漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

自己肯定感がわからない

■自己肯定感について書いた文がtwitterにあって、読んでみたけど、肯定の話じゃなかった。どうなれば自分を肯定できるのか、という許容の話または赦免の話だった。

■実は自己肯定感がよく分からない。これまで書いた日誌をざっと見直してみたら、自己肯定感は自惚れ、自尊感情は自負と言い換えてあった。自己の肯定があるから何かができる。でも何かができるから自己を肯定できるわけではない。似ているように見えて、ふたつは質が違う。そういうもんじゃないのか。そうしたら前にもこんなことを書いていた。同じようなところをずっと回っている。

だから、どうやって自己肯定感を高めるか、とか考えるのは実は無理な相談なんじゃないかと。だって、自分がどうやって自分を肯定できるようになったのかだって分かんないでしょ。
(中略)
分かるのは、多分、自立前の段階にはもう戻れない、ということだけ。なんだか分かんないけど、その前と後で同じ自分なのに全然違うものになってしまう。そういうものなんじゃないのかな。
(中略)
ということは、今の自分でやれること、とか考えてると何も進まない。これからあなたは別人になります、という前提でサポートするのがより適切なのでは、と考えた研修でした。
2011.1.15 「別人になる」

■自己肯定感がよく分からないのは、自己否定の裏返しで出てきたものだからじゃないだろうか。いや知らないけど。「××ができない私はダメ」が「××ができない私でもダメじゃない」にならず、「××ができたら私はダメじゃない」に流れるというのはありがちだし、そうなれば肯定は簡単に許容になる。否定は条件がつきやすい。条件を出されて無視するのはなかなか難しい。無視できないままに裏返すと条件クリアの責務が生まれる。

■どうしたら自己肯定感が生まれるか、というのは恐らく問いとして間違っている。もうやめたらいいんじゃないか。「別人になる」方式でもいいけど、「自己肯定感は既にある」方式でも悪くないかもしれない。自己肯定感は既にある。あるから実感したらいい、実感できかったら待ってよう、あるのは間違いないので、というスタンスは多分楽だし、どうせどうしていいか分からないことなら楽な方を選ぶのがよい。