2011-08-31
私にとって茨城キリスト教学園中学校・高等学校の好きなところ
本校では毎朝、放送による10分程度の短い礼拝があります。それは、まず讃美歌に始まり、聖書朗読、そして朗読された聖書の箇所に関するスピーチがあります。最後に、お祈りで終わります。各教室では、生徒達が放送に合わせて讃美歌を歌い、聖書を読み、話に耳を傾けることになります。ところで、放送礼拝の担当はクリスチャンの先生方が交代で行っています。話は基本的には日本語で行われますが、お祈りは英語で行われることもあります。アメリカ人の先生や日本人でも英語の先生などは英語でお祈りをします。(映画の中の一シーンのようでかっこいいです。)
さて、今朝はヴォス先生の担当です。讃美歌は448番、聖書はマタイによる福音書7章24節から27節です。聖書の該当箇所を書いてみます。
「家と土台」
24「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、
倒れなかった。岩を土台としていたからである。
26 わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
27 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、
倒れて、その倒れ方がひどかった。」
(日本聖書協会『聖書 新共同訳』より引用)
「 The Two House Builders 」
24 "So then, anyone who hears these words of mine and obeys them
is like a wise man who built his house on rock.
25 The rain poured down,the rivers flooded over, and the wind
blew hard against that house. But it did not fall,because it
was built on rock.
26 "But anyone who hears these words of mine and does not obey
them is like a foolish man who built his house on sand.
27 The rain poured down, the rivers flooded over, the wind blew
hard against that house, and it fell. And what a terrible
fall that was !" (Good News Translation)
これらの聖句(聖書の言葉)をもとにして、ヴォス先生は、あの3.11のときは生徒達とアメリカの姉妹校(Ada High School)へ語学留学中であったこと、そして帰国してからの話を交えて、「生き方」についての先生の思いや考えについて話をされました。(いつも感動的な話をされます。)
・・・・・こういうところが、私がこの学校の好きなところです。「いかに生きるべきか」、「苦難の意味」などについて普段の生活の中で考えることができます。いつでも≪哲学≫できる環境があるといっても良いかもしれません。こういうところが私は好きです。≪感動≫と≪癒し≫が与えられ、今日一日がんばってみようという≪勇気≫を得ることができます。
2011-08-29
I'm proud of you . (開講式の話)
夏休みも終わり、今日から平常授業です。
夏休みはどうでしたでしょう。私の場合はといえば、小・中・高といつも後悔ばかりが残るものでした。予定していたものが終わらず、「休みがあと1週間あったらよいのに」と思いました。皆さんの場合はどうでしょう?
他方で、夏休み中の皆さんのすばらしい活動の様子や報告を見聞きしました。あの3.11大震災のときの皆さんの行動については学校案内のパンフレットなどにも書き、話もしましたが、この夏休みの期間中における皆さんの行動についても私としては「皆さん全員が私の誇りです」と改めて感じました。皆さんの中には、この夏休みは思い通りにいかなかったという人もいるかもしれませんが、そういう人も含めて、「I'm proud of you , all of you .」です。
