人格を選ぶ自由と連続させる自由

私が「哲学」というものに積極的な興味を持つようになったのはつい最近のことで、それは私個人にとってはかなり目から鱗な体験だったのだけど、なんの縁か今関わってる仕事でも長大な古い哲学書を読む機会に恵まれ、おかげで最近はネットを見る時間もあまりとれなくなってしまった。古い本はとにかく読むのに時間がかかる。
それでも時折、息抜きにアンテナを覗いたりしているのだけど、今日「モウビィ・ディック日和」のishmaelさんが先日書かれた文章『連続的な人格という幻想について』(http://d.hatena.ne.jp/./ishmael/20051127)を読んでいたら、今読んでいる本と重なるところがあり、久しぶりに自分の考えたことを書いてみたくなった。(ただ、以下にだらだらと書いてることは個人的な漠然とした考えに過ぎません、と最初に言い訳しておきます。)
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ishmaelさんが書かれている文章には「A」と「B」という二つの相反する仮面(人格)が同一人物のものだとわかっていても、それぞれの人格には連続するものがある、と捉えられるのではないかと書かれていた。そしてネット上では特にそれが顕著であり、逆にいえば「A」と「B」とその中の人の人格に連続性を感じない。(正確なニュアンスはishmaelさんの書かれたものを読んでいただいた方が確実だと思う)
これと同じような仮面の付け替えが行われる例として「大学デヴュー」と「ネット上の人格」が挙げられている。

この「大学デヴュー」は、いわば上に挙げたオークションでの多重IDとは逆の方面から見た人格の断裂の例だと思う。つまり、名前が変わるんじゃなくて、状況の方が変わって名前の持つ意味が相対的に変化したということになろうか。
http://d.hatena.ne.jp/./ishmael/20051127/1133116435

僕らは、ネットというこのもう一つの人格が存在可能なディメンジョンを手に入れることで、いわば現実の世界を相対化してしまえる状況を手に入れた。いまやこのネットという層は、現実のサブシステムなんかではなく、現実とのパラレルな関係を維持する巨大なもう一つの空間へと育ってきつつある。
http://d.hatena.ne.jp/./ishmael/20051127/1133116437

