「安倍首相、米の核先制不使用検討に反対伝達」という記事に対して

掲題のとおりで、それ以上でもそれ以下でもないが、オバマ大統領がおそらく任期最後の「レガシー」(任期の初めからプラハ演説を実施しており、最初期の「レガシー」でもあった)のために「核の先制不使用」を検討したということである。
それに対して、記事本文によると、安倍首相は「「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を伝えた」とのことである。

検討されているものが、また伝えられた表現がどのようなものであるか、正確なところは分からない。しかし私の不勉強もあろうが、正直に言って驚いた。何に驚いたのかというと、そもそも米国の核先制攻撃能力は、北朝鮮に対する抑止力として機能するものと捉えられていたのかと。
抑止力とは、非常にざっくりしたイメージで言えば、プレイヤー1が挑戦する/しないを選択でき、プレイヤー2はそれを受けて行動を決める、ゲーム理論で言うところの展開型ゲームにて想定されよう。プレイヤー1が挑戦したとき、プレイヤー2が応戦すればそれぞれの利得は(1,1)、敗北を認めれば(4,2)、プレイヤー1が挑戦しないを選べば(3,3)となるものと仮定する。そのとき、プレイヤー1にとって一番利得があるのは、挑戦し、2が敗北を認めてくれたときだ。実は2にとっても、挑戦された場合には早期に敗北を認めた方が得である。しかし、2が応戦するようであれば、挑戦国1は挑戦しなかったときの方が利得が大きく、「戦わなければよかった…」と後悔する。だから2が「お前が挑戦してくるようであれば、俺は絶対に、損をしてでも応戦する」という強い意思があり、それを1が信じるようであれば、1はそもそも挑戦しないであろう。(簡略化のために単純なゲーム理論を書こうと思ったが、勢いで「意思」の「信頼性」を含んだ話を書いてしまった…。このあたりはRobert Powellの核抑止の論文に詳しかったと思う)

つまり、挑戦国を挑戦させないために必要なのは、「自分たちが挑戦したら、挑戦しなかったときよりも損である」と思わせることである。北朝鮮を例にとれば、「俺たちが日本に/米国の同盟国に核攻撃をしたら、俺たちは滅びる」と北朝鮮が思っている限り、抑止力は機能する(滅びることを大きなコストとして捉えていることが前提になるが)。では、抑止戦略において、いったいどこに核先制攻撃が介在する余地があるのか?
例えば予防的先制攻撃のようなものを想定しよう。即ち、「お前たちが俺たちに攻撃することが確定していた場合、俺たちは自分たちの利益を守るためにお前らを徹底的に叩き潰すぞ」としてしまえば、挑戦国は反抗の姿勢も見せないようにするだろう。ブッシュ・ドクトリンとは、核に限らず大量破壊兵器(WMD)を潰すことを目的に、先制攻撃を認めた(予防戦争ではない)。核の先制攻撃能力はそのために維持されてきた。

しかし、よく考えてみよう。核兵器とは、単純で、開発が容易で、そして強力な兵器である。開発が容易ということは、弱小国をいとも簡単に、大国にとっての脅威に引き上げることが可能なのである。たしかに冷戦期のように、敵対する大国が核兵器を持つならば、こちらも相互確証破壊(MAD)の題目の下、核兵器を持つ必要がある。核は保有したい。しかしMAD体制下では、先制攻撃能力はもはやあまり重大な意味を為さなかった。なぜならば先制攻撃したら、相手を反撃不可能な状況まで一発で追い込まない限り、自分たちも破滅してしまうからだ(そのためには、バレない位置に反撃能力を保有している必要があった)。結局、冷戦期、米ソは常に通常戦力にて、第三世界にて、覇を競い合った。
もしも、核の先制攻撃能力を米国が諦め、核兵器が使用できない世界になったら(既になっているが)、後は通常戦力での覇権争いが肝要になる。弱小国も、大国も皆で通常戦力で戦い合う必要がある。その場合、セーガン論文にもある通り、米国に対抗できる国はいない。核のない世界とは、米国の自衛に非常に有益な世界なのだ。

「他国が核の先制を捨てないなら、そんな世界は来ない!」と言っているもいるが、米国は核による反撃は捨てる意思は持っていない。あくまで排除することを検討しているのは、先制攻撃のみだ。核のない世界はユートピアだが、核を反撃のみにしか使わない世界では、十分に抑止能力は維持されている。


ともあれ、本当に米国の核先制攻撃能力が、何らかの抑止に本当に役に立っているのか、冷静に再確認する必要があるだろう。


安倍首相、米の核先制不使用検討に反対伝達


【ワシントン会川晴之】米ワシントン・ポスト紙は15日、オバマ政権が導入の是非を検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相がハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」として、反対の意向を伝えたと報じた。同紙は日本のほか、韓国や英仏など欧州の同盟国も強い懸念を示していると伝えている。

 「核兵器のない世界」の実現を訴えるオバマ政権は、任期満了まで残り5カ月となる中、新たな核政策を打ち出すため、国内外で意見調整をしている。米メディアによると、核実験全面禁止や核兵器予算削減など複数の政策案を検討中とされる。核兵器を先制攻撃に使わないと宣言する「先制不使用」もその一つだが、ケリー国務長官ら複数の閣僚が反対していると報道されている。同盟国も反対や懸念を示していることが明らかになり、導入が難しくなる可能性がある。

 同紙は複数の米政府高官の話として、ハリス氏と会談した際、安倍首相は米国が「先制不使用」政策を採用すれば、今年1月に4度目の核実験を実施するなど核兵器開発を強行する北朝鮮に対する核抑止力に影響が出ると反対の考えを述べたという。同紙は、二人の会談の日時は触れていないが、外務省発表によると、ハリス氏は7月26日午後、首相官邸で安倍首相と約25分間会談し、北朝鮮情勢をはじめとする地域情勢などについて意見交換している。

