未来のいつか/hyoshiokの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-11-28

フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法、山田竜也著、読了、濫読日記風 2018、その31

フリーランスがずっと安定して稼ぎ続ける47の方法を読んだ。

組織にいながら、自由に働く。仲山進也著、読了、濫読日記風 2018、その30 - 未来のいつか/hyoshiokの日記会社員でいながら自由に働く方法の紹介をした。本書はフリーランスでの働き方だ。

フリーランスは「時間」「仕事裁量」「収入」を自らコントロールできる。

下記が目次である。1)フリーランスがずっと安定して稼ぎ続けるための基本、2)仕事が途切れない集客術、3)ストレスなく安定して稼ぎ続けるための仕事術、4)お金不安をなくすために、これだけは知っておこう

組織に属さない働き方を考えるヒントになる。人生二毛作で幸せに生きたい。



濫読日記風 2018

2018-11-27

組織にいながら、自由に働く。仲山進也著、読了、濫読日記風 2018、その30


組織にいながら、自由に働く。 仕事の不安が「夢中」に変わる「加減乗除(+-×÷)の法則」を読んだ。

働き方改革だ。本書は楽天大学学長、仲山進也さんの待望の書だ。

仲山さんは楽天の中でも「がくちょ」と呼ばれる名物社員だ。自由に飄々としていられる。その秘密の一端を垣間見させてくれるのが本書だ。

自分自由に生きたい、自由に働きたいと思っている人は多いと思う。その指南書になるのか、ならないのか。

なるとも言えるし、なかなか難しいとも言える。

自由を獲得するためにはそれなりのスキル(?)が必要だ。

それが働き方の「加減乗除」という4ステージだ。(10ページ)

  • 「加」できることを増やす
  • 「減」好みではない作業を減らして、強みに集中する
  • 「乗」磨き上げた強みに、別の強みを掛け合わせる
  • 「除」(因数分解して)一つの作業をしていると複数仕事が同時に進むようにする

いろいろと働き方のヒントが満ちている。

仕事に飽きないことが大事(30ページ)、「好みでない作業から全力で逃げる(42ページ)、働く「意味」を深掘りする(50ページ)などなど(付箋だらけになってしまった)

結局、副業、複業という一直線ではない働き方(生き方)を自ら進んでやるということが自由に繋がるのだろうなあとなんとなく思った次第である

自らこの道を選ぶという行動をとろうという意思があれば、誰でも自由に働けるのではないだろうか。その意思がないのならば会社都合で働かされる人生になる。そんな予感がする。

自分は満60歳で定年退職して、今は学生身分だが、人生二毛作として、次にもし会社員をやるとしたら、働き方の「加減乗除」を参考に自由に働いてみたい。そのように働けるだけのスキルを磨き続ける、あるいはそのようなスキルを得るための努力をする意思を持つ。そんなことを思った。

自由に働く人が増えれば日本は変わる。

濫読日記風 2018

2018-11-26

図書館に訊け!、井上真琴著、読了、濫読日記風 2018、その29

図書館に訊け! (ちくま新書)を読んだ。

図書館が好きだ。地域の図書館が好きだ。学校の図書館が好きだ。子供の頃から好きだった。

好きなわりには図書館を使いこなしていない。図書館の良さを引き出しきれていない。そんな気がする。

図書館仕事や調べ物をするツールとしてどのように使うか、そのような視点で本書は書かれている。

もちろん、図書館を大好きな本がいっぱいある場所として特に目的もなく棚を眺めたりぶらぶらする場所として使ってもいいが、本書はそのような立場ではなく、あくまでも調べ物をする場所としての使い方を紹介している。

ネットには様々な情報が溢れているが、ご存知の通り玉石混合だ。書籍場合編集というプロセスを経ているので、最低限の品質担保されている。書籍ならではの網羅性や一貫性もある。

今だに読まれている名著には名著なりの理由がある。時間という激しい選別から生き残っただけの生命力が名著にはある。

新刊書を探すだけならネット書店や大規模書店で事足りるが、書店基本的には出版されてから半年程度の本がほとんどでちょっと昔の本は置いていない。もちろん品切れや絶版書籍などはあるわけもない。

本書は図書館との付き合い方を多面的に紹介している。

本書は図書館利用の心得として、1)ベースキャンプとなる図書館を決める、2)多様な資料世界を知る(2章)、3)目録本質を知る(3章)、4)レファレンスブックの利用を覚える(4章)、5)わからないことがあれば図書館員に訊く(5章)という方法を紹介している。(19〜20ページ)

例えば、学術研究の基本スタンスとして、1)先行研究がないことを確認する、2)研究のこれまでの最新成果・立脚点を把握する(42ページ)というプロセスでの図書館の利用方法説明している。

大学知識の断片を学ぶところではない。むしろ、知識の体系・方法を学ぶことを目的とする教育研究機関なのだ」(45ページ)

アカデミアというコミュニティーで広く信じられているパラダイムを学ぶ場所でもある。

資料検索・探索の仕方なども具体的に記述してあるので参考になる。

どうしてもオンライン検索だけに頼りがちだが、というかそれくらい知らないので、多様な方法があることを知ることは重要だ。専門図書館の利用やレファレンス書籍など自分があまり行ったことがない方法も試してみたい。

網羅的な調査には図書館の利用が欠かせないと理解した(3章、4章)

レビュー論文サーベイ論文)などを効率的に探し出すようなスキル必要だ。

研究者の卵として、自分なりに自分研究分野のサーベイ論文を試作する。図書館を使いこなす練習としてそのような作業必要だ。

本書を参考に図書館を使い倒してみたい。研究者の卵として図書館を使い倒せないとやばい。そう思った。

濫読日記風 2018

2018-11-25

機械との競争、エリック・ブリニョルフソン著、読了、濫読日記風 2018、その28

機械との競争を読んだ。

テクノロジー雇用を奪うか?本書は雇用を奪うという立場技術進化は長期的には雇用を生むというのが従来の説であったが、著者は技術進化が早すぎて、雇用を奪うと主張する。4章で19の提言をしている。1、教育投資、4、義務教育の授業時間を増やす、5、スキルを持つ労働者移民積極的に受け入れる、6、起業家教育を行う、10、通信輸送インフラの強化に投資する、11、基礎研究への予算を増やす、16、住宅ローンへの補助金を減らす、19、著作権保護期間は短縮すべき。ザ・セカンド・マシンエイジの著者。


ブックリスト


濫読日記風 2018

2018-11-24

ミライの授業、瀧本哲史著、読了、濫読日記風 2018、その27

ミライの授業を読んだ。

世界を変えた20人の偉人についての本。14歳向けと書いてあるが、実は大人にとって重要な話が詰まっている。巻末には参考文献リストがあるので未読のものを読んでみたいと思った。ナイチンゲールが統計学者だった話、森鴎外エビデンス重要視しないで権威に頼っていた話、地図とは仮説だという話、日本国憲法の草稿を書いた女性、興味深いエピソードに満ちている。20人目の主人公は(本書を読んでください)。

ナイチンゲールの人となり、情報視覚化テクニックもっと知りたいと思った。


濫読日記風 2018

2018-11-23

AI vs. 教科書が読めない子どもたち、新井紀子著、読了、濫読日記風 2018、その26

AI vs. 教科書が読めない子どもたちを読んだ。

本屋平積みベストセラー

日本人識字率が100%近いと言われているが、著者の調査によれば、日本語が読めても理解できていない子供達が多数いる。教科書すら理解できなければ、言語によるコミュニケーション不可能ということだ。それは子供だけではない。自分も含む大人の問題でもある。AI駆逐されないためにも、基本的な読み書き能力を訓練したいと強く思った。自分は正しく日本語を読めているのだろうか。その能力はあるのだろうか。

下記の記事にある簡単なクイズをぜひ解いてみて欲しい。ひっかけ問題でもなんでもない。じっくり読めば解けるはずだけ。

”大事なのは「読む」力だ!〜4万人の読解力テストで判明した問題を新井紀子・国立情報学研究所教授に聞く”

自分は正しく日本語を読めているのだろうか?自信がない。もっと読解力を身に付けたいと思った。

濫読日記風 2018

2018-11-22

花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生、デイヴィッド・グラン著、読了、濫読日記風 2018、その25

花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生を読んだ。

これは凄い。あんまり期待をしないで読んだ分、いい意味で驚いた。

1920年代禁酒法時代アメリカ南部オクラホマ州。先住民オセージ族が「花殺しの月の頃」と呼ぶ5月のある夜に起きた2件の殺人。それは、オセージ族とその関係者20数人が、相次いで不審死を遂げる連続殺人事件の幕開けだった――。

アメリカ探偵作家クラブ賞(最優秀犯罪実話賞)受賞

これは凄い。ノンフィクションクライムノベル。事実小説より奇なり。米国1920年代先住民インディアン)が白人から迫害され移住させられていた時代の話。貧しい生活を余儀無くされるわけだが、移住先で油田が見つかり莫大な収入が入るようになって悲劇が始まる。インディアン連続殺人事件の影には白人の後見人がいて、遺産をかすめとることを目論む。FBI捜査官が命の危険を顧みず捜査をして犯人を追い詰める。そして事件解決したかに思えた。連続殺人事件はそれだけだったのか。著者は取材を重ねる。

特に後半の著者独自の捜査報道技術は驚異だ。犠牲者の孫世代が生き残っているので丹念に取材を重ねる。当時の新聞資料図書館で探して読む。

驚異的な取材力だ。図書館本

おすすめです。

濫読日記風 2018

2018-11-21

老人読書日記、新藤兼人著、読了、濫読日記風 2018、その24

老人読書日記 (岩波新書)を読んだ。

映画監督新藤兼人が88歳の時(2000年発行)に記した読書日記だ。妻を亡くして一人で生きる老人(身につまされるね)の生活

若き日の京都(1942年頃)、古書店とのほのぼのとしたやりとりとか印象的だった。西田幾太郎「善の研究」が青春の証だ。巨匠は何を糧に人格形成したのか。その片鱗を見る。自分古典に親しみたい。

盛岡から軽便鉄道で岩手山の麓の雫石へ行くのである

妻がよく言ったものだ。

軽便鉄道が走ると、小岩井牧場の子馬が汽車と一緒に走るの」(23ページ)

映画監督・シナリオライター・作家の目から様々な作品を読み解いていく。それはラスコーリニコフであり、荷風断腸亭日乗であり、漱石や子規などである作品の中に「私」を発見していく。

私とは何かを読み解く読書となる。

最近作品も紹介している。村上春樹訳「心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)」。凶悪犯の兄のことを四人兄弟の末弟が書いた。

どれもこれも新藤兼人解説が面白くてすぐにでも読みたくなる。既読のもの(例えば罪と罰)はこのような視点から読むのだなあという発見になるし、未読のものは、その作品の魅力を様々な角度で伝えてくれるので興味がわく。非常に効率的積読製造器になっている。やばいよ。気がついたら「心臓を貫かれて」を買っていた。



濫読日記風 2018

2018-11-20

MARCH 非暴力の闘い、ジョン・ルイス著、読了、濫読日記風 2018、その23

MARCH 1 非暴力の闘いを読んだ。

米国の1960年代の公民権運動を描いたマンガだ。今から50年ちょと前、米国南部の黒人には選挙権がなかった。それを非暴力でどうやって勝ち取ったかの物語だ。

主人公ジョン・ルイス、米国下院議員1961年米国南部の州間バスターミナルでの人種隔離に反対するフリーダム・ライドに参加。人種隔離法に反対したため、暴徒から暴行を受け、逮捕された。1963年から66年まで学生非暴力調整委員会(SNCC)の委員長となり、1963年8月23歳でワシントン大行進の立役者演説者となる。(著者についてより)

