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市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 Twitter

  一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。


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−「真・庶民革命」特設ページ−
   名古屋市会議員報酬半減化、その裏にはなにがあったのか。
   議員報酬が議論となっている今、ぜひご覧ください。

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2016-09-19 豊洲の空洞とアジア大会の200億円

豊洲の空洞とアジア大会の200億円



 東京豊洲が大騒ぎになっている。

 小池知事の手柄という声もあるが、そもそも暴き出したのは都議会共産党だったのではないのだろうか?
 あの「空洞」が言われるほど問題があるのか、少々疑問に感じる。
 確かに、いまも舛添氏が知事で、共産党が空洞を暴いた場合、都の当局からマスコミにレクが入り、騒ぎは沈静化されていた可能性もある。紙面に書きもしない新聞社も有りそうだ。

 石原慎太郎都知事の関与も話題になっている。石原氏は<また>良く判らない事に鼻を突っ込んだのだろう。考えてみれば石原慎太郎という人物は、低い見識と半可通な知識をひけらかす事が多い。都立大学改革銀行に対する外形標準課税も、その後の新銀行東京の設置も。どれもこれも確たる哲学や信念もなく「改革」を行ってみて、莫大な損失を生み出している。

(私は、石原慎太郎という人物の作文能力も疑っているのですけどね
 http://web.archive.org/web/20060114070045/http://www.chiran1945.jp/ )

 
 それはともかく。

 あの「空洞」が言われるほど問題があるのか、少々疑問に感じている。
 ただ、あの「空洞」と同じようなものは、霞が関や各地方自治体にもありそうな気はしている。

 そもそも東京都が「盛り土」をせずに「空洞」を作ったことで、工費をケチったとして、そのお金が東京都役人様の懐に入ったわけではないだろう。都の役人やら、都議会のドンと呼ばれるような人たちが、一般に言われるような「公共事業による利益の配分」に預かれるのだとしたら(有ったとしたなら)工事費用は莫大に膨れ上がった方が良いだろう。「盛り土」を「空洞」にした経緯は不明だが、工費か工期を圧縮させるために、方針変更したのではないだろうか。問題は、その方針変更に担保をかけずにいたって事だろう。仄聞するに技術委員会とかいうところで方針変更をレクるなり、それが間に合わなかったのであれば、検討会議ぐらい再構成できなかったのだろうか?
 その辺りは、長い石原都政で都当局者もボケていた(横着になっていた?)ということなんだろうか。

 なんにせよ、首長が3期12年も居続けると、良い事は起きないという事か。


 豊洲移転問題は、土壌問題で、その土壌に関してはそんなヤバい物質を土にばらまいていた事業者がどこまでも責任を持つべきだろう。なぜ、そんな当たり前の話が出ずに、土壌改良の責任者が都であるということになっているのか、不思議でならない。

 土地取得の際、そのような責任を都が引き受けるということにしたのであれば、その事業者に対してはとんでもないほどの利益供与を行っているということだろうか。

 そして、その事業者マスコミの大スポンサーであれば、そこは誰も追求しないという事なのだろうか。

 また、豊洲移転というのは同時に築地の跡地利用という話題でもある。

 東京都の一等地、築地に巨大な穴が開くわけで、この開発が1月でも遅れれば、そこにかかる金利負担だけでも膨大なものになる。

 遅延に伴う損失を生み出した者は、荒川にでも浮かんで、APを1mm程度上げることになるのかもしれない。(ブラックだなぁ、久しぶりのわりに)

 なんにせよ、豊洲の地下の「空洞」を生み出し、それが生まれた経緯も今更説明しにくいような構図にしてしまったのは、工費か工期の圧縮圧力ではなかったのだろうか。

 日本の社会では、公共事業公的セクタの事業に対するこうした圧力は当たり前のようにあり、霞が関や各地方自治体においても人に言えない「空洞」を数々生み出しているのではと思えてならない。


 日本社会は2つの勘違いに束縛されている。

 一つは、「人口が減少すれば経済も縮小する」という思い込みだ。

 そして、実際に、日本の社会が人口減少に向かうにあたって、経済が縮小するという恐怖から、「公的セクタの債務国民負担しなければならない」という思い込み暴力的な結果を生み出している。


