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遥香の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-10-13

子供の貧困…親から続く「負の連鎖」

18:15 | 子供の貧困…親から続く「負の連鎖」を含むブックマーク 子供の貧困…親から続く「負の連鎖」のブックマークコメント

 働く貧困層社会問題となるなか、「子供の貧困」がクローズアップされている。経済協力開発機構OECD)のデータによると、日本では、17歳以下の子供の7人に1人が貧困状態にある。貧しい家庭環境健康教育に及ぼす影響はもちろん、親から子に伝わる「負の連鎖」を懸念する声も強い。(社会保障部 大津和夫

スタートライン 家の中は散らかり、割れたガラスが床に落ちたまま。2人の弟のために、パンや菓子万引きを繰り返す。母親は病弱。父親は定職に就かず、酒を飲んで家出ばかり。小学校高学年になって児童養護施設に入るまでは、ほとんど学校に通うこともできなかった――。

 民間団体で働く関東地方の20歳代の女性は、「自分はみんなとは違うんだと思った。これは偽の人生だと思い込もうとしていた」と幼少時代を振り返る。

 子供が貧困に陥るのは、親が働いていないか、働いていても収入が低いことなどが考えられる。

 30年間、福祉事務所で働く自治体職員は、「非正規雇用が増え、不安定な親の生活の影響を受ける子供が増えてきた」と感じている。そうした子供たちは、衛生的な生活環境や、早寝早起きなどの生活習慣を得られず、頼れる親類もいないことが多い。

 「そもそも、人生スタートラインに立てていない」とこの職員は解説する。

 戦後の貧しかった時代を経て、高度経済成長を成し遂げた日本では、「貧困」の明確な基準がなく、統計もない。だが、OECDの調査(2000年)によると、日本子供の貧困率は14・3%と、平均より2・2ポイント高い。10年前と比べ、2・3ポイント増となっている。

教育への影響大きく

学歴にも影響

生活保護受給世帯中学生らに勉強を教える徳沢さん。「かけ算や九九のできない子もいる」と話す(東京都江戸川区内で) もちろん、家庭の成育環境子供人生のすべてを決めるわけではないが、様々な調査からは、その影響の強さがうかがえる。

 その一つが、学歴との関係だ。大阪市が04年3月にまとめた「大阪市ひとり親家庭等実態調査報告書」によると、希望する子供の最終学歴を「大学」とした割合は、年収600万円以上の世帯では半数以上だったが、同200万円未満の場合は25%を切った。約20年前から有志で、生活保護家庭の子供無料勉強を教えている東京都江戸川区の職員、徳沢健さんは、「家の事情や親の学歴を考えて、自ら進学をあきらめる子も多い」と指摘する。

 虐待との関連性を指摘する調査もある。厚生労働省が昨年6月にまとめたデータによると、05年に起きた児童虐待による死亡51例のうち、約4割が市町村民税非課税世帯など経済的に困難な家庭の子供だった。

 犯罪との関連性を示唆するデータもある。北海道大学の岩田美香准教授教育福祉)が国の調査結果をもとに、1980年から06年に全国の少年院に入所した子供の家庭状況を調べたところ、その2〜3割が貧困家庭だった。

貧困の固定化 健康面への影響も懸念される。横浜市社会保障推進協議会が昨年2月末、市からデータを得たところ、国民健康保険料の滞納により、受診抑制が懸念される世帯子供は約3700人に上った。「家庭環境治療を受けられない子供がいる」と、同会では警鐘を鳴らす。

 さらに気になるデータがある。06年4月に、大阪府堺市健康福祉局の道中隆理事が、市内の生活保護受給390世帯を無作為抽出して調べた結果、その25%は世帯主が育った家庭もやはり生活保護世帯で、その割合は母子世帯では40%に上った。「『貧困の固定化』がうかがえる。まずはこうした負の連鎖を断ち切り、親子が自立できる政策が必要」と道中理事は強調する。

一元的に把握

 では、どうしたらいいか。 「国はまず、貧困状態にある子供の実態をきちんと把握すべきだ」と、放送大学宮本みち子教授社会学)は訴える。そのためには、医療、福祉、教育雇用など、関係機関が個別に所有する子供情報を一元的に把握し、共有できるシステムを作ることが不可欠だと提唱する。

 また、最低賃金を引き上げて働く親の所得水準を上げるほか、生活が厳しくなりがちな一人親家庭への支援を充実すること、さらに、子供授業料の減免措置や奨学金の拡充なども提案する。

