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アガペーとインマヌエル ※更新をtwitterでお知らせしています。                          Iwao Hayashi  @pastorerrante

2018-10-20 「聖書にも、味わい深い逆説の言葉が満ちあふれています」

[](105)「聖書にも、味わい深い逆説の言葉が満ちあふれています」 15:23

 急がば回れ、と言います。聞き慣れてしまっていますが、この言葉を初めて聞いたとき、強い印象を受けるのは、急ぐことと回り道をすることが正反対のことだからです。逃げるが勝ち、もそうです。ほんらい、逃げることと勝つことはまるでさかさまのことではないでしょうか。けれどもそれが組み合わされることで、聴き手の記憶に残り、再生も容易になります。

 これとはニュアンスが違いますが、わたしたちは、自分が苦しかったり辛かったりするときこそ、かえって、人のやさしさや愛情が身に染みる、と感じることがあります。これも、一種の逆説でしょう。

 第一志望の大学に落ちて第二志望に進学したことで、良い友達や先生と巡り会えたり、人生の新しい視野が開かれたというようなこともあるでしょう。逆説は物語を生みだします。わたしたちの言葉に表現力をあたえ、経験を味わい深いものにしてくれます。

 新約聖書によりますと、イエスは「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」とか「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」とか、わたしたちの常識をひっくり返したような、それでいて、印象深く、反復しやすい言葉を残しました。

 「心の貧しい人々」とはどういう人びとのことを指すのか、いろいろな解釈があります。「心の」は誰かがあとからつけ加えたのであり、イエスは「貧しい人々」としか言っていないのではないか、という説があります。「心の」がついてもつかなくても、「貧しい」と「幸い」は普通には結び付きません。

 けれども、キリスト教徒は、この言葉を、たとえば、「自分の考えや精神力は乏しく頼りにならないと憂う人とこそ、神は一緒にいて力になってくれる、そのことが幸い」というように理解するのです。あるいは、「嘆き悲しんでいる人をこそ、神は一緒にいて慰めてくれる」というように理解するのです。

 逆説の言葉の持つアピール力と真実。イエスもこのことを良く知り、それを神の救いを言い表すために、しばしば用いたのです。

マタイ5:3-4)

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2018-10-19

[]《使徒書の御言葉》その94 「わたしたちは誰にも束縛されませんが、キリストにはお仕えします」 08:43

コリントの信徒への手紙一3:21 ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。3:22 パウロアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、3:23 あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。

コリントの教会では「私はパウロにつく」「私はアポロに」(1:12)という「争い」(1:11)がありました。けれども、パウロは「人間を誇ってはならない」つまり「誰が偉いなどと言ってはならない」、「一切はあなたがたのもの」つまり「あなたがたはこの誰にも束縛されることはない」と言います。「あなたがたはパウロからもアポロからも自由だ」と。けれども、「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のもの」と付け加え、「しかし、あなたがたはキリスト、そして、神さまには仕える」と言います。わたしたちはどんな人間にも隷属することのない自由な者ですが、キリスト、そして、神さまにはお仕えするのです。そして、ほんらいは自由なのですが、キリストにお仕えするように、隣人に仕えることを祈り求めるのです。

今週の祈り「神さま、祈りをくださり、ありがとうございます。神さま、病床にある方々を癒し、孤独な方々を慰め、不安な方々を支えてください。神さま、み言葉を聞かせてください。み言葉を届けさせてください。この世界に、愛と喜びと平和と寛容と誠実を、さらに増し加えてください。神さま、わたしたちを信じる者へと創造してください。あなたへの信仰をさらに育ててください。さらにもうひとりを信仰へとお導きください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン

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2018-10-18 悲しんでいる人びとや、一緒に悲しんでいる人びとと、神さまは一緒に