 日本政府は、日本の安全保障の根幹は日米安保条約であり、核抑止力を含む拡大抑止力(核の傘)に依存しているとの考えを米国に重ねて伝えている。先制不使用政策が導入されれば、「核の傘」にほころびが出ると懸念する声がある。

 2010年には当時の民主党政権が、米国が配備している核トマホーク(巡航)ミサイルの退役を検討していることについて、日本に対する拡大抑止に影響が出るのかどうかを問う書簡を、岡田克也外相がクリントン国務長官(いずれも当時)などに対して送ったと公表している。核軍縮を目指す核専門家からは「核兵器の廃絶を目指す日本が、皮肉なことにオバマ政権が掲げる『核兵器のない世界』の実現を阻んでいる」という指摘も出ている。

 【ことば】核兵器の先制不使用

 核保有国が、他国から核攻撃を受ける前に先に核兵器を使わないこと。核兵器の役割を他国からの核攻撃脅威を抑止することに限定する。核兵器を使用するハードルが高くなり、核軍縮への理念的な一歩と見なされる。すべての国が対象だが、核保有国同士の約束の側面が強い。核拡散防止条約(NPT)で核兵器保有が認められている米、露、英、仏、中国の5カ国の中では現在、中国のみが先制不使用を宣言している。






追伸:本エントリーを公開しないまま下書き保存していたら、北朝鮮SLBM発射成功についての報が入った。非常に興味深い話ではあるが、本エントリーのロジックに変更はない。SLBMで攻撃されようとも(どこまで実効性があるのかは知らないが)、本土を破壊すれば破滅させられる。むしろ、他国の第一撃に対して、北朝鮮が反撃能力を持つようになったということであり、より第一撃はしづらくなったと見るべきだろう。(これまでは非対称性の関係性だったのが、より対称的になってきた)

2011年度 International Organization 被引用数

思い出したころにのみ、更新されるこのブログ。思い出したので更新してみよう。


2011年度は添付の通り。

被引用数で並び替えると以下のとおりである。

1位 Eric Helleiner, "The End of an Era in International Financial Regulation? A Postcrisis Research Agenda". 157回。
2位 Orfeo Fioretos, "Historical Institutionalism in International Relations". 151回。
3位 Sarah Sunn Bush, "International Politics and the Spread of Quotas for Women in Legislatures". 116回。
4位 Helen V. Milner, "Who Supports Global Economic Engagement? The Sources of Preferences in American Foreign Economic Policy". 99回
5位 Kristopher W. Ramsay, "Revisiting the Resource Curse: Natural Disasters, the Price of Oil, and Democracy". 98回。
6位 R. Charli Carpenter, "Vetting the Advocacy Agenda: Network Centrality and the Paradox of Weapons Norms". 94回。
7位 Idean Salehyan, "Explaining External Support for Insurgent Groups". 91回。
8位 Todd Allee, "Contingent Credibility: The Impact of Investment Treaty Violations on Foreign Direct Investment". 75回。
9位 Thomas Oatley, "The Reductionist Gamble: Open Economy Politics in the Global Economy", 71回。
10位 Brian C. Rathbun, "Before Hegemony: Generalized Trust and the Creation and Design of International Security Organizations". 62回。

1位は危機後の金融規制、2位は歴史的制度主義、3位はジェンダー、4位は経済外交の約束遵守、5位は資源危機、6位はAdovocacy Agendaについて、7位は反乱グループへの外部支援について、8位は二国間協定と直接投資について、9位はOEP(開放政治経済)を用いたIPE研究についての方法論、10位はヘゲモニー前の国際安全保障組織のデザインについて。

経済・金融が4つ(1,4,5,8)、制度論が3つ(2,4,10)、コンスト的なものが2つ(3,6)、あとはテロ、研究の方法論(国内政治と国際政治の連関について?)。
あまり前回の結果と変わらない感じがする。



2010年代におけるInternational Orgazniation論文の被引用数を調べてみた

相も変わらず、飽きっぽい性格が頭を覗かせてしまい、前回のエントリから時間が空いたばかりでなく、前回予告していたことすら儘ならない。

今回のエントリは掲題の通り。作業としては非常に単純。全論文につき、Google Scholarにて被引用数を検索する。それだけの作業。
2015/11/22時点での計測において、Impact Factorの高いIOでの被引用数も多ければ、ある程度、評価も固まっている主要論文と言えるのでは、という発想の下での作業である。単なるメモ程度のものではあるが、備忘代わりに使えるかとは思う。
まずは2010年。


International Organization 64-1
(1)
Jonathan Mercer (2010). Emotional Beliefs. International Organization, 64, pp 1-31. doi:10.1017/S0020818309990221. 引用元137
(2)
Michael C. Horowitz (2010). Nonstate Actors and the Diffusion of Innovations: The Case of Suicide Terrorism. International Organization, 64, pp 33-64. doi:10.1017/S0020818309990233.  引用元 83
(3)
Krzysztof J. Pelc (2010). Constraining Coercion? Legitimacy and Its Role in U.S. Trade Policy, 1975–2000. International Organization, 64, pp 65-96. doi:10.1017/S0020818309990245. 引用元 20
(4)
Asif Efrat (2010). Toward Internationally Regulated Goods: Controlling the Trade in Small Arms and Light Weapons. International Organization, 64, pp 97-131. doi:10.1017/S0020818309990257. 引用元 30
(5)
Solomon Polachek and Jun Xiang (2010). How Opportunity Costs Decrease the Probability of War in an Incomplete Information Game. International Organization, 64, pp 133-144. doi:10.1017/S002081830999018X.引用元 29
(6)
Eric Neumayer and Thomas Plümper (2010). Spatial Effects in Dyadic Data. International Organization, 64, pp 145-166. doi:10.1017/S0020818309990191. 引用元 96
(7)
Jason Lyall (2010). Do Democracies Make Inferior Counterinsurgents? Reassessing Democracy's Impact on War Outcomes and Duration.International Organization, 64, pp 167-192. doi:10.1017/S0020818309990208.引用元 81


