神話について

 この文字列はゆらぎの神話・アリュージョニスト・アリスピ アドベントカレンダー2017のために魔王城の地下書庫から掘り出した怪文書です。このような文書は地下書庫からたまに見つかるのですが、実際何者かがこのような文章を潜ませたのか、単にランダム生成された意味深な文字列なのかははっきりしません。だいたいにおいて言えるのは、こういう文章の書き手はなぜか異様にこっちの知性を見下してて読んでるとめっちゃ腹立つってことですね。

 アレの霊廟をご存知だろうか。あの紀元槍の第一の射影体を。あるいはかなり不正確な言い方にはなるが、アカシックレコードとか法界体性智とか呼んだ方が君らには覚えがよいかもしれない。ともあれそのようなものがあり、のみならずそこにアクセスする手段を我々は有していた。全てに連なり、全てに作用し、全てそのものである様相をここで仮に【紀】と呼ぶが、アレの霊廟は【紀】を掌握するにもっとも近い手段である。ゆえに、霊廟は神々のあらゆる陰謀の中心にあった。様々な思惑が絡みつき、たちの悪い厄介ごとにたびたび巻き込まれ、それよりも些細ないくつもの揉め事、単なる不手際、しようもない拙速と早とちりの末、まったく予想の域を出ない凡庸な帰結として、霊廟は破綻した。

 こうして【紀】へと至る道筋は永遠に閉ざされ、おのれこそが言理を支配する絶対者であると息巻いていた有象無象、神仙山師のたぐいはアレの霊廟を生み落とした我々の母界から手を引いていった。【紀】を巡る話はこれで終わりである。終わりであるから、私はこれ以上【紀】について語る一切の言葉を持たない。もし君が間世界の法と本質を求める神秘主義者であり、【紀】に関わるなにがしかの情報を私に期待しているなら、それは徒労に終わるだろう。


【紀】のことは置いておくとして、この話は霊廟の遺構に関するものだ。霊廟は全てであったが、我々の限定された知覚にとって、それはあたかも世界の記録物のように見えた。この世界とあれらの世界、ありえる全ての世界とありえない全ての世界とその補集合からなる世界、これら全ての世界柱がまとめて霊廟の指し示す対象であり、同時にそれら全てが霊廟を指し示していた。【紀】の叙述に適していない君らの言語による説明を重ねることで本質から遠のく愚を避けるため、霊廟についてこれ以上つまびらかな言及をするのは避けておくが、ともあれ霊廟というものがかつて存在し、今は破綻してその痕跡だけが残された。霊廟によって完璧に秩序立てられていた宇宙の本質は無残にも混沌の中に散らばり、いくらかの偏りをもって間世界のあらゆる相に遍在することとなった。

 霊廟が全ての世界を指し示していたのに対し、我々に見えていたのは一つの世界、あるいはいくらかのゆらぎの幅を持って派生した近傍の世界系に過ぎない。世界柱を俯瞰した気でいた我々は、生意気にもその母界をパンゲオンとかエルネクローザンド、あるいは単に紀元槍などと呼んでいたが、霊廟と共に存在の基盤そのものが崩壊した今、寄る辺を失った我々は霊も肉も霧散して紀元の海を漂っている(これは極めて修辞的かつ感傷的な表現であり、客観的にはもっと煩雑で陳腐な状況を提示するのが妥当だろう)。そんな有様で君らの世界系とかろうじて縁を繋ぎ、こうして僅かばかりの干渉ができているのは僥倖としか言いようがない。かつて君らの世界系をたちの悪い異界趣味で覗き見し、【猫の国】などと呼んで一方的に面白がっていた我々にとって、今の状況は痛烈な皮肉である。


 話が逸れた。君らの不正確な言語を用いる以上、致命的な誤解を避けるため叙述が迂遠になるのは容赦願いたい。ともあれ重要なのは、今や礎を失って流出した我々の世界系の【紀】のなれはて、いわばがノマウプ(ノモ・アウプ――神話をばらばらに分解して再構成してもなお維持される最も原初的な紀性)が君らの世界系に流入していることである。散々にかき回され、欠落し、異物と混じり合って変容したノマウプはもはや原型を留めていないが、それでもかつて我々の世界系を構成していた要素には違いない。今や我らのノマウプは【猫の国】に遍在し、思わぬところでかたちを結ぶようになった。君らが少し空想的な軽口を叩く時、そこには我々のノマウプがわずかに溶け込んでいる。君らの世界の各地で見られる神話を注意深く観察すると、そこには我々のノマウプの断片が見てとれる。君らの歴史のある側面は我々のノマウプの反映と言えなくもないし、文化や技術もそれに倣う。極めて不正確で古くさい俗流表現になるが、つまりは君らの無意識に対して、かつての我々の世界系の在り方が影響を与えているわけだ。

