2012-07-01
■[エッセイ]「 隠れ貴族」の存在 

最近、隠れ貴族に思いを馳せています。第八大陸の原住民、小作脳代表としてwww
<露出社会>にデビューしなくてもいい隠れ貴族の存在について。
今や、全世界的、同調圧力によって、実名SNSにデビューしないと、いろんな面白いイベントの仲間に入れてもらえなかったり、面白い情報に接続できなかったり。そう思い込んでいる人々もいるかもしれませんが、やはり、それはそう思い込まされてるだけだったりしてなぁと。
今日も、のんびりと、ネットなどどこふく風よ、とまった〜りと日々を過ごしている隠れ貴族たち。どんどんと人々が実名で<露出社会>にデビューしていく中で、あえてその選択をとろうとしない貴族たちの存在について。「facebook? はぁ。あんなもん、企業の宣伝マンにされるだけでございましょ〜おっほほほ〜。」
隠れ貴族は、ベタに<露出社会>の存在を知らないわけではありません。非常にITリテラシーが高い人々を想定しています。にも関わらず、彼ら、彼女らは、<露出社会>にあえて、デビューしないのです。実名で、<露出社会>にデビューしたときの、リスクに思いを馳せて。黒子的存在として、「いやぁ、今日も<露出社会>では、いろいろ面白い芸者が登場して、エキサイティングな演目が始まったらしいね〜。」と、その世界を鑑賞として楽しむことはしても、決して自分はその世界の演者になろうとはしないのです。
とはいえ、なかには、実名(国家に両親が申請した名前)はリスクが高いから、あれだけど、自分がつくった名前で、<露出社会>にデビューしている人はいます。このような、人々も、私は、隠れ貴族だろうなと考えています。<露出社会>にデビューするものの、現実の社会<第七大陸>から、完全に遊離しているゆえに、気楽にやっていけます。彼ら、彼女らは、完全に、第七大陸的世界と紐づかない、第八大陸だけの、存在としてのIDを獲得した人々です。もちろん、第七大陸上の自らの身体に紐づくような写真や動画などの情報はいっさい出さずに、アバターを自らのIDの身体の化身として使っています。
ベタにITリテラシーが低い人々は、ネット界隈では<情弱>と言われたりします。隠れ貴族は、<情弱>では決してありません。自らの戦略のもと、あえて<露出社会>に、実名でデビューしていないのです。
思えば、2010年から日本でも実名でのSNSの普及が進んでいきました。まさに、現実社会<第七大陸>と紐づけるSNSの使用法が注目されてきたと思います。
ただ、先日、facebookをのぞいたときに、右側の広告欄、ありますよね。あれに、私の友人の顔マークが表示されて「○○さんが、この企業サイトをいいね!と言っています」みたいな表示がされたのですが、なんとも微妙に感じた次第です。なんだか、あの広告表示は滑稽に感じてしまうのは私だけでしょうか?私は、自分のアインコンをあそこに、表示させたくないなぁと。
隠れ貴族はもちろん、facebookのようなサイトに情報提供を行わないので、あんなところに自らの顔面広告が表示されることもありません。まぁ、これは一例ですが、隠れ貴族が負わなくてもいいリスクは数え上げればきりがないでしょう。
隠れ貴族になることは昨今ますます難しくなっているように感じます。今や、ITリテラシーがそれなりにあって、SNSに実名登録していない人々の数の方が少ないように感じます。というわけで、隠れ貴族の数は相当少ないです。でも、確実に隠れ貴族は存在しているのです。自らの情報を出さずにすむ、ある種の特権階級として、今も、このブログを読んで、ほくそ笑んでいるいるかもしれませんね(笑)
2012-06-29
■[エッセイ] ポスト露出社会 

先日、MG的には、ツイッターの<共同体的利用>と、<知本市場的利用>を分けて考えていると書きました(ココ)。私の肌感覚的には、フォロワーが1000人を超えたら、知本市場に参入、10000人を超えてしまったらガチ知本市場参入です。
売れない芸能人なんてもんを想像して下さい、フォロワー数10000人もいかない人もいるでしょうし、同じ舞台(プラットフォーム)に、芸能人と素人が、乗っかってしまった瞬間、誰が、アマでプロなのか、など、フォロワーの人々はたいして気にしていないかもしれません。
