神話について

 この文字列はゆらぎの神話・アリュージョニスト・アリスピ アドベントカレンダー2017のために魔王城の地下書庫から掘り出した怪文書です。このような文書は地下書庫からたまに見つかるのですが、実際何者かがこのような文章を潜ませたのか、単にランダム生成された意味深な文字列なのかははっきりしません。だいたいにおいて言えるのは、こういう文章の書き手はなぜか異様にこっちの知性を見下してて読んでるとめっちゃ腹立つってことですね。

 アレの霊廟をご存知だろうか。あの紀元槍の第一の射影体を。あるいはかなり不正確な言い方にはなるが、アカシックレコードとか法界体性智とか呼んだ方が君らには覚えがよいかもしれない。ともあれそのようなものがあり、のみならずそこにアクセスする手段を我々は有していた。全てに連なり、全てに作用し、全てそのものである様相をここで仮に【紀】と呼ぶが、アレの霊廟は【紀】を掌握するにもっとも近い手段である。ゆえに、霊廟は神々のあらゆる陰謀の中心にあった。様々な思惑が絡みつき、たちの悪い厄介ごとにたびたび巻き込まれ、それよりも些細ないくつもの揉め事、単なる不手際、しようもない拙速と早とちりの末、まったく予想の域を出ない凡庸な帰結として、霊廟は破綻した。

 こうして【紀】へと至る道筋は永遠に閉ざされ、おのれこそが言理を支配する絶対者であると息巻いていた有象無象、神仙山師のたぐいはアレの霊廟を生み落とした我々の母界から手を引いていった。【紀】を巡る話はこれで終わりである。終わりであるから、私はこれ以上【紀】について語る一切の言葉を持たない。もし君が間世界の法と本質を求める神秘主義者であり、【紀】に関わるなにがしかの情報を私に期待しているなら、それは徒労に終わるだろう。


【紀】のことは置いておくとして、この話は霊廟の遺構に関するものだ。霊廟は全てであったが、我々の限定された知覚にとって、それはあたかも世界の記録物のように見えた。この世界とあれらの世界、ありえる全ての世界とありえない全ての世界とその補集合からなる世界、これら全ての世界柱がまとめて霊廟の指し示す対象であり、同時にそれら全てが霊廟を指し示していた。【紀】の叙述に適していない君らの言語による説明を重ねることで本質から遠のく愚を避けるため、霊廟についてこれ以上つまびらかな言及をするのは避けておくが、ともあれ霊廟というものがかつて存在し、今は破綻してその痕跡だけが残された。霊廟によって完璧に秩序立てられていた宇宙の本質は無残にも混沌の中に散らばり、いくらかの偏りをもって間世界のあらゆる相に遍在することとなった。

 霊廟が全ての世界を指し示していたのに対し、我々に見えていたのは一つの世界、あるいはいくらかのゆらぎの幅を持って派生した近傍の世界系に過ぎない。世界柱を俯瞰した気でいた我々は、生意気にもその母界をパンゲオンとかエルネクローザンド、あるいは単に紀元槍などと呼んでいたが、霊廟と共に存在の基盤そのものが崩壊した今、寄る辺を失った我々は霊も肉も霧散して紀元の海を漂っている(これは極めて修辞的かつ感傷的な表現であり、客観的にはもっと煩雑で陳腐な状況を提示するのが妥当だろう)。そんな有様で君らの世界系とかろうじて縁を繋ぎ、こうして僅かばかりの干渉ができているのは僥倖としか言いようがない。かつて君らの世界系をたちの悪い異界趣味で覗き見し、【猫の国】などと呼んで一方的に面白がっていた我々にとって、今の状況は痛烈な皮肉である。


 話が逸れた。君らの不正確な言語を用いる以上、致命的な誤解を避けるため叙述が迂遠になるのは容赦願いたい。ともあれ重要なのは、今や礎を失って流出した我々の世界系の【紀】のなれはて、いわばがノマウプ(ノモ・アウプ――神話をばらばらに分解して再構成してもなお維持される最も原初的な紀性)が君らの世界系に流入していることである。散々にかき回され、欠落し、異物と混じり合って変容したノマウプはもはや原型を留めていないが、それでもかつて我々の世界系を構成していた要素には違いない。今や我らのノマウプは【猫の国】に遍在し、思わぬところでかたちを結ぶようになった。君らが少し空想的な軽口を叩く時、そこには我々のノマウプがわずかに溶け込んでいる。君らの世界の各地で見られる神話を注意深く観察すると、そこには我々のノマウプの断片が見てとれる。君らの歴史のある側面は我々のノマウプの反映と言えなくもないし、文化や技術もそれに倣う。極めて不正確で古くさい俗流表現になるが、つまりは君らの無意識に対して、かつての我々の世界系の在り方が影響を与えているわけだ。

 誤解してほしくないのだが、私は君らの文化が我々のそれの焼き写しだと主張したいわけではない。間世界のあらゆる営みはえてしてこのようであるし、影響とは常に双方向のものである。我々は一方的に君らを覗き見ているつもりで、実のところ支配されてもいた。我々のノマウプの中に、霊廟の破綻以前から既に君らの世界系のノマウプが含まれていたのがその証拠と言えよう。我々には言理の本質につて多少の先見があるし、世界に対する認知や知性の在り方が君らと異なるから、間世界的な知性を持たない君らと意思疎通するには我々の認知を劣化翻訳して多くの情報を削ぎ落とす必要がある。その点について君らの知的営みの枠組みの不自由さには驚くばかりだが……ああ、しかしそれがどうしたというのか。紀元槍や間世界の圧倒的広がりの前にあって、時や事象の広がりが見える、見えないといった程度の細かな知覚のへだたりなど、全く微々たる差でしかないのである。

