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山本大の日記 RSSフィード Twitter

株式会社レベルエンター(http://levelenter.com/)で、プログラミングを若手に教える仕事をメインにやっています。

2016-11-18

アフターシンギュラリティの世界を生きる人へ


シンギュラリティ(技術的特異点)は近いと言われている。
技術的特異点 - Wikipedia

技術的特異点(ぎじゅつてきとくいてん、英語:Technological Singularity)、またはシンギュラリティ(Singularity)とは、人工知能人間能力を超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする .


僕ら大人達は、恐れている。

しかし、我らが子供達は、シンギュラリティを必ず迎える。
子らには、それを乗り越えた先の世界で生きる強さを持って欲しい。

シンギュラリティを超えた先の世界に生きる人たちに、生きる強さを教えることが
僕らの会社のミッションだと思うに至った。


そもそも特異点など恐れることはない、いままでもコンピュータの方が僕らより頭がよかった。
10年前に書いた恥ずかしい日記を僕は忘れているが、コンピュータは覚えている。
僕らの声は、せいぜい100人にしか届かないけれど、コンピュータとネットワークを組み合わせると1億人にだって届けることができる。
僕らは、100ほどの計算をしたら頭が疲れてくるけれど、コンピュータは1秒に100万回計算してもへっちゃらだ。

そういう意味じゃあ特異点はすでに経験してるんだ。


未知の何かに怯えるのは人間の性だけど、コンピュータが起こした革命ならすでに経験してるじゃないか。

それはインターネットが革命を起こす前夜を思い出せばいい。
インターネットが多くの職を奪うだろうといわれた。
実際そうなったが、それ以上に多くの職が生まれた。


インターネットが出てきた時には、すでに人間はコンピュータに能力的に超えられているけれど、僕らは恐れてはいない。使いこなすべき対象なだけだ。


AIが発達したとしても、コンピュータが苦手な分野がある。

例えば子供だ。
子供向けの教育をして、自分自身も親になってわかった。
子供は論理のかけらもなく、合理性なんか無視の究極のカオスだ。
愛情がなければ、関わるのもめんど臭いだけの非合理の塊。

でも、可能性の塊でもあり、多かれ少なかれ愛を感じざるを得ない存在だ。

愛を理解できるコンピュータができるだろうか。
できるなら、それはそれで希望にあふれている。


コンピュータが非合理性を理解して、非論理的に動きはじめたときに
初めてコンピュータは人間を超えるかもしれない。

しかしながら、そうなってしまうと我々にとってその存在とは、
とても論理的で融通が利かないけど、ある意味愛するべき友人という扱いになるのではないだろうか。
だったら、僕は酒をのみながら愚痴を言い合いたい。


僕は、シンギュラリティの先に、ターミネーターやスカイネットの存在を感じるよりも、
ドラえもんや、攻殻機動隊のタチコマの存在を感じるほうだ。

人が作るものだから、驚異というよりも希望なのだ。
そんな世界なら恐れることはないだろう。

それが完成だとしたら、僕らが生きているうちには来ないかもしれない。
シンギュラリティ以降も、しょうもないバグに悩まされそうな気配はプンプンする。


しかし、そういった超越していながらもまだまだ不完全な世界において、我々の子供達は生きなければならない。

だったら、ドラえもんに道具を出してもらう方法を知ってる子供を育てたい。
できれば、多くの人がのび太になってほしい。

道具を求め、課題提示した時にはじめてドラえもんは、役に立ってくれる。
ドラえもんへの頼み方を知ろう。だから僕はプログラミングを子供や若い人に教えたいんだ。


スマートフォンは、とても身近なコンピュータで、接する時間もながい。
だけど、その機能を使いこなせる子と、そうでもない子がいる。
それが経済格差になってしまう可能性もある。
だったら、それこそ教育の出番じゃないだろうか。

シンギュラリティを超えた世界A.S.0001年を生きる人たちを育てる教育。

しばらく僕のテーマになるだろう。それこそシンギュラリティを超えるころまでの。

2016-10-25

ソフトウェアエンジニアの独立というキャリアパス


ソフトウェアエンジニアには、常にキャリアパスとして独立というルート存在しています。

35歳の転機

古くから語られている通り、ソフトウェアエンジニアの35歳には転機があります。
「まっとうな人は、繰り返しを馬鹿馬鹿しく感じ」
「賢い人は、すでに去っており」
「まっすぐな人は、極める快感に酔いしれる」
また、
仕事の対象がコンピュータから完全に人へシフトする」
「描いていた人生の必要経費と、将来の給与の限界が折り合わなくなる」
という時期だと思います。

僕がソフトウェア開発の業界就職した2000年ごろ、35歳のソフトウェアエンジニアのロールモデルはあまり存在していませんでした。
だから「35歳定年説」を聞いたときも、「じゃあ35歳以降どうなるの?死ぬの?」って思っていました。

現実の35歳

現実には35歳を超えた私の周りでは元ソフトウェアエンジニアが、自分たちで産んだ価値を、自分たちの対価にかえるというモチベーション起業をすることが増えてきました。

もちろん会社に所属して頑張る人も沢山いますし、それぞれのキャリアを描いていることにケチをつけるものではありません。
起業のリスクはとても大きくて、半泣きになって会社勤めに戻りたいと思う時もあります。