[]20181021 マタイ5:1-12 「悲しんでいる人びとや、一緒に悲しんでいる人びとと、神さまは一緒にいてくださいます」 09:26

 イエスさまは、とても不思議なことを言っておられました。「悲しむ人々は、幸いである」。悲しんでいる人、悲しいことがあって泣いている人は、幸い、幸せである、という意味になりますが、泣いている人が幸せ、なんて、何か不思議ですよね。

 でも、これは、悲しんでいる人、泣いている人がいたら、神さまが一緒にいて、慰めてくださいますよ、という意味ではないかなと思います。悲しいとき、泣いているとき、普通の意味では、幸せではありませんが、神さまはそういう人がいれば、一緒にいてくださり、慰めてくださる、とイエスさまは教えてくださったのではないでしょうか。

 今日はイエスさまはたくさんのことを言われたのですが、もうひとつだけ考えてみますと、イエスさまは、「憐れみ深い人々は、幸いである」とも言われました。

 憐れみ深い人々とは、悲しんでいる人びとがいたら自分も悲しくなって、その人びとと一緒にいよう、という気持ちになる人々だと思います。

 神さまが悲しんでいる人びとと一緒にいて慰めてくださるように、悲しんでいる人びとがいたら、神さまと同じようにはできませんが、その人びとと一緒にいようという心を持っている人びと。憐れみ深い人々とはそういう人びとのことではないでしょうか。

 そのような人々も幸いと言われていますから、神さまはそのような憐れみ深い人々とも一緒にいてくださるのではないでしょうか。

 神さまは、悲しんでいる人びとと一緒にいてくださいます。そして、悲しんでいる人びとと一緒にいる人々とも一緒にいてくださるのです。

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2018-10-15 [誤読ノート]447 「絵と文によって、聖書の世界に招き入れられる」

[]447 「絵と文によって、聖書の世界に招き入れられる」  「聖書の風景 小磯良平聖書挿絵」(岩井健作、新教出版社2018年11:19

 岩井先生は論客として知られる。とくに、社会におけるキリスト教会キリスト教徒のあり方について、おりおりに、鋭い見解を展開してこられたと聞く。

 どうじに、やさしい先生だ。集会の時など、「一緒に座りましょう」と声をかけてくださったり、一対一で話を聞いてくださる時間を作っていただいたこともある。

 だが、美術学校行きを勧められるくらいに絵心があり、絵画に造詣のあるお方であることは、この本を読むまでまったく存じ上げなかった。

 本著は、日本を代表する洋画家と呼ばれる小磯良平聖書の挿絵として画いた32枚について、著者の近代聖書学の知識、絵心、美術知識、小磯との交流(小磯は神戸教会員、岩井先生はその牧師だった)、そして、人間を観る神のやさしい眼差しへの感性を駆使しながら、書きこまれた一冊だ。

 小磯の挿絵では、よく母子がさりげなく描き込まれていたり、イエスを光源とした構図が用いられたりしている、という指摘はすばらしい。

 32枚の絵と岩井先生の編んだ言葉によって、文字通り、聖書が風景として浮かび上がってくる。

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2018-10-14 「採点しない神さまに感謝して、自分の成長を祈り求めたい」

[] 20181014 マタイ7:15-20 「採点しない神さまに感謝して、自分の成長を祈り求めたい」 08:43

 

 皆さん、おはようございます。外見は羊のようにやさしいのに、中身は狼のように怖い人がいます。ほんとうは、外見はどうであれ、中身が羊のようにやさしい人が、わたしたちの生きている世界では、求められているのではないでしょうか。

 ぶどうの木は、ぶどうという良い実を結びます。いちじくの木は、いちじくという良い実を結びます。ぶどうもいちじくも、それを食べる人に、水分や栄養分や味覚を与えてくれます。

