市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「定常型福祉社会」の曲解


 減税日本ゴヤの市議たちに市議としての仕事は無理だろう。それはなぜかというと彼等には議論をするスキルがそもそも無いからである。議論をし様々な意見の中から論点を集約してその論点の来る価値観を浮き出させる。その後に相異なる価値観の内のどれかを選択するという作業が政治における議論の期待される機能であって、そのような認識を彼らは持っていないし、それを行うスキル、資質が無い。

 結局、会派内でそのような討議を行っていないから10月24日の請願審査に伴う委員間討議において、議員間で意見がバラバラであるし、酷い場合には議員間の主張が矛盾する。
 また、たとえば松山市議や山田市議が「減税政策は防災政策よりも優先事項である」という主張をしたことを、富口市議が認識できていないというトンチンカンなことが起こる。

 まったく緊張感がない。

 歳費を返してくれ。

 そもそもこの財政福祉委員会で取り上げられた請願は、請願50号で、その内容については既に徹底的に批判した。
 一つの文章の中で自己撞着を起こしているような酷い文章で、わざわざ歳費を浪費してこうやって委員会を開催して審査するに値するのだろうかと思われる。少しは内部討議して矛盾点と事実誤認ぐらいは除外してくれないと時間の無駄、人件費の無駄遣いだ。

 はっきり言って同じ減税を請願するのであれば、このような没論理のノウガキを並べるよりは「金が欲しいから減税してくれ」とはっきり主張されたほうが説得力がある。

 是非この請願については88名の署名者、26人の紹介議員と共に本文をアクリルの板につめて図書館の玄関脇にでも置いておいて欲しい。笑えるから。

 この文章は「河村サポーターズ 代表世話人 船橋 旭」が書いたのであろうが、この人物は「ナゴヤ庶民連」のメンバーでもあり、減税日本ゴヤの顧問でもあると言う。

 そして、先のリコール署名収集の請求代表者でもあって、今のようにリコール署名簿が流出しても、謝罪はおろか一切市民に釈明のコメントすら出していない無責任な人物であることを申し添えておく。


 正直言って、この請願を書いた人物。
 そこに「持続可能な定常型福祉社会を目指す時代だからこそ減税が必要である」という文言を埋め込んだ人物は「定常型福祉社会」の意味を良く判らないまま利用している疑いが濃厚である。そして、こういう文言を良く判らないまま利用する理由は「煙にまく」という誤魔化しでしかない。

 このことから、減税日本ゴヤの市議26人と、名古屋市民の中の89人は広井良典氏の「持続可能な福祉社会」や「コミュニティを問いなおす」や「定常型社会 − 新しい豊かさの構想」などは読んでいないだろう事が推測される。読んでいるのなら、この主張が成り立たない理由は自明であろうから。これらの書は優れた文章であるが、共に「ちくま新書」や「岩波新書」であり入手は容易なはずだ。一般に読解できる平易な文章で書かれており量もそれほどではない。
 請願にサインをするのであれば、責任を持って自分で読むか、納得がいくまで疑問点について質問すべきだろう。そうでないからこういったトンデモ文章が大手を振ってまかり通ってしまう。


 「平成23年10月24日 財政福祉委員会」で述べられた「定常型福祉社会」の定義について。共産党山口委員の質問に答える山田委員の発言を書き起こしてみた。

動画はこちらのものを参考にした。

およそ、18分30秒頃から。


「この請願を書かれた方にこれを伺いまして、それをそのまま読んでもよろしいですか。その方による説明ですけれども、定常型福祉社会とは。
 これからの社会、世界社会は環境問題、資源問題から考えて、過去の経済成長は望めません。
 エコロジカル・フットプリント
(※1)の考え方からしてもこれ以上の資源の浪費と環境破壊をする高度な経済成長を期待できません。
 更にゼロ成長の定常型社会がこれからの社会の在り方なのです。
 そこで所得が横ばいですから税収が増加しません。
 そこで持続可能な社会建設には行政改革によりムダの排除が必要です。
 財源を作ってから減税等と言っている悠長なことなのではないのです。
 定常型福祉社会における基礎自治体では、職
(あるいは「食」?)とエネルギーとケア、福祉が自足できることを目標にします。
 社会的責任を自覚した市民参加の直接民主主義が理想なのです。
 コミュニティ
(※2)の復活が目標です。と言われております。
 これからの将来、どうなってゆくかという未来のビジョンを描いた踏まえたうえで定常型福祉社会を目指そうというのが、この請願者、書かれた方のご意向なんですけれども」

 という説明がなされる。まあ、口からでまかせにでまかせを重ねるというか。「持続可能な定常型福祉社会」の説明を求めたら、今度は「エコロジカル・フットプリント」という単語を持ち出してきてね。「煙にまこう」という魂胆がみえみえというか。説明する気が無いというか。

