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2012-01-13
■[露出社会論][コラム]露出社会を平和にするために必要な寛容力について

<要約>
自らの表現により、誰もが等身大の社会を作れる露出社会。しかし、そこはユートピアでもなんでもなかった。日夜言論テロの火種を抱えている。どうすればその火種を最小限にしていけるのか?私たちは、人々と小さな共通項でつながればそれでよしとする寛容力という規範を身につける必要がある。しかし、そのためには、言論テロの火種を抱えた場合、できる限り、相手の立場に立って、電話や対面を通して面と向かって真摯に対応していくというグッとふんばる忍耐力が必要ではないか?

私が、身の回りにいる人以外に向けて、自らの考えをインターネットを利用して語り始めたのは2007年11月11日からでした。それから4年以上の歳月が流れ、その場所はブログ、ツイッター、自らが運営するオンライン上のサロンなど複数になりましたが、その経験は山あり谷あり、ジャングルの中を生き残るために、必死に前進するゲリラ兵のようなものだったように感じます。
<ブログ炎上>
自らのブログエントリーが炎上した経験もありました。当時の私はまだまだ経験が足りなかったからでしょうか、批判記事を書いてきた人に向かって「バカ!」のような言葉を罵ったこともありました。今の私であれば、「貴重な意見をありがとうございます。......」自らに希少な時間を割いてまで、意見を寄せて下さった相手に対して、まずは敬意を示して、相手との意見の前提の齟齬を明らかにし、そこから自らの意見をさらに詳しく述べるようにするでしょう。
<ツイッターでのつぶやきが名誉毀損に?!>
また、ある時は、ツイッター上で、
「あなたの言ってることは名誉毀損だと思う。ボクはあなたを訴える。」
という趣旨のメッセージを頂いたこともありました。そのメッセージをみたときは、胸の鼓動がドクドクと、次第に高まっていくのを感じました。「どうしよう!」と1人パニックを起こしそうになったこともありました。
その相手は、私のことをフォローしていない方でした。リツイートで私の140文字の文章を読んで、まるで自分の今の境遇を愚弄されたような気分になったようです。最初、その方の私に対して発言しているとみられる、メンションのないツイッターの文章を読んだときには、正直なところ、「なんなんだこいつは!私はそんなこと言ってないよ!読み間違いもいい加減にしろよ!」と思いました。そして、その方のツイッターのフォロワー数が30人くらいだったのをみて、「よし、これなら私が圧勝できる。こいつの発言を私のツイッターで、リツイートして晒しあげて、みなさん、どう思います?」と投げかけようかとも思いました。
でもそのときです、もう1人の私が言いました。
「おい、きみ。きみは、露出社会では寛容力が重要になる。と言っていなかったか?きみは、それを自ら実践しようとは思わないのか?」
そのような声がどこからか聴こえてきたのです。そして、大学生の頃に経験した保険のテレアポの営業での教訓も頭をよぎりました。「どんな理不尽なことを言われようと、まずは自分から謝りなさい。」この教訓は、なにも聖人になれという教訓ではありませんでした。謝まることが、結果的に自分にもいい結果につながるという徹底的に実証されている教訓だったんです。まずは、自分の言いたいこと、分かって欲しいことがあっても、相手がそのことをきいてくれる気分にならないと、それを伝えられないのです。だから、私は早まる胸の鼓動を意識しつつ、グッとふんばって、「落ち着け!まずは、相手の私に対すツイートを全部読み上げてみろ!そして想像するんだ。相手になってみろ!相手は私のことをどう感じている?」
そして私は当該ツイートを声に出して読み始めました。すると、徐々にであはりますが、相手の置かれている立場がみえてくるところもありました。そして、相手の立場で考えてみると、なるほど私の問題のツイートはやはり気に障る部分があるなぁそのことがわかったきたんです。そこで、私は、その相手に対して、全面的に謝ることから始めました。公開リツイートをすることなく、個人間でのやり取りを開始し、電話で話をすることができる状況にまで辿り着きました。そこで、私の意図した内容を説明させて頂き、私がどんなバックグランドでそのような考えに至ったのかなども説明し、相手に最終的には、納得して頂くという経験をしました。その結果、相手は、名誉毀損で訴えるというのは早まった考えであり、もうそのようなことは言わないと納得して下さいました。