3部作で一気に読んだ。

米国の自由平等というのが「白人」にとっての自由平等で「黒人」には1960年代までそれがなかった。言葉として「人種隔離」というのは聞いたことがあったが実態は知らなかった。

若き日のキング牧師、ケネディ大統領、マルコムXなども登場する。ジョン・ルイスけが激動の時代を生き延びた。

南部の激しい差別に身の毛がよだつ。米国史とはなんだったのかという思いにはせた。キング牧師の『自由への大いなる歩み―非暴力で闘った黒人たち (岩波新書 青版)』も読んでみたいと思った。

MARCH三部作おすすめです。



濫読日記風 2018

2018-11-19

情報生産者になる、上野千鶴子著、読了、濫読日記風 2018、その22

情報生産者になる (ちくま新書)を読んだ。

研究指南である。問いの立て方からアウトプットまで一気通貫に解説している。

研究とは何か(32ページ)。上野はそのプロセスを、1)問いを立てる、2)先行研究検討する、3)対象を設定する、4)方法採用する、5)理論仮説を立てる、6)作業仮説を立てる、7)データ収集する、8)データ分析する、9)仮説を検証する、10)モデルを構築する、11)発見と意義を主張する、12)限界課題自覚する、としている。

それぞれのステップについて実例を交えて解説している。例えば文献報告のフォーマット(66ページ)、研究計画書(73ページ)を例示している。具体的、実践的だ。

情報生産者とはまだ見ぬコンテンツを世に送り出す人である。それを公共財にしたいと願う者たちである。そのためには自分自身が「今ここにないもの」を夢見る能力必要で、それが「問いを立てる」能力である。(371ページ)

研究者の卵としてその能力研鑽していきたいと強く思った。

濫読日記風 2018

2018-11-18

アメリカ紀行(岩波文庫)、チャールズ・ディケンズ著、読了、濫読日記風 2018、その21

アメリカ紀行〈上〉 (岩波文庫)アメリカ紀行〈下〉 (岩波文庫)を読んだ。

7月アメリカ旅行に行った時に持って行って列車で読んだ。上下二巻なので適度に長くて列車の旅には最適だった。

ニューヨークからサンフランシスコまで全米を鉄道で横断してみた - 未来のいつか/hyoshiokの日記

英国人の新進気鋭の作家ディケンズアメリカ紀行だ。1942年1月、29歳のディケンズは新興国アメリカボストンに降り立った。ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンなどなど旅をしていく。様々な経験をしつつ、米国での奴隷制度などへの嫌悪感をあらわにする。

ジョン・フォースターの解説付録として収録されている。

ディケンズ小説は一つも読んだことがないので読んでみたいと思った。文学入門のリストにはデイヴィド・コパフィールドが載っている。



濫読日記風 2018

2018-11-17

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明、伊神満著、読了、濫読日記風 2018、その20

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明を読んだ。

自分にとっての忘れられない一冊に「イノベーションのジレンマ (―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press))」がある。日本語訳が出てすぐ読んだ。2000年頃の話だ。

シリコンバレーあたりの経営者は皆読んでいる。(かどうかは統計を取ったわけでもないので実情は知らないが、破壊イノベーションの怖さを知らずにベンチャーをやっているとしたら、不勉強すぎるし、知っていたとしても自分組織がその罠にはまらないようにするのは至難の技である。日本では実感としてほとんど理解されていない。(個人的感想です))

インターネット時代ベスト書籍の一つだ。

ムーアの法則代表される変化が早すぎる時代パラダイムが一夜にして変わる時の怖さを豊富な事例で実証している。

現場人間としては、なるほどそういうことだったのかという腹落ちした理論である。実務家としてはそれ以上でもそれ以下でもなく、ではどうするかが今日問題になる。

日本の半導体ベンダーが圧倒的な競争力を持っていたのに、没落したのはなぜか。Intelは日本の半導体ベンダーに完膚無きまでやられたにも関わらず生き残ったばかりではなく、CPUで圧倒的な競争力を持つまで復活したのは何故なのか。

技術革新巨大企業を滅ぼすとき」というタイトルが付いている「イノベーションのジレンマ」は自分にとってのバイブルだ。

そのバイブル解説したのが「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明である

前置きが長いね>自分

本書は「イノベーションのジレンマ」を実証データを元に検証している。「イノベーションのジレンマ」ファンとしては読まざるを得ない。

FEDという読書会で読むというので参加せざるを得ない。

自分IT業界仕事をしていた実感を軸に本書をふむふむと言いながら読んだ。

本書は著者の博士論文をもとに一般向けにわかりやすく書いたらしい。自分にとって最も面白く参考になったのは、実のところ博士論文の骨子をわかりやすく一般向けに記した部分ではなく(それはそれで大変勉強になったのだけど)、著者と博士論文指導教員とやりとりだ。266ページから始まる、『君の「問い」は何だ?』という対話だ。

研究によって解くべき問題。それをリサーチクエスチョンと呼ぶが、その問いを立てることが研究にとって最も重要になる。自然科学だろうが、社会科学だろうが、経営学であろうが、全ての学問にとっての重要活動は「問い」を立てることだ。

その「問い」とは何か、どのように発見していくか。博士課程の学生教員対話から生み出す。そのようなプロセスを本書では面白おかしく記している。

自分にとっては10章の対話が本書の中で最も面白かった。

博士課程の学生がどのように博士論文を作っていくか、書いていくかの参考書としても興味ふかい一冊だった。


濫読日記風 2018

2018-11-16

EVと自動運転、鶴原吉郎著、読了、濫読日記風 2018、その19

年末に向けて、読了して日記感想を書いていなかった本をひたすら記すことにする。(日記の日付はテキトーなので忘備録として自分用にとっておく)

EVと自動運転――クルマをどう変えるか (岩波新書)を読んだ。

日本にとって自動車産業は残された希望輸出産業になっている。かつては家電世界を制覇していたのだけど、いつの間にかに壊滅的な状況になって、日本の製造業は自動車産業によってかろうじて生き残っているような形だ。(クルマが外貨稼ぎの中心に34ページ)

その自動車産業も100年に一度ともゆうべき変化に直面している。EV自動運転だ。そして自動車産業には大きな弱点がある。

それは、「品質のいい車を競争力のある価格販売する」という自動車ビジネスモデルが、自動車産業誕生以来100年以上変わっていないということだ。自動車メーカーはこれまでビジネスモデルの転換を一度も体験したことがなく、その組織既存ビジネス向けに最適かされているため、新しいビジネスを生み出すことにはあまりにも硬直化している。38ページ

なるほど。日本の製造業の強み、それに徹底的にチューニングされたビジネスモデル組織構造は、新しいパラダイム情報かと言ってもいいし、産業ソフトウェア化と言ってもいいし、あるいは流行りの言葉で言えばデジタルトランスフォーメーションに対応できていない。

ソフトウェア産業ではApplePCベンダーからいつの間にかにクラウドスマホベンダーにピボットしている。ソフトウェア産業ジャイアントMicrosoftライセンスビジネスからモバイルファーストクラウドビジネスへピボット(転身)している。

ソフトウェア産業では10年に一度くらいのパラダイムの転換があり、そのたびに勝者が変わっている。かつてはIBMであり、PC時代にはMicrosoftIntelであり、インターネット時代にはGAFAと呼ばれるGoogle/Apple/Facebook/Amazonらにピボットした。

フィルム時代王者コダックデジタル時代の今存在しない。富士フイルムは生き残った。

変化が早すぎる時代には栄枯盛衰が早い。

イノベーションのジレンマで知られるある分野でのトップ企業がはるかに規模が小さい新興企業破壊される状況であるIT業界では、広く知られていて、滅ぼされる側の企業で働いていた人も多いので(自分もそうだ。DECという滅ぼされる側にいた)、実感としてその怖さを経験理解している。

自動運転によって何ができるかを書かれた書籍は多い。本書はそれだけではなくそ技術がどのように産業の変化を促しているかを記している。自分にとっての本書の気づきは、自動車産業が初めてのビジネスモデルの転換を必要としているということだ。

トヨタは生き残るのだろうか。そんな感想を持った。

濫読日記風 2018

2018-11-15

2018年度OSS貢献者賞を受賞しました

北東アジアOSS推進フォーラム11月14日〜16日、横浜)で、2018年OSS貢献者賞を受賞した。ありがとうございました。 *1

http://www.ossforum.jp/2018Yokohama

f:id:hyoshiok:20181128133415p:image

今回の受賞は「カーネル読書会」の活動などを評価していただいたもので、自分としてはちょっと昔の話なので、光栄ではあるが、若干申し訳ないような(?)感想を持った。*2

カーネル読書会は、ほんの思いつきで始めたLinuxカーネル勉強会のようなもので、1999年4月第一回を開催して、やってみたら思いの外、楽しくて、多くの人に参加いただいたこともあって、10年以上不定期に開催できた。近年、自分モチベーションも下がってきて、勉強会栄枯盛衰を一人で演じている感じもなくはないが、多くの貴重な経験を積むことができた。

過去資料など http://www.ylug.org/modules/pukiwiki/?reading

カーネル読書会をやってみて強く感じたことは、linuxのようなOSS (Open Source Software)と市井草の根読書会勉強会)と言うのは非常に相性が良く、運営コストもそれほど高くないので、コア主宰者が元気であれば、永続性がある。一方で、運営が一人に集中すると主宰者がボトルネックになって自然消滅する。良くも悪くも主宰者のカラーに染まる。

IT系勉強会2000年代中頃から活性化して、コミュニティ形成するようになり、その過程運営者の運営ノウハウも徐々に流通するようになってきた(勉強会勉強会など)。

勉強会の開催パターンなどは十分言語化されていないので、同じような失敗や苦労が繰り返されているようにも思える。先人の経験口伝によって緩やかに継承されていくが、他のコミュニティへの伝播スピードは早くはない。

今だにビアバッシュのパターンなどが引用されているが、最近の人々はそもそもビールを飲まないのでビールの人数比なども微調整が必要である

カーネル読書会100回記念にはLinusも参加してくれて自分としては非常に思い出深い。*3

カーネル読書会を続けられたのも(最近サボり気味で申し訳ないが)、YLUG(横浜Linux Users Group)の有志の皆様のおかげで、YLUGメンバーがいたからこそである。記して御礼とさせていただきたい。

技術的に、そこそこ尖った話題からちょっとしたTipsまで、幅広い話題提供できたのも、参加者と発表者がいたからである

自分にとっては全く予想外の数々の宝物をいただいた。

コミュニティによる価値創造」という文字にすると陳腐だがリアル体験として経験できたことは僥倖である

カーネル読書会によって得た宝物をコミュニティに恩返しをするためにこれから活動をしていきたいと思った。

2018-11-10

未経験プログラマがコボルコンパイラを作った話をした #compiler_study

コンパイラ勉強会というちょっと心をそそる勉強会があったので参加した。勉強会っぽい勉強会(ってどんなだよ)に参加するのは久々だったので、つい出来心LTでもしようかと思った。LTすれば定員オーバーでも参加できるだろうという下心があった。

https://connpass.com/event/103976/

LTのつもりでいたら、お時間30分も頂いてしまった。困った。モダンコンパイラのことで話すネタを持っていない。こーゆー時はLLVMのことなどをさらっと話せるようになりたい。

そこで温故知新、昔話でお茶を濁すことにした。ごめんなさい。「愚者経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とかなんとか。*1

