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飄眇亭日乘 −ひょうびょうてい・にちじょう−

2017-12-18

江戸日和

十二月十八日(月)晴

竹内正浩著『重ね地圖で讀み解く大名屋敷の謎』讀了。題名は好かぬ種類の本ながら、先日珍しく麹町の書店に立ち寄つた際手にして面白さうに見えて新本をそれも現金で購つたものである。江戸末期の地圖と現在の市街圖が重ね合せて見られるように出來てゐて、散策に良い経路に從つて解説もされてゐる。今後の江戸探訪にも役に立ちさうで、中々良い本である。また、中で述べられてゐる意見も同意することが多く、著者を信頼できる。やはり江戸城の天守の再建は止めておくがいいと言ふし、三宅坂の藩邸跡地に近い公園に戰後に設置された變ちくりんな裸婦彫刻が飾られてゐるのを無粋とし、此処にこそ渡邊崋山の彫像を建てるべきと言ふのには諸手を挙げて賛成である。また四谷の上智大学の西に續く真田濠が戰後に瓦礫で埋め立てられ運動場にされてゐるのをいい加減水堀に戻すべきといふのも賛成する。そして小石川後樂園の風致を乱す東京ドウムといふ醜悪なる建造物への呪詛に似た言葉にも同意する。巨人軍の本拠地といふだけで腹立たしいが、景観を乱す事犯罪に等しい。それにしても東京には探せばまだ江戸の名残がたくさん見つかるものらしい。余も江戸の餘香を求めて散策がしたくなった。

2017-12-16

逆櫓の段

十二月十六日(土)晴

國立劇場にて文樂公演を觀る。演目は「ひらかな盛衰記」から五段。最後は逆櫓の段なので樂しみにしてゐた。前半のお筆、後半の権四郎の人形の芝居が見事で見應へがあつた。しかし、逆櫓の段はやはりまだまだ名人の域には遥かに及ばない。そもそも武智鐡二コレクションの大隅大夫と鶴澤道八による超絶版や織大夫と鶴澤團六の録音を先に聴いてしまつた爲に、現代人の語りや三味線では到底太刀打ち出來ないのは覺悟してゐたものの、餘りの違ひに苦笑ひする他なかつた。太棹の弦が切れるといふアクシデントはあつたにせよ、改めてCDで音質の悪いSP版を聞き直してみて、嘗ての名人たちの壓倒的な臨場感と乗りの良さに比べると平板な語りにしか聞こえない。比べる方が間違ひだとは重々承知してゐても、同じ文樂、同じ義太夫節の此れ程の變化に驚きもし、落胆もせざるを得ない。傳統藝能とは言へ、此処まで變はつてしまふと果たして傳統とは何なのかわからなくなる。音源の悪い録音で聞いても壓倒的な藝の凄みを生で聞くことは最早不可能なのであらう。かういふ觀劇の仕方が絶對良いとは言ひ切れぬが、文樂を觀るからには過去の名人藝を知つた上でこの先の上演を觀て行きたいものだとは思つてゐる。

2017-12-12

保護貿易

十二月十二日(火)晴

コーエンとデロングによる『アメリカ経済政策入門』読了。アメリカの関税政策について知りたくて手にしたが、知りたいことは書かれていないものの面白いので読んでしまった。みすず書房らしからぬキャンベルスープ缶のアップによる赤い装丁が印象的な本だ。みすずは哲学や心理学の本を出しているイメージがあるが、トマ・ピケティのヒットもあってか経済学関連の本も随分出しているのを初めて知った。要するに、ハミルトンが最初の設計図を描いた、イデオロギーによらない実利的な経済政策がアメリカの繁栄を築いたのであり、その政策は保護貿易主義と政府による経済発展指導とでも言うべきものであったのに、80年代以降それがうまく機能していないということなのだろう。アメリカは自分たちがそうであったと信じているほどには自由貿易主義的ではなく、自国の産業を選択的に援助して来た軍産複合体は政府の財政を使った立派な保護主義的政策に他ならないという指摘は説得力がある。ハミルトン・システムの忠実な追随者たる日本や中国の成功を見ればわかるように、自由貿易という理想は成り立たないものなのかも知れない。そして、金融の自由化によって製造業が空洞化し、何ものも生み出さない金融業界のほんの一部のトップに富が偏在する現状は明らかに異常であり、金融には適切で現実的な規制が必要であるとの主張には大いに同意したいところだ。格差社会の原因のひとつは明らかに金融の規制緩和によるカネと人材のシフトによるのだから、アメリカの尻馬に乗って儲けようと思っても、結局はカモにされるのが落ちなのだ。

