2012-05-24
■[エッセイ] いつまでも、ノマドと思うなよ! 
昨夜、友人の佐藤茜さんから、こんな通報を受けたんです。
「@sayuritamaki 今週のSPAに、さゆりさんの名前出てたよ。「ブロガーのMG氏」って。あと第八大陸とか。この特集ね→ノマド入門(笑) | 日刊SPA! http://ow.ly/b6fQx 」
SPAよ、なんの連絡も受けてないぞー!!!!
ノマド入門(笑)の、その末尾の、(笑)はなんじゃ!
口グセは、「職業/自分」「人生を使って実験中です」「『何してるの?』って質問がいちばん困っちゃうんですよね」etc. って〜〜〜〜〜〜〜〜。
まぁ、かなりユーモラスな雑誌みたいじゃのお。一度も買ったことないわ〜〜!コンビニで売ってる?
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さてさて。
「ノマドワーカー」という言葉が一気に定着したようだ。1つの場所に囚われず、いつでもどこでも働けるクリエイティブなライフスタイルとして取り上げられているのだが、クリエイティブなどと言う言葉を命令してくるような、会社や人間は信頼ならぬ。
私のクリエイティブは、21世紀に鴨長明再来か、ではないけれど、山奥で隠遁して発露させたい。あるいは、コンクリートジャングル東京の、マンションの一室に引き蘢って発露させたい。もちろん、PCの電源は抜いておく。クリエイティブとはサバイバルと紙一重の、野垂れ死んでもかまわないという覚悟に裏打ちされ時に腹の底から湧き出てくるようなもではないのか。
「ショーシャンクの空に」という映画を先日鑑賞した。監獄の中で何十年も生活していると、もはやその生活に馴れ、居心地がよくなってしまう。監獄の中にぶち込まれた時には、「早くここを出たい」と思っていた人もいざ、その時が来ると、外のなんの命令もない生活に耐えられない。この「監獄」を、「学校」「会社」「インターネット(第八大陸)」に置き換えていったらどうだろうか、非常に示唆に富んでいる。
エーリッヒフロムが、「自由からの逃走」で描いたように、多くの人々はなにか、この個人というものより大きな存在に繋がれていない、「自由」なんてものは求めていないのである。というか耐えられない。しかし、ごく一部の人々は、自由に逃走とは微妙に違う形で、挑戦しようとする。つまり、「大きな存在」を自分の心の中で発明するのではないか、と思う。学校や会社やインターネットという大きな存在に自らを捧げていなくてもいいのだが、やはり、別の存在に自分を捧げるという思いがないと、自らの存在の軽さに耐えられない。すでに外部環境として与えられた、大きな存在に自らを帰属させるのか、それとも、自らの内部に湧き出てきた何かを観察し、それに帰属するのか。結局は同じ穴の狢なのかもしれないが。
ところで、冒頭に紹介したノマドワーカーも、「自由」と紐づけて語られることがよくある。クリエイティブと自由はよく、一緒に語られることがある。しかし、要注意なのは、現在「自由」や「クリエイティブ」は、いろんな人間や会社から歓迎されているし、命令さえされているという事実だろう。
ノマドワーカーも、会社という固定の場所から「は」自由になり、満員電車に乗る必要もないだろう。しかし、また違う「場所」に拘束されているのだ。それはどこか? インターネット(第八大陸)だろう。インターネット上で、固定の「場所」があり、そこで、いろんな人々から監視されているのだ。むしろ、昔よりも厄介なのは、いつでもどこでも、監視できるということだ。地理的、時間的自由を得たと思っていたとしても、また別の制約がうまれているのだ。だから、「ノマドワーカー」は、インターネットが会社化した、新種の奴隷労働を行っているのかもしれないという意識をもっておくぐらいは、必要だろう。あの、ショーシャンク刑務所の中で、自由を謳歌しているにすぎないという喜劇を演じているのかもしれない。
とはいえ、それが、不幸だといういうわけでは、もちろんない。
2012-05-19
■[エッセイ] ああ、小作脳 
「おまえさんは、畑を耕したことがあるか?」
私は、今、スマートフォンやPCで接続すると見えてくる、<第八大陸>上のとある「脳地」を毎日耕しているのだけれど、むか〜し、むか〜しの小作農も大変だったように、<小作脳>も、なかなか大変だよ、死んじまった、祖先さんよ〜!
