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  □これまでの日記一覧

2006-02-28

[][] 沖で待つ絲山秋子

今日お昼ごはん買いにいくついでに書店で買って、帰りの電車の中で読了できずそのまま喫茶店に寄って読了。

沖で待つ

沖で待つ

絲山さんの作品はまだ全部読んでいなくて、作風が前のに比べて云々、ということは言いにくいのだけど、この本に収録されている2本のうち「勤労感謝の日」の方は、内容はともかく、ジュブナイル風の文体というか会話文と悪態を中心に展開されていく感じが、何かこう、インターネットっぽい、とその由縁がよくわからない感想を持った。ラストはいいなと思ったけども、舞台の一つとして出てくる渋谷の職安に私も行ったことがあって、この主人公の視線の先にいたかもしれない自分のことを考えると、ぞっとしない、とか思う。つまりそのくらい、フィクションというよりプライベートな文章に思えてしまって居心地が悪かった。

しかし「沖で待つ」は、これまた全く異なるアプローチで描かれてる短編で、童話のような語り口が冒頭の軽いパンチ*1と相まって、その世界に引き込む力を持っていたように思う。

物語は主人公の会社の同期だった「太っちゃん」との「約束」を描いたものだ。

「(略)だって、そういう人は何でも知りたがるから。でもおまえだったら見ないって約束したら見ないでいてくれるような気がするのさ」(p78)

ここでの「そういう人」とは、自分と恋愛関係にある人ということだ。あああ、そうかもしれないなぁと思う。見ないと言うことが無関心なのでもなく、見てしまうということが傲慢なのでもなく、そういう関係性というのは、あると思う。

同じものを支えている感じと、お互いに支えているものを見ている感じというのかな。っていうのを風景であらわすと、p107で書かれているイメージなんだろうなと思った。そして、その視線の距離こそが、この物語における最初と最後のシーンに自然さを与えているような気がする。

[] 買ってやった

給料日後の恒例ですが、amazonカートに入ってたものをまとめ買いしてやった。半分くらい。何買ったかというとですね、あちこちで書評見ていて絶賛の嵐だったのも記憶に新しい(新しい?)「ディアスポラ」とか、今読んでるあれ(照れくさくて言えない)があまりにもシンプルすぎてついていけないので、またですが永井均さんの本で予習しようと思って買ったのとかスタージョンとか。CDはfeelsとかmaeとか買ってみました。ほかにもいろいろ。まあね。まだたくさん積んであるんですけどね。でも嬉しい。

[] 会話の正解を想像することと俯瞰は違うかも

他者もまた「自分(私が自分であるのと同じように)」であるということへの気付きや想像力というのはとても大事なものだと思う、ということをあちこちから考えてみようとしたり心掛けていたいと思っていたりするのだけど(出来ているかは別として)、それはとても、何というかわりと大きな視線のことであって、これが直接面と向かって接する人相手だと、何かちょっと違うような気もする。うまく言えないけど、なかなか視線が持ち上がらない(俯瞰しにくい)ものだったりもして。

それは、ちょっと前に「会話に正解はあるのかな」という文を書いた時にもやもやしてたところに近いんだけど、「思いやる」ことと「空気読む」ことと「疑う」ことって、もしかしてすごく近いことなんじゃないだろうか。特に、ちょっとお互いに好意があったりする間柄だったりすると、そういうことがごっちゃになりやすい気がする。

でもそれは、得てして相手に「自分が」どう思われてるかという想像から派生するものであって、相手の気持ちを想像することとはちょっと違うのだけど、なかなかそこまで冷静になれなくて、「どう思われたいか」という部分が入ってきてしまう気がする。それはつまり、自分の感情(もしくは利害)に引っ張られてしまうということなんだろうし、自然なことだ、と思う。

* * *

けど、個人的にはなんとなく、その感情に引っ張られるのが嫌だなぁ、という気持ちがあって、なるべく目の前にあるものだけでいいじゃないかと、そう思いたい気持ちが強いのだけど、それは別に「感情に引っ張られる」ということに反しない。

つまり、例えば、自分がこのくらい好きだからと言って、同じ量を返さなくてもいいよ、と思ってたいなぁってことで、自分が同じ(くらいの)量を「期待すること」とは切り離していたい。でもそれは同時に、だから自分も同じ量は返さないよ、というエクスキューズなの? ということを伴っていて、でもだからといってその中心にある「好意(目の前にあるもの)」が損なわれるわけではないんだよ、っていう感じ。

だから逆に気を許してるはずの相手に、型通りの言葉を言われたりしたらそれはそれで「えー」と思ってしまう

っていうのはそういうとこを抜けて、まあお互いに、お互いをわりと気に入っているということを承知、了解している、はずよね? という間柄(それも友達・恋人・上司部下同僚といろいろな関係があるけども)の時には割と言葉に裏が無いことが多い(個人的には。察してほしい、ってことはあるにしろ)。のに、言葉に暗喩(正解)を読み取ろうとされると、ちょっと「えー」ということなんだろうか?

自分で書いたのによくわかんないんだけど、つまり、この場合の「えー」は、その正解を読み取ろうとすることが、時によって「思いやり」「空気読む」「疑う」のどれにもなりうる可能性があるということかもしれない。(ただし、それも全て、ある感情の動きとか思考とかをラベリングした言葉に過ぎない、というとこをまた忘れちゃいけない)

* * *

ただ、ここですっかり忘れられてるのが、最初に書いた「俯瞰」のことで、「AさんがXという事柄について何を感じているか」ということを、俯瞰的にイメージする際にはAさんに自分を代入しているのだけど、「Aさんと私」の関係を俯瞰しにくいのは、そこに私を私の外から見なければならないという視点があるからなんだって話をどこかで読んだような気がするけど、そうなんだろうなと思った。なので、「目の前にあるもの/もしくは関係性」については、相手を信頼するしかないんじゃないかな。思考停止っぽいけど、雰囲気を大事にするしかないというか。(ただ、その関係性も「絶対」ではないから、歯車噛み合ってますか? ますよね? という確認*2が必要になったりもする。)

そして、そうすることによって、初めてAさんにも私にも関係ないXについての話(相手にとってのXが何であるか)という話ができるようになるんじゃないかとか思う。

* * *

で、結局またまとまってないですが、要するに私は「X」の話がしたいんだろうなと思う。机上の空論を楽しみたい。でもそこになかなかたどり着けない。視点が定まりにくい。

でも、空論ってのは、俯瞰の訓練になるんじゃないかと思ってて、そんな訓練いらんといわれてしまうかもしれませんが、私はそれが好きみたい。というか、読書や映画をみることや音楽きくこと全部私にとってはその一種だ。でもだからといって重力を伴う会話を軽んじている訳でもない。そんなの軽んじられない。むしろそれが本番なのかもしれない。コミュニケーションてその辺がややこしいなと思います。考えにくいなー。

* * *

「な気がする」ばかりですが、これらは主に、「沖で待つ」の引用文を切欠に考えてるので敢えて迂回してる部分はたぶんそれです。Xというのは、ここでは相手のHDDの中身(「沖で待つ」では秘密)を想定している。「X」が何であるかということでなくて、「X」というものを持つことそのものについて考えたい。ということだと思うたぶん。

*1:帯文読まないで読んだので

*2id:ichinics:20060225:p1

2006-02-27

[] LIVE AT TOWN HALL/Eels

With Strings Live at Town Hall (Dig)

With Strings Live at Town Hall (Dig)

Eels初のライブ・アルバム。これまでもHPではライブ盤通販してたような気もしますが(海外のサイトのことはほんとよくわからない)正規版としてのリリースは初めてのはず。ライナーに「do not end up like the desperate sad sacks throwing piles of cash through the internet in vain attempts to get the past EELS LIVE CD's.」とあるので、もしかしたら、ネットで過去ライブCDがプレミアついて問題になったりしてたのかも。*1

さて、このアルバムの内容は昨年発売された『Blinking Lights And Other Revelations』のリリース・ツアーとして行った、2005年6月30日のニューヨーク公演。

私が見たことあるのは「SOUL JACKER」の頃のサマソニ公演と、「シューテナニー」の後のクアトロでのライブ(最高だった!)なのですが、その当時のロックンロール路線とはうってかわって、ストリングスを入れたしっとりとした、やさしい雰囲気のライブアルバムになっていました。これがまた、『blinking lights and other revelations』というアルバムの雰囲気にあっていてすてきです。「It's A Motherfucker」や「Losing Streak」でのピアノがいいなと思ってクレジット見たら、ピアノはEがひいてるみたいだ。

印象的だったのは、のこぎりバイオリンの音を入れた「Flyswatter」から「Novocaine For The Soul」への流れ。そして、そこに続くのが、ボブ・ディラン『Girl From The North Country(北国の少女)』*2のカバーなんだけど、これがほんとすばらしい。原曲とは全く雰囲気が違っているのですが、特に、言葉の使い方がEの歌い方だとより映える。この場にいたら泣いたかもなぁ…。(何度も書いてますが、eelsについてはちょっと客観的になれなすぎる)

I'm wonderin' if she remembers me at all.

Many times I've often prayed

In the darkness of my night

In the brightness of my day.

『Girl From The North Country』/Bob Dylan

このライブアルバムは全編、音質がよく、ライブ盤とは思えないくらい、Eの歌は洗練されている。だから、アレンジの異なるニューアルバムとして聴いても良いと思います。長く愛聴できそう。あと、このライブは、どうやらDVDもリリースされているらしく、「DVD未収録の4曲を収録」と書いてあります。映像も見たい。このアルバムの日本盤が3月1日リリースの予定なので、それにあわせてDVDも出るかな。出るといいな。

とにかく、ぜひまた日本でもライブやって欲しいです。

『blinking lights and other revelations』の感想 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050510/p1

[] 祭カラオケ

早起きしてザゼンのチケットとった後(まだ行くか/行くさ!)、妹と買い物行って、偶然友達にあったりしつつ、その後、ちょっと時間が余ったのでカラオケに行った。妹とカラオケ行く、ということは、これ普段歌えないものが歌えるということです。

という訳で、ほぼ向井秀徳メドレー。自問自答とかね、あれ2人で歌ってる模様はまるでちょっと新しい活動みたいで、かなりやばいんですけど、そのヤバさを含めて楽しいです。マンガシックで「純情恋愛ブチこわし!」とかyou make me feel so badの「に!どと!あい!たく!なーい!」ってとことか半透明の「俺と貴様は関係なーい!」とか満喫しました。で、ラストはイギ―ポップ〜KIMOCHIで終了。

ほとんど全曲2人で歌ってたんだけど、姉妹だけになんか声が似ているみたいで、しかも聞き込んでるせいかぴったり重なるのがまるでぱふぃーみたいでちょっとなんかそれもあれでした。あれってなにかね。

*1:これかな?→ http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=2943

*2:「THE FREEWHEELIN' BOB DYLAN」に収録

2006-02-26

[][] クラッシュ crash

ichinics2006-02-26

  • 監督:ポール・ハギス
  • 脚本:ポール・ハギス/ボビー・モレスコ

言葉にしにくい、でも言葉にしたい、根源的な部分に触れるような映画だったと思う。これはぜひ、多くの人に見てほしい、素晴らしい映画でした。

 *

クラッシュ」の脚本はハギス監督の体験 ―― ロサンゼルスのビデオ店から出てきたところで銃を突き付けられ、カージャックされたという ―― を突き詰めていくことから生まれたものだということです。そして、その事件の後、家に戻り全ての鍵を付け替えた後に、監督がしたのは車を盗んだ男たちのことを想像することだった。「判断」を下してしまう前に。

日本という国に暮らしていると、今ひとつ想像し難い部分もあるのだけど、アメリカという国では、人種や収入の格差によって差別が生まれ、そこから衝突が起きることが日常なのだろう。

この映画には、複数の主人公が登場するのだけど、彼等にはそれぞれの視点があって、でもそれは他者のそれとはなかなか重ならない。こちら側から見れば善人なのに、あちら側から見れば悪人にも思える。そして衝突が起きる。それは決定的に何かを損なってしまうこともあれば、少しだけ、物事を良い方へ向けるものだったりもする。でもその衝突は、それぞれの奥底にある、核のような感情に、触れる。

映画のあちこちに、盲目的な差別があって、相手が「人間」だということすら忘れてるんじゃないかと感じさせる恐ろしい言動がある。ロサンゼルスという街を舞台にしてはいるけれど、「他者への恐怖」が差別につながっていくということは、日本でだって日常的に起きていることだろう。そこにある溝を埋めるために必要なのは他者もまた「自分」なのだと気付き、その気持ちを、監督自身がそうしたように、想像することだ。そしてその切欠は「衝突」からうまれることもある。

それぞれの主人公たちに起きる「衝突」の描写は、奇跡のようなものだったりもするし、身近にあったものに目を向けることだったりもする。そのひとつひとつの描写がとても丁寧で、役者さんたちの演技も素晴らしく、それがリアルだからこそ、彼等を許せないと思う瞬間もありながら、皆幸福になってほしいと感じたりもする。とても素晴らしい映画でした

続きを読む

[] スケート

やっとまともにフィギュアを見た。アイスダンスと男子女子のフリー&エキシビジョンをぶっとうしで鑑賞。

アイスダンスのブルガリアのペアが、なんか色っぽかった。それから男子はもう、王子みたいなのがたくさんいるのね。5位になったアメリカの男の人が(名前失念ジョニー・ウェアさんでした!)エキシビジョンで「マイウェイ」で演技してて、それがなんか、映画のラストシーンみたいでとても良かったです。

女子はやっぱ上位3人がすごい。目に力がある人が好きみたいです。アメリカ銀メダルの人はクリスティーナ・リッチみたいで良かったな。

[] 殺したくない

ここ最近考えていたことを、ざっくり掘り返されたような気がしたのがmichiakiさんのこちらの文章で

ぼくは罪悪感を感じたくないので、自分のことを悪である、と、お前は悪い奴だ、と、常々言い聞かせるようにしています。(そして、それを正そうともしないのでなお悪い奴だ、とメタ込みで言い聞かせ)

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20060226#1140922706

この文の最後に「死刑執行人選抜案」が書かれていたのですけど、私が最近麻原裁判について書いたりしたときに(id:ichinics:20060221:p2)考えてたのはまさにこの気分で、私はつまり、そのボタンを押す役目を負いたくないなぁと思ってあれを書いたんだった。

でもそれは私がその被告に「同情している」ということではなくて、単に人が一人死ぬという大事に関わりたくないという気分なんだと思います。例えばこれが国と国との戦争だったりしたら、正義がどちらにあるかなんて、それぞれの視点で全く異なるわけですよね? 物語の中では、「トラウマ」のある主人公が誤って人を殺害し、悔い改める、なんてことに感情移入できたりもするけど、それが現実に起きたら、そのトラウマのあるなしに関わらず、「誤って」だろうがなんだろうが、殺された側から見れば主人公が悪になりうる訳です。でもその殺された人を恨んでた人もいるかもしれなくて…と掘り下げていけば、根っこはどこまでも反転しつつ繋がっていて、人類皆兄弟になっちゃう。ってのはあまりにも飛躍しすぎてるかもしれないけど、ともかく、一人を殺して「やれやれ」ってわけにはいかないんじゃないかと思ってしまう。

前に、同じくmichiakiさんの「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問に答えたとき、私はこう書きました。

殺すという行為にはそれだけのリスクが伴われる。

(略)

そして、そういったリスクを伴うことを覚悟、認識できる人だったら、他者の状況を自分自身に置き換えて考えるということも出来るだろうし、そもそも「殺すこと」を選択しないのではないかと思う。

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20050821/p1

つまり、私は殺してはいけないと思ってるというか、殺したくないだけなんだと思うんですよね。

なんて考えていったら、私は死刑制度にも反対なんだと思う。

だって、私がその善悪を判断するならば、やはり被害者加害者両方についてよく知らなくちゃいけないわけで(善悪なんてのは「説明のいらないこと」とは思えない。法律は多数決だ。)、それを代わりにやってくれるのが警察や裁判所だったりする。それは理解してても、その結論が死刑になるのは、やっぱり違和感がある。

でも、だからといって死刑制度廃止運動とか起こすつもりもなくて、そしてそれを理解したうえで改善(でも改善ってなんだ?)しようともしてない。自分のやりたいことを最優先している、という意味で、私は悪人なんだなぁ、という結論に今日のところは達しました。

ただの開き直りですが、罪悪感を感じたら、その罪悪感が薄れてくことにまた罪悪感を感じて、という展開が想像できちゃうから、やっぱり罪悪感は感じたくない。「でも想像できるのに、何もしてないんだ?」「そうだよ悪いか!」という混乱をしずめるための自己解決法(思考停止)としてとりあえず、悪人ですと認めるしかない。

でも現実問題として、実際そのボタンを押さなきゃいけない立場になったらどうするかなぁ。多数決によって、明らかに「悪」であると判断されたにしろ、「私」に害を及ぼした訳ではない人を、殺せるだろうか?(←これは特定の事件に対して言ってることではないです)

私が殺されないために、という状況だったとしても、それに代替されるのは「殺す」ことだけじゃないと思う。

IMAOIMAO 2006/02/26 05:13 お、『クラッシュ』もうご覧になられたのですね。
マット・ディロンも良い感じで歳とったなー、って感じがしてて前売りは買ってあるのですが、なかなかタイミングが・・^^

ichinicsichinics 2006/02/26 18:34 「クラッシュ」すばらしかったです。公開中にもう一回は見にいきたいと思ってます。まだ2月ですけど、もう今年はこれだ、とか思ってしまってます(笑

michiakimichiaki 2006/02/26 23:58 むかし、アムネスティの会員みたいのになって、1年くらい、死刑反対のハガキとか政府に送ってたことあるんですよ。
でも、あれはむなしいですね。なんの反応もないし、状況も改善しないですし。
そういう運動をしている、ということ自体に喜びを見いだせる人でないと続かないと思います。
自分はだめでした。(つか、ハガキじゃだめなんでしょうね…)
で、ichinicsさんは、わたしの言うことをちゃんと受け止めすぎだと思います(笑)
他の人にはあんまり、伝わっている、という感じは受けないのですが…。
(でも「反応がない」だけなので、ほんとのとこはわからないですけど)

ichinicsichinics 2006/02/27 00:33 michiakiさんこんばんは。
私は死刑制度というものについてまともに考えたことすらなかったのですが、ハガキでも送らないよりはずっとましなんだろうなと思います。でも、私がそれをしててもきっと、抵抗したってことに安心してしまいそうな気もしてこわいです(もちろん活動を否定するわけじゃないですけど)。だーからー結局私は自分勝手なんです!という気分です。今日は。
それから、なんか頻繁に反応してしまってて、申し訳ないです(笑)でもほんと、michiakiさんの文章からはいつもたくさんヒントもらっていて、読めて嬉しいなーと思ってます。

michiakimichiaki 2006/03/01 00:09 コメントしようと思って忘れてました。
反応頂けるのは嬉しいです。思ってたのは、自分はけっこう「とどけー!」と大出力、で言ってしまうことがあるので、敏感なichinicsさんには通りすぎる気があるのじゃないかと。
ふんふん、ってくらいの感じでどうぞ(?)

