平穏無事な日々を漂う〜漂泊旦那の日記〜

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内田康夫『死者の木霊』(講談社文庫)

死者の木霊 (講談社文庫)

死者の木霊 (講談社文庫)

バラバラ死体が発見されたのは、信州の小京都、飯田市郊外の松川ダム。叔父甥間の借金がらみの単純な殺人事件と見た捜査本部は「犯人」の自殺が確認された時点で解散した。だが、この事件の背後に不自然なものを直感した飯田署の竹村巡査部長は執拗に事件に喰らいついていく。大型本格社会派のデビュー作。(粗筋紹介より引用)

1980年12月、栄光出版社より自費出版で刊行。講談社文庫版は1983年12月、刊行。



内田康夫は1934年、東京生まれ。CMアニメの製作スタッフ、コピーライター、CM製作会社の社長を経て1980年12月の本書を自費出版で刊行。さらに1981年、『本因坊殺人事件』を同じ栄光出版社より自費出版で刊行。1981年3月8日付の朝日新聞朝刊で『死者の木霊』が読書欄に取り上げられて話題となり、1982年に廣済堂出版から『後鳥羽伝説殺人事件』を出版し、商業デビュー。本書で登場した浅見光彦シリーズが後にベストセラーとなり、テレビシリーズが作られるほどの話題となる。『死者の木霊』は1983年、講談社文庫より改めて出版された。

後にベストセラー作家となる内田康夫のデビュー作。この頃1,2作は読んだ記憶はあるが、ここまでベストセラー作家になるとは思わなかった。その要因はやはり浅見光彦シリーズにあるのだとは思うが、デビューの頃は社会派と謳われていた。実際のところ、社会派というイメージは全くない。普通に謎解きを
ベースにした推理小説を書いている人だと思った。事件があり、探偵役が犯人を探し当てるという、推理小説の形に添った作品である。そこに社会問題を絡めるといったイメージは特になかった。内田康夫の場合はイメージにとらわれずに済んだが、出版社が勝手につけたイメージに囚われる作者も多いだろう。作者にとってはいい迷惑である。

本作品のモデルとなっているのは、松川ダムバラバラ殺人事件である。



1977年7月3日午前、長野県飯田市の松川ダムで、ビニール袋に包まれた男性の遺体が水に浮いているのを、地元の釣り人が発見。中にあったのは男性の胴体と、白骨化した頭部であった。その後、木曽郡南木曽町の畑でも手足が発見される。センセーショナルな報道が続いたが、日をおかずに東京・銀座のビル管理人男性が容疑者として浮上し、続いて遺体の身元が東京都の切手商(26)であることも判明。指名手配された容疑者は3か月後、北海道の湖で妻と一緒に入水心中した。金銭トラブルが事件の引鉄と推測されていたが、動機は謎のままで終わった。



詳細な概要については、講談社ノベルズ版に載っているらしい。そちらを買えば良かったと少し後悔。

死者の木霊』も、松川ダムでバラバラ死体が発見される。ダムの管理者が水源であることを心配する件は、よく調べているなと少し感心した。タクシー運転手が出頭して、それらしきダンボールを東京から運んだと告白。依頼された場所の近くにあるビルを訪ねると、管理人夫婦が行方不明。部屋の畳の下からは血痕が発見され、管理人の野本敏夫が容疑者として浮上。会社の人事担当者の説明で、被害者は叔父で総会屋の野本孝平と判明する。

飯田署の竹村岩男刑事は第三者が関与しているのではという仮説を立てるも、野本夫婦の自殺で捜査本部は解散。ところが竹村は不自然な点が多いことがどうしても解せず、一人で捜査を続ける。

こう読むと、実際の松川ダムバラバラ殺人事件は単に題材として使われたに過ぎないことがわかる。犯人の背景や心情などへ創作の方面から迫ったという類の作品ではない。隠された真相を推理した作品でもない。もちろんそれが悪いと言うつもりはない。ただそれだったら、実在の事件を思わせるような事件を取り扱う必要はあまりないだろうとも思ってしまうのも事実である。

なお小説の方であるが、事件背景や人物描写の丁寧な作りに好感が持てる刑事小説である。事件の真相が早々に見えてくるのがやや難点であるが、デビュー作としては悪くないだろう。竹村刑事とその妻・陽子のやり取りは、読んでいて楽しい。ここまでできた妻もなかなかいないだろうが。サブキャラクターである岡部警部補は、もう少しいいところを見せても良かったかとも思ったが。



内田康夫が友人かつ将棋仲間である作曲家の中川博之と口げんかをした際、「書けるものなら書いてみろ」と言われて書いたのが本作だという。 1978年に田内康のペンネームで第24回江戸川乱歩賞に応募するも二次予選で落選している(この年の受賞者は栗本薫『ぼくらの時代』)。出版時に加筆訂正があったかどうかはわからないが、本作品だったら最終選考程度には残ってもおかしくはなかった。ただ新しさはないので、落とされても仕方が無いのかなという気もする。