2009-02-15
■ 上から目線の人達は失敗を隠蔽する社会を作っている

はてぶとか見ていると、すげー上から目線の人がいて、あああ、こーゆー人達って、何様?とか思ってしまう。あ、俺様かあ、なるほど。
デブサミのコミュニティLTの裏番組で、株式会社はてなの開発戦略*1というのがあって、わたしも司会なんかしていなかったら、聞きにいきたかったセッションなのだけど、それが予想にたがわず、素晴しいものだったということは、皆さんのブログの感想戦などを拝見していると思ったりする。
gitいいよねgitという内容なのか、そうでないかは現場にいなかったので微妙な空気まではわからない。git移行のきっかけが、SVNのリポジトリの崩壊、瓦解、というのがほほえましくもあり、ツッコミどころでもあり。
はてぶのコメントで http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/rx7/20090212/p1 なんかで、エラソーに言っている人がいるけど、あんたはエライよ。
自分の失敗をつつみかくさづ言うということの価値をなんでわからないんだろうね。失敗によって、何を学んだか、何を学ばなかったかということが失敗したことより遥かに重要なのに、なんでわからないんだろうね。バックアップしないよりバックアップしたほうがいいにきまっている。テストをしないよりテストをしたほうがいいにきまっている。だけど、現場では日々失敗が起っている。なんでだ。なんでなんだろう。
当事者じゃない誰かが、あはは、ばかだよね〜と上から目線で言ってしまったら、何がおこるか。誰も自分の失敗なんか公開したくない。あはは、ばかだよね〜という人が満ちあふれていたら、誰だってばかにされたくないから自分の失敗なんか公開しなくなる。そーゆーことだ。舘野さん、すごいじゃん。はてぶでネガティブなコメントを受けるかもしれないリスクをおしてまで、自分の失敗をさらけだしたんだから。
大袈裟なことを言えば、失敗を公開して、広く共有することで、われわれ社会全体の知見というのが進歩するんじゃないのか。それが自分達を幸せにすることじゃないのか。失敗の原因をみんなで理解するためには、失敗そのものの情報が公開され共有されなくちゃいけない。その第一歩を、はてぶの上から目線の人達は殺している。そのネガティブなインパクトにもう少し自覚的になった方がいい。
わたしが、ここで、こーゆーことを言っても上から目線の人はいなくならない。わたしは、それを知っている。だとしたらわたしには何ができるか。自ら情報を公開した人に拍手を送り、その人達が自分の言葉で語る、語り続けることを応援する。そーゆーことである。そのような場を、手作りでも作る。そーゆー事である。
あああ、舘野さんのお話聞きたかったよ。本当にそう思う。
- デブサミ2009 株式会社はてなの開発戦略
- よくわかりません - 失敗の公開は重要だけど、それをどうしよう。
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この部分が全く意味が分からなかったのですが。
はてながsvn repoをRAID1しただけで何もバックアップを取らずに破壊した事は単なる「失敗例」であって、まともな技術者であれば「バカな失敗をしたな」と評価されて当然の事ですよね。
なんでそんな根本的なことに「上から目線」だとか「バカにされて悔しい」みたいな昭和オヤジ的な発想が出てくるのか全く理解できません。
昭和の時代は「若者にやるだけやらせておいて、失敗したらわざと悔しがらせて育成した」みたいな前提でもあって、吉岡さんはそれを説明無しに当てはまるもんだという思い込みでもあるのでしょうか。
改めて書きますが「svn repoをバックアップとって無くて壊した。そしてその失敗は、まともな技術者であればあきれられて当然だ」というだけの事ですよ。上から目線だのクローズドになるだのっていつの時代の話ですか。
あえて上から目線で言えば、非難されているのは失敗したことではなく、温故知新の「温故」ができてないことなんだよね。はてなは温故なんかしないよって開き直ってる姿勢が見られるし。
まともな技術者って、なんですか。世の中にotsuneさんのおっしゃるまともな技術者で満ちあふれていれば、ついでに、まともな経営者で満ちあふれていれば、デスマーチも、動かないコンピュータもないことでしょうね。
バカな失敗ってなんですかね。
なんで、バカな失敗が起こるんですかね。まともな技術者じゃなかったから、バカな失敗が起こるんですか。
失敗なんか所詮バカな失敗なんでしょう。だけど、そこから何を学んで、同じ失敗を繰り返さないか。どのようにそれを仕組み化するのか。わたしの興味はそこなんですけどね。
失敗の当事者をまともな技術者でないと切り捨てることはそこで思考停止をして、真の原因を理解する妨げになると思っています。仮にその原因がotsuneさんの言う通りのまともな技術者じゃなかったからとしても。
だからなんで「svn repoのバックアップをとって無くて破損した失敗」を「バカだなぁ。まともな技術者はやらないだろ」と正しく正確に評価することが「切り捨てる」になるのでしょうか? それっと「正しい事をいわれると萎縮するから言うな」ってことですよね。どこの昭和の風習ですか
>そこから何を学んで、同じ失敗を繰り返さないか。どのようにそれを仕組み化するのか。わたしの興味はそこなんですけどね
は私も賛成です。
ただし
>当事者じゃない誰かが、あはは、ばかだよね〜と上から目線で言ってしまったら、何がおこるか。誰も自分の失敗なんか公開したくない。
ここがそのコメントと矛盾しているんですよ。現実に起こったバックアップのサボりに対して「なんでまともな技術者がやる事をやらないの」と言う事は上から目線でも何でも無いですよ。ただ単に正しい事をそのまま書いているだけです。
>誰だってばかにされたくないから自分の失敗なんか公開しなくなる
それが昭和の風習だと思うんですよ。バカなことをしたときに正確にバカだといわれたって悔しくも何ともないでしょう。ただ反省するだけですよ。(それとも吉岡さんの世代ではたとえバカな失敗をしても、バカにされたら意味もなく悔しがっていたのでしょうか?)