 (※1)「エコロジカル・フットプリント」の意味およびポジション

 人間の活動がどの程度の面積(体積)で再生が可能かを計測した指標。
 「人間の活動が地球環境を踏みつけにした足跡」と言う意味で「フットプリント」と言われる。自動車を利用したり(間接的にそうやって運ばれてきた商品を消費したり)、火力発電による電力を消費すれば二酸化炭素を生成することとなり、その二酸化炭素を定着/分解させるためには一定の植生面積が必要となる。また、水と油を混ぜる、または混ぜるための界面活性剤を使用すれば一定の体積の水と時間が必要となる。

 ただ、この視点を持ち出すならば。
 日本国内の、更に一地方自治体における議論は欺瞞でしかない。

 なぜならば、日本という国は高度に経済発展しており充分に、必要以上に豊かである。この豊かさを維持する一方で、アジア・アフリカには最低限度の生活すら脅かされている人々が居るのである。

 これらの事を視野に入れてもまだ、日本における一地方自治体で、市民税を6%から5.4%に下げろなどという陳腐な言葉が出るかね?

 強欲も大概にしなさいよ、みっともない。

 また、(※2)「コミュニティ (共同体)」の意味について、広井良典氏は「日本の社会保障」(岩波新書)で次のような議論を展開している。おおよそ共同体の成立をトリヴァースの「互恵的利他主義( Reciprocal altruism )」から説き起こしているが、広井氏はこういった「人称軸」を超えて、はじめて規範や正義は根拠付けられるのではないかと提起している。

 ここで語られているような表層的な議論ではコミュニティの復活など不可能であるし、そもそも定常型福祉社会が目標としているのは、コミュニティの復活だけに留まらない。これは酷い誤解と矮小化である。

 と、船橋に質問を投げかけてやってください。ちゃんと説明できるかな?

  広井良典氏の著作から彼が構想している「持続可能な定常型福祉社会」とそれが現在の政治においてとっているポジション。更に「減税」についてのポジショニングを表す傍証を示しましょう。

 まず、「持続可能な定常型福祉社会」と現在の状況については「はじめに」で簡単な説明があり、ここが一番手軽で判りやすい。


「持続可能な福祉社会 ―「もうひとつの日本」の構想」(ちくま新書広井良典(2006年)
〔はじめに p.006〕
 そのような状況(戦後日本社会の再検討:引用者補足)において、現状の打開をもたらすものとして大きな期待とともに登場したのが小泉政権そして”小泉改革”の一連の流れであった。(略)それは言い換えれば、「小さな政府」と「強い(経済)成長」志向という二つの要素を柱とするものであり、この限りにおいて際立って「アメリカ的」な価値ないし社会モデルを体現する志向性をもつものでもあった。
 (略)
 本書が全体を通じて提示することを試みるのは、まさにそうした(小泉改革自由主義とは異なる:引用者補足)「もう一つの道」ないし「日本社会が実現しうる、もう一つの社会」のありようであり、それを集約的に表すのが「持続可能な福祉社会」というコンセプトに他ならない。「持続可能な福祉社会」とは、さしあたり一言で述べるとすれば「個人の生活保障や分配の公正が十分実現されつつ、それが環境・資源制約とも両立しながら長期にわたって存続できるような社会」のことであり、それが「経済成長」という目標を絶対的なものと考えないという点では、筆者がこれまで「定常型社会」と呼んできた社会像とそのまま重なっている。また理念的には、「独立した個人」に基本的な価値を置くという点では自由主義とも共通しつつも、それに加えて「公共性」という価値を立てて、社会保障(ないし公的部門による一定以上の再分配)や環境保護といった点に軸足を置くとともに、個人と個人をつなぐ「新しいコミュニティ」を志向するという方向づけに基本的な特質をもつものである。

(下線:引用者)



 念の為に確認しておきますが、河村市長が提唱する「減税政策」などは、この「小さな政府」の劣化コピー、縮小コピーでしかないことは議論の余地はありませんよね。
 広井氏はそれへの異論を表明して、新たな提案をしているのであって、それが「持続可能な福祉社会」「定常型社会」というコンセプトで表されるわけですよね。

 まるで、ケインジアン(的な)リチャード・クー氏の経済理論を、「小さな政府」論者の河村市長が引いて、その矛盾を感じないように、ここでも木に竹を接いで平気で居られるヒトが居た。



〔同書 p.076〕
 私自身は、本書の中でこれから論じていくように、「環境主義(ないしエコロジズム)と結びついた社会民主主義」という理念が、これらかの時代においていわば”時代の政治哲学”という位置を担い、日本におけるこの理念と政策の確立こそがもっとも重要な課題になると考えている。

 という主張と共に示されているのがこの図である。(着色は引用者)

 いったいどこの誰が「持続可能な定常型福祉社会を目指す時代だからこそ減税が必要である」と言っているのだろうか。神のお告げか?頭に誰かが囁きでもしたか?

 寝言は寝て言ってくれ。市会をまきこまれては歳費の無駄で迷惑だ。



持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)

日本の社会保障 (岩波新書)

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