2017-12-09

週末もろもろ

十二月九日(土)晴

朝休日としては早く家を出で表参道まで電車で行き、徒歩伊勢半の紅ミュージアムに赴く。近代香粧品なぞらえ博覧会なる企画展を観る。明治大正期の香水瓶の展示があり、今の余の関心に近く興味深く見る。それから渋谷まで歩き井の頭線で吉祥寺に行く。大学時代のサークル仲間二名と待ち合わせ、花を買ってバスで源正寺に行き、昨年物故した同じ年の友人の墓を訪う。再び吉祥寺に戻り一茶の後東西線で早稲田に行き一如庵にて尺八稽古。再び東西線にて西荻窪に戻り、小学校時代の同級六人と飲み会。帰宅十一時半過ぎ。

2017-12-06

還暦過ぎて

十二月六日(水)晴

『幕末京大坂歴史の旅』『還暦以後』と二冊続けて松浦玲の本を読んだ。面白かった。歴史家として信頼できるだけでなく、文章が巧いので楽しく読めるのである。私も還暦が近づいているので他人事ではないが、もちろん明るく元気な還暦過ぎの人生を語る書ではなく、歴史上のさまざまな人物の還暦の迎え方やその時の状況やその後の生き方を、老齢者の記憶の問題と絡めて手際よくさばいた感じの本である。

それにしても暗殺されて惜しかったのは大久保利通原敬だと思うが、三人目が思い浮かばない。犬養毅ではちょっと弱い。伊藤博文ではもちろんない。坂本龍馬はあまり好きではないし、後はすぐに思い浮かばないくらいだからインパクトが弱いのだろう。この手のは三つ揃いの方が恰好つくのでいつか三大惜しむべき暗殺された政治家を決定したいと思う。それと、松浦の最初の本を読むと、薩摩もやっぱり心底嫌いになる。大久保も陰険だが、それでももう少し仕事をさせたかったという思いがある。少なくとも山県や井上馨が生き残るよりは遥かにましだっただろう。

幕末から明治初期の歴史は面白いが、志士とか新撰組とか薩長同盟や雄藩の動きには興味が薄い。世の中の急激な変化に翻弄される幕臣とか医者、商人や芸人などの方に関心が向く。『藤岡屋日記』をまず一冊買って弘化三年から読んでいるが、幕臣の人事と世間の雑事が並んでいて面白くてたまらない。この感じでペリー、開港、長州征伐、大政奉還、王政復古と、庶民の目で追って行きたいと思っている。

2017-12-03

襲名

十二月三日(日)晴

夕方からホテルオークラに赴き、六代目竹本織太夫襲名を祝う会に出席。久しぶりに和服で行った。こういうパーティは苦手な方だが、織太夫になった咲甫太夫の友人でもあるT氏の誘いを受け、滅多にない機会ということもあり行くことにしたものである。会場で知人のKさんNさんに会った。

政財界および芸能・古典芸能界の著名人を発起人に揃え、織太夫の交際の幅広さを感じさせる出席者であった。市川染五郎や野村萬歳、山川静夫といった有名人がスピーチをしたが、やはり師匠である咲太夫の話が一番心に沁みた。もっとも能楽関係者のお祝いの素謡はさすがに格好よく、発声という点では今のところ一番憧れるものではある。謡曲はよく物まねをして大きな声を出して家人に嫌がられるが、それは豊後節系邦楽の語りや地歌長唄端唄などとは明らかに違う声の出し方だと思う。逆に義太夫は自分では物真似すら中々難しいから観に行くのかも知れないが。

