Hatena::ブログ(Diary)

市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

  一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。


20141011164859
ubuntu Japanese Team
- Deep Learning Implimented Python libraries Accelerated by CUDA on Ubuntu -

>>> 名古屋城天守の有形文化財登録を求める会
    http://bit.do/Ncastle
>>> 名古屋市民の建てた 名古屋城天守閣を守ろう!

  →touch

2018-10-07 都市の魅力/権力の行使について

都市の魅力/権力の行使について


本日の中日新聞、市内版に「都市の魅力」と題するコラムが掲載された。
名古屋に滞在していた外国人留学生が「また日本に来た時に住むのは名古屋」と語ってくれるほど名古屋を気に入ってくれた。その彼に名古屋市の発表した主要8都市の魅力を比較した調査で名古屋市は2回続けて最下位だったことを告げると「そんなことを市が自分で言うなんて、ちょっとショック」と語ったそうだ。記者氏は「二年前に市が第一回調査を発表した時は『自虐ネタ』を生かした面白いPR策だと思ったが、あまりに強調しすぎると、傷つく人もいるかもしれない。彼と話していて、そう考えさせられた」そうだ。

f:id:ichi-nagoyajin:20181007183908j:image


この記者氏が感じた「傷つく人」の存在は、政治において非常に重要だと思える。

私はこの調査には懐疑的だ。

第一回目の調査
都市ブランド・イメージ調査結果 平成28年7月

この調査を受けて名古屋市が行った施策(?)

名古屋市:名古屋・大逆転プロモーション(観光・イベント情報)

平成28年6月に実施しました「都市ブランド・イメージ調査」にて、本市は市民の推奨度が顕著に低いという結果がでました。このような事態を打開するため、市民の皆様をはじめ、多くの方に名古屋の色々な場所に足を運んでいただき、まちへの愛着と誇りを持っていただくとともに、名古屋のまちの魅力を積極的に推奨・発信していただけるよう、今年度後半にプロモーションを行います。

だそうだ。
この「調査」の目的や意味が透けて見える。

これに対する横井市議見解

横井利明オフィシャルブログ:行きたくない街ナンバー1 (2)

いったい何を目的に何を目指しているのか、私にはよくわからない
(略)
通常、ストーリーには、起承転結がある。残念ながら「都市ブランド・イメージ調査結果」のストーリーのすべてが名古屋の否定。ズバリ申し上げれば、魅力のない都市、行きたくない街ナンバー1といった日本国民の誤った概念の固定化につながることはあっても、この調査を見て、名古屋市に行きたいと思う人はおそらくいないと考えられる。


そして週刊ポストがこの調査に悪ノリしておこなった「名古屋ぎらい」特集を受け「自虐ネタ。その発信が与える影響の大きさをよく考えた方がいい」と苦言を呈している。

そういった意見がありつつも行われた第2回調査


都市ブランド・イメージ調査結果 平成30年9月


こうした批判を受けて改善をしたようには思えない。というよりも、こうした批判を受けたなら、実施しないという選択があってしかるべきだろう。

横井市議はこの「調査」の目的が判らないと述べられているが、私は「調査」の目的や意味が透けて見えると申し上げた。たぶん、横井市議は判っていても口に出せないために、「わからない」と表現されたのだろう。つまり、この推測はあまりに低劣であるがゆえに、そう考えることが憚られる、口に出せば「下衆の勘繰り」と捉えられても仕方がない事だからだ。なので、横井市議という立場のある方では口には出せないが、そもそも「下衆」である自分なら口に出せる。

これは単なる河村たかし名古屋市長の個人的なプロモーションに過ぎない。そして、個人的なプロモーションというものが政治家に関わってくるのであれば、それは選挙を目当てにした広報活動、選挙運動にほかならない。

そもそも河村たかし名古屋市長政治塾などで「人生行き詰まったら選挙に出て、うまく当選すれば人生大逆転ができる」と語っている。これは政治活動くじ引き就職と捉え、「当選すればこちらのもの」と言っているようにしか聞こえない。「有権者付託」であるとか「公職者の心得」「政治家の義務」などが語られることは無い。そりゃそうだ、ご本人を逆さに振っても、こうした「他者の心を忖度する態度」であるとか「責任」「義務」という言葉は出てこないのだから語りようがないだろう。

河村たかし名古屋市長のこういった「煽り」を受けて立候補してくる者共が、揃いも揃って出来が悪い*1のも仕方のない事だ。彼らはそもそも市民、有権者の為に働こうなどとは思っていないし、そう約束もしていない。彼らは「市長を守る男/女」として票を獲得しているのだ。