 わたしたちも、ぶどうやいちじくのように、出会う人の心に、潤いやビタミンや、おいしい味わいをもたらすような人になれたら、それは、とてもすばらしいことです。

 わたしたちも、羊のように、出会う人の心に、やわらかさやあたたかさをもたらすような人になれたら、それは、とてもすばらしいことだと思います。

 イエスさまは、わたしたちにとって一番大切なことは、神さまを愛することと、隣人を愛することだと教えてくださいました。

 神さまを愛するとはどういうことでしょうか。それは、自分の力ではどうしようもない、自分を助けてくれるものは何もない、と思ってしまうようなときでも、神さまだけはわたしたちと一緒にいてくださり、支えてくださると信じることです。どんなに厳しいことが起こっても、もうだめだと思っても、神さまが道を切り開いてくださると信じることです。

 隣人を愛するとはどういうことでしょうか。それは、相手を傷つけないようにすることです。相手の気持ちを大切にすることです。自分が遠慮するというよりも、相手のことを大事にしながら、相手と向かいあうことです。

 わたしたちは、このように神さまを愛し、隣人を愛する人に、少しずつ成長できたら、それは、とてもすばらしいことです。

 しかし、ここで注意したいことがあります。じつは、神さまはわたしたちを採点しません。わたしたちがどれだけ神さまを愛しているか、どれだけ隣人を愛しているか。そういう採点をしません。採点の結果、わたしたちを不合格にすることもありません。神さまはわたしたちを採点することなく、受け入れてくださいます。それが神さまの愛なのです。

 けれども、わたしたちは、その神さまの愛に感謝して、少しでも、神さまを愛することができるように、隣人を愛することができるように、そのような目標を持ちながら、歩んでいきたいと思います。

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2018-10-13 「イエスは、自分を否定した弟子をも、否定することはありませんでし

[](104) 「イエスは、自分を否定した弟子をも、否定することはありませんでした」 15:40

 父は気の短い人でした。よく怒られ、怒鳴りつけられました。一方的にまくしたてられました。こちらの言うことには耳を傾けてくれませんでした。それでも、父が好きでした。父にほめられたかったし、話を聞いてほしかったのです。

 大学に入学したものの、まったく通わず、パチンコと麻雀で遊びほうけていました。二年からはしっかりやりなおそうと思ったものの、それも一か月と続きませんでした。このままだとどうしようもない。その大学を中退して、他の大学に再入学して一年からやり直そうと思いました。そして、そのことを手紙に書き、父に送りました。

 「おまえがそう決めたのなら、そうしたらよい」。これが父の返事でした。この言葉に救われました。厳しい父でしたが、ぼくがその大学に合格したことは、とても喜んでくれました。そこを中退することは、父を裏切るような思いがしましたが、父はぼくを赦してくれたのです。

 新約聖書によると、イエスが逮捕されたとき、弟子のペトロは、「イエスなんて男は知らない」と三度繰り返しました。じつは、イエスは、いわゆる「最後の晩餐」のあと、このことを予告し、「あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と語っていたのです。

 ペトロは、逮捕されたイエスに遠くからこっそりついて行きますが、ある人からイエスの仲間ではないかと問われると否定します。すると、鶏が鳴きました。

 その人から重ねて問われますが、重ねて否定します。まわりの人びとからも問い詰められますが、それでも否定します。そのとき、もう一度鶏が鳴きました。そのとき、ペトロはイエスの予告を思い出し、どっと泣き出しました。

 けれども、イエスはペトロのことを知らないと見捨てませんでした。イエスはこのあと十字架につけられ殺されますが、復活した、と聖書は物語ります。そのさい、天使が、「イエスは復活して、ガリラヤという場所で、ペトロを待っている」と告げるのです。

 自分のことを三度も否定したペトロを、イエスの方は否定することなく、赦したという美しい話を聖書は伝えているのです。

(マルコ14:66-72)

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2018-10-12 「神さまは、今日、今ここに生きているわたしたちに、聖書を通して語

[] 《創造者に導かれる旅》その93 「神さまは、今日、今ここに生きているわたしたちに、聖書を通して語りかけてくださいます」 08:08

申命記5:1 モーセは、全イスラエルを呼び集めて言った。イスラエルよ、聞け。今日、わたしは掟と法を語り聞かせる。あなたたちはこれを学び、忠実に守りなさい。5:2 我々の神、主は、ホレブで我々と契約を結ばれた。5:3 主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた。