ichinicsichinics 2006/03/01 02:34 そう言っていただけるとかなり気が楽です。私が敏感…(笑)というのは置いておいて、考えるのが遅くてしかも考え過ぎるせいか、これでも反応するチャンス逃してるのがたくさんあります。
ここで書くのもなんですが、[群青色]で、新しくなった!とか思うことが最近続いて、そういうとき特になんか続けて読めるって嬉しいなぁとしみじみ思ったりします(支離滅裂ですが)。ともかく、これからも楽しみにしてます。で、追い付けたらまた反応してしまうと思います。

2006-02-25

[] いつもの感じ

風邪気味ではあったけど、医者にもらった薬とルルゴールドダブルで飲んだりしてなんとか復調。深夜0時くらいに合流して、無事飲みに行けた。

久しぶり(でもないのだけど)の友達と会うと、会ってなかった時間を埋めるまでの、ちょっとしたぎこちなさ、歯車があうまでの行きつ戻りつ、みたいなものを経て「いつもの感じ」にたどり着くような気がする。そういう瞬間てのが気まずい、とは思わないのだけど、時折、これがいつか、行っても戻ってもカチリと合うところ、合うように感じるところ、が無くなってしまうのだろうかなんて、考えてしまうと少し不安になるし、ああ見つけた、と思ったときには安心する。

なんて考えながら、ちょっと大げさにすぎるかな、なんて思うのと、単純に話をしていて、返事が返ってくるということをうれしいと思うのは同時だったりもして、そうすると、この時間が過ぎて日にちが経って、いつかまた、あの行きつ戻りつを繰り返すのだろうということが、とてもこわいことのようにも思う。

だいじょうぶだ、と思うし、だいじょうぶにする、ということは決めている。いつもは「ここ」から先のことなんて何も確定していないと考えたい私だって、たまにはそんな乱暴なことを思う。

なんて、ずいぶん感傷的だけど、

今日会った友達が、この日記を探してるんだけど見つからない、と言っていて(日記を書いてることは言ってた)、別にその人に見られて困るようなものは無いんだけど、見つかったら気まずいかもなぁとも思うし、書けなくなることもあるかもしれない。そう思うのは、ここで考えていることが、「いま」の私の全部だと思われたくないからなんだろう。

対面して話しているときは、誤解されたくないと思って注意深くなる部分がどうしてもつきまとうのだけど、ここで文章を書いたりする際にはわりと油断しているので、誤解される可能性も大いにある。でもまぁそれもいいか、と思える反面、その人は、ここで書くようなことを口に出して話出来る数少ない相手だったので、出来ればそれは会った時にしたい。それはなんでだろ、と思ったら、やっぱりその人と会話をしたいからなんだと思った。

そしてそれが大事なので、その行きつ戻りつ、みたいなのをまた繰り返すことがこわくても、だいじょうぶだと決めたんだし、だから、だいじょうぶ? とか聞かれても、だいじょうぶに決まってるじゃんか、と答えるんだよ。じゃなかったら困るもの。

着地点見失いっぱなしなので、たまには目測で飛び下りるぜ、なんて頼りない感じですけど、やってみれば以外と平気なんだよたぶん。

2006-02-24

[] 風邪ひいた

喉が痛いのは花粉症かもな、まだ2月なのにな、そういえばなんだかだるいし、間接も痛いし、顔が熱いし、とか思ってたら風邪だった。熱があった。体が凄く暑いのに/心だけ何故かとても寒いです((c)すぴーど)。

でも今わりと忙しい時期なので行かねばならないので会社には普通に行ったんだけども、気付いたら長袖Tシャツの上にカーディガン着たうえに更にカーディガン着ていたので、ということに会社で気付いたので、なんでいつのまにこんな服装、とか思いつつ、どんなときにも女はおしゃれを忘れちゃダメ☆とかそういうこと言い出したのは誰なんだかしらないですけど、とりあえず今日は考えられないです。すみません女じゃなくて。とか思いながら一日仕事した。だるい。食欲ないので昼は緑のたぬきの小さいの食べた。たぬきはうまかったけど、のど飴の代わりにハイチュウ食べたらびっくりするほどむせた。危険。

でも明日は、明日を逃したらもうしばらく会えないかもしれないだいじな友達と会う約束をしてるので治りたい猛烈に。

[] ブギーポップは笑わないを読もうかと思って

ライトノベルってのの定義もよく分からないし、たぶんそういうのに類する小説っていうのは、中学生の頃以来読んでないと思うので、感覚も鈍いと思うのですが、興味はあって、で、ライトノベルって言葉が使われだしたのはこの「ブギーポップは笑わない」くらいからのような気がします。そんくらいの知識です。でも面白いんでしょ? と言ったら弟(前にあずまんが大王貸してくれた方)が貸してくれたので、読んでみようかなぁと思ってます。弟はもう何回も読み直したそうです。ついでに「あずまんがでは誰が好みなの?」ときいたら怒られました。

 *

でも、話題作の割に内容を耳にする機会が全くなかったものでもあるので、読む前に予想してみようかと思う。ベタベタな予想しかでてこないけど。

1.学園もの

ブギーポップというあだ名の人がいる。主人公は別にいて、たぶんブギーポップさんの近くにいる女子とか。で、ブギーポップさんは笑わないんですね。でもいろいろ難事件をその女子と解決していくわけです。氷のような心が溶けていきます。最後笑います。笑うと結構かわいいじゃん、とか言われて大団円。

2.ミステリー?

ブギーポップという謎の薬とか組織とかがあって、それを倒そうとしている探偵的な存在が主人公。ブギー・ポップの被害にあった人の傍らには必ずカードがおかれていて、ピエロが笑ってる絵が書いてあったりする。

3.バンドもの

バンド結成します。「Boogie」とつく曲が彼等の代表曲で、主人公はギタリスト。で、曲を作って歌を歌うちょっとカリスマ的な(NANA的な)人がいるんだけど、その人がこう、秘密の多いタイプでね。お金に困ってたりとかして、声が出なくなったり引き抜かれたりとかして、「もう俺には踊れない…」とか言うの。で、ラストはアンコールが3回とかでさ、お前のギターじゃなきゃ歌えねぇ、とか言うの。

4.童話

双子の兄弟ブギーとポップの物語。舞台は北国(外国)。生き別れになる。ブギーはポップを探す。記憶の中のポップはすごい純真な感じで、ブギーはそのことに関してコンプレックスを持ってるんだけど、そのコンプレックスによって、離ればなれになってしまったと自分を責めてたりする。でも実際二人が出会う時に、ポップはなんというか、そうだなぁ、野生の王国みたいなのの長とかになってて、ブギーのことを分かってくれない。で、ポップの記憶を取り戻すためにオズの魔法使いに会いにいくんだけど、はたしてそれはポップにとって幸せなことなんだろうか?とかって悩む。

5.SF?

ブギー・ポップはいわゆるニュータイプみたいな存在で、それ対人類の確執を描いたスペースオペラ。主題歌は「ジギー・スターダスト」。あ、マクロス

6.いちばん近いだろうと思うの

すごく長い作品なので、たぶん群像モノに近いんだろうなと思う。ブギーポップという何か(たぶん人物)を中心として様々な場所で起きるいろいろが伏線となって繋がってくみたいな、そんな感じ?

 *

うわ。キーワードみたらぜんぜん違うっぽい。当たり前だけど。

2006-02-23

[][] ベルカ、吠えないのか?/古川日出男

ベルカ、吠えないのか?

ベルカ、吠えないのか?

すごい、なんて陳腐な言葉しか浮かばないけれど、すごい物語だ、と思った。太平洋戦争時からソ連崩壊に至るまでの人間の、戦争の歴史と表裏一体となった、イヌの歴史についてがこの本には書かれている。だからこれは、一九五七年の、十一月、イヌ紀元ゼロ年を中心として描かれる歴史だ。

全てが駆け足のように思える。そしてそれは実際、哮り、駆けるイヌと、イヌと交わった人間の物語だ。

たくさんのイヌがいて、それぞれの生や本能があって、そこから遠いところで動いていく世界があって、その個と世界の遠さはまるであの一九五七年に見上げる空と地上ほどもあるように思える。

いろいろ狂う。狂っているように見える出来事もある。でも、歴史なんてのは実は角度をかえれば、いくらだって変化して見える。

これはフィクションだってあなたたちは言うだろう。

おれもそれは認めるだろう。でも、あなたたち、

この世にフィクション以外のなにがあると思ってるんだ?

(まえがきより)

とにかく、物語って、すごいなあ、と私はバカみたいに感心してこの本を読み終えたんだけど、例え全てがフィクションでも、それを読んで感じることってのは、真実なんじゃないかと思ったりする。

万人にお勧めできる本ではないと思うけど(意味わからん、という人もいるだろうとは思う)私は、イヌに夢中だった。例えばアイス。それからあの怪犬仮面がグッドナイトとの邂逅に啓示を感じる場面。私はすっかりしびれてしまって、夢にまでイヌが出てくるような勢いです。うぉん!

 *

「ロックンロール七部作」の感想 → id:ichinics:20060127:p1

[] 会話に正解はあるのかな

いつも読ませてもらってる「空中キャンプ」さんの文章でちょっと気になったところがあった。男女におけるコミュニケーションの質のちがい、ということについてなんだけども、

男性には、こういったコミュニケーションの発想がない。「私がAといったら、Bと返事してほしい」という考え方をしない。つまり、期待する答えはあらかじめ決まっていて、お互いが手順通りに会話をして、それが両者の予測通りに成立する、というコミュニケーションに対して、どうして満足を覚えるのか、いまひとつよくわからないのである。

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060222#p1

この文章を読んで、あーまあ確かに、と思う反面、ちょっと違うような気もした。コミュニケーションについて考えるのって難しくて、どうしても自分が普段どうしてるかってことを中心に想像してしまうんだけど、例えば、Aと言ったらBと言ってくれっていう空気読め圧力みたいなのは男の人にはないんだろうか? 例えば私の友達の男の子達には明らかに慰めてほしそうだなぁというときがあるけれど、それは私が異性だからなのかな?(もしくは私の勘違い?)

私も、この日記ではうっとうしいことたくさん書いたりするけど、日常生活ではわりと空気読んで生活してる、と思う。たぶん。一応心掛けている。褒めて欲しそうなら一応褒めるし、何かに怒ってる相手にはそれなりの共感ぽいものを示してみたりもする。逆に自分が気になってるものに対して「そんなのどうでもよくない?」みたいなこと言われても「私は好きだけどなぁ(あはは)」みたいな感じで受け流すこともある。もちろん、反論したくなるときもあるけど、反論してる時はわりと相手に気を許してるときだ。それか、絶対譲れないとき。

だから逆に気を許してるはずの相手に、型通りの言葉を言われたりしたら、それはそれで「えー」と思ってしまうけど、それもまた正解を求めてることになるんだろうか?

ともかく、私の中では「Aと言ったらBと言おう」っていうのは、気心知れる前の牽制しあってる感じなのかと思ってた。そして私自身が上の空でそういう話し方してるとよく怒られます。

 *

でもたぶん「空中キャンプ」さんで書かれてることは、ちょっと違う話な気もする。

 *

ちなみに全然関係ないけど、古川日出男さんの文章読みながら時々zoot32さんの文章を連想してました。リズムがある感じ。

続き

id:ichinics:20060228:p3

[] 電気用品安全法について

電気用品安全法というのは電気製品に安全確認マーク(PSEマーク)をつけて製造、販売することを義務づけるもので、2006年4月以降からはそのマークの表示がない製品の販売はできなくなるという。

以下の記事がすごくわかりやすかった。

PSE法は、基本的には製造・輸入・販売の3業者に対する法律である。そして中古販売事業者は、これを除くと明示されてない以上、「販売」の業者に含まれることになる。PSEマークの有り無しで影響を受けるのは、市場に出てから数年が経過したのち、再び売られるという時間差が存在する、中古市場がもっとも大きい。

電気用品安全法は「新たなる敵」か (Side A)

とりあえずこの記事を読むと、中古市場についてきちんと分けて考えられてはいない法律のようです。この署名(http://www.jspa.gr.jp/pse/)があつまって中古市場について理解のある法律になればいいなあ、と思うのですが、あまりにも間近に迫った法律でちょっとびっくりもしています。知らなかった…。

2006-02-22

[] ZAZEN BOYS@渋谷クアトロ

またしても行って参りました。MATSURI SESSION@クアトロクアトロといえば、どうしてもNUMBER GIRLのシブヤRocktransform状態を思い出してしまうので、向井秀徳をクアトロで見る、というこの機会をとても楽しみにしていました。実際、向井さんとクアトロというのは相性が良いのか、今日のライブはいつもに増して「具合の良いテンション」だったような気がします。

会場は満員御礼。前回ベース側で見たので、今回はギター側へ。冒頭からSUGER MAN〜リフマンマボロシイカサマハードリカーウソダラケヒミツ(順番不鮮明)で一気に沸点に達した後、少しテンポを落としつつ、ラストまですごく密度の濃いライブでした。

3rdが出てからのライブを2本見て感じたのは、それ以前のライブ空間が4人の真剣勝負、のように感じられていたのに対し、前回と今回については、4人が1体の昇り龍(RIFF MAN)のようにうねっている、という印象ですよ。4人の音が、きれいに重なっている。各自の主張が、寄り添って、強くしなやかだ!

3rdの曲では、今日初めてライブ版を聴いた曲もいくつかあったんだけど、やはりザゼンの本領はライブにあるのだなと痛感しました。もちろんレコーディング音源も良いのだけど、あれは「ひな形」であり、ライブでの躍動感とはまた別物。音に触れるのがとにかく楽しくて、引き合いに出すのもおかしいかもしれないけど、ものすごく強い格闘家の試合を見てきれいだなーと思うのににてるんじゃないかと思う。それは圧倒的だ。

RIFF MANは今日二回やったんだけど、もうね、試合です。

今日のライブではお客さんの雰囲気も良くて、前回にも書いた「交歓」の空気がライブ全体を覆っていたような気がします。とにかく楽しかった。もう毎週見たい。ichinics2006-02-22

 *

会場ではMATSURI SUTUDIOでのセッション音源と、昨年末のAXでのライブ音源も購入。これからじっくり聴きます。

 *

ところで、クアトロはいろいろ思い出深い場所だし、好きなライブハウスなんだけど、ロッカーの少なさはどうにかしてほしいと思った。

[] 何と訊かない

今日、おじさん(上司)を交えて数人で話していたら、何かの流れでポール・マッカートニーの名前が出た。おじさん(60代)は「知らない」と言う。ええ、ポール・マッカートニー知らないんですか? と幾人かが言い、じゃあジョン・レノンは? ああ、名前は聞いたことある。聞いたことあるだけですか? うそー。

そんな風に会話が流れる。でもおじさんは「それは何してる人なの」とは訊かない。それがなんだか不思議だった。別に知らなくていい、と思ってるのかもしれない。でも、気にならないんだろうか?

例えば、「最近○○という人の絵をみてすごく好きになったよ」という話をしたら、その絵の話じゃなくて「絵を見にいったりするんだ、かわってるね」なんて言葉が返ってくる感じ。これはほんとおおざっぱなたとえだけど、それがどんな絵か気にならないのかなぁ、ってことが最近気になってたんだけど、べつに気にしてほしいわけでもないからいいやということにしようかな。

でもちょっとさみしい。

[] アリスDVD発売

最近めっきり二人でいるところを見ていないのでちょっとものたりない。そんな折に嬉しいニュース。

ラーメンズ第15回公演 アリス』DVD

5月17日(水)ポニーキャニオンより発売

買います。ついでにFLATとかも出してくれないかなぁ。

2006-02-21

[][] ビッグコミックスピリッツ2006/12号

ラストイニング
チームがまとまったと思ったら、父母会が足かせになりそうな予感…。
東京物語映画特別編
だいじょうぶですか?
fine
第二回。同居を提案してきた元彼女と、曖昧な関係の女の子。「つり合わない」とか「わざわざ定義しやがって」とか、なんか痛いですが、リアルだなと思う。降って湧いた同居話っていうファンタジー要素も、その痛々しいリアルさによって映えるというか。今後に期待。
団地ともお
双子の話。出来た兄弟がいるといろいろコンプレックスに感じることもありますが、兄弟は仲良しなほうがいいよねやっぱ。
我が名は海師
トッキューとコラボなのはいいけど、あそこに文字いれるのはよくないなーと思った。
美味しんぼ
焼酎の話。常温の水1対1で割って飲むと美味しいって、これはどの焼酎でも同じなのかな。お湯割りは開き過ぎ氷を入れると固まるっていうのはなんとなくわかる。
中退アフロ田中
田中おもしろい。もう毎週田中が一番楽しみだ。あー、今週の話は、性欲抜きでデートすればいいんじゃんってことだったんですけど、まあ結局面白い感じになる田中の巻でした。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
!!!田中から続けて読むと天国(?)と地獄だ。
ハクバノ王子サマ
タイミング悪すぎるかな? タカコサマの自問自答の後だからいいんじゃないかと思うけど。

[] オウム裁判について/客観的になること

法律とか刑法なんかの知識は全くと言っていいほど持ち合わせていないので、安易に触れるのはよくない、と思いつつ、やっぱりちょっとひっかかるニュース。

松本被告の訴訟能力を巡っては、「訴訟能力はある」とする同高裁と、「ない」とする弁護側が真っ向から対立。同高裁は、訴訟手続きを進める前提となる、松本被告の訴訟能力を見極めるため精神鑑定を実施した。

松本被告の弁護人によると、松本被告は面会の際、質問に反応せず、意思表示もしていない。しかし、東京拘置所の記録などによると、拘置所の日常生活に大きな支障は生じていないという。

鑑定内容の詳細は明らかになっていないが、松本被告の行動に異常があるのは軽度の拘禁反応(長期の拘置による精神の異常)か詐病で、訴訟能力までは失われていないと判断したとみられる。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060220it03.htm