 誤解してほしくないのだが、私は君らの文化が我々のそれの焼き写しだと主張したいわけではない。間世界のあらゆる営みはえてしてこのようであるし、影響とは常に双方向のものである。我々は一方的に君らを覗き見ているつもりで、実のところ支配されてもいた。我々のノマウプの中に、霊廟の破綻以前から既に君らの世界系のノマウプが含まれていたのがその証拠と言えよう。我々には言理の本質につて多少の先見があるし、世界に対する認知や知性の在り方が君らと異なるから、間世界的な知性を持たない君らと意思疎通するには我々の認知を劣化翻訳して多くの情報を削ぎ落とす必要がある。その点について君らの知的営みの枠組みの不自由さには驚くばかりだが……ああ、しかしそれがどうしたというのか。紀元槍や間世界の圧倒的広がりの前にあって、時や事象の広がりが見える、見えないといった程度の細かな知覚のへだたりなど、全く微々たる差でしかないのである。

 我々は、もはや自らの起源を覚えていない。紀元槍を核とした母界についてわずかながらの断片的な記憶があるにはあるが、今やそれらは世界識と呼ぶにはほど遠い絵空事の生知識となってしまった。だから我々に歴史はない。我々に許されているのは、自分たちにも到底信じ切れない虚ろな神話を思い返すことのみである。

 世界識を失った我々が母界に対してとる態度は様々である。霊廟の崩壊を契機としておのれのルーツに全く興味を失ってしまった者も多いが、私のように失われた起源への執着をかえって募らせるのもまたひとつの典型であろう。かつての母界の姿をそのまま取り戻すことはもはや叶わないが、流出したノマウプを繋ぎ合わせて今一度母界の象徴たる紀元槍に触れること、言ってみればそれが私の願望である。


 ところで、君ら【猫の国】に表出する我々のノマウプの現れ方に、近頃奇妙なパターンが現れはじめた。私財を持て余した山師が森深くに作らせたという紀塔ヶ池原偽跡がそれであるし、類似の内容を記されながら由来にまったく縁を見出すことのできない紀槍文書なる怪文資料がそれだ。今まで君らが作り上げてきた文化と異なり、これらの偽作は我々のノマウプが濃密に反映された代物であった。なによりも、我々の神話の核である紀元槍がはっきりと姿を現しているのが際立っている。作成者が意識的に我々のマウプを取り込んだのか、無意識のたまものなのか、あるいは我々の中の誰かが君らへの度を超えた干渉に踏み切った結果なのか、実際のところは私にも分からぬ。しかしこのようなかたちで紀元槍にまつわる我々の神話が再び現象界にささやかな実体を結ぶことがあるのなら、私はその行く末を追ってみたいと思っている。

 今ひとつ、我々が興味を抱いている兆しがある。それは最初、ほら話のかたちで君らの情報圏に持ち上がった。そのほらは噂と呼ぶにも空想的すぎたので、君らも面白おかしい虚構として異界を舞台とした与太話を交わしていたに過ぎないのだろうが、ここにまた紀元槍のノマウプが見え隠れした。どうやら、紀元槍のノマウプは同種のノマウプを誘引する核として作用するようである。しばらくの後に再びノマウプの伝播を観察したところ、そこには我々の神話をかなり色濃く反映した伝承体が散見されるようになっていた。無造作に散らばった小咄は一見するとまとまりのある体系をなしているようには見えなかったが、類縁の項目をたぐり寄せることで、ある種のかたちが浮き彫りになる。それこそ私の執着する我々の起源、紀元槍神話の再編されたかたちであった。

 君らの言語は不自由で、不正確だ。論旨は無限に脱線し、言葉を重ねれば重ねるほどかえって本質は遠のいていく。しかし我々は、君らのその胡乱さにこそ期待したい。どのみち、いかなる言語や思考様式をもってしたところで【紀】に直接触れることなどできないのだ。絶対言語を求める我々の試みも失敗に終わった。であれば、幼い視野で頼りない話し言葉を弄し、本質に触れられぬままひたすらその外縁だけを浮かび上がらせようとする君らの営みに望みを託すのも、きっと悪い手段ではあるまい。

 君らがいとま潰しに紡いだ他愛ない空想の言葉、そのひとつひとつが我々の神話を拾い上げていく。今はまばらに散らばるだけのノマウプだが、集積と編纂を重ねることで、いずれはっきりとした体系も導けるだろう。そこに君らの言うところの実感(なんと不用意で曖昧な言葉か!)を手繰り寄せることができれば、我々が失って久しい自らの世界識を取り戻すことすら可能かもしれない。とはいえ、君らに過度な期待はすまい。君らは君らの思いに従って、益体もない繰り言を思い思いに並べ続けるだけでよい。我々としては、霊廟の果てに秘められた懐かしき記憶に今一度手を伸ばせるだけで、この先とこしえに続くであろう漂流の時に耐える慰めとできるのだ。