 我々は、もはや自らの起源を覚えていない。紀元槍を核とした母界についてわずかながらの断片的な記憶があるにはあるが、今やそれらは世界識と呼ぶにはほど遠い絵空事の生知識となってしまった。だから我々に歴史はない。我々に許されているのは、自分たちにも到底信じ切れない虚ろな神話を思い返すことのみである。

 世界識を失った我々が母界に対してとる態度は様々である。霊廟の崩壊を契機としておのれのルーツに全く興味を失ってしまった者も多いが、私のように失われた起源への執着をかえって募らせるのもまたひとつの典型であろう。かつての母界の姿をそのまま取り戻すことはもはや叶わないが、流出したノマウプを繋ぎ合わせて今一度母界の象徴たる紀元槍に触れること、言ってみればそれが私の願望である。


 ところで、君ら【猫の国】に表出する我々のノマウプの現れ方に、近頃奇妙なパターンが現れはじめた。私財を持て余した山師が森深くに作らせたという紀塔ヶ池原偽跡がそれであるし、類似の内容を記されながら由来にまったく縁を見出すことのできない紀槍文書なる怪文資料がそれだ。今まで君らが作り上げてきた文化と異なり、これらの偽作は我々のノマウプが濃密に反映された代物であった。なによりも、我々の神話の核である紀元槍がはっきりと姿を現しているのが際立っている。作成者が意識的に我々のマウプを取り込んだのか、無意識のたまものなのか、あるいは我々の中の誰かが君らへの度を超えた干渉に踏み切った結果なのか、実際のところは私にも分からぬ。しかしこのようなかたちで紀元槍にまつわる我々の神話が再び現象界にささやかな実体を結ぶことがあるのなら、私はその行く末を追ってみたいと思っている。

 今ひとつ、我々が興味を抱いている兆しがある。それは最初、ほら話のかたちで君らの情報圏に持ち上がった。そのほらは噂と呼ぶにも空想的すぎたので、君らも面白おかしい虚構として異界を舞台とした与太話を交わしていたに過ぎないのだろうが、ここにまた紀元槍のノマウプが見え隠れした。どうやら、紀元槍のノマウプは同種のノマウプを誘引する核として作用するようである。しばらくの後に再びノマウプの伝播を観察したところ、そこには我々の神話をかなり色濃く反映した伝承体が散見されるようになっていた。無造作に散らばった小咄は一見するとまとまりのある体系をなしているようには見えなかったが、類縁の項目をたぐり寄せることで、ある種のかたちが浮き彫りになる。それこそ私の執着する我々の起源、紀元槍神話の再編されたかたちであった。

 君らの言語は不自由で、不正確だ。論旨は無限に脱線し、言葉を重ねれば重ねるほどかえって本質は遠のいていく。しかし我々は、君らのその胡乱さにこそ期待したい。どのみち、いかなる言語や思考様式をもってしたところで【紀】に直接触れることなどできないのだ。絶対言語を求める我々の試みも失敗に終わった。であれば、幼い視野で頼りない話し言葉を弄し、本質に触れられぬままひたすらその外縁だけを浮かび上がらせようとする君らの営みに望みを託すのも、きっと悪い手段ではあるまい。

 君らがいとま潰しに紡いだ他愛ない空想の言葉、そのひとつひとつが我々の神話を拾い上げていく。今はまばらに散らばるだけのノマウプだが、集積と編纂を重ねることで、いずれはっきりとした体系も導けるだろう。そこに君らの言うところの実感(なんと不用意で曖昧な言葉か!)を手繰り寄せることができれば、我々が失って久しい自らの世界識を取り戻すことすら可能かもしれない。とはいえ、君らに過度な期待はすまい。君らは君らの思いに従って、益体もない繰り言を思い思いに並べ続けるだけでよい。我々としては、霊廟の果てに秘められた懐かしき記憶に今一度手を伸ばせるだけで、この先とこしえに続くであろう漂流の時に耐える慰めとできるのだ。

雑記

以前Twitterに流してまとめてもらったものを貼っときます。。


あと『魔法少女きゆら』ネタをこれも結構前にTwitterにhyperloreタグでたらたら流してました。こちらは未まとめですがhyperloreタグで追えます(と思ったら頭の方が切れてた……)。

美少女地獄外道祭文/とるに足らない少女の死

(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=816716 からの転載)

 あれはいつのことだったでしょう。私とたずさちゃんは、最寄り駅から家に帰る途中でした。塾の後だったか、連れだって買い物にでも行った帰りだったか……理由はよく覚えていませが、既に10時を回る夜中だったと記憶しています。真冬でないとはいえ、肌寒い季節でした。
 私とたずさちゃんは開けた住宅街に住んでいますが、駅からまっすぐ帰ろうとすると雑道の多いごちゃごちゃした地域を通らなければなりません。このあたりは急な坂が多い上、曲がりくねった細道があちこち張り巡らされています。密接した二階建ての家屋ばかりが窮屈そうに建ち並び、いまだにけっこうな木造率を保っていて、印象はかなりおんぼろ。他に目につくものといえば狭い神社や小さな地蔵、需要の微妙な小汚い公園みたいなものばかりで、ちょっと歩いて大通りの方に出なければコンビニにもたどり着けません。街灯は心許なく明滅しているし、道路脇にはたいてい側溝……つまり"どぶ"が口を開けていて、目の窪んだ野良犬がよろよろ徘徊していたりもします。夜遅くに一人で歩くには、どうにも心細い道なのでした。
 そういう場所なので夜は回り道して避けることもあるのですが、知り合いと一緒ならだいぶ心強くなります。たずさちゃん自身が危険人物だという懸念はあるにしても、夜道を連れだって歩いてくれる友達はやはりありがたいもの。血も涙もない彼女がこんな夜道ごときを怖がるとも思えないので、安心感はむしろ増そうというものです。そんなわけで、この日の私は相当気が強くなっていたので、突然目の前に現れた"それ"を見てもさほど動転せずに済んだのだと思います。