そして皆「人生が行き詰っており」その行き詰まりについて、自身を省み、反省をするのではなく、「河村たかし」というタレント政治家の集票力を頼り、それだけを利用して議員バッチを付けただけの存在なのだ。

猟官運動という事なら、以前に「ジャクソン流民主主義」について考察した。 2011-10-19 ジャクソン流民主主義にみる河村流民主主義の未来  を参照願おう。

政治家河村たかしは「税金で食っている奴は楽チンをしている」と口にするが、それは自分自身の姿であり、彼が生んだ議員たちはまさに「税金で食って」「楽チンをしている」


政治家河村たかしの自己像は、庶民の「紙くずやのせがれ」が志を立て、政治家を志して一党の代表を争うまで出世をし、今、地元に戻って絶大な人気のもと、市長を務めている。これぞ「人生大逆転」だというようなものだろうか。

そうした姿を大国駿河今川義元を倒した織田信長の姿に重ねているのかもしれない。

そしてその「桶狭間の戦い」を名古屋の魅力向上に利するとしているのだろう。(桶狭間豊明市に属する「桶狭間古戦場」であったとされているが、それが名古屋市内の「桶狭間」であるとして名古屋市内に牽強付会しようとする姿は、歴史修正主義者らしい)


信長攻路 │ 桶狭間の戦い 人生大逆転街道


キャラクターに原哲夫氏の作画である「いくさの子」に描かれた織田信長を当てるなど、そのリアリティーラインがそもそも低い事を物語っている。

織田信長桶狭間の戦いについては、言われるような「大逆転」であったかも疑問である。織田信長の勝因には様々な要因を積み重ねてきた信長の戦略が読み取れる。「選挙で勝てば人生大逆転」というような「一発勝負」ではない。*2

河村たかし名古屋市長は「調査」を行わせ、名古屋の魅力が低い事を市民に知らせ、こうしたイベントやお祭りで名古屋の魅力を発信すれば、その魅力が「大逆転」して、そうした人気の向上とともに、自身の人気も上昇する。と踏んだのではないだろうか。

公費を使った選挙活動。それがこの一連の「名古屋・大逆転プロモーション」だろう。

ついでに、この公費は自分を支援してくれている人々(広告プロモーター、イベントプランナー、そして一部地域の商業者など)を潤す効果も持つのだろう。

下衆い。もしもこの推測が当たっているのであれば、あまりにも下衆い思考だ。横井市議が口に出したくないのも当然の事だ。


さて、話を先の新聞コラムに戻そう。「都市ブランド・イメージ調査結果」がヒトを傷つけるかもしれないと記者氏は言う。しかし、権力の行使や、表現行為は常にヒトを傷つける。

表現行為は常にヒトを傷つける。
私のこうした一連の文章で傷つく人が居ることは理解しているし、一面では傷つけるために書いても居る。この文章は言葉の刃であると自覚している。或いは私の刃によって、斬られてほしいと思って書いても居る。その為に私自身が返り血も浴びている(まったく自身には利益にもならないのにたっぷり浴びている)し、相互批判の機会を確保する為に常に投稿欄は開けている。また、私は誤った事も削除するような事はしない。自身の戒めも込めて打ち消し線などで消すだけにしてある。

表現行為を行うものは、その言葉が刃である事を自覚すべきだし、その刃は常に自身に向かうものであることを覚悟する必要がある。

ましてや権力の行使*3は直接的に人々に不利益を与える。

最近で言えば市民に碌に諮らずに行われた久屋公園における木々の伐採の例があった。

2018-08-14 君は市議になって一体何をしたいのか?

それ以前には地域委員会議論もそうであろうし、減税政策の議論名古屋市会における議員報酬議論やそれに伴う議会リコール運動もそうだ。権力の行使には、傷つく人々、不利益を被る人々が必ず出てくる。


こうした割を食う人々を生み出す権力の行使が問題なのではない。くどいようだが、どのような権力の行使でも割を食うヒトは出てくる。本当に醜悪なのは、こうした権力の行使によって被害を被る人々を省みない態度だ。


地域員会の議論の際、昭和区のある会合で河村たかし名古屋市長の「いとこ」なる人物が、私に放った一言は強烈だった。「私たちは選挙に勝ったんだから、負けたものが文句を言っても知らない」

自分の権力行使が「正しい事」なのだから、それで傷つく人が出ても自分には責任はない。

 ―先の「多数決絶対主義」のような稚拙な「民主主義の誤った理解の見本」のような言葉、それは河村たかし名古屋市長の「いとこ」の発言であり、河村たかし名古屋市長自身の見解であるかは判らない。それでも、その稚拙論理地域委員会議員報酬議論議会リコールにおいて振り回されていたのは間違いがない。