International Organization 64-2
(1)
Michael M. Bechtel and Gerald Schneider (2010). Eliciting Substance from ‘Hot Air’: Financial Market Responses to EU Summit Decisions on European Defense. International Organization, 64, pp 199-223. doi:10.1017/S0020818310000019.引用元 31
(2)
Beth A. Simmons and Allison Danner (2010). Credible Commitments and the International Criminal Court. International Organization, 64, pp 225-256. doi:10.1017/S0020818310000044. 引用元 156
(3)
Marc L. Busch and Krzysztof J. Pelc (2010). The Politics of Judicial Economy at the World Trade Organization. International Organization, 64, pp 257-279. doi:10.1017/S0020818310000020.引用元 48
(4)
Kenneth A. Schultz (2010). The Enforcement Problem in Coercive Bargaining: Interstate Conflict over Rebel Support in Civil Wars. International Organization, 64, pp 281-312. doi:10.1017/S0020818310000032.引用元 53
(5)
Alexandra Guisinger and David Andrew Singer (2010). Exchange Rate Proclamations and Inflation-Fighting Credibility. International Organization, 64, pp 313-337. doi:10.1017/S0020818310000056. 引用元 30
(6)
Caroline A. Hartzell, Matthew Hoddie and Molly Bauer (2010). Economic Liberalization via IMF Structural Adjustment: Sowing the Seeds of Civil War?. International Organization, 64, pp 339-356. doi:10.1017/S0020818310000068.引用元 32


International Organization 64-3
(1)
Branislav L. Slantchev (2010). Feigning Weakness. International Organization, 64, pp 357-388. doi:10.1017/S002081831000010X.引用元 60
(2)
Sonal S. Pandya (2010). Labor Markets and the Demand for Foreign Direct Investment. International Organization, 64, pp 389-409. doi:10.1017/S0020818310000160. 引用元 49
(3)
Cristina Bodea (2010). Exchange Rate Regimes and Independent Central Banks: A Correlated Choice of Imperfectly Credible Institutions. International Organization, 64, pp 411-442. doi:10.1017/S0020818310000111.引用元 21
(4)
Matthew A. Baum and Tim Groeling (2010). Reality Asserts Itself: Public Opinion on Iraq and the Elasticity of Reality. International Organization, 64, pp 443-479. doi:10.1017/S0020818310000172. 引用元 35
(5)
Xun Cao and Aseem Prakash (2010). Trade Competition and Domestic Pollution: A Panel Study, 1980–2003. International Organization, 64, pp 481-503. doi:10.1017/S0020818310000123. 引用元 48
(6)
David Bach and Abraham L. Newman (2010). Transgovernmental Networks and Domestic Policy Convergence: Evidence from Insider Trading Regulation. International Organization, 64, pp 505-528. doi:10.1017/S0020818310000135. 引用元 43


International Organization64-4
(1)
Kenneth Scheve and David Stasavage (2010). The Conscription of Wealth: Mass Warfare and the Demand for Progressive Taxation. International Organization, 64, pp 529-561. doi:10.1017/S0020818310000226.引用元 92
(2)
Karen J. Alter and Laurence R. Helfer (2010). Nature or Nurture? Judicial Lawmaking in the European Court of Justice and the Andean Tribunal of Justice. International Organization, 64, pp 563-592. doi:10.1017/S0020818310000238. 引用元 66
(3)
Daniela Donno (2010). Who Is Punished? Regional Intergovernmental Organizations and the Enforcement of Democratic Norms. International Organization, 64, pp 593-625. doi:10.1017/S0020818310000202.引用元 58
(4)
Todd S. Sechser (2010). Goliath's Curse: Coercive Threats and Asymmetric Power. International Organization, 64, pp 627-660. doi:10.1017/S0020818310000214. 引用元 67
(5)
Jeff D. Colgan (2010). Oil and Revolutionary Governments: Fuel for International Conflict. International Organization, 64, pp 661-694. doi:10.1017/S002081831000024X.引用元 62
(6)
J. Lawrence Broz and Michael Plouffe (2010). The Effectiveness of Monetary Policy Anchors: Firm-Level Evidence. International Organization, 64, pp 695-717. doi:10.1017/S0020818310000196. 引用元 8

ということで、2010年のIO論文では、
1位 Beth A. Simmons and Allison Danner. "Credible Commitments and the International Criminal Court."の引用回数156回。
2位 Jonathan Mercer." Emotional Beliefs." の引用回数137回。
3位 Eric Neumayer and Thomas Plumper. "Spatial Effects in Dyadic Data."の96回
4位 Kenneth Scheve and David Stasavage. "The Conscription of Wealth: Mass Warfare and the Demand for Progressive Taxation." の92回。
5位 Michael C. Horowitz. "Nonstate Actors and the Diffusion of Innovations: The Case of Suicide Terrorism."の83回。
6位 Jason Lyall." Do Democracies Make Inferior Counterinsurgents? Reassessing Democracy's Impact on War Outcomes and Duration." の81回。
7位 Todd S. Sechser. "Goliath's Curse: Coercive Threats and Asymmetric Power."の67回。
8位  Karen J. Alter and Laurence R. Helfer. "Nature or Nurture? Judicial Lawmaking in the European Court of Justice and the Andean Tribunal of Justice."の66回。
9位  Jeff D. Colgan. " Oil and Revolutionary Governments: Fuel for International Conflict."の62回。
10位  Branislav L. Slantchev. "Feigning Weakness."の60回。