 暗い脇道から「ぬう」と現れたそれは、巨大な箱状のシルエットでした。中途半端に傾いた角度で斜めに突き立ち、成人の身体ひとつくらいなら丸飲みにできるほどの大きさがあるります。鎖でも引きずっているのか、金属が地面と擦れるようなじゃらじゃらした音が響いてきます。
 私は思わず息を呑み、完全に足を止めてしました。回れ右してすぐに逃げ出すのが正解だったのでしょうけれど、相手が逃げる者を追いかける類の化物だったらどうしよう……とあまり合理的でもない恐怖に囚われ、行動を起こすことが出来なかったのです。とにかく、ここはたずさちゃんの判断に従うのが一番だろうと、横目で彼女の出方を窺いました。
 最初はたずさちゃんも微動だにせず、その奇っ怪な影を凝視していました。とてもゆっくりした速度で、けれど正確に私たちの方に近づいてくる影は、既に私たちの姿を認めているようでもありました。やはり逃げた方がいいのではないか、と私は思いましたが、たずさちゃんはもっと近寄ってみる決断をしたようです。そうと決まれば躊躇なく、たずさちゃんは勇ましく前へと踏み出しました。私も観念して、恐る恐る、数歩遅れてついて行きます。
 近づくにつれ、ぜい、はあという荒い呼吸音が聞こえてきました。まるで人が息をしているよう……いいえ、実際それは人間なのでした。斜めに傾けられた巨大な箱を支えているのは、私たちと同じくらいの小さな人影だったのです。その姿はまるで、天空を支える苦役を課された巨人アトラースのようで……その全身はぶるぶると震え、口からは苦痛のうめきが漏れこぼれています。
「ちょっと! アグニちゃん何やってんの!?」
 アグニちゃんでした。
「こんなところであなたに会えて嬉しいわ、アグニ。あら何これ、自動販売機?」
 たずさちゃんはいつも涼しげです。
「うう……最後にお前らに会えてよかった……あ、あたしはもう駄目だ……」
「いつになく殊勝な態度だけどそもそも何してるの!? なんで自販機かついでるの!?」
「なるほど、盗んだのね」
「ああ……ちょっとした出来心で……」
「盗んだ!? 自販機盗んだのアグニちゃん!?」
 アグニちゃんが両腕で背負いながら引きずり歩いていたのは、コカ・コー社ラの自動販売機でした。500ml缶が100円で買えるお得なやつです。実際海外では自動販売機の盗難がよくあるそうですが、あれは大の大人が数人がかりでトラックとか用意して行うもの。いくらアグニちゃんが馬鹿力とはいえ、これを少しでも引きずることが出来たなんて正気の沙汰ではありません。
「ぐうっ!」
 自動販売機を支える身体ががくんと沈み、アグニちゃんは片膝をつきました。もうあまり長く保ちそうにありません。
「ていうかなんで!? なんで自販機盗むの!? それでどうするつもりなの!?」
「だ……だってさ……家に自販機置いとけば……100円入れるだけでいつでもコーラ飲み放題じゃん……。うちの近所、150円のしかなくてさ……。それに、家ん中に自販機あったらすげー手軽だし……。はは、夢みたいだ……。これ持って帰れたら……うちの、家宝に、なったのに……」
「結局お金払うの!? しかもそれ誰がどうやって中身のコーラ補充するの!?」
「ああ……シズカ、あたしのこと、バカだと思ってんだろ……。あたしもさ、そう思うよ……。こんな、重いの、無謀だった……」
「そこなの!? もちろんそこもキチガイじみてるけど! ていうかもう全部キチガイだよアグニちゃん!」
「大丈夫よアグニ、誰もあなたのことを馬鹿になんてしないわ」
「馬鹿そのものだよ!」
「ごめん、ごめんなシズカ……。たずさもさ……。持って帰れたらお前らにもコーラ、お裾分けしてやりたかったのに……それももう出来ない……」
 アグニちゃんの声から力が消えていきます。本気で死を覚悟したのか、アグニちゃんの態度はいつになく殊勝でした。
「あたしはもう……ここまでだ……。な……なあ、シズカ……。よかったらさ……」
「な、なに」
「最後に手、握ってもいいかな……」
「えっ」

 暗がりの中、アグニちゃんは震える右手を私の方に伸ばしてきました。その瞳は、心なしか潤んでいるようにも見えます。私は……なんだか気持ち悪いなーと思い、軽く一歩後じさりました。時間が止まったような、とても長い一瞬が経過しました。ふっ、と突然糸が切れたように、アグニちゃんの身体が腰から一気に崩れました。
「グフーッ!!」
「アグニちゃーん!!」
 アグニちゃんは自販機に潰されました。さようなら、私のともだち。