脳と脳をつなぐための、プラットフォームを提供する、twitterやgoogleやfacebookといった、大地主さんがよぉ、私のような小作脳に、<脳地>を、ただで貸してくれるさかい、私は、ここで、<脳作物>を作れるんだよ。ありがたいのか、ありがたくないのか。先祖さんよ〜。農業が盛んだった時代にも、「地主」や「豪農」は、逆らったら恐いでっ、ていう話はきいたことがあったよなぁ、でもなぁ、年貢をおさめて、ちゃんと「地主」や「豪農」さんの機嫌をとってる限りは、まぁまぁ生かさず殺さず、生活はしていけたんじゃろ?
私も、なんとか、生きてる。なんとか、生きていきたい、お先祖さまよ〜。お願いやでえええええ〜。」
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アメリカの有名ブロガーである、Chris Guillebeau氏が、新著$100Startupという本を出版されました。たかだか、$100の先行投資で始められる「マイクロビジネス」が紹介されています。彼は、大学卒業後アフリカでの4年間のボランティア経験後、ブロガーとして、世界中を旅しながら生計を立てることに成功しました。世界中の<digitalnomad>、別名<小作脳>たちの間では、かなり有名な人物なのです。「フリーエージェント化する社会」などの数々の示唆に富む本を世に送り出して来た、Daniel Pink氏も、ブログで取り上げている、今回の新著。
ああ、小作脳!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! <<<digital nomad
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個人事業主という言葉をきいたことがあるでしょうか?日本でも、この言葉は、おなじみですよね?
私が、小学校の時、6年間通っていた地元のピアノの先生は、母の所属する地域ネットワークで、「あそこの先生、オススメよ!」という仲間内の評判によって承認され、見事に、私の母により選ばれた先生だったのでーーーす!!!
先生は、今から思えば、地域の信頼できるネットワークで仕事をしていた、個人事業主でした。
さらに、私が、とあるIT企業で社員として働いていたときに、その会社の税理士をしていた、お兄さんは、社長にとても気に入られていました。社長の友人ネットワークで、どんどん仕事を紹介してもらっていました。そういえば、あの、お兄さんも、個人事業主でした。
昔から、個人事業主は、なんらかの「専門スキル」と「愛嬌」を組み合わせ、稼ぎを得ていたようですね。
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ただ、昨今、個人事業主のスタイルにもいろいろバリュエーションが富んできました。
それが、今、注目の、<小作脳民>なのでーす。(えっw
<小作脳民>は、「土地」には根ざしてはいないのだけれど、<第八大陸>上の<脳地>に根ざして活動している、個人のことを指します。
先に昔からおなじみの、個人事業主として紹介した「ピアノの先生」も「税理士」も、<小作脳民>になれる可能性もあります。 たとえば、Gumroadという<脳作物>を円滑に流通させる<脳協>サイトにて、「東京在住の方、ピアノの出張先生サービス5000円/1回で販売します!」という<脳作物>を販売することもできますし。「11ヶ月でピアノが上達する方法」というテキスト<脳作物>を販売することも可能でしょう。
また、『あなたの「$5で○○やります」を世界に発信しよう』というような、<脳地>における、大道芸人的な小銭稼ぎをする、サイトまで発見しました。これぞ、スモールビジネスどころか、マイクロビジネス。そのうち、ナノ、ピコ、フェムト、...........「あたしの、1秒で0.00001円稼げるかしら?」の世界が登場するのぉ?????
ああ、小作脳!!!!!!!!!!!!!!!
「もはや、あたしは、大脳地主にはなれないのねー!大脳地主にはなれないのねー!」
「いや、待てよ。大脳地主なんて統治とかいろいろしないといけないし、大変でしょう。それなら、あたし、小作脳民でいいの。そこそこ楽しくやっていけるし。小作脳は、土地に根ざなくてもいいから、世界中を移動しながらも生活できるしね!」
「小作脳でも、1000円を1000人に払ってもらえれば100万円だしね。小作脳もなかなか悪くないわ。」
こうして、小作脳は、不安を少しは抱えつつも、えいさぁ、こらさぁ、毎日<脳地>を耕すのでした。
ここから、Chris Guillebeau氏の$100Startupからちょっくら拝借ざんす。マイクロビジネスのキーポイントが4つ書かれています。(p20)
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1.