暇つぶし娯楽の中心が、映画から、TVへの移行期に、映画俳優の特権が徐々に、薄れて、ドラマの俳優がお茶の間に親しみやすいスター性を獲得したように、ツイッターで<知本市場>に参入した人々が、T Vのスターよりも、より身近な存在としてスター性を獲得するようになる、移行期に今はあたるのかもしれません。昨今、ツイッターのフォロワー数が多い人は、TV出演など、いろいろ声がかかってきます。これも、TVとツイッターのようなインターネットメディアの融合が急速に進んでいる証左でしょう。売れっ子のドラマ俳優が、映画にも出演するように、ツイッター有名人が、TVにも出演したり、今後も融合はどんどん進んでいくでしょう。
とはいえ、私個人的にはこの流れより、ツイッターの<共同体的利用>に興味をもち、いろいろ物々交換ネットワークをはり巡らしたり、1年間だけシェアハウスをつくってみたり、100人限定のサロンのようなものを現在主催したりなど、<リアル性>というものを重要視してきました。つまり、1人1人に直接会ってきたんです。
したがって、<知本市場的利用>も念頭に置きつつも、水面下で、ツイッターを<共同体的利用>として使ってきたのが、私のこの2年間のように感じます。そしてこの領域は大変可能性があることがわかりましたし、実践の過程をいろいろこのブログにも書いてきたと思います。
ここで私が大事だと考えているのは、このような実践はぶっちゃけると、ツイッターがなくてもできました。がんばれはできたんです。でも、ツイッターがない時代には手間ひまがかかって、すごくやりにくかった。時間もかかった。が、ツイッターなどの手軽な人間ネットワーク化メディアの出現で、より早くそれが実現できるようになったんです。ただ、大切なのは、ツイッターがなくてもできたということだと思います。
私は冒頭で、ツイッターのフォロワー数が1000人を超えたら<知本市場>参入になると述べましたが、これはその可能性の高さを、数値でたとえてみただけです。実際は、ネットになにかを書く行為というのは、たった1人の読者しかいなくても、それは<知本市場>に参入して、<個人上場>してしまう可能性があります。たとえば未成年が本人の情報をオープンにしている環境で「飲酒なう!」などとつぶやいてしまった瞬間、パパラッチがその時を今か今かと待ち構えて、集団で<晒し>や<攻撃>にやってきたりします。パパラッチは芸能レポーターだけではないのです、私もあなたもパパラッチなのです。ざんねーーーん!!!
このような例は極端ですが、ネットに自らの情報をある程度公開している状況で、なにかを書いてる瞬間に、だれもが、パパラッチされる<芸能人化>していることだけは念頭においておくことが必要であるのだなぁと最近は切実に考えるようになりました。
このような、リスクがある中、あえて実名SNSをやらない。つまり、私が2010年から出現してきた実名に紐づく情報発信の加速状況を表現した言葉、<露出社会>にデビューしない、<露出社会>から雲隠れするというのも、その1つの防御方法かもしれません。
とはいえ、SNSなどは<共同体的>利用には非常に使える面があるので、いったん、<露出社会>を経験して、心が通じ合える人々と知り合ったのだから、<ポスト露出社会>へ移行して、リアルで密談する、語り合う、内容を記録に残さないという、スタイルもありだなぁと考える今日この頃です。
大宅壮一さんは、TVというメディアを評して「一億総白雉化」と表現しました。個人メディアを有す時代、「一億総賢者化」というような表現を大宅さんは、ご存命であれば、するでしょうか?
TVから、SNSに情報発信の場が移行しようが、いつまでも、人の人生をのぞきたいと思う心は消えず、のぞきみ人生が中心となってしまい、自らの情報発信を中心とするような、メディアの利用は進んでいかないのかもしれません。「芸能人の人生をのぞいて、パパラッチする」は、TV時代の、代物ではなく、人類に固有のなにかなのかもしれませんね。そこに、常識や世間がある限り、TVだろうが、SNSだろうが、パパラッチは続くの巻き〜。
パパラッチに気をつけろ!
そういう、自分も、たまに、パパラッチ。
あらまぁ、パパラッチする自分、オバカさん!
のぞき小屋からたまには出よう!