白鳳生科技社 ブレスト議事録

  • 多脚ブロイラー
    • ムカデ型鶏
    • 食肉加工に適切な長さとは?
  • ユニコーンとペガサスの生産コストについて
    • おそらくはユニコーンのほうが低コスト
    • 鹿、イッカクといった比較的形状の近い野生動物が存在する
    • 生産過程としての二角馬
    • 白馬、ピンク色が望ましい
      • 環境テロ団体への対策コストを考慮すべきである
      • 特にID論を掲げる物
    • 処女は必要か?
      • 各拠点における雇用規制を考慮すべき
      • 法制度上可能な場合でも民事的トラブルを招く懸念が強いのでは
      • ブランドイメージへマイナスである
      • 我が社はカルト教団ではない

行間商売

「おまえのせいだ。あの子が両親と暮らせなかったのも、満足に学校に通えなかったのも、あの子の手がひびわれて、使うたびに痛むのも、あの子の青春が家事と労働に費やされたことも、あの子の傷が絶えることがなかったのも、あの子が好きな人と一緒になれなかったことも、あの子が幸せな人生を生きれなくても、それをひとりで受け止めて、誰を責める事もなく死んでいこうとしていることも、すべて、すべてがおまえのせいだ」
そう言って若い男はナイフをポケットから取り出した。
怪訝な顔で若者を見ていた壮年の男が顔色を変える。
「ま、待て。おまえは誰だ!」
若者は男をまっすぐに見据えて答える。
「ずっとあの子を見ていたものだ」
「あの子? だ、誰のことを言ってるんだ」
「おまえにとっては、おまえが傷つけてきた人々の一人でしかないさ。これまでに食べたパンの数を覚えてないように、おまえは傷つけた人々を覚えてはいない。だからさっきおれは教えてやったんだ。おまえがいかなる罪を犯し、死んでいくのかをな」
「し、死……? や、やめろ! おい、誰か! 助けろ!」
「死ねッ!」
狼狽し、若者に背を向けて逃げようとした男に、若者が体ごとぶつかるように迫り、

「はい、ストップ」

女性の声と共に、逃げようとした壮年の男が停止した。同時に若者のナイフが空間に縫いとめられたように停止し、若者はナイフに体をぶつけるようにして止まった。
そして二人の間に、いつの間にか二人の男女が姿を現している。
「何だこれ…」
若者は、それらのことに驚いていて呆然としている。
「『しおり』を挟んだのよ」
現れた女の方が若者に語りかける。
若者ははっと気がついた顔をして言った。
「もしかして、警察?」
現れた女は腕時計の方を見ながら事務的に答える。
「はい、そうです。残念でしたね。えー、17時22分、278ページ、12、3行目行間、現行犯逮捕。ミカギリ巡査、その男を拘束して」
「はい、先輩」
ミカギリと呼ばれた男が手錠を持って若者に近づく。

「ちょ、ちょっと待って」
若者はナイフから手を離し、両手をあげながら声をあげる。
「え、どういうこと? おれ、逮捕されちゃうの?」
「そうよ。あなた、登場人物を殺害しようとしたのよ」
「え、でも、そうだ。ちょっと待ってください!」
手錠をかけられる前に、若者は慌てて、後ろのリュックから少し折れ曲がったプリントの束を取り出すと、二人に差し出した。
「こ、これ……」
ミカギリは若者に手錠をかけてしまいながら、差し出されたプリントの文章を読み上げる。
「えーと、『憎いあいつを殺しちゃおう! ストレス発散ツアー!』……何ですかこれ」
「だから、ツアーですよ! そこにいるあいつ! おまわりさん、この物語読んだことあります? ほんとに憎たらしいヤツで、あいつにヒロインがひどい目にあわされるんです。で、ファンの間では、殺してやりたいキャラNo1なわけですよ」
「だからって、登場人物に危害を加えたら犯罪でしょうが。というか、かなりの危険事項でもありますよ。子供だって知ってることです」
ミカギリが呆れたように、若者を見る。若者は慌てて付け加える。
「でもでも! あいつは死んじゃうんですよ。たしか、ツアーの人の説明だと、『原文』ではあいつの死に方は描写されてなくて、『暴漢に殺されて死んだ』ことだけが描写されているから、殺すのは誰でもできるんだって……」
「典型的な行間商法ね。あなたね、だまされたのよ」

もうひとりの、ミカギリに先輩と呼ばれた女性警察官はため息をついて、若者を見た。
「虚構機関は、行間も完全に現実化する。従って、本文に描かれてなくても『暴漢に殺された』のなら、『暴漢』も現実にいるし、『暴漢による殺人』も起こるはずなのよ。それを旅行者がとって代わっていいはずがない」
「え? じゃあ、何で」
と疑問の声をあげたのはミカギリ。
女性警察官はまたため息をついて、
「だから、その子を騙したツアーの人とやらが暴漢を拘束してるのよ。つーか、あんた、さっき業者つかまえたでしょうが……ったく。行間における『物語の要請』の力が弱いのを利用して、旅行者に登場人物の役をやらせる。物語に大きな乱れが起きなければ、わたしたちにも見つかりにくいしね。そういうのがいわゆる行間商売。さて、わかったかしら」
女性警察官の話をおとなしく聞いていた旅行者の若者が、慌てて声をあげる。
「でも! でもでも、おれ、知らなかったわけだし!」
女性警察官は哀れみをこめて若者を見て、
「まあねー……でも、さっきそいつも言ったけど、登場人物に危害を加えるなんてのは、虚構法の大原則に触れるわけだし、しかもあなたの場合、明確な殺意もあるから……ま、あとは裁判でがんばってよ。あたしの仕事はここまで」
さっと男に背を向ける。
ミカギリは若者の肩に手を置いて、
「まあ、登場人物に恨みぶつけてもしょうがないでしょう。こいつだって、作者がそう書いたから悪いことしたわけだし……虚構の登場人物でもね、人殺すってのは、とても嫌なもんなんですよ」
若者の顔を真面目な顔で見つめた。