 以前ご紹介したMMT(モダン・マネタリー・セオリー)によれば、国や地方、公的セクタを賄っているのは「税金」ではない。公的セクタのオーナー納税者などではない。

(あえて言えば、すべての国民公的セクタのオーナーである。であるから、公務員は全体の奉仕者と言えるのだ。全体の内の誰が納税義務を負うかは、税制問題でしかない。また、国や地方という公的セクタは、納税者の「おかげ」で存続している訳ではない。逆に言えば、納税者の為に、公的セクタがその負担を軽減するというような考え方は誤っている。その酷薄な例は以前に掲げた、ナチスが行った障碍者に対する排除であり、先日起きた相模原の事件ではないか)

 国の通貨課税によって価値を生む。そして、国はその社会における富の偏在を課税によって調整すれば良いのだ。課税とはこの通貨の価値を生むためと、社会全体のバランスを整える為にあるのである。(こうした視点から見ると、河村流減税論がいかに幼稚でセコく。社会を歪めてしまうかが良く判る)


 国の財政家計に例えるのは誤りであり、財政均衡論も誤りだ。

 国家財政政策は、財政そのものを均衡させるためにあるのではない、国民生活を成立させるために先ず、あるべきである。

 昨日の中日新聞社説に「人口減にたじろぐ前に」との一文が載った。この社説吉川洋氏の「人口日本経済」という書籍が引用されている。残念ながら社説では論点地方分権にひん曲げて結論があらぬ方を向いているが、吉川氏の主張は至極単純で明快だ。

 人口が減ったからといって、経済も縮小することはない。こうした「人口減少ペシミズム(悲観論)」こそが思い込みでしかない。

f:id:ichi-nagoyajin:20160920004040j:image:w360:left ここに引用した表は同書の74ページに掲載されている表だが、1913年の人口と実質GDPを100として、1870年から1990年までの変動を比較したものだ。

 人口はあまり変わっていないのに、実質GDPが大きく伸びているのが判る。

 池田内閣所得倍増の頃から、GDPは急激な拡大を見せている。

 吉川氏は経済を拡大させるものは人口ではなく、イノベーションだと訴える。イノベーションが一人当たりのGDPを拡大させ、全体の経済を拡大させる。

 私は現代はイノベーションが停滞している時だと思っている。
 しかし、すぐ間近に巨大なイノベーションの波が来るのを感じる。

 一つはバイオテクノロジーの拡大による一次産業の変革だ。
 もう一つはティシューエンジニアリングなどによる医療や薬業の変革だ。

 この両者とも、高度に知識集約的で付加価値の高い産業となるだろう。
 そして何より、今まで人間には許されなかったような欲望を満足させ、有史以来存在しなかったような市場が発生するだろう。つまり、まったく新しいニーズウォンツを生み出すこともできるのだ。

 こうしたイノベーションがもたらされれば、どんなに人口が減ろうと気にすることは無い。また、こうしたイノベーション人口自体を増やしていくだろう。(人口は増やさなくても、労働人口/消費人口を圧倒的に増やすかもしれない。そうした産業でもある)

f:id:ichi-nagoyajin:20160920004041p:image:w360:left この図は同書の63ページに掲載されたものと同様の図表だ。
 ( 平成26年度予算案 ? ここ四半世紀では社会保障関係費と国債費の伸びが顕著 - 霞が関政策総研Blog by 石川和男(社会保障経済研究所代表) )

 昭和35年と、平成26年の国家予算の規模感の差が良く判る。

 国家財政と同規模の赤字を抱える、または借金をしようと言えば、大騒ぎになるだろう。しかし、昭和35年に、国家予算と同規模の借金を抱えたとしても、それは1.7兆円でしかない。平成26年になってみれば、1.7兆円など、1.8%のインパクトしか持たない。
 平成28年の今、100兆円程度の赤字を抱えようと、借金を生み出そうとも、健全な経済成長さえ実現できれば、50年後には、この100兆円など同様の芥子粒になる可能性もある。


 人口減少にたじろいで、行政に鬆を生じさせ、説明不能の「空洞」を生む必要はない。

 なんでもこの度、アジア大会に対して、名古屋市は200億円という予算上限を求めたそうだ。
 今度はこの200億円という数字、マジック・ナンバーに振り回されてしまう事になる。

 もしも、アジア大会の開催が名古屋に本当に必要であるのなら、このようなキャップは必要ないだろう。逆に、そのようなキャップが掛けられる根拠を立証できるのだろうか?