1位は国際法。2位心理学。3位ネットワーク。4位国内経済と好戦性。5位非国家主体間の技術拡散。6位民主主義と対反乱。7位国際危機交渉モデルにおける対弱者。8位国際法。9位石油。10位交渉モデル。

こう見ると、国際法ゲーム理論(交渉モデル)、対非国家主体、国内政治との連関、の当たりが主眼にありそう。

暇が出来たら2011年度版を作る。

以上

 安保法制とセキュリティ・ジレンマ セキュリティ・ジレンマとは何か、について考える

【軍拡の悪循環を懸念】

 −神戸大緊急集会の賛同人になった

 迷った。研究上の不利益を被るのでは、という危惧がないわけでもない。だが、現状では賛成、反対派とも思考停止し、冷静な議論ができていない。今国会で成立を急ぐ理由は明確でなく、政府の主張に説得力はない。

 −憲法学者と安全保障の専門家。法案への立ち位置の違いは

 国際政治学者が、現在の安保政策変更や改憲の可能性を頭ごなしに否定しないのは事実だろう。だが、今の憲法に照らして「違憲」との見解には同意するのではないか。多様な観点から深い議論をすべきだ。

 −法案の問題点は

 抑止力強化が日本の安全に資する、という政府の説明は疑問だ。セキュリティージレンマ(軍拡の悪循環)を忘れている。特に、歴史問題で周辺国の猜疑(さいぎ)心を解消できていない日本は、戦前回帰と警戒され、他国が軍拡を正当化する方便になる。

 −理解できる点は

 停戦合意のある紛争地で活動する自衛隊の駆け付け警護など、国民の理解を得られやすい部分もある。だが、11法案を一括し、解釈変更で集団的自衛権の行使まで認めるような乱暴な手法をとるから、政策変更の可能性を認める研究者も反対せざるを得なくなる。

 ソフトパワーとしての9条も無視できない。あえて平和国家のラベルを変える合理的な理由は見当たらない。(聞き手・木村信行)

 たご・あつし 1976年静岡県生まれ。神戸大大学院法学研究科教授。専門は安全保障。著書に「武力行使政治学」(千倉書房)など。

【新安保法制 私の考え】(11)国際政治学者・多湖淳さん

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1-1.
 このブログ以外で、今般の安保法制について、セキュリティ・ジレンマに言及している記事を初めて見た気がする。
 重ねて記述するが、今回の問題を、日本が軍事国家になる道筋を作ったものという議論(「軍靴の足音」理論)は明らかに乱暴である。別段、理解できないことはない。集団の中で行動していたら、知らない内に流されて望まぬ行動をしてしまう、というのは間々あることかと思う。そういう意味で、いつ自分たちが潜在している暴力性を露わにしてしまうか分からないから、今のうちに自分たちを鎖で繋ぎ止めておく、というのは、何かの漫画の悪役がやりそうなことだ。
 だからこそ、要件(武力行使の3要件)を明らかにし、満たさない場合は武力を用いることは出来ない、とするのである。まあ、3要件の適用範囲をもっと厳格化せよ、或は範囲の絞り方が不適当である、という法律論が出るのは否定しないが、そういう法律論の前に、安全保障をどうするか、という議論が大前提にあって、それを基に法律論を取り進めなければ、何が目的で、何が手段なのか、が判然としないままになってしまう。(参考:安保法制審議では日本の安全保障を議論せよ)


1-2.
 多くの日本の安全保障の研究者は、このブログの前エントリのような議論を展開し、安保法制に賛成する。簡単に言うと、冷戦終結後、という国際関係の文脈の中で、アメリカが積極的な同盟国の防衛から撤退した今、アメリカの世界の警察的な役割を日本もある程度分担していかないと自分たちの利益も守れなくなるぞ、というもの。上記の提言の背景に見え隠れする主張である。

 かような議論に対し、珍しく安全保障のトップレベルの研究者から反対の議論が寄せられている。それもガチガチのアメリカIR(国際関係論)を経ている多湖先生である(今回多湖先生の経歴よく見たら、アメリカの大学に数年留学しているものの、博士まで全て日本(東大)のようですが)。これまで多くの「自称国際政治学者」(実際は単なる地域研究や外交史研究)による賛成/反対が噴出してきており、過半数は見るに値しないものばかりであったが、一先ず、真っ当な研究者による反論が出てきているので、一読はしておきたい。



2-1.
 しかし、セキュリティ・ジレンマとは何か、が普通の読者には分かりづらい。。ここで色々と振り返ってみたい。
 まずアンドリュー・キッド(Andrew Kydd,2015)によると、

Power can increase security, by decreasing the likelihood of defeat in war. However, efforts by a state to increase its power by threatening other states may cause the other states to react in ways that make war more likely, decreasing state security in a process known as the security dilemma (Jervis 1978, Kydd 2005, Booth and Wheeler 2008).

「戦争で打ち負かされる可能性を減少させることによって、パワーは安全保障を向上させる。しかし、別の国を脅かす国家のパワーの強化は、その別の国を戦争を起こしやすい形で反応させるのであり、セキュリティ・ジレンマとして知られる過程を通じて国家の安全保障を低下させる」

A security dilemma is a situation in which each side’s efforts to make itself more secure make the other side less secure, and so both parties end up worse off than they started because of their efforts to increase their security.