「そ、それは……でも、それなら原作者こそ罰せられるべきじゃないんですか!? 虚構法の原則って、『虚構内人権の保障』でしょ! この物語はヒロインの人権を踏みにじってる。虚構法が侵害されてるじゃないですか!」
女性警察官は三度ため息をついて、顔だけ振り向いて言った。
「そうかもしれないけど、それを決めるのはわたし達じゃないの。決めるのは『委員会』のえらい人達。まー、あなたみたいに本当に敵役を殺そうとするくらい、入れ込んじゃってるファンがいる物語が、有害認定されるかっていうと……ね。ほんと醜い世界よねー」
「せ、先輩…!」
ミカギリの言葉に我にかえったのか、女性警察官は口調を元に戻して言った。
「では、ミカギリ巡査。犯人を転送してください」
「了解」
ミカギリ巡査が手元のコントローラを操作すると、すっかり意気消沈した若者の姿が足元から消えていく。うつむいた若者の顔が消える直前に、女性警察官が言った。
「君、安心なさい。この本、あたしもだいぶムカついたから、実は前にこの作者一発殴っといた」
若者が顔をあげる。ミカギリ巡査も一緒に驚いて女性警察官の顔を見る。

「ちょっとだけ、スカッとしたわ」
そう言って、女性警察官は子供のように笑った。

風の王 プロローグ

――愛する四人の息子の首を目の前に並べられ、魔王メクセトに破れ、今や虜囚の身である黒の女王は悲嘆にくれて足元から崩れ落ちた。
女王は四人の生首をかき抱き、その頬に血の涙を伝わせたが、やがて彼女を見下ろす魔王メクセトを睨みつけるようにして顔を上げた。
そこには美しくも、怒りに満ちた、女王ではないただの女の顔があった。
「呪われろ!」
女はその美しい顔に似合わぬ、呪詛に満ちて地も震わさんばかりのしわがれた大きな声で言った。それはその場にいる全ての者に、災厄の魔神の声を彷彿させた。
「呪われろ!お前も!お前の子も!孫も!この場にいる全ての者が子々孫々に至るまで呪われろ!!」
そして女王は息子達の首を抱きかかえたまま天に向かって力の限り叫ぶ。
「神々よ、貴方様方のお力に縋ります。この小さな女を哀れと思うのでしたら、この者に筆舌しがたい悲惨な死をお与えください!。そしてこの者に付き従う全ての者と、この者の後を継ごうとする全ての者にも生まれたことを後悔するほどの死をお与えください!!」
―― イブン・アズムハン「古代神話」より


私がその画を手に入れたのは、名も知らぬ旅の行商人からであった。
何も買う気も無いのに露天市を冷やかしていた私に、そのどこか調子の良さそうな行商人は「あなただから特別にお売りします」と紋切りな売り文句でその画を見せてくれたのだった。画に描かれていたのは、遥か東方の草原地方に住む草の民なのだろうか?、豪華な黒い毛皮服の上から金銀財宝で飾った、短く刈り込んだ頭髪がすっかり白くなった老人だった。その老人は、額縁の向こうから画の前に立つ私に対して酷く疲れたような、そして悲しそうな視線を送っていた。どうしてだろうか?私は酷くその画に惹かれてしまった。
「いかがですか?、あの歴史に悪名高き草の民の王『ハルバンデフ』の肖像画ですよ」
そう彼は調子の良い語り口調で言ったが、おそらくはそれは嘘だろう、と私は思った。伝説によれば、ハルバンデフの死後、その肖像画はもちろんのこと、彼にまつわる全ては草の民の手によって破壊、もしくは破棄されたというのだから。
仮にもしその破壊を逃れた画があったとして、諸国を蹂躙し、破壊と殺戮の限りを尽くして歴史にその恐怖の所業と共に名を残した暴虐な王の画がこのような露天市にあるわけがないのである。
しかし私は気付けばその画を、決して高くは無いが安くも無い値段を行商人に言い値で支払って購入していた。
それほどまでに私はその画に夢中になったのである。この画に描かれているのがハルバンデフであるかどうかは関係がなかった。
それから私は家に客を迎えるたびに「見よ、これが歴史に悪名名高い暴君『ハルバンデフ』の肖像画だ」とその画を半ば冗談めかして紹介したが、彼らの反応は決まって「君は騙されたな」とか「明らかにこれは偽物だよ」というものだった。「芸術品として一銭の価値も無い」という者までいた