新卒で入社したDECでの最初プロジェクト日本語COBOLの開発だった。その話をネタにした。

若い人はCOBOLという言語の出で立ちなどは知らないだろうから、昔話としてはちょうどいいと思った。COBOL仕様フリーだということを恐らく参加者は知らない。COBOL仕様書の謝辞の日本語訳最初に紹介した。*2

経験プログラマ自分のことだ)が入社した頃(1980年代中頃)の実際使用していたマシンの性能は0.3MIPSだ。ムーアの法則によって、30年間で性能は100万倍くらい向上した。その当時、自分ムーアの法則という言葉すら知らなかったけど、計算機は速くなって、安くなって、小さくなった。

経験開発者ソフトウェア開発のイロハを知らない。ソフトウェア開発をコーディングすることだと思っている。テストもしなければ、コード管理システムチェックインもしない。そもそもコード管理システムバージョン管理システム、今で言うところのgitみたいなもの)があるということも知らなければ、それを利用しないといけないという意義も知らない。コードを追加したり変更したらテストをしてコード管理システムチェックインする。そーゆーことを知らない。

コードを書くことは開発プロセスのごく一部でしかない。

それよりも重要なことは開発環境を作って安定化することだ。ビルド環境を構築し、テスト環境を作る。毎日コードビルドして毎日テストする。CI(Continuous integration 継続的インテグレーション)という言葉がない時代からCIのようなことを毎日行なっていた。

リグレッションテストを持つことによって、後方互換性を担保する。互換性を破壊するような変更は即座に発見される。コンパイラの開発だけではなく、OSの開発でも、ハードウェアの開発でもリグレッションテストは日々利用される。OSチームはOS機能リグレッションテストだけではなく、コンパイラや他の製品リグレッションテストを実行することによって、OSの変更が他の製品に影響を与えていないか確認する。ハードウェア開発チームですら、OSコンパイラなどのリグレッションテストを利用して互換性に影響を与えていないか確認する。

開発プロセスの中にバグ分析も組み込まれている。我々は自分が作った製品バグについてあまりにも無知だ。どのようにバグを作り込んでいるか無頓着であるテストはそのバグ発見してくれる。そして学ぶ機会を提供する。我々はバグから学ぶスキルもっと身につけなければいけない。

このようなプログラマとしての discipline を開発の中で学んでいく。身につけていく。コードを書いたらテストをする。バグを見つけたら記録して分析する。

30数年の経験で、変わったこと変わらなかったことがある。

計算機コストが劇的に変化した。安くなったし、速くなった。

インターネットの登場で地球規模の開発が可能になった。地球の裏側の人と協同してプログラムを作ることが特別でもなんでもなくなった。

OSSが当たり前になった。OSSライセンスが当たり前になった。コミュニティでの開発が当たり前になった。バザールモデルが広く知られるようになった。30数年前はそれが当たり前ではなかった。

もちろん、上記以外にもスマホが登場して世の中が変わった。

一方で変わらないこともいっぱいある。

ムーアの法則は何度も何度も終わったと言われたが、結局最初提唱されてから50年以上現役でIT産業を牽引している。

プログラマの discipline も変わっていない。コードを書いたらテストをする。バグから学ぶ。他人経験から学ぶ。そのようなイロハを私は最初プロジェクトで学んだ。

プログラミング言語モデルプログラミング環境もほとんど変わっていない。

LTありがちな最初スライド自己紹介はしなかった。蛇足として最後自己紹介をした。満60歳で定年退職をして大学院生になった話をした。

このおじさんは一体何者なんだ、モダンコンパイラ勉強会でなんで今更コボルコンパイラの話をしているんだという疑問へのネタバレである

変わったこと変わらないこと、経験したこと、学んだことなどをお話しさせていただいた。

発表の機会をいただいたフィックスターズの川井さんありがとうございました。楽しかったです。

Be a Hacker. Make the world better.


おまけ

自分日記へのエントリを貼っておく。

*1ビスマルク言葉らしい。wikiquoteによれば、正確には「愚者けが自分経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるために、他人経験から学ぶのを好む。ということらしい。自分理解微妙に間違っていたことを学ぶ。勉強会はまさに他人経験から学ぶことに他ならないから、一周遅れで正解にたどり着いた感じだ。 https://ja.wikiquote.org/wiki/オットー・フォン・ビスマルク

*2https://www.ibm.com/support/knowledgecenter/ja/SS6SG3_6.1.0/com.ibm.cobol61.ent.doc/PGandLR/rlpreack.html

2018-11-05

知的生産の技術、梅棹忠夫著、読了、濫読日記風 2018、その18

知的生産の技術 (岩波新書)を読んだ。

大昔に読んだのだが、妙に記憶に残っている部分もあった。

約50年前(PCインターネットもない時代だ)の知的生産技術なので、現代にそぐわない点もあるが「学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない」という問題設定はいまだに有効な気がする。

この50年で「知的生産」に関わる人口も増えた。かつては教員専門職など限られた人たちだけだったが、今や、会社員はほぼ皆なんらかの形で「知的生産」に関わっていると言っても過言ではない。

仕事文書を書く必要のある人はほぼ全て「知的生産」をしている。

本書で扱うことは広い意味での勉強であり情報生産である

その基本的ツールとして、B6サイズカードを紹介しているが、流石にカードを利用した情報の整理というのは流行らないだろう。ただ、手帳の使い方や、ノートカードの使い方などは参考にはなる。情報規格化するというのは検索可能性(情報再利用性)をますので重要である

読書について、創造読書の項で、「読書においてだいじなのは、著者の思想を正確に理解するとともに、それによって自分思想を開発し、育成することなのだ」(127ページ)としている。著者とはまったくべつの、「あらぬこと」を考えんながらよむ(126ページ)というのはまったくその通りだなあと思った。

7章で「ペンからタイプライターへ」は日本語とかな文字タイプライターなどについての記述があるが、PC時代になって、陳腐化した記述である。たった10数年で日本語入力手書きからPCを利用したものになった(1960年代後半から1980年代前半)。

9章で「日記」について記している。ブログ時代になって、個人の記録を電子的に残せるようになった。自分という他人との文通として日記形式で記録を残しておくことは価値がある。経験の記録をどのように記すかということはもう少し議論されてもいい。科学者実験ログを残す。それと同様なことを、記憶せずに記録する。(189ページ)

技術の開発の発展のためには、成果よりも、それに至るまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである」(193ページ)

10章「原稿」、11章「文章」が紹介されている。この章は、のちに理科系の作文技術 (中公新書 (624))木下是雄著、という名著によって補完される。

本書はPCインターネットもない時代に書かれた、ある意味アナログ時代知的生産技術古典的名著だ。ハウツー物の知識を述べるのではなく、基礎となる考えを述べた物なのでいまだに読むたびに発見がある。陳腐化していない。

若い人にオススメしたい。

濫読日記風 2018

2018-11-02

禅と日本文化、鈴木大拙著、読了、濫読日記風 2018、その17

岩波書店広報誌「図書」の臨時増刊「はじめての新書」(岩波新書創刊80年記念)は各界の著名人自分にとっての「はじめての新書」を薦めている。そのリストを眺めるだけで楽しいし、こんな人がこんな新書を薦めているということを読むだけでも興味深い。自分が読んだことがある新書の薦め方というのも自分とは違った観点から本を薦めるという点からも興味深い。

若手気鋭の研究者落合陽一さん(メディアアーティスト)のオススメ禅と日本文化 (岩波新書)を読んだ。

本書は鈴木大拙が英米で行った講演をもとにして英文で著されたものである1940年翻訳刊行いらい今日まで読みつがれている古典的名著である

今回はじめて大拙の著を読んでみたのだが、自分は禅も詫び(わび)も寂(さび)も全くもって知らぬ門外漢で、その意味日本文化について全く前提知識を持たない欧米人という想定読者に近いものだと言える。

のっけから剣道の達人が弟子に武道を教えるというエピソードが出て来てのけぞるのだが、(こんな漫画みたいなことは流石にありえないだろうとツッコミを入れながら読んだのだけど)、『禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)というのである』(7ページ)という記述にドキッとする。

禅は身をもって体験するという身体性を何よりも重視する。ここに言語化できぬものには価値がないという立場と鋭く対立する何かを見出す。理論化というものは「野球をやるときや、工場を建てるときや、各種工業製品製造するときなどには、結構なことであるかもしれぬが、人間の魂の直接の表現である芸術品を創ったり、そういう技術熟達したりする場合、また正しく生きる術をえんとする場合には、そういう訳にはゆかぬ」(7ページ)

禅は体験的であり、科学は非体験であるという。

言葉は禅の妨げとなる。言葉代表するものであって、実体そのものでない、実体こそ、禅において最も高く評価されるものなのである。(8ページ)

大拙は、禅の予備知識からはじめて、禅と美術、禅と武士、禅と剣道、禅と儒教、禅と茶道、禅と俳句を論じている。

正直言って大拙の主張を十分理解できたかとは言い難い。自分にはまだ十分な読解力(リテラシー)がない。大拙の別の著作茶の本などを読んでみたいと思った。お薦めです。

濫読日記風 2018

2018-11-01

自動車の社会的費用(岩波新書)、宇沢弘文著、濫読日記風 2018、その16

20世紀大量生産、大量消費の世紀だったことを私たちは知っている。自動車がそのシンボルである

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)を読んだ。

自動車の普及ほど、戦後日本の高度経済成長の特徴を端的に表しているものはないであろう。(2ページ)

本書は1974年に発行された古典的名著だ。いまなをその輝きを失ってはいない。

自分自動車利便性否定するものではない。自分意思でいつでも自由に何処へでも移動できる。その利便性を得るために自動車を所有することは各自自由である。ことさら取り立てて議論するつもりもない。

その一方で自動車によって引き起こされる様々な問題についても知っている。自動車による事故、環境破壊など直接的なものから道路建設にまつわる様々な問題が発生することも理解している。

本書は1974年という段階で自動車の社会的費用という概念提唱した画期的ものとなっている。

自動車の利用においては利用者一見直接的な費用負担しているように見えるが、道路交通網の建設費用など各種社会インフラの費用、事故による経済的損失、環境破壊など外部不経済が発生している。このうち発生者が負担していない部分を何らかの方法で計測して、集計した額を社会的費用と呼んでいる。(80ページ)

本書では新古典派理論が社会的費用問題を扱ってこなかったことを批判している。(102ページ)

社会的共通資本として、大気河川、土壌などの自然資本と、道路、橋、港湾など、社会資本と呼ばれているものがある。社会的共通資本として、自然資本や社会資本に入れることのできない、制度資本というべきもの存在する。司法・行政制度、管理通貨制度、金融制度などである。(124ページ)

新古典派は社会的共通資本の果たす役割について整合的に分析するフレームワークを用意していない(125ページ)

自分は社会的費用や社会的共通資本について十分知識を持っていなかったのでそれを考えるきっかけになった。

宇沢弘文の他の著作も読んでみたいと思った。



濫読日記風 2018

2018-10-30

おてつたびでお手伝い

「おてつたび」というサービスがある。学生とお手伝いを必要とする地域とを結ぶマッチングサービスだ。若い人が少なくて困っている地域に学生をお手伝いする人として送り込む。その地域までの交通費とお手伝い中の食事宿泊費用はお手伝いをされる方が負担する。学生は行ったことがない地域へ行けるし、地域の人は若いお手伝いをしてくれる人を得られて、双方一両得だ。

https://otetsutabi.com

楽天社会起業家支援するプログラム楽天ソーシャルアクセラレーターに採択されたプロジェクトの一つだ。*1 *2 *3

縁あって「おてつたび」をお手伝いしている。

楽天ソーシャルアクセラレーターは楽天社員自主的運営実施されていて、活動しているメンバーは本業とは別にボランティアとして行っている。

私も楽天時代にそれに参加して、定年退職後もボランティアとしてお手伝いをしている。

地域の課題として後継者不足、労働人口の減少など、様々なものがあるが、その土地にゆかりのない学生が行くことによって、その地域のことをもっと知るきっかけになる。最初ちょっとしたお手伝いだとしても、実際に体験してみて、様々な気づきをえる。それが価値である

