地元の人しか知らない史跡、南泉院跡。

鹿児島の人も、花尾神社は行った事があっても、南泉院までは、ほとんど行った事が無いと思います。隠れ念仏洞から、行く事30分、上へ上へ、山道(昔の古道のようです)を登っていきました。途中、鹿児島市が眼下に見える山の上で、山水が途中、出ており、甲付川に流れ込む、小さな川もあり、田の風景に心地よさを感じました。しばらく行くと山の中も中に、何かしら広い雑草地が現れ、その先におおきな階段が見えてきました。南泉院は、東叡山寛永寺の末寺にて、天台宗比叡山)の寺院で、宝永7年(1710年)第21代島津吉貴公は東照烈祖の廟(みたま)を崇め東照宮別当寺と和州(和歌山県吉野山学頭増正智周を開山して創建しました。寺領は500万、実相院、観相院、吉相院の三つの志坊をもち、三州天台宗触頭として、薩摩有数の大寺院でした。
しかし、明治初年の廃仏棄釈(神仏分離令)により、薩摩内の寺院は全て廃止され、明治9年(1876年)9月5日「信教自由の布達」まで、一宇の寺院も存在しなかったのです。
当南泉院も、その難を逃れられず廃止され、爾来天台宗の寺院は再興されず、今日に至っておりましたが、平成9年6月2日(1997年)日置郡(現在は鹿児島市)郡山の宗教法人「大雄山南泉院」を復興し、宗祖伝教大師の「一隅を照らすもの、すなわち国宝なり」の遣教を流布すべく聖地として、今日に至っています