京都一日目

三月五日(土)晴
新横濱九時過ぎの新幹線にて京都に移動。烏丸三條の旅宿に荷物を置いてから徒歩尾張屋に行き蕎麦を食す。晝前に入つたので直ぐに座れたが出るころには長蛇の列であつた。暑いくらゐの陽気の中夷川通寺町通りを歩み市役所前の廣場のベンチで休む。其の後近くのカフヱにて珈琲を喫し鴨川に出て尺八を吹く。日蔭に入るとほつとするやうな氣温である。其れから再び寺町通りに戻り三時に下御霊神社の前で某美大准教授のI氏と落合ひ下御霊神社に入る。禰宜出雲路ご兄弟が面會してくれ甲斐荘楠香或は甲斐荘家についての資料がないか伺ふが、明治以降のことは整理もついてゐず分からないとのことであつた。殘念ではあるが雜談の中から幾つかのヒントは得られたやうに思ふ。特に楠香創業以來の大株主であるN家につき知れたことは収穫でであつた。社務所を辞し徒歩京都御苑の梅園に赴くが花粉の飛散甚だしく早々に退散して二条通りのカフヱにて一茶を喫す。其の際I女史、最近古書肆にて得しといふギャロパン著Le parfum de la femme を示さる。1865年刊の初版にて、多くの匂ひ關聯の本で言及されるものの、殆どは何處からかの孫引きなので、原著は稀覯本に屬するものと思はれる。羨ましき限り也。I女史は親切にも其の本の目次を翻譯したものを余に與へらる。また、同じく入手困難なコンディヤック『感覚論』の翻譯本を複寫したものも與へらる。厚意に感謝の言葉もない。
六時前出て近くの料理屋に入り、I女史、其の學生のYさん、神戸からSさんも來て四人で飲み始め樂しく一時間程喋つたところで急に腹が痛くなり廁に行く。腹を壊したやうなのだが、時間とともに更に腹痛は増し頭から血の氣が引いてゆくのが分かる。何度か立たうとするが苦しくて直ぐに座り込んでしまふ。さうかうしてゐるうち三十分も經ち流石に皆が心配し始める。一度必死の思ひで出るが顔色の惡さに皆驚きタクシーを呼ぶから病院に行けと言ふ。タクシーを待つ間再び廁に入る。結局京都在住の二方が付き添つてくれ第二赤十字病院に行き救急外來にて診察を受く。結局下痢による貧血症状にて顔色も心地もだいぶ良くなれば、會計の後直ちにタクシーにて宿に戻り早めに休むこととなる。折角三名の方に集まつてもらひながら餘り話も出來ず殘念であつたが、ノロウイルス等ではなかつたのは不幸中の幸ひであつた。