 一方、国立社会保障・人口問題研究所阿部彩・国際関係部第2室長(社会政策)は、「日本では、低所得者向けの現金給付や税制上の控除が不十分な半面、税負担や社会保険料負担が重い。このため、生活保護や児童手当などを受けても、現実には貧困の救済になっていない」と指摘する。

 こうした状況をなくすためには、配偶者控除の縮小などで財源を確保したうえで、低所得者に配慮した税制上の見直しや、児童向けの各種手当の拡充などにより、所得保障を強化することが必要だという。

欧州 10年前から対策

 欧州では、10年以上前から子供の貧困が注目され、対策に力を注いできた。家庭の問題として放置すれば、子供社会から孤立させるだけでなく、将来の社会コスト増にもつながりかねないためだ。

 欧州連合EU)などの資料によると、英国では1999年、当時のブレア首相が、2020年までに子供の貧困を根絶すると宣言。当時約340万人だった貧困児童を現在では約280万人にまで減らした。最低賃金の引き上げや、低所得の働く親への税制控除を実施。親の所得が低い16〜18歳の子供への教育手当も支給している。

 ドイツでは、最大27歳まで児童手当を支給。低所得者向けの住宅手当もある。スウェーデンでも、20歳以下の子供に対し、個別に自立プログラムを策定。教育職業訓練を行っている。

 こうした給付には財源が必要だ。児童手当などの家族関係支出の規模を国内総生産(GDP)比(03年)でみると、スウェーデン3.54%、イギリス2.93%、ドイツ2.01%に対し、日本は0.75%にとどまっている。

子供の貧困率 世帯を所得順に並べ、ちょうど真ん中にあたる世帯が得ている所得の50%未満の所得の世帯に属する17歳以下の子供の割合。

[プラスα] 児童扶養手当を支給

 子供の貧困は、一人親家庭で目立つといわれる。国は、こうした家庭に対し、「児童扶養手当」を支給している。

 手当の対象は、離婚や死別などで父親のいない18歳までの子供を育てている母親や養育者。支給額は受給資格者の所得や子供の数などによって決まる。全額支給の場合、毎月4万1720円。子供が2人の場合は5000円、3人目以降は子供1人につき3000円が加算される。

 子供1人で、年収が約130万円未満の家庭の場合、全額の4万1720円が支給される。年収が130万円以上365万円未満では、収入が増えるにつれて手当は少しずつ減り、365万円以上になると支給されない。

 厚生労働省によると、児童扶養手当の受給者数は2008年2月現在で約99万9000人。このうち、全額が支給されている人は約59万人。手続きは市区町村の窓口で行っている。

3つの提案

政府は実態の解明を早急に

賃金アップなどで所得保障を

福祉と教育連携で支援を強化

2008年10月7日 読売新聞

 上記記事は、『読売新聞』の「社会保障 安心」の特集です。記事のキーワードの一つが「負の連鎖」という言葉ですね。「負の連鎖」はもっとわかりやす言葉で言えば「階層の固定」、「貧困の世襲」ということになるでしょう。生まれた家庭が裕福であるか否かでその後の人生が決まる。目に見えないカースト制が日本を覆い始めているといえるかもしれません。親の所得・資産(いわゆる「溜め」の一つ(湯浅誠『反貧困』岩波新書)がそのまま継承される。現代版身分制は民主主義自由主義原理をさえも崩壊させ封建体制への反動形成だと言えば言いすぎでしょうか。しかし、私は現在進んでいる「和製カースト制」の動向には警戒しておくべきだと思うのです。それは経済格差の進行こそがこの問題の本質であり、上層部は億単位資産をもつ一方で下層は生活保護基準以下の所得でその日その日をしのぐ生活をしなくてはならない。下層において「貧困の世襲」が常態化していくのは不公平極まりないといわざるを得ません。

 私は、格差存在資本主義社会である以上やむを得ない部分もあると思っています。しかし下層の生活水準が年間200万円程度となると生存権そのものが守れなくなる。ここまでくると憲法第25条違反であり、先進国でありながら民主主義原理さえも遵守できない。そうであるなら日本という国自体の存在価値も疑われるようになるでしょう。経済格差はあってもいいが、経済的に下層に位置していても家族3〜5人の世帯が十分に食べて生活できるように国は雇用賃金政策や社会保障で支援していくべきでしょう。それは机上の空論ではなく、1970年代の日本社会のごく普通風景でした。それを一変させたのは、1980年代以降の一連の規制緩和(中曽根政権から小泉構造改革)で、労働市場の激変(派遣労働の増加と安定した雇用の減少)をもたらし地域社会からコミュニティを奪い去っていきました。市場原理で勝利するのは、資産のある者で持たざるものは下層に沈められたと言っても過言ではないわけです。

