく地球と言う社会に取っても意義があることだと強く思うのである。
では、どーすればいいのか?一人一人が発言をする。それのメリットを発信していくしかないのである。日記書いていてよかったなあ〜ということを。

梅田望夫は立花隆である。

日本の専門家における「言論の閉鎖性」

立花隆が「田中角栄研究」を文藝春秋に書いた時、マスメディアは「そんなことは昔から知られている。新しい情報はない」と切ってすてたそうだけど、じゃあ、おまえそーゆー報道をちゃんとしたのか、といってやりたい。

CNET Japanで連載していたとき、Googleの株式公開のあり方の是非を巡ってBlog上で磯崎さんと議論になったことがあった。それで、磯崎さんからいただいたトラックバックに対して僕が「素晴らしい内容のトラックバックを・・・」というようなことを書いたとき、「磯崎さんが書いていることは専門家にとっては当たり前のことで、そんなこと素晴らしいなんていうのはお前がバカだからじゃねーか」みたいな意味のコメントを貰ったことがある。

というコメントは、梅田望夫立花隆になった瞬間なのである。おめでとう。そーゆー寝惚けたマスメディアがいなければ立花隆は生まれなかったのである。