それにしても、義太夫の織太夫が広く歌舞伎や能、狂言、日本舞踊の同年代の演者と交際しているのには驚かされる。自分には芸と呼べるものはないが、立つ舞台こそ違っても異なるジャンルの人たちや同じジャンルのライバルと目される人たちと交わることも、芸の刺激ともなっていいのではないかと思う。調香師として、競合他社の調香師は敵として交際することを禁じて来た自分は、貴乃花親方的偏狭さがあったのかも知れない。

2017-12-02

遅い紅葉

十二月二日(土)晴

午後江戸城に赴く。昨年から公開された富士見多聞櫓を見るためである。大手門は出る人でごった返しているが入る方は空いている。百人番所、大番所の横を通って本丸方面に登る。松の廊下跡脇を通って築山を上がると多聞櫓である。靴を脱いで中に入るが、何かがある訳ではない。ここに幕末期の幕府の文書が大量に所蔵されていて、それが国立文書館に収められていることを知っているので感慨深いというだけの話である。その文書のことを通信に書くので場所を確かめておきたかったということもある。ちょうど乾門からの通りが公開されているので、眼下の蓮池濠の先に人が歩いているのが見える。その先には徳川家からこの城を簒奪した京都の某家の建物がある。櫓から出て天守台には行かずに富士見櫓経由で二の丸庭園に行く。初めてであったが、遅い時期の紅葉が晴れた日光のもと思いの外綺麗であった。初冬の好日を紅葉や雑木林、庭の池や石と背後のビルとのコントラストを目にしながら散策するのは案外気持ちの良いものであった。幕末明治の歴史に関する書物を続けて読んでいるせいもあるが、やはり徳川様のお城は京都の御苑よりもよほど親しいものに感じる。天守閣再建の動きもあるようだが、それより本丸の再建こそが江戸から日本を知る上でどれだけ大切か知れない。一般受けを狙って、江戸期にもほとんど建っていたことのない天守閣を作る愚は何としても避けたいものだ。

平川門から出て一茶の後竹橋から中野に移動。五時から彼誰忘年会。今回は高校の文芸部の同級二人も参加して計八人の盛会。いつもながら橋本さんの博識に一同敬服。下手な本を読むよりこの会に出る方がよほど勉強になる。この日は映画の話題多し。九時半過ぎ散会。楽しい一日であった。

f:id:hyoubyoutei:20171202145234j:image:w360多聞櫓

f:id:hyoubyoutei:20171202153023j:image:w360二の丸紅葉

f:id:hyoubyoutei:20171202151226j:image:w360

f:id:hyoubyoutei:20171202152406j:image:w360諏訪の茶屋

2017-11-28

虫酸が走る

十一月二十八日(火)晴

長州藩士、攘夷の志士と聞いただけで虫酸が走る。倒幕に動いた長州の尊皇攘夷派をわたしは心から憎んでいる。天皇制は嫌いだし、それを悪用した明治政府はもっと嫌いだが、天皇家が嫌いというわけではない。尊皇派や狂信的な国学者は死ぬほど嫌いだが、国学ややまとことばはむしろ好きである。国家神道は憎んでも余りある思いがするが、神社の中には本当に清々しい気持ちになる場所もあるし、神祇思想はわたしの興味をそそる。これらはちょうど、サッカーのサポーターとか呼ばれるファンの輩(やから)の言動は嫌っているが、サッカーそのものを嫌っているのではないのとよく似ている。違うのは長州の場合、長州藩士も長州も、長州出身の政治家もすべて嫌いという一事だけである。長州藩士で尊皇攘夷で倒幕に参加しながら、明治になるや開明派に転向して天皇を傀儡化した連中に至っては、嫌うのも汚らわしい気がしている。

