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2008.10.24
P012
第○章 八荒帖
≪ 柳営日譜 ≫
浜御所
北条茂時(連署)
早馬が六波羅から
行方の知れなかった
大塔ノ宮
吉野山の愛染宝塔に拠る
『'義兵'を募る』の令旨
赤松円心に二心
(播磨)の準備
九州 菊池党
踊り念仏で遊ぼうよ
化粧坂(けわいざか)
名越の傾城
白拍子
長崎円喜―妻の舅
覚海未亡人―生母
一族
普恩寺
江馬
二階○出羽入道
道うん
P038
高師直と道誉
高氏の病気見舞に
白龍、なにをしている
於呂知
国家老 師直
滑川の水音
< 隠岐の島守り >
かねたたき踊りに狂う念仏
の諸声(もろごえ)
阿弥中間
頭に包帯の道誉
を訪問する隠岐の
宗家道誉
きのう一日は問注所で
配所の扱い厳しい
取り調べ
小宰相の局は
鎌倉のまわしものだ
機会主義の道誉
鎌倉の言うとおりにせよ
天之忍許呂島(あめのおしころじま)
18年 北条義時
島後の八尾川(やびがわ)
大満寺山
< 一穂(いっすい)の灯 >
警護強化
守護、塩冶高貞へ走る
次の配所地
島前美田郷別府へ
母系一族 上野の国
新田義貞殿の領国
新田一族であります
P089
< 小宰相 >
P112
<阿野廉子 >
頼源僧都の筆跡
差し入れ書物10冊
暗合書簡
(らいげんそうず)
岩松の海賊船が待っているはず
他の成田小三郎の密書
小姓 金若
後醍醐天皇連れて
いってやる,都に、と
大変です、能登が帰って来ました
島後から
決行の日、24日
< 破島 >
いっせいに作戦を実行
P146
名和悪四郎
寝返る能登
脱出、後醍醐天皇
岩松の船と落ち合う
一路、伯耆へと行け
P160
大山 かごあれ
行房
2008.10.25
P176
名和長年
竹万丸(末子15歳)
つかいにやる
信濃坊源盛(げんせい)
船上山の方へ手配
日野川に産する砂鉄
永観
加茂の梶岡入道
行宮を断られる
船上山の直ちに
岩松吉政
<船上山>せんじょうせん
永観殿
P206
九州では
菊池
小弐
。。。。。の4家
菊池武時、召集受ける
博多へ300騎
櫛田(くしだ)神社
息ノ浜
北条英時
の実弟
ときふせ、菊池と
手を切らせ証文までとった
P216
英時VS菊池武時
良覚法師
菊池三郎頼隆
新妻迎えてわずか16日にて合戦の沙汰
息ノ浜(おきのはま)
P228
< 忍ノ大蔵
権三
P251
千早帖 第○章
< 勝負の壇 >
安間了現
それをとり、武器を集める
P259
四条隆資
2008.10.26
P286
正成
前面の肩衝山(かたつきやま)
PC2008.11.19 0716
2008.10.21 当初記入(29日遅れ)
2008.10.21
本山・歓喜光寺も
このように遊行を続けて
あちこち流転を重ねた
?西山上人証空(1177-1247)
久我氏の出(こが)
猶子
許され直江津
仏と神は仲がいい
P088
十四 作阿と金光寺
?雲居寺
作阿
=阿弥陀仏
=胤恵法師
=空也の市屋道場を
市中金光寺とした
一五 他阿と長楽寺
時宗の凋落ぶり
遊行派の今は?
真教=他阿
呑海
一条の滝=長楽寺の行場
石組みに石仏を
組み込む
印西
隆寛
回尊観
阿證房の名
P099
十六 国阿と正法寺
(しょうぼうじ)
霊山(りょうぜん)
双林寺
俊寛とともに平康頼
が隠棲して僧になり
宝物集を書いたところ
2008.10.22
十九 阿像親王と願成寺
東福寺の塔頭
願成寺(がんじょうじ)
「薬子の乱」
で座して太宰権師
として流罪
罪、許されるを願い
その願いが成る
乱の首謀者 藤原仲成は殺される
薬子は自殺
上皇=幽閉
インドへ行く途中
羅越国で虎に食われ死亡
二十一 基経と極楽寺
毎年11月公開
二十二 日像と宝塔寺
死者供養
P133
P144
二十四 道長と周聚院
藤原忠平 法性寺
摂関家の氏寺
枕のみが自分の涙を知っている
道隆の子である定子
(ていし)に仕えた
敗れた定子
・ 花山法皇
=政治的失脚者
・ 藤原公任
=忠平の長子、実頼の孫でありながら頂点に立てなかった
・ 紫式部
=小説家
・ 赤染衛門―歌人
法成寺―道長の建立
五大堂
二十五 寛朝と遍照寺(へんしょうじ)
平安中期の仏師
定朝
その父 康阿(こうあ)
同聚院の丈六の
康尚作2体もつ寺
=遍照寺
宇多天皇の孫寛朝が開基
「将門の乱」の調伏に一役
P156
二十六 秦伊侶倶(いろぐ)
と稲荷山
二十七 荷田氏と伏見稲荷
稲を荷った白髪の老人
として語られる
稲作農業民
秦氏
荷田氏と秦氏の争い
騒然
2008.10.23
三十 東福寺
栄西(ようさい)
明庵栄西
P180
後鳥羽上皇の信認得る
三十一 聖一国師と禅問答
1236年 東福寺建立
開山を誰にするか
P196
三十三 安国寺恵けいと作夢軒
複式夢幻能
建仁寺の方丈も恵けいが再建
性海霊見
義満将軍の前に素裸で現れる
三十四 文英清韓と天得院
国家安康
ご用心ご用心
林羅山
建仁寺の僧
P209
莵道稚郎子(うじのわきのいらつこ)
三十七 人麻呂と橋姫神社
朝日山恵心院
S25.06 9年間
稲垣足穂住む
白川は宇治の別所
P238
「竹取物語」(平安初期)
「この子いと大きくなりぬれば三宝戸斎部
(みむろどいんべ)のあきたをよびて名を付けさす』とある
宇治の三室戸
P244
第十番目札所
四十二 源隆国と南京房
・・・・・・・・・・・・・・・・
PC2008.11.20 0722
2008.10.23 当初記入(28日遅れ)
四十四 頼通と阿字池
P264
専誉(1668)
山は帝王
水は臣下
石は補佐の臣
P270
四十五 定朝と地蔵
大仏師 定朝
父康尚(こうじょう)
法成寺の無量寿院の造仏
六波羅密寺の地蔵菩薩
宝物集
四十六 定朝と阿弥陀如来
康尚
「栄花物語」
蔓掛(かずらかけ)池
蔵六波羅密寺
法橋
金堂及び五大堂
律師に相当する法橋の位は異例中の異例
谷信一氏
定朝作
中期 真木大堂
阿弥陀如来坐像
後期 不動明王二童子像
大威徳明王
四十七 道長と法成寺
道長の栄華の頂点が
道長が精魂こめて創った法成寺であろう
しかし、「徒然草25段」
今はその影さえ見えぬ
四十八 我明上人と浄列寺
四十九 日野資業(すけなり)と法界寺
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