先日読んだ、森達也さんの本(「世界が完全に思考停止する前に」)の中に、2004年2月27日に行われ、元オウム心理教教祖麻原(松本智津夫)被告に死刑判決が下された裁判を傍聴した際の文章「不思議の国の極刑裁判」があった。

この時点で、森さんはこう書いている。

複数の司法担当記者たちからは、もう彼には正常な判断能力はないだろうとの推測を聞いてはいた。でも自分の目で確認するこの光景は、やはり強い衝撃だった。p106

(略)

もちろん、彼のこの症状を統合失調症と断定はできない。でも、詐病の可能性を口にするならば、精神鑑定を実施すればよい。少なくとも彼の表層的な言動は正常ではない。仮に演技なら、それを見破ればよい。当たり前の話だ。ところがまるで暗黙のタブーのように、誰もこれを言いださない。逮捕されてから現在まで、彼は一度も精神鑑定を受けていない。通常なら逮捕直後に実施されたはずだ。ところがなぜか為されなかった。誰も口にしなかった。鑑定が万能とは僕も思わない。でもないよりはましだ。

統合失調症は投薬で劇的に回復する。そもそも彼が不規則な言動を法廷で始めた七年前に適正な医療処置を施せば、ここまで悪化はしなかっただろう。(p109〜110)

そして約2年の時を経て松本被告の弁護団が意見書を提出する運びとなったわけだけど、(http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060116i315.htm)2月1日には発表された「訴訟能力を完全喪失」という弁護団側の精神科医の発表(http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060201i213.htm)とは全く逆の結果になってる。

罪を犯したら、罰を受けるべきだ、というのは社会の論理として正当なことだと思う。ただ、裁判や報道は、客観的な目線であるべきだろうなとも思う。だから、何かちょっと、へんな気がする。それを言葉にするのはすごく難しいのだけど、罰を受けるべきだ、と「感じること」と、その罪がどのようにしておこったのかを調べる、ということはまた別のことであるべきだ。それはこの事件に限った話ではないから。

だから、精神鑑定がこれまで行われていなかったということと、治療してなおる可能性があったのだとしたら、なぜそれをしなかったのだろう、という点には疑問を持たざるをえない。

上に引用した森さんの文も、もちろん被告に肩入れするというものではない。

ただ、犯罪を犯したことはもう分かってるんだから、いいじゃん、とは言えない。因果応報、悪いことをしたら、死んでしまえ? 私がそれを言えるだろうか? それを言わなくちゃいけない立場にいるならば、やはり私は知らなければならない。周知の事実だからといって、それを自分の判断にすることは、できない。

かと言って、私に実際を調べる力もなければ労力を払うつもりもないのも事実で、自分はずるいんだろうなとも思う。私だって、中高生の頃にピンクの象のかぶりものした踊る選挙カーを見て、「うわ、怖い」なんて思ってそれを口にしたりしたこともあった。でも、だからと言って、理解できなそうなものを、遠ざけておしまいにしてしまうことが正しいとも思えない。

とりあえず、日常生活に支障をきたしていない、というのはどういうレベルのことなんだろうな。弁護側と検察側の意見がここまで食い違っているというのは、どちらかの視点が客観的ではないからなんじゃないのかな。

追記

これ書いてから見つけたのですが、id:kwktさんによるこちらのレポート→【公開討論会「こうするべき!麻原裁判控訴審」参加】が、とても丁寧にまとめられていて、参考になりました。

たぶん、多くの人が気になっている点は、この一文で解決されるんじゃないでしょうか。

精神医学の伝統的な見解としては、犯罪実行時に責任能力があった人が逮捕後に拘禁反応を起こしても事件当時の責任能力なしとは認めないというものがあるので、精神鑑定することを誤解してはならない。

野田正彰・関西学院大学教授(精神科医)が2006年1月6日に麻原被告に接見した際の見解

でも、裁判所は

2005年8月、弁護側に精神鑑定を行う前から「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」との旨を弁護側に伝えている。

http://d.hatena.ne.jp/./kwkt/20060220#p1

とすると、上記の鑑定結果だって、信頼できるのかどうかわからなくなっちゃう。

例え、どんなに罪が明らかであったとしても、それがどのようにして起こったのか、きちんと調べる必要はあるんじゃないかな。

kwktkwkt 2006/02/21 21:42 はじめまして。kawakitaと申します。私のエントリーをご紹介くださりありがとうございます。貴エントリーの疑問についてですが、問題となっているのは「訴訟能力」のようです。
「責任能力」と「訴訟能力」の違いにつきましては以下の二つのサイトが参考になります。
・大石英司の代替空港: 刑務所と裁判
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/02/post_c22c.html
・長期にわたる公判手続きの停止と「手続き打切り」の可能性
http://www.ceres.dti.ne.jp/~h-nakaji/hosemi577.html
上記二つのサイトの要点を、私の以下のエントリーに【追記】として下方部に記述しております。
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060220#p1
よろしければご覧ください。

ichinicsichinics 2006/02/22 01:43 kawakitaさん、はじめまして。勝手にリンクしてしまって失礼いたしました。
また、参考になる文章をご紹介いただき、ありがとうございます。精神鑑定に反対、という人の多くは、それが「責任能力」ではなく「訴訟能力」を問うための精神鑑定であるにもかかわらず、責任能力を問うものであると誤解しているか、もしくは税金の無駄使い、という理由を挙げているように感じます。私のひっかかりは、例えば、鑑定の前から裁判所側が最初から「訴訟能力あり」と断定していたのだとしたら、それはすごく怖いことだなと思うからなのですが、それ以前に「そんなのいらない」と言われてしまうと、なかなか言葉が見つかりません。でも、その断定がもし本当に断定ならば、それは今後別の事件を扱う場合にも起こりうるんじゃないかと思うのです。語りにくい事件ではありますが、その点については、やっぱりひっかかっています。

2006-02-20

[][] アンダーカレント/豊田徹也

アンダーカレント  アフタヌーンKCDX

アンダーカレント アフタヌーンKCDX

昨年読んだ漫画ベストにも挙げた(id:ichinics:20051227:p1)豊田徹也さんの初単行本。

アフタヌーンでの連載当時から、その静かな空気感は印象的だった。まるで一本の映画みたいだ、なんて表現を褒め言葉として使うのは正しいのかわからないのだけど、改めて単行本でまとめて読んでみると、やはり一本の映画のように、監督としての豊田さんが連載全体を俯瞰して描いていた「作品」を、連載という形に分割して読んでいたのだなと感じる。シーンのつなぎ目、間、暗喩でもある回想シーンなど、場面の配分が素晴らしく、台詞があり、絵がある上に、文字としては語られていない言葉が見えるように思う。例えば、吉田修一さんの小説を読んでいる時に感じるような、乾いた静けさの奥底にあるどろどろとしたもの、そして、その両方から遠く離れた目線を思い出す。そして実際に、この「アンダーカレント」で描かれるのは、「生活者」としての自分と、その底流にある「何か」との挟間にある人々なんだと思う。

ニュースや新聞の記事になる自殺と ならない自殺の差って 何なんでしょうね

銭湯を経営する主人公、さなえが、失踪してしまった夫のかわりにと臨時で雇い入れた男と交わす会話にこんな台詞があった。この言葉は、もちろん「夫は自殺したのだろうか」という疑問を前提に行われているのだけど、最後まで読めば、そのやりとりと寄り添うようにしてあったはずのもう一つの会話について考えてしまう。

語られるはずの「何か」を無意識に避けているうちに、その何かの存在まで忘れてしまう、という関係がこの「アンダーカレント」の中には幾つか出てくるのだけど、そのことを寂しい、と思うのは、それがあったからなんだとも思う。

テーマとその描き方はもちろん、丁寧な絵柄も、とても好みな漫画家さんです。今後の作品も楽しみ。

[] フリーマーケットとカーリング

友達に誘われて、フリーマーケットでものを売ってきた。

初めての場所だったけど、まあ代々木みたいなもんだろうと思っていたら、予想外なことに地元のバザーみたいな雰囲気。お客さんも家族連れがほとんどだったため、持っていった洋服類はほとんど売れずに終了してしまった。売り上げはほぼCDのみ。2枚買ってくれた男の子に「おまけ」とか言ってポロシャツあげたりして、どうにかものを減らしてみたものの、結局行きも帰りもほぼ同じ荷物量でした。

友達3人で出店したのだけど、結局3人の間で洋服交換とかした方が多くて、まあそれはそれで良かったことにしようと思う。

家に帰ってからは弟の合格祝いのごはん。ケーキもたべた。

その後、そういえばオリンピック見ていないと思ってだらだらと女子カーリングの試合を見る。選手がかわいい。最初全くルールがわからなかったのだけど、見ているうちになんとなく分かって結構面白かった。雰囲気としてはビリヤードに近い気がするんだけど、いわゆるスポーツというよりゲームというほうがしっくりきて、ちょっと不思議だった。相手チームの攻撃が終わると、次に投げるための作戦会議をするのだけど、それがわりと素の会話に聞こえる。攻撃中に邪魔されることはない(ホーム(だっけ、あの的)間近にきたストーンが流されないようこするくらい)から、相手チームにきかれてもかまわないみたいだし。「ここ、いけそう?」「うん、だいじょうぶそう」なんて、わきあいあいとしてる。ように見える。実際やったら大変そうだけど、ちょっと面白そうだと思った。

適当に切り上げて弟が買ってきたフロントミッションやるはずだったのに、いつのまにかうとうとしていてこんな時間。日曜日が終わってしまった。残念。

toukatouka 2006/02/20 17:13 話題になってたのでアンダーカレント私も読みました。
とてもとても丁寧に作られた9時からやってる2時間ドラマって感じでした。もちろん面白かったし感銘も受けたんですけど、なんていうかオーバーテクノロジーで再現された古代のなんたらみたいな、釈然としなさが残りました。求めているものが違うというか、力のいれどころが違うというか。それがちゃんと効果をあげて評価されているんだからそれはそれでいいんでしょうけれど。話を動かす探偵さんのキャラがベタから出ていないってのがひっかかった理由か。ああ、この手のキャラを手放しで許しちゃう映画ってあるよね、みたいな。
ヤングユーでの銭湯のマンガといえば、勝田文の「あいびき」ですが、ヤングユー・アフタヌーン対決ってことで誰か読み比べしてくれんかなとか思ってます。

カーリング、四年前はめちゃ気合入れて見てました。一度見始めるとすげー面白いですよね。今回は本腰入れて見れなさそうなので、それならもう見ないってことにしたんですが。

ichinicsichinics 2006/02/21 02:50 言い切ってしまっていいのかはわからないんですが、「アンダーカレント」には初連載作品らしさというか、物語よりも「描きたいこと」が先に立ってる感じはあったような気もして、それが力のいれどころのズレなのかなと思います。例えば、旦那の話と堀との過去のエピソードは、両方を入れるのに11話では少し駆け足だったようにも感じました。あと、狂言回しとしてのサブじいと山崎もかぶってしまってるのが残念。
でもやっぱり、好きだなぁと思うのは、物語で直接的に語られてることの外に物語がある感じですね。
ちなみに探偵「山崎」は、押井守「御先祖様万々歳!」が元ネタなんではないかと思ったりしました。
ところでカーリング、面白いですねー。1試合が長いなぁと思うんですけど、いつの間にか夢中になってます。

toukatouka 2006/02/21 18:06 http://torino.yahoo.co.jp/voice/serial/ikushima/at00008008.html
解説の人がいいみたい<カーリング

ichinicsichinics 2006/02/22 02:18 私が見たときもこの人の解説でした。そういえばさりげない感じなんだけど、確かにわかりやすかった。解説って大事ですねー。

2006-02-19

[][] 音楽バトン

id:kissheeさんにバトンをいただきました。ありがとうございます!

音楽もののアンケートは、あれもこれもと欲張りたくなってしまって、なかなかまとまらないんですけど、やっぱり楽しいです。

1.好きな音楽ジャンルは?(複数でも○)

ロックが7割くらいで、あとはレゲエ、ジャズ、クラッシックを中心に、ひたすら雑食です。

緩いものも鬼気迫るものも好きです。

2.そのジャンルで好きなアーティストは?(3個くらい)

迷う。

海外だと、RadioheadNick DrakeLED ZEPPELIN

日本だと、フィッシュマンズ向井秀徳(を中心とした2バンド)

頻繁に聞いているのはこのあたりです。新譜はあんまり聞かなくなってしまって、レーベル単位で追いかけてるのはDrag cityくらいかも。

3.そのアーティストで好きな曲は?(各一曲ずつくらい)

あくまでも今日の気分で

4.これだけは聞いてみろ!って人に勧めたい曲は?

バンドだけどLONG PIGSとAfghan Whigsについては、もっと評価されてよいバンドだったと思う。2バンドとも解散してしまったのですが、未だに思い残すところがあります。

よく人にお勧めしているのは、ジャズピアニストのDoller Brand(id:ichinics:20050615:p2)とか。

5.踊るときに一番聞きたい曲は?

踊るならレゲエ・ダブがいいかなぁ、というくらいで曲単位ではあまり思い付きません。

6.チルアウトするときに一番聞きたい曲

何か違うかもしれませんがBrian Enoとか。

7.いやらしいムードを高める曲といえば?

CURTIS MAYFIELD「So In Love」とかで踊ったりすると盛り上がるんじゃないでしょうか。だめ?

8.朝方に聞きたい曲は?

くるり「ばらの花」

9.夜中に聞きたい曲は?

夜中は基本的にくよくよしてるってことです。

10.次にまわす人は誰?

id:slowriderさんとid:mikkさんにきいてみたいです。もちろん面倒だったらスルーしてくださいませ。(もしもう答えていたら申し訳ないです)

[] ふくざつ

今日はちょっとした、なんというか、おつきあいで飲み会。よく知らない面子で、おちこんでいる男の子を集団ではげます会みたいな。そんな感じ? なぜ私が呼ばれたのかもよくわからず(まあ1人知り合いがいたからだけど)、共通の話題がお酒くらいしかなくて、ひたすら飲むしかなかった。困った。

とらぶりゅーを泣きそうになりながら歌っているひとをはじめてみた。そんな夜でした。ごめんなさい。

mikkmikk 2006/02/20 20:28 バトンありがとうございます。ichinicsさんからなんてよけいに緊張しています。。!解答に悩みまくってますので、少々日にちくださいませ。
夜中に聴きたい曲、ichinicsさんの生活が垣間見れて、なんだかどきどきしてしまいました。

ichinicsichinics 2006/02/21 02:46 mikkさん、こんばんは。いきなり回してしまってごめんなさい。なんとなく、mikkさんとは通ってきた音楽がにてるんじゃないかなー、なんて勝手に思っていたので(上に挙げたのはちょっと違うかもしれませんが)気が向いたときに教えていただけたらうれしいです。でもほんと、お暇なときでいいので気にしないでくださいね。
夜中に聴きたい曲に挙げたのは全部大好きなのばかりなんですが、ほんとくよくよしすぎなのがばればれで恥ずかしいです(笑)

2006-02-18

[] らぶりんぐ

仕事は相変わらず片付かないのですけど、今日は何となく良い気分だった。ちらちらと雪も降っている。

仕事終わってからは友達夫妻と飲み。前にも行った、新宿のベトナム料理屋「ミュン」へ行きました。水餃子とかおかゆとかパパイヤのサラダとか、やっぱりおいしかったなぁ。今日はめずらしくビールしか飲まなかった。

私の今日の反省は、自分はすぐ「でも」と言うということを知ったことだった。反論しすぎよくない。でもせざるを得ないこともあるんだ……てまた「でも」言った。

まあそんな反省しつつも、今日は日頃あんまり出来ない話が出来て楽しかったです。思い残すことといえば「NieA_7」がどんな話かを説明したいのにいまいちピンとくる言葉が浮かんでこなかったってことかな…ってのもなんですが「落下女でやってる「ニャンニャンラブリング」が可愛い、好きだ、細川ふみえの昔のアレみたいで」と言ったら、即「スキスキスー」のタイトルを返してもらえて、さすがだなと思いました。そんな夜でした。

 *

で、今日のうれしいニュースといえば、弟が院試に合格したことだった。良かった。今日は友達とお祝いで帰ってこないらしいので、とりあえずメールでお祝いを言った。

ちなみに弟のお気に入りの顔文字は「(´・ω・`)」です。オメガ。なんか和む。

[] ロマンはどこだ

ベルカを読みながら、こりゃロマンがあるなとかふと頭の中で独り言言ってたりするのだけど、ところでロマンって何なんでしたか。なんとなくニュアンスはわかるのだけど、ロマンに相当する日本語がいまいち思い付かないのでごちゃごちゃ考えてみる。

辞書をひいてみると、

ロマン 1 [(フランス) roman]

(1)ロマンス

(2)小説のように変化に富み、かつ甘美な筋をもった出来事。恋愛事件などにいうことが多い。ロマンス

(3)小説のように変化に富んだ大冒険や一大事業。

〔「浪漫」「浪曼」などと書いた〕

goo辞書より

こんな感じで、ロマンスの説明にあるラテン語であるロマンス語で書かれた中世の騎士物語の意」というのが大もとの由来なのかなとは思う。で、そこから、恋愛的な要素(上記引用の2番)と騎士物語としての意味合いを残した上記引用の(3)にわかれていったんだろうか。

でも現在の、とりあえず日本での使い方だと、「ロマンス」が恋愛/情事のようなもの「ロマン」は「男の」とかそういう文句に続く雰囲気がある、ような気がする。

で、この後者のイメージはたぶん「ロマン主義」からきてるのかなと思ったのだけど、ロマン主義の定義を見るともうちょっとわかりやすかった。

ロマン-しゅぎ 4 【―主義】

〔romanticism〕一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。憧憬(どうけい)・想像・情熱・異国趣味と、それらの裏返しとしての幻滅・憂鬱(ゆううつ)などが特徴。

「秩序と論理に反逆する自我尊重」っていうのがロマンな感じです。それはもはやロマンチックではない。なんというか、ロマンはパンクな感じ。ってちょっと違うけど、つまりロマンもパンクカウンターカルチャーということなんだろうか。

例えば伊坂幸太郎さんの「陽気なギャングが地球を回す」に「ロマンはどこだ?」という台詞があったけども、ロマンスはその状況、ロマンは追い求める理想のようなイメージがある。「男のロマン」てのは大抵「男の理想(夢)」と翻訳出来る意味合いのことが多いだろうし。だから「ロマンはどこだ?」という台詞自体がロマンだなと思う。

どちらも「小説のような」という意味合いではやっぱり繋がっているのだけど、「めでたしめでたし」だとロマンとは違うような気もするので、ロマンスに飽き足らないで理想を追い求める様をロマンと認識してるのかもしれないと思った。

でも、これを一語で表す日本語が思い付かない。「浪漫」はたぶん、「浪」に異国趣味とかそういう漂う、縛られないというイメージと「漫」に「漫(すず)ろ」からきた「心のおもむくままに物事をする」という意味がこめられているのではないかと思った。だから意味は外れていないけど、「ロマン」という語感の持つ多様さが薄れて意味合いが限定されているように思う。

なんて考えていくと、もしかして日本語って漢字にそれぞれ意味があるので、外から来た概念を言語化するとのにはむいてないのかもしれないとか思った。

カタルシス、とかも日本語だとなんて言えばいいんだろうな。自己解放?