この件も結局は結果往来ではあるのですが、一歩間違えると、大変な騒ぎになっている可能性もあって、自らの意見を身の回りの人間以外に発信するということの、責任の重さ、恐怖のようなものを感じる経験でした。
<教訓>
他にも、具体的な事例を挙げていけば、もうキリがありません。小規模、大規模いろんな言論テロの火種を抱えてきました。このような露出社会における修羅場につい思いを馳せる時、最近出版ラッシュが続いている「PUBLIC」のような本の論調、ネットにいろんな情報をオープンにしていく戦略が、世の中を動かしていくんだという考えに対して、「そうだよね」私もそう思うよ。だから、露出社会論を、2010年からこのブログでは展開しているんだからねと思う反面で、それって、牧歌的なユートピア論じゃないよね、というのも強調しておきたいところです。まだまだ私たちはこの露出社会で、平和にやっていく方法を考えきれてないんじゃないの?って。
「共感が大事」「寛容性が大事」コトバにすると、とても薄っぺらくなってしまって誰でも簡単にできちゃうように感じるのだけど、その共感を大切にして寛容性を涵養するのって、もう本当にめちゃくちゃ大変だよなぁ。というのが正直な私の感想です。
ソーシャルメディアを通じて個人が、自らを露出して自らの等身大の社会を創れる世の中にはなってきているけど、その個人の精神性までもがすぐに変化するワケではないので、いろんな言論テロは今後も発生すると思います。
それでも。
諦めたくない。それが私のスタンスです。私も、「むかつくなー!」「コンチクしょう!」などといった人間らしい感情を抱えます。決して聖人君子ではいられません。だって人間だから。たまには、その思いをソーシャルメディアで露出してしまうこともあるかもしれません。でもグっとふんばって、寛容であろうと思うし、共感を大切にしていきたいです。
でもそれは、本当に難しい。いいね!をおしときゃいいってもんでもない。いつから、そんなに、いいね!は軽いものになってしまったのか。
私たちは、完全には分かり合えません。いつも誤解し合っています。だから、言論テロもこれからも多発するでしょう。でも、だからこそ、徹底的に語り合いたいのです。今度言論テロが起きたらならば、私は、その相手に電話もするし、会って話もすると思います。
なぜならば、<私の考え U あなたの考え>で人とつながっていくことに希望を見出したいと思うから。私とあなたは同じではない。これからも永遠に完全には分かり合えないでしょう。
でも、奇跡的に、ある1つのことについては、わかり合える可能性があるかもしれなません。その小さなきっかけを大切にするという、慎ましい考えが、露出社会を平和にしていく、1つの方法であると思います。
露出社会は、決して平和ではありえません。そこに平和が訪れて欲しいと思うのであれば、それなりの方法が必要になると思います。それは、プログラミングのコードかもしれないし、法律かもしれないけれど、個人で今日からやれることがあるとすると、自分の中に、露出社会での活動における、「規範」をもつということ、そしてそれを周りにも広げていくことだと思います。
露出社会は、多くの人々がぞれぞれの考えを発表する場所になってます。今まではそれは限られた人にしか可能ではなかったし、それゆえにその限られた人はそれなりの覚悟があったと思います。
でも今は違います。平和に暮らしていた女の子が、携帯片手に、あるとき、「PUBLIC」なんてまったく意識もせずに、ツイートした内容が、多くの人々に共有され共感されるときもあれば、誹謗中傷にさらされることもあります。

まだまだ始まったばかりの、露出社会が平和でありますように。
少し冷たく感じるかもしれませんが、人とは可能性のある最小単位でつながればそれでよしとする。違いに対してよりも、小さな共通項に対して「奇跡ですね!」と楽しめる自分であること。これは、露出社会における1つの規範にしてもいいものではないでしょうか?みなさんはどう思いますか?ご意見ご感想をツイッター&facebookでお待ちしています。
2011-11-14
■[コラム] 無給で働くのは奴隷労働じゃないという発想


価値観のズレがあれば、同じ現象を同時に目撃していてもそれに対する解釈の仕方は異なってくるでしょう。地球規模での情報化が個人レベルで体感できるようになった現在、それを空気のように感じる人間と、そうでない人間との価値観のズレは相当のものがあるように感じています。私の言葉でいうと、露出社会の住人か否かのズレは深刻です。
さて、報酬無しでブログを書くこと、報酬無しで動画をつくること、NPOでただ働きをすること。
このような人間の行為について、あなたはどのように感じるでしょうか?
