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飄眇亭日乘 −ひょうびょうてい・にちじょう−

2018-08-09

和疲れ

八月九日(木)陰

このごろの自分を振り返ると、これは和疲れではないかと思えて来た。思えば、2009年に失脚と離婚が重なって精神的な危機を迎えた時、縋ったのが和のものであった。鎌倉の禅寺に坐禅に通い、書道を再開し、香道を習いはじめ、尺八を再び習いはじめた。花を活け、和歌を詠み、着物を着るようになった。食べ物も和食しか食べなくなり、必然的に飲むのも日本酒になった。フローリングに畳を敷いて和室もどきをつくり、文机と座布団を買って、線香を焚いて書をしたり坐禅をしたりした。こうした生活の延長で知り合った今の家内の実家で茶も習いはじめ、着物もたくさん作った。茶会や香席に出かけ、観に行くのも日本画がほとんどになった。音楽はもちろん邦楽で、尺八のほか浄瑠璃、端唄など三味線ものに親しんだ。文楽に通い歌舞伎も観に行き、雅楽や能にも行った。京都の寺と庭をめぐり、八犬伝をはじめとして古典にも親しみ、くずし字の読解にも取り組んだ。一時は鎖国のように、海外のものを拒絶していたことすらあった。それでいて、ネットやマスコミ、あるいはあなたがチューブなどでよく見かける、日本賛美のくだらない言説に出会うたびにげんなりと吐き気も催した。日本人にもし美徳があるとしたら、それはまさに自慢したり、これ見よがしに何かをしたりすることを恥じるということだろうに、それらはまさにその美質を欠いた行為なのだから、何をかいわんやである。そして、社史の勉強であらためて明治以降の日本の歴史の、特に昭和の出来事の細部に分け入ってみると、日本人の醜悪な面ばかりを知ることになり、貧しくかつ僻み根性と他人への猜疑心から成り立っているこの民族の、どこをどう曲解すれば自慢する気になれるのか、まったくもってその精神構造を疑いたくなるのである。もちろん、優れた日本人、ものの分かる日本人、素晴らしく尊敬できる日本人は決して少なくはない。しかし、わたしの尊敬するような日本人は、決してあるがままの日本人をそれで良しとすることはないし、むしろ謙虚に改めるべき点を指摘することの方が多い。だから、ネット上の中傷だとか、学校のいじめにしても、パワハラ、セクハラにしても、特定の日本人が急に悪くなったわけではなくて、おおかたの日本人がもとから持っている悪質が表に出ただけだという気がしている。わたしは現在日本人の良いと思われている、空気を読んだり、周囲に配慮したりする姿勢というのも嫌いだし、その根底にある底の浅い人生観に嫌悪を催す。とにかく、マジョリティになった時のこの民族の卑劣さは比類がない。わたしはだから常に日本人の中のマイノリティでいたいと思うし、実際そうなのだ。日大にしてもボクシング協会にしても、もちろんトップで権力を握る張本人が悪いのは確かだが、それ以上に周りで最高権力人に媚び諂う、取り巻きの連中に一番吐き気を催す。それが典型的な日本人の処世術に思えるからである。こんな風に嫌悪感が募っていれば、ある日とつぜん和に疲れ、すべての欺瞞に耐えられなくなり、すっかり自分の中の日本人性を脱ぎ捨てたくもなろうというものだ。だから、今回のことは突然に見えて実は積もり積もったものが極限に達しただけであることが、やっと自分でも理解できたのである。和のものには良いところももちろんあるし、美学的にすごいと思わせるものは確かに多い。それでも、そうした美質すら結局このひねくれた国民性が生み出したものだと思えば、さっぱりと捨て去りたくもなろうというものだ。潔さこそ、わが大和民族の美風ではないか。とは言え、十代のころ憧れた西洋文化についても、あの頃のように素直に肯定できるものでもなく、結局良いところは良いと認め、素晴らしいものには賛美を惜しまないという、それはそれで極めて資本主義的な倫理に落ち着くことに対する苛立ちがないわけではないのだが、ヤマトとラテン文化のはざまで揺れ動くしか今さらほかにありようのない自分であってみれば、当分意固地のように日本酒を拒否してやせ我慢をつづけるしか出来ることはないのである。ちなみに、かつては福沢の痩せ我慢の説に、海舟贔屓のわたしは冷笑を浴びせかけていたものだが、最近は日本人に残された抵抗の手段は痩せ我慢しかないのではないかと思い、ちょっと同意する気になりつつあることをつけ加えておく。