2017-11-25

江の島へ

十一月二十五日(日)晴

天気が良く予報よりも暖かだったこともあり、昼前に家を出で鎌倉経由江ノ電で江の島に赴く。橋を渡り参道で昼食、鰺の塩焼き、栄螺の壺焼きを食す。それから児玉神社を参拝。訪れる人は稀で、かつ工事中であったが、常々児玉源太郎後藤新平杉山茂丸などの関係に興味があったので初めて足を向けた。最初向島の杉山邸内にあった神社を後に江の島に移したものという。向島の杉山邸は後に日活の撮影所になった場所である。参道に後藤の書になる石碑あり。東郷平八郎乃木希典と比べれば知名度は低いが、杉山の『児玉大将伝』など読むと中々の人物であったようだ。児玉神社を後にし、徒歩山頂まで登る。今回の目的は山頂にある植物園を見ることであった。今まで何度か江の島に行ったことはあるが入ったことがなかった。それが最近明治に横浜の外国商館で成功したコッキングなるアイルランド人がここに温室つきの別荘を建てていたことを知り興味を持ったのである。コッキングは日本女性と結婚し、その夫人名義で江の島の土地を購入した。貿易の他横浜で石鹸製造をしたこともあり、また明治初期の日本の写真家たちとの交流もあって中々興味深い人物である。植物園の名称が「サムエル・コッキング苑」となっているのも初めて知った。温室が残っているのかと思ったが現存せず、ただ昔温室のあった場所の遺構が最近明らかになったという。冬場のことで見るべき植物はそう多くはなかったが、富士や相模湾三浦半島などを望む景色はさすがに素晴らしいものであった。近場ながらたまにこういう所を訪れるのも良いものである。暖かかったせいもあり、とても気持ちのいい午後となった。それから小田急で藤沢に出て、疲れていたので家電量販店でマッサージチェアに座る。家内の勧めで初めてやってみたのだが、最近のマッサージチェアの技術は素晴らしく、だいぶ疲労がとれた。自分がおじさんになったことを痛感する。それからその店でPCと掃除機を購入する。最近自宅で今使っているノートパソコンの動きが不安定なので、壊れる前に買っておこうと思ったのである。モニターは少し前に27インチを買ったばかりなので安いデスクトップを買うことにした。今のノートは8年くらい使っているから持った方かも知れない。掃除機は大損のコードレスで、もちろん家人のリクエストである。

2017-11-23

娘たち

十一月二十三日(木)雨

三組の夫婦で旅行に出掛けた。自分より年配一組、だいぶ若い夫婦一組が一緒である。若い方の奥さんを私は気にしているが、その娘である3-4才の子が私になついている。パパと勘違いしてか抱きついてきて、可愛いので抱っこしている。場所は海辺の屋根つきの広いオープンカフェである。外人客がたくさん来て、私の抱いている子をキュート、などと誉めるので、まるで本当の父親のように嬉しそうな顔をする。ところが、沖から大波が押し寄せて来て皆が流され始める。私は女の子をおんぶに変えていたが、みるみる呑みこまれそうになって避難し、海水で一杯になった部屋のドアを思い切って開けて外に出る。外はのどかな花園が広がっていて、私が女の子のことを心配していると、5-6才に見える私の息子が歩いて来る。息子に女の子と一緒にいるように言いつけたにも拘らずひとりで来たので私は怒り、「ひとりにしちゃだめじゃないか。あんな可愛い子はすぐに攫われてしまうんだぞ」と言いながら探しに行くと、一度は公園の林の中に見つけたものの、すぐに見失ってしまう。困ったと思いながら目を覚ますと、見知らぬ一軒家の二階でどうやら私は眠り込んでいたらしい。遠くで私の名を呼ぶ声が聞こえて返事をするが、そのまま音沙汰がない。階段を降りて下に行くと、夏休みなのにどこに行くでもなく手持無沙汰そうにしている中学生くらいの地味な女の子がいて、自分のあの頃と一緒だなと思う。みんなはどこかと聞くと知らないと答える。その兄らしいオタクっぽい男の子がやってくるが、イヤホンで何か聞いている。ハードディスクに直接イヤホンを接続していて、なるほどこうやればいいのかと思う。その子がパンフレットを出して、「虎屋大学」が今度「日本橋大学」に名前が変るという。私はそこの古文書講座に通っているから知っているよと答える。そうこうしているうちに兄妹のさらに下の妹らしい女の子がふたり帰って来て、そのうちひとりの11-12才くらいのほっそりとした可愛い子がパトカーに初めて乗せて貰ったと嬉しそうに話をする。私は一瞬この子が海辺で見失った子かも知れないと思う。食事の用意が出来たというので行ってみると、確かに料理が置かれてあるが、子どもたちは皆いなくなって私ひとりで食べることになり、私はうち棄てられたような淋しい気持ちになっていた。