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2006-02-07

[] 感想を書くことに愛はあるか

いろんなものを見て、聞いて、読んで、その感想を書いたりして、それを多くの人が読むことができるインターネット上にのせるということにまつわる問題については、たぶん今までもたくさんの人が考えてきたんだと思うし、私も実際、そのような文章をあちこちで読んできたけど、私が読んだものより、ずっとたくさんの、そういった逡巡や自戒があるんだと思う。

そして私も以前「批評することの難しさ」という文章を書いたり、自分の意見を語ることへの意識として、

「私は断言したり、批判したりすることが苦手というかあんまり好きじゃなくて、それよりはその考えが何故起こるのかのほうに興味がある。もちろんそれに対して好悪の感情は起きるのだけど、それに流されるだけじゃなくて、なんで私はそう思うのかというところをいつも、だと疲れるかもしれないから、まあそれなりに考えていたい。つまり、こうやって本を読んだり人の話を聴いたりするのは、比較不可能かもしれない他者の意識を自分自身の中で想像することなんだろうなと思います。理解できないとしても、理解しようとはしてたい。(id:ichinics:20051202:p2)」

というようなことを考えている。

まあ、断言しないってことは逃げ道を作ってると思われても仕方のないことなんですが、ともかくそういう意識でずっとここに日記という形で文章を書いているんですけれども、それでもやっぱり無自覚になっている部分はある。

愛があるのか

例えば、ネット上に何かの感想を書くという行為自体が、作者の人からしてみたら「愛がない」ことなのだ、といわれてしまうのなら、もう逃げ道はないなぁ、と今日、ある文章(が何かについては最後の方に)を読んで思った。ネタばれしてる/してない、とか、そういうことじゃないと思う。だって、ほとんどの感想はネタばれの可能性を含む、と思うので。面白かった、面白くなかった、だけでもね。

でもやっぱり、私はいろんな人の感想を読みたいし、読めるようになった今の環境を、基本的には喜んでいる。もちろん良いことばかりではないと思うけど。

そして、私が「感想」を書くのは、その作者のためではなく、同じようにその作品を受け取って、何かを思った人に対してなんだと思う。そこには自分も含まれる。例えばこの本を読んで、こんなことを思った。そういうことを、ネット以外の場所で話すってことは、その本を読んだ人に対してしかできないことだからこそ、とても限られた範囲のことになってしまう。でもネットなら距離も関係なく、それが読める、書ける、読んでもらえるっていうのは、それだけで、結構価値のあることだ、と私は思っている。文芸誌などでも書評は読めるけど、ブログやサイトなら芋づる式にその人がほかにどんなものを好んでいるのかも知ることができるところが好きだ。しかも無料で読み放題。

ただ、基本的に、ネタばれはしない方が良いなとは思う。受け手側としては、知る前の感想はなるべく読まないようにしているし、良く閲覧させてもらっているサイトで、ネタばれでないと分かっている場合だけ、読んで参考にさせてもらっているけれど、他者にそれを要求することは出来ないし。でも、自分がそれを知った後なら、ネタばれ感想も読みたいし、自分で書く場合にだって、どうしても核心部分に触れたいと思うこともある。だから結局、私は基本的に、自分が読みたい感想を書いているだけなのかもしれない。出来るだけ、直接的なことは書かないように、とは思っているけれど。

ないかも

で、そんな風にいろんな人の感想を読んだり自分の感想を書いたりしている時に、私の中に作者に対する愛情はあるのか?と聞かれたら、私は、ない、と答えるかもしれない。例えば本なら、その作者の新刊を楽しみにしていてこれまでの著作も読み返してるというなら、ある、といえるかもしれない。でも基本的には、私が愛している/好んでいる対象は、作品だ。それをどんな人が作っているんだろう、と興味をそそられることはある。そしてエッセイなどを読んで、もっと好きになることもあるけれど、エッセイやインタビューでの発言は好きじゃないないな、同意できないな、と思うこともある。でもだからといって、好きだった作品が嫌いになったりはしない。

先に挙げた、その「愛がない」という発言は、私の大好きなアーティストの言葉だったみたいなのだけど、ちょっと前の話だし、正確なニュアンスは分からないし、ある程度いろんな方の意見を見て回ったらもう蒸し返さない方が良いと思ったので具体的には書かない。私はその発言の是非を問いたいわけではないし、この文章自体、そもそもの焦点とはまったくずれたとこを話している。ただ、私に愛はあるのかを考えたかっただけだ。

だから、この文章も単なる独り言になってしまっていて、独り言ならチラシの裏にって言われたら、反論出来ない。

ただ、自分が好きな作品に対しては、その愛を証明する方法はないけど、愛をもって接するべきだ。ということを忘れずにいようと思って書いた。