 この制限値にしても、論理哲学があって設けられたものでもないだろう。結局、市長知事のお互いの鞘当てにしか見えない。

 必要であるのなら、堂々とお金をかければよいのだろうし、必要が無いのであれば止めればいいのだ。中途半端な200億円という数字に捉われて、「空洞」を残してはならない。

 しかし気になることが一つ2つある。この決定のプロセスに、市民の民意は計られているのだろうか?

追記:気になることは1つではなく、2つだった。
もう一つ気になることはあるけれど、あえて今は書かない。


2016-09-06 「9月5日」

「9月5日」


河村市長がアジア大会誘致に関して騒ぎを起こしています。
余りにも唐突な河村市長の動きですが。

これは単なる空騒ぎの可能性があります。

今朝の中日新聞朝刊、紙面にそのヒントがあります。

9月5日は
リコール署名の締め切りでした。
名古屋市議会議員報酬正常化に伴う
議会リコール騒動は、
市民団体減税日本、河村市長の三者の思惑が交錯し、
混乱の中、全く振るわない結果となったようです。

これに伴う批判は当然、市長に寄せられるわけですが、
こうした話題からメディア視線をかわすために
アジア大会をダシに使ったのではないのでしょうか。

今週末にでもアジア大会誘致については
県との協議が整った、などと正常化させ、
リコール話題
この騒動に紛らせてしまうつもりなのでは?


追記:

前例 

御用納めの帳尻は - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0



と、こうした一文をここに掲載すると
どのようなリアクションが起こるか。


こうしたメディア操作はお手の物。
メディア操作の為なら他人のことなど顧みない
それが河村流です。
今回も、大村知事やJOCにとっては迷惑な話です

リコールとアジア大会、あまりに次元が異なる話題ですが。

この「振付け」に誰かが関与しているのでしょうか?
月曜日の朝に、スクープを打てた人が「振付け」た?

2016-08-13 日本人の生産性が低い理由

日本人の生産性が低い理由




 国家財政家計企業会計のように考え、均衡財政を求める考え方が間違っている事を述べた。それでも8月10日に財務省が「国の借金」を1053兆円と発表するや、新聞紙上には「国民一人当たり830万円の借金」というような表現が踊る。


 MMTの原則で考えると、政府収支と民間収支、及び貿易収支は足せばゼロになる。
 1950年からの累積貿易収支は232.4兆円。

 ( 財務省貿易統計 Trade Statistics of Japan
 こうした観点から見ると、国が貿易黒字を計上し続けるという事も健全性を疑う。貿易収支が黒字という事は、国外に財を持ち出しておいて、債権(紙切れ)に替えているだけ(特に償還できそうもない米国債など)なので、貿易黒字というのは喜ばしい事ではなく、富の流出/献上にしかなっていない)

 その差は820.6兆円(上場企業内部留保が550兆円だそうなので、非上場企業の滞留資金や個人の貯蓄などが270兆円ほどあるということだろう)

 借金だけ「国民一人当たり」で計算させて(負担を意識させておいて)
 その実、黒字については企業会計に滞留させている。(なら、国の借金についても国民法人で、それぞれいくら負担すべきかを計算すべきだろう)


 「国の借金」を「国民一人当たり」で割って意識させるような考え方が。この2〜30年ほど続いてきたように思う。こうした歪んだ報道の在り方、考え方が「国の借金を減らすべきだ」「行政は歳出を削減するべきだ」「子どもたちに借金を背負わせないために、小さな政府を目指すべきだ」という行き過ぎた考え方になり、やがて。


 「国家財政負担をかける障碍者など存在すべきではない」という錯誤にまで至ってしまったのだ。

 (日本はすでに世界でも有数の「小さな政府」である。 図録▽大きな政府・小さな政府(OECD諸国の財政規模と公務員数規模) )