2018-08-06

嫌いなひと

八月六日(月)陰

気どった人、嘘つき、自分を善人だと思っている人、自分は正しいと信じている人。

前ふたつはかつての自分。後ふたつは自分とは金輪際無縁。

思考停止の人々その2.

よくある話ではあるが、義妹に聞いた話。コンビニで週刊誌を買うのにレジに出したら「温めますか」と聞かれたとのこと。ただ、義妹がその話を聞いた人は、そう言えばちょうど腹が減ったと言って「じゃあこれを」と近くにあった食べ物を出したという。こういう善人ぶりは大嫌い。それを良い話のように言う義妹も嫌い。わたしなら、すかさず「むしろ頭冷やして貰えますか?」と言うよと言ったら、向こうは嫌な顔していたが。冷笑するほど、相手の存在を対等に見ている証拠だと思うのだが。

2018-08-03

ジャズとワイン

八月三日(金)晴

表参道のエチカで家内と待ち合わせで白ワインを飲んでいた。最近はもっぱら白ワインで、ビールすら飲む気にならない。日本酒なんて考えただけで気持ち悪くなる。さて、座った席は地下鉄の改札に降りる階段に面したところにあり、ガラス張りなので通る人の様子がよく見える。降りて行くので足元を見るせいか、こちらを見上げる人はほとんどいないから、こちらは一方的に観察できるわけである。ワインを片手に暇なので行き交う人を見ていたが、つくづく、奇麗な人はいないものだと思い知らされた。昔は街を歩いていたら、ハッとする奇麗な女性を結構よく見かけていた気がするのだが、今はまず見かけない。自分の基準が変わったのか、そもそもハッとするような初々しい気持ちをなくしてしまったからなのかはわからないが、とにかくいない。かなりの数の、多くは若い人たちなのに、さらに場所が表参道だというのに、服装も皆概して野暮ったく、容貌もまあ十人並みばかりである。昔はそれこそ二目とみられぬ不細工がいたものだが、最近はそういうのも減ったかわり、美人も少なくなった感がある。たまに奇抜なファッションの女性もいるにはいるが、ことごとく似合っていず、しかも綺麗ではない。百人以上の女性が通ったと思うが、みごとにきれいな人はいなかった。会社にはこれだけ人がいたら何人かは奇麗な娘は絶対見つかると思うのに、意外な思いであった。ただ、会社では笑顔やそれなりの親しみの顔で接してくれているからきれいに見えても、その同じ人が無防備にこの階段を仏頂面して歩いていたらきれいに感じられない可能性はあるだろう。

この後ライブハウスに家内の知人の演奏を聞きに行き、ここでも白ワインを飲んだのだが、さっきの表参道に続いて、ウェイトレスの対応に驚かされた。表参道ではコーヒーも出す店だったからなのだろうが、ワインを頼んだ客に「ミルクと砂糖はおつけしますか」と聞かれるし、ライブハウスではメニューを頼むと「ドリンクですか?」と聞かれたので「食べ物の」と答えたら一瞬怪訝な顔をされ、「あ、フードのですね」と言われた。私は唖然とした。日本語通じないのかよ。料理が運ばれて来た時、わたしは「メルシー」とお礼を言った。