または、その人々が割を食うように見えるのは不可抗力であって、自分の権力行使とは関係がない。

 ―議会リコールの後に、署名簿の流出という問題が起きた。当ブログ過去ログに触れられているが、この問題において「ネットワーク河村市長」の代表として発言した「名古屋市議会解散請求代表者」であり河村事務所の事務員である平野一夫氏は呆れたことに「受任者名簿はネットワーク河村市長が管理しており、その使用範囲(例えば選挙に使わせるかどうか)の判断はネットワーク河村市長帰属する」と述べ、「自分たちが集めた署名簿なのだから自分たちがどう使おうが自由だ」という見解を表明した。そうした権利の行使を迷惑と考える人(この場合は署名簿に記載されている署名者)の事は考慮しないとする宣言だ。まったく社会人としての常識を疑う。
名古屋市会 平成24年8月22日 総務環境委員会 議事録参照)

2012-07-24 人間として疑う



その平野氏のご尊顔はここにある。

2018-01-28 名古屋城天守閣木造復元「シンポジウム」

将に、久屋公園における木々の伐採は市の所管事務の内にあり、その木々を切ろうが切るまいが市の権利なのだろう。しかし、その木は本当に切ってよかったのだろうか?その木を切ることによって利益を得るのは誰で、不利益を被るのは誰なのだろうか。広く視野を取った時に、その権力行使は正しい事なのだろうか。

「視野を大きくとる」

これが必要だ。

その昔自民党は党のマスコットキャラクターを「象」にしていた。

大きな姿をしたものは、激しい動きをしてはならない。自分自身の一歩で他の生命を奪いかねないのだから、動作はゆっくりと、周囲に目を配りながら歩まなければならない。そうした意味が込められていたとも聞く。

権力を行使する者はこうした配慮と広い視野を持っていなければならないだろう。そして自身の行う権力の行使が、誰をどの程度傷つけているか、それを知り、それでも行使すべきか決断する、その覚悟を持たなければならない。



住民が行政に対して「監査請求」を行う事も、権力の行使であり、当然傷つける人が出ることは自覚している。その為、勉強会の参加者にも幾人かは請求人となることを止めたものも居た。
今回の住民監査で取り上げた問題は、行政執行の手続きの瑕疵だ。
しかし、その瑕疵は末端の職員や現場の怠慢などではない事は重々承知している。
彼らは不幸なことに、事実と、実現不能の妄想の狭間に挟まってしまったに過ぎない。
船の進路が間違っていれば、岩礁に乗り上げることもある。そうした際に岩礁に乗り上げた船体の部分が悪いのではない、ましてや先にそこにあった岩礁が悪いのでもない、当然ながら船の進路に誤りがあったとすべきだろう。

当たり前の判断であれば、そこで船を止めて、進路を変えるべきであり。岩礁に当たった船体の責任を追及することは正しい行いとは言えない。なぜなら、進路がそのままであれば、また別の部分が岩礁に乗り上げることは容易に予想されるのだから。


f:id:ichi-nagoyajin:20181003170731j:image

*1新自由主義者というよりも、その「自己責任論」の肥大は単なる利己主義にしか見えない

*2:資料的検討で信長の勝因が偶発的なものだったとする説もあるが、そうした偶発的勝利を得るための条件形成において十分信長戦略的に行動したと思える

*3:表現行為も「権力の行使」の一形態に過ぎない。しかし他の権力の行使にはしばしば実行力が伴い、それは直接的な不利益を生み出す。

2018-10-03 9.21住民監査請求について

9.21住民監査請求について

9月21日に提出した住民監査請求について述べます。

    名古屋市30監特第23号 住民監査請求書原本(PDF)

この住民監査請求は、名古屋城天守木造化事業の基本設計業務において、違法性を指摘したもので、私が同事業に対してどう思っているかということは関係ありません。ですので、以下の文章において「〜と思う」「〜であるべき」といったような私の主観に立脚した表現は一切使いません。

同事業が「違法である」ということは、名古屋市の行ったこと(事実)と、法律や規則の定めが食い違っているという事で、法律や規則通りの行政事務が行われていなければ違法行為です。行政において違法行為が行われたのであれば、それは是正されるべきで、私たちは3点の是正を要求しました。

1.基本設計費用として支払われた代金の返還(未完成品に対して、名古屋市から代金の支出が行われた事は違法であるとして是正を求めるまでです。もちろん名古屋市名古屋市民)に返還するに当たっては当事者間で責任の所在なりその按分が考慮されるのでしょうが、それは私たちの預かり知らぬところです。違法な代金の支払いが是正され、名古屋市名古屋市民)に代金が戻ればよろしいと考えています)