 それでもなお、東京都知事選挙では、都の支出を抑えるために人件費抑制する、首長議員の報酬を抑制する。というような言葉が踊り、こうした文脈に居る上山信一が「都政改革本部」の顧問にむかえられるというのだからウンザリする。


 国や地方の歳出に占める公務員人件費の割合などさして大きくはない。しかし、毎年その歳出の拡大を生み出しているのは社会扶助費の増大だ。公務員人件費と社会扶助費の間には桁違いの乖離がある。
 増大する社会扶助費の費用を、職員給与の削減や、ましてや首長議員への報酬削減などで賄えるわけがない。そんな言葉は全くのまやかしだ。(まるで営業社員が売上目標の未達を、自分が買い取ることでカバーしようとするぐらいナンセンスで幼稚な言葉だ)


 国や地方財政に対する問題ポピュリスト上山信一竹中平蔵などの曲学阿世の徒を含む)と勉強不足のメディアが歪めて国民に伝えている間に、すでに次の問題が突き付けられつつある。

 私はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)など、日本の第三、第四の敗北であると考えている。日本の富を故なく米国に移転する(もっと判りやすく表現すると、日本米国に「たかられる」「カツアゲされる」)に過ぎない。

 米国内でも疑問に思われているTPPに、日本自身が前のめりになっている姿は属国の悲哀を感じずにはいられない。(この姿はまともな愛国者というものが日本から絶滅した証拠でもあるだろう)

 このTPPは日本医療制度や保険制度を徹底的に破壊するだろう。世界でも憧憬まなざしで見られる日本医療制度を、世界でも有数の過酷米国の制度に合わせようなどという発想は気が触れているとしか思えない。

 しかし、それに飽き足らないのが米国資本主義」というものだ。

 日本医療制度をいじる前に、その制度の弱点を利用して暴利を貪ろうという方針に変更したようにも見える。

 C型肝炎の特効薬として「ハーボニー配合錠」という薬がある。
 この薬は一錠で約8万円という高価な薬だ。

 治療にはこの薬を1日1錠、12週間投与する必要がある。12週、84日にかける8万円で、約670万円かかる。

 国の助成制度の対象になれば自己負担は2万円で済む。
 残りの約670万円(2万円程度値引いても「約670万円」には変わりがない)は保健制度が負担することになる。

 公的医療保険から「ハーボニー配合錠」の売り上げが移転することになる。

 ちなみにこの 「ハーボニー配合錠」を販売している会社は「ギリアド・サイエンシズ」と言い、2001年まで彼のドナルド・ラムズフェルド会長を務めていた会社だ。

 厚生労働省はこうした高額な医薬品の薬価を引き下げて抵抗している。

 ここで必要なのは薬価とはどうあるべきかという議論だろう。
 これは市場原理主義などで諮るべき問題とは思えない。

 確かに、優れた医薬品を開発したメーカー利益を認め、次の開発を促す事は全体の利益につながる。故にそうした利益をすべて取り上げる事は適当であろうとは思わない。しかし、こうした規模に現在の医療保険制度は十分対応できない。

f:id:ichi-nagoyajin:20160813130944j:image:w360:left 日本におけるCTスキャナの台数は国際的にみてずば抜けて多い。
 Health equipment - Computed tomography (CT) scanners - OECD Data


 だから「不必要にCTスキャナーを使っている」というような批判を生んでもいる。
 しかし、それが有ることが一概に悪いとは言えない。また、こうした社会的インフラの充実は今後も日本の優位性となるだろう。(ちゃんとしたマネジメントが為されればだが)

 こうした事柄も市場原理に任せてはならない。また、「専門家」と呼ばれる一方の利益代表であるような輩(前述したような曲学阿世の徒)に議論を任せてもならない。



 さて、こうした議論日本では十分できるものだろうか?