演奏の方は、ギターを中心としたジャズで、そこそこ楽しめたのだが、どうも周囲の客に馴染めぬものを感じた。隣の席には45歳くらいの、小太りで、IT系企業の役員やってますみたいな自信満々な感じの男がいて、28歳くらいの、さほど奇麗とも思えぬ女性と一緒なのだが、その会話が何ともイラッとさせるものであった。男は西洋建築におけるアーチのキーストーンについて、誰でも知ってるようなことなのに、衒学的に偉そうに話したかと思うと、女性に取締役と執行役員の違いってわかる?などと聞いて、知らないと答える女にも呆れたが、CEOだのCOOなどについて自慢たらしく講釈をはじめたのだ。最近、若くてかわいい女性であっても、やはり馬鹿は嫌だなと思いはじめていただけに、げんなりする思いであった。馬鹿にもいろいろあるが、無知を恥じない、むしろ無知をかわいさのひとつだと勘違いしている馬鹿さにはうんざりである。会社でもやはり若い子たちは基本的に無知で教養に欠けるので、だんだん嫌になって来たのである。知性と教養を感じさせる若くて美しい女性というものは、もはやないものねだり、あるいはわたしのような負け組には接することもできない高嶺の花になってしまったのであろうか。知性もあり、話も面白い女性となると、どうしても40代半ば以降ということになる。別に恋愛しようとしているわけではないから、それはそれで構わないのだが、何となく寂しい話ではある。

このふたり以外にも、客の中に中年男性のグループとか、初老の夫婦らしいカップルとかが多く、ジャズ好きな、海外駐在経験もあり、英語も話せて、いかにも資産運用もしています的な、生活に余裕のありそうな人たちが多くて、わたしとは異質というか、わたしがあまり馴染めないタイプばかりであった。

歳をとると、こうして世の中のことや人にどんどん不満と嫌悪がつのって行くものなのだろうか。もう少し、気持ちに余裕を持ちたいとは思うものの、考えることを止めているとしか思えない若者や、歴史にまったく関心を払わない連中に対する苛立ちは、最近とみに強くなっている。最後に、さっき話題にした、ライブハウスの臨席に座った女性の一言を紹介したい。

「わたし最近お酒を飲みながら本読むのにはまってるんです」

本読むだけましとは言えるが、そんなどうでもいい話を甘ったるい声で言うのを聞かされた方の身にもなってほしい。ちなみに、わたしは酒をのみながら本を読むことはない。散々な一日であった。

2018-08-01

八月

八月朔日(水)晴

早くも八月である。この前七月になって、今年も半分終わってしまったと驚いていたら、あっという間に八月になった。歳をとるとともに月日の経つのが加速度的に早く感じられるのは、おとなになると子どもの頃のようなときめきがなくなるからだとこの前チコちゃんでやっていたが、これには異論がある。要するに、一年でも一ヶ月でもいい、ある時間単位の相対的な大きさに由来すると考えたほうがいいと思うのだ。二歳の子にとって一年は人生の半分である。五十七歳のわたしの半分である28.5年分に相当するわけだから、それはそれなりに長く感じるのが当たり前であろう。57分の1の一年と、はたちの子の20分の1の一年では三倍近い違いがある。実感として、あの頃の一年は今の2〜3年くらいの、充実も事件もさまざまあった時間だったようにも思えるのである。もっとも就職して33年以上になるが、とても人生の半分以上の時間会社に属していたようには感じられない。せいぜい10年という感じである。とくに21世紀になってからのことは4〜5年の感じしかない。これは時間の逆遠近法とでも言うべき事態であり、近い数年ほど圧縮された感じがある。歳をとれば一年の相対的な量が減るのだから当然だろう。と同時に、年齢を重ねると、自分の生きて来た時間を示す、モノや財産や地位といったものが蓄積され、それに費やした時間がそこに凝縮されるのか、経過の記憶が希薄になるということもあるのではないだろうか。

2018-07-27

タイプ

七月二十七日(金)陰時々晴、涼し

亀戸の花王ミュージアムに行った。96年のaubeの広告ポスターが展示されているのを見て、突如そのモデルである高橋里奈が当時メチャメチャわたしのタイプであったことを思い出した。美形でかつ色気があり可愛げもある、ボディも完璧な美女で、最近このタイプのオトナっぽい女性をあまり見かけない。思わず、自分も20歳以上若返ったようなときめきを覚え、家に帰ってあなたの管で当時の映像を見たところ、やっぱり好きだなあと鼻の下をのばす。現在もモデルをしているそうなので、オフィシャルブログを見てみたら、なんと以前よりも完璧な美しさになっていた。今年50になるというから家内と同じ歳なのだが、日本にこんなに美しい50歳がいたのかと驚くほどの魅力である(まだ49歳だが)。若い頃きれいに見えてもすぐに驚くほど劣化するか、整形の悪影響が如実に顕われ出た芸能人が最近多くてげんなりしていただけに、この人の美しさは神々しいほどである。フランス人の男性では50代の女性を最も魅力的と思う人が多いというが、魅力的な中年フランス人女性と同様に、この人のような魅力的な50代の日本人女性がどんどん出て来てほしいものである。