さて、話をはじめに戻して、今日は夏休み明けの初日で気分はなんとなく<憂鬱>だという人(私も含めて)がいると思います。この<憂鬱>に関して、先日テレビで作家が経済界で活躍している人を招き、話を聞くという番組を見る機会がありました。そこでのテーマの一つが<憂鬱>でした。お2人のゲストは「仕事には憂鬱な気分が伴うのは当たり前のこと」であると言っていました。しかも、その仕事が重要であればあるほど気分は<憂鬱>になり、逆に<憂鬱>にならないような仕事はあまり意味(価値)はないものだとも言われていたと思います。その上で、重要なことは、<憂鬱>になることをプラスに考えるということでした。<憂鬱>を<不安>に置き換えても同じだと思います。お2人の話から、今までに新しい仕事をするときには必ず<憂鬱>や<不安>が付きまとい、どのように対処されてきたかなどの具体的な話がいくつかありました。・・・お2人の話のポイントは『<憂鬱>や<不安>は何かをするときには当然付きまとうもの。大切なことはそのことを知りつつ、逃げないこと、正面からぶつかること』だということです。
以上のことは仕事だけに限らず、私達にも当てはまることだと感じます。大人はもちろんのこと、中学生・高校生にとってまったく同じことだと思います。誰にとっても大切なことは「逃げないこと」です。・・・しかし、建前ではなく、本音で言えば、あるときに「逃げる」ことも大いにあり得ることで、「逃げた」後に後悔するという経験も必要なことです。「逃げる」だけでなく、いろいろな「失敗」の経験も、「成功」の経験と同様に大切です。・・・恐ろしいけど「逃げない」でいると、時が過ぎてみると「あれほど恐ろしいと思ったことでも、過ぎてみれば大したことはなかった。」と思えるようになり、次はもっとがんばってみようというようになります。これが本当の<経験>ということになります。
<まとめ>
大切なことは物事に対する≪姿勢(心の持ち方)≫だと思います。時には「逃げる」、「失敗する」などの経験を通して、≪逃げないこと≫を学ぶこと、さらに、良いことにも、悪いことにも≪意味≫を見出そうと努めること。そして、そして、すべてには≪意味≫があると信じること。信じようとすること。このような≪姿勢(心の持ち方)≫が一番大切なことだと思います。すぐに答えは得られなくても諦めなければいつか答えは得られます。
最後に、もう一度、一生懸命がんばっている皆さんに対して、
I'm proud of you. I'm proud of all of you .
2011-08-12
(勉強、習い事、スポーツなどが)「身につく」ためには
私は、この夏休み、自由な時間を使って数学の勉強を始めました。
勉強の目標は2つです。その1つは代数関係の復習です。具体的には、ガロア理論の鍵(ガロアの発想)を確認することと、もう一つはオイラー、ガウスなどの整数論関係の結果について学びなおしをすることです。2つ目は数理論理学関係の話で、具体的にはペアノ算術(Peano arithmetic)の超準モデルについて勉強することです。・・・これらをもとにして、これから自由な時間ができたらいろいろと考えるための基礎固め・基礎の確認をしたいということがねらいです。
さて、勉強を始めてみると、目標の一つ目は、本を読みながら時々わかりにくいところを計算をしたり、証明を考えてみたりするなどして、少しずつ大学生の頃の感覚が戻ってきます。そして、なんとなく『わかる』という感覚を持つことができて、これならば目標は達成できるかなと思えてきます。
ところが、2つ目の目標である数理論理学の方はというと、まったく『わかる』という感覚が湧いてこないのです。頭では理解できているはずなのですが、心の底から『わかった』という感覚が起きません。
以上の2つのことから「(勉強、習い事、スポーツなど)身につく」とはどういうことかについて考えてみたいと思います。
私の場合、若い頃(大学生の頃)に学んだ代数関係のことについては「身について」いるのだと考えます。当時のことを思い出せば、わからないながらに、ノートに計算をたくさんし、証明などもあれこれ考えていました。いろいろな本を調べては、苦労して勉強しましたことを思い出します。とにかく当時は、わかろうとして真剣に取り組んでいたということです。これが「身につく」ためには必要なことだったのだと思います。
