結城浩のはてな日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2006年2月8日(Wed)

すべてトレードオフ

JASRACに著作権を預けた曲でも、作者が「不快」なら自由に差し止められる?というyucoさんの記事のコメントに、結城は以下のように書き込みをしました。

hyuki (2006-02-07 (Tue) 23:23)

「使われ方をコントロールしたがるアーティスト」と思われると、今後使われる可能性は減るでしょうね。あ、それがこのアーティストの望むことなのか…。

自分の作ったものだから強くコントロールしたいと思えば思うほど、幅の狭い使われ方しかされない。つまりは、作品がアーティストの枠の中で閉じてしまいますね。まあそれもバランスなんでしょうけれど。

それに対してゆきちさんから、以下のようなコメントをいただきました。

結城さんのコメントなのですが、結城さんは、この件に肯定的なのでしょうか、否定的なのでしょうか。

以下、それに対する返事です。

短い答え:肯定的でも否定的でもありません。

長い答え:もし、このアーティストさんの主張が通った場合、楽曲の利用のされ方は、このアーティストさんの意向に沿ったものになるでしょう。その意味で、このアーティストさんは満足なさるでしょう。しかし、もしアーティストさんがコントロールを弱めるなら、より広い範囲(アーティストさんが想定していなかったような範囲までの利用)がなされ、その楽曲の可能性が広がるかもしれません。コントロールするということは、その機会を捨てることでもあります。もちろんこれは仮定の話ですから実際にどうなるかは誰にもわかりません。

…ということを考えていました。その背後には、強くコントロールされたソフト(例:プロプライエタリなソフト)と、弱くコントロールされたソフト(例:フリーソフト)の連想があります。強くコントロールされたソフトは、著作権者は「安心」できるけれど、利用シーンは限定されることになる。一方、フリーソフトはどんな方向に使われるかわからないから、もしかしたら著作権者が想定しなかったような使われ方をされるかもしれないので「安心」できないかもしれない。しかし、想定以上のとてつもない利用シーンが広がる可能性もある。

ということで、このアーティストさんを肯定する否定するというスタンスではなく、「著作権者が作品の利用のされ方を限定するというのは、必ずしもよいことばかりではない。権利というものはそのことを分かった上で主張したほうが(著作者本人にとって)良い」だろうな、と考えました。クリエイティブ・コモンズのSome Rights Reserved.という言葉に通じる考え方だと思います。

そう簡単に「何が良い」と言えるものではないと思います。すべてトレードオフがあります。たとえば私にはフリーで公開しているテキストもあれば、本として出版し他人が勝手に使えないテキストもあります。私はその両者の著作権者であり、それぞれのテキストの役割を考えて権利関係を決めているわけですね。私はトータルで最大のメリットが出るように考えた上で判断しているつもりです。

本そのものは勝手にWebで公開されては困る。けれど、「本に書かれているソースコードを別のプログラミング言語に移植してWebで公開したいです」というような申し出があった場合には喜んで「許諾」しています。これは、本という形になった「強くコントロールされている状態」を緩和させる試みでもありますし、それが読者なり移植者の便宜を図ると判断したからです。許諾したほうが書籍の宣伝になるという判断もあります。

現代は、ブログなどの普及もあり、いろんな人が「著作権者」として表に出てくる可能性が高いですよね。で、自分の作品を公開するとき、自分はこの作品をどの程度コントロールしたいのか、それは誰にとってどういうメリットがあるのか、をよく考える必要があると思います。

良く考えた上で、どういう権利関係を設定するかはもちろん著作権者の自由だと思いますし、それを他人が必要以上にどうこういうのはちょっと違うかな、と思います。

「著作権者による作品のコントロール」という問題と「JASRACとの関係」は別の問題になりますが、後者についてはいまのところ特に意見はありません。アーティストさんの契約書を詳しく読んだわけでもありませんし。

これでお答えになっていますでしょうか。

GashuGashu 2006/02/10 23:05 はじめまして。ゆきちさんの Blog より辿りました。

1) アーティスト側が著作物の利用範囲を制限するすること
2) アーティスト側が中継ぎ業者的な立ち位置のもの (今回の議論のケースでは、JASRAC) を避ける / independent であろうとすること

の二点に於いて、論点が混在している感 (全体的に) を抱きまして、コメントを差し上げます。結城さんは、実にこの点を切り分けられていますね。感服します。

まず前者については、私は、直接 JASRAC に登録したことはありませんが、作家登録および、楽曲の管理費用として、そこそこの費用を要します。JASRAC に登録している友人などから聞くに、その「費用」自体があるコストがかかり (具体的なコストについては失念してしましまいました。)、ある程度権利関係の意識が高い人の場合は、JASRAC に対して良い感覚を抱いている人は、少なくとも私の周りではいません。

後者 (おそらく、ゆきちさんが小沢健二氏およびフリッパーズを例として言及したかった点) については、欧米型の楽曲著作権の管理主体は、音楽出版社 (Publisher) が保持しており、上記のケースの「中繋ぎ業者」は存在していないものと認識しています。この辺りの構造については勉強不足なのですが、著作権の管理主体自体が分散したとしても、「利用範囲」自体の制限には繋がらないのではないか、と思います。

後者の JASRAC の立ち位置は、少なくとも現状はどちらかというと、Creative Commons のコンセプトに逆流しています。小林亜星氏が JASRAC へ立腹していた (著作権管理自体が行われていない、という主張でした) のは記憶にそう遠からず、かも知れませんが、いわゆる利権団体的な立ち位置が強いというのが私の印象です。そこで、ベンチャー系とでも言いますか、ほぼ同じような機能を持った著作権管理団体もあるのですが、放送局側としてはひと括りに出来る JASRAC のほうが扱いやすいものと推測します。

結局、パブリックドメインのインターフェース (必ず利用者側への利便性が齎されるもの) がフェアな形で用意されることと、アーティスト / 創造者側の権利が守られること、そして第三に、後者の権利がパブリックドメインの利用範囲を制限しないこと、というのがバランスの取れた形なのかな、というのが私の考えです。

ええと、まとまっていませんし、補正を要する点があるかも知れませんが、勢い任せのコメントまでに。

GashuGashu 2006/02/10 23:22 ええと、もともとの yuko さんの記述:
http://www.pizzaofdeath.com/news/info.html
の部分ですが、このこと自体(楽曲製作者が使用範囲を制限すること)に関しては、私は建設的ではないと捉えています。理由は、パブリックに放たれたものは自由に解釈・利用されるべき、という考えからです(根底的な問題として、故人の意志は問えない)。少なくとも、このコンテクストのみから読み取れるのは、アーティスト側の不自由です(真意は違うのかも知れませんが…)。

たびたびで申し訳ありませんが、以上、補足までに。

Connection: close