2018-07-26

サヨナラ連発

七月二十六日(木)陰後晴

ライオンズが二夜連続のサヨナラ勝ち。おまけにホークスもサヨナラ。3ゲームとも、そのサヨナラのシーンを楽天tvで観ることができた。パリーグは本当に面白い。ライオンズは大阪桐蔭出身の選手を中心に実に魅力のあるチームだと思う。いわゆる美形の二枚目はいないのだが、野性味もあり可愛げもありで、男が好みそうなチームである。地味な感じの選手とやんちゃな感じの選手のバランスがいいのである。特に源田はすばらしい。地味で真面目なのに、決して大げさなファインプレーといった感じを出さずにすごい守備をする。秋山も走攻守揃ったまじめ系で、山川、森友、中村のぽっちゃり愛嬌トリオも何気にすごいバッター揃いだ。そしてやんちゃ系の代表浅村の思いっきりのいいスイングと華麗な守備。ピッチャーも今や球界のエース菊池を中心に多和田、榎田が頑張っていて、菊地を除けば皆あまり華がある方ではないのも、かえって応援したくなる。大谷やダルビッシュ、田中は別格として、則本や松井、千賀、岸にあるような、それなりの雰囲気とスター性を持つ投手ではないのに頑張っていて好感が持てるのである。

それにしても西武球場の中継だと、打者を捉える画面の上の方に客席が映るのだが、ちょうど通路を歩くビール売りの女の子が映ってなま足が見えるのを結構楽しみにしている視聴者は多いのではないかと思う。健康的な太ももを惜しげもなく見せて歩いていく姿は、ほぼ下半身のみで顔が見えないから余計に妄想をかきたて、何ともよい感じなのである。西武ドームは遠いせいもあって空席も目立つのだが、さすがにこれだけ強いと内野席はよく客が入っていて、バックネット裏やベンチ裏方向にビール売りの女の子の姿は多くて、西武戦観戦の密やかな楽しみのひとつである。

2018-07-23

ぎりぎりの脱線

七月二十三日(月)晴

社史を書いていると、会社の動きを叙述する中で当然世の中の動きや出来事との連動を説明する必要が出て来る。多くの場合、そうした出来事の詳細や背景は簡単に触れるだけで、それぞれ所与のものとして扱われる。わたしはそれが嫌で、というより、そうした背景となる政治的ないし社会経済的な背景について自分がよく知りもしないし理解もしていないことに気づいて(苛立って)、調べてみることが多い。特に戦前や戦後すぐのころの出来事は、知らないだけでなく興味もあるので、ついつい詳しく調べる気になる。そうすると、どうしても社史に必要最低限な知識にとどめておくことが出来ずに、それぞれのことがら自体の詳細について知りたくなり、脱線というべき深みにはまることも多い。調べれば調べるほどわからなくなることもあるし、おおよそは理解しても社史に必要な事項について書かれた文献が見つからなかったりして、時間も労力もかかるのである。今はネットで読める文献も多いし、少なくともネットで所在を確かめられるから、徒労に終わることは少ないものの、それでもこの酷暑の中図書館通いはなかなか辛いものがある。わたしの場合通勤途上にある横浜市立中央図書館に行くことが多いが、そこにない場合溝ノ口の県立川崎図書館か国会図書館に行く。それぞれ駅からそれなりの距離があって、特に国会図書館は駅から遠くて疲れるのだが、さすがに他にないものもここにはあるので一挙に問題が解決することもあり、最初から行けばよかったと思うことも多い。