「セキュリティ・ジレンマは、お互いが自分たちをもっと安全に、相手国をより安全ではないようにしようという状況で起こり、その結果、両国とも自国の安全保障を強化しようと努力するため、最初の状況よりも悪い状況に陥る」

 この議論の最も有名な論文はジャーヴィス(PDF)(Jervis,1978)だろう(古くはバターフィールドにまで遡るのが伝統らしいが、それは知らない)。攻撃・防御バランスから4象限を作成し、安全かどうかの場合分けをしている(攻撃/防御が有利、および攻撃の姿勢が防御の姿勢と区別されうるか否か、で4つ)。典型例として戦争をしたくない国家どうしで起こってしまった第一次世界大戦が挙げられる(歴史研究としてそれが適切かについてはまた別途議論があろうがとっくに忘れた)。

 何にせよこの議論の大宗は、セキュリティ・ジレンマとは、防衛しか意図していない国家どうしなのにも関わらず、お互いを不信がって双方ともに軍事力を高めあっていくジレンマが発生してしまう、ということにある。 
 IRでは、こうしたセキュリティ・ジレンマをどのようにしたら乗り越えられるのか、について多くの議論が展開されてきた。代表格がアクセルロッドとそのフォロワー(Kyddの師匠にあたるオイも)による、ゲーム理論における繰り返しゲーム(特にしっぺ返し戦略)で乗り越えられるものという主張である(後に多くの反論は寄せられている。アクセルロッド『対立と協調の科学』書評:「しっぺ返し」はそんなにすごいものではありません)。あとは安心供与政策(リアシュアランス/Reassurance…たまに「再保障」などという謎翻訳が当てられているが、いい加減止めるように)による乗り越え(Montgomery,2006)などが挙げられるかと思う。
 いずれにせよ、国際関係論におけるキーワードの一つに、「不確実性(Uncertainty)」の減少の是非がある。相手の意図が読み切れない不確実性の中で、本当に協調できるのか、できないのか、というのは主眼と言える。


つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)

2-2.
 この記事を書くにあたって調べていたら、良いまとめを見つけた。The Calculus of the Security Dilemma 
(Ramsay, Kristopher W, and Avidit Acharya. “The Calculus of the Security Dilemma”. Quarterly Journal of Political Science 8.8 (2013): 183-203. )

 オフェンシヴ・リアリズム(ミアシャイマー)は国家は無政府状態アナーキー)である国際政治では、安全追求型の国家でもセキュリティ・ジレンマに陥るために不信が増幅していくとし、反対にディフェンシヴ・リアリズム(グレイサー)は減少させていくことが出来る、とする。対してキッドは二者ともを乗り越える形でべイジアン・リアリズムを提唱している。ベイジアン・ゲームを採用し、国家の選好を変化するものと設定することで、信頼に値する国家は高コストのシグナルを発して、信頼に値しない国家と自分を区別させることができ、不信感を減少させることができる、と主張した。(それに対して、このAcharyaとRamsayの論文では、そんなこと無いよ、結局オフェンシヴ・リアリズムが正しいよ、と言っているようだ。)

 次回のブログではこの論文を要約したいと思う。



2-3.
 多湖先生の議論に戻ろう。今回の安保法制は何度も議論される通り、意図は防衛のみにある。自国の安全保障に危急の事態が発生した場合のみ、と要件にもある。しかしながら問題は、いくら本音で防衛の意図しかなくても、他国はそれを信用できるのだろうか、ということにある。もしも我が国の防衛の意図が信頼されなければ、他国との間にセキュリティ・ジレンマが生じ、他国(具体的には中国だろうが)の軍事力はより強大になっていく恐れはある。
 幸いなことに、今の日本は「平和国家」というイメージはついている「日本の安全保障の議論は、平和憲法という見方の破壊を覆い隠してしまう」。それを害して、政治的代償を支払ってまでこの法案を通そうとするのは、攻撃的な意図があるのではないか、そう思われても仕方がない。少なくともセキュリティ・ジレンマという議論を通してみると、このような発想に至るのは当然かと思われる。


2-4.
 こうした議論に対する一つの反論は以下の通りになろう。
 「とは言え中国は攻撃的な意図を持っている。既に持っているのである。であれば、同盟を強化する意味で責任を分担していかなければならないし、日本もきちんと秩序の維持のため、平和の確保のため、自衛隊を柔軟に運営できるようにしなければならないのだ」
 中国の攻撃的な意図は不変なのか、安心供与政策(Reassurance)によって意図を変えることができるのか、あるいは中国の意図は攻撃的ではないのか、という見極めが、日本の政策を左右するとも言える。結局、落ち着くところはそこである。以前、中国研究の書評を(記事)にしたが、結局は、そこなのである。

見極めていかなければならない。






追記
 などと舐めてかかっていたら、実は安保法制とセキュリティ・ジレンマについて書いている記事は他にもあった。以下にリンクを適当に貼っておく

1.まずは時事通信。若干の説明が付されているが、非常に怪しい。

2.明治大学の講師らしいが、出来が悪いので無視。

3.立憲デモクラシーの会憲法学者によるものらしい。安全保障のくだりからは、「冷戦後」という文脈が省かれている。これでは議論は片手落ちだろう。

4.安保法案で考える:日米同盟と2つのジレンマ。一介のブロガーだが、真っ当。入門の教科書的。

5.山陰の新聞っぽい。一言しかないので、論ずるほどでも

6.民主党議員、郡和子。同じく語るほどでもない。その可能性もある、しか言ってないが、「3要件」を踏まえてどうなのか、とかあるじゃん。

7.琉球新報。へー、ウォレスの論文、確認しておこう。

8.同じくどっかのブログ。熱量はあるが、概念そのものは掘り下げていない。

9.戸田真希子という大学教員による主張。これで国際関係論やってる、というのだからキツイ。外交で挽回しろって、ではどうやって? アフリカ研究者ってどうしてこうなんだろう。

