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2017-06-20 建築の素人の私を笑わせないでくれ

建築の素人の私を笑わせないでくれ


6月議会がはじまった。

名古屋市政における政治的課題はたくさんある筈であろうし、東京都議選挙などをにらめば、河村市長から何らかの耳目を引くような政策提案でもあれば面白いのだろうけれども、結局無しのつぶてだ。

明白なマニフェスト違反だと思うのだが、地域委員会についても止まったままで何も進展していない。また、減税政策についても、5%にとどまったままだ。東京都議選をにらめば減税幅を10%に広げて「地域経済に対する決定的な起爆剤」とすることができるのであれば、小池都知事減税日本に注目するのではないのだろうかね?(そうなっても単に景気減速効果が広がるだけなので、今のように中途半端なままが河村市長にとっても都合が良いのだろう)

名古屋城天守閣木造化にかける力と予算を全て「市民税減税10%実現」に注力すれば、この看板政策の実現ができるのではないのだろうか。なぜ、減税10%実現に向けた行動を起こさないのだろうか?・・・簡単だ、飽きてしまったんだろう。

地域委員会市民税減税は、当ブログでは批判し続けており、それらがまったく誤った政策であると理解しているので、河村市長自身が、理由は何であれ(飽きたにせよ)それらの政策を進めようとしない事は歓迎するところだ。

本来であれば、その他にもいくらでも名古屋市を見違えさせるような政策というのはあるだろう。(内緒だ)しかし、見事な事にそうしたものには目も向けず、相も変わらず「名古屋城天守閣木造化一本やり」というのでは芸がなさすぎる。(無くて良いのだけれども)

この6月議会には名古屋城天守閣木造化に対する寄付募集のための条例が提出されているそうだ。なんでも「ふるさと納税」の対象にもするという事だが。それは名古屋市外の納税者を対象にしたものだろうか?もし、名古屋市内の納税者を対象にしたものであるのなら、歳入段階で市の予算を名古屋城木造化に振り分けているだけで、「名古屋城天守閣木造化に税金は一切使わない」といった発言反故にするものではないのだろうか。(ふるさと納税は納税であって、寄付ではない。当たり前だが)

また、すでに指摘しているが、河村市長は常々「木造化された名古屋城天守閣は儲かる施設」「観光の決定的な起爆剤」などと主張していたはずだ。そのように単独収益性が見込めるものに、寄付は必要ないだろう。逆に、出資金でも仰いで出資額に準じて配当でも出せばよいのではないのか?(本音では、配当などとても出せないと理解しているのだろう)

この募金について、ある条件に照らせば違法なのではないかという疑義が生じている。
それについては某所に問い合わせをかけているところであり、回答が得られればまた公表してみたい。

さて、ともかくグリグリと進む名古屋城天守閣木造化だが、議論は生煮えのままだ。そういう意味では、地域委員会でも、減税政策でも議論は生煮えのままだ。

河村市長提案について、議論は常に生煮えのまま話が進む。
民主的議論や熟議など成立しない。全て反対者が「呆れて」しまった結果に過ぎない。
この問題においては、名古屋城天守閣を木造化するという課題に対して、2つの側面で議論を展開してきた結果、論点がぼやけてしまったのだ。

つまりは「観光的側面(収益性)」と「文化的側面」だ。

最初、この問題が持ち上がったのは、名古屋市議会においてだった。減税日本ナゴヤの市議が、名古屋城の改修について、文化庁天守閣を建て替えるのであれば木造化以外認めないと言っているという発言を行った。しかし、その後の市当局からの問い合わせで、文化庁からはそのような意向がない事が明確化している。*1

その後その論点は工費と収益性にかかっていった。

つまり、幾らかかるのか。名古屋市負担はどの程度なのか。
けれども、このコストに対して、観光面でプラスがあるのではないのかという論点だ。
これを「観光的側面(収益性)」の論点と呼んでおく。

現在、この建築コストはおよそ504億円という事になっていて、
収益性は360万人の来訪者が50年ほど続くだろうという予測が主張されている。
しかし、こんな来訪者数は常識的に疑問がある。このようないい加減な事業は実施できないだろう。

すると、別の論点提示される。いわく「名古屋市民の誇りを作る」「国宝の本物再現」であるというわけだ。

つまり、文化的に価値が高いものであるのなら、直接的な収益性は二の次にしてでも復元する価値があるだろうという主張だ。この論点を「文化的側面」と呼ぶことができる。そして、この文化的価値は個々人によって異なり、極めて主観的議論に乗りにくい。(その一つの客観的基準は、すでに提示した「ヴェニス憲章」に求められるべきだろう)