2006-02-17

[] 言葉のイメージとか物語りとか

自分の考えていることを、他人に正確に伝える、ということはたぶんほとんど不可能に近い。仮にそれが起きていたとしても、相手の思考を知ることがなければ、それが起きたことすら知ることは出来ないだろう。だからこそ、人は言葉を発明し、それを媒介させることで、ある程度解りあって、生活することが出来るようにしたのだと思う。*1最近はそこを越える何かがないものかなぁ、なんてぼんやり考えているけども、それはおいておいて、とりあえず言葉について、ちょっと気になっていることを整理したい。

 *

言葉から受ける「イメージ」というのは、人によって大きく異なっている。例えば昨日の数字の話もだし、前に大学の授業で50音全てに色を当てはめる(「あ」→赤「い」→黄色とか)というのをやったことがあるんだけど、各人でかなり異なっていた。むしろ、重なっている部分が「不思議」に思えた。

ただ、明らかな物事を正確に伝達したい、という時に使う言葉(リンゴを持ってきてくれ、とか、明日は2月17日だ、とか)と、「考え」という曖昧なものを伝えるときに使う言葉はまた違うだろうし、そのイメージが重要になってくるのは後者の場合だ。

例えばこの前ちょっと書いた(id:ichinics:20060201:p3)朝日新聞のキャッチコピーについて、今日こんな文章を読んだ。

そして、言語の価値はそれが「無力」であるか「有力」であるか、現実変成の結果によって計量される(「ときに無力」であるという限定は、「ときに有力」である場合にしか使われない)。

有力であるのは(馬力の大きな自動車と同じように)「よい言葉」であり、無力な言葉は「悪い言葉」である。

わずか一行のうちにこれほど政治的な言語観を詰め込むのは、たいした「チカラ技」であるという他ない。

内田樹の研究室:言葉の力

この文章全体の真意については、私はちょっとよく理解できなかったのだけど、「有力」が「よい言葉」というのは、これ皮肉ではないのかな?

私があのキャッチを最初に読んだ時には「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。」でも《許せよ》という言い訳に感じた。でも後にCMで映像を見て「感情的で残酷な言葉に立ち向かう私の「無力さ」を「言葉のチカラ」を信じてがんばるから許せ」ということなのかなと思うようになった。ここで力がカタカナになっているのは、「力」という言葉は権力を想起させる(よって消費者に敬遠されるだろう)から、「チカラ」として逃げた、ように感じた。だから「有力な言葉」をよしとしているようには読みとれなかった。

と、まあ上記の引用文が皮肉でないのなら、キャッチコピーのような「わかりやすさ」を必要とする文章ですら、人によって感じ方は違うという一例になっているんじゃないかと思う。

 *

で、私が何を書きたかったかというと、言葉を使って、物語る(ここではフィクションを)ということについてなんでした。先日も触れた「面白いって何か」という疑問についての話につながるのだけど、「何」を伝えたいのかという部分は、その語り手の「核」になると思う。それをどのように伝えるかに「面白さ」はかかってくる。核の部分は、誰もが持っているものであり、それが普遍的であろうが、特殊であろうが、他者によって軽んじられるべきものではない。ただ、その核の存在は、人は他者の感覚を正確に理解できない、という不自由さによって、不確かで、共有されにくい(されないかもしれない)。

そこを越えて、どのように疑似体験させ、伝えるか、という工夫をすることが、物語ることだと思うのだけど、例えば、イメージを駆使するということは、客観的な視点を持つということでもあって、それは「伝達したい」という欲求を客観視することでもあるんじゃないかな。

つまり、語り手としては、そこに「核を理解させること」を重要視してしまうのだけど、物語の場合、そこに何を見るかは受取り手の自由なのだ。たぶん。受取り手にとって、自分の核に触れた、と感じる部分があったなら、その物語は「面白かった」ということなんじゃないかと思う。

あーまた結論が同じになってしまった。けど、これはもうちょっと考える。今日の所は整理。

[] ZAZEN BOYS@恵比寿リキッドルーム

仕事終わって急いで恵比寿行ってロッカーに荷物突っ込んでTシャツになってビール飲んで臨戦態勢。

パニックスマイル

チケット完売後の発表だったのですが、今日の対バンはパニックスマイル。ナンバーガールと同じく福岡発のバンドとしてその名前は知っていたものの、聞くのは初めてでした。ドラム、ベース、ギターはとてもタイトにリズムおよびビートを作り出していて、その土台の上に自由奔放なボーカル&ギター(もしくはキーボード)がいるという感じでしょうか。インプロヴィゼーションに近いように感じる演奏はとても面白いのだけど、曲がとてもコンパクトにまとまっている。短い。もうちょっと展開する曲もあるのだろうか。レコーディング音源を聞いてみたいです。

ZAZEN BOYS

3rdアルバム発売後の『TOUR MATSURI SESSION』 は初めて見る。皆さん髪が短くなっていて、なんというか気合を感じました。

ライブの内容は、ちょっと楽しすぎて、正直あまり覚えていません。一発目がどの曲だったかすらうろ覚えて、Maboroshi In My BloodかIkasama Loveだったような…ような感じです。全体的には、もう最初から飛ばして、3rdの曲を中心に踊らせて、また飛ばして締める、という展開だったのですが、ライブで聞いてみて感じたのは、やはり3rdで変化したように思っていた部分はあれど、ダンスミュージックとプログレのぎりぎりのところにいる感じは2ndの流れをくんでるのだなということでした。

80年代シティポップとかも飲み込みつつ、どんどん雑種のオリジナルを研ぎすませている感じ。

3rdで一番楽しみにしてたRIFF MANはもう、イントロから最高だった。昇り龍。あとHIMITU GIRL'S〜から、そのリフを使ったMETAL FICTIONに流れるという展開や、インプロに近いCOLD BEAT(新アレンジ)とDon't Beatを繋げたり(たぶん)ライブの構成もイメージの流れに沿ったものになっていた気がします。

今日はとにかく、音がきれいだった。全ての音が強くきれいに重なっていた。柔道二段のドラムはよく切れる包丁、むしろ鉈みたいだった。

ラストは「KIMOCHI」。何度聴いても素晴らしいけど、今日は特に、気持ち良かった。会話っぽいと思いました。交歓ていうんですかね。

ともかく、楽しかった! 来週も行ってきます。

[] 犬

読み終わってからにしようと思っているのに耐えられない。「ベルカ、吠えないのか」が猛烈に面白くて、ページめくるたびに、「おおー」とかって感嘆してしまいたくなる。ということを今日妹に説明しようとしてたんだけど、「熱が入り過ぎてて何を言ってるのかさっぱりわからない」と言われた。

ベルカを読んでると、世界地図を見たくなる。

*1:同じ話をぐるぐるしている → id:ichinics:20051202:p2

2006-02-16

[] 私が数字を苦手なわけとはてなブックマーク

私は学校というところで勉強をを学ぶようになってからずっと、算数が苦手だった。数字が苦手だった。計算が苦手だった。そして今も結構苦手だ。

例えば私が6+7という計算をするとする。

私の頭の中では、6というのは5と1であり、7というのは5と2だ。6とか8とかの下の○っぽい部分が5。7とか9とかの下のIっぽい部分が5。

そんなわけで○とIであるところの5が2つで10。上にくっついてる1と2を足して3で、13。なんていう非常にまどろっこしい思考回路で計算している。これはたぶん、片方の手の指の数が5本であることからのイメージなんだとは思う。二桁、三桁でもやっぱり5の倍数を基本にしてイメージしてしまう。

そんなふうでも、足し算や引き算ならなんとかイメージできるのだけど、かけ算となるとこれがなかなかイメージしづらい。

例えば8×4とかなら、○が4つで20。3も4つ、つまり6が2こで12。2と1足して3、つまり30と余った2でトータル32。しわさんじゅうにとか、信用できない。でも、これが二桁になると、もうお手上げなのだった。わり算もしかりで、ほんと私の頭は最低。ひどい。(というかこれ書いていてもどうかと思う)

こんなことは人には言えない…と思っていたんだけど、先日どこかで「6足す7だと3がくっついて、残りの3が溢れる」と表現していた方が「自分は理系だと思うけど」と書いているのを見て【→訂正。下に追記します】、そういうふうにイメージで計算する理系(計算が得意な、という意味で)方もいるんだなぁ、後でちゃんと読もう、と思ってたのだけど、それがどこで見た文章なのか忘れてしまった。

はてなブックマークの注目のエントリで見たことは確かだ。でもさっきからずっと探してるのに全然見つからないんだよなぁ。残念。

でもまあ、そこに私の計算能力をあげるための何かがあったわけではないと思うんだけど、世の中の人が数字をどうイメージしてるのかにちょっと興味がある。

追記

この私が見かけて気になっていたエントリはmutronixさんによるもの(http://d.hatena.ne.jp/./mutronix/20060213/p1)であると、コメント欄でBさんに教えていただきました。感謝。

でも何だかわたしが勘違いしていたようで、これはNHKの番組の感想を交えた文章だったのですね。(リンク先*1で番組の内容を見てみたら、面白そうでした。またやらないかなぁ。)

なので、mutronixさんご自身が「自分は理系である」と書かれている訳ではなかったのです。失礼しました。でも、mutronixさんが話題にしているイメージと数字の関係とかはとても面白いなと思います。奇数がとがってて、偶数がまるいの、なんでなんだろうなぁ。割りやすいからかな。

[][] 神がサイコロを振るということ

今日も残業してたんだけど、「神はサイコロを振らない」に間に合うように22時半ぎりぎりに帰宅。

毎回いろいろ思うところの多いドラマで、ちょっと参る。いや、とても面白いのだけど、やっぱり、いなくなってしまった人が、戻ってくる、と空想することは、とても怖い。別に重なるような体験があるわけではないけど、もしそれが起きたなら、自分はどうするだろう、なんて考えはじめるととまらない。

ドラマでの設定は、相手側の時間は止まっているわけだ。そして、自分は10年ぶんの時間を「余分に」もっている。

たとえば主人公の立場だったとして、いなくなってしまったはずの恋人が10年前のままの姿で戻ってきたら、私はどうするんだろう。

それは、前に書いた*2疑問にも少し重なるのだけど、個人間の感情っていうのは、記憶とかそういうものに支えられてる部分が大きい。これは否めないような気がする。でも、同時に「ここ」から始まるものもある。今の自分がどう思っているのか、相手はどう思っているように見えるか。その思いのきっかけはほんと些細なことかもしれない。でも、勘違いに思えるようなことも、言葉を全部とっぱらったら、重要な要素なんじゃないかと思ったりする。(でもその場合の言葉ってどこまでのことなんだろう?)

神はサイコロを振らない」というのはアインシュタインの言葉で、いくつかその意味について書いてある文章を読んだりもした。でもよくわからないのが、偶然と必然は、どう違うのか? ということだ。それは予見できるかできないか、ということなのだろうか? だとしたら、どちらが偶然で、どちらが必然なんだろう。

ドラマで結末を見てしまう前に、もうちょっと考えたい。

[] DSブラウザー

DS買って良かったーと思ったニュースがこれだったんですが、

任天堂の発表によると、名称は「ニンテンドーDSブラウザー」(仮称、税込み3800円)で、6月に発売する。2画面両方を使って1つのサイトを閲覧できるほか、下の画面でサイト全体を表示し、上の画面で拡大画像を見るなど、2画面を使い分けることもできる。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0602/15/news085.html

2画面使ってサイト閲覧かー。すてき。と思ったのも束の間で。

自宅の無線LANアクセス・ポイントに接続可能なほか,任天堂が全国の玩具店などに設置した「ニンテンドーWi-Fiステーション」やFREESPOT協議会の「FREESPOT」でも利用できる。

その他の公衆無線LANサービスへの対応は「今後検討を進めていく」(任天堂広報)とするにとどまった。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060215/229455/

ということは、携帯webブラウザとして使う方向じゃないっていうことですよね。そっか。きっと今後そういう方向に行くのかなぁとも思うけど…先っぽいな。

任天堂といえば、私はかつてゲームボーイカメラ(だったっけ?)というのを買って、こりゃすごいやと思ってたんですけど、今思えばあれは安価デジカメだったんですよね。でも、やっぱモノクロだし、なーとかいうのがあって、その後どんどんデジカメ普及して、そのゲームボーイカメラ(じゃなかったかも)はあんまり活用されないうちに忘れてしまって今どこにあるかなって状態なんですけど、何が言いたいかというと、私はこう、機械とかよくわからないくせに安易に新しいものに手を出したがる傾向にあるのかもしれないとか思いました。という話です。あくまでも。

kokovokokokovoko 2006/02/16 03:07 こんにちは、Bです。改名以来、コメントは初めてだったでしょうか。毎日読ませてもらっております。
 ところで、数字のイメージの話は多分id:mutronixさんのこの記事じゃないでしょうか。ご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20060213/p1
 そうだそうだ、「面白さ」についてのエントリ、ありがとうございます。実は一連のエントリにいろんな人からコメントがあって、凄く僕は興味深く読ませてもらってます。「面白い」って、実に簡単で実に難しいです。

ichinicsichinics 2006/02/16 13:22 Bさん、こんにちは。そうです! まさにそちらの文章でした。ありがとうございました。追記させていただきますね。
それから、こちらこそ、いつも拝見しています。
「面白さ」について、この前は自分が受け取る側として書いてしまったのですが、読み手と書き手の視点や価値観の相違(と言い切っていいのかもよくわからないのですが)という部分にも、いろいろ考えるところがあります。ただ、あんまりにも個人的な文になりそうなので、もうちょっとじっくり考えてから、また文章にしてみたいと思っています。

2006-02-15

[] コーヒーと右腕の不自由さ

1日に数回はコーヒーをいれる。主に会社で、ちょっと気分転換にいれることが多い。だいたい朝一番と、昼と、夕方に、同じ部署の三人分を一緒にいれる。

紙のフィルターの底を折って、ドリッパーにセットして、豆をスプーンで三杯と一杯入れて、それはまあ、One for potって紅茶の話を勘違いして続けてる習慣なんだけど、とにかく一杯余分に豆をいれ、沸騰した湯をそっとかけて蒸らす。コーヒーの匂いがする。その隙に細口のポットに湯を準備して、豆が膨らんだあたりで、湯を細く注ぎはじめる。このときです。右手がおかしいってことに今日気が付いた。

左手でポットを持って、お湯を注いでるんだけど、右手が、こう、肩くらいの位置で止まってて、影絵で「白鳥」とかやってるようなポーズをキープしている。なんだこれ、と思って下ろしてみても、豆見ながら無心になってる間に上がってる。バランスとってるんだろうか。すごい間抜け。

同じような葛藤は歯磨きの時にもあるんだけど、あれは右手で磨くので、左手はわりと自由にしてくれている。私は利き手が右なので、右はなんというか、自由であっても常に臨戦態勢の心配性なのかもしれない。

自分の腕すらコントロール出来ない私ですが、いっそのこと皆自由にしてくれたらどうなるのか興味あります。

 *

そういえば前に月兎印のポットについて書いたことがあったけど、あの後すぐ買ったのは友人のプレゼント用になったので、自分のぶんはまだない。でもそういやプレゼントにも喜ばれた気がする。最近結婚された友人がいるのですが、どうでかな。いらないかな。嘘。もっとちゃんと考える。

[] クローゼットの向こう

物語の面白さ、ということについて、「ココヴォコ図書館」のBさんが書かれているのを読んで*1、私にとっての面白さって何だろうということを考えていた。

Bさんが語られていることとはまた全然方向が違うと思うのだけど、私にとっての面白さ、興味深さ、というのは、それを「知っている/でも知らない」という感じだと思う。自分の中にもあるかもしれない何かが、ほかの誰かの言葉で描かれているとき。もしくは全く気付いていなかった部分に、光を当てられたとき。私が触れているこの象は、もしかしてあなたの語っている象と同じなのかもしれない、と思うこと、だったりする。

そして、そういうことというのは得てして現実の生活の中では語られにくいことであり、語ってみてもそれこそ空中に描かれた精密画みたいになんのことやらさっぱり、自分にも見えづらくなってしまったりする。

するとなんだか、その向こうには何もないんじゃないかと思えてくる。ちょうど、幼い頃に「ライオンと魔女」を読んで、家のクローゼットを何度開けても、そこはただの乾燥剤臭い暗がりでしかないことを知るような。そこにナルニアがないことを疑問に思っているなどと言ったら、本ごと取り上げられてしまいそうな、友達にも敬遠されてしまいそうな、そんな感じ。

でも、それは「ある」ところには「ある」のだということが、描かれている物語が好きで、たとえ物語でなくても、全てをつまらなくするような言葉があるのと同じように、それを払拭してくれるような言葉も、世の中にはちゃんとあるような気がしている。

それを、なんだか心強いと思ったりする。

 *

でもまあ、これは楽しいとかとはまた違う話で、純粋にエンタテインメントとして楽しんでいるときに重要だったりするのは「リズムにのれるか」が大きいのかも、と最近古川日出男さんの文を読んでいて思った。

追記:書きながらごっちゃにしていたけど、このリズムっていうのは文体のことじゃない。文体も含む、テンポやイメージし易さ、退屈な山があっても、それを越えたあとに待つカタルシス、とかそういうもののことだ。

 *

これ書いた後、はてなブックマークをうろうろしてたらこんなのがあってちょっと笑った。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AB%E3%81%AF&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox&rls=org.mozilla:ja:official

[] チョコレート

あーそういえば今日はバレンタインだよね、ということでちょっとチョコレートについて。

私が一番好きなお菓子はポテトチップスですが、二番目に好きなお菓子はチョコレートです。ミルクかホワイト。ビターはちょっと苦手。ヘーゼルナッツクリームとか入ってるやつが好きです。

コンビニ菓子でなら、ポルテ、ベビーチョコ、カプリコ、霧の浮き舟とかが好きです。エアイン系は大抵好き。どちらかというとチョコレートは明治よりロッテもしくはグリコ派。

でもそんなチョコレート大好きっ子(子じゃない)でも、チョコレート味は苦手で、特にアイスのチョコ味とか意味がわからない。あれはね、ココア味ですよたぶん。何が違うのかな。バターかな。でもとにかくチョコ味の何か、があんまり好きじゃない、と言うと、チョコ好きの人には驚かれる。

今日は会社にチョコ差し入れしようかなと思ったんだけど、何か恥ずかしくなって、シュークリームにした。本末転倒です。というかこの文も久々に「お菓子」のカテゴリ使いたかっただけです。

2006-02-14

[] 土下座

私はあるバンドのマネージャーになっている。

そのバンドは長く活動停止していたのだけど、ようやく再結成に至って、それじゃあアルバム作ろうか、プロデュースは誰に頼もうか、という会議を、あるアパートの一室のような場所でやっている。

セッションをして、会議して、セッションセッションで私はやっぱり、この人たちの音楽が好きだなぁとしみじみ思っている。

ふと、リーダーのKがテレビコマーシャルでビギンの人と歌っているキナシさんを見て、この人にプロデュースをお願いしようと言い出す。え、ビギンではなくて? うん。でもこの人ミュージシャンではないよ、歌も歌ってるけどさ、プロデューサーだよ? わかってるよ。いいの? いいよ。……何でまた、とか聞いても良い? だって、良い顔してるもの。

そんなこんなで私はキナシさんに会いに行く。無下にされる。キナシさんではなく、キナシさんのマネージャーに。でも食い下がる。現実の私じゃあり得ないくらいのガッツでキナシさんにあわせてください、と言う。そしてギィッと開いた扉から顔を出すキナシさんの頭のハンチングを確認したくらいの段階で私は土下座する。お願いします。どうか、彼らをプロデュースしてください。

キナシさんは意外にも彼らを知っていて、快く話を聞いてくれた。でもなあ、俺に出来るかなぁ、プロデュース。出来ますって。そう?