2.基本設計が成立していないので、それを根拠とした実施設計も発注できない。現在名古屋市竹中工務店の間で結ばれている実施設計業務の契約を解除せよ。

3.こうした業務遅延によって購入した約94億円の木材の保管料が発生する。6月の名古屋市会における当局からの回答では、遅延が1年に及ぶと約1億円の保管料がかかるとの事であり、では、そうした遅延に伴う被害拡大を防止するために、同事業を停止せよ。(地方自治法242条3項 : 「当該行為が違法であると思料するに足りる相当な理由があり、当該行為により当該普通地方公共団体に生ずる回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があり、かつ、当該行為を停止することによつて人の生命又は身体に対する重大な危害の発生の防止その他公共の福祉を著しく阻害するおそれがないと認めるときは、監査委員は、当該普通地方公共団体の長その他の執行機関又は職員に対し、理由を付して次項の手続が終了するまでの間当該行為を停止すべきことを勧告することができる」)

      地方自治法第242条 - Wikibooks

この監査請求の理路は次の通り。

A.基本設計は成立していない。
   ↓
B.故に、基本設計代金として支払われた行為は違法。


A-a.基本設計は成立していないとする根拠は。

    A-a-1.同事業対象域は文化財保護法特別史跡名古屋城跡にあり、現状変更許可には文化庁文化審議会の諮問が必要となり(文化財保護法第百五十三条2の十四)、その以前に復元検討委員会同意を得なければならない。(文化財保護法第百二十五条特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物の現状変更等の許可申請等に関する規則第一条)

    文化財保護法
    特別史跡名勝天然記念物又は史跡名勝天然記念物の現状変更等の許可申請等に関する規則

    A-a-2.名古屋市自身が基本設計に求めていた条件がある。

        A-a-2-1.「木造復元に際し、実施設計に着手する前の基本設計の段階において、文化庁における『復元検討委員会』の審査を受け、文化審議会にかけられる」(「名古屋城天守閣整備事業にかかる技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募プロポーザル 業務要求水準書 」(甲第7号証)(以下「業務要求水準書」)「第2章 第4節 1.(6)特別史跡における条件」「その他、下記事項2」)

    甲第7号証:「名古屋城天守閣整備事業にかかる技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募型プロポーザル 業務要求水準書 」

        A-a-2-2.「業務要求水準書」に対する応募事業者の質問に対する回答として「名古屋城天守閣整備事業について、質問書に対する回答書(第 4 回)〈平成 28 年 2 月 2日公表〉」(甲第8号証)(以下「回答書」)「平成 28 年 1 月 20 日付けの説明書等に対する質問書についての回答」の 6 「文化庁における『復元検討委員会』の審査を受け、文化審議会にかけられるのは、基本設計の段階であり、そこで文化審議会の了解が得られれば、実施設計段階では、文化庁における『復元検討委員会』の審査や文化審議会の手続きは不要であると考えてよろしいでしょうか」との 質問事項に対して「結構です」と肯定している。

    甲第8号証:「名古屋城天守閣整備事業について、質問書に対する回答書(第 4 回)」

        A-a-2-3.業務として「(文化財保護法に基づく現状変更許可の)申請に必要な事前打ち合わせ」と「申請書類の作成」が明示されている。(「名古屋城天守閣整備事業基本設計その他業務委託 業務委託概要書」(甲第2号証)(以下「業務委託概要書」)「4.業務の内容」「(6)関係法令行政手続き業務」「(ア)文化財保護法に基づく現状変更許可の申請に必要な業務」)

    甲第2号証:「名古屋城天守閣整備事業基本設計その他業務委託 業務委託概要書」

    A-a-3.前記の条件が満たされていない

        A-a-3-1.公知の事実として、同事業は文化庁復元検討委員会同意を得ておらず、文化審議会の諮問も受けていない。つまり、建設対象物の仕様が確定していない。

        A-a-3-2.「成果品目録」(甲第12号証)には上記 A-a-2-3 で求められている「申請書類」が含まれていない。

   甲第12号証:「成果品目録」

以上のように名古屋市自身が定めた基本設計の条件が満たされておらず、基本設計業務は完結していない。


B-a.完結していない基本設計業務に対して基本設計代金が支払われた行為が違法とする根拠は。

    B-a-1.地方自治法第232条の4第2項 : 「会計管理者は(略)当該支出負担行為に係る債務が確定していることを確認したうえでなければ、支出をすることができない」