Microbusinesses aren’t new; they’ve been around since the beginning of commerce. What’s changed,however,is the ability to test,launch,and scale your project quickly and on the cheap.
<脳作物>ビジネスは、商業の創始からあるビジネスとは違って、なんといっても、始めてみるのに、「早い!!」「安い!!」というのがポイントなんでしょうね。とっとと、作って、市場で試してみて、ええ感じやったら、どんどん他のお客さんにも広げていける。初期投資なんて、時間投資以外にほぼ0なんやから、どんどんやってまえ!という精神なワケです。そういえば、最近、連続起業家の、家入さんの声がけで始まっている大変興味深いLivertyというプロジェクト集団があるけれど、ここにはいろんなバックグランドをもつメンバーが集まって、なんという早さ!早さ!早さ!という感じで、ウェブサービスをどんどんプロジェクト単位で立ち上げているのだけれど、これも、まさに、<小作脳民の乱>的な感じでとても、勢いを感じますねー。
2.
To start a business, you need three things; a product or service, a group of people willing to pay for it, and a way to get paid. Everything else is completely optional.
脳作物、買ってくれるお客さん、決済手段、さえありゃええねん!!
この決済手段めちゃ大事!2011年に行われたバングラデュで行われた<小作脳民>の寄り合いでは、「バングラ政府よ!paypal使わせろ!」的な、一揆の予行練習が行われていたとか、いなかったとか。証拠映像はこちら。
以下こんなポイントも。
3.
If you’re good at one thing, you’re probably good at other things too. Many projects begin through a process “ skill transformation”, in which you apply your knowledge to a related topic.
4.
Most important : merge your passion and skill with something that is useful to other people.
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てな、感じで。小作脳も、なかなかつらいよ。でも、まぁ、今日も耕していこうぜ!
2012-05-03
■[エッセイ]ページビュー&フォロワー数至上主義への違和感 
情報発信者、個人への「評価」指標の1つとしてフォロワー数やページビューを挙げる人がいますが、私には関係のない世界の話だなぁと思います。
私は、1人1人の人に大変興味がありますし、1人の人とじっくりお話しできることを嬉しく思います。情報発信することの利点は、自らのことを表現することで、地理的な制約環境がある中では出会えないまま終っていた人と巡り会うことができ、親交を深めることができることにあるとしみじみと感じています。
私にとって、ページビューもフォロワーの数もまったくもって、重要ではありません。
ページビューやフォロワー数ってね。1人1人の特異な存在であるはずの人間を「数値」に還元してしまうスタイルに見えて、なんともセクシーではないなぁと思うわけです。
ぜんぜんセクシーじゃなーい!!
もっともっとセクシーな特異な存在としての、1人1人と私は会話をしたいんだけど。
そんな私にとって、贅沢な望みを叶えるために実践した、MG(x)というオンラインサロンは、それを可能にしてくれる1つの方法であるなぁと、とても嬉しく思ってます。このオンラインサロンは、私の1つの夢である、「スナックMG」オープンが、地上では金銭的には難しいゆえ(だって、固定費高いやーん!)、オンライン上にオープンしてしまえっ、というのが、裏の事情でもあったのだけどね。MGの表現活動がハブになって、いろんな人々が会話を楽しめる場になっている。