 また、上層に位置する者は、その地位が自分ひとりの地位で築けたわけではないことを肝に銘じておくべきでしょう。多くの人の有形・無形のサポートがあってこそ人はこの社会で成功できたのだということを認識して、富裕層になるか貧困層になるかは個人の力を超えた別の要因によって決定づけられているということも理解しておくべきでしょう。したがって、資産を持つことは特権階級であることを自覚すべきなのです。富裕層には今こそノーブレス・オゥブリージの精神を復活させて欲しいと思います。

bonbokorinbonbokorin 2008/10/14 20:18 最近毎日楽しく拝読してます。この記事もうんうんと頷きながら読ませていただきました。ひとつだけ個人的にひっかかった部分は「それを一変させたのは、1980年代以降の一連の規制緩和(中曽根政権から小泉構造改革)」というところなんですが、一連の規制緩和政策は恣意的に行われたというよりは、それを行わざるを得ない歴史的必然性があったのかなと思ってました。特に労働市場の激変の原因としては、東西冷戦の終結とそれに伴う東側諸国(特に中国)の社会・経済の近代化によって、安価な労働力が世界経済に組み込まれたという歴史的な変化によるところが大きいのではないでしょうか。その頃からmade in chinaの安価な製品が至るところに溢れるようになりましたよね。安価な労働力との競争にさらされたことで、経営側もやむを得ずそうした雇用形態によるコストダウンを図ってきたのではと。労働市場そのものの自由化までは踏み込まずに持ちこたえられてきただけマシとも言えるのではないでしょうか。
なので、本質的には、今問題となっている貧困は、国内で富裕層が搾取したために生じたわけではなく、国外のさらに貧しい人たちとの競争によってもたらされた、と言えるように思うわけです。この前、「他国との比較においても日本は貧困が多いだろうか?」とふと疑問に思ったのもそうした文脈です。「追う側」(中国etc)と「追われる側」(日本)の心理的な違いも大きいのではないかなと。

bonn1979bonn1979 2008/10/14 21:24 bonbokorin氏の指摘は(遠慮がちな語り口ではありますが)あいかわらず鋭い。
遥香 vs bonbokorin の対話を乱す意図はないのですが、数行のコメントでは書けないほど、重要なご指摘と思い、私の座敷(第1709号)にて引用し、再コメントしました。

Maa-chanMaa-chan 2008/10/15 06:47  お久しぶりです。

 この記事について,今日付の私のブログでリンクをさせていただきました。こどもの虐待に絡めてです。

 虐待と貧困,私自身現場で切っても切れない関係であると実感しています。難しい問題ですが,少しでも光が見えるよう,社会に発信していく必要性を痛感しています。

DAGDAG 2008/10/15 12:08 こんにちわ。最近のここでの論議が白熱して、目からウロコ…という感じですが、不勉強&漢字&長文資料が苦手なDAGとしては、みなさんについていくのに必死で、置いてけぼりの観があります。
で、感想なんですけど、利用者と地べたを這い回るようにやってる自らも当事者であるDAGからは、近々のここでのみなさんの議論が難しすぎてようわからんのです。
ここでの議論は高度すぎて、頭脳的理解中心で、実際の貧困(っていうか、貧乏っていうか、カネやらなんやらの有象無象全てが混沌とした感じ)を生きてる人の「内臓感覚的」「身体的」なモノが漂白されてしまってるような気がしてしまいます。