地域の人も日頃接する機会の少ない若い学生と接することによって地域の価値を再発見したり、思いもよらない解決策を若い人たちから貰ったりする。

自分楽天時代に縁のあった飛騨市の皆さん(市役所や観光協会の皆さんや楽天社員)とおてつたび代表の永岡さんをご紹介したきっかけでおてつたびをお手伝いしている。

主語ちょっと大きくすると、日本においては人口減少、少子高齢化、地方の過疎問題など複合的な難しい問題が山積している。

このプロジェクト東京生まれの東京育ち自分にはなかなか自分ごととして考えることができなかった様々な問題を考えるきっかけなった。地方に帰りたくても仕事がない、一方で地方には豊かな自然と、子育てには素晴らしい環境がある。東京の激烈な満員電車による通勤地獄はない。子供を育てようにも保育園すらままならないという問題もない。

大都市と地方。それぞれにいい点もあれば悪い点もある。

地方のことをじっくり知る機会としての「おてつたび」は、どちらに住む人たちにとってもメリットがある。単なる旅行でもなければ、リゾートバイトでもない。地方の人たちにとっても、自分の地域の魅力をアピールするチャンスでもある。

政治や行政によってちょっとこぼれてしまったところをちょっとした創意工夫ですくうサービスになっている。

双方にとってハッピー出会いの場としての「おてつたび」を微力ながらお手伝いして行きたいと思う。

2018-10-22

#東京大学生物語 その1

9月末に60歳定年退職して、東京大学大学院情報理工学研究科電子情報学専攻博士課程に入学した。*1

9月末より現役の東京大学である博士課程の大学生がどんな生活をしているのか、日記を認めることにどのような意味があるのかという疑問を持たなくもないが、定年退職後のおじさん学生日記も多くないので自分経験がだれかの役に立つかもしれないと思い記すことにする。

授業のことな

9/21に入学式があって、その次の週から授業だが、自分が履修する授業は、10/1の週から開始だった。

輪講(必修)が金曜日午前中にあるので、9/28にいそいそと学校に行ったら、次週から開始ということで、いきなり空振りになってしまった。

図書館時間を潰していたら、研究室修士1年生のSさんが声をかけてくれたので、二人で生協食堂で昼飯を食いに行った。初ランチである。(緩募ランチ友達

その足で会社に行って最終出社日の各種手続きをバタバタとして、満足なご挨拶もできず、失礼しました。

授業の休講の告知などは事務室掲示板に貼られるので、学校に行って確認しないといけない。ネット情報はあることはあるのだけど基本は掲示板とのことである学内掲示板には様々なイベントのポスターなどが貼ってあって、告知の手段としてのポスターというのが未だに健在というのが面白い*2

月曜日に4コマ固めて履修した。1コマ105分で13回授業がある。昔は1コマ90分で13回だったのが、文科省の指導で15回になり、その後、15回だといろいろと大変なので、105分を13回になったらしい。*3

ちなみに月曜日に履修する授業のタイトルは、情報視覚化コンピュータシステム計算言語学、並列プログラミングである。流石に4コマ取るとお腹いっぱいになる。6限目の授業は履修していないが、社会人でも会社帰りに取れそうな時間帯だ。

授業は修士課程博士課程共通だ。分野の話題を体系的に学べる。当たり前の話なのだけど、ウェブにある玉石混合の断片的な情報自分で取捨選択するのとは違って専門家によるレビューを経た良質のコンテンツを一気に学べるので極めて効率が良い。密度も高い。

その分野に明るくない場合ウェブにある情報の質を評価するのことは難しい。自学自習限界点はどうしてもそこにある。大学教育場合は、その質が担保されていて、最新の動向にも触れられて効率もいいし、疑問点は質問もできる。

自分の娘が大学に入って親として授業料を払うときは、授業料高くて大変だなーと感じたものだが、自分意志大学院に入って、自前で授業料を払う立場になると、大学院教育費というのは大変お得だなあと思う。例えば、今期は講義が4コマ、輪講が1コマを履修しているので、半期で(4+1)x13=65コマ分の講義を受けることになる。博士課程の授業料は年間520,800円(半期で260,400円)だ。1コマあたり、260,400/65=4006円。*4

もちろん、授業料だけで大学院で学ぶ価値評価するのは愚の骨頂であるが、学びたい意欲を持っている人にとっては、それが大きな障壁になるとは言えない。むしろ社会人にとっての障壁は、学ぶ時間の確保などになる。

幾つ授業を取っても授業料は固定なので、取れば取るほどお得だ。取りすぎて研究がおろそかにならないように注意しないといけないけれど(てへ

どの授業を履修するかはもちろん学生自由である

履修届けはウェブで行う。

本郷の学生生活

自分は学部、修士とも慶應だったので、本郷も駒場も全然土地勘がない。食堂も図書館教室生協書籍部もどこに何があるかよくわからない。

新入生向けの小冊子「本郷の学生生活」をもらった、

図書館部局

「本郷の学生生活」の1ページ目に知っておきたい東大用語というのがある。それによると学部・研究科等を総称して「部局」と言うことが書いてある。(10学部、13研究科、2研究部・教育部、11付属設置研究所

東大では部局ごとに「学務課」、「教務課」などがあるとのことである。そして図書館なども部局ごとにあるだ。

https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/contents/guide

本郷・弥生には総合図書館から各学部・研究所法学医学工学情報理工学、人文社会系・文学部理学経済学教育学部薬学情報学環学際情報学府東洋文化研究所、社会科学研究所史料編纂所総合研究博物館農学生命科学地震研究所所属図書館がある。

図書館組織の縦割りになっていると言うのも新鮮な驚きだった。

蔵書検索などは横串でできるのであるが、物理的な位置は離れている。

そして、図書館ごとに、開館時間や、入館手続き微妙に異なるのである東大内でも他の部局だと閲覧手続き、館外貸出の条件が異なる。学外者と学内者の利用手続きが異なると言うのは良くあると思うのだが、まさか部局によっても違うと言うのがびっくりであった。

工学情報理工学図書館だけでも下記にある通り本郷に10ヶ所図書室がある!

https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/contents/guide/eng_libraries

それぞれ特定の専攻を担当していると言うのはわかるのだけど、利用者からするとちょっとやりすぎのような気がする。歴史的経緯があると思うので、東大関係者はおそらく当たり前など感じているのではないか想像するけど、ちょっと不便だなあと感じた。

自分図書館が大好きなので、早速工学部2号館の図書館図書室)や総合図書館に行って見た。棚を眺めるだけで癒される。端から端まで歩いて見たい。図書館巡りだけでも、東大に入ってよかったと思う。

図書館にはWifiと電源があるので、パソコンを使って論文検索などが縦横無尽にできる。

自分学生だった頃(30数年前)との大きな違いは、論文検索が(インターネットによって)電子化されたと言うことだ。特に情報理工学系の論文はほぼ電子化されているので、サーベイ方法がガラッと変わった。昔は図書館論文誌を探して、それを物理的にコピーすると言うことを延々とやっていたわけであるが、それが電子化されたので、クリックしてダウンロードするだけである網羅的なサーベイの手間暇が劇的に削減された。

各種検索ツールがあるので、その操作に慣れたいと思った。

生協

出資金(16,000円)を払って会員になった。出資金は退会時に返還される。生協食堂も書籍も会員割引になる。お得だ。書籍は通常10%割引である出版社によってはフェアでさらに割引率が高い場合もある。

本郷の生協書籍部の品揃えはいい感じである教科書はもちろんなのであるが、東大生が読まなければいけない参考書のたぐいが充実している。自分の専門外の例えば、人文系、経済系、法学系などの棚を眺めているだけで知的興奮を味わえる。これを読めと言うスゴ本だらけの書棚になっている。

会社員学生の違い

10月から学生になって日々学んでいる。せいぜい3週間程度の学生生活で何事かを言うのははばかられるのだが、あえて会社員学生の違いについて述べてみる。

会社員学生の大きな違いは「自由である学生には自分時間自分裁量で使う自由がある。

勉強するのも研究するのも遊ぶのも自由である。しがらみはない。

会社員だとそうはいかない。会社には上司がいて同僚がいて部下がいる。自分裁量はほとんどない。どんなに働き方改革だなんだと行っても会社員である以上、働かない自由はない。会社の指揮命令系統のもとに仕事をする。自己裁量権はほとんどない。その意味会社員自由はほとんどない。

当たり前すぎて嫌になるくらい当たり前の話なのであるが、学生になって改めて感じた。最初学生の時には、自由についてはそのようなことをほとんど感じなかったが、会社員を経て学生になると強く感じる。

研究のこととか、なぜ博士課程に進学したのかとかについてはおいおい記していきたいと思う。

悩み。緩募友達

学部から進学したわけでもないし、9月入学なので知り合いがほとんどいない。学食で一人でカレーを食うのも味気ない。友達が欲しいので緩募

*1http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20180930/p1

*2大学院合格発表掲示板だった。9月3日合格発表だったので、電気事務室に行ったところ、それらしき掲示がないので事務室で聞いたら、ここの掲示板ではなくて8号館の掲示板に発表されていると教えてもらったのだけど、そもそも8号館というのがどこだかわからない。事務の人に8号館の場所を教えてもらって、いそいそと合格発表を見に行った。

*3:1時限目が8:30-10:15、以下、10:25-12:10, 13:00-14:45, 14:55-16:40, 16:50-18:35, 18:45-20:30

*4https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/admissions/tuition-fees/e03.html

2018-09-30

9月末で60歳定年退職しました

当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分プログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。

9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。

1984年大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカー就職するのがほとんどで、大手家電メーカー自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。

その中で、日本ディジタルイクイップメント(DEC)研究開発センタという外資系知名度のない小さい企業に新卒で入るというのは異例といえば異例かもしれない。本人はそんなことは全然思っていなかったのだが、世間ではそのようなことを思っていたかもしれない。実際、両親はDECのことを知らなかった。*1

DECでは日本語版COBOLプリプロセッサを作るのが最初仕事だった。実用的なプログラムを作ったことがない新卒プログラマにとってはちょうど良いサイズプロジェクトだったと、いまだからこそ思う。

言語プロセッサを作るということは、言語仕様は明確に決まっているので、典型的ウォータフォールモデルになる。仕様が与えられ、それに基づいて設計し、実装する。実装するというのはコードを1行1行書くという地味な作業なのだが、新卒頭でっかちプログラマは、もっとカッコいい仕事があるに違いないと思い違いをしている。第二次人工知能ブームなので、そんなところで仕事があるといいなあと思っているんのだが、もちろんない。

最初にやったことは見よう見まねでコマンドスクリプトを駆使してビルド環境を作ることだった。生まれて初めてmakefileを書いた。makefileというのは、どのようにプログラムコンパイルしてビルドをするかというルールを記したファイルなんだけれど、知っている人には冗長な記述だし、知らない人には、これでは説明にならない。

夜中の0時に、そのスクリプトが動き出すようなスクリプトを書いて、毎日夜中の0時からビルドプロセスが動くようにした。そのビルドプロセスは、当日変更のあったファイルを取り出してコンパイルするだけではなくて、ビルドしたのちに、テストツールを起動して、全テストを流すというものだった。