さて、そうして脱線して調べた項目を羅列すると、「軍管理工場」「統制経済」「軍需産業の民需転換」「在外会社整理」「軍需会社法」「航空液体燃料政策」「有機合成事業法」「対日賠償問題」などであるが、それぞれを個別に理解するためには背後にある大きな流れを理解しなければならない一方で、社史が必要とする個別の事情に関しては参考になる文献がほとんどないというジレンマにも逢着する。ということは、背後の歴史的理解を深めようとすれば社史からどんどん脱線して行き、会社の個々の出来事をそうした歴史に位置づけようとすれば、脱線の上で得た知見をもとに、手もとにある不完全な一次史料とともに、みずから考察を組み立てなければならなくなるのである。おそらく、それがあるから大方の筆者は所与のものとして、たとえば「在外会社の指定を受け、GHQの支配下に入ってさまざまな制約を受けることになった」などとさらっと書いてしまうのだろう。在外会社を規定する法律や指定の日付、制約の具体的な内容、さらに指定の背景まで探ろうとすると、それだけで結構大ごとになり、調べて行くとそれまでの社史で書かれていた内容が必ずしも正確でないことが明らかになるのである。在外会社とは旧日本の植民地に本店があった会社を指すのだが、連合国はそれらを日本の植民地支配や軍部支配への協力者として懲罰的な措置を考え、かつ賠償問題もあるので海外の財産の一切を接収してしまうのだが、それも占領政策の変化とともに意味合いが変わっていく。周知の通り、日本は結局のところ戦勝国に対し、またアジアの国々に対して戦後賠償をほとんど行っていないが、その代りに海外の財産については、国有私有を問わずすべて没収され、これが事実上唯一の賠償ともみなされることになったのである。この辺の背景と結果を書かずして、在外会社なるものの実態とその悲劇は理解しようのないものなのだが、大方の社史では「とにかく戦後はいろいろ苦労した」という話の中に一般化されてしまう。

つまり、社史の範疇から逸脱、脱線しない限り、社史は社史の中で自己完結した言説にしかならず、会社と社会の動きの相互関係を理解することにはならないのではないか。社史を書くこと自体簡単なことではないが、社史を越える「会社の歴史」を書くことはさらに困難であり、わたしにそれが出来るかどうかはわからないが、少なくともそれをやれるだけの時間を与えて貰っている以上、少しでも脱線を通じて埋めるべきところは埋めていきたいと思う。社史などふつうの人たちは見向きもしないだろうが、やってみると結構面白く、固有の困難さと壁があることが実感される。少しでもその壁を乗り越え、「社史」以上、「歴史」以下の読み物を作ろうと思っている。

2018-07-04

ミュージックライフ

七月四日(水)陰後晴

ここのところ会社から帰るとワインかスコッチを飲みながら音楽を聴くのが習慣になっている。今までは普段まず音楽など聴くことはなく、たまに尺八は吹くがそれは音楽という意識ではなく修養と思っているので、本来わたしは全くの非音楽的生活を送るタイプであった。それが一転、家では懐メロ含め音楽を聴くことしかしていない気がする。帰宅してからCD三枚は聴いている。聴くのはツェッペリンとポーティスヘッドとペットショップボーイズ、シーア、ロキシーミュージックとブライアン・フェリー、それにベビーメタルである。音楽に詳しい方ではないからよくわからないが、ジャンルもテイストもかなりバラバラなのではないかと思う。以前から持っていたものもあるが、昔レコードで持っていたアルバムのCDや最近のリリースなどを大人買いして、この一週間で10枚買ったので、新しいものを聴くのも忙しい。今聴いているもの以外で好きなのは、椎名林檎ビル・エヴァンス、バッハ、ベートーベン、エリック・サティにショパンにリストといったところ。それと映画音楽でブレゴビッチとプレズナー。自分でもかなり分裂症気味だとは思うが、わたしはジャンルでなく自分が格好いいと思う音楽を好むに過ぎないのである。今回ロキシーミュージックのアヴァロンを聴いて、格好良さが少しも古びていないことに嬉しくなってしまった。おそらく、上記で挙げたアーティストのアルバムは全部買うことになるだろう。ポーティスヘッドはとりあえず全部おさえている。昔のレコードの価格にくらべれば今のCDは安く買える方法がいくらでもある。ただ、わたしはやはり自宅の居間でスピーカーから音を出して聴きたい方なので、電車の中でスマートフォンに取り込んだ曲を聴きながら自分の世界に入っている人のようにはなりたくないと思うのである。生活の場にいつも音楽がなくてはすまないというタイプではない、というより、聴く気でいないと音楽はうるさいものでしかないのである。それにしても、聴いている音楽の影響もあるのかも知れないが、和食も日本酒も、少しも口にしたいと思わなくなってしまったのには、あまりに極端すぎて自分でも呆れている。