でも、キャリアの転機において、独立という選択肢が残されているソフトウェアエンジニアは、なかなか良い職業だと感じているって話です。

ござ先輩のクオリティスタート

さて、この6月に「ござ先輩」こと湯元堅隆さんが起業して株式会社クオリティスタートという会社を立ち上げました。
f:id:iad_otomamay:20161025111223p:image:w640

ござ先輩は、SIerでソフトウェア開発やコンサルティングのキャリアを積み、その後「これからは事業会社をIT会社に変革していくのがSIerのミッション」との信念で、流通系の企業のIT部門長として仕事をされていました。

とか今更紹介するまでもなく、エンジニアブロガー有名人です。

ござ先輩の生み出したクオリティスタート社がやろうとしていることは「事業会社をIT会社に変革する」ことですが、その手段として、顧問弁護士顧問税理士などのように「顧問エンジニア」というスタイルを生み出そうとしていること、併せて「業務システム自動生成ツール」を使ったビジネスを展開していくとのことです。
MOD99ご説明資料.pdf 直

顧客目線とIT目線の両方を持ち合わせたござ先輩らしい進め方だと感じています。
ソフトウェアの自動生成と顧問エンジニアの組み合わせは、IT化されていない主に中小の企業にとっては、導入しやすいサービスではないでしょうか。

ステマで、互助会だといわれるかもしれませんね。。。でもとても良いロールモデルだとおもったのです。

まとめ

少ない設備投資で、価値を生み出すことができるのがエンジニアであり、起業にはとても向いています。

ビジネスを作ろう。小さなものでもいい。それがエンジニアの代表作というものだ。
そういう働き方が、一つの35歳以後の姿かなと思います。

2016-10-03

プログラミングを学ぶべき理由

2020年小学校でプログラミングの授業が必修化することに関連して、プログラミング学習の理由について、議論が活発になっています。

私は、プログラミングは「コンピュータとの対話の手段」であり、本当の目的はコンピュータを知り、使いこなす方法を学ぶということだと考えています。

若い世代にとって、スマホを含めコンピュータに接する時間はどんどん長くなっています。
親しい隣人とも呼べるコンピュータを制御し使いこなすことができることは、頼れる相棒を生涯にわたって持つということだと言えます。

プログラミングは論理的思考を学ぶために有効か?

プログラミング学習の義務教育化に向けて、「プログラマーばかり育ててどうする」という外部からの声に反論するために、「プログラマーを育てるのではなく、論理的思考を育てるのだ」とその目的を表現したりします。

体育が必修だからといって、全員がオリンピック選手を目指さなくてもよいように、プログラミングを学んだからといって、全員がプログラミングを仕事にしなくても良いのです。

確かに、全員がプログラミングを仕事にしなくても良いと思います。そこは同意

ですが後半の「論理的思考を育てる」という部分には少々疑問があります。
プログラミングをするときに論理的思考は必要ですが、それを学ぶのにもっと効率の良いやり方はあると思います。
例えば、正しい国語を学ぶことや数学を学ぶことです。

Viscuitの開発者である原田さんのブログ共感した部分です。
http://devroom.viscuit.com/2016/10/02/%E8%AB%96%E7%90%86%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83%E3%81%AE%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%82%92%E7%9B%AE%E6%8C%87%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%95%99/

論理的思考能力を鍛えたければ,他のもっといい方法があります.よく考えたゲームとか.プログラミングは筋が悪いです.

モダン(笑)プログラミングは論理的を求めてはいません.

実はひどいプログラミングツールを使ってプログラムを作らなければならない場合に,論理的思考能力がなければなにもできない,ということがあります.上記「プログラミング教育は論理的思考能力の向上を目指す」と主張している人たち,そしてそれに反論している人たちは,ひどいプログラミングツールを使ってプログラム作った(しかし動かなかった)という経験が強く残っていて,そんな狭い考えに支配されているのだと思います.ここで言えるのは,ひどいプログラミング=論理的思考能力必須 です.


わざわざプログラミングを学ばなくても論理的思考は学べます。
「プログラミングを学ぶ」ことがありきで、目的をカッコよく後付けしただけのように感じます。

実際、子供さんをコンピュータに長時間触れさせることは、親御さんからのウケは悪いものです。

そこに、別角度の目的を据えて反論を逸らしていますが、本音を言えば「世界的にプログラミングが価値ありとされている中、日本が置いていかれるのはまずい」ということでしょう。


私は、「コンピュータでできることと、できないこと、そして次の可能性を知る」という目的が良いように思っています。
コンピュータは、この先も長らく人類の頼れる隣人になると思います。
偏屈で頑固でこだわり屋だけど、能力は高いという困った隣人のことをよく知りましょうという目的です。

正しい知識がなければ、「AIが人類を滅ぼすかも」みたいな不安に駆られることでしょう。
写真に写ると魂が抜かれる」的ですね。
人類を滅ぼすとしたら、AIよりよっぽど人間のほうが怖いと思います。

コンピュータを怖がらずに武器として、道具として使いこなすこと。


それが若い人みんなに習得して欲しい力です。