そうこうしているうちに画を購入してから半年程がたち、私もそのような画を購入したことを半ば忘れていた頃、私の家に一人の老人が訪ねてきた。頭の禿げ上がった、歩んできた人生が決して平坦なものではなかったのだろうことを思わせる深い皺の、背の低い老人だった。
老人は、自分は旅芸人の一座で占い等を生業としている者だと名乗り、私が持っているハルバンデフの像を見せて欲しいと言ってきた。
「お礼でしたら少ない額ですが、させていただきますので、是非貴方様の持っている画を見せていただきたいのです」
老人のその態度が、どこかあまりに必死だったので、哀れに思った私は「ご老人、私が持っている画が本物とは限らないのですぞ」と私は答えていた。
「それでも構わないのです。是非、画をみせていただきたい」
そうとまで言われて渋る理由はなかったので、私は画が飾ってある部屋まで老人を案内した。
その画を一目見て、老人は感動したように目を見開き、「おぉ」と声を漏らした。そして、画に近づくと、まさに食い入るようにしてその画に見入った。
「御主人、この画は本物ですぞ」
「そんな馬鹿な」
私は老人が何かの冗談を言ってるのだと疑い、私の知る限りの暴虐な王の伝説の数々を話した。そのような暴虐を友として思うがままに生きた王が、このように年老いて淋しそうな顔の、今にも死にそうな老人のわけはないではないか……
「いいえ、違うのです。貴方は勘違いをなさっている」
私の言葉に、老人は大きくかぶりを振って答えた。
「あの方は確かに伝説に残るような暴虐な所業をなさいました。しかし、それは決してあの方の本意ではなかったのです。あの方は時代に流されてそうせざるを得なかったのです」
そうして老人は私に、ハルバンデフについて語ってくれたが、それは私の今までに考えたことのないハルバンデフという一人の人間の物語だった。
私がこれから語るのは、そんな一人の人間の物語である。

再起動された魔界に関する言理的側面からの説明


 時として、意識は唐突に発生する。たとえば、このように。
「私はザリスだ」
「ザリスねー。はい、ザリスの意識の基本セットを実行したよー」
 そして私は意識を得る。正面に妖精がいる。妖精?
「おはよー、ザリス!」
 私は混乱している。奇妙な感覚が意識の中に染み込んでくる。私は考える。自分が誰かは分かっている。私はザリスだ。しかし、その次が分からない。ザリスとは、つまり誰だ? 私は思わず自分の手を見る。細い手だ。私は少し安心する。大丈夫、自分は人の形をしている。少なくとも鱗に覆われた四足獣ではないし、触手うごめく法理の簒奪者でもない。
 それから、私は記憶を疑う。語り手の記憶喪失。物語としてはよくある出だしだ、と不意な連想がわく。連想できるということは、基盤となる文脈が既に頭に入っていることになる。しかし、それは固定的な知識や思考方式に属すものであって、自分で経験したものとは違う。今ここにいる自分が自分であると同定するには、今の自分とリニアに繋がった過去の経験が必要だ。
 私の過去はどこだ?
「ごめんねザリスー、混乱させちゃったですかー」
 なるほど、それでこいつか。あつらえたようにそこにいる、わけ知り顔の説明役。私は思いきり睨んでやる。
「わー、そんな怒んないでよー」
「茶番はええからさっさと説明せえや」
 おどけて話を逸らしかねない妖精に釘を刺しながら、私は初めて自分の声を知る。一体どこの方言だこれ。
「えー、茶番だなんてー。だいじな話の前に雰囲気をなごませるのは大切なことですよー」
 つまり、やはりこいつが説明役なわけだ。誰かに仕組まれている感ありありなのが気に食わないが、失われた記憶に脅えながら一人でえんえん右往左往するのもぞっとする。その点、この状況をしつらえた奴には多少なりとも親切心があったのかもしれない。少なくとも即座に危害を加えられそうな様子はないし、ここまで情報が不足していては抵抗のしようもない。事態の把握を優先するためにも、まずはこいつを信用するしかない。
「お前のあほな話でもう十分なごんだわい。少しずつ謎を引っ張ってサスペンスを盛り上げるみたいな演出はいらんから、この状況をかいつまんで極力事務的無味乾燥に説明さらせ」
「わーこの人やりにくい」
「めんどくさい通過儀式すっ飛ばしとるだけじゃ。一方的なプロトコル押しつけられるのはくそ食らえやっちゅーねん」
「ちょ、口が悪いですよ! いけませんよ! もーっ、最初顔見た時はおとなしそうな女の子だと思って安心したのにー」
 そうか。
 私は女の子なのか。
「まー25歳ですけどー」
 アウトやんけ。
「うーん、ぼくだってこれが初仕事だから、なるべく定石通り進めたかったのになー。でもまー、話が早く済めば楽なのはそのとおりねー。じゃあねえザリス、ちょっと質問です。ここは一体どこでしょー?」