そんな夢ならではの気軽な展開でアパートの一室にキナシさんを伴った私は帰還する。どうだ。連れてきたぞ。プロデューサーだ。

彼らはすぐにセッションをはじめる。それはすごくいい感じである。なんというか、音がうねっている。グルーヴィー! とか言いたくなる感じだ。キナシさんの笑顔は、彼らの音楽にぴったりである。私は拍手する。隣の家からも人がやってくる。町中お祭りである。パーティーは最高潮。キナシさんがやぐらに登って、歌いだす。

―― その声は、永積タカシさんの声であった。

 *

前々から木梨さんと永積さんは似てると思っていたのだけど、この前それを言ってみたら、似てない、と一蹴されたことでこの夢を見たと思われます。プロデューサーがいつの間にかボーカルになってるのはやっぱ夢だからなのか。ちなみにリーダーのKは欣ちゃんでした。

[] ぼんやりしている

昨日はちょっと用事があって六本木ヒルズに行ったんだけど、去年の同じ日にもヒルズに行ってたんだ、ということを過去日記見て知ってちょっと面白いと思う反面、気持ち悪いなとも思った。ヒルズなんて滅多に行かないのに。

それで今日はまた月曜日。明後日くらいまでは厳しい時間割になりそうで、頭がぼんやりする。帰ってきてもぼんやりしているので、久々にぼんやりとmixiなどを見てたら、大学時代の同級生が、はてなダイアリーの、何というかブクマとかでよく見かける人と同一人物であるということを偶然知ってびっくりした。

よく考えたらびっくりするようなことでもないのかもしれないけど、特に話もしたことがないけれど顔は知っていて、そういえばクラスも同じだったなぁ、という人の日記を読むのはなんとなく躊躇われてしまって結局読んでないのだけど、こんな風に思うのも何か変な感じだ。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/11号

fine
信濃川日出雄さん新連載。元美大生の「27歳」を描く漫画で、浅野いにおさんとかと近い雰囲気かなと思ったけど、次号に続く展開を見ると、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」に被るような気もする。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
そんでもう一人の27歳の田西君はまだちはるに未練があるのか。そういう展開か。煮え切らないなぁ。あのボクシング少女はどうなったのかな。とりあえず表紙のちはるはものすごくかわいい。生々しい。
the3名様
「いつもの」はちょっとあこがれあるよなぁ。
ハクバノ王子サマ
琴美は何でそんなに小津の婚約者に肩入れするんだろうか? 次号原先生がピンチ。
団地ともお
雑誌の付録についていたレトロゲーム「武闘派サラリーマン」がブームにというお話。昔のゲームってこういうやたら難易度高いの多かった気がするなぁ。チャレンジャーとか…ってあれは難しくないんだろうか。私はまったく進めなかったけども。
電波の城
天宮怖い。
中退アフロ田中
彼女が出来ないのは性欲のせいであるという結論に達する田中が女の子をデートに誘ってみるまでの巻。
たくなび
芸能界に入ってマネージャーと付き合って云々て話はいずみの母親の話じゃないの?
SEKIDO
最終回。「キッズ・リターン」を思い出した。いい話だったと思うけども、セキドのキャラが最後まで微妙だったかな…。
じみへん
「毎日くよくよしていたら、健康で長生きできました!」なんてことがあるといいのにねーというお話。

2006-02-13

[][] ミュンヘン

ichinics2006-02-13

監督:スティーブン・スピルバーグ

1972年、ミュンヘンオリンピックの選手村で起きたテロ事件を題材にした映画。パレスチナゲリラ「黒い九月」によって引き起こされたそのテロ事件については、当時大きく報じられたそうなのですが(私は生まれる前なのでその頃のことは知らないのだけど)その後、自国のオリンピック代表選手11人を殺されたイスラエル側が、暗殺チームを編成し、標的を選び、報復を実行した、という事については、この映画の原作となっている「標的は11人」という本によってやっと明るみに出たことらしい。そして、その暗殺チームのリーダーに選ばれた男、アヴナーがこの映画の主人公でした。

と、こんな風に簡単に書いてしまってはいけないなと思う。これではまるで当初の「被害者」はイスラエル側のように聞こえるかもしれないけれど、歴史を少しづつさかのぼっていけば、その根は絡まりあって、どちらが善でどちらが悪だなどと割り切れる話ではないのだと思います。

私には知らないことが多すぎて、うかつなことを言えないのですが、それでも、この映画のテーマ自体は、とても分かりやすいものでした。

 *

例えば、冒頭のシーンで、テレビの中で読み上げられる犠牲となったオリンピック選手の名前と、どこかの会議室で「報復の標的」を選別している場面が重ねられていた。つまり、そういうことなのだと思います。物事の裏表は逆からみても裏表なのに、そのことに気付かず進んでいけば、永遠にねじれた輪っかの逆側から攻撃しあうことで、犠牲となる人だけが増えていく。その連鎖の恐ろしさについてが、映画では繰り返し語られているように思いました。

でも、例えば暗殺のタイミングを見計らう為に出たベランダで、隠れ家として借りた部屋で、ラジオのチャンネル争いで、敵であるはずの人物と言葉を交わすことで、立ち止まれたかもしれない瞬間は、あちこちにちりばめられている。

しかし、同時に、立ち止まることの困難さも、とてもよく伝わってきた。波に飲まれてしまった主人公にとって、既にそれは自らの家族にすら危険を及ぼすかもしれない流れなのだ。一度止まってしまえば、もう手が届かなくなるかもしれない。でも、その波を引き起こしているのもまた、私たちなのだ。

向かい合って銃を構えているときには、先に銃を下ろす方がずっと勇気がいる。でも、どこから始まったか、ではなくて、どこで終わらせ、どこから始めるかということを、探していければいいのにと、そんなことを思いました。

 *

ただ、映画としては、少々不満の残る点もあって、ドキュメンタリーではないのだから、もう少し、主人公の感情的な変遷を分かりやすく演出しても良いんじゃないかと思った。

例えば、イスラエルの国民としての主人公の立ち位置は、物語の冒頭では非常に曖昧に見える。英雄の息子であるということは語られているけれども、そのことについて、彼がどう感じているのか。身重の妻がいるのにも関わらず、その仕事を引受ける際に何ら葛藤めいたものを見せなかったのは何故なのか。そのあたりをもう少し掘り下げてあれば、主人公にとっての「祖国」が変化していくエピソードと重なったのではないかと思った。

それから、最初の暗殺が成功した後のシーンで「まるで出エジプト記だな」という言葉があったのだけど、ニュアンスがつかみづらかったのでちょっと調べたい。

 *

ところで私がスピルバーグの映画を映画館で見たのは、たぶんこれが初めてだ、と見終わってから気付いてちょっと意外でした。敬遠してたわけではないんだけど。あと、ちょっと作品制作のスパンがクラプトンみたいだなと思ったり。

[][] DEATH NOTE10巻

ニア&メロ編になってからは、L対ライトの頃のような息詰まる心理戦もなく、ライトもだんだん弱点が見えてしまって物足りない、と思っていたのですが、10巻は面白かった。

予想(期待)している展開としては、その力を分け与えていくことによって唯一でなくなったキラが逆に陥れられるというような感じで、キラとキラのレプリカの目的の齟齬みたいな部分にスポットが当たると興味深いのになと思ってます。

そろそろ、ライトの思考回路や欲求を、客観的にではなく、生々しい部分で見たい。

DEATH NOTE (10) (ジャンプ・コミックス)

DEATH NOTE (10) (ジャンプ・コミックス)

そういえば今日、映画館で早速デスノート実写版の予告を見た。まだ映像はないけど、ドーンドーンドーンって感じで(?)今後も相当な力入れて宣伝するんだろうなって感じだ。

2006-02-12

[] ROCKIN'ON PRESENTS JAPAN CIRCUIT - vol.30 -

「現代の無戒」を見て即アコエレに行こうと思って取ったのがこのイベントのチケットでした。行って初めてロッキンオンイベントだということを知ったくらいの予備知識ない感じです。

  • 向井秀徳アコースティック&エレクトリック
  • OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND
  • 髭(HiGE)
  • マキシマム ザ ホルモン

最初にロッキンオンジャパンの編集長の人が出てきて、出演順お知らせ。面子からして向井(無戒はやめたらしいです。)アコエレが一番手だろうなと思ったらその通りだった。それからOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDというのはブラフマンの人だと知る。

向井秀徳アコースティック&エレクトリック

一発目から「Crazy Days Crazy Feeling」。エレアコが良い音だなと思った。現代の無戒見ても思ったけど、向井さんは良い声している。のびる。そしてザゼンのアルバムを相当聞き込んでいるのにもかかわらず、アコエレで聞くときに耳がザゼンの音を探さない。ちゃんと別物として聞き分けられるのが自分でも不思議でした。

ザゼン最新アルバムからは「Water Front」をやって、これもかなり良かった。ザゼンの音では聞き逃してた(ひっかからなかった)言葉とかが浮かんできて、また別の側面を見た感じ。念願の「KU〜KI」を聞けたのもうれしかったし、ナンバーガールから「性的少女」をやったのもうれしかったです。

あと猫町からはアコエレってそういうことか!と思う展開があって、まあなんというか一人ツインギターというか、その手があったか、と思った。ラストの「自問自答」はまじで素晴らしかったです。言葉の粒が立ってるよ。

でも、一つ残念というか腹のたったことといえば、私はほぼ最前列で見ていたのですけど、他のバンド待ちでそのエリアにいる男の子たちが、しゃべり過ぎだったことだ。ファンじゃないバンドを前で見るのも場所とりをするのも別にいいけど、すぐ目の前で歌っている人がいるのに、関係の無いことをしゃべって(ときにはステージを茶化して)笑ってるのは、迷惑だと思った。

OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND

ブラフマンのメンバーに、外国人の、バイオリン兼ボーカルの男の人を加えた新バンド、なのかな?

音は、何というかアーシーな感じとでも言うのでしょうか。トラッドというか、アイリッシュな曲が印象に残ったけれど、ハードな方向には最後まで転じなかった。

ちょっと疲れてきて後方で見ていたのだけど、うーん、面白かった。「総理大臣」って連呼する曲が一発目で、二曲目は「ベートーベン」だったんだけど、うん、楽しかった。HPとかジャケットとかを見て、もうちょっと70年代サイケっぽいバンド、もしくはガレージ系かなと思ってたんだけど、そんな片鱗も確かにあるけど、音は今って感じだった。

ただですね……何かすごく格好の良い人がいて、その人に見とれすぎて、正直よく覚えておりません。これはきっと「羽生ライン」だ、と思ったんですが、帰ってきてサイトを見てみたら普通に格好の良い人でした。

ちなみに羽生ラインとは「寝癖&眼鏡&夢中になると周囲が見えない」です。ときめきます。

マキシマムザホルモン

噂には聞いてましたが(主に「ざわ、、、ざわ、、、(以下略)」で)、実際に聞くのは初めて。

今日のライブは、たぶん半分くらいこのバンド目当てのお客さんだったんじゃないでしょうか。他のバンドがアウェー感満載なのに対して、しょっぱなから大盛り上がり。

音としては、基本ハードコアなんだけどメロディが入る感じ。構成としては声の高いMCと低声ボーカルのギター、ベース、ドラム、と見るとrage against the machineみたいな感じかなとも思うんですけど、飛び道具的な女性ドラマーの存在がこのバンドの雰囲気をポップに変えてるのかなと思いました。コアなようでコアではないぎりぎりの感じ。うまく言えないけど、キャッチーさがある、というか。

そんでこの女性がMCでも結構面白い感じで喋って、盛り上げるんだけど(基本喧嘩腰みたいな)途中から歌ったりもしていて、あれだけタイトに叩いて、これだけのパフォーマンスができるのは、素直にすごいと思った。

でもそれより気になってしまったのは声がアニメ声なこと。「よっしゃー」とか言う度に、(ナルト?)とか思ってしまった。(まあ、このバンドのファンにはそんなことどうでも良いと思いますが。ちなみに、ざわざわはやっぱアカギの曲なんだと知って納得。)

そういえば途中、あれ、これレッチリのカバーかなと思った曲があったんだけどどうだったのかな。

* * *

いろんなバンドが見れてお特なイベントで、楽しかったです。でもファン層が偏っている上に系統が違いすぎる気もしました。次にアコエレ見るならワンマンが良いな。

[] ライブと本屋巡り

昨日は徹夜してしまったので、昼過ぎに起きて、身支度して家を出る。

ライブの前に、いくつか電器屋を覗く。妹がDS買いたいと言ってて探してるんだけど、まだどこも品切れ状態。このぶんだとライトが出るまで品薄が続きそうだ。

その後パルコブックセンターでスタージョンの新装版『夢みる宝石』を探したのだけど見つからなかった。他に欲しいのたくさんあったんだけど、とりあえず今読み途中なのが5、6冊あるのでそれをどうにかしなきゃと思って思いとどまる。でも『夢みる宝石』は帰宅してすぐ、アマゾンで購入した。だって読みたい。それにしても最近、SFを中心に読みたい作品があり過ぎて、生きてるうちに全部読めるのか心配になるくらいだ。

ライブの後は、フレッシュネスバーガーでちょっと小腹を満たしてから、ツタヤの本屋へ。妹が買っている「メテオメトセラ」の新刊が出ていて、大喜びして購入。帯を読んだだけで泣ける。私はIKKI(やっと買えた)とか買って、渋谷を後にする。

帰宅してからはオリンピック関連のニュースとか見る。そういえば電車の中吊りになってるマックのオリンピックポスターかわいいな。ドナルドがスケートとかしてるやつ。

opiumnopiumn 2006/02/12 10:35 はじめまして。ジャパサキのリンクをたどってきました。いやー文章うまいですねー的確な言葉を選んでまっとうに伝えていらっしゃる感じ。私はマキシマムザホルモン目当てだったのですが(あのTシャツは恥ずかしくて着れず、ですが)、彼らを表現されている文章を読んで、激しく同意しました。んで、そうです!レッチリの「BY THE WAY」の演奏を入れている曲あります。「上原〜FUTOSHI〜」というBASSくんの名前を入れたオバカな曲名です。

ichinicsichinics 2006/02/13 01:26 はじめまして。コメントありがとうございます。初めて聞いたくせに印象をいろいろ書いてしまったので、ちょっと不安だったのですが、ほっとしました(笑)曲タイトルについても教えて下さって感謝です。そういや「BY THE WAY」でしたね。すっきりしました。

2006-02-11

[][] 「ひなた」/吉田修一

ひなた

ひなた

雑誌「JJ」に連載されていた作品だ、と聞いてちょっと構えていたのだけど、読みはじめたらするすると読めてしまった。

物語は、二組の男女それぞれの視点から描かれる春夏秋冬、という構成になっている。ただ、二組とはいっても、兄とその妻、弟とその彼女、というカップルなので、中心となる家族(そしてやがて形成される擬似家族)を描いた小説のようにも読めるのだけど、どうもこう、ぽっかりと空いている部分を感じる小説だった。

そういえば、最初の頃の吉田修一さんの文章といえば、一人称に近い三人称で、主人公が何を考えているのか、それがきちんと書かれていることが多かった気がするのだけれど、この「ひなた」での文章は、一人称なのにもかかわらず、主人公の感情はどこかべつの場所にあるような、空虚さがある。自分が何を感じているのか、それさえよくわからない、ということなのかなとも思う。しかしだからといって、第三者の視点から描かれて浮き彫りにされる何かがあるというわけでもないように思う。

それから、文章の面で気付いたことといえば、以前の作品に比べて、格段に会話文が増えたように感じた。そして、その会話も、一文取り出してみるとどれが誰だかよくわからない。そのくらい、主人公たちの印象が薄いというのは、少し読みづらい。特に女性二人が「働いている」ということについて、もちろん取材した上で書いているのだろうとは思うけれど、これがちっともリアルに感じられなかった。

彼等は皆、自分の人生にさして興味もなく、漂っているような、そんな印象を受ける小説だった。そしてするすると読み終えてしまった。

前に私は、吉田修一さんの作品について、作者の匂いのようなものがなく乾いた感じがするところが好きだ、と書いたことがあったけれど、その頃感じていた底辺の力強さのようなものがこの「ひなた」には感じられなかった。

この空虚さは「あえて」なのだろうか。だとしたら、少し寂しい。

今から思うと「ランドマーク」までと、それ以降で作風がかわったような気がする。(「長崎乱楽坂」のみ未読だけど)

 *

「熱帯魚」の感想(id:ichinics:20051125:p2

「7月24日通り」の感想(id:ichinics:20050218p1)

[] いわなければよかったのに

今日は久々の友達と飲み会をしてきた。もつ鍋を美味しく食べていたのなんて束の間で、つい誘われるままに終電を逃し、つい聞かれるままに、近頃考えていたことなど話してしまって、すごく後悔している。