ちなみに、この場に参加するのに、月1万円払ってる人もいるし、月1000円払ってる人もいる。私は、ブログ&ツイッター&Ustなどで、ゴーイングマイウェイな表現活動を行っていたのだけど、それに興味をもったらしい人が、MG(x)に参加して下さったワケです。涙ちょちょぎれる。
MGメディア活動おもろいし応援しよう!会話を楽しみたい!ここに参加してる人も面白そうやしちょっくらのぞくか〜!みたいな、いろいろ参加動機の声をきいたけど、スナックMGを地上にオープンできなくても、オンライン上で0円でオープンできる今って、ホントありがたし〜☆
にしても、ちょっとマジメなお話をしちゃうとだねー、ブロガーとしての生計を立てるという観点にたったとしても、ページビューやフォロワー数至上主義って、きつくないかなぁ?と思うわけです。
量を生産して、ページビューを増やしてフォロワー数も増やして、アドセンスで稼ぐ?っていうのが今までのブログで稼ぐスタイルとしてはあったわけだけどね。
私は、正直きついかな。
私は、毎日義務的にブログを更新したいわけでもないし、こうなんというか、1つのエントリーをそれぞれ大切にしていきたいなぁという思いがある。自分自身にまず義務感とかじゃなくて、書きたい!という情熱があるものを、表現したいし、後、サイトに来てくれた人を、単なる読者にしたくなーい!という思いがあるなぁ。
これは、私の中での、ポリシーみたいなものなんだけど、
「読者と呼ばないよ!参加者と呼ばせて!」
というのがあるんだよなぁ。私も自分がこのカオスな時代を生き抜くために、いろいろ考えたり、取材したり、感じたことを、ブログ記事にしてるわけだし、せっかくご縁があったあなたなんだから、一緒にいろいろ考えて行こうよ!という思いがあるのです。だから、ブログ消費者にしたくないんだよなぁ。
消費して明日忘れた〜!という人にというよりは、「MGさん、それどういうこと?自分はこう思うよ、こんなのどうかな?」そういう人と巡り会えることが一番嬉しいなぁ。
MG(x)も大学のゼミみたいなもんでもあるしね。さっきはスナックとか言っていながら、今度はゼミかよみたいな、この急展開はお許しを!(笑) ほらっ。大学のゼミって、みんなそれぞれに、特異な存在としての人間を認め合って、その人の背景なんかもいろいろ知った上で会話を楽しむじゃないですか。時には厳しいこともあるんだけど、でもそれって、根底には人へのリスペクトとコミットメントがあるんだよなぁと。
で、私はそういうスタイルの方が性にあってるなぁと。ページビュー&フォロワー数至上主義でいっちゃうと、どうしても一般ウケや人気取りみたいな方向にいっちゃって、ぜんぜん自分に対して真摯じゃなくなっちゃう。さらに言えば、芸能人化へ突き進んじゃうなぁと。これは、どういうことかというと、不特定多数の人々へ芸を披露して、見られる一方になるということなんだけど。私は、芸能人にはなりたくないなぁと。市井の人、等身大の自分でいたいなぁと。不特定多数からの「評価」よりも、信頼できる人からの「評価」が嬉しいし、人気よりも信頼を大切にしていきたいなぁと思うわけですね。まっ地味なんですけどね。そういうのが、自分にとって、いいなぁと思うわけです。そんなわけで、ツイッターのフォロワー数を増やしていけば、その影響力を使って、なにか商品をつくれば、売れて儲かる!みたいな、発想も苦手ですね。それって、人を商品にする芸能界的、発想じゃない?と。私は、地味に、信頼できる人々との誠実な関係を築いていくことを目指したいと思います。よろしゅうに!
2012-04-28
■[エッセイ] 有閑男子歓迎! 
世は、GW。ゴールデンウィークに突入するようだ。私はというと、毎日がGWのようなものだ。こういうスタイルはなぜか、私の性に合っているようで、のんびりと日々を過ごしている。ボチボチ行こうよ!これを、猫スタイルと命名する。
最近、時間的余裕がある、私は実にいろんな人々と会話をする機会に恵まれている。東証一部上場のメーカーに勤務し、悩みを抱え込んでる部長さんから、大学卒業後、趣味人として生きる映像作家や、ニート、起業家など、様々な人と会っているなぁと思う。一対一でじっくり会話を楽しむのは私にとっての、最高の贅沢であり、楽しみの1つに違いない。
今日は、収入が少ないと結婚ができないと言われ続けた、男性との出会いについてまずは、お話ししたい。