「それって、奴隷労働じゃないの?」
「単なる趣味だろう、取るに足りない。」
そのように感じる人も、もしかしたらいるかもしれません。
でも、今水面下で進んでいるのは、一見、奴隷労働や取るに足りない趣味のように思えるものに、人々は組織で賃金をもらう仕事よりも、熱狂しており、自らのアイデンティティを置き始めているという現象なのです。
一部の人々は、お金を稼げる仕事よりも、人々の評価を稼げる活動に熱中し始めている現象が観察されます。お金を稼げる仕事をすることを当たり前に感じている人からすると、無給でありながらイキイキと活動している人間をみると、大変奇妙に感じるでしょう。なぜやつらは、そんなに楽しそうにしているんだ!と。
このような現象に見取り図を与えてくれる研究をされている方を今日は紹介したいと思います。今年「情報社会のいま〜あたらしい智民たちへ〜」という著書を上梓した公文俊平先生です。
公文氏は近代を3つのフェーズに分けて分析します。
「軍事化」「産業化」「情報化」
そしてそのぞれぞれの段階で、人々がプレイしているゲームの前提が異なるといいます。軍事化段階では威のゲームが主流になり、産業化段階では富のゲームが主流になり、情報化段階では智のゲームが主流となります。
私たちは今、富のゲームをプレイすることを常識として捉えている段階にあるでしょう。大学を卒業したら企業に就職して月給をもらいながら働くのは社会的に当たり前だと今のところ感じられます。とはいえ、現在智のゲームも生まれてきているというのが、公文氏の見解なのです。智のゲームとは、情報ネットワーク上で評判を獲得するためにプレイするゲームです。ここでは、お金を稼ぐよりも、評判を稼ぐことが当たり前だと感じられます。むしろ、智のゲームに参加するのにお金をもらうのは、富のゲームに参加するのに暴力をふるわれるようにおかしいものに感じられます。前段階のゲームであたりまえのように感じられていたものが、新しく出現したゲームでは違和感そのもになるという現象が進行するのです。
では、なぜ今、富のゲームから智のゲームに移行する人々が観察されるのでしょうか?富のゲームの成熟、智のゲームの土台となる場の出現が進行しているからです。
●富のゲームの成熟
富のゲームが成熟期に入り、商品が世の中に溢れてしまい、今さら商品をつくったり購入したりする活動の魅力が急速に薄れているというのも、智のゲームへの移行を後押ししているでしょう。
●智のゲームの土台(露出社会)の出現
私が当ブログで表現してきた「露出社会論」とも関連するところなのですが、露出社会の出現により、自分が心の底からいい!と思った活動を表現することで、すぐさま人々からそれに対して承認を与えられます。それは、富のゲームで、お金をもらい、そのお金でいろんな商品を購入して、人々から「すごいねぇ」と間接的に承認されるよりも、直接的な承認を得られるという意味で魅力的だと思います。
さらにいえば、露出社会の出現で、いろんなモノや人間が情報化され、それらが一気に多数の人々に「share」され得るようになり、「お金」や「時間」の価値が、露出社会の出現以前よりも圧倒的に高まっているというのも、より多くの人々が智のゲームへ参加する環境を準備し始めています。
富のゲームを主戦場にしているのか、智のゲームを主戦場にしているのか、それともそのハイブリッドな領域でゲームをしているのか、現在いろんな立場で生きている人々が存在します。だから、冒頭でも挙げたように同じような現象を観察しても、そのそれぞれの人によって感じ方は異なると思います。時には対立することもあるでしょう。しかし、歴史的必然として、智のゲームが今後影響力をもってくることは間違いないでしょう。そしてMGは、その最前線でなにが起きるのか?今後も当ブログで考え続けることになるのだと思います。
●智のゲームが始まっている今、富のゲームはどうなるか?
について講談社で連載しているコラムでも一部分析しています。ご興味のある方は是非!