2012-06-15
■[エッセイ]個人上場のリスク 
「あら、あなた昔からMGブログ読んでくれてたのね!PV 1000とかしか読者の残していく痕跡を知る方法がなかったものですから、facebookとかtwitterで、顔の見える関係になって、おまけに、お茶までできて、嬉しいワ。これからもよろしくね!」的な牧歌的な、ご近所付き合いだった、あの頃。そう、2010年、2011年くらいが、なつかしいですねー。
昨今、twitterが殺伐としている感がありますね。まぁ、MGへのメンションは今んとこ殺伐としてないんだけど、タイムラインがなんだかねー的な感覚があるんです。
twitterに消防士必要なんじゃ?と言ってる方もいらっしゃって、いや、それナイスアイデアじゃん!ビジネスとしても成立するんじゃなどと思う今日この頃なんです。
いやぁ、<個人上場>ってやつのリスクについてそろそろみんなが考えた方がいい時期だと思うんですね。ブログを定期的に更新するような人は少ないだろうから、ツイッターを例にとるとですね、フォロワーが、1000を超えたあたりから、個人上場のリスクが始まるんじゃないかなぁと思います。あくまで、個人的感想なんですけど。一般人としてマイペースに情報発信していたら、ふと気づくと、フォロワー1000人くらい超えてたんだけどみたいな人は結構出てきてると思うんですよ。そういう人は、<顔の見える関係>=共同体から、<顔の見えない関係>=知本市場 へ参入したと考えることができると思います。
昨今「評価経済」という言葉をききますが、オンライン上での個人の影響力が重要になってきて、影響力があれば、無料でいろんなものを手に入れたり、影響力を換金することも可能ですよって話があるんだけど。「評価経済」という言葉の冠を付けて語られることの中味と、「共同体」の話はリンクしていることもあるのだけど、リンクしてないとこもあるんで、慎重になった方がいいなぁと考えます。
たしかに、2010年以降、ツイッターの普及で、顔の見える関係をいろんな人と築きやすくなったのだけど、それと、オンラインでの「影響力」を結びつける必要はないと思うんですよね。自分のご近所さんを増やしていくったって、正直1000くらいが限界だと思うんですよ。ダンバーという人は150人くらいとか言うてますけど、まぁ精々多く見積もって1000人くらいとしましょう。
で、こういう関係性って、別に自分がオンライン上で影響力があってとか、関係ないと思うんですよね。ツイッターでたまたま会話して会ってみたら、いい人だったし、今後とも仲良くしましょうね。みたいな話なわけで。これを、私は、ツイッターの、共同体的利用と呼んでいます。
一方で、ツイッターの知本市場的利用と呼ぶ状況もあって、こちらは、フォロワーが1000人を超えたあたりから始まるんですけど、不特定多数への情報発信になっていくですよ。
で、ここで、不幸な状況が発生する可能性があります。「自分は一般人としてツイッターをやっていただけなのに、なんか、公的な人として扱われてないか?」問題なんですよね。
言い換えると、芸能人化とも言うんですけどね。不特定多数に「見られる」存在となってしまうわけです。本人が意識するしないにも関わらず。
評価経済で言うところの、影響力を競うみたいな話って、私に言わせると、この知本市場的利用なわけですよ。一方、無料でなにかを手に入れるみたいな話は、それは共同体的利用でも可能なわけですよね。前者は、知本市場での活動が重要なのだけど、後者は、ツイッターやめても、人間関係ができてるから、ツイッターなんて所詮は、便利ツールぐらいなもんで、それが無くなっても継続できる関係なんです。で、この二つごっちゃにしたら、すごい不幸になる可能性があるなぁと思っているのが、MGなわけなんですよね。
というわけで、私はこの二つ、すごい意識してるんですよね。そんなわけで、サロン、MG(x)みたいな試みもやってるくらいですからねー。
100人前後しか、MG(x)には、入れないようにしているのは、共同体的利用のためなんですよね。
結論から言わせてもらうと、私の個人的幸福に、知本市場なんて実は関係ないというのがポイントなんです。
たしかに、<経済のゲーム>みたいな感じで<知のゲーム>として楽しむぶんには、ぜんぜん問題ないし、面白いとは思うんだけど、ハマったらヤバいよっていう警戒心があるんですよね。だって、年収を競い合うのがアホに思えるのと同じくらい、フォロワー数とか競い合ってるのかって、アホに思いません?ゲームだからいいのであって、それにマジになりだしたら、どんどん個人的幸福から遠のくと思います。
私の昨今の問題意識としては、一般人だと思っていたら、気づいたら芸能人化してた問題なんです。というわけで、フォロワー数を1000を超えたあたりから、いくら自分は一般人だと思っていても、炎上リスクは格段に高まり、パパラッチされる危険性も格段に高まってくるのだという、芸能人が抱えたリスクと同じ悩みを抱える可能性があるというくらいは意識しておくのがいいのかなぁと考えています。
いやーこんなこと、学校の先生が教えてくれなかったし、大変だよねー。SNS時代の、総芸能人リスク、こわいんで、要注意ということです☆
2012-06-07
■[エッセイ]狂ったように遊びまくりなニートたち 
会社を辞めて自営業者になったときに、30代のとある男性はこう言いました。「ほんとうに、大丈夫?会社を紹介しようか。」そんなときです。東京北区にある田端「まれびとハウス」にお邪魔しました。そしてそこにいた20代のメンバーにこう言われました。「これで、MGさんも晴れてニートですね。おめでとうございまーす!」アッケラカンとしたさっぱりとした声が天井に響く。
この頃から「ニート」という言葉を至るところで、聞くようになりました。きっと、私の頭の中のスイッチに「ニート」というボタンに反応する仕組みが埋め込まれてしまったのでしょう。やけに、もう、やけに、目がつくんですよ!!