 甚だ疑問だ。「日本人はまともに政治の話ができるのか」まったく怪しい。
 (少なくとも、一橋大学慶応大学には失望する以外ない)

 (追記:
 慶応らしい政治家とは? 竹中平蔵が語る - NAVER まとめ  )


 f:id:ichi-nagoyajin:20160813130941j:image:w360:left例えば、「日本労働生産性が低い」という議論がある。
 この公益財団法人日本生産性本部の資料によれば日本労働生産性はOECD加盟国中21位であるという。
 http://www.jpc-net.jp/annual_trend/annual_trend2015_press.pdf


 スペインや、金融危機で騒がれたギリシャより日本は「労働生産性が低い」というのである。

 さて、こうした分析を受けてどういった議論が起こるか。
 「非効率なホワイトカラーの働き方」「勤勉さだけでは改善できない日本の低い労働生産性」「日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか」ちょっと Google に 「日本人生産性」という言葉を入れただけでこうした文章がヒットする。
 そして内容を見てみればやれ「労働の生産性を上げよ」だの「日本人は意欲に欠ける」だの「縦社会で非効率」だのといったどうでも良いような話ばかりだ。

 まるで戦中、竹やりを持ってB−29に対峙させた旧軍部を想起させる。

 挙句の果ては「解雇を自由化すべきだ」ときたもんだ。(確かに解雇を自由化すれば後述する理由から「生産性」は上がるかもしれないが、社会はそれによって毀損されるだろう)


 労働生産性の式なんて至極簡単だ。

        労働生産性 = 付加価値 / 従業員数

 OECDでは、1人1時間当たりの付加価値と、従業員数で計算している。

 もし企業解雇を自由化すればこの分母の従業員数が限界まで下がる、それによって労働生産性は押し上げられる。スペインギリシャ生産性が高いのは、雇用が壊滅的であるからという観測もあるようだ。雇用を今以上に流動的にすれば計算の上では労働生産性は上がるように見えるが、果たしてそれで全体的な総量は上がるのだろうか?下がるのではないだろうか。さらに、そうした流動性付加価値にもマイナスの影響を与えるのではないだろうか。(市場付加価値を認めさせるものは商品の希少性や優位性であって、それは商品に込められたナレッジベース(知の集約)でもある。頭の数が減れば、どうしても「知の集約」は毀損される)

 ところでこの付加価値をもう少し子細に検討してみよう。
 付加価値とは。

        付加価値 = 売上高 − 外部購入費用

 と定義される。

 この付加価値には人件費賃貸料、租税公課減価償却費営業利益等(及び知的財産権の使用料等)からなる。

 ・・・つまり、「人件費」を上げれば付加価値は上げざるを得ず、労働生産性もおのずと引き上げられる。OECDの資料にある、日本よりも労働生産性の高い国々は軒並み人件費が高い。逆に言えば日本におけるこの人件費の引き下げ傾向。(さらに、企業の過剰な価格競争)が、日本労働生産性を毀損させているのだ。(アルバイトを違法にこき使って、一皿100円だの280円だのといった廉価販売を続ける外食産業など、こうした合成の誤謬のさいたるものだ。そんな企業経営者をありがたがって国会議員候補に迎え入れる政党も正気を失っているとしか思えない。人物を見る目が無さすぎる。)

 「ホワイトカラーが非効率」だの「意欲に欠ける」だのと阿呆な能書きを垂れる前に、経営者経営者無能の証であるプライスレースから降りさせて、労働分配率を高めさせ、人件費を引上げることを提案した方が労働生産性の向上には直接的に寄与するだろう。


 アジア・オセアニア各国の賃金比較(三菱東京UFJ銀行)

 という資料がある。

 これを見るとまだ日本の労働賃金は高い水準にあるように思えるが、香港シンガポールの伸長を見るとこれがいつまで続くか不明だ。更に過去10年の上昇率を見ると、日本のマイナス値が際立っている。

 こうした賃金の下落が付加価値を引き下げ、結果として労働生産性を低く見せているに過ぎない。

 こんな簡単な理路を解せず、精神論をありがたがる。「竹やり経済学者」は要らないし、そんな言葉に引き摺られているようでは、国民の間にまともな議論が成立するとは思えない。

 さて、ここであえて問おう。なぜ議員報酬は半減しなければならなかったの?
 800万円でなければならないの?

 さあ、誰か説明して見せろ!