日記抄 

二月二十八日(木)晴
今會社の往き返りに澁澤龍彥の『私の戰後追想』といふ本を讀んでゐる。全集から河出書房の編集部が選んで編んだ文庫本で、囘想や身辺雑記風のエツセイ集である。澁澤の本を讀むのも久しぶりであるが、文學や美術に関する文章と異り、露惡的に庶民性を示すかのやうにかなりくだけた文體もあり多少意外の感がある。中に「日録」と題された、サド裁判の頃の日記の抄録があるのだが、酒を飲んだり映畫を観たり、文學仲間と遊ぶ日々が綴られる。其れなりに派手な、華々しい生活なのだらうが、日記として、とはつまり文章として一向に面白くない。嘗ては神秘性さへ感じて憧れてゐた文學者の化けの皮が剥がれたやうな氣がしなくもない。『斷腸亭日乘』の文章の面白さは別格にしても、小津安二郎の日記に比しても精彩を欠くのはどうしたことか。エツセイの稔つたつもりの言辞にしても、若い頃讀んだ時には感じたであらう衒學的な魅力すら余り出來の良いものに思へない。十代後半から二十代前半にかけての余にとりて偶像に近かつた傳説の仏蘭西文學者の文章が、今となつてはわざとらしく、誰でも知つてゐさうなことを勿体ぶる癖も嫌味に感じられてしまふ。まあ、實際に仏蘭西に暮らしたこともあり、其の後に余の文学の嗜好や趣味が変はつた事もあるのだらうが、昔の自分が買被りすぎてゐたのかも知れぬ。古書で買つても尚高価な、装丁に凝つた豪華本で讀む澁澤龍彥には確かに怪しい香りが漂つてゐたが、今文庫本で讀んでみると、正直言つて並の上くらゐの書き手だつたのではないかと思はれるのである。澁澤から得た知識も少くはないが、それとて其の後に知つた事を踏まへて讀み返してみると、案外浅いものであつた事に氣づかされて愕然とすることも少くない。
夜になつて同書讀了。とは言へ、「都会ノ病院ニテ幻覺ヲ見タルコト」を始め面白いエツセイも少なくなかつたし、自分のことや經驗を語る事を好まぬ性格からして今囘讀んだ類のものは例外に屬することを考へれば、それなりに樂しめた一冊であつた。