「日本一のニート」「不動産ニート」「貿易ニート」「ツイート職人ニート」「セブニート」「アクティブニート」「東大バイオニート」「半ニート」「ニートおじさん」
なんで、みなさん、そんなに「ニート」という言葉がお好きなんでしょうか?私の記憶では、「NEET」とは、"Not in Education, Employment, or Training" の略で、イギリス発祥の言葉ですよね?教育もなく、雇用もされておらず、職業訓練も受けてない人々のことを指すのですよね?もともとの、語源は!!!!!
が、私が、見聞きした日本の「ニート」のみなさんは、この定義にはあてはまりませんし、教育も受けていますし、立派に、稼いでいるんです。たとえ、それが月に5-10万だったとしてもです。なかには、地上の不動産や、複数のブログのアフィリエイト収入などで、不労収入を得られている方もいらっしゃいます。「日本一のニート」の方なんて、とてもユニークなサイトを複数つくる才能をおもちで、そのサイトのアフィリエイトで年間100万ほどの収入を得ているというお話でした。さらに、ギークハウスプロジェクトなどというオープンソース型の「自然増殖型」シェアハウスのプロジェクトの発起人でもあるとか。そういえば、セブニートさんという方なんて、フィリピンのセブで、ネット経由による「大道芸人」的なパフォーマンスを行って、チップのようなものも得ているようです。大変な発明ですね!みなさん、それぞれに、自らの才能や適正をうまくいかし、それを少しばかり換金、等価交換などを行う方法を編みだされている方たちばかりです。そんなみなさんを、「NEET」と同じ発音の「ニート」と呼ぶのはおかしいんではないか、と提唱されている方がいらっしゃいました〜!!このブログでも何回も取り上げている情報社会学者の、公文俊平先生です。
公文氏は、情報社会の中心となる人々を「ニート」というネガティブな呼び方ではなく、「シート」というポジティブな呼び方で形容しようと提案しています。「シート」はSocially Employed, Educated, and Trainedの略です。つまりこれまでの社会で高い評価を受けるような学歴や職歴には一切こだわらず、仲間と切磋琢磨しスキルを身につけた人々のことを「シート」と呼ぼうという提案です。そしてこれからの情報社会はこうした「シート」が核になって前進していくというのです。
この「シート」という言葉は結局普及しておりません(笑)。なぜか。みなさん「ニート」とという言葉がお好きだからで〜す。なぜ、ここまで「ニート」という言葉が氾濫するのか。不思議ですよね。これに対する1つの面白い見方を指摘するのが、U25チャネルの中の人であるI氏だ。「ニートは自虐用語じゃないんですよね。ニートを自称する人は「既存のモノサシでは私は計れない」と高らかに宣言しつつ、それをニートとしか呼べないモノサシそのものを皮肉っているんだ。」
なんという斬新な見方でしょう。さすが、元ニートw というのは冗談ですが......。
そうなんですよね!