他方、数理論理学の方は本格的に勉強を始めたのが30歳を過ぎてからのことでした。このころは数学以外にしなければならない<義務的なこと>がいくつかありまして、全力で数学に取り組むことはできませんでした。気持ちの純粋さという点でも20歳の時と30歳の時では大きく異なっていたはずです。20歳の頃はいわゆる<世間が狭い>(当然これはこれでこの時代には必要でかつ良いことです)が、30歳を過ぎてくるとそうもいきません。やはり、これも「身につける」ためには、20歳の頃と同じような勉強の仕方をする以外に道はないようです。
もう一つ、別の例を挙げます。それはやはり私が20歳の頃、大学の教養課程でフランス語の講義を取りました。学び始めた1年間はあまり興味が持てませんでしたが、2年目の担当の先生がいかにもフランス的であこがれました。それで(それだけではありませんが)、「よしやってやろう」と思い、使っていたテキストを暗記しました。(これで、私の頭の中には<フランス語の核>ができました。)それから、アンドレ・ジッドの異邦人やポアンカレの科学と仮説またランボー詩集などをはじめ、フランス語で書かれた数学書も読みました。・・・この結果、それから40年たった今でも、フランス語はちょっと復習すれば「できる」という感覚が私にはあります。これが「身についている」ということだと思います。
ところが、私が40歳近くの頃に必要があってドイツ語の論文を読むことになりました。ドイツ語の授業はとったことはなく、まったくの独学です。文法書と独和辞書を片手に、何とか読み終えました。しかし、私にはドイツ語がわかっているという感覚がまったくありません。これからドイツ語を読む必要が出てきた場合は以前と同様に文法書と辞書を片手に「アリが進むように」読むことになるでしょう。ドイツ語については特に「発音」がダメです。やはり、声に出しながら覚えるということが大切なのだと思います。私の場合、これが決定的に欠けていると感じています。やはり、<五感を使って>学ぶことが「身につく・つける」ためには欠かせないことであると思います。
私の場合、夏休みの数学の勉強では、「身についていない」ことに対しては<急がば回れ>、<学問に王道なし>(頭(脳)の使い方)にしたがって、もう一度、中学生や高校生の時代に戻って、一歩ずつ書きながら、考えながら進めるしか方法はありません。
<結論>
何かを「身につける」ためには、声に出して読むことや、書くことなどが絶対条件です。(これは<頭(脳)の働き>から来ています)しかも、若いとき(中学、高校、大学のとき)にこそ、多くのことを「身につける」ことが可能なのです。しかも、若いときこそたくさんのことに挑戦すべきです。
2011-08-10
夏休みも半分が過ぎました。
今朝、犬の散歩の帰り道、たくさんの小学生を見かけました。今日は登校日のようです。また、制服姿の中学生も何人か見かけました。高校見学会などに行くのでしょうか。
本校でも、高校3年生は登校して中期講習を受講したり、学習室を利用して受験勉強をしています。担任や教科担当者と熱心に話しをしている3年生の姿も見かけます。また、AO入試などで大学を訪問している生徒もいるでしょう。他方、部活動では暑さを避けて、朝早くから練習をしている部もあります。また、校外で試合をしている部もあります。その他いろいろな方面で活動している中高生がいることでしょう。
さて、今日は8月10日。夏休みも半分が過ぎました。中学生、高校生の皆さん。 勉強の方はいかがでしょう?予定通り進んでいますか。・・・私の経験からいうと、予定通りにできた夏休みはありませんでした。・・・もし、予定と実際が(大きく)異なる場合には、計画の見直しをした方がよいかもしれません。ただし、今まで続けてきたことは思い通りの結果が出なくても続けた方がよいと思います。何日も勉強を続けてもなかなか覚えられなかったり、また、勉強しているという実感があまりなかったりでモヤモヤして勉強がいやになってしまうことがあります。こういうときは、気分転換などをして、リフレッシュをして取り組むことを勧めます。そして、勉強は「書く」、「読む」など五感を使って行った方が脳には良いと思います。これらを繰り返しているうちに自然に覚えます。「あきらめない」ということが最大のポイントです。Good luck !