    B-a-2.名古屋市会計規則 第71条 : 「会計管理者等は、支出の命令書により法第232条の4第2項に規定する確認をするものとする」

    名古屋市会計規則

    B-a-3.名古屋市契約規則 第53条 : 「工事その他の請負及び物件の買入れにかかる契約契約代金の支払は、当該契約の目的物についての検査を完了し(略)たのちでなければすることができない」

    名古屋市契約規則

以上のように完結していない基本設計業務に対して基本設計代金が支払われた行為地方自治法名古屋市会計規則、名古屋市契約規則に違反する。

※ B-a-2 における「支出命令書」は平成30年3月30日に起草されており、会計管理者等、審査出納員の確認もされている。しかし、監査請求書(7)〜(13)で論証したように、その根拠に信憑性がない。



        住民監査請求書原本(PDF)

        住民監査請求公開資料


文化庁は「史跡等における歴史的建造物復元に関する基準」の中で、「歴史的建造物復元が適当であるか否かは、具体的な復元の計画・設計の内容が次の各項目に合致するか否かにより、総合的に判断することとする。(中略)ウ.復元以外の整備手法との比較衡量の結果、国⺠の当該史跡等への理解・活用にとって適切かつ積極的意味をもつと考えられること」と定めています。

名古屋市の説明では、現天守は「耐震改修しても40年しかもたない」とされておりますが、「耐震改修」というのは文字通り、建物の耐震性について改修することであり、直接建物の寿命を⻑期化させるものではありません。建造物、特に鉄骨鉄筋コンクリートの建物の⻑寿命化改修というものは別にあって、それは先行する大阪城において「平成の大改修」の一環として行われております。

行政事務として先行事例に見習う、前例を踏襲するというのは当然の事であろうと思われますが、名古屋市は、名古屋城天守の整備に対して大阪城における事例を参照しておりません。そこで行われた⻑寿命工事による効果を考慮、比較衡量しておりません。上記文化庁の基準にも合致せず、不当であります。

更にまた、文化庁より「戦後都市文化象徴である RC 及び SRC 造天守解体するにはなお議論を尽くす必要がある」(6月市会本会議における渡邊局⻑の答弁)との指摘があったとのことです。

私どもは現在の名古屋城天守の姿を美しく思い、その価値は大阪城と同様に「登録有形文化財」として名古屋のみならず、日本の宝として維持管理する価値があると思っております。しかし一方、現在、名古屋市が進める天守建物の木造化に対して期待を寄せておられる方々が居る事も承知しております。

現在の天守建物の価値があるものか、それを建て替え木造化しなければならないものか今一度市⺠の中で開かれた、公正な議論が行われることを期待いたします。


平成30年9月21日 名古屋城天守の有形文化財登録を求める会 「声明」 抜粋


名古屋城天守の有形文化財登録を求める会



f:id:ichi-nagoyajin:20181003170731j:image

2018-10-01 脱却すべきもの

脱却すべきもの


本庶佑京大名誉教授ノーベル賞を受賞されて、その会見を見させていただいたが、感銘を受けた事が2つあった。

1つめは「何が知りたいか」に注力すべきで「何ができるか」に逃げてはならない。という事。
成果の上がる道筋がはっきり判るものに着手するのではなく、本当に自分が知りたいと思っていることにこだわって、その道筋を探す、作る。逃げない、妥協しない。強い心が探究の基盤であるという事。

2つめは易々と信じないという事。よく言われる事に「科学ではまだ判らない事がある」という言葉。この言葉を信じてしまう人は科学を知らない。科学なんて実は何も判っていない。科学は知れば知るほど、その先の未知の深淵に魅了される。科学技術はこの科学の中で再現性の高い一部を、制限の中で利用しているにすぎない。その先にはまだまだ判らないという可能性が秘められている。科学者懐疑的でなければならない。*1
また、この世の中に向き合いうにあたって、頭から信じる、思い上がりも道を誤るし、何でもかんでも疑って容れない、病的な懐疑も成立しえない(これは「信じられない」と信じているのと同じだ)。私は、必要なのは「保留する勇気」であると学んだ。自分自身の信念と言えるようなものでも、いったんそこに立つだけで、その立場は保留されているものであって確定ではない。たぶん、確定など最後まで出ない。その覚悟をもってあたる。

知れば知るほど、その先の未知を知ることになる。
そして柔軟な頭と心をもって探究を続けていくと、確信をしていた事でも根本から覆される事がある。しかし、学習においてこうした自分自身の確信を根底から覆される事の驚きと、それを知ることの喜びは無い。

そうであれば、何事によらず易々と信じたり、逆に、思い込みに陥り、その思い込みに反する事柄に目を瞑り、耳をふさぐ行為の無意味さが判る。柔軟にそれらを受け入れ再構築する知的誠実さを失ってはならないし、それを失い、常に自分が思うように世界があれと願う事もない。本当に自分が思うように世界があるとすれば、こんなつまらない事は無い。