頭の中にあったはずのものが、口に出して、相手に聞こえた途端にまったく別のものになってしまっていることに気付く、ということはやっぱりあって、そうなるともう取り返しがつかない。それを話してしまったという事実は消せないし、かといってこの先、この問題に起こる顛末を逐一伝える訳にもいかないから(そしてそれもまた口にした途端別のものになってしまう可能性があるから)、現時点の私の言葉で、それは定着してしまうのだ。そう考えると、やっぱり後悔してしまう。

別にそれは、些細な話に聞こえたかもしれない。でもそれを、私はもうちょっと自分の中で考えていたかった。そうするべきだった。そしてこれを取り出して見せる相手をたぶん間違えた。

すごく楽しいはずなのに、私だけがその後悔のあたりをうろうろしていて、何とも歯切れの悪い夜になってしまった。反省。

2006-02-10

[] 「epoch TV square」と「二人息子」

ツタヤで中古ビデオ放出やっていて、全部300円という格安価格だったので買ってしまった。リンクはDVDですが見たのはビデオ。

バナナマン&おぎやはぎ epoch TV square Vol.1 [DVD]

バナナマン&おぎやはぎ epoch TV square Vol.1 [DVD]

「epoch TV」の方は、バナナマンおぎやはぎによる物語仕立てのコント番組。全11話全てが同じマンションの一室を舞台にしていて、設定も同じ。なんというか、スピリッツでやってる「the3名様」みたいな雰囲気だ。ドラマとしてもコントとしても面白い。皆演技うまいなぁと思う。守銭奴な矢作さんのキャラクターが好きです。

「二人息子」も、上のと一緒に買ったんだけど、面白かった。中川家についてはあまりよく知りません。テレビもあんまり見ないし。でも前に何かで漫才見て大笑いしたのが印象に残ってて、このビデオもそのときの雰囲気に近かった。基本的には、兄弟である二人の思い出話みたいなものが多くて、父母の物まねとか、もともとを知らないでわかるのかって思うけど、これがまた丁度良く「わかる」感じで笑える。特に兄さんのオチのないとこを突っ込む弟が面白い。あとどんどん脱線していく展開。

[] コーラス/3月号

ハチミツとクローバー
野宮さんいいこと言う。
みずいらず
渡辺ペコさん新連載。まだ導入部でこれからどうなるのか全然わからないけど期待。「東京膜」のコミックスも買わなきゃな。
悪いのは誰
ちょっと怖いけど面白いかも。「良い子」とその子を陥れようとする「完璧に見える女」とその女に利用される良い子の彼で「母親に縛り付けられていると感じている男」のお話。こわー。
積極
谷川史子さんの読み切り。私は中学生くらいのころ、谷川さんの漫画がもう、好きで好きで仕方なかったんですが、雰囲気がちっともかわってなくて、やっぱり好きだなと思った。泣いた(涙もろい)。いいなぁぁあ。「センセイの鞄」みたいな感じかしらとか思ったけど、『緑の頃私たちは』(「きもち満月」に収録されていた作品)に繋がってるような雰囲気。途中、彼とのエピソードにはちょっと戸惑ったけど、とにかくラストが良い。河野裕子さんという方の句が引用されてるんだけど、どんな人なんだろう。

谷川さんの漫画は、確か「くじら日和」くらいまでしか読んでないと思うんだけど、一番印象に残ってるのが上に挙げた「緑の頃私たちは」だった。谷川さんの作品の中では珍しく、悲しいお話だったんだけど。また読みたいな。小松君が出てくるのは「君のこと好きなんだ」だっだかな? 

[] TVチャンピオン

晩ご飯食べながら久しぶりに「TVチャンピオン」を見たんだけど(後半から)、何かちょっと複雑な気分になった。

今日のは「もてさせ王選手権」とかいうやつで、お見合いの仲人の人と、心理カウンセラーと、ナンパ塾(?)の人が、それぞれ三人の男性をプロデュースするという企画だった。で、私が見たのは決勝のちょっと前からなので、そのプロデュースされてる人たちがどういう人たちなのかはよくわからなかったんですけども、まああんまり異性と話するのに慣れてなかった人が、会話を切り出す側になっていく過程というのはちょっと良かった。でも、だいたい「モテる」って言葉自体、そもそも彼等がどんな異性(もしくは特定の個人)にもてたいのかというとこはないんだよなぁ。誰でもいい訳じゃないんだろうと思うのに。

で、決勝が、三人が三人のタイプが違う女性に好感度評価されて、そのポイントを競うっていうのだったんだけど、最初に結果からいうと、心理カウンセラーの人が優勝してくれてほんとよかった。

何でかというと、お見合いの人と、心理カウンセラーの人は、まずプロデュースする男性の対人面でのコンプレックスみたいなものを改善していく方向を目指していたのに対して、ナンパの人はなんというか、口先ばっかのような気がした。その人にプロデュースされてた人は、ほとんど全部の女性の対して、会った途端に「タイプなんで見とれてしまって」とか言ってたけど、あれもナンパ講師が教えたんだったら、つまり嘘つけって言ってるのと同じだ。それなのに、決勝の1、2回戦ではその「タイプなんで」が圧勝。

何というか異性だろうが同性だろうが、その人の本音みたいなのを自然に話できる相手っていうのもあるだろうし、その相手と信頼関係を持てるようになって、それからなんじゃないのかなとか思った。だからあんな短時間では何もわかんないじゃん、とか言ったら番組が成り立たないんだとは思うけど、ちょっと、なんか、違和感。

ああ、でもだからモテなのか。モテは第一印象なのか。

2006-02-09

[] 今とかつて

神はサイコロを振らない」というドラマを最近、見れる日には見ている。面白い。まず、10年前に事故にあった飛行機が現在に戻ってくる、という設定が面白くて、10年前の人と今の自分が現在で出会うというその状況で、今日、小林聡美さんが「私は今を生きている」と話すシーンがあって、とても印象に残った。

 *

近頃、残業中にはだいたいネットラジオをかけていて、ACCUかVH1(http://www.vh1.com/)のRock/indieチャンネルを聴いているんだけど、今日もそうしていて、そして不意に流れてきたElliott smithの声を聴いて、思い出した光景があって、なんだか泣きそうになった。彼の何を知っているっていうんだろう、感傷的になる資格なんてないじゃないか、と思うのだけど、確かにあの2000年のライブで、彼はステージの上で歌っていて、私はビール片手にそれを笑顔で見ていたんであって、でもあそこにいたのは確かにこの声の主なのだ。

 *

私は前に「終わらないことがわかってるって怖い」と書いたことがあったけど、昨日は「無限て面白い」と書いた。これはなんだか矛盾しているようにも思えるけども、なんだかちょっと違って、前者の方は「固定」されている感じ。そして後者のほうは常に切断面が現れている感じ。

そんな風に、いろんないつかが重なりあって、今があるわけだけども、いつかにあった出来事を思い出す、ということがあちこちで起こっているということは、何だかすごい無限ぽいなぁと訳のわからないことを考えています。

 *

でもそれが個人同士の関係について起こるとき、AにあってBには無い時間を超えるのが、なぜ難しいんだろうか。「神はサイコロを振らない」の設定で言えば、Aはもう違う人なのであって、AはBが10年分の自分を知らないという事実の前に、Bが見ているのは今の自分では無いと思ってしまう。でもそれは、かつてを否定するものではないはずだ。

それはやっぱり、今の自分を理解して欲しいという気持ちなんだろうなぁと思った。なんだかすごく当たり前の話のようにも思えるんだけど、何と言うか、大きな器があって、その中に液体が注がれていて、過去も現在も混ざってるんだけど、表面はいつも新しい水面であるみたいな、そんな感じ。

だから、何というか、お互いが噛み合ってる状況というのは、とても奇跡的なことなんだなと、そんなことを思いました。

 *

それでもやっぱり、その構成要素の中には、あの時あの曲を聴いて、素直にいいなぁと感動して、この先ありえたはずのいろいろな音楽を想像していたりもしていた自分がいた、ということを考えたらなんだか感傷的になったのだった。結局自分なんだけど、それは私が一方的に受け取る側だったからだ。

でもやっぱり、今聴いても、素直にいいなぁと思う。

[] バスルーム寓話/おかざき真里

ISBN:4870313987

1996年の夏休み
一人の男性を巡って、四人の女性が語り合うというお話。吉野朔実さんの「恋愛的瞬間/第四話:適材適所の男」を思い出したりした。ほぼ同時期に書かれたお話なんだけど、それもなんか不思議。
バスルーム寓話
別れ話をしたとたん、恋人がペンギンになってしまうというお話なのですが、内容はとても恐い、でも切ない話。
夏草子
喧嘩中のカップルの前に、ある女の子が現れるお話。いい話だ。というかいい子だ。楽しいことは楽しいって言うべきだと思った。
拍手喝采ピエロ
ピエロに誘拐された少女のお話。こういう状況での信頼関係っていうのはわりと少女漫画の典型のような気がするんだけど、思い出したのは、遠藤浩輝さんの「カラスと少女とヤクザ」だった。

[] さいきん

  • スラムダンクを全巻ぶっとうして読もうと思っている。
  • デスノートの新刊読みはじめたら前の巻読んでないんじゃないかというくらい話についていけなくてびっくり。
  • ひぐらしが怖すぎてすすまないけどすすみたい
  • よく知らない人から『「男たちの大和/YAMATO」見に行きたい!』というメールがきて、「ほう、そうですか」と思ってそのまんまにしてたらちょっと怒らしたっぽい。メールルールって人によってかなり違うのね。優ちゃんだけ見たい。
  • 今度こそ村長さんからのプレゼントもらいに行く
  • 戦国自衛隊は昨日だけ見たのだけど、あのカクチカコさんと暮らしてた人はどうなったの?

2006-02-08

[][] 「無限論の教室」/野矢茂樹

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

読み終えるのがもったいなくなるくらい、面白かった。まずはこの本をすすめてくださったid:kissheeさんに感謝したいです。

最初、ちょっと数字がたくさん出てきて「どうしよう…」と思ったのですが、そのくらい、数字には及び腰な私にも、楽しめる内容だったということがまずすごい。もちろん、この本が扱っているのは「数学」ではなく「無限」を「考える」ことなんだと思うのですが、でもその無限は数字でも量でもないということを考えるのに数字や量の概念を使って説明している。なので、頭をひねって思い描きながら読んでたのですが、そのうちふと、あー数ってラベルなのかと思ったときにはちょっと頭がすっきりした気がした。もしかして数学というのも、もしかして考え方の一つの形で、自分も普段使ってたりもするアレもそうなのか。へえー! とか思った。(←これ大丈夫?)

まあ、そんな風にまだまだ理解できてないとこばかりなんだけど、一つの論を出して、それを俯瞰して、さらにそれも俯瞰して、最終的には矛盾するという展開が面白いと思った。というかその俯瞰をメタっていうのか。というか矛盾が無限なの?

うーん、自分の頭が穴だらけで嫌になりますが、もうちょっとしつこく考えたい。数字で考えるのは苦手ですが、憧れはあるんです。暇つぶしは素数を数えることとか言ってみたい。(たぶん言えないけど一生)

ところで、私がこの本を読んで最初に思い出したのが、「考える練習をしよう (子どものためのライフ・スタイル)」という本でした。大島弓子さんの「ロングロングケーキ (白泉社文庫)」に引用されてる、永遠のチョコバーの下りです。はんぶん、はんぶん、はんぶんとチョコを食べて行くなら、永遠にチョコはなくならないっていうお話。

これが彼の夢だと仮定すると

コタの眠っている側の世界には もう一人のぼくがいるはずだ

そしてそのぼくが夢をみたら もうひとつ別な世界で ぼくは生きてることになる

さらにまたぼくの知り合いが 勝手にぼくの夢を見るとすると そっちの世界でも ぼくは生きてることになる

いったい何人のぼくが いったいどれだけの人生を生きているのだろう

「ロング・ロング・ケーキ」大島弓子

こういう話が大好物です。わくわくする。次はお前がそれを読むのは100年早いと言われそうなのを読んでしまおうと思ってます。よ。

[] 酒バトン

id:kissheeさんが答えていて、面白そうだと思ったので頂いてきました。酒バトン。アンケート好きなんです(なんどもいってますが)

1.酔っ払ったときの最悪の失敗談は?

お酒は好きなんですが、あんまり酔いません。ただちょっと手もとがおぼつかなくなったり、気を使えなくなったりするくらい。でも、一人になるとダメで、最悪の失敗談といえば、帰りの電車で寝てしまって気付いたら隣の県にいて、もう上り電車なかった、しかも真冬。とかですね。しかも5000円しかもってなくて、タクシーの運転手さんに「5000円で行けるとこまでお願いします!」と言ってずーーーっとメーター見てた。さすがにもう寝なかった。でも家まで送ってもらえた。この時ばかりは女で良かったとか思った。

2.そのときはどれくらい飲んでた?

10杯も飲んでないはず…。寝ちゃうのにあまり量は関係ないかも。

3.最悪の二日酔いはどんなかんじ?

二日酔いもあまりしない恵まれた体質なのですが、眠り過ぎて気付いたら夕方ってのはたまにある。

4.酔っ払って迷惑をかけた人にこの場をかりてあやまって!

とりあえずこの前の飲み会で、私がもずくの天ぷら食べ過ぎちゃったせいで食べれなかった人ごめんなさい。

5.今、冷蔵庫にはいっているお酒の量は?

家ではあんまり飲まないので缶ビール1本とか。あと部屋にディタ(もらいもの)がある。

6.好きな銘柄は?

ビールは何でも好き。あれば頼むのはカールスバーグハイネケンハートランドスーパードライの順番。でも、今までで一番おいしい! と思ったのは沖縄のヘリオスビール*1地ビールなんでたぶん沖縄本島でしか飲めない(宮古でも飲めなかった)んですが、通販も出来ます。一回だけやったこことある。ここのお酒はビール以外もうまいです。

焼酎は芋ならなんでもいいかも。最近は七夕をよく飲む。黒はまだ飲んだことない。

あとよく飲むのはチンザノロッソとジン。日本酒は飲めない。けどもう飲めるかも。

7.最近最後に飲んだ店は?

南新宿にある沖縄料理の店です。

8.よく飲む、思い入れのあるお酒は?

カールスバーグです。初めて個人旅行した時(香港)に、道に迷って、でもお腹すいてて、もうここでいいよ、と言って入ったあやしげお店で、飲み物何にする?と聞かれ、何故か、なめられちゃいかん、と思って頼んだのが(その展開が意味分からないですが)カールスバーグだった。それまで、あんまりビールって好きじゃなかったんだけど、なんだかすごく美味しかったんですよねー。大人気分てやつです。たぶん。

9.バトンを5人にまわして!

もし答えたい方がいらっしゃいましたらぜひ。

[] ふがいない

最近どんどん日記が長くなる。もっと短く、簡潔に書けないものかなと思っているのだけど、どうしてもこう、ずるずる文章が長くなる。特に最近はちょっと仕事とか忙しくて、なのにいろいろ書きたくなっちゃう。まあ、その程度の忙しさなんだと言ってしまえばそれまでだけど。

でも、この前、映画好きの人と話してて、不意に「俺、言葉で説明するの嫌いなんだよね」と言う言葉がきたときはガーンとなった。私はそれが好きなんですけど。と言えないふがいなさ。「つい言葉で考えちゃうんだよね。ごめん」とか言ってみるくらいのだらしなさ。そしてこんなとこにそれ書いてるへたれっぷり。

でもですね。言葉で説明することがイコール言葉で説明しないことを否定することじゃないんだけどな。最初から否定されるとその後が続かないです。

という負け犬の遠ぼえで長くなってるのかもしれない。まあ、単に書きたいだけという方が大きいだろうけど。

*1:ヘリオス酒造のHP → http://www.helios-syuzo.co.jp/index.html

IMAOIMAO 2006/02/08 20:45 大島弓子を引用されちゃったら読まない訳にはいかにですね^^
『ロング・ロング・ケーキ』も大好きですが。

ichinicsichinics 2006/02/09 02:21 IMAOさんこんばんは。私は何かというとつい大島弓子漫画を引き合いに出してしまうのですが、それが正しいのかは私にもわかりません(笑)でも面白い本でした。
「考える練習をしよう」は、大島さんが引用をしているということで探して買ったのですが、これもすてきな本でしたよ。

2006-02-07

[] Sweet Dreams for fishmans

フィッシュマンズ特集目当てに、久しぶりにミュージックマガジンを買った。

まだ読んでる途中なんだけど、柏原譲さんのインタビューに

ベタに言うと、いい歌って、自分のことを歌ってくれてるような気がするんですね

というのが、まさに、だなぁ、と思った。そして、今だったら、どんな言葉があったのかなぁとか考えたりして。

Sweet Dreams for fishmans

それで、何となくフィッシュマンズのトリビュート盤を聴き直したりもしてる。

初めて聴いたときはなんだかうけつけなくて、じつはほとんど聴いてなかったアルバムなんだけど、年末のライブ映像も良かったし(id:ichinics:20060109:p1)と思って聴いてみてる。

そもそも、トリビュート盤て、あまり好んで聴かない。そのアーティストのアルバムにカバー曲が入ってるのはわりと好きだし、そういうカバー曲を集めたものなら聴いてみたいけど、最初からトリビュート盤として作られてる場合、どうしても原曲の雰囲気にひっぱられてしまうものが多い、という印象がある。まあ、これは聴く側の問題かもしれないけど。

でも、フィッシュマンズの場合は、アレンジや解釈が原曲に近いほうが、聴きやすく感じる気がします。なんでだろうな。耳が慣れ過ぎているのだろうか。

そういう意味で、個人的に気に入ったのは、クラムボンの「ナイト・クルージング」と、nontoroppoの「Just Thing」でした。

あとUAの「頼りない天使」は栗コーダーカルテットによるトラックが素晴らしい。本当に良い。パスカル・コムラードみたいだなと思った。一曲だけ取り出して聴くなら迷わずこれだと思う。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/10号