日本一のニートさんが、「ネットで遊びまくり!」とか言ったり、周りから「ニートおじさん」と揶揄されることもある?酒井さんが、世界中を旅しながら「Skype相談」をやっているのって、ネットワーク化が、<ハイパー>に進んだ昨今に、可能になった、新種の「職業」みたいなもんなんですよね。でも、彼ら、彼女らは、「仕事」とか「職業」とか言いたくないんです。なんでって。狂ったように、遊んでいるだけだから。ツイート職人ニートが毎日10時間もひたすら、ツイートできるのも、仕事なんかじゃないんですよ。頼まれてもないのに、やっちゃってる。これを、ツイートマーケターとして、企業が雇うとしたら、人件費として、何円出さないといけないことかっ!!でも、ツイート職人は、やりたいから、やってる。やらざるをえないから、やってるんですよ。たぶん、みんなそうなんでしょう。ただ、昨今では、狂ったように、「ダルい!」とか「やっほー」とか「ニャー」とか言って、遊んでいたら、あれれ、なんか生きていけてるぞ?あれ、換金もだんだんしやすくなってきてないかぁ〜!!うっひょー。みたいな、領域も徐々に生まれてきたってことなんでしょうね。
換金は年収100万くらいでいいから、遊びまくりたい!世界中を旅しまくりたい!こういう人は、どんどん増えるような気がするんです。もう、日本は、途上国じゃないし、西欧に見習えで、西欧で成功したモデルを後追いしなくてもいい段階にきてるんです。むしろ、新しいゲーム自体を発明できるくらいの、人間の方が求められています。「こんな、ゲームやーめた。もう面白くないわ!年収100万でもいいから、世界中を旅できるゲーム発明や!と思って遊んでいたら、10年後には、あれれ〜年収100万でいいと思ってたのに1000万なってる〜。なんで〜?そんな金いらんし、友人のNPOにドカーンと寄付しとこ〜」みたいな、人も出現してきそうです。答えがあるのであれば、「勤勉」「努力」で問題なくても、答えがないのであれば、自分がたまたま熱中していたものを、やってなにが、悪いのでしょうか?それこそが、ハイパーネットワーク化した社会に生きる、新種の「勤勉」「努力」になっていくのではないでしょうか。さらに、それで、最低限稼げる方法を編み出すことができるのであれば〜!なおさら、いい。
ここで、村上龍の「希望の国のエクソダス」の一節を紹介しましょう。
「そう言えば、二、三日前に、趣味的なマイナーショップが全国的に増えているという新聞記事を読んだことがあった。失業率が七パーセントを超える時代では当然なのかも知れない。企業が従業員を保護してくれる、という考え方は完全に昔のものになった。月に十万しか利益がなくても、自分が好きなものを制作したり輸入したりカタログを作ったりして仲間ができるほうが楽しい、というようなひとが増えたわけだ。彼は磁器が好きみたいなんですよ、と中村君は言った。「ドイツかオーストリアか忘れたけど、そこの磁器が好きで、今は少しずつ集めているらしいんだけど、とにかくお金を貯めてドイツだかオーストリアだかに行きたいって、そればかり言ってるんですけどね。ぼくらには興味がないみたいで、まぁ、それはぼくらにとっても好都合なんですけど」企業に保護を求めるのをやめ自分の好みや趣味を活かしたマイナーショップを持つような人々は、干渉を嫌い、自分と仲間以外のことには無関心なのだそうだ。狭いサークルの中で排他的になっているようにも見えるが、彼らの中には外国に独自のネットワークを持ったり世界的に有名になったりする者もいた。手作りの家具や弦楽器やオルゴール、クラシックな時計、あるいは模型や額縁や玩具などで、外国の賞を受賞する若い日本人の職人も目立った。そういった連中は肉親や友人などを含む昔ながらの共同体に固執することがなく、他人の考えには興味がないと公言する者もいた。そういう風潮を嘆く人も多かったが、若い人々の考え方の変化を誰も止めることができなかった。個人的な好み以外には一切興味を持たないという一部の若い人たちの考え方が、正しいのかどうか、おれにはわからない。だが大企業や官庁が就職先としてのインセンティブを独占した時代はとっくに終っていた。」【希望の国のエクソダス】p161-162 引用
「趣味」に生きる。「オタク」。マシでよく取材しているなぁと感じました。でも、1つ言えるとしたら、不況だから、日本で言うところの、ニートが増えたというのは間違いではないでしょうか?<ハイパー>な個人のネットワーク化が、熱中するなにかがあって、それが少しばかり人のためになって、お金や他の別の物をちょっとはもらえる、領域にたまたま巡り会った人が、そこそこ食えるようになってきたんです。不況は「リストラ」にあったとか、「年収下がってきた」とか、熱中するものがみつかった人には、後押しになっただけ。変化の本質は、個人の細かい、今まで見過ごされていたようなちょっとした「熱中」や「才能」や「時間」が、発見されやすくなり、1人食っていくくらい、大当たりすればネットワーク効果で爆発的な利益をうむようになった、というだけのはなし。今後も、人々のちょっとした「熱中」や「才能」や「時間」を換金したりする方法はどんどん発明されていくでしょう。
(そこらへんのことはここにもちょい書いた)
それを、「不況」だからという視点で見ると、変化の本質を見失うと思っています。たしかに、ニート、オタク、趣味に生きる人は増えた。そして今後も増える。でもそれは、社会システムの変化があるのだということを念頭において、みていく必要があるでしょうね。
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MG(x)メンバーのみんさんへ。
今後もMGの観察は続きます!今週の日曜日はMG(x)ゼミと、夜の雑談サロンがありますが(20時開始予定!)、このブログの内容も話題にしていきましょう!
