ビッグコミックスピリッツ2006/12号

ラストイニング
チームがまとまったと思ったら、父母会が足かせになりそうな予感…。
東京物語映画特別編
だいじょうぶですか?
fine
第二回。同居を提案してきた元彼女と、曖昧な関係の女の子。「つり合わない」とか「わざわざ定義しやがって」とか、なんか痛いですが、リアルだなと思う。降って湧いた同居話っていうファンタジー要素も、その痛々しいリアルさによって映えるというか。今後に期待。
団地ともお
双子の話。出来た兄弟がいるといろいろコンプレックスに感じることもありますが、兄弟は仲良しなほうがいいよねやっぱ。
我が名は海師
トッキューとコラボなのはいいけど、あそこに文字いれるのはよくないなーと思った。
美味しんぼ
焼酎の話。常温の水1対1で割って飲むと美味しいって、これはどの焼酎でも同じなのかな。お湯割りは開き過ぎ氷を入れると固まるっていうのはなんとなくわかる。
中退アフロ田中
田中おもしろい。もう毎週田中が一番楽しみだ。あー、今週の話は、性欲抜きでデートすればいいんじゃんってことだったんですけど、まあ結局面白い感じになる田中の巻でした。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
!!!田中から続けて読むと天国(?)と地獄だ。
ハクバノ王子サマ
タイミング悪すぎるかな? タカコサマの自問自答の後だからいいんじゃないかと思うけど。

 オウム裁判について/客観的になること

法律とか刑法なんかの知識は全くと言っていいほど持ち合わせていないので、安易に触れるのはよくない、と思いつつ、やっぱりちょっとひっかかるニュース。

松本被告の訴訟能力を巡っては、「訴訟能力はある」とする同高裁と、「ない」とする弁護側が真っ向から対立。同高裁は、訴訟手続きを進める前提となる、松本被告の訴訟能力を見極めるため精神鑑定を実施した。
松本被告の弁護人によると、松本被告は面会の際、質問に反応せず、意思表示もしていない。しかし、東京拘置所の記録などによると、拘置所の日常生活に大きな支障は生じていないという。
鑑定内容の詳細は明らかになっていないが、松本被告の行動に異常があるのは軽度の拘禁反応(長期の拘置による精神の異常)か詐病で、訴訟能力までは失われていないと判断したとみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060220it03.htm

先日読んだ、森達也さんの本(「世界が完全に思考停止する前に」)の中に、2004年2月27日に行われ、元オウム心理教教祖麻原(松本智津夫)被告に死刑判決が下された裁判を傍聴した際の文章「不思議の国の極刑裁判」があった。
この時点で、森さんはこう書いている。

複数の司法担当記者たちからは、もう彼には正常な判断能力はないだろうとの推測を聞いてはいた。でも自分の目で確認するこの光景は、やはり強い衝撃だった。p106
(略)
もちろん、彼のこの症状を統合失調症と断定はできない。でも、詐病の可能性を口にするならば、精神鑑定を実施すればよい。少なくとも彼の表層的な言動は正常ではない。仮に演技なら、それを見破ればよい。当たり前の話だ。ところがまるで暗黙のタブーのように、誰もこれを言いださない。逮捕されてから現在まで、彼は一度も精神鑑定を受けていない。通常なら逮捕直後に実施されたはずだ。ところがなぜか為されなかった。誰も口にしなかった。鑑定が万能とは僕も思わない。でもないよりはましだ。
統合失調症は投薬で劇的に回復する。そもそも彼が不規則な言動を法廷で始めた七年前に適正な医療処置を施せば、ここまで悪化はしなかっただろう。(p109〜110)

そして約2年の時を経て松本被告の弁護団が意見書を提出する運びとなったわけだけど、(http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060116i315.htm)2月1日には発表された「訴訟能力を完全喪失」という弁護団側の精神科医の発表(http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe4900/news/20060201i213.htm)とは全く逆の結果になってる。

罪を犯したら、罰を受けるべきだ、というのは社会の論理として正当なことだと思う。ただ、裁判や報道は、客観的な目線であるべきだろうなとも思う。だから、何かちょっと、へんな気がする。それを言葉にするのはすごく難しいのだけど、罰を受けるべきだ、と「感じること」と、その罪がどのようにしておこったのかを調べる、ということはまた別のことであるべきだ。それはこの事件に限った話ではないから。
だから、精神鑑定がこれまで行われていなかったということと、治療してなおる可能性があったのだとしたら、なぜそれをしなかったのだろう、という点には疑問を持たざるをえない。
上に引用した森さんの文も、もちろん被告に肩入れするというものではない。
ただ、犯罪を犯したことはもう分かってるんだから、いいじゃん、とは言えない。因果応報、悪いことをしたら、死んでしまえ? 私がそれを言えるだろうか? それを言わなくちゃいけない立場にいるならば、やはり私は知らなければならない。周知の事実だからといって、それを自分の判断にすることは、できない。
かと言って、私に実際を調べる力もなければ労力を払うつもりもないのも事実で、自分はずるいんだろうなとも思う。私だって、中高生の頃にピンクの象のかぶりものした踊る選挙カーを見て、「うわ、怖い」なんて思ってそれを口にしたりしたこともあった。でも、だからと言って、理解できなそうなものを、遠ざけておしまいにしてしまうことが正しいとも思えない。
とりあえず、日常生活に支障をきたしていない、というのはどういうレベルのことなんだろうな。弁護側と検察側の意見がここまで食い違っているというのは、どちらかの視点が客観的ではないからなんじゃないのかな。

追記

これ書いてから見つけたのですが、id:kwktさんによるこちらのレポート→【公開討論会「こうするべき!麻原裁判控訴審」参加】が、とても丁寧にまとめられていて、参考になりました。
たぶん、多くの人が気になっている点は、この一文で解決されるんじゃないでしょうか。

精神医学の伝統的な見解としては、犯罪実行時に責任能力があった人が逮捕後に拘禁反応を起こしても事件当時の責任能力なしとは認めないというものがあるので、精神鑑定することを誤解してはならない。
野田正彰・関西学院大学教授(精神科医)が2006年1月6日に麻原被告に接見した際の見解

でも、裁判所は

2005年8月、弁護側に精神鑑定を行う前から「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」との旨を弁護側に伝えている。
http://d.hatena.ne.jp/./kwkt/20060220#p1

とすると、上記の鑑定結果だって、信頼できるのかどうかわからなくなっちゃう。
例え、どんなに罪が明らかであったとしても、それがどのようにして起こったのか、きちんと調べる必要はあるんじゃないかな。