Happy!」ドラマ化だそうです。海野幸役の子、かわいいなぁ。それにしても、漫画原作のドラマ多いですね最近。

ももんち
冬目景さん読み切り。おもしろかった。引っ込み思案の女の子のお話で、ちょっと「四月物語」を彷佛とするような、青春の1ページ的な、そんな甘酸っぱいお話ですが、やたらあったかい気分になった。
中退アフロ田中
今週の田中は危険だった。電車の中で笑っちゃった。何回読んでも笑える…。井上…。第60話ね(コミックス読む時用メモ)で、二人の時間は動き始めるんでしょうか。
ハクバノ王子サマ
タカコサマの台詞をパクる小津の巻。「ナニか気持ちのいいことを考えよう」と言って想像して「イメージでもひとり…」というタカコサマの入浴シーンが見どころ。
電波の城
谷口記者が好きだ。天宮の話と絡むのが楽しみなんだけど、まだ先っぽいな。
20世紀少年
キリコの名言
cherry
かをるが怒る訳がわかんない。一日中大変な思いしてバイト探してたのにってこと?
バンビ〜ノ!
またバンビが怒られる予感…。
美味しんぼ
子供が「柔らかで肉汁が口いっぱいに。」なんて言うかしら。生まれたの最近な気がしてたけど、もしかしてもう中学生くらいになってるのかな?というかあれは子供じゃない?
闇金ウシジマくん
ギャル汚編完結。まさかこんな終わりとは…。5.6号のが伏線だったのか。
SEKIDO
次号最終回。ううーん。予定どおりなのかな。もうちょっと読みたかった。

[] 感想を書くことに愛はあるか

いろんなものを見て、聞いて、読んで、その感想を書いたりして、それを多くの人が読むことができるインターネット上にのせるということにまつわる問題については、たぶん今までもたくさんの人が考えてきたんだと思うし、私も実際、そのような文章をあちこちで読んできたけど、私が読んだものより、ずっとたくさんの、そういった逡巡や自戒があるんだと思う。

そして私も以前「批評することの難しさ」という文章を書いたり、自分の意見を語ることへの意識として、

「私は断言したり、批判したりすることが苦手というかあんまり好きじゃなくて、それよりはその考えが何故起こるのかのほうに興味がある。もちろんそれに対して好悪の感情は起きるのだけど、それに流されるだけじゃなくて、なんで私はそう思うのかというところをいつも、だと疲れるかもしれないから、まあそれなりに考えていたい。つまり、こうやって本を読んだり人の話を聴いたりするのは、比較不可能かもしれない他者の意識を自分自身の中で想像することなんだろうなと思います。理解できないとしても、理解しようとはしてたい。(id:ichinics:20051202:p2)」

というようなことを考えている。

まあ、断言しないってことは逃げ道を作ってると思われても仕方のないことなんですが、ともかくそういう意識でずっとここに日記という形で文章を書いているんですけれども、それでもやっぱり無自覚になっている部分はある。

愛があるのか

例えば、ネット上に何かの感想を書くという行為自体が、作者の人からしてみたら「愛がない」ことなのだ、といわれてしまうのなら、もう逃げ道はないなぁ、と今日、ある文章(が何かについては最後の方に)を読んで思った。ネタばれしてる/してない、とか、そういうことじゃないと思う。だって、ほとんどの感想はネタばれの可能性を含む、と思うので。面白かった、面白くなかった、だけでもね。

でもやっぱり、私はいろんな人の感想を読みたいし、読めるようになった今の環境を、基本的には喜んでいる。もちろん良いことばかりではないと思うけど。

そして、私が「感想」を書くのは、その作者のためではなく、同じようにその作品を受け取って、何かを思った人に対してなんだと思う。そこには自分も含まれる。例えばこの本を読んで、こんなことを思った。そういうことを、ネット以外の場所で話すってことは、その本を読んだ人に対してしかできないことだからこそ、とても限られた範囲のことになってしまう。でもネットなら距離も関係なく、それが読める、書ける、読んでもらえるっていうのは、それだけで、結構価値のあることだ、と私は思っている。文芸誌などでも書評は読めるけど、ブログやサイトなら芋づる式にその人がほかにどんなものを好んでいるのかも知ることができるところが好きだ。しかも無料で読み放題。

ただ、基本的に、ネタばれはしない方が良いなとは思う。受け手側としては、知る前の感想はなるべく読まないようにしているし、良く閲覧させてもらっているサイトで、ネタばれでないと分かっている場合だけ、読んで参考にさせてもらっているけれど、他者にそれを要求することは出来ないし。でも、自分がそれを知った後なら、ネタばれ感想も読みたいし、自分で書く場合にだって、どうしても核心部分に触れたいと思うこともある。だから結局、私は基本的に、自分が読みたい感想を書いているだけなのかもしれない。出来るだけ、直接的なことは書かないように、とは思っているけれど。

ないかも

で、そんな風にいろんな人の感想を読んだり自分の感想を書いたりしている時に、私の中に作者に対する愛情はあるのか?と聞かれたら、私は、ない、と答えるかもしれない。例えば本なら、その作者の新刊を楽しみにしていてこれまでの著作も読み返してるというなら、ある、といえるかもしれない。でも基本的には、私が愛している/好んでいる対象は、作品だ。それをどんな人が作っているんだろう、と興味をそそられることはある。そしてエッセイなどを読んで、もっと好きになることもあるけれど、エッセイやインタビューでの発言は好きじゃないないな、同意できないな、と思うこともある。でもだからといって、好きだった作品が嫌いになったりはしない。

先に挙げた、その「愛がない」という発言は、私の大好きなアーティストの言葉だったみたいなのだけど、ちょっと前の話だし、正確なニュアンスは分からないし、ある程度いろんな方の意見を見て回ったらもう蒸し返さない方が良いと思ったので具体的には書かない。私はその発言の是非を問いたいわけではないし、この文章自体、そもそもの焦点とはまったくずれたとこを話している。ただ、私に愛はあるのかを考えたかっただけだ。

だから、この文章も単なる独り言になってしまっていて、独り言ならチラシの裏にって言われたら、反論出来ない。

ただ、自分が好きな作品に対しては、その愛を証明する方法はないけど、愛をもって接するべきだ。ということを忘れずにいようと思って書いた。

2006-02-06

[] 植田正治:写真の作法

植田正治写真集:吹き抜ける風

植田正治写真集:吹き抜ける風

1月のはじめに、前メモしてた*1植田正治さんの展覧会に行ってきました。もう一度くらい行きたかったけど、今日で終了。終わってしまう前に書けばよかった。ほんとすてきな展示でした。

私は、植田正治さんの写真が、ほんとうに好きです。

あの深くて淡いグレーとか、人物の表情とか、構図とか、1つ1つを挙げてもなんとなくしっくりこないのだけど、

今回ゆっくりと眺めてるうちに、なんだかどこかで見たことのあるような感じがするのが、「好き」と思うことの理由なのかもしれないと思った。

例えば、写される「人物」が、なんというか普遍的なのだ。どこかにいた、誰か、を特別な存在として、見るという感じ。もしくは小説の中の何気ない一文を読んで、思い浮かべる風景のような。

だからこそ、現実に、じゃなくて、夢でみたような、既視感を覚えるのかもしれない。(まだ読んでいないのだけど鷲田清一さんが植田正治さんの作品をモチーフに書かれたエッセイ集の題となっている「まなざしの記憶」という言葉は、そんな感じの意味なんじゃないかと想像している。いつか読みたい。)

図録を買って眺めてるのだけど、もっともっとたくさん見たい気持ちになる。やっぱり鳥取に行きたいなぁ。

[] 岡本太郎の視線

それで、上の写真展を見にいった際に、岡本太郎さんの写真展も見たんだった。

私は岡本太郎さんについて、ほとんど何も知らないです。

でも、この写真展を見るのなら、岡本太郎記念館に足を向けた方がずっと岡本太郎さんという人の世界は見えると思う。(逆に言えば、岡本さんの世界についてある程度の認識がある人向けの展覧会だったということで)

私は岡本さん作品というと、どうしても造形物や写真より「言葉」の方が印象に残ってしまうんだけど、この写真展でもスライドに写されてる言葉のほうが印象に残ってしまった。

あと、写真はとても素直に見えるものが多くて、この視線から、あの作品群が生まれたのか、ということには正直に驚いた。

[][] 「12人の優しい日本人

作・演出:三谷幸喜

出演:浅野和之、石田ゆり子、伊藤正之、江口洋介小日向文世鈴木砂羽筒井道隆生瀬勝久温水洋一堀内敬子堀部圭亮山寺宏一

去年の終わりから再演されていたもの。これ、頑張ってはみたんですけど、チケットとれなかったんです。先週くらいにwowowでやったらしく、友人にビデオ借りて鑑賞。映画版「優しい日本人」も好きだけど、やっと舞台版を見れて、うれしかったです。とにかく面白かった!

まず、やっぱり個人的に好きな俳優さんがたくさんでていて楽しい。筒井道隆さんはなんであんな「いいひと」そうなんだろうな。あと小日向さんが格好良かった。なんというかキレ者が焦るシーンとかにときめきます(屈折)。生瀬さんも良かったし山寺さんが声以外で演技してるとこ初めてみれたし(ここはもうちょっと山寺さんならではのシーンが欲しかったけど、それをやるとオンステージになっちゃうのかな)。それから。有頂天ホテルにも出ていた堀内敬子さんは、役柄によって随分雰囲気がかわるなと思った。好きです。沢口靖子さんとちょっと似てるような気が。

お話も、「十二人の怒れる男」を見たときのような驚きはないけれど、たぶんどれを最初に見るかによるとは思う。「怒れる」と「優しい」はもちろん全く別の話なんだけど、パロディとして見ても面白いと思います。

ただ、難を言うならば、最初の全員無罪から一人有罪に入れるとこの「理由」がラストとちょっとちぐはぐな気もした。

でもとにかく、面白かったです。三谷さんの脚本はなんだかんだ言って安心して笑えるところが好きだ。

2006-02-05

[][] エリ・エリ・レマ・サバクタニ

ichinics2006-02-05

監督:青山真治

西暦2015年、世界中に「感染した人を自殺という方法で死に至らしめる」ウィルスが蔓延し、それは「レミング病」と呼ばれていた。

冒頭の海で押し寄せる波が大写しになるのを見て、あぁ、これはもしかしたら、あの「ユリイカ」と繋がっているお話なのかもしれない、と思った。かつての「梢」と続がっているように思える「ハナ」という役が、同じ宮崎あおいという女優さんで描かれていることを見ても、何らかの意図があるように思える。

山は、高速度撮影で近づいてくる大津波のようでもあり、行く手を塞ぐ開かない古城の大門のようでもあった。だから梢は、死ぬのが恐い、と生まれて初めて思ったのだし、その感覚はどちらが長く息をしないでいられるか、兄と並んで水を張った洗面器に顔を沈めた時の息苦しさにとてもよく似ていた。

(文庫版「EUREKA」p7)

そして「ユリイカ」でその焦点が「視覚」にあったのに対し、今回は「音(聴覚)」に扉があるのか、と思いながら見ていたのだけど、そういってしまっていいのか、今もよく分からない。

ただ、この映画で一番面白かったのは、中原昌也演じるアスハラと浅野忠信が演じるミズイが廃校のような場所で音を構築していく場面だった。台詞のある場面は、すべて嘘くさく感じてしまった。そしてそれは、もしかしたら、全てが「現実ではない」からなんじゃないかと思った。

もう、皆死んでいる。もしくは、生まれてさえいない。全ての存在は、何か(例えば培養液に浮かんだ脳のようなものが)見ている「夢」なんじゃないか。

私が、いる、とはどういうことなのか。レミング病のウィルスは視覚に寄生するという設定だったけど、見ている風景(今まで、見えていた風景)が自分の意志の外にあるということは、そんなふうに、自分の意志すらも、自分の「外」にあるということを暗示しているのではないか。そして、その断絶を知ったときの感覚を「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」という言葉に置き換えたんではないかと思う。

ただ、1つ難点を言うならば、ユリイカでの「風景」のような圧倒は今回の「音」にはなかったと思う。当たり前だ。人工物なんだもの。ただ、あそこで扱われる「音」が、いわゆる有機的なものではなく、「ノイズ」であるということは、物語にとって大切な鍵になっている。

しかし音を奏でる、ということは、表現することだ、と私は思う。音は耳からだけでなく、皮膚感覚としても伝わる。その感覚を、彼等は求め、音に触れあうことで、繋がる(有機体となる)んじゃないだろうか。何にか。それは、たぶん「生」にだと思う。

海を目の前にした、ミズイかアスハラのどちらかが(ちょっと失念)「勝てねえなぁ」とつぶやくシーンがあった。それは、海がまた、圧倒的な「生」だからなんじゃないか。あまりにも使い古された表現だけど、全ての命の源、とかって海にすべての責任を押し付けるのは物語としてどうなんだと思うけど、でも、やっぱり海は圧倒的だ、と思う。

だんだん何の感想なんだかよくわからなくなってきた。確かに、語りにくい映画ではある。言葉を必要としていない映画だと思う。でも不思議と、考えてみたくなる。

 *

映画が終わって灯りがつくと、数人が苦笑し、数人が「何だこれ」といっていて、外にいた人すらも「音きいてるだけでキツそう」といっていた。たぶん、そんな風に意見が分かれる映画だと思う。とりあえず、エンタテインメントとは言いにくい映画だ、と私は感じました。

しかし、言葉でも映像でもないところに物語を構築するという試みはとても面白かった。たぶんテーマとしては小説にした方が、ずっと「わかりやすい」お話になるはずだ。しかしこれは、「映画」という目に見える事実として表現して初めて成り立つテーマだったんじゃないか、と思う。

そして、共感する、ということは、その「音」ように間接的なものなんじゃないだろうか。例えば上に引用した文の中にある「兄と並んで水を張った洗面器に顔を沈めた時の息苦しさ」のように。だから、この映画がまったく面白くない、と思う人の中には、そんな「息苦しさ」にカテゴライズされるものが見当たらなかったということなんじゃないかと思う。そして、たとえ見当たるものがあって、重ねるものがあったとしても、それはまた監督の意図するところとは違うかもしれない。近いとしても、完全に重なるなんてことは、あり得ないのだ、と思う。だからこそ、あの終盤のライブシーンがドラマになるのだろう。

最後に蛇足ながらネタばれの疑問点を書いておく。

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[] 食べ過ぎはよくない

昨夜は前の会社の人たちと飲みに行った。飲み過ぎたのか、あんまり記憶がない(あるけどぼんやりしてる)んだけど、あっという間に終電が無い時間だったのは覚えている。

沖縄料理のお店で、久々に食べた海ぶどうが美味しかった。もずくの天ぷらも美味しかった。あー、そういえば、人のぶんまで食べてしまってたような気がする。初対面の人もいたのに、リラックスしすぎた。

帰ってきたのが明け方だったので、今日は昼過ぎから活動。新宿で映画見て、帰りにふらっと寄った店で、腰に同色だけど別布のフリルが少しだけついているふくらはぎくらいの長さの黒いパンツを衝動買い。

夜は妹がカレー作ってるの手伝った後、wowowでやった「12人の優しい日本人」のビデオを見た。この感想は明日にでも書きたいです。面白かった。

あと、そういえば映画見る前に、近くの喫茶店に入ったら、周囲が全席カップルで、しかも、よく見渡してみるとどうも「ホストと客」なんじゃないか、というかそうとしか思えない会話が飛び交っていてびびりました。でてきたコーヒーがわりと温かったので一気飲みしてさっさと店をでることができて助かった。気まずい。もう二度とあそこのカフェ・○○○には行きません。あ、大きい方(紀伊国屋のそばの)は大丈夫だと思うけど。

2006-02-04

[] 言葉の裏とか

大した意図がない言葉を深読みして困った事態に

http://d.hatena.ne.jp/./kanose/20060202/socialskill

というまとめ記事が面白かったです。そこで紹介されていた記事に、《男性が冗談で言った「足が太いね」という一言が、彼女にはどう解釈されたか》を10項目挙げている記事が紹介されていて、(http://otokoryoku.livedoor.biz/archives/50371058.html)

この解釈はどれも相手の気持ちに対する推測であり、なんら真実を保証しないのになあってこと。にもかかわらず推測した意図を確定した事実のように受け取ってしまうのはなぜなんだろう、と。

http://d.hatena.ne.jp/./sdmt/20060202/1138829326

とかいてあった。

あー確かに、女性はそういう深読みをよくするな、と思う。でも個人的には、10項目のどれも想定しないし(むしろそっちが冗談でしょ、と思う)、これは空気読めるということとはちょっと違うんじゃないかなと思う。

まず、冗談で「足が太い」と言われることについて。たぶんあの10項目は恋人同士って設定での話だと思うけど、まあ仮に異性全般にそう言われた、という状況を設定してみる。

実際に自分が足が太い、と思って気にしている人は、たぶん真に受けて落ち込む。足は細い、と自信がある人は、冗談だろうなと思いつつ、冗談でしょ、という態度で応じるのは「図々しい」ような気もするから(この辺は空気が読めるといって良いかも)そう思われたくなくて、傷付いたふりをする。で、実はそんなに足が太いわけでもないのに、自分の容姿にあんまり自信のないタイプの人が、いろいろ深読みするのかなと思う。

でもこれが恋人同士の話だとすると、そこから喧嘩になるのは変だなーと思う。だってそんな「足が太い」自分とつきあってるんだから、それでいいんじゃない? 「痩せろよ」ってことだよな、と受け取るなら、まあちょっと運動でもしてみればいい。

まあ、その推測を口に出して、怒るような人にたいしては(たとえ怒ったフリだとしても)、それを否定してあげればいいだけなんだと思う。本気で凹んで、その後数年気にしつづけるようなタイプの子は、きっと面と向かってそれは言えない。(のでフォローも大変かも)

まあ、どちらにせよ、自分に対して何らかの評価をするような言葉に対して、ただ単に「冗談」と受け取るのは、結構難しい。そこに「意図」がないとは思いにくい。だから推測してしまう。本当に「意図がなかった」のなら、それにキレている女性の側が空気が読めないってことになると思うけど、意図もなしに他者に対する「評価」を口にするっていう場合をそもそも想定してないんじゃないでしょうか。だから「でも「思った」から言ったんでしょ?」としつこく食い下がられることになる。

男性だったら何だろう。「最近お腹出てきたんじゃない?」と言われたら、「これは彼女の冗談だ」と思えるのかな? 思わないんじゃないだろうか。「でもそんな俺が好きなんでしょ」ととるか「あーやっぱり?運動しなきゃな」とか、そんな風に受け取るんじゃないだろうか。

でも、お腹が出てるから「何」なのかは、表情を見たり、話を続けたりして判断するしかない。

そんで、実はこの「何」が重要なんだと思うんですが、たぶん、多くの女性が「男性は女性を容姿で判断する」と思っている。つきあってみればそんなことはないかもしれないけども、ともかく、容姿について何か言われる、ということは、女性からすると自分のことが「好き/嫌い」に直結してしまうのかな。と思いました。