10.内田樹。浅い。


以上、追記終わり

 国際政治学 サントリー学芸賞 まとめてみる

ネタが無いので、国際政治学の著作受賞作について、まとめておく。
外交か内国政治か、経済研究か、の区別が微妙だった。独断と偏見で勝手にラベリングしている。
ひとまずサントリー学芸賞。あと、吉田茂賞、吉野作造賞もいつかチェックしたい。アジア・太平洋賞とか毎日出版文化賞石橋湛山賞はちょっといまいち。大平賞とかもあった。櫻田会奨励賞とかはロングリストが無い。


国際政治学一般】
・1982年 猪口 孝 東京大学助教授 『国際政治経済の構図』
(あの、猪口先生が新進気鋭扱いされているということが面白い。昔、図書館で読んだが、記憶にはない
選評にもある通り、議論が粗いのは昔からだったか。)
・1996年 田中 明彦 東京大学助教授 『新しい「中世」』
(明彦。ブルの新中世論を一冊に拡張した著作。かなり見通しの広い、稀少な本)
・2012年 鈴木 一人 北海道大学教授 『宇宙開発と国際政治』
(これもまた、珍しい研究。各国の宇宙開発史)


【日本外交史】
・1979年 斎藤 明 毎日新聞社政治部副部長 『転換期の安保』への寄与を中心として
(日中の国交回復の研究らしい)
・1985年 五百旗頭 真 神戸大学教授 『米国の日本占領政策
(五百旗頭先生。タイトル通りだが、やっぱり、文章が面白い)
・1987年 北岡 伸一 立教大学教授 『清沢洌
国際政治学、と言っていいかどうかは微妙だが、北岡先生なので)
・1993年 赤根谷 達雄 筑波大学専任講師 『日本のガット加入問題』
(赤根屋先生。ただ、これは読んだことない。レジーム論の専門家)
・2000年 坂元 一哉 大阪大学教授 『日米同盟の絆』
(日米同盟の成立期の研究としては、決定版か)
・2005年 宮城 大蔵 北海道大学専任講師 『戦後アジア秩序の模索と日本』
(日本外交と戦後の東南アジア。ソフトパワー論的)
・2006年 黒崎 輝 立教大学兼任講師 『核兵器と日米関係』
(面白い。核の外交史なら黒崎先生はかなり、だと思う)
・2011年 井上 正也 香川大学准教授 『日中国交正常化の政治史』
(大著も大著。すごい。吉田茂賞も受賞)
・2012年 井口 治夫 名古屋大学教授 『鮎川義介と経済的国際主義』
(戦前から戦後初頭について。読んでない。どうでもいいが、思った以上に井口先生ってまだ若い)
・2013年 中島 琢磨 龍谷大学准教授 『沖縄返還日米安保体制』
(力作も力作、すごい)


【米国外交】
・1988年 関場 誓子 ボストン総領事館領事 『超大国回転木馬
(米ソ核交渉、軍縮について、らしい。全く知らない)
・1999年 村田 晃嗣 広島大学助教授 『大統領の挫折
(カーター政権、在韓米軍撤退。ムラタコ先生、広島大にいたのか)
・2001年 田所 昌幸 防衛大学校教授 『「アメリカ」を超えたドル』
(田所先生の戦後通貨(ドル)外交史。手堅い)


【中国/台湾政治・外交】
・1981年 中嶋 嶺雄 東京外国語大学教授 『北京烈烈』
文革とかの中国研究らしい。新書書いてたひと)
・1997年 若林 正丈 東京大学教授 『蒋経国李登輝』を中心として
(台湾研究らしい)
・2003年 津上 俊哉 独立行政法人経済産業研究所上席研究員 『中国台頭』
(知りませんでした)
・2004年 川島 真 北海道大学助教授 『中国近代外交の形成』
(20世紀初頭の中国外交の分析、というのは、きっと凄いのだろうと思う。分からないが)
・2004年 国分 良成 慶應義塾大学教授 『現代中国の政治と官僚制』を中心として
(川島先生よりも、より現代的で、より政治的)
・2010年 倉田 徹 金沢大学准教授 『中国返還後の香港』
(当然、手つかず)


【地域研究】
・1992年 白石 隆 コーネル大学准教授 『インドネシア 国家と政治』
(ひっ、読んだこと無かった)
・2002年 細谷 雄一 敬愛大学専任講師 『戦後国際秩序とイギリス外交』
(戦後すぐのイギリス外交史。今をときめく細谷先生。文章が上手い)
・2003年 木村 幹 神戸大学助教授 『韓国における「権威主義的」体制の成立』
(もうちょっと韓国・朝鮮の研究にも目を通そうかな、と感じている今日この頃)
・2005年 岡本 隆司 京都府立大学助教授 『属国と自主のあいだ』
(恥ずかしながら知らなった。19世紀の朝鮮研究)
・2009年 武内 進一 国際協力機構JICA研究所上席研究員 『現代アフリカの紛争と国家』
(読んでないが、ルワンダのジェノサイド本)
・2014年 大西 裕 神戸大学教授 『先進国・韓国の憂鬱』
(未読)


【感想】
・米国外交研究が少ないのはある程度想像通り。日本に研究者自体が少ない。
・ヨーロッパ研究の少なさは逆に意外。こんなに多いし質も高いのに。冷戦史はかなりのものだと思うが、不思議。
・研究者で受賞している人は、大成している確率も高い。ジャーナリストは印象が薄い。
・日本外交史家が多いのは、まあ当然だろう。メンツもかなりのもの。
・中国研究の多さは少し意外。そんなにいたっけ。
・個人的には、中国・韓国研究って全然視野の外にあったなあ、という感じ。

