未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

楽天に転職して2ヶ月たった

ご報告*1したとおり、この8月より縁あって楽天株式会社へ転職した。

ここの日記のタイトルに「楽天へ転職」と記さなかったのでRSSリーダやアンテナなどでわたしの日記をウォッチしている皆様には陽に伝わらなかったみたいで、未だにミラクルにいると思っている人も少なくないようだ。先日も「LinkedInのupdateメールで @hyoshiok さんが楽天に移られたことを知る。吃驚!」*2とか「あれ、そうだったんですね RT @hyoshiok: 8月より縁あって、楽天にお世話になっています。LinkedInってほとんど放置だったんですがたまには役(?)にたちますね。 RT @masanork LinkedInのupdateメールで @hyoshiok さんが楽天に移られたこと」*3とつぶやかれたりしたり。

それはともかく、50歳からの転職という感じで、典型的な中高年の転職という感じではないが、一つのケースを記すことは無駄ではないので、思ったことをいくつか忘れないうちに書く。

人生に正解はない。50歳くらいになれば誰でもそんなことに気がつくが、若いうちは幸せな人生とはこうあるべきだなんてことを誰かに言われたのか言われなかったのかはわからないが信じていたりする。そして、そのような人生の正解があると信じそれを求めたりする。もちろんそのような模範解答はない。人生はそれ自身が素晴らしいものであり、自分はその主人公なのだ。

職業の選択にも正解はない。自分はこの職業にあっているかあっていないかなんていうことは実は分かりはしない。自分の心に素直になって、この仕事が好きなのか、嫌いなのか、辛いのか辛くないのかは問うことができるが、それ以上でもそれ以下でもない。この仕事で成果を出せるか出せないかも実のところよく分からない。そもそも成果ってなんだろうか。他人が決めた物差しでの評価を出すことに意味があるのかないのか、もちろんそれにも正解はない。

霞を食っているわけではないから、人並みに給料は貰いたいし、できれば人に認められたい。人に認められるというのは一体どうゆことかと言えば、例えば誰かに感謝されるとか、誰かの役にたつとかそのような些細なことの積み重ねである。誰かに愛されたいし、誰かの役に立ちたい。仕事で、売上をあげ、会社に利益を与えボーナスを貰ったり、実績を積み上げ昇進、昇給するということによって認められるというのもある。

様々な価値観のなかで、人それぞれの価値観のなかで所属企業を変えるということは、多くのしがらみをまとったわたしのような中高年にとって、どのような意味があるのか、ないのか。

人のことはわからないから自分のことを記す。

リーマンショック以降、急速に雇用環境は悪化していて、非正規社員の雇用などが社会問題になったりして、マクロでみれば、転職のタイミングとしては最低である。しかし、ミクロでみれば儲かっている会社は儲かっている。自分の人生をマクロ経済にリンクさせる必要はない。マクロ経済の景気の悪いときにこそ、しっかりと一つ一つの企業、産業構造などを見極めたい。

わたしが大学を卒業したころ(1980年代)、ソフトウェアを開発したければ、ハードウェアベンダーに行くのが定番だった。外資IBMとかDECあるいはUnivac、国産企業で言えば、富士通NEC日立製作所などは垂直統合型ビジネスをやっていて、ハードウェア(メインフレーム)、OS、ミドルウェア、アプリケーションプログラム、システムインテグレーション、そのすべてを上から下までやっていた。ソフトウェアを開発したければそのような垂直統合ベンダーに行くというのが定番だった。

若い人は知らないと思うが、東芝とか沖電気とか三菱電機なんかもメインフレームを作っていてそれなりのソフトウェア開発部隊がいたのであるが、いまはどうなっているのだろうか。

それが、80年代中頃から、時代は水平分散型に徐々に移行していって、メジャープレイヤーは、OSならMicrosoft、CPUならIntelRDBMSならOracle/Informix/Sybaseなどのそれぞれのレイヤーの専業ベンダーになっていった。ソフトウェアを作りたければソフトウェア専業ベンダーに行く時代になった。

そして、インターネットとオープンソースの時代である。インターネットの登場により地球規模のコラボレーションが可能になり、ライセンスフリーのソフトウェアがインターネットをささえるようになった。ソフトウェアの作り方が一企業のソフトウェア開発センターで行われるのではなく、バザールという地球規模の自由な市場で行われるようになった。

ソフトウェア開発の現場がバザールというコミュニティになったのである。

このIT産業の地殻変動を現場で体験し、自らの意志でオープンソースのビジネスに飛び込んだのが2000年6月のミラクル・リナックスの創業である。そして8年、ミラクル・リナックスを総括すれば、当初目論んでいたような成果を達成できなかった。これはひとえに経営者としてのわたしの力不足である。

一方で、自分のやりたいこと、興味をもっていることの軸はソフトウェアであり、プログラムを作ることであることに変わりはなかった。そこで、取締役を退任したときに、「生涯一プログラマ宣言」をさせていただいた。ソフトウェアやプログラムの作り方に関してならいくばくかの貢献はできるのではないかと潜熱僭越ながら思ったりした。できるかできないかの問題ではない。自分がやりたいか、やりたくないかの問題である。50歳のおじさんとしては見苦しいあがきがあるとしても余計なお世話である。自分がやりたいことをやって何が悪いと開き直った。

さて、転職するにあたって、ソフトウェアを作れる職場はどこか、自分の経験をいかせる職場はどこか、未だにソフトウェア開発に未練があるものにとって、そのような企業はどこにあるのか。基盤系ソフトウェアの現場はどこにあるのだろうか。それを考えた。

そして、その答えが、いわゆるWeb2.0系の現場なのである。

わたしは学校を卒業以来、ソフトウェア製品の開発現場にいた。それはCOBOLコンパイラーであったり、RDBMSであったり、OS(Linux)であったり、それらは日本の多くのソフトウェア開発現場でのソフトウェア作りとはまるっきりことなるものである。顧客向けソフトウェア開発いわゆるSIではない。不特定多数向けの基盤系ソフトウェア製品作りである。

Web2.0がソフトウェア製品なのかは異論があるかと思うが、そこに基盤系ソフトウェアの技術がもっとも必要とされている現場があることは間違いない。

最近では猫も杓子もクラウドであるが、東京のクラウドの現場はWeb系の企業にある。大規模データセンターを運用するあれやこれやのノウハウはこの地にある。

時代の流れに乗ったということかもしれない。流行り廃りに乗ったのかもしれない。

「思い込み」に安住する怖さ いかにすれば脱常識・脱低迷が果たせるか(宮田秀明の「経営の設計学」) http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090930/205935/?P=3
「グーグルには勝てません」というのも単なる思い込みかもしれないのだ。思い込みをやめて、挑戦し、もっと強くなろう。

世界一のインターネット・サービス企業にするというなんてとんでもないことを言う三木谷さんの狂気にのったのである。笑止千万。笑うなら笑えばいい。笑う門には福来る。

楽天の芸風を変えるのがわたしのミッションである。若い人たちを焚き付けて世界一のインターネット・サービス企業にするのがわたしのミッションである。東京という地はそれを可能にする予感に満ちている。それは簡単ではないが不可能ではないと思っている。

そしてこれがわたしの転職2ヶ月の所信表明である。

ご清聴ありがとうございました。