●公文俊平先生とのやり取りで興味深かった内容をまとめました。
2011-11-10
■[お知らせ]日本一のニートを目指すphaさんと対談しましたー!

雑誌「未来回路」の編集長の中川さんにお声がけ頂き、渋家で、phaさんと対談をしました。
phaさんとは、ネット上でのやり取りはあったのですが、お会いするのは初めてでした。
とても、やさしい雰囲気のあふれる方で、緊張することなくざっくばらんにいろんなことをお話することができました。一部そのときの、対談内容について当ブログでも紹介したいと思います。
<対談内容>
1、それぞれの大学生活
2、ギークハウス発足の経緯
3、創職時代と山下清
4、マネタイズとニート
5、現在、東京にいる理由
6、ノマドと仕事
ブログで、3、4の内容を紹介しまーす!
3、 創職時代と山下清
MG 「創職」ってどういうことかというと、自分の技術なり才能なりを使って仕事を自分で生み出すっていうことですね。「それって起業しなくてはならないのではないか」というように捉える人もいるんですけれども、それも一部に過ぎなくて。月3万円程度の仕事を自分で作り出しても、それは「創職」に入るんじゃないかと思うんですよね。私が大学を出て就職した時っていうのは、本当に大企業に入ってそこからだけ給料ををもらうみたいな意識だったんですね。1つの会社からすごくお金をもらうって過ごすっていうのが当たり前だった。でも、そうじゃないじゃないかという思いがあって。
月3万円くらいの仕事を作り出すことって可能なんですよね、本当は。その可能性にあまりみんな気付いていない。アフェリエイトでも家庭教師でもいいんですけれども。そういうのにもうちょっと光を当てた方がいいんじゃないかと思うんです。その方が気が楽になるよねっていう。それで皆がいけるかどうかわからないけれどもいける人を増やす、という感じですね。
本当にブログとか書いていて自分の能力を可視化できていたら、営業ツールにも使えます。「じゃあ、コンサルやります」とか「英語教えます」とかでもいいと思うんですけれども。あと、「人の紹介をします」、とか。シェアハウスに住んでいるんだったら「イベントやります」でもいいのではないでしょうか。
そのことを可能にすることを考えたのが「弟子入り時代」っていうもので。「露出社会」でどういう人がどういう仕事をしているのかっていうのが見えるようになってきた。けれども、仕事を作るためにはやはりスキルを身に付けなくてはならないわけですよね。だから、最初は無給とかでいいので、技術を持っている人に学びにいくとか。そういう主体的な行動は必要になってきますね。
pha ギークハウスでもプログラミングが出来る人に教わったりとか仕事をふったりとかそういうのはある程度ありますね。もっとそういうのを進めていった方がいいかなと思います。
別にニートでもいいじゃないかと思っていたんです。けれども、本当にお金を稼ぐ道がないと人が破滅していったりとか。職もなく住むところもない人をどうするかっていうこともありますね。だから、スキルを身につけるとか、真っ当な説教をしなければならないのかなって思って憂鬱なんですけれども。ニートをやるにもスキルが必要だって嫌なことを言わないといけないのかなぁと。
ニートっていっても、やってることはMGさんの「創職」と同じで。定職についてないけれども、細々したお金を稼ぐ道を創ってるんですね。それがインターネットがあればやりやすい。僕も結局そんな感じで暮らしているわけだし。だから、会社に適応できない人にはそういうのを勧めたいと思うんですけれども、どうやって伝えていったらいいのかなぁってことを考えたりしています。
MG 1つのところで働くと楽ではあるんですよね。守ってくれるし、「これやって」というふうに命令されてその通りに動いていればいいので。ある意味では奴隷状態ではあるんですけれども。月に平均的なお金が入ってくるし。ただ一定数、それが「めんどくさいな」とか会社に行かない人とかいるじゃないですか、一匹狼的な。会社の中ではストレスが溜まる、とか。そういう人でも生きていけるインフラが出来つつあるんじゃないかと思うんですね。昔だったら会社に入らないというと社会からの断絶と等しいくらいだったのが、新たなインフラによって包摂されるようなイメージです。
pha 僕はネットができて全然変わったと思うのは、坂口恭平さんの「都市型狩猟採集生活」の情報系バージョンみたいな話なんですけれども、まったく人と触れ合わなくてもお金が稼げるっていうことですね。
例えばアフェリエイトとかだったら、人と会って契約を結んだりしなくていい。ブログをやって広告を貼って、アクセスが集まればお金が入ってくる、と。それはインターネットという自然の中に入っていって魚でも獲ってきているような雰囲気ですね。森に入って罠を仕掛けて見に行ったら魚が入ってた、みたいな印象なんです。実際はネットの向こう側には人がいるんですけれども、直接には交渉しなくても出来るっていう。ネットショップでもわりとそんな感じだし。