今でこそ、CI (Continuous Integration)すなわち継続的インテグレーションという名前で知られている、毎日毎日変更のあった部分をビルドテストをするというプロセスだ。当時は夜中のビルドあるいはデイリービルドと呼んでいた。

夜中のビルドで、毎日毎日全てのテストを流す。プログラムの変更によって時としてテスト不具合を見つけることもある。既存テスト場合、前日までOKだったのが、その日NGになった場合、当日行った変更が何らかの原因である場合が多い。今まで顕在化していなかったバグがその変更で顕在化する場合もあるし、純粋に新しいバグを埋め込んだということもある。

あるいは新規のテストを追加した場合、元のプログラムに変更がなかったとしても、そのプログラムに含まれていた不都合を新たに発見することもある。

さらには、まだ実装されていない部分のテストを書いている場合はNGが出るのだけど、実装がテストを追い越してしま場合もある。

TDD(Test Driven Development)などという言葉がない時代のソフトウェア開発でも同様なことは行われていたのである

ソフトウェア開発を機械力を使って加速する。ソフトウェア開発チームにはプロプログラマーしかいない。プログラマは、プログラムを書くだけでなく開発環境の整備やテストプログラムも書く。

このCI環境での開発は言語プロセッサ開発でもデータベース管理システムの開発でもOSの開発でもそのプロセスは一緒だ。

DEC時代に学んだこと

ソフトウェア開発のイロハを学んだ。プログラムを書いたらコード管理システムチェックインする。そしてテストを書きテストをする。当たり前のことを当たり前にする。それの大切さを学んだ。

バグ発見したら、それを記録した。その記録が貴重な学びの場になった。どうやってバグ発見したかを記録する。テスト発見したり、たまたま発見したり、製品場合顧客発見する場合もある。そのバグの原因は何かを記録する。いつバグを埋め込んだか。どのように修正したかを記録する。

自分たちが作っているソフトウェアなのに、自分たちがどのようにバグを作り込んでいるか、驚くほど知らないことに唖然とする。どのようにバグ発見しているかの知見も乏しい。

バグデータベースを作るだけでも学びの速度は加速する。最近ソフトウェア開発プロジェクトでは忘れられたプラクティスかもしれない。自ら学びの場を放棄しているようで勿体無いと思うが、実際はどうなのだろうか(実はよく知らない)

Gitのようなコード管理システムjenkinsのようなCI環境などがDECの開発現場にあった。

ソフトウェアの国際化

外資系コンピュータベンダにいると日本語版の開発というのは避けて通れない。本社で作られたソフトウェアが日本のことどころか、英語前提ガチガチで作られていたりして、米国以外では使うこともままならなかったりする。

ASCII7ビット前提とした作りになっていて、当時のUnixもひどかったし、C言語もひどかった。各国向けにソフトウェアを作り変えることをローカライズするとか言っていた。それをより一般化して、ソフトウェアの国際化という概念にしていくのが、1980年代から90年代である

当時はUnicodeなどというものもなくて、AppleXeroxの人たちが中心となって、1988年ごろにUnicodeの原型となるものが提案されたが、それはどう考えても使い物になるものではなく、各社のエンジニア達が様々な議論を経て、ISO 10646という形にまとめていく。

他社のエンジニア達と腹を割って議論するという経験文字コードソフトウェアの国際化を通じて行えたのは僥倖だった。

Oracle

DECはコンピュータ業界を支配していたIBMに対する破壊イノベーターでだった。70年代から80年代にかけてIBMのローエンド市場をPDP-11ないしVAX 11という16ビットないし32ビットコンピュータで徹底的に破壊していった。アメリカコンピュータサイエンスの先端にはDECのコンピュータがあった。

IBMへ果敢に挑戦しているもう一つのグループが日本のコンピュータベンダー、日立や富士通だった。彼らはIBMメインフレーム互換マシンを製造していた。80年代のことだ。

IBMのようにハードウェア、OS、ミドルウェアアプリケーションなど全てを一社で提供するベンダーを垂直統合型ベンダーという。時代は80年代に大きく変わった。PCの登場だ。

PCハードウェア、OS、ミドルウェアアプリケーション、それぞれを提供するトップベンダーが登場した。それがIntelであり、Microsoftであり、Oracleなどである

垂直統合型から水平分散型へビジネスモデルが大きく転換していったのだ。

自分はDECという垂直統合型の最後コンピュータベンダにいた。IBMを破壊的イノベータとして破壊する立場の会社にいたのだが、自分の所属している会社がその波に飲み込まれるとは理解していなかった。

PCはおもちゃだと思っていた。Unix WorkstationはスケーラビリティーがないのでVAXの敵ではないと思っていた。OracleはDEC Rdbほどの性能もなければ機能もない、DEC Rdbは世界で1番のRDBMSだと思っていた。

そして、そのどれも間違いだったと90年代に気がつく。気がついたときにはDECの経営が傾いていた。

イノベーションのジレンマ (―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき (Harvard business school press))」という教科書に載っている通りである

優秀な経営者合理的経営をすればするほど隘路にハマって行く。そして一度その隘路にはまり込んでしまうと二度とそこからは抜け出せない。イノベータージレンマである

プログラマとしてDECで十分経験も積んだ。ソフトウェア国際化についての知見も少なからずある。文字コードについてもJIS(日本工業規格)の標準化委員会にも参加していた。SQL 92標準のレビューもしていた。

日本DECの希望退職制度(二度目)に応募したのが1994年である。36歳だ。

そして自分おもちゃだと思っていた西海岸で急成長するソフトウェア企業に転職した。東海岸の大企業とはまるっきり違う文化とノリを持っていた。

Oracleである

機会を得て、米国本社に行くことになった。 1995年6月であるOracle 8の開発チームに所属してOracleの開発を行った。

朝会社に行ってコーヒーを飲む、メールを読む、コードを書く、テストを書く、時にはスペックを書き、マニュアルを書く。時々バグDBを眺めて自分アサインされているバグを直す。サポートからの問い合わせに答える、バグ報告の多くはバグではないことを知る。マニュアルを読めと言う。マニュアルバグを見つける、マニュアルを読む、金曜日には会社でビールを飲む、ワインを飲む、自宅で肉を焼く、魚を焼く、ビールを飲む、ワインを飲む、日記を書く。

コードを書くのが仕事だ。

今でこそ35歳プログラマ定年説などと言う馬鹿なことを言う人が少なくなったが(いまでもそんなたわごとを言う人がいることを知っている)、当時は30過ぎてプログラムを書いているのなんか頭がおかしいと言う風潮が日本にはあった、

いらないお世話である

転職は35歳までだと言うわけのわからないことをいう風潮もあった。

余計なお世話である

自分転職したのは36歳だし、Oracle 8のコードゴリゴリ書いていたのは37歳をすぎてからである。年齢は関係ない。野茂が大リーグに挑戦したのは1995年だ。自分が単身シリコンバレーに行った年だ。

Windows 95が発売され、Netscapeが破竹の勢いの時代である

インターネットが広く知られるようになった年でもある。

Open Source Software

1998年1月にDECはCompaqに売却され、会社として幕を閉じた。イノベータジレンマの典型例として、一時期の覇者のあっけない幕切れであった。

そして、1998年1月、Netscapeはそのブラウザーコードを無償で公開すると言う発表をした。それがのちにOSSとして知られる事件だ。

商用ソフトウェアソースコードを無償で公開すると言う暴挙に(暴挙としか思えなかった)Netscapeはでた。会社としてもはやNetscape存在しないが、OSSのムーブメントソフトウェア開発を大きく変えた。

インターネットを前提とした世界規模のソフトウェア開発方法論、それをバザールモデルエリックレイモンだは名付けたのだが、を実証して見せた。LinuxRubyのようなOSSが世界を席巻する。世界を変えた。

カーネル読書会

99年に日本に戻ってきて、日本オラクルでサポート部隊に入って地味に仕事をしている一方でカーネル読書会という奇妙な勉強会のようなものを始めた。

狭義にはLinuxカーネル勉強会なのだが、話題はLinuxだけではなくてOSSやテクノロジー一般のコアな勉強会という位置付けだった。

OSSの場合ソースコードがあるので、実装レベルの細かい話を突っ込んで議論できる。大きな話からミクロな話まで自由にできるというのが心地よい。

ビールを飲みながらコアな話をするというノリの勉強会になった。毎月1回くらいのペースで開催して、第100回にはLinux創始者Linusも参加してくれた。

Miracle Linux

そんなこんなでLinuxやOSSで遊んでいたら日本オラクルやんちゃな人たちがLinuxビジネスをしようという話になって、気がつくと巻き込まれていた。自分としては青天の霹靂祭り上げられた感じである

2000年6月に日本オラクル出資してもらい、Miracle Linuxを立ち上げ取締役CTOになった。正直に言えば、経営経験のない技術系の人間がCTOなど務まるわけはないのだけど、それ以上に技術がわかるというかOSSがわかる人がいなくて消去法で自分がその役になったという感じである。41歳でベンチャー創業だ。

時代の流れはOSSだったし、それを日本という地域で普及させるのが自分ミッションでもあると感じていた。

カーネル読書会は楽しかったし、OSSを普及させるのはビジネスというよりも、こちらの活動の方が役に立っていたのではないかと思わなくもない。

OSDLというのちにLinux FoundationになるところでBoard Memberにもなった。米国NPOの経営現場にも参加できた。すごい勢いで全力疾走をする米国ベンチャー経営経験した。

一方で日本では、ネクタイを締めた人がOSSの意義を理解しているとは全然思えなかったし、SIの現場の人たちはOSSを無償のソフトウェアとして使っていても、バザールモデルとか自由ソフトウェアの意義などについて理解しているとは到底思えなかった。

勉強会などで若いエンジニアと付き合いが深まって行くに連れて、エンタープライズとは違う世界東京にも草の根的に育っていることを知った。

その頃、未踏ソフトウェア創造事業というのがあって、面白そうなので応募したら、採択された。2002年、44歳頃である。若手のプログラマに混ざっていい歳したおっさんが嬉々としてプログラムを書いた。*2

いろいろとあって、その後、楽天に移り(2009年8月、50歳)、テクノロジーカンファレンスの運営をしたり、社内報のお手伝いをしたり、楽天IT学校に関わったりした。社内公用語が英語になったのは驚いたが、三木谷さんのリーダシップ中の人として経験できたのはよかった。

プログラマとして一生やって行くのだと若い頃の自分鼻息を荒く言ったものだが、そうでも言わないことには会社員として生きて行くのが生きづらいと感じていたのかもしれない。

まさか自分が定年になるとは思ってもいなかったし、その時の自分想像することもできていなかった。

この何年か、あるいは直近の数ヶ月、60歳になったらどうするか、どうしても自分ごととして考えることが難しかった。プログラマ定年説というのがどのような意味を持つのか持たないのか、よくわかっていない。今だにわかっていない。

定年というのは会社員あるいは公務員だからこそある話で、自営業だったり、商売をしていたり、農業漁業をしている人には関係ない。

自分人生自分で決める。引退の時期は自分で決める。

会社員を辞めるにあたって、そのような当たり前のことに至ったのが自分にとっての定年退職の意義である

60歳から何を始めるか

会社の規定で65歳まで再雇用される制度があるが、会社勤めは辞めることにした。100年人生だ。人生二毛作である会社員ではない人生面白いと思う。幸い、娘は独立した、扶養家族はいない。

そこで、大学に行くことにした。8月に大学院試験を受けて幸いにも合格した。*3

9月末より東京大学大学院情報理工学研究科電子情報学専攻博士課程の学生である*4

先日安田講堂入学式があった。家族席ではなくて新入学生の席で総長の式辞を聞いた。英語であった。*5

研究経験はないが、実務経験はある。プログラムちょっとは書けるし、プログラムを読むことは好きだ。マニュアルを読むことも好きだ。論文を読むことは苦ではない。

自分バージョンアップすることに興味がある。ハードコア研究をして世界に貢献したい。誰もがまだ見つけていない何かを見つけてみたい。インパクトの大きい研究をしたいと思う。

出来るか出来ないかはわからないけど、やって見ることが大事だということは人生から学んだ。うまくいかなくてもそれを失敗とは思わない。人生幾つになってもチャレンジだ。

Be a Hacker. Make the world better.