 *

書いてたらめんどくさくなってきたけど、要は「自分が言われたら嫌なことは言わない」でいいと思う。からかいたいなら、もっと確実に冗談とわかるようなことを選ぶとか。

個人的には足が太いとか言われることは気にしなくてもいいと思います。胸も。だってそういうのって結局自分が一番よく分かってることだし。あ、ということは、「足が太い」と言われるのは宿題に似てるのかも。

「さっさと宿題やりなさいよ」

「今やろうと思ってたんだって!」

 *

違うかも。

2006-02-03

[] 読書とボケの花

ichinics2006-02-03

ここ数日、同じ作業をずっと続けている。終わらない。そりゃいつかは終わるんだけど、まだまだ道のりは遠く、その後にやらなきゃいけないことが、隣の机(空席)に山積みになっている。うーん。なんていいつつ、つい脱線したりして、また仕事が溜まってく。

そんでも9時くらいには仕事を終えて、喫茶店によって22時くらいまで読書。「無限論の教室」がすごく面白い。数学苦手だったので、数字も苦手なんだけど、あこがれだけはある。

その後、閉店間際の本屋に寄って、ベルカを買おうと思ったのに置いてなくって、かわりに古川日出男さんの新しく出てた文庫本を購入。「二〇〇二年のスロウ・ボート」。これ、メディアファクトリーが出してた「トリビュート 村上春樹」のシリーズだ。当時はなんだその企画、と思っていたんだけど、今検索してみたら、古川さんが発起人だったらしい。(サイトもある → http://www.mf-davinci.com/murakami/)うーん。なんだか複雑な気持ちはするけど、とりあえず読んでから考えよう。

ipodは最近ピーズばかり。特に「ノロマが走って行く」と「サマー記念日」が好きだ。

あと今日、駅前で木瓜の花の盆栽みたいなの売ってるのを見て、それがすごくかわいくて、欲しい。けどきっと枯らしてしまうんだろうなと思うと買えない。(ちなみに写真は昔のなので覚えてないんだけどたぶんボケじゃない。梅だと思います。)

[] AとB

私の血液型はAB型です。ABって言うと、まあ大抵「二重人格なんだ」って言われる。最近はあまり言われないかな? でも、これまでかなり多くの場面で「あー二重人格か」って言われてきた。でもまあ、それは他の血液型の人向けにも、なんだかんだある定型句の一つで、AB向けによく使われる定型句がたまたま「二重人格」ってだけだってのもわかっている。もちろん人の性格を四種類に分類できることなんて、出来るわけがないのもわかってる。

でも、私は別に、二重人格って言われても、言われなくても、かまわないわけです(だって私が二重人格なのかどうかなんて、私にもわからないし)。むしろ、ちょっと便利な言葉だなと思っていたりする。

例えば、私は基本的にわりと楽しいし、日々幸せにすごしている。けれど時々は落ち込むこともあって、あー浮かべないなぁーどうしよ。と思ってるときに、二重人格のせいする。どこかにもう一人のわりと元気な私もいるわけだから、だいじょうぶ。そんな風に考えられる。

もちろん、そのAとBあわせて一人の私なわけだけど、ただ、そうやって「二人」の自分を想定しておくことが、私はわりと気に入っている。

「二重人格のせいにするなんてずるい」なんて言われるかもしれないけど、私の人格が二重で迷惑をかけることなんて、それは一重でもかかることとかわらない(だってそれは結局一重でしかないから)。しかも「ずるい」って言ってるのももう一人の私だったりして、つまりは主観/客観がポジネガな感じでくるくると入れ替わっているだけのことだ。

 *

なんて、そんな風に、結構気楽に考えてるつもりでも、やっぱり、AとBの意見にいつまでも折り合いがつかないことがある。

例えば「物事が崩れるかどうか」*1ということ。自分が動くことを、物事を崩さないために、なんて言うのも、崩してしまうのも、自分勝手に思えるのに、他者に対しては「自分にとって良い方を選んで欲しい」なんて思ってたりするのがまた、勝手だ。

大抵は全てが丸くおさまるほうを選ぶ。楽だから。でもこの前は意見に折り合いがつかないまま動いて、でも結局物事は崩れなかった。けど、それが失敗だったとも思えない。自分がそういう風に思うのが不思議だったけど、でも、数年後には悔やんでるかもしんないし、たぶん結論なんてでない。

ただ、なんとなく、AとBに折り合いがつかないことって、選択肢があるつもりだけど、実はとっくに自分のやりたい方を、選んでるのかもしれない。なー、なんて考えたときに、改めてAもBもおんなじ人だったって、思い出したりする。

2006-02-02

[][] 世界が完全に思考停止する前に/森達也

世界が完全に思考停止する前に

世界が完全に思考停止する前に

この本は、著者である森達也さん自身の感情と言葉で書かれている。ここに書かれていることが、唯一の正論という訳ではない。でも、日々報道されていることは、明らかに偏りがあるのだということを感じさせる内容だった。

例えば、森達也さんの映画デビュー作である「A」は、《そもそもテレビドキュメンタリーとして企画されたが、撮影が始まったばかりの段階で、「オウムを絶対悪として強調して描け」とプロデューサーから指示されて、これを拒絶したために中断を命じられ(p201)》という経緯があり、森さんは勤めていた番組制作会社を辞め、テレビというメディアから疎外されることになったという。そして、同じような「イメージ作り」は、きっと今も行われているのだろう。

注意しなくちゃ、と思う。1つの明らかな事実があったとしても、視点次第でそれは作られたものになる。例えばAにおける事実は、そのAの集合体における事実ではない。「かもしれない」は「ではないかもしれない」を含むのに、与えられる情報を、そのまま信じる人はいる。でももし、その情報を覆すような出来事があったとして、それが報道されなかったとしたら? そんなことを考えると恐ろしい。せめて、受け取り手として、想像力を働かせていたい、と思う。

例えば「ホテル・ルワンダ」の中で、印象に残ったシーンがある。ホアキン・フェニックスが演じる報道カメラマンの撮った虐殺の映像を見て、「これを見たらきっと世界中の人が助けにきてくれる」と言う主人公に対し、「この映像をニュースで見ても、世界の人々は「神よこんな酷いことがこの世にあるのか」と言い、そのまま夕食を食べ続けるだけだ」と言う。台詞は記憶で書いてるので曖昧だけど、ニュアンスは間違っていないと思う。そして、これと殆ど同じ事が、この本の中の、イラク戦争についての章で書かれている。

言葉は繰り返されているのに、それでも、日々いろんなことが忘れられて行く。私も忘れる。そしてまた過ちが繰り返される。この本は、そのことを思い出させてくれる。

この本に収められた記事は2003年〜2004年のものだけれど、あつかっている題材はそれ以前のものも含んでいる。古いと感じるものもあるかもしれない。でも、だからこそ思い出して、もう一度考えて、知ろうとするべきなんだと思った。

僕らは有機体のネットワークだ。僕らの同意のもとに世界はある。一人ひとりがこの世界に責任がある。(あとがきより/p213)

この言葉が、私が去年の今頃に思っていた(id:ichinics:20050216:p3)ことに重なるような気がして、ちょっと勇気づけられた。

私はとても感傷的な性格をしていて、そんな自分が時々うっとうしい。でも例えば少年犯罪について「親なんか市中引き回しの上、打ち首に」なんて言う政治家がいて、加害者の「心の闇」に迫るなんてテレビ番組があちこちで放送され、その影で自殺する加害者遺族の何と多いことか。そんなことを言えば「同情するのか」と非難する人もいるだろう。「A」を勧めた友人に、眉をひそめられたこともある。でも、想像して、葛藤してしまうことの何が悪いのか。誰だって、今日と変わらない明日が保証されてるなんてことはないんだし、非難することの反対が同情ではないはずだ。

 *

内容について、触れてみたい部分はたくさんあったのだけど、あまりにも多いので、本の感想とは別に、考えて書いてみたりしたい。

とにかく、ぜひ、いろんな人に読んで欲しい本です。

 *

ただ、一つだけ残念な点もあった。「視聴率格闘技戦争」という項で、プロレスファンである森さんが、かつてのクラスメイトに言及するところ。(まあこのへんも、森さんの感情で書かれているからこそなのかもしれないけど)

それを除けば、私は森さんの態度を尊敬するし、信用できるだろう、と感じるし、すごく「まとも」だと思う。そして、こういう人がいてくれるっていうことを、心強く思う。

[] MANGA SICK

最近この曲がすごい好きです。ギターの音がジャキジャキしてて攻撃的。

彼女の気分 いつも最悪 わかってしまったからだった フンイキ気分

漫画の恋の結末はわかってしまったからだった

彼女が一番スキなのは漫画の雰囲気だけだった!

NUMBER GIRL「MANGA SICK」

ところで、私の男友達に、年中「彼女が欲しい」って言ってる人がいて、でも、彼は別にモテない訳ではなく(と思う)、それなのに、あまりにも、自虐的なことしか口にしないのでちょっと参っている。少しでも意見が食い違うと、すぐ「女に俺の気持ちはわからん」で終了しちゃうし。えー?

彼に彼女ができないのはたぶん、彼が運命の出会いを求めてる(と実際言っている)からなんだと思うんだよな。それがいけないわけじゃない。でも、出会いが運命的に起こりさえすれば、その後もすべてうまくいくと思ってる。

でも、それって「漫画の雰囲気」なんではないのかしら? と思ったついでにふと、だんだんと少女漫画が現実的になり、青年漫画少女漫画的(夢見がち)になりつつあるのかなとか思いついたので*1、ちょっと考えてみようと思った。

*1:前書いた漫画の話→id:ichinics:20050419:p4

2006-02-01

[][] 東京物語小津安二郎

ichinics2006-02-01

asin:B0009RQXIC

1953年の作品。

私が初めて小津監督の映画を見たのは、中学生の頃だっただろうか。なんだか静かな映画だなぁと思ったのを覚えている。その次が大学の授業で見た、サイレントの「生まれてはみたけれど」だった。「東京物語」もその頃に見た。

でも、当時は正直、あまりにも整然とした画面に退屈もしたし、物語はほとんど印象に残らなかった。たぶん、私の好きな監督の多くが小津監督を敬愛しているという知識だけが先行していたので、その映画そのものを見ようとしていなかったのかもしれない。それから暫く、遠ざかっていたのだけど、でも、昨年末にカウリスマキ映画をまとめて見よう、と思い立って見ているうちに、(結局4本しか見ていないけれど)だんだんともう一度、ちゃんと小津作品を見たいなと思うようになった。

それで見た「東京物語」は、今さらながら、とても良い映画だった。

物語は、子どもたちに会いに東京へ行く、老夫婦の物語だ。主役の笠智衆さんは、当時40代でこの(70代という設定の)役を演じたそうだけど、まるで違和感が無い。そして、昔は棒読みに聞こえた台詞も、物語を妨げることなく、物語を流転させてゆく。方丈記「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」という言葉を彷佛とさせる、そんな時間の流れが映画の中にある。

老夫婦には、五人の子どもがいる。東京に住む、町医者の長男と美容師をしている長女は、老夫婦を型通りにもてなしはするが、自分の生活をずらそうとはしない。ただ、戦死した次男の妻であった紀子(原節子)のみが、彼等の来訪を心から喜び、もてなしている。ように見える。それでも、息子も娘も、別に悪気はないのだ。

そして「これ以上迷惑はかけられないよ」と言い、尾道へ帰ろうとする老夫婦は、「幸せだよ」「いいほうだよ」と繰り返し言い合う。決して面と向かって文句を言ったりはしないのだ。

紀子もまた、母の死に対面しても、すぐに現実へと切り替えてしまう兄と姉に憤る次女に向かって「皆、自分の生活の方が大事なの、そうなっていくのよ」と語る。そして、それがまた自戒の言葉へとつながるんだけれども。

直接的な言葉にはされなくても、そこにある感情が伝わってくる、というのは映画の不思議なところだと思う。現実ではこうはいかない。たぶん、あの姉だって、自分の妹があのように感じていることなど、たとえ察したとしても、気にはしないだろう。相手の物差しを推し量るというのは、近しい間柄になればこそ、難しくなるのかもしれない。

それなのに、こうして画面を隔てて相対する世界の、なんと近しいことだろう。

昔、この映画を見た私と、今の私が感じることがこんなにも違っているように、すべては変わっていくし、自分の中にある感情すらも、繋ぎ止めることは難しい。でも、それが世界だ。いいこともあった。いやなこともあった。誰かと、分かち合う事のできる何かだって、たぶん、ある。

父が広島出身で、私自身も一人欠けた四人兄弟の長女で、そしてたぶん、私自身が年をとったせいか、ひどく身につまされる思いのする映画だった。

例えば広島に住んでいた祖父が亡くなった時、私はまだ小学校にあがったばかりで、お葬式の席で、正座するのが辛いと思いつつ、父親の顔を見るのが怖かった。そんなことを思い出した。

[] bonobos/electlyric

electlyric

electlyric

聴いた。良かった。きらきらしてます。日だまりというか、真夏のプールの中から空を見上げてる感じがする、とても良いアルバムでした。なんだーもう。なんだか先日ごちゃごちゃ書いたのがあほらしくなってくる。

この前は多幸感溢れるダンスミュージック、と書いたけれど、それは訂正。やっぱり彼等の基本は南国の音楽にあるみたいですね。ラブ&ピース。ただ、「ホーバー・ホーバー」で感じた、あちこちのジャンルを行き交う、ちょっと落ち着かない感じは薄れて、とてもまとまりのある、芯の通ったアルバムだと感じました。もちろん「ホーバー・ホーバー」も良かったんだけど。でも単純にこのアルバムの方が、好きで、bonobosというバンドがどんなバンドなのか、伝わってくるような気がした。

そして、おこがましいことを言うならば、バンドが一段ステップをのぼるときっていうのは、やっぱりキラーチューンを生み出した瞬間だと思うんですよ。そしてこのアルバムには、それがある。たぶんきっと、このアルバム聴いた(ほとんどの)人が一発で「おっ」と身を乗り出してしまうであろう曲。「THANK YOU FOR THE MUSIC」! 聞き込むうちに、あ、こっちの曲のが好みかも、なんてことはあるだろうけど、このキャッチーさはちょっと特筆すべきだと思う。「We Will Rock You」と凄く似てるリズムなんだけど、雰囲気がまるで違って、これは久々の個人的エンドロールソング*1を発見してしまったと思いました。

他には#1「春の嵐」#7「あの言葉、あの光」などが好きです。

[] なんか変

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも 私たちは信じている、言葉のチカラを。 ジャーナリスト宣言朝日新聞

こんなコピーにメッセージを託しました。ペンを握り、言葉を組み合わせ、文をつむぎ出し、真実を伝え続ける。きっと何かが変えられる。そんな思いを込めています。(01/25)

朝日新聞の、キャッチコピー、らしいんだけど、なんだか居心地の悪い文だと思う。

まず、揚げ足取りみたいだけど、ここで「力」を「チカラ」とする意味はなんだろう?

「言葉は感情的で、残酷で」と「無力だ」の間に「ときに」と入れるということは、言葉は常に(とりあえず「ときに」ではなく)「感情的で、残酷」であるというニュアンスを含む(誤解を招く)んじゃないだろうか?

コピーの趣旨は、たぶん「言葉はときに、感情的であったり、残酷であったり、無力であったりする」ということに近いんだろうなというのはわかる。でも、「感情的」や「残酷」は「無力」というよりは「暴力」に近いイメージを、私は持っている。たとえ私のその感覚が極端だとしても、「感情的であり残酷であること」がイコール無力であるとは思えないし、それはたぶんこのコピーの趣旨には含まれていないだろう。

しかし、その後に「それでも、私たちは信じている、言葉のチカラを」と繋げるのであれば、それは「無力」に掛かっているんだろう。「感情的で残酷」であることを「信じている」ってのは、趣旨を推し量るとおかしい気がするし。そうなってくると、やはり「感情的で、残酷で」と「無力だ」の間の「ときに」は両者を分つものだと感じられる。

すると、「感情的で残酷であること」に対抗する「言葉のチカラ」というニュアンスである可能性が高いけど、言葉が「感情的で残酷である」としている上で、「信じている」と言われても、なんかそれって既に信じてないのでは、と感じてしまう。で、以上のことを総合して考えると、この文の趣旨は以下のようなことだと思う。

「感情的な言葉は、時に残酷で、その残酷さに、無力さを感じてしまう事もあるけれど、それでも私は信じたい。言葉の力を。(きっとあなたに何か伝えられると思うから!)」

うーん、でもこれだと、言葉が残酷であるのは「感情的」な時だけみたいになるな。というか、そもそも新聞社が「感情的」であってはいけないんじゃないかって気がするんだけど…。そういう自戒なのかな? だとすると、「感情的な言葉や、残酷な言葉に触れて、信じられないと思う事があるかもしれないけれど、私たちは常に冷静な視点を保ち、適切な言葉を選んで、あなたの感じている無力さを払拭できるような、力のある言葉を追い求めて行く事を誓います」なんていう趣旨なのかな。なんかだんだん混乱してきた。

でも、ここではあまり良い意味合いでは使われていないと思われる「感情的」ということばだって「情感溢れる」とかけば、なんだか美徳のように聞こえる。

 *

それから、私たちって、自分たちのことなんだろうけど、言葉を発信する側が「信じている」と自己完結してていいんだろうか?「信じて欲しい/信じてもらえるよう努力したい」ではないのが、なんとも歯がゆい。

さらに、「ペンを握り、言葉を組み合わせ、文をつむぎ出し」という言葉から、私が連想するのは、フィクションだ。「真実を伝え続ける」という意志を伝えたいのであれば、言葉で表現する方法を模索するよりも、取材して、考えて、ということが重要なんじゃないだろうか? もちろん、誤解を招かないように言葉を選ぶことも大事だけど。

そして「きっと何かが変えられる」って、どういう意味なんだろう。変えなければならない「何か」があるとして、それを「変える」のが「自分たち」だという自負だとしたら、それが「何」なのか、全ての人が共通認識として持っていると考えているんだろうか?

 *

日本語って難しい。

*1:映画のエンドロールでかかるような音楽が私は好きなので

michiakimichiaki 2006/02/01 21:53 電車で件の広告を見ました。
「それでも 私たちは信じている、写真のチカラをね!」
こう直したほうがいいと思いました。

ichinicsichinics 2006/02/02 02:24 確かに。上の書いたときはHPしか見てなくて、私も今日初めて中吊り見たんですけど、ばっちり格好良くデザインされたビジュアルで、一体何を信じて「宣言」したんだか、余計わかんないと思いました。