2018-07-01

西洋回帰

七月朔日(日)晴

千葉市美術館にて「岡本神草の時代」展を観る。甲斐庄楠音の作品も出展されていて、横櫛にも久しぶりの対面を果たした。作品数も多くなかなか楽しめた企画展であった。

最近、突然日本酒が飲めなくなった。旨いと思えなくなって、飲む気がしなくなったのである。あれほど好きだった日本酒も、口をつけなくなってもう一か月以上経つ。代わりに飲むようになったのがワインで、人に貰ったまま溜まっていた家のものを飲んだら皆結構美味しくて、今は自分で買って飲んでいる。もちろん、産地とか銘柄などにこだわりはない。ワインを飲むだけでなく、食事もステーキや魚のアクアパッツァなど、西洋料理が多くなった。会社でときにランチを外でとる時も、ちょっと前までは和食だけだったが、最近は西洋料理やイタリアンなどによく行くようになった。日本回帰して約十年、その間西洋的なものは極力排して来たが、ここに来てまた一気に西洋回帰した感じがある。食べ物だけでなく、先の音楽にしてもそうだし、映画も西欧のものが多くなっているし、美術も最近ちょっとルネサンスやバロックの絵画など見たい気分が戻りつつある。突然それまで大好きだったものに一切関心がなくなったり、極端から極端に一気に振れるのは自分の常なので誰も驚きはしないと思うが、しかし、和のものはかなり日々の生活に根づいているので、いきなり全部西洋風にはならないだろうが、今までのよろず和風で暮らしていたのとは少し様相が変わる筈である。もっとも、着物を着てジャズもロックも楽しめばいいのだし、抹茶を点ててカラヴァッジオを鑑賞し、聞香しながらペットショップボーイズを聴くのも悪くはない。和の方に振れすぎたこだわりを捨てると、何だか毎日が楽しくなりそうな気がしている。美術でも文学でも音楽でも、素晴らしいものは素晴らしいのであって、和にこだわりすぎて窮屈にもなり、その結果酒なども厭きてしまったのだろう。

2018-06-30

なつメロ

六月三十日(土)晴

ユーチユーブで話題の八歳の女の子よよかちゃんの格好いいドラムスを聴いて、改めてレッドツェッペリンの良さを思い出した。やはり若い頃に聴いていた音楽というのは理屈抜きで体が反応するというか、音やメロディーの心地よさが蘇って来る感じがある。ツェッペリンのレコードはほぼすべて持っていた筈だが、その後CDの時代になり自分の音楽の趣味も変わって聴くこともなくなっていた。その後何かの拍子に二枚だけCDを買ったが、今回思い立ってプレゼンスをネットで買った。これは自分が中学生の時に出たアルバムで、春休み近くの中華料理店で皿洗いのバイトをして稼いだお金で、吉祥寺の輸入レコード屋で買ったものだ。15歳になる年の春のことである。その後中学高校と好きだったのだが、大学に入り時代が80年代になると、そろそろハードロックがださく感じられて来て遠のいたのである。

今回久々に聴いて、やっぱり気持ちがウキウキして来る。さっそくフィジカルグラフィティも注文してしまった。ちょっとした歳の差で、あるいは趣味の違いで、ストーンズ派になるかビートルズ信者になるか、ツェッペリン信奉者になるかだったのではなかろうか。わたしの場合、前のふたつは嫌いではないが、「よそ」の音楽という感じがある。