*1:親が入社前から名前を知っているのは最後の会社(楽天)だけだった

*2Intelマニュアルボロボロになるまで読んだ https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/NSW/ITARTICLE/20030619/2/

*3TOEFL問題集をやった。TOEICとは全く傾向が違うのでちゃんと対策をしないと大変なことになる。各専攻の専門試験過去問が公開されているので、それを地道に解く。教科書をしっかり読んで理解をした。コンピュータアーキテクチャアルゴリズム情報理論教科書を読んだ。情報エントロピー計算とか出来るようになったが試験には出なかった

*4http://www.i.u-tokyo.ac.jp/index.shtml

*5https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message30_08.html

2018-08-29

ゲーデル、エッシャー、バッハ、第20章、六声のリチェルカーレ、訳者あとがき、訳者紹介まで読了、ダグラスRホフスタッター著、濫読日記風 2018、その15

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版読了した。

ゆるゆるとゲーデル、エッシャー、バッハを読む会(ゆるげぶ)で読書会をしていたゲーデル、エッシャー、バッハGEB)を読了をした。第20章の次の「六声のリチェルカーレ」も熟読した。

GEBは章番号が付いている本編(?)と章番号がついていない亀やアキレスや蟹が出てくる部分との図と地が織りなす二重らせん構造をしている。まるでエッシャーの絵のようだ。無限音階が上昇していくカノンのようだ。

地の部分があるから図が際立ち、図がなければ地の存在意味がない。

難しい本を読んでいて、理解できないところを無意識スルーしている自分に気がついた。同じ本をみんなで読むタイプの読書会では、それぞれの人の感想を聞けるので、自分と随分違う読み方をしている、あるいはそのような読み方があるのかという発見にいとまがない。さらに担当を決めて、その章の説明を順番でするというタイプの読書会だと、ゆるげぶはまさにそのような読書会だ、自分なりに咀嚼して理解していないと説明できないので、深い理解が得られる。というか自分の浅い理解に気が付ける。

意識していなかったのだけど、よくわからないところはうわべだけを読んでスルーしていた。説明しようとして、ハタと、あれコレってどーゆーことだと理解していないということに気がついた。理解していないことに気がつくというのは意外とありそうでない経験だ。

シェパードトーンという無限オクターブが上がっていくように聞こえる音律(707ページ)というのを知った。そして、映画効果音にそれが使われるとなんとも言いようのない緊張感を醸し出すということも知った。

知らないということは簡単にわかる。知らないから。だけど理解していないということに気がつくというのはありそうでない。理解しているということは誰かに説明できれば間違っていたとしても理解はしていると言えるので意識できるが、理解していないということを知ることは難しい。

理解度テストなんていうのは日常生活では、ほとんどない。説明を誤解しているなんていうことはむしろ日常茶飯事であるしかし、自分が誤解しているということに気がつくことはほとんどない。そう考えると怖い。

なんていうことを読みながら思った次第である

一冊読了したということは自分人生において未読の本が一冊減ったということに他ならないのだけど、実際は、もっと読みたい本がどんどん増えるので、未読の本がどんどん増えていく。

読了することによって、今まで見えていなかった暗闇に光が当たって、そこには膨大な未踏の豊かな未読の山が存在することを知る。

自分無知を知れば知るほど広大な未踏の地を発見していく。

ゲーデル、エッシャー、バッハを巡る旅は尽きない。無限と有限。地と図。

読書会をすることによって、本を読むという行為メタに考える機会を得た。GEBがそのようなある対象についてのメタなことを題材にあれやこれやグルグル回っている構造であるというのも面白かった。

GEBを題材に「ゲーデル、エッシャー、バッハ薄い本#3」を刊行予定である。(宣伝)

濫読日記風 2018

2018-07-15

なぜアメリカ大陸横断を列車でしたのか

いろいろな人になぜアメリカ大陸を横断したのかと聞かれる。簡単自分なりの答えを記しておく。

今回は鉄道(Amtrak)で横断したわけだが、最終的にはクルマで横断したいと思っている。

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なんでそんな酔狂なことをするのか?したいからしたいとしか言いようがないのだけど、もうちょっと言葉を重ねてみる。

小田実は「何でもみてやろう」で「ニューヨークの摩天楼とミシシッピ河とテキサスの原野を見たくてアメリカに行った」と記している。当時の日本は焼け野原で「摩天楼」は無かったし、ミシシッピ河もテキサスの原野も日本にはない。だからこそ小田実はそれを自分の目で見たかったのだと思う。*1

今回、ミシシッピ河も見たし大平原のトウモロコシ畑も見た。もちろんニューヨークの摩天楼も見た。小田実聖地巡礼をしたかったわけではない。

大陸横断するときの時間感覚をざっくり理解したかったのである。例えば、行っても行ってもトウモロコシ畑、行っても行っても山岳地帯、走ったら走ったで国内に時差があるので、時計を調整しないといけない。東部夏時間(EDT)から中部夏時間(CDT)に調整する。同様に山岳部夏時間(MDT)、太平洋夏時間PDT)へそれぞれ進んでいく。

f:id:hyoshiok:20180707232358j:image 行っても行ってもトウモロコシ畑だ。

そんな規模感を身体性を持って理解したかった。そしてそれはクルマ大陸横断をするための予行演習に他ならない。

f:id:hyoshiok:20180707232350j:image 行っても行っても山岳地帯。

自分の知っているアメリカ仕事を通じて知っているアメリカだ。新卒で入ったDECは東海岸の大企業(コンピュータハードウェア製造販売会社)だし、その後転職したOracleは西海岸の大企業(ソフトウェア製造販売会社)だ。東海岸に住んだこともあるし、西海岸(シリコンバレー)にも住んだことがある。アパート契約をして、クルマを買って、銀行口座を作って小切手アパート代を払った経験もある。その意味一般的日本人よりはアメリカを知っているつもりになっている。

しかし、自分は肌感覚として、都会のIT産業というフィルターを通したアメリカしか知らないということを理解している。いまの大統領を支持し投票した人々を自分は知らない。

広大なアメリカはシリコンバレーではないし、ロスアンジェルスでもニューヨークでもない。自分カントリーサイドについて何にも知らない。普通アメリカ人、いまの大統領を支持し投票した人々が住んでいる街や生活を全く知らない。

クルマ大陸横断をすれば、そのような人たちの生活や考えを知れるとは思わないけれど、自分の知らないアメリカの断面を見れるような気がしている。それはインターネットとかテクノロジーとか自分日常接しているものと違ったものと予想する。

ボストンからロスアンジェルスまでクルマで3000マイル(5000キロ弱)ほどだ。毎日300マイル(500キロ弱)走っても10日かかる。2週間だとちょっとギリギリだ。3週間だと若干余裕がある。

名所旧跡をプロットするのではなく、田舎町のしょぼいダイナーでランチをとって、やる気のないウェイトレスと雑談をしたい。それによって何が始まるわけでもなく、何を発見するわけでもない。特に目的はなく、ひたすら、東から西へクルマで移動する。

そんな旅をしてみたいと思っている。

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2018-07-07

ニューヨークからサンフランシスコまで全米を鉄道で横断してみた

f:id:hyoshiok:20180707231156p:image(地図はシカゴからサンフランシスコまで)

アムトラックでニューヨークからサンフランシスコまで鉄道で横断してみた。3泊4日、乗り換え2回だ。

https://www.amtrak.com/home.html

アメリカは広い。移動するだけで体力を消耗する。頭では理解しているつもりだったけど身体理解した。

全米を列車で横断する場合、アムトラックのシカゴハブになっているので、西海岸からならば、シアトル、サンフランシスコ、ロスアンジェルスからシカゴまで行って、そこからボストン、ニューヨーク、ワシントンDCに向かう。東海岸からならその逆だ。

今回はニューヨークからシカゴ経由でサンフランシスコまで行った。途中、Albany-Rensselaerというところでボストンから来る列車に乗り換える。時刻表だと、19:05発でシカゴに翌日の9:45に到着するので14時間40分ほどの旅になると思いきや、時差が1時間あるので、15時間40分の旅だ。

同様にシカゴからサンフランシスコ(Emeryville)までも時差が2時間あって、52時間10分の旅となる。

https://www.amtrak.com/content/dam/projects/dotcom/english/public/documents/timetables/California-Zephyr-Schedule-072017.pdf

60年前、小田実はニューヨークの摩天楼とミシシッピ河とテキサスの原野を見たくてアメリカに行った(「何でも見てやろう」10p)。当時の日本は焼け野原で「摩天楼」は無かったし、ミシシッピ河もテキサスの原野ももちろんない。だからこそ小田実はそれを自分の目で見たかったのだと思う。ベトナム戦争も始まる前の古き良き時代アメリカをフルブライト留学生として渡米した。

今回、「何でも見てやろう」を再読しながらシカゴからサンフランシスコまで旅をした。車窓からトウモロコシ畑が行っても行っても続いている。大平原は延々トウモロコシ畑だった。人家などは見えない。

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予約方法と席の種類

https://www.amtrak.com/home.html

予約はアムトラックのWebページから行った。

サンフランシスコの場合、Emeryville, CAを選ぶ。どのクラスがいいのかよくわからなかったので、Reserved Coach Seatというのを選んだ。ChicagoからEmeryvilleで$329だった。Premiumは$821で高い。

Coach seat の場合座席は横幅も席の間隔も広いし、リクライニングはゆったりだ。よく寝れる。

Premiumの場合はベッドみたいだ。予約した時点では、どのような座席かはよくわからなかったので値段で選んだ。

値段の差は主にベッドかリクライニングかによるのかな。前者の場合、飲み物と料理もついているようだ。飛行機ビジネスクラスエコノミーみたいなものだと理解した。次回は試しにPremiumでもいいかもしれないと思った。

東海岸からシカゴまでは、ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCあたりからアムトラックがある。日本から直行便で本数が多いのはニューヨークなので、起点をそこにした。ボストンやワシントンDCなどでもよかったかもと思った。

ニューヨークからシカゴ

ネットで予約すると確認メールが来るので、それを印刷しておく。スマホQRコードを見せてもいいのだけど、ネット環境がないとドキドキするので紙で持参するといいと思った。自分印刷していなかったのでドキドキした。しなくてもいい緊張だった。

Coach Seatの予約は指定席ではないので、空いている席に早いもの順で座っていく。座席数ぶんは確保されているので、立ち席ということにはならない。

自分はてっきり、席を予約したら、座席を別途指定するか、すでにどこかの席が指定されているのではないか勘違いしていたのだけど、そのようなことはなかった。無駄にドキドキした。