それではと、文化的側面の議論をすすめるために、木造復元、木造レプリカ国宝認定されたり、世界遺産と認められるだろうか。そのような先例があっただろうか。このように疑問を提示すると、「名古屋は来たくない街と言われている」というような「観光的側面(収益性)」の論点議論がずれる。(典型的な論点そらしの「詭弁」。それも小学生の口げんかレベルのそれだ)

河村市長との対論が困難で、この問題について議論が生煮えのままなのは、この2つの論点の間を、その場その場で往きつ戻りつしていたおかげだ。その為、疑問点は解決されないまま、どんどんと増えている。

そして、いよいよ事業者が決定されて設計が緒に就くに及んで、もう一つの側面が眼前に現れている。

それは建築物としての「安全性」の側面だ。

河村市長という人物は、この「安全性」など考えてこなかったのだろう。
考えたというのであれば、現天守閣耐震性に対して、懸念が示された2008年以降、今に至るも何も手を打たなかった理由が不明だ。などと追求すると、河村市長は「いや、その危険性を伝えるために看板を設置した」とかいうだろう。小学生程度の言い訳だ。その反論は虚しい。この看板を設置した直後に、河村市長名古屋城天守閣で大みそかイベントを開催し、徹夜で入場者を迎え入れている。初日の出の時間には入場制限が行われるほどの盛況だったそうだ。

自ら、耐震性能が不足しているという告知をした建物に、多数の来場者を呼び込むイベントを開催する。このアンビバレントな行動は(以下自粛)

名古屋城天守閣木造化について、「観光/収益性」「文化的側面」「安全性」という3つのカテゴリーでいくつもの疑問点が放置されている。

私が整理したところ、それはおよそ29ある。


論点(ナンバリングされているものだけ抽出)

1)現天守を守る民意はないのか
2)現天守閣こそ残すべき文化財ではないのか
3)博物館機能喪失
4)文化的価値のある遺構としての名古屋城跡とは石垣とお堀である
4−1)竹中案では仮設施設の設置のための発掘調査が盛り込まれている
4−2)石垣を5mほど取り崩して構造を変える建設案である
5)行政整合性名古屋城跡全体整備計画との整合性

6)そもそも実現可能なのか?
7)違法建築ではないのか
8)消防法との整合性(木造でありかつ二方面脱出可能な構造とは)
9)バリアフリーにできるのか
10)出入りできる範囲は?
11)木造復元と石垣の補修改修の順番(及び費用)
12)採光はどうするのか?
13)通電するのか?
14)年間360万人の来訪に耐えられるのか?

15)設計条件の実現性
16)内部構造を示す資料は現存していない
17)現存する実測図面の中でも矛盾する記述がある
18)伝統工法(可能か工費の問題:本丸御殿などの柱、梁では鐇は使われていない)
19)釘は復元されるのか(竹中提案では一部しか使われない、寿命が短い)
20)国内材は手に入るのか

21)新国立競技場の建設とかぶる(木材が高騰するのでは?)
22)熊本城の再興の邪魔にはならないか
23)なぜ今なのかという問題

24)追加工費は発生しないのか
25)収支計画現実性
26)ランニングコストは考慮されているのか
27)復元木造レプリカ文化的価値はあるのか
28)有権者に対する説明責任は果たされているのか。
29)木造化は名古屋市民の民意なのか


この29の論点全てをここに書きとめることはできないが、比較的決定的な「(8)消防法との整合性」について、最後に指摘しておく。

先日、ロンドン高層マンション火災が起きた。火災の恐ろしさを改めて認識させられる出来事だった。

日本において建築物には「二方面脱出経路」が要求される。
どのような建物でも、2系統の階段が準備されていたり、マンションなどではベランダに階下への脱出口が設置されている。ある意味では防犯上のリスクを伴っても、こうした住民間の協力は欠かせない。

現在の名古屋城天守閣において、来訪者が不満におぼえるのは東側に設置されたエレベーターだ。だれしもが折角の景観が台無しだと残念がる。しかし、名古屋城天守閣は3方向が石垣と内堀に囲まれており、小天守に繋がる出入り口以外に脱出経路を設けようと思えば、あのような設備を付ける以外に方法がない。