こうした「懐疑」や「保留」という言葉を捉えたまま最近の2つの話題をもう一度眺めてみたい。

熊本市議会の緒方夕佳議員が質疑の際に「のど飴」を嘗めていたとして騒動になっている。正確に情景を切り取ると、請願についての質疑を行っていたそうだ。つまり、代表質問や個人質問ではなく、動議による質疑であろうと考えられる。*2

登壇しようとした緒方議員議長が制止して「口に何か含んでいるか」と確認し、「のど飴をなめている」と答えて議場が騒然となった。その後そのまま登壇して話し始めたところ「臨時休会」などの怒号が飛び休会。
懲罰委員会で緒方議員は陳謝文を読み上げる事までは承知したようだが、議会事務局の用意したいわゆる「陳謝の雛型文案」を「自分の言葉ではない」と無視して自分の言葉で陳謝し、再度それを咎め、出席停止となった。
まず、この問題について考えてみる。

なんとなく「飴玉ぐらいで大騒ぎするな」とか「こんな事で8時間も議会を止めて」と批判している人たちが居るが、それはどうなのだろうか。
まず、8時間という時間がかかったのは、「こんな事」でもおろそかにせず、事の本質やら当事者意向をシッカリと踏まえて対応を取ろうとする態度であり、それは有り得べき事柄ではないかと思われる。

「のど飴」が大きな事かどうかというのは、市議会と言う場が、誰が誰に向かっている場かと考えた場合、大きな事と考えても良いのではと考える。例えばあなたが大きな買い物をするような際に、不動産やら車の営業員が、その商品説明の際、「のど飴」を嘗めているのをあなたは容認できるだろうか?

知人の葬儀に出席した際に、会葬者へのあいさつをする者が「のど飴」を嘗めながら挨拶することに違和感を感じないだろうか?

名古屋市議会において、幹部職員などが勇退する際に議会で挨拶を述べる習慣がある。しかしこうした幹部職員が挨拶する場所は発言者の壇の下であり、壇上には上がれない。壇上で話す者は、それが議会内の議論であろうと、当局に対する質問であろうと、実は全有権者に向けて話しているのだ。議員としての付託を送った有権者だけではない。過去から未来に延々と続く、市政という歴史に刻まれる発言を行う場、それが議会における発言台なのだ。飴玉を嘗めて対応できる場所であるとは思えない。

のどがどうのという言い訳にも懐疑的だ。どのような議会でも、発言に支障ができるような異常があれば、水ぐらい用意されるものだろう。

この方に対して、熊本議会が硬直的な対応をしているのは、この以前にも騒動を起こしているからだ。

この議員本会議乳児を連れて出席したのだ。

これも問題だ。世間には「議会にも子どもを連れていけるぐらいにならなければ女性の社会進出は進まない」とか「(他国の例をひいて)議会子どもを連れ、授乳までさせている議会も有り、女性の社会進出が進んだ社会の姿だ」というような意見がある。
こうした意見には同意する。しかし緒方議員のやり方には同意できない。

まず、市民の付託を受けた議員であり、子育ての労苦を軽減させたいと思っているのであれば、自分が職場に子どもを連れていく事を強行する前に、職員や熊本市民が子どもを職場につれていける事が容易になるような社会を作るべきだろう。例えば職場における託児施設の充実もそうだろうし、コンビニやスーパーなどのレジ業務に子どもを連れて働く事を容認するような社会的合意を作るというのもあるかもしれない。こうやって日本の、少なくとも熊本市の中で、職場に子どもを連れていく事が当たり前の社会となって、その果実を自分も受けるというのであれば判るが、そうした果実を真っ先に自分だけ受けて、その容認を強硬に主張し、他の、例えば議会職員やら市民の子育て環境について後回しにするというのでは順番が違う。

緒方議員行為は抜き打ちであり、パフォーマンスであるという意見もあるが。これで議会において制限規則もできるそうで、そうであるなら意図とは全く逆の効果しか生まれない。政治家結果責任なのであるから、「子どもを連れて働ける環境の拡大」を意図しているのであれば逆の効果になってしまっている。
まさか、「議会子どもを連れてくるというようなけじめのない事は良くない」と思われて、そうした行為に予め一定の制限規則を設けるべきと思っての行動なら、その政治的意図は達成されている。


