未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

質問してね力

昨日の質問力(d:id:hyoshiok:20090306#p1)にはブックマークやコメントを思いのほかいただいた。やはり質問って大事だよね、という空気が少しでも漂うとウレシイ。とってもウレシイ。

質問が少ないのは、参加者だけがいけないのではなく、発表者も質問するなよオーラを微妙に漂わせているからではないか、というような趣旨のことを思っている人もいると思うので、それについても考えてみた。

わたしが発表する場合、必ず質疑応答の時間を取るように心がけていて、冒頭に質問もぜひしてください、と申しあげる。セキュリティ&プログラミングキャンプキャラバンでは、最初のスライドで、質問してねと明示している。

それでもなかなか質問を喚起することが難しい。

アイスブレーキングだなんだというテクニックがいろいろあるらしいのであるが、空気をあたためるために、会場に質問をする。「〜について、ご存知の方。お手数ですが、挙手いただけますか。はい、ありがとうございます。だいたい会場の6割くらいですかね。では〜はいかがでしょう。はい、3割くらいですか」みたいな感じである。誰でも知っていそうな事を聞く。いきなり問題の核心に迫るような質問はしない。例えば、「では、SystemTapのパッチをLKMLへ10本以上投稿した方?」なんていっても場の空気を寒くするだけである。もちろんKernel Summitであれば、そーゆー人だらけだから全然問題ないのであるが、TPOをわきまえて、回答しやすい質問を投げる。

質問は一見、どーでもいいことを聞くのであるが、会場に参加している人の前提知識を理解するために、講師にとっても重要な情報となる。例えば、オープンソースという言葉を聞いたこともない人に、いきなりソースコードがどーだとか、バザールモデルがどーだとか言っても通じる可能性は極めて低い。

まあ、そんなこんなでやっているのであるが、キャラバンでは、最後にフリーディスカッションのコーナーというのがあって、講師に、なんでも聞いていいよというをやっている。いい質問には、Tシャツを進呈という物でつったりしている。最初はなかなか質問が出てこないのであるが、それでも毎回時間オーバーになるほど盛り上る。

カーネル読書会では、質疑応答というのが、発表中からも活発に行なわれているので、そーゆー場で、経験を積んで、いろいろな所で発揮してほしいな、などと思う。まあ、勉強会はカーネル読書会に限らず、参加型のものが多いので、一言も声を出さないで帰るということは、数十人規模以上の勉強会でなければ、そんなにはないと思う。懇親会で全く一言も話をしなかったとなると、その勉強会への参加そのものについてちょっと考えなおした方がいいかもしれない。

まあ、いづれにせよ、勉強会があたりまえの社会になったので、そんなに遠くないうちに、質問をする、質問をされるというのが普通のことになる、という根拠のない希望を持っていたりする。

カーネル読書会は質問から誕生した

質問というと、質問をされる人が、「そんなことも知らないのか」というオーラを出して、質問者をバカにするというような事を気にされる人もいる。実際、質問者をバカにしている人もいるらしい。質問者は、そんな仕打ちを受ければ正直、わざわざ質問する気もうせるものである。

ふと思いだしたのであるが、10年前にYLUG(横浜Linux Users Group)のメーリングリストLinuxシステムコールはどのように実装されているか質問をした人がいた。実に素朴な疑問である。当時は詳解Linuxカーネルとか、あったのかなかったのか覚えていないが、そーゆー技術的に詳細な情報が、今ほど氾濫していなかったような気がする。その質問に対し、誰かが「それは INT 0x80で実装しているんですよ。…」というような回答を流した。そして、じゃあ、そのシステムコールの実装あたりについて実際にLinux Kernelのコードを見てみたら面白そうだし、みんなで集ってみよう、みたいな話になって、初回のカーネル読書会が開催されたのである。その素朴な疑問をメーリングリストに投げたのが10年前のわたしである。

カーネル読書会は、質問から誕生したようなものである。

質問をしたおかげで、10年も続くコミュニティ活動のきっかけをわたしは得た。どう考えても、大きな宝物を頂いた。わたしの払ったコストは、単に質問をしただけである。

もちろん誰もが同じ経験をするなどと言うつもりは毛頭ないが、その経験から、何がしかのものを汲み取ってほしいと思う。