RightNovel


「小説が世界を救うだなんて考える奴は、小説家だけだぜ。それも、とびきりいかれた奴だ」
そう君は言うけれど、僕たちはもう小説なしじゃ生きていられないんだ。歩く事も、息を吸うことも、僕らは読む事でしか味わう事はできない。
「いいか、百歩譲って、世界を救う小説があったとしても、それは小説が世界を救うんじゃない。小説を読んだ人間が世界を救うんだ」
同じ事じゃないか。僕は救われたいんだ。
「全然同じじゃない。それを間違えちゃいけない」
どうでもいいよ。哲学は嫌いなんだ。
「お前はいつもそうやって、考えるのをやめる。考えるのをやめたから、人間は小説がないと生きられなくなったんだぜ」
うるさいうるさい。お前、小説の登場人物の癖にうるさいよ。
「俺が黙ったら、お前は死んじゃうだろ。バカが。いいから、聞けよ。もうすぐこの小説も終わる。俺の語りが終わったら、一直線だ。リザは俺を刺し殺して、切り取った手首を持って沢口に渡すだろう。そしたら、沢口がリザを撃ち殺して終わりだ。そこには意味も何もない。ただこの作者は、人を殺したかったのさ。この長い小説はずっと、俺達がいかにくだらなくてちっぽけで世の中に害だけを与え続ける存在かを述べたくってただけなのさ」
お前、そんなに喋って良いのか? 行間だぞ。初めて見たよお前みたいなの。
「さあな。しらねえよ。でも俺は小説の登場人物の俺だけど、お前の中で肉を持った俺であるわけだから、お前でもあるわけだよ」
わかりにくいな。
「俺はお前の兄弟だ」
よくわかった。凄く嫌だ。
「黙れよゴミクズ。いいか、もう人間は終わりだよ。想像力がなくなって、自分の周りにある空気や地面さえも信じられなくなって、暗闇で本ばかり読んでいるお前らはお終いだ」
うるさい。
「でもお前、俺をこんなに喋らせるんだから、見込みあるぜ。いいか、RightNovelを探せ。それが本当の小説。本当の世界だ」
ライトノベル? それならいくつか読んだ事がある。
「馬鹿、RightNovelは全然違う。ああ、畜生め。リザが来たみたいだな。あのクソアマ。デッカイ鋏を持ってやがる」
それ、どこにあるんだよ。
「リザ、愛してるぜ。今日はどうした? オイ、何か言えよ。まあ、いいや。とにかくあがれよ。汚れてるけど」
言えよ。どこにあるんだよ。
「シャワー壊れてんだわ。まあ、いいだろ。オイ、何か言えよ。殴るぞ。あ? なにそれ」
シュキン。ザク、ザク、ザクザクザクザクザクザクザクザク。
僕は目を瞑る。見ていられない。リザは、手首を切り落とすんじゃなくて、手首以外をグチャグチャにしてしまって、その後、グズグズになった肉を抱いて泣いた。泣きやむと、残った右手首を持ってアパートを出て行く。
僕は行間であの男が言っていた事を必死に考える。RightNovelって何だ? 本当の小説? 昔話で聞いたことがある。小説とは、文字で書かれた物語で、娯楽として生み出されたって。
今とは意味が違う。物理的な次元から解き放たれて、希薄になった存在を繋ぎとめる術を未だ探し出せない僕たちは、小説と呼ばれる空間でのみ生きる事を許される。酸素ボンベを継ぎ足しながら海の中で暮らすような生活。継ぎ足しに失敗して死んだ奴や、サメみたいな虚無に食われた奴もいる。
もし、本当にRightNovelなんてものがあるんだったら、僕はそれを探そう。僕達は存在を希薄にしてしまったけど、存在への渇望をなくしてしまったわけじゃない。それはまだ人類の希望であり絶望なんだ。
沢口が、銃の撃鉄を下ろした。リザはまだ気付いていない。僕は大きく息を吸い込み、次の物語に備えた。