彼は、大学卒業後趣味人として生きる道を選び、お金を稼ぐ仕事はそこそこにして、趣味に打ち込んでいる。趣味でお金につなげる気持ちはあまりなく、万が一お金になれば、いいな程度の活動をしている。彼の父親は、普通のサラリーマンで、彼の兄もサラリーマンで、家庭をもっている。兄は、専業主婦の嫁をもらっており、今どきめずらしい形態の、家族を営んでいる。彼は、そんな両親や、兄に囲まれる中、異色な「人間」として、一族から見られているそうだ。「おまえは、このままでは、結婚などできんぞ!」そう、実家に帰ると、言われているらしい。
彼の大切にする価値観は、「自分の道」を行くこと。でも、その道は、別に他者にそれほど評価される内容でもないから、自分1人の生命を支える程度のお金を稼ぐ仕事をしながら、自分道を、のんびりと歩んでいくスタイル。
私は、彼のようなスタイルを貫こうとしている人を複数知っている。その一人は、昔私にこう言っていた。
「ボクの父親は、中国史の研究者になろうとしていた。でも、ボクや母親を食わすために、それを諦めて、違う仕事をした。ボクは、誰かを食わすために働きたいとは思わない。だから、ボクは、自分の道をいくんだ。」と。
ここまで極端なレベルではないにしろ、私の知り合いの20代の男性たちは、家族を養うことへの「恐怖心」のようなものを感じているのではないか、というのを体感している。まぁ、これも私が所属するクラスターの男子ということだから、一般論ではない。でも、「妻にも、働いてもらいたい」のような声を、たとえ上記で紹介した2人のように、マイペースな自分道を行ってる人じゃなくても、口にするのをよく聞く。
この背景には、男性一人の給料で家族を養う稼ぎを得られる人々が少数になってきていることが、まずは挙げられるのではないか。
でも、やはりこれ以上に見逃してはならぬ傾向には、趣味を大切にしたいという自分道への拘りに目覚める人が出て来ているのではないか、と邪推する。
「金にはならないけど、今やりたいと思うことをやりたい。」こういう、有閑人的な感覚を大切にする人々にに出会う機会が多くなっている。
なるほど、私がその有閑人の一人だから、そういう人々に会う機会が多いというバイアスがかかっているのは間違いない事実だろう。とはいえ、私が、そのような有閑人男性に、片手に収まる以上の数会って来た事実は確かであり、エッセイとして書いている分には問題ないだろう。
一方で、専業主婦になりたい、女性が増えているという話もきく。たしかに、新卒で入社した会社の同期の女子たちは、「子どもができたら、退職したい。」と潔く言っていたものだ。フェミニストも顔面真っ青ではないだろうか。なんのための、男女雇用機会均等法を獲得するための戦いだったんだ!女性も、キャリアウーマンとして企業戦士としてバリキャリ道に歩むのよ。そんな茨の道を突き進んだ、女性たちは、マジ尊敬である。まさに、パイオニア精神の塊だ。でも、悲しいかな、一部の20代女子は、会社に見切りをつけ始めているようなのだ。先日も大学の同期が結婚を機に、会社を辞めて在宅翻訳家になったばかりだ。「会社に私の人生をあずけたくないわ。子どもができたら、家庭教育を充実させたい。」バブルの風は通り過ぎ、アジアへと向かってしまい、もはや帰って来ない。国も、会社も、あてにならない。そんな外部環境の中、20代女子は、せめて家族は大切にしたい、という自分の居場所の確保に必死なのかもしれない。
にしても、専業主婦は極端だと思う。あくまで私見である。上記に挙げた2人の男性のように、趣味に生きつつも、そこそこ稼ぐというスタイルが調度いいのではないだろうか、とも思う。いざという時に、一人で生きていけるポテンシャルを磨いておくのも、重要だ、というのは、フェミニスト諸子が教えてくれる教訓でもある。その教訓を知らないというのも、失礼な気もするし。
で、私は結局なにが言いたいのだろうか。
結婚しても、互いの、自己実現を妨げないスタイルを追求したいということにつきるかもしれない。
有閑男子に「私と結婚するのだから、もっと稼ぎなさい!」とは言いたくないしね。
そこそこ互いに稼ぎ、そこそこ時間的余裕があり、趣味なり子育てをしていける、生き方も許容されてくるのではないか。冒頭に紹介した、男性たちは、自分は結婚できないと思っているかもしれないが、時間的余裕がある男性を求めている、そこそこ自分でも稼いでくれる女性もいるだろうし。
自分1人で家族を養う。専業主婦(夫)。どっちも極端すぎるだろう。互いのコンセンサスが取れているのならいいが、どちらかの不満が溜まる可能性があるのなら、第三の道を目指してもいいのではないか、と思う今日この頃でしたー!これってもはやアタリマエだったかなぁ?