2011-08-06
今日は中学校オープンスクールの日です。
今日は中学校オープンスクールの日です。
暑い中、たくさんの小学生と保護者の皆様にご参加いただきまして感謝申し上げます。(オープンスクールの様子はHPにありますので、ご覧ください。)
中学受験を目指している小学生にとっては<受験の夏>ということになりますが、がんばってください。・・・勉強の仕方は(個人の現在のレベルによりますが)まずは復習と確認でしょう。既に学んだことの復習と確認ですね。これができれば各科平均70点ぐらいは取れるのではないでしょうか。あとは過去問も含めて、問題集などを使った練習でしょうか。
勉強の仕方は中学入試でも、高校入試でも、さらには大学入試でも基本は同じであると思います。多くの中途半端な使えない知識より、(量は少なくても)使える確実な知識の方が大切だと思います。しかし、合否のことを考えると、焦って、質より量の方に頭(考え)が行ってしまうことが多くなります。このままでは受からない。この日までにはここまで終わっていなければならないのに、これでは到底間に合わないなどと考え、スピードの方が理解することよりも優先されてしまう場合が多いのではないでしょうか。スピードもある程度は大切ですが、それよりもちゃんとわかることの方が大事であるということを頭の片隅に置いておく事が重要なことであると考えます。
さて、特に受験生にとっては<受験の夏>で勉強しなければならないことはたくさんあると思います。しかし、勉強ばかりしていても能率が上がるとは限りません。適度なリラックスも必要です。・・・・・私の場合のリラックスの方法は、最近は数学を考えることです。夏休みに入ってリラックスのために考えたことを書きます。
<その1>ガロア理論について
ガロア理論というのは、方程式についての一つの理論です。中学高校で、1次方程式、2次方程式について学びます。とくに、2次方程式については「解の公式」、「解と係数の関係」や「判別式」などについて詳しく学びます。高校では3次方程式についても少し学びますが、中学高校ではここまでしか学びません。しかし、3次方程式や4次方程式にも2次方程式のような「解の公式」はあるのでしょうか?・・・このような疑問を持ちます。この答えはYesです。今から約450年前には4次方程式までの「解の公式」は得られていました(カルダノ、フェラーリなどによる)。(本来の数学教育であれば、発展的学習または発見的学習として、3次・4次・5次方程式の歴史について概略だけでも取り上げた方が数学教育には良いと考えます。)
問題は5次以上の方程式です。この問題を解くことに貢献した人物が2人います。1人は26歳で亡くなったアーベル、もう一人が20歳で亡くなったガロアです。2人とも別々に「5次以上の方程式には解の公式はない」ということを証明しました。とくに、ガロアは方程式の解を求めるという操作を「群論」というまったく新しい視点から見ました。この「群論」を詳しく調べた結果、5次以上の方程式には「解の公式は存在しない」ということを証明したのです。
私の興味は、「どのようにして、ガロアは方程式と群論の関係を思いついたのか?」にありました。
(この疑問はガロア理論をはじめて学んだとき(大学3年くらい)もあったと思いますが、このときは深く考える余裕はなかったと思います。)
<その2>ポアンカレ予想の解決(ペレルマンの証明)
ポアンカレ予想とは「単連結3次元閉多様体は3次元球面と同相である」というもので約150年前にポアンカレというフランス人数学者が予想した、いわゆる位相幾何学的問題です。この問題には100万ドルの賞金がかかっていました。(懸賞問題は全部で7問あります。残りは6問。どれでも1問につき賞金100万ドルです。) この問題を2002年〜03年にロシアの数学者ペレルマンが解いてしまいました。ただし、その証明が正しいということを確かめるのに3年前後かかりました。正しいことを確かめることに3年かかったという以外に面白いのはペレルマンの論文は発表当初、「その論文を誰も理解できなかった」ということです。ペレルマンの用いた方法はそれまで誰も考えていなかったもので、まったく斬新な方法だったということです。その方法とは「リッチフロー」と呼ばれるもので、これは微分幾何で使われるものだそうです。