会社行くのも嫌だし、フリーランスで営業して仕事取ってくるもの嫌なので、人と交渉せずに生きていければいいなぁと。それができるところがネットの素晴らしいところだなぁと思います。
MG マッチングがすごく出来やすくなりましたよね。あと、信用を担保する方法も結構開発されてきたじゃないですか。みんな実名で登録していたり。あとはどんな人をフォローしているかとかフォローされているかとか、どんな言論活動をしているかとか。お金を使わずに生きていくことは、マッチングが出来やすくなったことで容易になったように思いますね。
なので、「企業に属さないと人生終了」みたいに思う人がいるんですけれども、そうじゃなくって「他にも色々方法はあるよね」っいうのをどんどん見せていったらいいんじゃないかと思います。
昔は山下清とかいたわけじゃないですか。最近、ノマドじゃなくて山下清だよねっていう話を見かけんですけれども、確かにその通りで。昔からそういう人ってどっかにいたんですよね。それがどこかでいなくなったように見せられているんだけれども。なんかもうちょっとそういうのを復活させてもいいよねって思います。
pha 上の世代にもずっといたと思うんですよね、細々と。これは誰か取材して欲しいんだけれども、20代、30代、40代くらいの人でそういう暮らしをしている人がどんな感じで暮らしているのかっていうことを僕は知りたいと思います。
4、マネタイズとニート
MG 雨宮処凛さんが「生きさせろ」っていうことを言ったじゃないですか。それは私は「生きてやる」にした方がいいんじゃないかと思っていて。「生きさせろ」って結局、国や企業とかに対して「僕らを正社員にさせてくれよ」とか「社会保障を何とかしろ」とか言っているわけじゃないですか。それで果たしていいのかっていう思いがあって。自分たちで団体を作って、どっかからかお金を取ってくるというか。そういうスタイルをどんどんやっていった方が良いのではないかと。
お金があるところにはあるわけですよね。そういうところに繋がっていって、ソーシャルメディアとかで。それくらいの厚かましさくらいは必要になってくるのではないでしょうか。
お金の払い方も結構変わると思っています。今はコンテンツなんかにはお金を払わないわけじゃないですか。だから、「これ、応援していますよ」とか、「このコミュニティに投資しているんですよ」っていう雰囲気によってお金を払うっていう。これからのお金の払い方は、購買活動とかそういうのではないと思うんですよね。
pha やっぱり自分をアピールして誰かに投資しているっていうことがステイタスになったとしても、結局、アピールの上手い人が勝つみたいな。結局、その辺でやっぱりダメな人は発生すると思うんですよね。結局、自己PRが上手い人が勝つみたいな。そこの問題は残り続けると思います。
MG 私は「多重人格化」って言っているんですけれども、その1つとして「MGキャラ」っていうのを創っているんです。そこで色々と情報発信をしているんですけれども、もうコンテンツにはお金を払わないだろうと思っていて。このメンバーに参加してるぞみたいなとこを可視化するためにあえて1000円払ってもらうとか。バーチャル上に言論空間みたいなのを作っちゃうっていう。そういう方向で考えています。
pha 参加してくれている人のアイコンが並んでいますね。
MG オタキングの岡田斗司夫さんとかも「評価経済」とかそういうのをやっていますね。会社を作ったんだけれども、社員が一ヶ月に一万円を払わなくてはならないんですよね。
pha あれは塾みたいなものですよね。
MG そうですね、塾ですね。
pha ギークハウスは結構誰でもやっていいよっていう感じにしているんですね。特にお金を取ったりもせずに。その方が広がりやすいっていうか。ミームが広がればいいやって思っているんです。
MG phaさんは本当にパトロンを付けるといいんじゃないかと思いますね。
pha 誰かいるかなぁ。ニート的な活動を注目してもらったり応援してもらっているのだけれども、やっぱり読んでいる人はヒントを得ようとしてるっていうか。ニートで悩んでいる人とかいると思うんですけれども、パトロンを付けたとしてもあんまり参考にはならないと思うんです。たまたま僕はいけたけど一般的にはお勧めできない、とか。
MG ニート文化って世界的にみても面白いですよね。
さっきでてきたオタキングの「評価経済社会」の話じゃないですけれども、お金っていう指標以外の価値を出してきた。ソーシャル・キャピタルが可視化されてきて、そっちではリッチだけれどもお金はない、みたいな状態があったり。もちろんどっちもない人もいるんですけれども。