安易に世代論を振りかざす人は、人はXX歳になったらXXという考えを持つなんて、個人ではなく、生まれたときという属性で人を判断するんですね。まあ、年齢でいっぱひとからげに判断するという人は、性別とか、国籍とか、その他様々な属性で判断するんでしょうかね。
世の中にはotsuneさんみたいに、バカと罵倒されてもへいちゃらな人もいるだろうし、そうでない人もいるだろうし、罵倒されるのが嫌な人は発言しなくなる。そーゆーことだと思いますよ。
別に罵倒が怖くて発言しないわけじゃないだろうけど、ブログなんてのは、多くはハンドル名とか、実社会の属性とは切り離して発言しているわけで、日本社会の嫌な側面を象徴しているような気がします。
みんなが実名でいいたいことを言えるような社会の方がそうじゃない社会より住みやすいと私は思っていて、それを実現するのには、どうしたらいいか模索しているわけですね。
何か言ったら、炎上するので、言うのをやめよう、ネットって怖いよね、みたいな流れって昭和の風習ですか。そうですか。
と、話がどんどんズレてきて収拾がつかなくなりましたけど、そんなことを考えさせてくれるコメントでした。どうもありがとう。
わたしがこのコメント欄で使っている用法だと「読売新聞のナベツネ氏が、若手の記者の原稿を出来に関わらず没にしたり、ちょっとした失敗を過剰に責め立ててパワハラによって上下関係を叩き込み、命令系統を確立する」というような意味で使っています。
まぁたぶん吉岡さんは「昭和の風習」の意味が分かってて、トボケて皮肉を書いたつもりなんだとは思いますから、これ以上細かく書く必要は無いと思いますが。
いったいsvn repoを破壊したという話のブクマコメントで誰が「罵倒」してたんですか?「バックアップを取らないなんてダメだ」というのは初歩的で正確な批評と反応じゃないですか。
もし客観的な根拠も無いのに「はてなはsvn repoを飛ばすんぐらいだから、きっと他の●●についてもダメに違いない」とかFUDを書く人がいるんなら、それはFUDを書いているという行為そのものだけを批判しないとダメですよ。(私は個人的にそういう根拠の無いFUDを書く行為は最低でダメだと思っています)
しかし、「上から目線」ってなんですか。ついでに、「誰だってばかにされたくないから自分の失敗なんか公開しなくなる」の具体的で客観的な根拠についても教えていただければと。
「誰でも」とか書いたエントリーのコメント欄で「そうでない人もいるだろうし」って何なんですか。
私は正確で具体的な評価や批評まで「罵倒」「上から目線」という意味不明の表現で一緒くたにダメだと批難する主張を本当に最低でおおざっぱな行為だと思っているんですよ。吉岡さんがそのブックマークコメントを具体的にどれがダメだと名指しせずに、大雑把に「上から目線」とか書いたら全部に誤爆するじゃないですか。
本当に最悪ですよ、それは。
公開した情報がどれほど、みなの役に立っているのか考えてみるとどうだろう。
使い方やバグに関する情報などの技術的なものは経験上役立つことが多い。
「こんな失敗したよ」という体験的なものは果たして役に立っているのだろうか?たぶんだけど、体験的な情報はよほどの分析を伴わない限り役に立たない。厳密に分析すればするほど、読み手の状況とは一致しづらくなる。事例がたくさんあればどれかあたるかもしれないが、個人が書くエントリでは望めない。みんなで書いたとしても、分析の仕方に一貫性がないため、事例が体系的に蓄積されることはありえない。かといって、体験を抽象化して分析すると昔からよく知られていることに還元されることが多い。そんなことにどれほどの価値があるだろうか?たぶんない。そんな風に考えてしまう僕は、体験的なものは「共感」「近況報告」「にぎやかし」のためのエントリにしか見えない。つまり、多くのものは役に立たない。
たまに、奇抜な観点でもって分析したり、いろんな体験に関するエントリについて整理しているエントリに出会う。そういったエントリが増えるとうれしいね。
余談だけど、機械学習の分野では「失敗からの学習は成功からの学習と比べて凄く効率が悪い」ことが良く知られている。分析が伴えば多少差は縮まるけど。そういう意味では、失敗よりも成功についての体験をたくさん共有した方がよい気がする。失敗は親近感を得るために話のねたとして持ち出されることが多いけど、学ぶべきは成功だ。
でも失敗談の公開は無駄というつもりはありません。むしろ有効です。
失敗談(それも何故、失敗したのかの原因や理由)を語る事で、作業する本人だけでなく、周囲の人にも「失敗を回避する方法」を少しでも伝える役目を果たします。例え、作業者が重要性を認識できなくても、周囲が重要性を認識できれば、回避する事を行えば、損害は小さくなります。
私を含めて大抵の人間は、本やネットの知識だけで重要性を認識できる程、賢いわけではないため、頭で覚えた知識だけでは完全に失敗回避できません。でも、公開する事で、失敗の原因を分析できるだけでなく、少しでも失敗を回避する手立てを行うには必要だと考えます。