ジャズとワイン

八月三日(金)晴
表参道のエチカで家内と待ち合わせで白ワインを飲んでいた。最近はもっぱら白ワインで、ビールすら飲む気にならない。日本酒なんて考えただけで気持ち悪くなる。さて、座った席は地下鉄の改札に降りる階段に面したところにあり、ガラス張りなので通る人の様子がよく見える。降りて行くので足元を見るせいか、こちらを見上げる人はほとんどいないから、こちらは一方的に観察できるわけである。ワインを片手に暇なので行き交う人を見ていたが、つくづく、奇麗な人はいないものだと思い知らされた。昔は街を歩いていたら、ハッとする奇麗な女性を結構よく見かけていた気がするのだが、今はまず見かけない。自分の基準が変わったのか、そもそもハッとするような初々しい気持ちをなくしてしまったからなのかはわからないが、とにかくいない。かなりの数の、多くは若い人たちなのに、さらに場所が表参道だというのに、服装も皆概して野暮ったく、容貌もまあ十人並みばかりである。昔はそれこそ二目とみられぬ不細工がいたものだが、最近はそういうのも減ったかわり、美人も少なくなった感がある。たまに奇抜なファッションの女性もいるにはいるが、ことごとく似合っていず、しかも綺麗ではない。百人以上の女性が通ったと思うが、みごとにきれいな人はいなかった。会社にはこれだけ人がいたら何人かは奇麗な娘は絶対見つかると思うのに、意外な思いであった。ただ、会社では笑顔やそれなりの親しみの顔で接してくれているからきれいに見えても、その同じ人が無防備にこの階段を仏頂面して歩いていたらきれいに感じられない可能性はあるだろう。
この後ライブハウスに家内の知人の演奏を聞きに行き、ここでも白ワインを飲んだのだが、さっきの表参道に続いて、ウェイトレスの対応に驚かされた。表参道ではコーヒーも出す店だったからなのだろうが、ワインを頼んだ客に「ミルクと砂糖はおつけしますか」と聞かれるし、ライブハウスではメニューを頼むと「ドリンクですか?」と聞かれたので「食べ物の」と答えたら一瞬怪訝な顔をされ、「あ、フードのですね」と言われた。私は唖然とした。日本語通じないのかよ。料理が運ばれて来た時、わたしは「メルシー」とお礼を言った。
演奏の方は、ギターを中心としたジャズで、そこそこ楽しめたのだが、どうも周囲の客に馴染めぬものを感じた。隣の席には45歳くらいの、小太りで、IT系企業の役員やってますみたいな自信満々な感じの男がいて、28歳くらいの、さほど奇麗とも思えぬ女性と一緒なのだが、その会話が何ともイラッとさせるものであった。男は西洋建築におけるアーチのキーストーンについて、誰でも知ってるようなことなのに、衒学的に偉そうに話したかと思うと、女性に取締役と執行役員の違いってわかる?などと聞いて、知らないと答える女にも呆れたが、CEOだのCOOなどについて自慢たらしく講釈をはじめたのだ。最近、若くてかわいい女性であっても、やはり馬鹿は嫌だなと思いはじめていただけに、げんなりする思いであった。馬鹿にもいろいろあるが、無知を恥じない、むしろ無知をかわいさのひとつだと勘違いしている馬鹿さにはうんざりである。会社でもやはり若い子たちは基本的に無知で教養に欠けるので、だんだん嫌になって来たのである。知性と教養を感じさせる若くて美しい女性というものは、もはやないものねだり、あるいはわたしのような負け組には接することもできない高嶺の花になってしまったのであろうか。知性もあり、話も面白い女性となると、どうしても40代半ば以降ということになる。別に恋愛しようとしているわけではないから、それはそれで構わないのだが、何となく寂しい話ではある。
このふたり以外にも、客の中に中年男性のグループとか、初老の夫婦らしいカップルとかが多く、ジャズ好きな、海外駐在経験もあり、英語も話せて、いかにも資産運用もしています的な、生活に余裕のありそうな人たちが多くて、わたしとは異質というか、わたしがあまり馴染めないタイプばかりであった。
歳をとると、こうして世の中のことや人にどんどん不満と嫌悪がつのって行くものなのだろうか。もう少し、気持ちに余裕を持ちたいとは思うものの、考えることを止めているとしか思えない若者や、歴史にまったく関心を払わない連中に対する苛立ちは、最近とみに強くなっている。最後に、さっき話題にした、ライブハウスの臨席に座った女性の一言を紹介したい。
「わたし最近お酒を飲みながら本読むのにはまってるんです」
本読むだけましとは言えるが、そんなどうでもいい話を甘ったるい声で言うのを聞かされた方の身にもなってほしい。ちなみに、わたしは酒をのみながら本を読むことはない。散々な一日であった。