いまの安保法制、"平和安全法制"に関するブレーンストーミング

誰かが、国際政治学を学んでいるのに現代の話題が出来ない、というのでは駄目だ、と言っていた。
確かにそうだと思う。
あまり興味は無いけども、たまに、それじゃあ良くないよな、と反省していて、今回はちょっとブレーンストーミングしてみてみる。
事実誤認も交じっているかもしれないが、とりあえずの考える端緒に。


<前提>
・現在、安保法制、平和安全法制の関連法案が審議されている。趣旨は、大きく分けて二つ。(1)自国の防衛強化、(2)国際貢献
(1)はかねてより自国の防衛に対して不十分だと言われていた安保法制に対し、「切れ目のない」法制を整備することであり、具体的には、自衛隊法の改正、周辺事態法の改正である「重要影響事態法」の制定、武力攻撃事態法等の改正、等のラインナップ。
(2)は「積極的平和主義」と呼ばれる、海外の国際貢献へのコミットを可能にすること。


<前提+α…背景>
 そもそも、どうしてこのような議論が必要になったのか。安倍晋三個人のパーソナリティの問題はあれど、それでは賛同者は出て来ない。背景として認識すべきこととして、冷戦後の国際的な構造の変化がある。

 長いこと日本は、海外で戦闘をできる軍隊は持ってこない方針にあった(議論はあるだろうが)。海外で戦う軍事的能力も、意志も、そのどちらをも保有してこなかった。カルチャーとしての平和主義(カッツェンシュタインやバーガー)という理由もあるが、それでも軍隊を保有する野心を持つ政治家はいた。しかし首相になってもなお、それを頑なに唱え続け、実現に移した人間はいなかった。そもそも保有する必要性に迫られたことが無かったのである。 
 第二次大戦後、日本は敗戦国の立場で、軍隊の保有を禁じられた。しかしその間に、冷戦が勃発し、中国は西側の敵国となり、また朝鮮戦争が開戦した。となると、アメリカの西側諸国としては、日本を共産主義陣営に与させることは冷戦の戦線が一歩どころか大きく後退することになる。結果として日本は、通常の軍隊には随分見劣りする形で自衛隊保有することになり、それを補うため、アメリカは日本を核の傘の下で庇護することになった(詳しくは、添谷芳秀のミドルパワー論なんかが解りやすい)。

 冷戦が終結した、ということは、米国は日本を庇護する必要がなくなったことを意味した。アメリカは単極化したことで、日本が共産主義国化するというリスクは無くなったのだから、それも当然である。
 では日米同盟は無くなったのか。当然そんな事実は無く、周知の通り、未だに残っている。日米同盟を再定義したのである。朝鮮問題もある、中国問題も残っている、その中で東アジアの秩序の安定のため、安定した味方国である日本と組んで、日米同盟による地域の安定化を目指したのである。でもそれは、アメリカとソ連が互いに覇権を争っていた時代とは違う。アメリカが組み伏せられる恐怖はどこにもない。日本は自分で自分の身をある程度は守らなくてはいけない、という時代になった。湾岸戦争における、金だけ出して何もしなかった、という批判はその流れの中で出てきた議論であり、時代の変化の象徴でもあった。

 以上をまとめると、冷戦が終結し、アメリカは全面的に同盟国を守らなければならない状況で無くなった。日本が自己を防衛するのに、ある程度の自己負担をしなければならない時代になってしまった、ということである。
 「積極的平和主義」とは、その流れの中で、世界の警察たるアメリカが、世界の秩序を維持する活動におけるバードン・シェアリング、負担の共有化を必要とするようになったために生じた事態、とも言える。


<批判まとめ>
 この議論を踏まえれば、時代が変わって、周辺の状況が変わったのだから、日本が変わらなくてはいけないのは当然なのではないか、と思えてくる。
 でも、批判は生じている。自分なりにこんなもんだろう、とまとめてみる。


憲法論から

 日本が海外で集団安全保障に参画するのは、たとえ後方支援と言えども違憲である、という議論。長谷部恭男の発言が世論を騒がせているが、まあ当然だろう。憲法学上、自衛隊の存在自体は認められているが、個人的には字義通り解釈すれば、際どいと思う。自衛隊は、英訳するとJapan Self-Defense Forces、軍隊では無い、と言い張っているが、まあ、軍隊だろう(定義しろ、と言われると難しいので、今回は避ける)。自衛のための戦力であるし、だいたい防衛という行為は、侵略戦争とセットなのであるから、戦争に巻き込まれた、という意味で、やはり戦争だと思う。門外漢なので、あまり踏み込まないことにするが。


②"軍靴の音"という話から

 左翼の爺さんがよく言っている話。これを認めてしまうと、日本は戦争への道を突き進むのだ、と。いわゆる、軍靴の音が聞こえてきた、というやつだ。耳鼻科に行けばいいんじゃないかと思うが、喧嘩だけ吹っかけてても仕様がない。でも、もしも、もしもの話だが、国民が認めて、戦争の道に突き進むのならば、もうやむを得ないんじゃなかろうか。民主主義なんだから。とはいえ、民主主義と平和主義の比較の話だが、これは悩ましい話なので、割愛する。
 しかし安全保障的には、「自国が戦争に向かいやすくなる」ことに対する危惧、なんてナンセンスで、語る口を持たない。むしろこの議論は、③に係る変質形なんじゃないかと思う。