phaさんなんかはソーシャル・キャピタルがリッチなのではないですか?よく言われるのは「phaさんは京都大学を出ているからできるんでしょ」、みたいな。
pha 「ノマドって高学歴な人ばかりじゃないか」、とかですね。お金以外のソーシャル・キャピタル的なものが出てきているのはすごくいいことだと思うし、僕もギークハウスを広めているのも別にお金になるとかじゃなくて、そういうネットワークが広がっていれば豊かに生きていけるかなって思っているんです。だから、とりあえず広がればいいなぁという感じでやっていて。
2011-11-04
■[エッセイ]知域メディアを育てる


<マスメディア>とは次元を異にする<知域メディア>に私は興味をもっています。
国民全体に画一的な行動を促すには、マスメディアは非常に効率的な働きをするのですが、現在のように、個人が主役になる時代には、個人それぞれが、いろんな生き方や働き方を実践していきます。そんな時代に、マスメディアの果たす役割は小さくなります。大きな政府から小さな政府への流れともリンクしているのですが、国や、マスメディアのような、大きな装置が国民全体をコントロールする限界を意識する必要があるでしょう。
むろん、国民全体のアジェンダに関しては、国やマスメディアが果たす役割も残されているのですが、すべてが国やマスメディアが担うという時代はもう終わったのです。
1万〜10万人程度の興味関心を緩やかに同じくする<部族>が住む<知域>が可視化されようとしている現在では、マイクロなアジェンダをみんなで議論するような場が重要になってくるでしょう。
そこで私が着目するのが、個人ブログやマイクロラジオやマイクロTVなのです。現在、個人で1万人~10万人程度のコミュニティをもっている個人が存在します。私もその1人です。そのような個人が、マイクロなメディアを自発的にどんどん立ち上げるというのは、とてもいいことです。
一昔前に「社会起業家」という言葉がバズりました。なにかと、賛否両論が多いですが、私は「社会起業」の根本的な思想には共感しています。多様な生き方が可能な成熟社会においては、国が全国民に画一的な福祉を提供するのは効率が悪く、手が届かない分野も多い。それならば、民間でそれを担っていこうという流れが生まれているのです。この思想と同様に、メディアにおいても、国民全体に届けるわけではないけれど、1万人〜10万人程度の人々の人生にとって有意義な情報を届けるニッチなメディアがどんどん生まれてもいいと考えます。
そしてそれは、かしこまったものでなくてもOKだと私は考えています。雑誌メディアは、以前よりある程度ニッチなコミュニティメディアとしての役割があったと思うのですが、文体が堅苦しく、一方通行で、発行時期も決まっており制限が多い。もちろん取材に力を入れておりクオリティは高いのですが、個人がこのようなメディアを運営するのはかなり難しいでしょう。
そこで、まずは、手軽にブログ&ラジオ&TVを始めてみたらいいと思うのです。クオリティは徐々にあげていけばいいでしょう。というのも、最初からクオリティをあげよう!と拘りすぎると、続かないというオチが待っているいるし、なかなか内容を公表できずに終わり、<読参加者>との創発も期待できません。ですから、最終アウトプットは、本にするとか、後で洗練する方向にシフトして、まずはどんどん情報発信をしていくのがよいのではないかと思います。
私は、現在フリーランスとして活動していて企業の中での、小さなプロジェクトに複数参加していたりもするのですが、個人の<知域メディア>を育てるというライフワークもあります。
その活動も力を入れていこうと思います。これは直感にすぎませんが、個人メディアである程度生計が成り立つ人々が、ここ5年〜10年くらいで顕在化してくるのではないか?ともみています。私も、個人メディアである程度稼ぐ実験などもしています。

1.MG(X)プロジェクト
MGのメディア活動を応援してくれる方が、1000円/月のサポート料を払ってくれています。現在の参加者は、約50人です。
私の取材構想や文章への編集を加えて頂いたり、MGラジオに参加して下さったりしています。今後は、全員が顔を合わせる場などももうけて、オンライン編集部のようなものを実現できればと考えています。
新しい試み。
オンライン上で議論して情報受信をするだけでなく、情報製造の過程にも積極的に参加して頂く。大口のスポンサーをつけるのではなく、小口1000円/月で、個人参加者を100人、200人に増やすことに意味があります。知域メディアに積極的に関わっていくという意思表明だと考えるからです。
2.amazon&google
当ブログでは、amazon&googleリンクを貼っていなかったのですが、先月からお試しで貼ってみました。みなさん、当ブログを応援してくれているのでしょうか?