「やからそいういう演出はいらん言うに……」
 文句をたれつつ、それでも私は質問に答えようとする。そしてすぐ違和感に気づく。
 ここはどこだ?
 ここはどこだ? という疑問が、そのまま頭の中で停滞する。考えが一歩も先に進まない。難解な論述がどうしても理解できず、同じ一文をひたすら読み返すだけで先に進めないような感覚。おかしい。ここには何もない。いや、何もないにしても、ないならないなりの理解の仕方があるはずなのだ。透明で空っぽの空間だとか、真っ暗な真の闇とか……しかし、ここはそのどちらですらもない。つまり今の私には、この場所が見えてすらいないのだ。だが、これほど露骨な違和感になぜ今はじめて気がついた? ……そもそも私は、妖精に指摘されるまで"自分がどこにいるのか"という発想すら持たなかったではないか。これは一体……ってなんだこの流れ。やめた、アホくさ。
「あーはいはいもうええわ。今すぐ種明かしせい」
「えー!? さすがにここはもーちょっと頑張って考えようよー……」
 私は無言のまま憤然と胸を張り、聞く耳のない態度をアピールする。妖精が根負けするのを待ちながら、どうやら自分は"他人の持ち出してきた一方的な文脈に乗せられること"を極端に嫌っているらしいと気づき、自分のことながらその奇妙なこだわりを興味深く思う。なるほどそうか、私は"そういう性格の人間"であるらしい。
「もー、仕方ないねー。じゃあ予定してた体験コースは省略してほんとに説明的に進めちゃうけど、後で"説明が早くて分からなかった"なんて言わないでねー」
「コースとか組んどったんかい……」
 ともあれ、妖精の方も頭の切り替えは早いようだ。こういう手合いは何が何でも自分の文脈を押しつけてくるものと思っていたので、こうもあっさり退かれると肩透かしの感がある。まるで私の方が意固地のような……実際そうなのか?
「えーと、じゃあざっと説明しまーす! ザリス、ここがどこか分かんないよねー。なんで分かんないかっていうと、実はこれもうミもフタもないんで怒んないでほしーんですけど、まだこの世界に"場所"が"設定"されていないからなんでよすねー。はいこれネタバレー」
「え。設定?」
「うん設定ー。キャラ設定とか世界設定とかの設定ねー。ザリスのキャラ設定はもうあるんだけど、場所とか設定するのはこれからなのー。だから見えない当たり前ー」
 は?
「場所の設定してないから、ここどこだろうー? って考えても分かるはずなかったのですー。"からっぽ"とか"まっくら"みたいな情報さえないからねー。でもいつまでもこうしてると居心地悪いし、とりあえずここの場所設定だけでも読み込んじゃうねー」
 その瞬間、"場所"が生じた。だから私にも理解できる。ここは「魔界」の中の「魔王城」の、そのまた中の「魔王の私室」だ。といってもここの魔王は見た目14歳のガキんちょで、部屋の中にはぬいぐるみやらゲーム機やら(そう、この世界にはコンピュータゲームがあるのだ! しかしさらに驚くべきは、私の知性が「それがコンピュータゲームである」と理解していることだ)読みかけの本やら食いかけの菓子やらが散乱している。カーテンや壁紙あたりで色気を出して、薄緑系のファンシーな内装に統一しようと頑張ってはいるが、住人自身が不精では台無しもいいとこだ。部屋の隅にはベッドが二つあり、一つはとうぜん魔王のもの。もう一つは、そう、ここに居候している私のベッドだ。
 これはもともと私にあった記憶か? いや、妖精の言葉に従うなら、この部屋は今まさに"読み込まれ"たのだ。だから場所に関する情報……つまり私の部屋に関する記憶も、その出現と同期するかたちで今まさに"読み込まれ"たのだ。
「という感じー。この世界、あーもう"魔界"って言っちゃうねー。この魔界では、現象と設定は同じ本質の別表現にすぎないのですー。つまり設定のないものは存在もしないってことねー」
「ちょ、待て! 待たんかい」
「ほらー。一気に説明すると混乱するでしょー?」
 全くだ。全くその通りではあるのだが、自分の傲慢さについての僅かながらの反省心は、にわかに湧き上がった不安と焦燥に凌駕される。そのものすごく嫌な予感を、それでも私は言葉にせずにはいられない。
「つまりなんや、あれか。ここはコンピュータゲームかなんかの架空世界で、私はそのキャラクターなんか?」
「ぶ」
 吹いた。
「ぶーぶはふ」
 妖精が、わざとでもそこまで勢いよくは出来ないだろうと思うくらい盛大に吹き出した。
「はふあーははふあはひひー! もーザリスーう、そんなわけないでしょー! ザリスもいい大人なんだからー、そろそろ現実と虚構の区別をですねーあはははははひひぎゃー」
 殴った。時として暴力は、複雑になった事態をすみやかに収集してくれる。