さて今回、この天守閣を木造化するという竹中工務店技術提案書が公開されている。

名古屋城天守閣(木造復元)について:名古屋城公式ウェブサイト

PDFダウンロード(株式会社 竹中工務店 名古屋支店 技術提案書)

f:id:ichi-nagoyajin:20170620142451j:image

この提案書の33ページに火災発生時の避難経路について描かれている。「4〜5層にも木造階段を追加し、各層すべて2ケ所ずつの階段を設置」などと書かれているが、肝心の避難経路、出口に関しては小天守を経由するようなルートしか描かれていない。

これで小天守から出火し、天守閣に延焼するような火災が発生した場合、どう脱出させるのだろうか。

「地上から5層の窓まで約40m(50m級はしご車での消防活動可能)」であるとか。
「各層の格子窓を破壊してのはしご車による救助活動が可能」などとも書かれている。

私は素人だが、それでも判る。

年間360万人の来訪者を受け入れるという事は、1日で1万人だ。10時間にならしても一時に千人からの入場者が居るだろうと推測される。その千人をはしご車避難させるつもりだろうか。更に言うと、天守閣は上部に向かって円錐構造になっている。下層階で出火すれば、上層階にかけたはしご車の梯子は、バーベキューの金網のように火にあおられる事になる。そんな救援が可能なものだろうか。

そしてこれは決定的だが。名古屋城天守閣の内園、天守閣の横に、その「50m級はしご車」とやらをどうやって持っていくつもりなんだ?

「観光的側面(収益性)」
文化的側面」
安全性

その全てを満足させることはできない。そうした場合、切り捨てられる事柄価値観を持つ人々に対して、説明責任を果たし、納得してもらうのがリーダー、政治家の役目だ。

安全性」と「文化的側面」は(まだ)両立可能だ。
「1分の1スケール、木製模型」として、本当の本物復元をしてしまい、入場者を受け入れなければいい。それは「建築物」ではないので現代の「安全基準」は考慮する必要がない。

しかし、立ち入り不可能な木造天守閣であるのなら、外見だけ満足させるのであれば。現在の天守閣と何がどう異なるのだろうか。*2

矛盾と不合理の塊。まさにルートヴィヒ2世の城。狂気産物だ。


*1減税日本ナゴヤは、この議員がこのような誤った発言市議会でする事となった理由を、調査追及するべきだろう。減税日本ナゴヤには「嘘」を伝える者がいる。その「嘘つき」が、この議員文化庁意向を誤って伝えたのである。この「嘘つき」との付き合い方を考えないと、減税日本ナゴヤはまたまた市議会において「嘘」発言することにもなりかねない

*2:木造レプリカでは無理だが、現在の鉄筋コンクリート製天守閣であれば、きちんと手続きさえすれば「登録有形文化財」として即座に認定される可能性がある。そういう意味では現天守閣の方が「文化的側面」でも価値が高い

2017-05-26 豊かなメッセージ

豊かなメッセージ


今日は歴史の話をしてみたいと思います。

まず最初は江戸城天守閣の話。

ご存じのように江戸城跡(現在の皇居)に天守閣は現存していません。それどころか江戸城において天守閣は慶長11年(1606年)の慶長期天下普請から 明暦の大火(明暦3年:1657年)まで約50年しか存在していません。(太田道灌のそれは考慮しない)

明暦3年(1657年)から明治元年1868年)までの211年間。江戸時代において、そのほとんどの期間、江戸城には天守閣は有りませんでした。明治元年1868年)の江戸城開城においても「城」として扱われていますし、今に至るも「廃城」は行われておらず、皇居としてその機能は果たされています。

「城」という場合、天守閣だけに価値を置く見方は特殊であると認識すべきでしょう。

明暦の大火(振袖火事)で江戸の町は大半が焼け落ちました。江戸城天守閣を失ったのですが、この時江戸幕府実質的なリーダーは保科正之であった。

保科正之は大火を受けて、16万両の御用金を支出して被災者の救援に充てた。幕閣の間からは「それではご金蔵がカラになってしまう」と危惧する声も上がったが、保科は「幕府の貯蓄はこういう時に使って民衆を安堵させるためのもの」と一喝したという。

また、保科は災害後の物価高騰を抑制するために米価の上限を決め米の確保に力を注いだ。更に、参勤交代江戸に向かう大名をとどめ、江戸にいる大名も領国に返した。こうして江戸市中における米の需要を抑制し価格の安定に努めた。