敢えてDAGの日々を晒すと、今朝、うつで療養中のパートナーに不用意なひと言を言ってしまい、彼女の今日一日を灰色に染め上げていまいそうです(今も心中穏やかならず…ぐるぐるの最中です)。今も自身の胸の中にはなんだか知らない恐ろしい飲み込みようのない毛玉のようなモノが育っています(それを不安と名づけることは簡単だけど…)。病気としてのうつを日々生きざるを得ない彼女と、精神科ワーカーとして頭脳的にソレ(=うつ)を知的に理解してる私自身との間には、何光年もの隔たりがあります。今のパートナーのため、クリニックで利用者のため、様々な支援を惜しむ気は毛頭ないつもりですが、時折、今言った隔たりと共感の彼方に独りポツンと存在している人たちに、どうやったらコトバが届くのか?思いが届くのか?常に自問自答とやらかした罪の気持ちで胸が詰まります。
先日、雨の早朝、クリニック近くの公園ですべり台の下で暮らすオッチャンが、雨の中、誰もいないブランコへ向かって何か話しかけていました。すぐ横の遠い県外ナンバーの駐車中のエンジンかけっぱなしのトラックの中では、呼び出し音の鳴っている携帯電話を握ったまま兄チャンが眠りこけていました。
感傷的なだけなのかもしれませんが、本当に自分は何をしてるんだろうと思いました。きっといい頃もあったオッチャンと、もしかしたら大切な誰かからの電話かもしれないのに、出れずにいる兄チャンのために…しょうもないかもしれないけれど…祈ることしかできません。
西成で野外生活してるオッチャンに、市営住宅で独りひざを抱えてるひとり親のお母さんに、食べるものしか削ることができず一日一食で切り詰めているジイチャンやバアチャンに、行くあてもなく開店から閉店までをショッピングモールで過ごし、ベンチで行き交う人々を眺めているオジサンに、ここでの論議のコトバが腹の底から伝わり、彼らの共感を得るにはどうしたらいいんでしょうか?
学校で教える教員である自分は、どうしたらこの刹那の感覚を学生に伝えたらいいのでしょうか?
当事者であり、自助グループのメンバーでもあるDAGは、プログラムから多くを得て、自らの無力は認めています。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きは到底得られそうにありません、変えられるものを変えていく勇気もすぐに萎えてしまいます。これら二つのものを受け入れる賢さなどにはたどり着けそうもないです。
けれど、今そこにある人と状況とその行く末を案じ続け、見守り続けたいと一秒一秒の自分の心臓の鼓動毎に思い直しているところです。
失言・失礼の段がありましたら、心よりお詫びいたします。長文ご覧いただき、ありがとうございました。

DAGDAG 2008/10/15 19:08 訂正…
上の文章の最後あたり、「これら二つのものを受け入れる〜」は「これら二つのものを見分ける〜」の間違いでした。スンマセン。

s193s193 2008/10/15 22:54 遥香様いつもブログを楽しみに拝見させていただいています。今回、規制緩和の話題が出て、昔少しかじったことがあったので、はじめてコメントさせていただきます。
bonbokorin氏のコメントを読み、いままで国内にだけ目を向けていた間違えに気づきました。市場のグローバル化は国内の労働市場に多大な影響を与えるであろうし、これは経済問題であると同時に貧困の問題につながるという意味では重要な示唆でした。しかし、一方で疑問なのは規制緩和政策が歴史的必然性があったのではという部分なのですが、日本における規制緩和はある意味、『民間活力の活用』に代表される『小さな政府』の議論や新自由主義的イデオロギーの所産であり、その発端は1970年代後半あたりで、第二次臨調路線からきているものではないかと考えています。イギリスの福祉国家の再編やアメリカの公的扶助の縮小など当時のサッチャー政権、レーガン政権と同様の路線が中曽根政権で行われたことによるもので、東側諸国の近代化は90年代と少しタイムラグがあるように思えます。先進国病に悩む当時の英米にならい、人口の高齢化の進展と社会保障費の増大を背景にした恣意的な政策展開と考えています。アジア圏での経済競争力という意味では、80年代にNIEsの台頭がありましたが、当時の日本は、円高と好景気に支えられ労働市場への影響は少なかったと思われます。バブル経済崩壊後の「失われた10年」以降においては、国内的要因による労働市場の低迷に加え、NIEsの工業技術の高度化や東側諸国の資本主義経済市場への参入が規制緩和路線を定着させたという意味では、この時代においては歴史的必然性を感じます。しかし、同じ資本主義国の中でも同様の路線をとっていない国々もありますので、完全に恣意性を否定することはできないでしょう。70年代後半当時にはこれほどまでの規制緩和は考えていなかったかもしれませんが、小泉改革による郵政民営化は、思い起こせば昔の国鉄民営化と重なります。程度の差はあれ、既定の路線だったのかもしれません。
などとたくさん妄想してしまいましたが、たくさん怪しいところがあるかもしれません。また失礼があったらお詫びいたします。

bonbokorinbonbokorin 2008/10/17 13:35 bonn1979さん、過分な御言葉ありがとうございます。でも自分のオリジナルな考えでもないような気がしていて、きっと誰かの受売りなんですが(笑)、引用元をお示しできずすみません。
s193さん、鋭い御指摘ありがとうございます。「タイムラグ」は自分でも自覚してました(笑)「規制緩和」というくくり方をしては乱暴な議論になってしまいますね。御指摘で思い出したのですが、中曽根さんと小泉さんは似たタイプの政治家でしたね、お二人とも「パフォーマー」「役者」タイプで、米国の大統領とも友人関係を演出してました、それ自体は悪いことじゃないとは思いますが、「軽さ」と表裏一体な感じはしてしまいます。まぁ小泉さんの歴史的評価はもう少し経ってみないと定まってこないとは思いますが。