「はーいそれじゃー説明台詞いきますー。とにかくこの魔界はゲームの世界なんかじゃないから、そこのとこは安心してねー。むしろ魔界の方がゲームとかコンピュータの真似をしてるだけなんだけど、とりあえず順を追って説明するですー」
「よし」
 ようやくだ。結局ここまで引っ張りよって。
「そもそもこの魔界の成り立ちはー」
 そこから始まるんかい。
「さっぱり解明されてないんですけどー」
 えー。
「ていうかこれもまだ設定されてないのよねー」
 なるほど。そういうものか。
「要は魔界ってこういう無茶な理屈が通っちゃうテキトーな法則で成り立ってるのねー。(はあ) たとえばぼく、さっきからずっとザリスの目の前にいて殴られたりもしてるけど、ぼくがどんな姿かザリスわかんないでしょー。(そういえばそうだ) これはまだぼくの姿が設定されてないからで、"見たり話したり触ったりはできるけど、姿は設定されてないから分からない"ーってことなのー。姿がないのにどーやって見たり話したり触ったりしたかとかー、この世界は気にしないの。文字で書かれたお話って、内容に矛盾があってもそれを無視して平気で話を進めてけるけど、魔界も似たようなとこあるねー。どーよテキトーでしょー。(いやテキトーでしょーって適当過ぎるだろ) で、今の魔界は生まれたばかり……とまでは言わなくても再起動したばっかりで、魔界や魔王城のほんとに基本的な初期設定くらいしかロードしてない状態なのねー。人格を読み込んだのもザリスだけなの。だから今の魔界で唯一ものを考えたり動き回ったりできる人格はザリスだけでーす。(まじかよ) 話進めると、この魔界は魔王様のエネルギーで維持されてましたー。でもあるとき魔王様がぶっ倒れちゃってー、ていうかゲームのやり過ぎでダウンしただけなのお間抜けねー。(アホだ) でも魔王様はいつかこーいうことがあるだろーって準備してたから、ダウンしそうになったらバックアップだけ確保して、メンテナンスのために魔界をセーフモードで再起動することになってたのね。で、今まさにそのセーフモードを立ち上げ直したところなのですー。あ、さっきも言ったけどこれって"魔王様を宿主として成り立ってる魔界"を"ハード上で動くOS"に喩えてるだけだから、別に魔界がほんとにコンピュータ上の仮想世界で動いてるわけじゃーないよ。でも魔王様自身はこういうネタ好きみたいねー、どうせなら本当にコンピュータっぽくしちゃおうとか言い出して、再起動後の魔界は一部コンピュータゲーム風のインタフェースで表現するよう仕様変更しちゃったのですー。(いいのかよそれ) さっきから設定設定言ってるのも、世界をコンピュータゲーム的に表現した場合の説明なのねー。そーゆうわけで魔界の言理法則を抽象化して擬人化したインタフェースがぼく、名乗り遅れたけど言理の妖精"el.a.filith"っていいますー。で、旧魔界のバックアップはちゃんと取れてるんですけど、中身のデータが膨大すぎる上に未整理なのをそのまま放り込んだだけの状態だから、一瞬で元通りにするのはむずかしーの。引っ越しみたいなもので、たとえ全く同じ間取りの部屋に引っ越すとしても、荷物を一回全部箱詰めするわけだから、前の部屋のレイアウトを完全再現するのは難しーよねー。まして今回はひとつの世界をそのまま箱詰めしたんだから、面倒さは引っ越しどころじゃ済まないのです。(まあだいたい分かる) それに引っ越し前と後で同じレイアウトにする必要もないよねー。魔界も一緒で、この再起動の機会に世界のレイアウトをすっきりした形に再構築したいなーって思ってます。もともと魔界ってすごくゴチャゴチャしてて、このままだと魔王様でも処理しきれなくていつかパンクするどーて言われてたから、この模様直し自体は遅かれ早かれ予定通りだったわけね。そこでザリスに真っ先に起きてもらった理由になるんですけど――」
 そうだ。
 私にとっては、それがいちばん重要な内容だ。
「再起動前のザリスは、魔界を自然言語で捉え直して一冊の本に編集し直す仕事をしてました。つまり宇宙の編纂者ねー。だいそれた仕事ねー」
 そういえば、私はそんなことをやっていた気がする。望んだわけではなく、ただ一方的に与えられた仕事だったが、他に何の役割もない私は必至でそれに縋りついていたはずだ。まっさらなはずのノートに書いた覚えのないことが書かれていたり、書いたことが書き換わっていたり、挙げ句のはてに書いた覚えのない自分の文章と筆談的なやりとりを交わしたり、どうにもまともな仕事ではなかったが。
 私はまたあれをやるのか?
「そうねー。これから魔界を再構築していくわけだけど、それは編集的な作業なのねー。魔界が一冊の本だとして、この本の中にはあらゆる情報が書かれてるけど、内容が未整理なままだからものすごく読みづらいのねー。歴史上の偉人について調べたいのに、"古ジャフハリムの王ビシャマルは建国三百年を記念してビシャマリクに遷都、魔王の今日の晩ご飯はいつもの安売り半額ピザで国家元首のくせにろくなもん食ってない、小指をタンスのカドにぶつけ続けるのはあらゆる宇宙に普遍の宿命"みたいな脈絡のない書き方されてるから普通に読んでもわけわかんないのよーこれもうほんとヒドいねー。だからここは宇宙編纂のプロフェッショナルなザリス先生にお願いして、魔界再構築のお手伝いをしてもらうのですー」
 ふん。
 私は鼻で笑う。それは諦観だったかもしれない。ほれみろ。やはり世界はこうやって、私に一方的な文脈を押しつけてくるのだ。
「んー。ザリスー、納得いかない顔ですー?」
 とはいえ。こいつを蹴っ飛ばして申し出を断ったところで、それでどうなるわけでもあるまい。望むと望むまいと、文脈はいつもそこにあるのだ。文脈に唯々諾々と従うのは御免だが、文脈に真っ向から反抗すれば満足いくわけでもない。結局のところ、私がなんらかの確信を持たない限り、この不愉快は続くのだ。
「はん、いつもの顔じゃ。私はなにひとつ納得なんかしとらんからな」
「ふーん」
「で、さしあたってどないすんねん」
「そうねー。喋ってる間に基幹部分のメンテナンスは終わったから、そろそろセーフモードから通常モードに復帰するです。通常モードへの復帰は、現象界的には眠ってる魔王様が目覚めること実現されます。ほい」
 ほい、っと妖精が手を回すと、ベッドの中に縮こまった魔王が姿を現す。私のよく知るアホ面は、夢心地の中でますます緩みきっている。
「ほう。こいつを起こしたら、魔界の目えも覚めるんかい」
「そゆことー。ちなみにこの復帰手順は、セーフモードの仕様決定に一枚噛んでた再起動前のザリスが仕込んだ遊び心ねー」
 なるほど。私の知らないいつかの私め、なかなか粋なことをする。どうすれば私の溜飲が下がるか理解し、実に適切な置き土産を残してくれた。世界を開く栄光なんぞに興味はないが、この一撃は単純にウサ晴らしになる。私はげんこつを高くに構え、魔王のドタマに狙いを定める。言葉あれ。天地開闢の一撃が、魔王に向かって振り下ろされる。