保科は街の再建にあたり防災観点も加えた。それまで日本城下町は敵の侵入を防ぐために道路をせまく、複雑に造られていた。しかし、火災の延焼を防止するために街のそこここに空き地や広い小路を備えさせることとした。上野広小路などの地名はこの時にできたものだ。(戦後名古屋街づくりもこれを手本にしたものかもしれない)

さて、そうした中、幕府内で江戸城の再建が課題となった。
ここで保科正之江戸城天守閣の再建に敢然と反対を表明する。

「思うに天守閣と申すものは、戦国の世の織田右府(信長)の建てた安土城に始まると思われるが、これが軍用に多大な利点を発揮した例は史書に見えませぬ。いわば、ただ世間を観望いたすのに便利というだけの代物なれば、さようなものの再建に財力と人力とを費やすよりも、むしろ町屋の復旧に力を入れるべきでござろう」(『保科正之中村彰彦中公文庫

天守閣は権力と権威象徴であり、当時の常識ならその再建は最優先課題だったといってもおかしくない。保科はそれを否定したのである。まさに、国難に直面し、優先順位を明確にして復興に取り組んだのだった。これ以降、江戸城において天守閣は再建される事は無く、それは今に至るも続いている。江戸城における天守閣の不在は、仁心無私の政治家保科正之の事績を雄弁に語り継いでいる。


もう一つの話題は19世紀にくだります。また、場所もドイツバイエルン地方に飛びます。ドイツロマンティック街道の一角にあるノイシュヴァンシュタイン城の歴史です。

ノイシュヴァンシュタイン城は美しいお城で、カリフォルニア香港にあるディズニーランドの眠れる森の美女のお城のモデルの一つとされているそうです。しかし、このノイシュヴァンシュタイン城政治外交的目的の為に造られた城ではありません。歴史的必然性という意味は何も備えていない建築物です。

その城を築城したルートヴィヒ2世の趣味の為だけに造られた城であって、ある意味、こうした文化的文学的、或いは精神医学文脈から捉えられる建築物となっています。

1864年、ルートヴィヒ2世バイエルン王となる。しかし、王としての執務を嫌い、幼い頃からの夢だった騎士伝説を具現化すべく、中世風のノイシュヴァンシュタイン城など豪華な建築物に力を入れるようになった。王としての執務を省みないルートヴィヒの行状に危惧を抱いた家臣たちは、1886年6月12日に彼を逮捕廃位した。ルートヴィヒは翌日シュタルンベルク湖で、水死体となって発見された。

その知らせを受けたエリーザベト皇后は「彼は決して精神病ではありません。ただ夢を見ていただけでした」と述べたそうだ。

ルートヴィヒが亡くなった時点で、ノイシュヴァンシュタイン城は未完成のまま建設工事は中止された。元来実用性の乏しい施設であったが、公的施設として用いられることはなかった。一見すると伝統的な建築方式で造られているように見えるが、石造りではなく鉄骨組みのコンクリート及びモルタル製で、装飾過多であり、耐候性や耐久性も低かった。実際の住居としての居住性はほとんど考慮されておらず、施設としての実用性は無視された設計になっており、居住にも政務にも、もちろん軍事施設としても不向きな城であるとされる。

現在も単なる観光施設でしかない。文化的価値は、このルートヴィヒ2世の狂気を据えないと理解できない。

形だけのレプリカであり、それだけに模倣しやすいのだろう。上で述べたようにディズニーによって模倣されたり、そのものずばりの模倣もある。日本でも兵庫県姫路市レプリカが建っている。

姫路の観光スポット 太陽公園|石の文化と歴史・新しい福祉

もしも、もしも名古屋城天守閣が木造復元されて、それが50年間360万人もの観光客を呼ぶ一大人気スポットになったのなら、各地の城址はこぞって木造復元する事だろう。そうなれば、先鞭をつけた施設は陳腐化し、来訪者は減るだろう。レプリカレプリカは造りやすい。易々と名古屋城天守閣が木造復元できるのであれば、各地がそれに追従しない謂われはない。


「歴史好き」と「歴史から学ぶこと」は別だという事が判った。
歴史が好きでも、歴史から学ぶ事が出来ない人はいる。

または、歴史から、その事跡そのものを受け取ろうとするのではなく、
ルートヴィヒ2世のように、自分に好ましい部分だけを、抽出し、創出する者も居る。
(まさに歴史修正主義であり、歪んだものの見方である)