本が1か月で100冊程度売れていました。またgoogleadsenseも1記事を書くと1000円程度のお金になっていました。アフィリエイト収入としても1~3万円程度にはなるようです。
今のところこんな感じです。個人メディア活動で約10万程度のお金になっていると。単純計算ですが、仮に、MGという存在を知る人が今の2倍になれば20万、10倍になれば100万になるわけです。なかなか可能性があるとは思いませんか?
また、他にもいろいろ実験の余地はあると思います。大口パトロンをつける、塾の開催、専属ジャーナリスト契約、Skype相談など。
「コンテンツでは生計を立てられない」という意見もありますが、個人としてキャラ立ちしていき、100人くらいのコアのファンの人に応援してもえるようになれば、ある程度生計を立てられる人もでてくるのではないでしょうか?コンテンツだけなく、それをつくる過程に参加してもらうという取材費費捻出応援料という形式でいろんな課金モデルをつくれるのでは?とも考えます。そして実験したいと思います。
ぜひとも、そこらへん参考にしてもらい、メディアに興味がある人は、まずはやってみることから始めるのがいいと思います。それと、なにかいいアイデアがあればここで共有してもらえれば嬉しいです、笑。(続)
2011-11-02
■[エッセイ]ニートやフリーランスがシェアハウスに住むメリットについて考えてみた。


国や企業に所属することは、個人にとって心強いセーフティネットになります。とはいえ、国や企業が斜陽になる時代には、他のところにもセーフティネットを求めていく必要があります。そのことに動物的嗅覚によって嗅ぎ付けている人々は次々にいろんなセーフティネットの発明をしています。
むろん、<家族>のような昔からある、セーフティネットへの回帰も考えられるでしょう。しかし、それ以外の想像力も生まれているのです。ソーシャルメディア、シェアハウスは、私たちにとって、セーフティネットにすでになっています。国や企業にがっつり所属していなくても、ソーシャルメディアやシェアハウスを利用することで、私たちは、小さな「自治」のような精神を発揮することができます。国や企業を否定するわけではありません。ただ、国や企業とは別の次元で、個人の所属先を見出していくことは、示唆に富む試みでしょう。
当ブログの<読参加者>の中には、「将来フリーランスで活動したいなぁ。」や「今ニート(無職)なんだけど、これからどうしようかなぁ。」と思案していらっしゃる方もいるかもしれません。
そういう方に、これだけは避けた方がいいのではないかと私が思うのは、1人暮らしをすることです。私も、現在会社を辞めてフリーランスで活動していますが、シェアハウスに住んでいて心からよかったなぁと思っています。「社畜、乙。」などのような、会社員の悲哀を表現するブログ記事を見ることもあるのですが、「社畜生活ナメタラあかんで!」というのが、私の本音です。
私も社畜生活をおくっていたこともあるのですが、朝8時に毎日出勤する、1つのプロジェクトが終われば次のプロジェクトに勝手に入れられるというルーティンやサイクルが勝手に用意されています。出社さえすれば誰かしら人がいる、という場もあるので、人の精神衛生に与える好影響は計り知れません。
もちろん、会社員は自由度が低くなるのですが、制限される中で、自由活動をするというのが、人をイキイキさせるのではないか?というのが私の実感です。
これが、フリーランスになると、この「制限」を自分でつくり、「場」も自分でつくる必要があります。「制限」と「場」がないと、精神状態が悪くなるのです。このような観点からみても、「シェアハウス」の果たす役割は大きいです。今回は、「場」としてのシェアハウスのメリットについて書いてみたいと思います。

1. 受動的であっても<なにか>がおこる。