ニューヨークで列車に乗り込んで、とりあえず空いてる席に座って、隣のおじさんにどの席に座ればいいんですかね?と聞いたところ、予約したときメールに書いてあるのでじゃないかと言われたので、マックを立ち上げメールを発掘し、予約メールPDFを表示した。確かにQRコードがある。これを読み取ると座席番号とかがわかるのかなあと思ったのだが、問題はどうやってQRコードを読むか。SIMは用意していかなったので、弱いフリーwifi電波ネットと格闘した。車掌さんが検札に来たので聞いたところ、このチケットは席の予約だけで指定席じゃないので、どこに座ってもいいよとのことだった。無駄にドキドキしただけだった。

シカゴからサンフランシスコ

シカゴ到着が2時間ほど遅れた。

シカゴからサンフランシスコの列車は14時発。2時間ほどの待ち時間なので、軽く飯を食って待った。待合室でダラダラ待つことになる。サンフランシスコ着が翌々日の16時10分だ。普通に考えると50時間ちょっとかかることになると勘違いするのだが、シカゴとサンフランシスコには2時間時差があるので、52時間ほどの行程になる。国内に時差があるほどアメリカは広い。

30ドルくらい余分に払うとラウンジレガシークラブとか何とかいう名前だった)利用とプライオリティーボーディング(優先搭乗)ができるらしいので、利用した。wifiのほか、スナックと飲み物がただだった。飯を食う前に利用すればよかった。

発車30分くらい前に、係りのおねーさんが、ホームそばの待合室まで案内してくれた。そこから優先搭乗だった。

CALIFORNIA ZEPHYR号というのがシカゴ、サンフランシスコ間を走る列車名前だ。

https://www.amtrak.com/content/dam/projects/dotcom/english/public/documents/timetables/California-Zephyr-Schedule-072017.pdf

座席は幅広でゆったりリクライニングができて快適だ。展望車は天井ガラス張りになっていて明るい。食堂車と売店がついている。

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夕食は予約が必要だ。係りの人が聞きに来るので、空いている時間を教えてくれる。1テーブル4人なので、それ未満のグループないしは個人は相席になる。

メニューはそれほど多くはないが美味しかった。

朝と昼は予約なしにふらっといってふらっと食える。

知らない人と雑談をするというのも旅っぽい。車窓はそれほど変化がない。本を読む、寝る、景色を眺める。それの繰り返しだ。

列車の中にはwifiはなかった。SIMとか購入しなかったので、52時間インターネットから隔絶された。途中駅で停車するたびに、フリーwifiはないか検索してみたけど、ほとんどなかった。ネットから遮断される時間を持つというのも旅の醍醐味かと思った。ネット依存症には辛いけど。

コロラド州に入ったあたりから徐々に山岳地帯になる。遠くに山が見える。

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ここまでは予約とか席の種別とか、いわばテクニカルな部分で、旅の本質はそこではない。もっとエモい話を書こうと思ったのだけど、長くなるのでそのうちに記すことにする。

2018-06-21

プログラマ60歳定年説、FA宣言

タイトル釣りです、すみません無駄に長いのでお忙しい人は、どーぞ、飛ばしちゃってください。

自分は今年の9月で満60歳になる。60歳というと多くの日本企業の御多分にもれず定年である。定年後に何をするのかしないのか、ここで簡単に記してみる。

日本の伝統的な大手企業(経団連に属するような企業)では、定年などの制度がしっかり整備されているので、先輩たちがどんな暮らしをしているかおおよそのロールモデルがある。一方で自分が今所属している企業は20年ちょっと前に創業したネットである。規模は大企業だが相対的若い企業なのでそもそも50代の従業員がそんなにいなくて定年退職した人も数えるくらいである

日本において職業プログラマ世界では、特にフリーランスではなくて会社に所属している場合、35歳定年説というのが炎上系のネタとしてよく議論される。特にSI系の場合多重下請け構造の中で歳を食ってプログラミングをしているなんていうのは、よろしくない、あるいは許されない(単価的にも能力的にも)ということがまことしやかに囁かれる。

今回ここでのお話は、そのようなことではなくて、会社の人事制度としての「定年」のお話である若いプロフェッショナルな皆さんは自分が定年になることなどは想像するのは難しいとは思うが、人は必ず歳をとり、生きていれば誰でも60歳になる。技術系(ジェネラリストではなくエキスパートとして)で生きてきた会社員がどのような考えでどのような選択肢を持つか、あらかじめ考えておくことはあながち無駄なことではないと思う。なんかの参考になればと思う。

働き方改革とか人生100年時代とか働き方とか生き方話題になる昨今であるが、基本的には年金制度が破綻しつつあるので、定年で仕事やめて、老後は年金で暮らすというのはもはやできませんよ、というのがその根底にある。

さて、それでは自分はどうか。子どもはすでに独立しているので、人生において生活上の固定費は低い。したがって、今の収入をあげるという強いインセンティブは少ない。昔は収入をあげたいと強く思ったものである。(生々しい数字はここでは割愛)。

大雑把に言って、次のような選択肢がある。1)雇用延長で65歳までいる。1年毎の契約社員。2)転職する。3)独立する。個人事業主となるか会社組織を立ち上げて代表になる。

日本の大企業の場合、50代がわんさかい年功序列賃金なので、パフォーマンスに比べて高い賃金を貰っていると言われている。企業として成長しているのであれば、それでも問題はないわけであるが、そうでない場合、どうしても定年などの制度がないと解雇が難しいので、人件費が増大して生産性が低くなる。(一般論として)

企業の本音としては、役職定年や定年制度で賃金カット雇用調整を合法的に行いたいということである

一方で働く側としては、同じ仕事をしていて、いきなり賃金カットというのは精神的にはなかなか受け入れがたい部分がある。誕生日をすぎたからと言って、急に能力が3割減になるというのはあり得ない。(あるかもしれないけど)

結局のところ、需要と供給のバランスというかマッチングなので、人材流動化して、必要とされているところに必要とされているタイミングで移動するというのが落とし所になる。

自分が1)やりたいこと、やりたくないこと、2)できること、できないこと、3)社会的に需要のあること、ないこと、などの軸の中で、収入を得る時間の使い方を考えていくことになる。(当たり前の話だけど)

自分イメージとしては、今までの職業の中で培ってきたキャリアプログラマとしての能力、小さなチームのプロジェクトリードオープンソーススタートアップCTOでの経験コミュニティーの立ち上げやエバンジェリスト、大きな企業で技術理事としてできたことできなかったことなどを考えながら、自分が最もバリューを発揮できるところ、自分が最も時間を費やしたいところ、自分を最も必要としてくれるところなどのバランスを考えることとなる。

昨今、古典を読みまくったり、勉強をしたりしているが、技術の変化というのは、表層はすごい勢いで変化していっているように見えるが、根っこの部分、すなわち基盤の原理原則はほとんど変化していない。

若い人たちAWSとかAzureとかDockerとか(昨今の流行りのテクノロジーをあげてほしい)フォローするのに大変かと思うが、一方で成長する技術組織とか、技術者としての落とし穴とかソフトスキルとか、そんなに毎日変わるようなものではないものも少なくない。

0から1を作るとき落とし穴技術者としての勉強方法とか、IT業界に長くいたからこそ貢献できるあれやこれやもあると思う。

自分の体力、能力知的好奇心などを生かしてくれるところを探して、マーケティングするということになる。それは社内でも社外でも同じだ。組織に属してもいいし属さなくてもいい。フリーランス個人事業主)でもいいし会社組織を立ち上げてもいい。自分のできる範囲の中での選択肢を考えていく。

組織に属するとしても、様々なことを様々な形態でやりたいので、副業が前提になる。さらにいうと、9時5時に満員電車に揺られて仕事をするというよりも(もちろんオフィスに行くことはやぶさかではないが)、リモートワークなどが主体となるようなイメージである

これは、会社員としての FA (Free Agent) 宣言でもある。興味がある人は連絡ください。個別にご相談させていただきます。( hyoshiok @ gmail.com )

2018-06-06

無知を楽しむ

難しい本の読書会をやっていて、ウンウン唸りながらわからないなあ〜と思う。

ゲーデル、エッシャー、バッハ」を読んでいるのだけど、未だに深い森をさまよっているような気分で果たして見晴らしの良いところにたどり着けるのだろうかと時々不安になる。

今日読書会に、白石さんのご紹介で「敷き詰め」が好きで好きでしょうがない、日本テセレーションデザイン協会代表荒木さんに来ていただき、GEBとの出会いとかエッシャーやテセレーションの話を伺った。*1

空間を同じの模様で敷き詰める。小学校算数にも出てくるそうだ。算数にも美意識を導入するらしい。

図の部分と地の部分

絵は図の部分で成り立っているのではなくて地の部分があるから図が引き立つ。何かを知るということは、その地の部分も知ることになる。ああ、こんなことも知らなかったのかということを知る。無知の知だ。

現代社会では無知は罪悪だ。我々は自分無知を隠そうとする。知ったかぶりをする。バズワードを消費してわかったつもりになる。無知に対して無自覚だ。

エッシャーの絵に魅了された人がここにいた。なぜだかわからないけどエッシャーが好きだ。そーゆー人が世界中にいるらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/マウリッツ・エッシャー

エッシャーの生誕100周年を記念して集まった人たちが、Bridgesという団体を作って、毎年カンファレンスを開催している。今年もストックホルムで開催するらしい。

http://bridgesmathart.org

世の中にはなんだかよくわからないけど、なんだかよくわからないものに熱中して、なんだかよくわからない熱量で楽しんでいる人がいる。なんだかよくわからないことの代表が「数学」のような気がするけど、「数学」の周辺には広大で肥沃な大地があって、その周縁を散歩してみたい気がする。

知らないことを知るのは楽しい自分が全く知らないことを自覚するのが楽しい

本能言語化することは難しい。数学を楽しみたいと思う心はどこか本能に基づいているのかもしれないが、よくわからない。

自分無知を知る。そのこと自体楽しい無知を楽しんでいる。図を楽しむだけではなく、地の部分も楽しむ。だんだん地の部分を楽しむこともできるようになってきたような気がする。

2018-05-15

不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)、野崎明弘著、濫読日記風 2018、その14

不完全性定理―数学的体系のあゆみ (ちくま学芸文庫)を読んだ。

あることを好きとか嫌いとか誰でもあるのだけど、こと「数学」に関しては好き嫌いがはっきりしているような気がする。

高校時代数学に良い思い出がなく気がつくと嫌いになっていたとか、進路を決めるときに大学入試数学があるかないかで決めて、それが文系理系の分かれ道になったという人もいるかと思う。

好きと嫌いの軸以外にも数学が得意と不得意というのもある。ここで得意不得意というのは数学試験の点数を取れるか取れないかという矮小化された評価軸だ。

高校時代数学というのは、試験問題を限られた時間内に素早く解くというスキルに特化されていて、大学入試はそのスキルを最大限に発揮する場になる。

数学問題を解くというスキルチューニングして行けば、じっくり考えることは時間がかかるのであまり推奨されなくて、過去問の出題パターンから効率よく正解を導き出すテクニックの取得が基本的戦略になる。

数学テストを解くというスキルは考えるスキルの訓練ではなくて暗記科目になる。

いいとか悪いとかではなくて受験勉強弊害というのは結局そのようなところかと思う。

一方、それとは別に数学」そのものを考えてみると、「抽象的な思考」を極限まで高めたものという感じになる。ものとしての「数」を触ることはできなくても、我々は概念としての「数」を理解しているし、それを扱うことができる。純粋三角形というもの物理的には存在しないけど、概念としての三角形を思い浮かぶことはできる。

数学の考え方や言葉の使い方はいろいろなところで役に立つので、便利な道具として身につけたいと思うひとも多い。ちょうど便利な道具として英語を使えるようになりたいと思うのと似ている。