沖縄県知事選挙玉城デニー氏が勝って、所謂野党側の勝利となったようだ。

この結果の背景に、「ネトウヨ」の行動が逆効果になったという観測がある。
いわく、知事選挙の緒戦で「玉城氏に隠し子が居る」というような「噂」がマスコミに載り、その真偽もハッキリしないうちにそうした「悪評」を喧伝するグループがあり、そうした行動が逆に玉城氏支持者を掘り起こしたとか。今回の知事選を受けて「中国政府工作員沖縄に入って玉城氏のバックについている」というような「陰謀論」が語られていたらしい。対抗馬として立った人の応援演説がこんな話になれば、さすがに人々は離れていく。

さらにこうした結果を受けて作家の百田某などは「沖縄、終わったかもしれん…」とかツイッターで呟いているようで、「こんな沖縄なら、アメリカにくれてやれ」などと言う人もいる。(日本全体がすでにアメリカのものであると私は思っているけどね)*3

「反野党側」というか、「ネトウヨ」のこうした言動はバカバカしいの一言なんだが、だからといって「野党側」にも易々とは乗り切れない。まず、この玉城陣営の勝利を受けて「勝った」と思っている人がいるようだが、実はこれからが大変なんだろう。元々「他国の軍事基地」などという究極の「迷惑施設」を地域から排除したいと思うのは、地域住民としては至極当然のことであり、健全な「地域エゴ」*4だ。「オール沖縄」と言われた反基地運動は当たり前の「地域エゴ」の表出であって、それが切り崩されている現状と言うものに、沖縄のおかれた困難があると思える。相手は日本政府自民党安倍政権などではない。本当は在日米軍という存在の意味を問う問題であり、アメリカ合衆国国際社会が相手の課題であり、日本社会全体に、この健全な「地域エゴ」がどう対峙するかという課題だろう。

また、与党側にも言いたい。この結果を受けて「沖縄への補助金や支援をカットしろ」とバカウヨが騒いでいるが、まさか政権与党の方々がそうしたバカ者と同程度の戦略思考しか持てないとは思えない。

私はこの結果を受けて、自民党安倍政権玉城沖縄県知事に手厚い補助と開発機会を提示するべきだと思う。
つまりは「北風と太陽」だ。

安倍首相は対北朝鮮には「北風」政策をとり続けて、拉致問題も核開発も対話の機会を失っていた。文在寅韓国大統領「太陽」政策をとり一気に懸案事項を解決に導こうとしている。

イソップの伝える太古の知恵は、人間の本質をついて歴史の評価に耐えてきている。

北朝鮮には手遅れかもしれないが、沖縄には間に合う。ここで日本政府が手厚い提案をしていけば、人々は腰を抜かすだろう。

緒方議員沖縄ネトウヨ。こうした人々にとって、自分が信じる事が「正しい事」であって、それを強く推し進める事が「善い事」なんだろう。反対意見は「自分に対する攻撃」であって、それに耳を傾けることはしない。

これは本庶氏がいう「『何が知りたいか』に注力すべきで『何ができるか』に逃げてはならない」と真逆の姿勢である。「自分ができる事」「自分がやりたい事」を反射的に行うだけで、その結果を省みない。何を得るか(=何が知りたいか)を考慮せず、目先の事だけに固執する。これは誤った態度だ。

そして、緒方議員の行動に賛意を表する人や、批判をする人(このブログも今から批判する一群と同等であることは十分自覚している)沖縄ネトウヨやそれに強く反発し、排除まで言い出す反与党側の方々。

こうした地に足が付いていない。根が無い「政治的言説」というものには強い違和感を感じずにはいられない。それは事実を見つめた結果の思考ではない。事実から自分に都合のよい部分だけをつまみ食いした思考でしかなく、それは元々、自分の頭に有った世界の姿を、現実の社会のあり方に当てはめて再強化しているにすぎない。(当文章もその一端であるという批判には同意する)

こうした「政治的言説」は実は「政治的言説」でもない。
それは単なる社会に対する批判でしかなく、その起点は客観的な事実ではなく、話者本人の世界観である。

よく新橋の飲み屋街でサラリーマンがプロ野球の選手起用なんぞにあれこれ意見を言っているが、よくよく聞いていると「下積みからコツコツやってきた選手は、目覚ましい成果が無くても評価されるべき」というような言葉には、「自分は目覚ましい成果を上げてきていないが、コツコツやってきているのだからもっと評価されるべきなのではないのか」といういじましい「やっかみ」が含まれているように思えてならない。どうしても人間は自分の置かれた位置からの風景しか見えず、その風景からしか世界を再構成することはできない。また、なかなか人間は自分自身を肯定する態度からは逃れられない。

私はこうした自我に膠着した社会批判を否定しない。人間とは元々そうしたものであるし、自我を離れた主張何ぞ、逆に信ずるに値しない。自己の実現、または自分が信じてきたものの再考を求めて、社会に働きかける事はありうべき態度であり、それは「健全なエゴ」だろう。