会社に出社さえしていれば、仕事を上司からもらえるのと似ているかもしれません。シェアハウスに住んでさえいれば、孤立は避けられます。「今から、カレーつくるから一緒に買い物いこう!」「友人が会社やってるけど、急に人が必要なったらしい。3か月手伝ってくれる人探してるらしいよ〜。」など、自分が意志をもって、何かを積極的に働きかけなくても、なにか動き出すきっかけを人からもらえる機会が増えます。ニートやフリーランスは、孤立することは致命傷です。負のサイクルに陥ります。たとえ、気分がのらない日が長く続いていてもその気分をなんとなく&いつのまにか変えてくれるような他人の働きかけを受けざるをえない、場に自分を置くこと、これは、間違いなく心のセーフティネットになるのです。
2.1人でできないことみんなでやる。
フリーランスとして仕事をしていると、どうしても1人でできない&わからない仕事をすることになるときもあると思います。そんなときも1人で悶々と考え込むのは時間の無駄です。もちろん最初から諦めてしまえ!などと言ってるわけではなく、自分でできる限り考えるのですが、ムリなときはムリでしょう。そんなときに、シェアハウスの住人に、「これどう思う?」など質問して、解決の糸口になる情報をもらえることもあります。さらに、シェアハウスの住人の友人に解決できる人がいたりして、シェアハウス住人ネットワークで、困難な問題を短期間で解決できることがあります。ですので、会社のようにたくさんの先輩が身の周りいない、フリーランスはシェアハウスに住むメリットは高いです。先輩を自分でつくりだすという、仕事のセーフティネットにもなるのです。
3.気配を感じてもらえる。
1にも通じることなのですが、<気配>の重要性についてもっと議論されてもいいと思います。フリーランスで活動している友人がとても興味深い話をしてくれました。「ボクは、興味のあるイベントには積極的に参加してその場にいようと思ってるんだ。」「ボクは、その場では価値を発揮できないかもしれないけど、でもその場にいようと思う。」私はこれをきいて「ハッ」としました。そういえば、なんの発言もしなくても存在していることだけで、心の中にその人が深く刻まれていることがる。家族はまさにそれだし、facebookやmixiの友人もそうだ。気配がなくなると、一気に人の存在が自分の心から消えやすくなってしまいます。そういう意味では、自分以外の人に自分の気配を感じてもらえる場を複数もっておくというのは、これもまたセーフティネットになるなと思います。シェアハウスは、その1つでしょう。5~10人くらいの規模であれば、1人がいなくなることは、事件です。必ず誰かが自分に気をかけてくれているのです。一方、facebookやmixiはその規模が大きくなるので、積極的に発言してきた人は消えたことがわかるのですが、あまり発言しない人は消えたことがわからないので、シェアハウスよりは、気配を感じにくい場になるでしょう。
主体的に働きかけずとも、気配で感じてもらう。このような何気ない価値をニートやフリーランスはもっと意識してもいいのではないでしょうか?
以上のように、ニートやフリーランスがシェアハウスに住むメリットをあげてきました。最近話題のコワーキングスペースも1つのセーフティネットとしての場にもなるかもしれません。
新しい生き方&働き方が、生まれることは好ましいことなのですが、それを充実させていくには、ハード面だけでなく、ソフト面に着目していく必要があります。人は個人として孤立していては生きていけません。個人としてイキイキ生きたい人こそ、他の個人とつながる「技術」を獲得する必要があります。シェアハウスは、その1つの可能性にすぎません。一見自由に生きたい個人を縛るように感じられる、<制限><場>こそが、その個人をイキイキさせるというのは、矛盾しているようですが、社畜とは次元を異にする<制限><場>を発明していきたいものですね。なにかいいアイデアがあればこちらで共有して頂ければと思います!
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