未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

40代、50代の人たちはなぜ表現しないのか

インターネットの未来の一断面を「総表現社会」と梅田望夫は「ウェブ進化論」(2006年)の中で希望をもって述べた。3年たった今日現在、日本という地域では、インターネットを能動的に利用する若い世代(おそらく40前後がその上限)、あるいはヒマ人以外には、表現をする人というのはほとんど現れていない。少なくともわたしと同世代(50歳前後)にはそのような表現をする人はほとんどいない。

例外的なアルファーブロガーというのはいることはいるが、梅田が期待したような、「不特定多数無限大」として1000万人程度の表現する人々は出現していないように思える。

例えば、わたしの世代では、中間管理職として企業の中核を担いつつ、家庭では子供が中学、高校、大学と、進学だ教育だというところで悩み、住宅ローンの返済に追われ、両親の健康状態が心配というような世代なのだが、彼らはほとんど表現していない。日々の日記として、会社の愚痴や上司の悪口や部下への小言などは読みたくもないが、それでも世代共通の悩みや葛藤はあるだろうし、仕事においても様々な成功、失敗はあると思う。大学時代の友人とたまに会ってよた話をするが、彼らの生きた人生の一つ一つには、もっと聞いてみたい様々な物語がいっぱいある。

それは、どこかで語られるべき物語だと思うのだが、残念ながらインターネットには、そのような物語はほとんど存在しない。

梅田が近著『シリコンバレーから将棋を観る』(献本ありがとうございます)で、将棋観戦記のライブ中継というインターネットの可能性を示す実験の舞台裏を紹介したが、彼のような表現者は、残念ながらほとんど現れていない。

彼はブログを使って表現者としての自分をインターネットにさらす実験をし、ベストセラーを表し、その感想をインターネットから丹念に拾い、そして学習し成長するという人体実験をこの数年続けている。自分のビジネスの領域だけではなく将棋という趣味の世界にもその方法論を適用している。*1

わたしだって考えてみれば、自分の人生をブログとか日記のネタにして、「生涯一プログラマ宣言」だとかえらそーなことを言っていたりするので、同世代の人間としては表現している方かと思う。思うのであるが、インターネットにはもっともっと、普通の人の声に満ちあふれて欲しいしそのような同世代の声を読みたい。

彼らは優秀で頭がよくてよく働く。皆忙しい。彼らにとってインターネットで表現するインセンティブはまったくと言ってない。ブログを書くことによって、経済的に豊になれるとか仕事がうまく行くとか人生の様々な難しいことが簡単になるとか、そーゆー分かりやすいメリットはまったくない。会社の中でブログを書くことを奨励されているわけでもない。

米国や韓国での市民メディアとしてのブログとかインターネットの成功が一時期喧伝されたが、日本においてはヒマ人のメディアかブログの炎上のことくらいにしか最近では話題にならない。

ネットの言論の質が低いとか、そーゆー話ではない。同世代の表現量が圧倒的に少ない。少ないから量が質に転換しないのである。わたしはあなたのブログを読みたいのである。だけどこの声が届かないもどかしさを感じるのである。どうすればいいのだろうか。*2



*1:梅田の方法論をパクって、自分の近著『Debug Hacks』の感想をせっせとブックマークしている。

*2:ネットの言論ってなんだろう -- 未来のいつか/hyoshiokの日記 http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20090328#p1