しかし、それが「政治的言説」として意味を持つためには事実に立脚する必要がある。
熊本市議会の緒方議員にとっては、市議会本会議子どもを連れて出席できるだけの、子育てをする女性(あるいは男性)が、子どもを連れて仕事ができるような環境や社会合意を諮る課題があるのであれば、無断で強硬子ども議会に連れて行く前にやるべき事は幾つもあったはずであり、そうした行為があれば問題のありかたも異なっていただろう。
また、今回、緒方議員の「のど飴」問題に対して熊本市議会を批判した人々の何割かは、その熊本市議会の実情など判らないまま語っているようだ。(私も熊本市議会の実情は判らないので、それについては踏み込んで述べていない/「有り得べき事柄ではないかと思われる」と保留しながら推測を述べているにすぎない)
ここで熊本市議会を批判していた人々は、地方議会に対する批判が前提として無かっただろうか?そしてそれは自分自身が見聞きした自分の地元の議員の姿から推測して話してはいないだろうか。
なんとなく、一般に地方議会に対する批判と言うのは深刻なものがあるように思える。確かに、地方議会の中には「ど〜しようもない者」が居る事は事実だ。この問題については稿を改めるが、しかし一部が問題だからと言って、その全てを否定してかかる態度(否定すべきであると、事実の根拠なく信じ切ってしまう態度)は科学的ではないし、事実から乖離する考え方だ。

沖縄県知事選挙を受けて、沖縄の県民も、本土の国民も、在日米軍基地という課題について沖縄の人々がどう思っているかを知る機会で有ったことは確かだ。それを再考する機会ではあるだろう。それは政治的言説となりうる。しかし、だからといってそれが現安倍政権への批判となりうるかには幾つかの段階が必要となるだろう。また、沖縄の人々の為にも、現政権を単に批判、否定するという事だけで有効な議論になるとは思えない。ここで当然、「ボール」は安倍政権側にあることは確かなんだが、その「ボール」の行く先を注視するべきであろうと思える。

もう一度本庶氏の教えに耳を傾けてみよう。
「『何が知りたいか』に注力すべきで『何ができるか』に逃げてはならない」

「何ができるか」「何がやりたいか」ではなく、「何が知りたいか」(=何を得るか)に着目すべきだ。

戦略的な目的もない行動は無意味であり自己満足でしかない。

「易々と信じない」、つまり、その主張には根拠があるか。自分が受け入れようとする主張や、自身が語ろうとする言葉には、裏付けがあるのだろうか。自分の思い込みや願望に振り回されてはならない。そうした思い込みや願望に固執すると、やがて自分自身が事実の根拠のない妄想に絡め取られ、抜き差しならない事になる。そのような妄言人生の時間を浪費することは、あまりにも虚しいのではないだろうか。


*1:どこかのバカ記者が「ネイチャーやサイエンスの記事も9割が嘘」と誤解して記事のタイトルをつけている。これは10年もすれば9割は再評価が必要と言う事で、現状で「嘘」だと言っているわけではない/また「教科書に書いてある事を疑え」という発言についても、「頭から信じるな」という事であって、それを否定するには、その教科書以上の探求が必要であって、単純に教科書を疑えという意味ではない。ここにも「保留」という態度の重要さを知らないバカが居る。「保留」しつつ信じる、利用するというその先に現状に対する批判が可能となる

*2:この質疑の内容についても議論があるようだ。これは推測だが、この質疑について、緒方議員の主張を容れたくない人々が、その主張を止めるために「のど飴」を理由にした可能性はある。しかし、ならばいよいよ緒方議員稚拙さが気になる。議論のある事を提示しようとするのであれば、足元を固めて背後を突かれないようにしなければならない。結果として「のど飴」程度でその主張が封殺されたのだとすれば、緒方議員戦略的敗北は明白だ。こうしたあり方に同情を持つ限り、この社会は成熟しないし、第二次世界大戦で数々見られたバカな戦略的ミスから脱却できていない

*3:いま、この百田某の発言の正確性を確認するために件のツイッター再確認すると、この沖縄知事選挙についての「敗北」の議論はない。そうではなく、野党側の主張についての些事を捉えた批判を行っているようだ。良い傾向だ。反省の無いところに前進は無いし、こうした態度が道を狭めていく

*4:元々「沖縄返還」は「本土並み」である筈で、それでこの基地の占有比率は異常だ。本来なら本土が肩代わりするべきだろう。オスプレイが横田に配備されるそうだが、これを排除しようとするのも「地域エゴ」だろう。