この名古屋において、今(この平成の御代に)名古屋城天守閣を木造復元すべきか、または、昭和34年に復元された現天守閣を残すべきかという議論がある。

(と思う。残念なことに、名古屋市はこうした議論を汲み取っていない。現、名古屋城天守閣の鉄筋建築物は、昭和実測図や金城温古録に示された形状を模した(本物そっくりの)復元建築物であり*1、同様に鉄筋構造で復元再建された、大阪城天守閣登録有形文化財とされている例に倣えば、2025年前後には同様の認定がされる可能性もある。こうした議論も、名古屋市の当局の中では行われていないというのはどうした事なのだろうか)

とにかく、木造復元が良いのか、現天守閣を残すべきなのか。その両者の選択価値観の相違であり、基準など無いという人がいるかもしれない。つまり、どちらも価値として等価であり、時の為政者権力者既得権者の恣意的判断や、時の市民の民意*2で決めればよいとでもいうのだろうか。

そうした考え方は誤りだ。

歴史的建造物や、文化的遺構に対しては、国際的合意があり、それは国際的な、そして時代を経た議論の末に導き出された合意である。それが「ヴェニス憲章」と呼ばれるものだ。その前文には次のように訴える。

ヴェニス憲章
―記念建造物および遺跡保全と修復のための国際憲章―

前文

世代もの人々が残した歴史的に重要な記念建造物は、過去からのメッセージを豊かに含んでおり、長期にわたる伝統の生きた証拠として現在に伝えられている。今日、人々はますます人間的な諸価値はひとつであると意識するようになり、古い記念建造物を人類共有の財産とみなすようになってきた。未来の世代のために、これらの記念建造物を守っていこうという共同の責任も認識されるようになった。こうした記念建造物の真正な価値を完全に守りながら後世に伝えていくことが、われわれの義務となっている。

そのため、古建築の保存と修復の指導原理を、国際的な基盤にもとづいて一致させ、文書規定し、各国がそれぞれの独自の文化伝統の枠内でこの方式を適用するという責任を取ることが不可欠となった。(後略)

http://www.japan-icomos.org/charters/venice.pdf

例えば歴史的建築物や遺構は、各地において災害の可能性を住民に知らせていた。また、各地における町名や地名はその地域の来歴を雄弁に物語る事も有る。将に歴史的な文物は「過去からのメッセージを豊かに含んで」いるのだろう。

それらは「人類共有の財産」であり、何人も私的に歪めて良いという物ではない、何人もわたくしして良いという物ではない。そして、こうした歴史的な文物の「真正な価値を完全に守りながら後世に伝えていくこと」が文明の果実を享受している人間の責務であり、そうした価値を省みない者は文明的存在とは言えない。

このように前文は現代における人類の共通認識を明文化している。

我々は、歴史的文物に向き合う際には、個々の個人価値観(主観)に固執するべきではなく、こうした国際的歴史的議論の帰結である「客観」に従うべきだろう。それが国際社会の中での自分、歴史的経緯の中での自分を再認識させ、そうした空間的、時間的自己認識を得ることで、はじめて目の前の文物の価値を理解することができるし、そうした文物をどのように扱うべきかを理解できる。こうした思想的立脚点を欠いたまま、その文物に対峙しても、その理解は浅薄で歪んだままと言う以外にない。


さて、では人類の共通認識は、今回の名古屋城天守閣木造化復元についてどのようにジャッジを下すのであろうか。

発掘

第15条

発掘は、科学的な基準、および、ユネスコが1956年に採択した「考古学上の発掘に適用される国際的原則に関する勧告」に従って行われなければならない。廃墟はそのまま維持し、建築的な特色および発見された物品の恒久的保全、保護に必要な処置を講じなければならない。さらに、その記念建造物の理解を容易にし、その意味を歪めることなく明示するために、あらゆる処置を講じなければならない。しかし、修復工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである。ただアナスタイローシス、すなわち、現地に残っているが、ばらばらになっている部材を組み立てることだけは許される。組立に用いた補足材料は常に見分けられるようにし、補足材料の使用は、記念建造物保全とその形態の復旧を保証できる程度の最小限度にとどめるべきである。



明確だ「修復工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである」
原文を見ると次のようになっている。