現実での人の仮面は「役割/社会的立場」のようなものと「精神/一般的に人格と呼ばれるもの」に別れる気がする。そこから、上記の2点の大きな違いを考えてみると、現実の状況の変化による仮面の付け替えが、それまでの人格(名前)の更新として捉えられることも可能であるのに対し、ネット上での人格の構築というのは、現実の人格との繋がりは意図的にしか行われないだろうし、断裂したままであるとすれば、人格の更新とはならない(ということはそれは外部からしか更新されないってこと?)。その代わり、というか現実に無い側面として、「役割」と「精神」というもの以外の何かを伴う事が出来る、もしくはそのどちらかを伴わないでいられるような気がする。
私は最初、ネット上の人格もまた「それを継続させることでしか認知されない」とここに書いたのだけど、よく考えてみると、それは間違っている。
例えばソーシャルブックマークでの一言コメントや匿名掲示板による発言は、そのバックグラウンドとしての情報が何一つないとしても、発された言葉がもつ「人格」のようなものを伴いそれを見る誰かに影響を与える。
「世間の人というのは生の大きな芝居を一緒に演ずる役者である」というカントの言葉に当てはめて考えてみると、現実では、新たな役(仮面)を手に入れるということは得てしてひどく困難なことであると言えるだろう。現実の人格は社会での役割と切り離しにくいものだからだ。
その反面、肉体を伴わないネット上の人格(この場合HNを含む匿名の)は、いつでも消去(仮面をはずすこと)が可能であるということから、とても軽やかなものに映るし、いくつもの仮面を(多重IDのように)付け替えることすら簡単に思える。ただ、その一時的な「一つの言葉」としての「人格」は、連続的な人格とは言えないと思う。つまりネット上での人格は、連続することで初めて「役割」のようなものを得るのではないだろうか。
だとすると、ネット上に「世間」という舞台を構築するには、他者からどう見られるか、どういう「役割」を与えられるかというところでしか「人格」は発見されない。そして「役割」を与えられるためには、「人格」を連続させなければならない。と言うことが出来るような気がする。
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ちょっと混乱してきたので、ここで話を最初の「A」と「B」に戻してみる。「A」と「B」とその「中の人」の人格に連続性を感じないが、「A」という人格には連続した一貫性のようなものを期待すると仮定する。しかしその一貫性は「A」がそれを継続させてきたことではじめて認知されるものでもあるのだ。ishmaelさんの例を参考にすればオークションでの評価が「汚いA」と「綺麗なB」が仮に同一人物だったとしても、綺麗なBを作り上げる為には、他者の評価が必要だ。たとえそれまでの取り引きを全て自演で行っていたとしても、今自分が他者として相対しているBは「綺麗な」評価を必要としているはずだ、と言えるのではないか。まあ、この辺りは実際にオークションを利用したことがない私にはよくわからないのだけど(わからないで書いて申し訳ないです)そこに他者が介在する「社会(この場合オークション)」がある場合には、やはり人格の連続が期待されていると思うのだ。
そのように、ネット上での「人格」を連続させる場合には、それは「中の人」である自分とかけ離れたものであることは難しいんじゃないだろうか。不可能ではないけれど、あまりにもかけ離れた人格を同時に演じ続けるということは、現実の人格になんらかの影響を及ぼすのではないかと思うし、だからこそ、先ほどの「A」と「B」がそれほどまでにかけ離れた人格として存在しないで欲しいなと感じるのだけど、これはまた別の話だろう。
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ともかく、現実での『名前の持つ意味を相対的に変化させうる「状況」を作り出す』ことが困難だからこそ、ネット上では、役柄の獲得というよりは、どの芝居に参加(人格を連続させる)するのかを選ぶ自由の方が開拓する余地のあるもののように感じる。つまり、その人格が他者に認知される切欠として、属する社会や役割が最初にある現実とは別の方法で、そこに発見されることができるんじゃないか。なんてちょっと大げさだけど。
もちろんネットも現実も全て全体として大きな芝居(社会)なのだけど、それは同時に小さな芝居が同時に起こっている状態のことであり、その小さな芝居はそれぞれの「規範」を持っている場所だ。つまり現実の人格とは断裂した人格を持つと言うことで、新たな「規範」もしくは「価値観」を手に入れることの自由さが、ネットにはあるといえるんじゃないだろうか。例えば匿名掲示板でのやりとりなんかは、そこへ参加するそれぞれが、一つの場を構成する為に複数の人間が一つの役割をになっているようにも見えるのは、それがその場の「規範」だからなんだろうし。と、ここらへんも結局自分の実感を伴っていないのでよくわからないんだけど。
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最後の文章でishmaelさんが抱いている「地上の倫理をネットワークへ直接つないでしまいつつあること」への懸念は、鈍感な私にはいまひとつピンとこない。私のイメージだと監視管理が当然の場になること、もしくは現実の価値観とイコールな場所になること、という感じなのだけど、こういうこと考え出すと自分は何も知らないなあと思う気持ちのが強い。
ただ、その自由も何にも縛られずにいればやがて失われてしまうだろうとは思うし、その自由を守るには、やはり個々の振る舞いを正す倫理や常識や作法が必要になってくるだろうとは思う。自由とは秩序のない所には生まれないものだし、その秩序を保つものは、ishmaelさんの言葉を借りるなら「誇り」であり、先日読んだ「人間以上」*1から引用するなら「品性」であると思うのだ。しつこいようだけど、気に入っている箇所なのでもう一度引用する。

それによって個人がおのれの種を助けてゆくように生きていく慣例や一連の規律には、名前がなければいけない。道徳よりも上にある何物かなのだ。
それを仮に品性(イーソス)と定義しよう。(p352)
それは服従よりも、むしろ信頼を求めるおきてなのだ。(p364)
シオドア・スタージョン『人間以上』より

なんだか結局希望的観測のような文になってしまったけれど、私はインターネットの成り立ちみたいなものに詳しくないし日々変動しているであろう状況にも疎いので、あくまでも個人的な考えでしかないです。ただ、どんなに人格が断裂していたとしても、根源となる人は1人だということを、忘れちゃいけないような気がする。
なんだか思いつくままに書いてしまったのでいつの間にか最初に書いた哲学の話とはかけ離れてしまい、結局かなり書きなおしたりしてしまった。考えながらってよくない。
これ以降に考えが変わったら追記もしくは別の文にする。

*1:id:ichinics:20051115:p1

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