ニワ里ウォーキング 善師野宿〜土田宿 1

木曽街道ウォーキング〜善師野宿から土田宿へ〜
昨日12/22 ニワ里ねっと主催のウォーキングに参加しました。
朝9時に名鉄広見線善師野駅に集合し木曽街道を通り石拾い峠、土田宿へ抜けるルートです。
木曽街道の善師野宿は、隣の小牧宿や土田宿に比べると小規模だったようです。


地元の方に教えてもらった新しい看板。5月に歩いた時はありませんでしたが踏切のそばに立てられていました。



便器の再利用。今はめずらしいものですが明治時代以降に流行った絵付けの便器。


旧問屋の澤木家。


一里塚跡。街道には一里(約4km)ごとに塚が築かれ旅行者の目印として機能していました。塚には榎を植えたり道標が立てられたりしました。ここにも榎が植えられていたそうです。


この奥にはマンガン鉱山があるそうです。
(富田)

ニワ里ウォーキング 善師野宿〜土田宿 2




磐座。岩の隙間に女性の像(右)と形をとどめていない男性の像(左)。手前には燭台があります。



さらに進むと大洞池がに着きます。春に来た時は満水でしたが、水が無い状態でした。前回の写真。


前回はここで引き返しましたが今回はさらに進みます。



道の左を流れていた沢が無くなり道と沢が一緒になってきました。石がごろごろしています。もうすぐ石拾い峠です。


石拾い峠。愛知県と岐阜県の県境です。


湧き水がありました。今回の行程の1/3まで来ました。



少し休憩。
ここで寂光院の通称 継鹿尾観音(つがおかんのん)の名前の由来を、ニワ里ねっと奥野さんの手作り紙芝居でご説明していただきました。とても臨場感あふれる紙芝居でした。
(富田)

ニワ里ウォーキング 善師野宿〜土田宿 3


このあたりで多く見られる「かまど石」。水には脆いのですが火に強いためかまどを作るときに用いられた石だそうです。



昔の街道の面影が残る景色。


建速神社。


切り通しの馬頭観音。「右ハかち道」「左ハ馬道、川渡ハ東道」と刻まれていました。



土田城趾。織田信長の生母 土田御前の生まれた城と言われています。



街道をしばらく歩くと可児川にかかる刎橋(はねばし)が出てきます。ここから眺めは絶景です。



土田宿はまだですが、古い建物がいくつか残っています。
(富田)

ニワ里ウォーキング 善師野宿〜土田宿 4




このあたりは、宿(しゅく)遺跡というそうです。発掘では縄文時代中期を中心とした土器などが見つかっています。何の変哲もない畑に見えますが、たくさんの土器の破片が転がっていました。これらはおそらく江戸時代のものだそうです。




土田宿本陣跡。今回のウォーキングはここで終了です。



周辺には当時の宿場の面影が残っています。


このあたりの遺跡から家形石棺が見つかっています。家形石棺とは石でできた家型のひつぎです。土田の可児市役所土田連絡所の入口に模型が展示してありました。実物は南山大学に保管されているそうです。おそらくここかと思います。
(富田)