2012-04-01
■[エッセイ][第八大陸] 等身大の社会をつくる (1) 
「自分専用の舞台をもつ」
中学校のときの文化祭では、毎年、学年、クラスごとに分かれて「演劇」を披露した。役者、脚本、小道具、音響、それぞれのプロジェクトにクラスのメンバーがそれぞれ分かれて1つの演劇をつくりあげる。ミーンミーンと蝉の鳴き声が教室の窓のむこう側から聴こえてくる夏休み。秋の文化祭に向けて、脚本担当のメンバーは、自主的に学校に集まり、ああでもない、こうでもない、などと言いながら最初から最後までスムーズに物語が流れていくような、脚本をつくりあげる。蝉の鳴き声がその音色を衣替えし始めると、学校が再び始まり、夏休み中に練られた汗と結晶の塊である脚本をもとに、練習、準備が行われる。思えば、すでに予行練習は体験済みだったのかもしれない。なぜならば、今私たちは、あの中学校の文化祭で披露した演劇と似たようなことをなんと!毎日繰り返しているからだ。演劇を披露するに至るには、役者、脚本、小道具、音響など様々なプロジェクトを別々の人々が担当する必要がある。また演劇が、公演されるまでには、相当の準備期間を要し、基本的に公演は決まった日、場所で行われて終了である。しかし、今私たちは、自分発信メディア(SNSやブログなど)の力を借りて、24時間好きな時、好きな場所で、自分1人の専用劇場をもつことができるようになったのだ。私もあなたも、無意識的であろうと、意識的であろうと、誰かに自分が「見られている」ことを意識して毎日自分発信メディアという舞台にむかっているのだ。観客が、1人であろうが、1万人、いや100万人でも変わらない。みんながみんな、自分を主人公にした演技をしているという意味においては.....。
「TV番組の中の素人もどきの主人公たち」
自分発信メディア上に、情報発信を行い、自身の人生を露出し始める人の数が急激に伸び始めたと、私が感じ始めたのは、2010年夏だった。twitterのユーザーが急速に伸びたのもこの時期だ。私は、2007年当時からブログ上で不特定多数に向けて情報発信をする自分専用の舞台をもっていたのだけど、友人や知り合いの舞台はといえば、mixiに限定されており、日記を更新する頻度もそう多い人はいなかった。でもその潮目が変化したのが、2010年だ。mixiでしか交流のなかった知人も、twitterを使い始め毎日情報発信をするようになったのだ。140文字という字数制限もあることから、文章を書く敷居が極端に下がったこともあるのだろう。また、同時期にスマートフォンの普及も重なった。各自の暇を持て余す「スキマ時間」を利用して、今なにを考えているか、どんなことをしているか、どんな気持ちか、どんなことに興味をもっているか、発信し始めた。私はその様子を眺めながら、「あっ。これは、電波少年みたいじゃないかっ!」という思いを強くしたのを記憶している。電波少年と言えば、私が小学生の頃の人気番組だった。「なすび」「猿岩石」といった、売れないお笑い芸人が、当番組の凄腕プロデューサーと言われる人の企画「懸賞だけで生活する実験をする」「世界中をヒッチハイクで旅する」に挑戦する。TVという舞台を通じてほぼ知名度のないお笑い芸人が、生活露出実験を行うことで、TVの観客である視聴者に人気を博した。ここには、誰もが知るスターをTVを通じて視聴したいという欲望ではなく、TVを今視聴している自分と同じような人間の生活を「のぞきたい」という欲望が見え隠れする。電波少年のような、素人をおもしろおかしく演出する番組は他にも、恋愛観察番組と銘打つ「あいのり」や、明石さんまを司会とする「恋のから騒ぎ」などがあり、どれもが人気番組であった。しかしだ、そこに強力な競合番組が現れ始めたのではないか?
「私の友人や知り合いは、まるで猿岩石やなすびのように、自らの生活を発信し始めているぞ。おまけに、それをこっそりのぞくのはなんて、楽しいんだろう!」このような欲望が私の中で沸々と出現してくるのを私は発見した。またそれと合わせ鏡の欲望であるのだろうか。「私は、自分の生活もみんなに発信することを楽しんでいる!」他の人々の専用番組を見ることと同時に自分専用の番組を見られることの共存。私は、もう電波少年やあいのりや恋のから騒ぎを必要としていない。それよりも、よりプロデューサーの演出などから自由になった、自己演出を行う個人そのもののリアル生放送の人生露出番組を私は好むようになってしまった!ああ、これは幸せなのか?不幸なのか?でも、この欲望は今も現在進行形なのだ。私は、現在進行形のいろんな人々の人生を擬似的に体験しはじめている、そして私自身も.......。(続)