旧約聖書が書かれたのは二千年以上前のことですが、神さまはそれを通して「今日」「今ここに生きている我々すべて」に語りかけておられます。わたしたちは、新約を含む聖書を、神さまが「今、わたしたちに」語りかけてくださる言葉として耳を傾けたいと思います。モーセが語る律法の中には、現代のわたしたち生活や価値観にはあてはまらないものもあります。また、わたしたち信仰は、「律法を守れば救われ、守らなければ救われない」ではなく、「神さまから離れるわたしたちをも、神は愛し、救ってくださる」というものです。それにもかかわらず、モーセの告げる「掟と法」の中心には、「今、ここでわたしたちが」耳を傾けるべき、神さまのみ言葉があると信じます。

今週の祈り「神さま、重荷を負う者を祈りの木陰にお招きくださり、まことにありがとうございます。神さま、ひとりひとり痛みや悩みを抱えています。どうぞ、あなたがそれを見、お癒しくださいますように。神さま、礼拝聖書の学びのために体調を維持してくださいと祈る友がいます。遠方や近くの家族を覚え祈る友がいます。現実が厳しくても勇気と希望を持てますようにと祈る友がいます。どうぞ、これらの祈りをお聞きください。神さま、み言葉に聞き、み言葉を伝えることで、教会が喜びに満たされますように。神さま、あなたが結んでくださる愛、喜び、平和、寛容、誠実、柔和の実を収穫させてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン

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2018-10-11 イエスさまはどんなことがあってもわたしたちを忘れません

[]20181014 マルコ14:66-72 「イエスさまはどんなことがあってもわたしたちを忘れません」 09:00

 皆さん、こんにちは。イエスさまは捕まえられて、裁判に連れて行かれてしまいました。お弟子さんのペトロさんは、自分も捕まってしまうかもしれないと、とてもこわかったので、ほかの人にあまり見られないように、こっそりうしろからついていきました。イエスさまのお弟子さんであったことが人びとにばれないようにしよう、それだけを考えていました。

 ところが、ある人がペトロさんを見つけて、「あなたは、あのイエスと一緒にいた人ですね」と言いました。ペトロさんはあわてて、「何を言っているのですか。あなたの言っていることの意味がわかりません」と言いました。その時、鶏が鳴きました。じつは、イエスさまは、ペトロさんに前もって、こう言っていたのです。「ペトロ、あなたは、わたしのことを知らないと三度言うよ。そのとき、鶏が二度目の鳴き声が聞こえるよ」

 つぎに、その人がペトロさんを見てもう一度言いました。「皆さん、この人は、あのイエスの仲間です」。ペトロさんは、今度も、「いいえ、そんなことはありません。わたしはイエスの仲間なんかではありません」と言いました。ペトロさんがイエスさまのことを知らないと言ったのは、これで二回目ですね。

 さいごに、人びとがペトロさんにこう言いました。「たしかに、おまえはイエスの仲間だ。おまえはイエスと同じガリラヤからやって来たではないか」。ペトロさんは、もう一度、「イエスなんて人は知らない」と言いました。ペトロさんがイエスさまのことを知らないと言ったのは、これで三度目です。

 その時、もう一度鶏が鳴きました。鶏が鳴いたのはこれで二度目です。このとき、イエスさまが「ペトロ、おまえはわたしのことを知らないと三度言うよ、そのとき、鶏の二度目の鳴き声が聞こえるよ」と言ったことを思い出して、ペトロさんはどっと泣き出しました。

 イエスさまのことを知らないと言ってしまったペトロさんは、どうなるでしょうか。今日はお話ししませんが、聖書を良く読むと、じつは、イエスさまはこのペトロさんを赦してくださるのです。

 ペトロさんはイエスさまのことを知らないと三度も言ったのに、イエスさまはペトロさんのことを忘れてしまったことは一度もなかったのです。

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2018-10-02 [誤読ノート]446 「人に寄り添う喜びと困惑」 「もう一人の博士」