'All reconstruction work should however be ruled out "a priori." '

a priori 「アプリオリ自明なことだと言っている。

つまりどういう事だろう。

名古屋城の歴史をもう一度振り返ろう。江戸幕府、徳川政権が確立してから、その権威を示すため、西国への備えとして名古屋城天守閣は整備された*3。勿論、城としての戦闘の為の機能を備えた建築物だったが一度も実戦に使われることなく、*4平和のまま江戸は終わる。

武士の世が終わり、戦争の姿が変わるにつれ、名古屋城の価値も変わる。戦争の為の、政治の為の建築物の価値は失われ、文化的価値だけが認められ国宝とされる。

しかし、日本軍国主義化の帰結として、大空襲を受け、その城下町たる名古屋とともに焼失される。

その後、戦後の焼け跡から街が復興するに軌を一にするかのように遺構の上に鉄筋で再建される。
その建築費の三分の一は城下町名古屋の市民からの寄付による再建であった。

ヴェニス憲章」に照らし合わせれば、本来天守閣が焼失された段階で再建すべきでは無かったのかもしれない。歴史的な事実としては、第二次世界大戦における焼失までが歴史であるともいえる。

しかし、その失われた遺構である名古屋城天守閣(と、金の鯱鉾)を再建したという事は、名古屋と言う街のアイデンティティを(歴史的に)表す事ともいえる。

つまり、今の天守閣そのものが歴史の証人であり、その姿に耳を傾ければ、名古屋の街の「過去からのメッセージを豊かに含んで」いることは明白だ。

ちなみに、大阪城天守閣は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリートで再建されている。
そして、1997年、登録有形文化財とされている。
同じ鉄骨鉄筋コンクリート名古屋城が再建されたのは1959年(昭和34年)だ。
大阪城に倣うと、2025年には名古屋城天守閣登録有形文化財とされるのではないのか?

2025年に登録有形文化財とされる現名古屋城天守閣は、戦国江戸の事は何も語れない。
その当時には無かったのだから。
しかし、その時期を経た姿に、城下である名古屋の市民がどのような愛着を持っていたかは雄弁に語るだろう。
それが、鉄骨鉄筋コンクリートとなっても、無理にでも再現された外見に現われている。

そして、戦争の災禍から立ちあがった名古屋の市民が、名古屋の街を再建するシンボルとして名古屋城天守閣を捉えていた事も語ってくれる。それが最上階の窓の設計だろう。国宝として再建するのではなく、新生なった民主国家日本として、市民/国民が誰でも天守閣の最上階に上る事が出来て、名古屋の街を眺める事が出来る。民主的な展望施設として再建された、その歴史を刻んでいるのである。

今、この平成の世に、歴史的必然性もなく、ろくな議論もないまま
この歴史的価値を持つ天守閣を破壊し、木造のレプリカを造ろうという蒙昧には、ルートヴィッヒ的狂気しか感じられない。

100年後、或いは、この建造費の負債に追われる名古屋市民に、この木造天守閣はどのように写るのだろうか。私たちは、この100年後の子孫に、どのようなメッセージを送ることになるのだろうか。


*1:最上階の窓は独自の改造が施されている:後述

*2:しかし、財政負担は数十年後の市民が被る事になるのではないのか

*3:最終に造られた天守閣としてその規模、建造に対する技術の集約は最終形態を迎える

*4:追記:とうぜん、この「平和のまま」というのは、名古屋城にとってはという意味で、明治維新が平和的に行われたという意味ではない

2017-05-12 名古屋城天守閣木造化契約についての疑義

名古屋城天守閣木造化契約についての疑義


前回のエントリーで書きもらしていた事がある。
今回の市長選挙で河村市長は得票を伸ばしているという分析があるが、
これは全くの誤りだと考える。
そもそも、得票を「伸ばす」要因があるように思えない。

今回の得票が 454,837 であり、前回は 427,542 その差は 27,295 になる。
この差の要因は、前回の市長選挙が「減税日本」に対する批判の中で行われた事を想起すれば理解できる。
河村市長は今回得票を伸ばしたわけではなく、
前回、あの騒動が3万票弱の失点につながったに過ぎない。

そして、ヒトの噂も七十五日。であったという事なんだろう。

ブログは河村市長不作為批判してきたが、
河村市長にとって最良の策は「何もしない事」なんだろう。

さて、名古屋城天守閣木造化が本格的に動き出した。

この一連の契約と、それに伴う公費の支出について、
以下のように違法であると考えるが如何だろうか?