ペレルマンはポアンカレ予想を、まず「単連結3次元可微分閉多様体はS^{3}に微分同相」であることを示し、つぎに「単連結3次元可微分多様体は3次元閉多様体と同相」であることを示したようです。(私の位相幾何、多様体に関する知識は20年以上の前のものですので、私の理解に間違いのある可能性が大いにあることをご承知おきください。) ところで、ペレルマンという人は非常に変わった人で、100万ドルの賞金を受け取ることを拒否しました。また、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞の受賞も拒否しました。人ならば誰でも富と名声はほしいと思いますが、彼はその2つを拒否しました。彼は、どうして受賞を拒否するのかの問いに対して「自分にとって重要なことは証明が正しいということだけだ」と答えたそうです。彼の言葉としてあらわされたものは少ないですが、彼にはロシアにおけるユダヤ人として辛い経験をしてきたことや数学界の評価の仕方について不満などもあったようです。いずれにしても、天才は幸福とは限らない典型的な例のような人物です。彼についてのエピソードはいくつもあります。フィールズ賞の授賞式の日、彼と連絡を取ろうとしたところ、「キノコ狩りに出かけて不在」であったという話。また、フィールズ賞受賞拒否後、それまで勤めていたロシアの数学研究所を辞めて、母親の年金にすがって暮らしているという話。ホームレスのような格好で暮らしているが、それでも今度は物理の超難問に挑戦しているかもしれないという話。(彼は高校生のころは数学よりも物理の方が出来たという証言があります。)いずれにしても、彼は<純粋>のようです。このような人物が現存しているのです。
実は、ガロアも同様に<純粋>な人でした。ガロアはフランス革命のころに生きた人です。若くて、純粋で、傷つきやすい、それでいて、時々気難しい若者であったようです。こういう若者はいつの時代でもいます。中高生時代は誰でも皆そういう面を持っています。ガロアは中学2,3年生ごろから数学の本を読み始めました。好きな科目とそうでない科目があったようです。数学は好きで、夜中まで本を読んでいたそうです。高校生ぐらいの年になって、フランスで一番レベルの高い学校に入ろうとして、受験しますが失敗します。それも3回も失敗します。失敗の原因は面接で試験官が(ガロアにとって)あまりにも簡単な質問をしたために、ガロアが怒ってしまったためだという話もあります。(ガロアの方が試験官よりはるかにレベルが高かったのです。・・・実は、現代でもこういう可能性はあります。生徒の能力の方が先生の能力よりも高い場合です。こういうことがあるので、教師は生徒の能力をつぶさないように気をつけなければなりません。)ガロアは試験に失敗した後、当時新設された学校に入学しました。ここに在学している時、数学の研究をしており、ガロア理論を思いついたようです。それを論文にして、投稿したのですが紛失されてしまいました。他方で、彼は政治にも関心があったため(当時はフランス革命の最中なので世の中全体もそうだったのでしょう)、彼の純粋さは利用されて、決闘という形で殺されてしまいました。決闘の前夜、彼は友人にガロア理論の論文を手渡して、この世を去って行きました。彼の死後、かなりの時間がたってから友人によって論文は公開されて、初めて「ガロア理論」が世に認められたのでした。ガロアについての伝記の中に「神に愛されたものは夭折する(若死にする)」という言葉があったように記憶しています。死ぬ直前にガロアが弟に残した言葉として、「泣かないでくれ。20歳で死ぬのには相当の勇気がいるのだから。」があるそうです。・・・ガロア理論は現在の最先端の研究でも生きています。
さて、私の興味は、やはりガロア理論に対してと同様に、「なぜ、ペレルマンはポアンカレ予想の解法を思いついたのか」にあります。
この2つの問題を頭の片隅に置いて、時々考えてみようと思います。
ところで、ガロアやペレルマンには惹(ひ)かれてしまいます。彼らには天才ということだけではなく、生き方に人を魅了するものを持っています。本人たちは苦しくもがいているのでしょうが、遠くから見ると魅力的です。その魅力は<純粋>ということからくるのでしょうか。
