2011-04-15
まほろ駅前多田便利軒/三浦しをん
まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.―ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。多田・行天の魅力全開の第135回直木賞受賞作。
三浦しをんについては若い女性だという以外にほとんど知らない。BLが好きだとか、エッセイが面白いとかいう風聞を小耳に挟んだことがある程度。
普通なら食指が動かないだろうこの作品、「まほろ市」として舞台となった町田市に住んでいるツイ友さんに薦められて、何か軽いのが読みたくなった時にいいかなと頭に残っていた。
たまたま父がこの文庫を買ったので、最近ヘーゲル入門書とかコムツカシイものを続けて読んでいたし、気分転換にいいかなと思って手にとった。
一気に読み終えた。面白かった。よく出来ている作品だと思う。平岩弓枝が直木賞の選評で「この作者の年齢の時、私はとてもこれだけの作品は書けなかった」と誉めていたのも納得の出来栄え。
文章はウェルメイドだし、キャラ設定もよく考えられている。
二人の主人公が抱える心の闇や傷、背負っているものについて、最初はほのめかし、やがて少しずつ明らかにしていくところの、じらし具合が、またうまい。
ネットでも指摘している人が多いけれど、石田衣良のIWGPシリーズとちょっと似たテイスト。
こちらのほうが「家族」をテーマにしている分、より普遍的なものを感じる。あちら(IWGP)は、シリーズ途中から完全に漫画になってしまってついていけなくなったけれど。
薦めてくれたツイ友さんが「万人に受ける作品だと思う」と言ってたけどまさにそのとおり。適度なドラマツルギー、魅力的なキャラ、ほろ苦くて、でも明るいラスト。
安心して薦められる一冊だ、と僕も思う。未読の人はどうぞ手を伸ばしてみて下さい。
以下、少しだけネタバレ感想を書きます。
「それからもうひとつ」
と凪子は言った。「向こう側に行かないで、と。じゃ、さよなら」
凪子の姿が雑踏のなかにまぎれるまで、その場にたたずんで見送った。やがて多田は凪子にはもう届かないことを承知のうえで、「はい」と小さく返事した。
多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている。だが、そちら側には行くなと凪子は言う。行ってはならないと。
ある大切なものを失った経験が、痛みが、暴力を産もうとする衝動。向こう側に行かないで。しかし人はささいなきっかけで、向こう側に行ってしまうものではないのか。
この作品では、「向こう側」に行きかけていた行天が、多田と出会うことでかろうじて踏みとどまる、そういう人間へと変貌する緩慢なプロセスを描いている。井上ひさしが直木賞の選評で「爽やかな成長小説」と言っている通りだ。
しかしでは、多田はどうなのだ。多田が抱える闇、痛みもまた、行天と同様に、宿主を向こう側へと突き落とそうとするものなのに、多田は、徹頭徹尾、こちら側から転げ落ちる気配がない。
随所に見られる多田の内省的なつぶやきが、多田の内面の傷の深さを暗示する。そして最後に明らかにされたその傷は、実際、想像以上に深いものだった。にも拘らず、多田はなぜ、向こう側へと誘惑されないのか。
血をよりどころにせず、つながった家族。
たとえ自分の子ではなかったとしても、多田は愛したかったし、愛されたかった。妻と子どもと幸せにやっていけるのだと、一生をかけて証明したいと願っていた。心から。
もし多田の子どもが生き伸びて、親子としての関係が続いたとして。
その親子関係が、行天を苦しめたような、暴力的なものにならないという保証は、どこにもないのではないか。作中で親を殺した女子高生のように、この生き延びた子どもが、多田を刺し殺す可能性は、排除できないのではないか。
そのように、人間の心は、常に「向こう側」へ転げ落ちそうな弱さを抱えているんじゃないのか。
最後に作者がほのめかして見せた再生への希望。美しい。感動的でもある。
でも、素直には受け入れられない。希望が再生する可能性どうよう、向こう側へ転げ落ちる可能性も、残り続けるはずだから。
作者はそれを、多田というキャラクターの秀逸な造形によってのみ、乗り越えようとしているように感じられる。多田ならば、なるほど、向こう側には落ちないだろう。しかしそれは、作者によって要請された予定調和ではないのか。
「生き延びた子どもを多田が虐待しないという保証はどこにもない。」
その可能性を隠蔽したラストシーンに、僕は素直に感動できなかった。それはこの作品の瑕疵ではないのかもしれない。
しかしそれでもなお。人間の心の闇はいつもつねに、あるはずだと思う。