③戦争に巻き込まれる恐怖

 ②は、自国が戦争に行くのが怖い、というよりも、やりたくない戦争に巻き込まれる恐怖(巻き込むのが同盟国なのか、自国政府なのか、は分かれるかもしれないが)なのだろう。同盟は常に同盟国による戦争への巻き込まれ、というリスクを抱える。やりたくもない戦争をやらされるのである。特に外国に行って、アメリカが戦ってる国々に対し、「俺はアメリカの味方だぜ」と言い張るんだから、それは後方支援とは言え、巻き込まれリスクを高める。そんな思いをしたくない、というのは当然である。


<批判を施策化する>
 しかしこのまま何もしないのであれば、今まで守ってくれたアメリカが守ってくれなくなるかもしれない。反対するならば、するなりの対案が必要になる。勝手に想像してまとめてみる。

憲法論からの議論としては、いい加減、改憲の議論をせよ、ということになるだろう。個人的にはアリだとすら思う。もう少しこの国の国民は、自国安全保障に対して議論をする文化を身に付けてもいいと思う。リベラル・デモクラシーの下で生きる我々としては、重要な施策の変更であれば、国民の意見を取りまとめるのは当然だとすら思うのだが。なお改憲が否定された場合の議論は、③に移る。

②は置いておく

③について。いくつか考えられる。
(1)放っておく。
 アメリカが守らなくなることに対し、気にしないこと。アメリカは同盟から外す勇気は無いだろう。なぜなら、日本の隣には中国がいる。アメリカは、International Securityのサマリー翻訳を見ても分かる通り、かなり中国を意識している。「中国は世界大の覇権を狙ってはいないだろう」みたいな論者もたくさんいるが、そう言わなければならない程度には、アメリカの中でも中国との覇権争いには嫌気がある。であれば、日本を同盟国に残してもおかしくはない。その代り、アメリカのファースト・チョイスではなくなるだろうが。それって本当に大事な事だろうか。
 リスクは、中国に攻められた場合、アメリカが守ってくれる可能性が減るかもしれないこと(同盟理論のうち、見捨てられるリスク、というやつ)、朝鮮問題については以ての外だろう。しかしそれも放っておく。何故なら、そこで防衛力を強化することが、相手国を刺激し、相手国を調子づかせるからである。こちらが穏やかにしていれば、彼らは大人しくしているのではないか。エスカレーションはお互いの引っ込みがつかないことから生じる。なら、初めから引っ込んでしまえばいいのだ。
 しかし常に考えなければならないのは、施政者の意図は、相手国に正しく伝わらない、というジャーヴィスの議論だ(Jarvis, Perception and Misperception)。日本が平和立国だなんて、本当に諸外国に信じてもらえるのかな。
 或いは、この議論は、相手国を調子づかせる、という議論には反論できてない、という主張もできる。オフェンシヴ・リアリズムの前提に基づけば、チャンスがあれば国家は常に拡張する。日本が放っておくとは、つまり一方的にチャンスを作ってあげる、ということではないのか。野球で、ストレートしか投げませんと言って、ストレートしか投げないような、そんな行為に意味があるのか。


(2)内的バランシング=自国の防衛力強化で対応。
 (1)に関連して、いやいや、そんなのは流石に現実的ではない、という議論。つまり、アメリカが守ってくれないなら、自分たちで守ろう、と考えて見よう。(1)では、相手国を刺激することになる、と言っているが、あくまでそこは自衛隊。自分たちだけを守るのだから、刺激する訳が無かろう、と主張してみたらどうだろう(オフェンス・ディフェンス・バランスの議論)。これは現在の状況をどう分析するか、にも関わってくる。
 いまの時代を、東アジア諸国は日本を危険視していない、と捉えるのであればこの議論も成立するかもしれない。逆に、いまの時代、東アジア食は日本を危険視している、と捉えるならば、自衛隊と言えども刺激する、と考えられる。もっと、日本の非攻撃性を訴えたらどうだろうか、とも言えるのかもしれない。しかしそれをやって、効果が無いと苦しんでいる外交官たちの現実もあるので、そこは悩ましいところだろう。 
とはいえ、現状アメリカがやってる役割を日本に切り替えるだけなので、パワーバランス的には全く刺激が増える、ということも無いかもしれない。


(3)周辺事態のみに対応
10の法制を一気に、と考えるのも少し雑駁だ。まずは自国の防衛のための切れ目のない運用を可能にする法案のみ対応しましょう。そうすればアメリカも一先ず溜飲を下げて、日本を積極的に守ってくれるのではないだろうか。後方支援はまたいつか考えることにしますよーアメリカさーん。みたいなのもあってもいいかもしれない。


(4)中国に守ってもらおう。
我ながら酷い発想である。反日と怒られるかもしれない。しかし、アメリカよりも弱い中国。日本を味方にするため、積極的に守ってくれるかもしれない。
リスク? アメリカを敵に回す、という唯一にして最大のリスクがあるくらいかな。


<意見>
 色々まとめてみた。あくまでブレーンストーミング。特段の結論は出してはいない。もっと色々施策はあるかもしれない。
 与野党が争っているのを見ると、もっと些末な、こういう場合にはどうするの、どうなるの、という話が多い。積極的平和主義には既に全員賛同であり、後は運用の部分だけ、ということであろうか。であれば勿体ない。国民が安全保障の大局について考えるチャンスを失っている。個人的には、むしろ改憲の手続きでも何でも踏んで、議論を重ねたほうが民主主義国として健全に思うのだが、どうだろうか。
 このエントリーは全くの思い付きで色々書いているが、調べなおして間違ってました、とか、あるいはまた適宜思いついたら、ちょくちょく編集もするかもしれない。よろしくね。