今回の名古屋城天守閣木造化について、名古屋市は「公募プロポーザル」を実施した。

 名古屋城天守閣整備事業にかかる技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募型プロポーザルを実施します。:名古屋城公式ウェブサイト

この中の「業務要求水準書」を見ると。

 公募型プロポーザル業務要求水準書(PDF)


「第2節.主な設計条件 」の中の「 建築基準法」に次のような「要求」が記載されている。

建築基準法第 3 条第 1 項第四号による認定を条件とする」

今回作成される木造天守閣
建築基準法第 3 条第 1 項第四号」に適合し、認定されなければならない。

では、同条項とはどのようなものか、引いてみよう。

建築基準法第 3 条第 1 項
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO201.html

適用の除外)
第三条  この法律並びにこれに基づく命令及び条例規定は、次の各号のいずれかに該当する建築物については、適用しない。

一  文化財保護法昭和二十五年法律第二百十四号)の規定によつて国宝重要文化財、重要有形民俗文化財特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物

二  旧重要美術品等の保存に関する法律昭和八年法律第四十三号)の規定によつて重要美術品等として認定された建築物

三  文化財保護法第百八十二条第二項 の条例その他の条例の定めるところにより現状変更の規制及び保存のための措置が講じられている建築物(次号において「保存建築物」という。)であつて、特定行政庁建築審査会の同意を得て指定したもの

四  第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの


さて、この「四」は次のように定められている。

第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの」

つまり、第一号か第二号に掲げられている建築物であって、その原形の再現を企図したものであると認められるように謳っている。

さて、では今回、復元される名古屋城は、この条件に当てはまるのだろうか。

第一号の条文を見てみよう。

文化財保護法昭和二十五年法律第二百十四号)の規定によつて国宝重要文化財、重要有形民俗文化財特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物として指定され、又は仮指定された建築物

残念ながらオリジナルの名古屋城昭和二十年の空襲によって焼失している。

名古屋城は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝とされており、国宝保存法は文化財保護法に引き継がれているので、焼け残っていれば国宝としてこの条項に適合するだろうが、焼失とともに失われたのであって、この条項には当てはまらない。当然、文化財保護法は「名古屋城天守閣」について何も言及していない。

逆に、文化財保護法では名古屋城跡は「特別史跡」に指定されている。「特別史跡」の意義は「次に掲げるもの(2.城跡)のうち我が国の歴史の正しい理解のために欠くことができず、かつ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術上価値あるもの」としている。当然、名古屋城天守閣が失われた名古屋大空襲も「我が国の歴史」であり、それによって天守が焼失したというのは「正しい理解のために欠くことができ」ない事実である。さらに、その後、市民の声と浄財によって焼失されない鉄筋のレプリカ天守が再建されたことも、歴史的事実である。これらを踏まえて全てが歴史的遺構と考えるべきなのではないだろうか。(大阪城の例を参考にすれば、鉄筋コンクリート造りの現天守閣は、後8年ほどで有形文化財とされる可能性がある)

さて、第一号には適合されない。では、第二号に適合するのだろうか?

「旧重要美術品等の保存に関する法律昭和八年法律第四十三号)の規定によつて重要美術品等として認定された建築物

上で述べたようにオリジナルの旧名古屋城天守閣は旧国宝保存法(こくほうほぞんほう、昭和4年3月28日法律第17号)によって国宝として認定されていたのであって、この条項にもあたらない。

さてさて。

名古屋市も意地悪な事をする。

まるで「UFOを捕まえて、屋根に飾る事」と言っているのに等しくないだろうか?

この要求仕様を引き受けて「できます!」と応えた事業者というのは「UFOを捕まえられる!」と言っているに等しくないだろうか。

(以上、主に Facebook 上での議論を元に再構成してみました)




「地方行政研究会(仮)」第一勉強会

日時:5月13日(土)
お昼の部:13時より(第2和室、2時間程度)
夕方の部:17時より(第1集会室、2時間程度)

場所:北区、北生涯学習センター




参加費用:無料
参加資格:無し減税日本関係者、河村政治塾塾生、ナゴヤ庶民連、河村サポーターズ、ネットワーク河村市長関係者等々優遇(って、別に何も遇するものは無いけど))

ルール
1.事実を元に語ること。
2.主観の押しつけはしない。


※録音、録画は禁止。当方も録音、録画は致しません。