自分は学校の数学試験には落第したクチだが、ずうっと数学と仲良くなりたいと思っている。数学試験は不得意だが数学好きだ、もっと好きになりたいという片思いの状況である

ゲーデル不完全性定理というものをいつか理解したいと思っているのだが、まだその思いは達成できていない。様々な入門書解説書を読んでいるのだけど、わかったようなわからないような行ったり来たりを繰り返している。

別に不完全性定理を知らなかったところで生活には困らない。それを知ったところで何かご利益があるというものでもない。自分知的好奇心が満たされるだけである

しかしだからこそそれを知りたいと思う。

本書を読んで不完全性定理深淵の極一部を見たような気もするし、幻想のような気もする。周縁をちょっと散歩しただけかもしれない。

20世紀天才は何を考えたのか、それに思いを馳せるだけでもワクワクする。

ゲーデル不完全性定理にまつわる旅はまだまだ終わりそうもない。自分はそれをとても楽しんでいる。

私は数学が好きだ。

濫読日記風 2018

2018-05-05

失踪日記2 アル中病棟、吾妻ひでお著、読了、濫読日記風 2018、その13

失踪日記2 アル中病棟を読んだ。

漫画家の吾妻ひでおがアル中になって専門病院入院する実話をもとにした漫画。前作の締め切りをバックれて失踪してホームレスになるという「失踪日記」の続編という位置付けだが、本書を執筆するまで8年かかったのはアル中からか。

アル中の特徴は自分アル中じゃないと頑なに信じるところから始まる。アルコール依存症精神病一種なので専門家に見てもらったほうがいいのだけど本人に自覚がないので難しい。

精神的にアルコール依存していると、ともかく酒なしではいられなくなって身体的にも依存して、幻覚幻聴などをみるようになる。そうなると自分一人ではどうしようもないので強制的入院して治療するしかない。やばいな。

自分場合 自称プロの酔っ払いが飲酒をやめた話 - 未来のいつか/hyoshiokの日記で記したように3年ほど前に、『田舎暮らしに殺されない法 (朝日文庫)』、丸山健二著、を読んだことをきっかけに、家で飲むことをやめて、2016年12月頃に禁酒した。

会社員をやっているとフリーランスな人と違って平日は会社に行く必要があるので朝から飲むという機会は少ない。家飲みをやめれば休みの日に朝からだらだらと飲むこともない。その意味で漫画家と違って本格的なアル中になる可能性は低いのだけど、サラリーマンでもアル中になる人はなる。

一冊の本を読んだだけで人生変わることはある。人生100年時代、定年になる前にアル中にならなくてラッキーだったと思う。

各地に、アルコホーリクス・アノニマス(AA)という断酒した人たちの勉強会みたいなものがあるそうである断酒会というのもあるらしい。機会を見つけて行って見たいと思った。

簡易的なチェックしてみよう。

飲酒習慣スクリーニングテスト(AUDIT)|お酒とうまく付き合う|CSV活動|キリン


濫読日記風 2018

2018-04-17

ゲーデル、エッシャー、バッハの薄い本、その2を #技術書典 に出品する

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版」という20世紀古典読書会をゆるゆるやっていて、その読書会仲間と、同人誌を昨年の秋に作った。*1*2

そして、4月22日、秋葉原UDX アキバ・スクエアで開催予定の技術書典に同人誌ゲーデル、エッシャー、バッハ薄い本#2」を出展する。

ゲーデル、エッシャー、バッハ」とは一体なんなんだ。読んだ人それぞれ勝手なことを言って結論は出ないのだけど、読書会でワイワイ議論しながら読むのが楽しい読書会醍醐味みたいなものであるあまつさえ、それだけでは物足りないのか、同人誌まで作ってしまった。最初に作った同人誌ゲーデル、エッシャー、バッハ薄い本」を2017年秋に開催された、技術書典というイベントに出したところ準備した100部を1時間弱で完売した。入手できなかった人たち申し訳ございません(ぺこり)

今回、売り切れた薄い本#1と書き下ろし薄い本#2を出展する。

薄い本#2はダグラス・R・ホフスタッターさんからメッセージ、30年以上前の日本語版編集者へのインタビュー10から15章までのヒッチハイクガイド、そのほかゲーデル、エッシャー、バッハ(GEB)を題材にした漫画などなど盛り沢山だ。

結局GEBとはなんなのか。

自分の回答は「生命のない物質から生命のある存在がどのように生まれるかを述べようとする個人的な試みだ」というものだ。石ころと「自分」の差はなんなのか、それを描いている作品なのだ。

GEBとは何か、その問いに答えるためにはGEBを読む必要がある。700ページを超える大著(約1000グラム)だし、一人で読むのは大変だ。そのおともに薄い本を利用して欲しい。薄い本を読むとGEBを読みたくなる。GEBを読むと薄い本を読みたくなる。そのような補完的な関係を持つように作った。

技術書典でぜひ手にとって欲しい。

https://techbookfest.org/event/tbf04/circle/15520001

日時 2018/04/22 (日) 11:00〜17:00

場所 秋葉原UDX アキバ・スクエア

主催 TechBooster/達人出版会

一般参加 無料

奮ってのご参加、お待ちしています。

2018-03-17

銃・病原菌・鉄、ジャレド・ダイアモンド著、読了、濫読日記風 2018、その12

銃・病原菌・鉄(上)銃・病原菌・鉄(下)1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)を読んだ。

スゴ本の中の人が選んだ、1万円で“一生モノの教養”を身につけるための5冊 - マネ会で紹介されている一冊で面白さは間違いない。

本書をひとことで表すならば「歴史は、異なる人々によって異なる経路をたどったが、それは、人々の置かれた環境差異によるものであって、人々の生物学的な差異によるものではない」(45ページ)

ヨーロッパでは文明が発達し、世界を制覇したが、それはヨーロッパ系の人々が生物学的に優れていたからではなく、たまたまその人々の置かれた環境によるものである。本書は一言でいえば、「人種による優劣という幻想」(32ページ)を打ち砕くものである

例えば、3章で、スペイン人とインカ帝国の激突が描かれている。コロンブスアメリカ大陸発見して、ヨーロッパ人が新世界を植民地化した。その逆、すなわちインカ帝国の人たちがヨーロッパを植民地化することがなかったのは何故なのか?その問いに3章は答える。

ヨーロッパ人が新大陸征服した結果、アメリカ先住民は激減した。

ヨーロッパ人アメリカ先住民との関係におけるもっとも劇的な瞬間は、一五三二年十一月十六日にスペイン征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカ出会ったときである。(122ページ)

スパインから来た168人のならず者集団が八万人の兵士に守られた皇帝を捉え、インカ帝国を征服できたのはなぜなのか。

3章はその経緯を詳しく記している。ピサロ随行者がインカ帝国を征服した経緯を記しているので我々はそれを知ることができる(彼らは文字を持っていた!)。

そして、読み書きのできたスペイン側は、人間の行動や歴史について膨大な知識継承していた。それとは対照的に読み書きのできなかったアタワルパ側はスペイン人自体に関する知識を持ち合わせていなかったし、海外からの侵略者についての経験も持ち合わせていなかった。(146ページ)

スペイン人は赤子をひねるように簡単にインカ帝国の人々を騙して殺戮したのである

本書のタイトル『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が他の大陸征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。(147ページ)

ヨーロッパ人は、銃で人を殺し、病原菌伝染病)で人を殺し、鉄で人を殺し征服して行く。

人類が農耕を始めた一万三千年前くらいから人類史を巨視的に俯瞰している。殺戮可能としたシステムが生まれたのはなぜなのか、その疑問を膨大なエビデンスで紐解いて行く。知的パズルといってもいい。

その謎解きは本書をお読みいただくとして、食糧生産にまつわる謎の章で、家畜、銃鉄砲、概要線、政治機構文字、疫病などがどのように発見発明、発達して行くかの因果連鎖解説している(図4−1、153ページ)

ユーラシア大陸たまたま横に広がっていたから、縦に長いアメリカ大陸、アフリカ大陸に住む人々よりも圧倒的に有利な位置にいたというのがネタバレである

大変面白かった。おすすめです。

濫読日記風 2018

2018-02-26

Ruby25周年イベントで変わったこと変わらなかったことを考えた #ruby25th

品川で開催されたRuby 25周年のイベントに行ってきた。*1

http://25.ruby.or.jp

高橋さんRubyの昔の話から、まつもとさんの未来の話、宮川さんとまつもとさん対談など、コンテンツも盛りだくさんだった。最後お嬢さん二人からまつもとさんへの花束贈呈があって、家族ぐるみ暖かいイベントになった。スポンサー企業もいっぱい集まって盛況だった。

まつもとさんのお話を聞きながら、この20年前後のICT業界の変わったこと変わらなかったことをつらつらと考えた。

昨今、技術の変化が過度に強調されシンギュラリティ象徴される様々なバズワードが飛び交っている。若い人は(おじさんもそうだけど)、メディアの狂想に踊らされているのではないかと思わなくもない。確かに技術指数関数的に変化するとしたら、今後N年の変化は、過去の変化の総和と等しいくらいに変化する。ムーアの法則(2年で半導体集積度が倍になる)風な変化だと、今後2年の集積度は、今までの集積度の総和と等しいとか、テンプレート的に現在職業の半分は今後10年で登場する職業に置き換えられるとか真偽はともかく言えなくもない。

過去ICT技術の変化は主に量的な変化が質的な変化になったものと言える。量的な変化以外に何か質的な変化がどれだけあったのか。

コンピュータ基本的にはノイマン型だし、もっと言えば単なるチューリングマシンだ。それを操るプログラミング言語進化基本的にはシンタックス上の変化に過ぎない。より少ない表現量でより多くの処理をこなす。手続き型言語からオブジェクト指向言語、あるいは関数型言語など様々な言語パラダイムがあったとしても所詮チューリングマシンをどう駆動するかというところに帰着する。

プログラミング言語を動かす環境Unix系の処理系にほぼ収斂したし20年前と、コスト、規模などスケール要因以外は、驚くほど変わっていない。*2

一方で変化した部分に目を向けるとどうなるか。

ソフトウェア開発手法に関してはアジャイル型の手法が広く知られるようになった。オープンソース一般的になって、バザール型開発も一般的になった。銀の弾丸があったのかなかったのか、よく分からないが、プログラマ復権があって、好きなプログラミングをしていて飯を食えるという職業ハッカーが多くはないけど現れてきたのが、この20年の変化かなと思う。まつもとさんは職業ハッカーロックスターだ。*3

インターネットが普及して不可逆的な変化を社会に与え、それを前提としたソフトウェア開発手法オープンソースソフトウェアにおけるバザール型開発)から職業ハッカーの勃興がこの20年の大きな変化といえる。

クラウドモバイルIoTAI機械学習ブロックチェーンなどなど流行言葉は多いし、これからもいっぱい出てくると思う。10年に一度くらいのパラダイムシフトもあると思う。*4

温故知新でこれからの社会を考えてみたい。25年後は一体どんな世界になっているのだろうか。ちょっとワクワクする。*5

*1:20周年イベント楽天タワー2号館で開催した

*2分散処理がより大規模になってきたということはあるにしても、計算モデル逐次処理の拡張として捉えられている

*390年代後半のネット環境Perl全盛で、その後Railsが現れてRubyメジャーになって、機械学習時代Python流行ってきている

*4量子コンピュータなどまったく違うものも出てくるかもしれないが、未来はよく見えない。

*5古典をいっぱい読みたいなあ。未来を考えるためには歴史からいかに学ぶか、そのスキルを身につけたい