[]446 「人に寄り添う喜びと困惑」 「もう一人の博士」(ヴァン・ダイク、新教出版社、1983年) 09:39

 タイトルは以前から知っていましたし、もしかしたら読んだこともあるかもしれませんが、昨年のクリスマスに友人が話題にしていて、今年のクリスマスはあたらしい絵とあたらしい文の絵本も出版予定とのことなので、この旧版を読んでみることにしました。

 作者は画家のアンソニー・ヴァン・ダイクとは別人です。

 「最悪にあまんじているよりは、せめて最善の影でも追うほうがましだ。不思議を見ようとのぞむ者は、しばしば、ただひとりで旅する覚悟をしなければならない」(p.24)。

 拝火教の高僧が主人公に語った言葉。たとえ影であろうと幻であろうと、最善を追い求め、世界の根底にあるもの、すなわち、真理を求める旅は、わたしたちにも求められていると思います。影には、陰だけでなく、光の意味もあるのですから。

 「信仰と愛情とのいたばさみになったときの、あの困惑」(p.53)。主人公は、探し求めているものに出会えば奉げようと、全財産を三つの宝石にして携えますが、道中出会った苦しむ人びとを支えるために費やしてしまいます。

 それは、けっして「愛」「慈しみ」という言葉の表面にあるうつくしさだけではありません。自分の一部を削って人を支えようとするとき、わたしたちには「いたばさみ」や「困惑」がつきものなのです。言い換えれば、愛情とは、喜びやきれいな心だけでなく、このふたつをも含むものなのです。それが語られているように感じ、かえっておだやかな気持ちになりました。

 なお、一緒に収められている「最初のクリスマス・ツリー」では、キリスト教以前のヨーロッパ宗教への蔑視が見られ、残念です。「もう一人の博士」では、反対に、(ユダヤから見て)東方宗教への敬意を示しているように感じたのですが。

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2018-09-22 誤読ノート445 「花も星も、言葉も行動も、すべては永遠と根源を指

[]445 「花も星も、言葉も行動も、すべては永遠と根源を指さしています」 09:24

「生きていくうえで、かけがえのないこと」(若松英輔亜紀書房2016年

 花の奥には何があるのだろうか。内側へと重なりあう花びらが収束する一点はどこにあるのだろうか。

 大地が芽を萌やし出す。湖の底にはこんこんと湧き出る泉がある。それらは、わたしたちの生きる世界とわたしたちにも、目に見えないがこれをつねにあらしめる根源があることをまざまざと物語っている。根源とは永遠の別名である。

 「生きていくうえで、かけがえのないこと」。これは、処世術ではない。かけがえのないことは、自分で獲得するものではない。言葉や花鳥風月を深くじっと眺めていれば、おのずと浮かび上がってくる根源と永遠のことだ。

 「書けないという実感は、自分のなかにある、容易に言葉にならない豊穣な何ものかを発見する兆しだともいえる」(p.134)。つまり、書くという言葉は「容易に言葉にならない豊穣な何ものかを発見する」ことを意味する。

  「何もの」とは何だろうか。「それは土に埋まった宝珠を掘り当てるような営み」(p.135)。マタイ福音書を思い出す。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」。「天の国」とは、まさに、目に見えない神、つまり、根源であり永遠なる存在にほかならない。

 本著には「ふれる」「聞く」「愛する」など、二十五の動詞が取り上げられている。そして、それぞれが「かけがえのないこと」を志向していることがつづられている。

 「『念う』は、念願、念仏という表現に見られるように、意識の彼方、私たちが心であると感じる場所の、さらに奥深くで『おもう』ことを意味する」(p.101)。

 「人が働くのは、死すら私たちから奪えない何かをそれぞれの人生で実現するためではないだろうか」「働くとは自己を見つめ、他者と交わりながら、魂と呼ばれる不死なる実在にふれることである」(p.83)。

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