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  □これまでの日記一覧

2006-03-31

[][] SLAM DUNK(その2/6〜11巻)

SLAM DUNK 6 (ジャンプコミックス)

SLAM DUNK 6 (ジャンプコミックス)

陵南との練習試合がよく考えたら3巻から続いてるということにびっくりな6巻。流川VS桜木のライバル対決が、#45、#46でパスを出し合う(不本意)ことにより盛り上がる。そして自分の入れた点での逆転。その瞬間の無邪気な顔がいい。そしてそこを突かれるってのがまたドラマです。

ここらへんの花道の感情はやっぱり水戸君が解説していて「ようやく賭けるものがみつかった」と、まあ格好よすぎるこれはオモテ。その後の宮城との邂逅 → 仲良くなる展開での台詞が(7巻p23)ウラというか本音として描かれている段階、

ところで7−8巻は試合のない珍しい巻なのですが、例の体育館喧嘩シーンがある名場面めじろ押しの巻でもある。まず、最初の喧嘩で宮城のフットワークの軽さを見せつける。これまで重量感のある描写が多かったので、宮城のとび蹴りが鮮烈に映る。いままで無表情で掴めなかった流川のキャラクターも、ここで印象づけられるような気がする。以外と短気とか。

でもやはり8巻の『大人になれよ三井』からはじまる回想シーン、そして安西先生登場。三井にとっての安西先生は、形は違えど花道にとってのハルコ、宮城にとってのアヤコなわけで、自分の根幹になっている人だからこそ、この場面は泣ける。

そしてIH予選、あの見開き大コマでのベストメンバーの絵がまたいい。ここでの立ち位置、表情なんかは、それぞれのキャラクターがきちんと生きているからこそ、隅々まで動いていることの象徴だ思う。

ここで桜木ははじめてフリースローを経験するのだけど、まだ入らない。そして繰り返される退場によって、課題が見えてくる。

そして迎える翔陽戦。宮城の活躍、そしてリバウンド王として開花する花道。皆これでもかと褒める。ゴリも、宮城も褒めるのがうまい。花道は褒められて育つ子なのだなーというのがつくづく思う。

三井が自らの役割に気付く場面はそれと対照的で、自分で自分に課題を与え、プライドによって鼓舞される。周囲の期待に応えられたと感じてはじめて交わす赤木とのハイタッチが泣けます。そしてp128の安西先生の言葉。これもあの回想シーンがあるからこそだ。でもそれをしつこく見せるのではなく、「退場したくない」ことによって動きがかたくなっていた花道の解放によって翔陽戦いは幕を閉じる。『オレ…なんか上手くなってきた…』

SLAM DUNK 11 (ジャンプコミックス)

SLAM DUNK 11 (ジャンプコミックス)

2006-03-30

[][] SLAM DUNK(その1/1〜5巻)

作:井上雄彦

SLAM DUNK 1 (ジャンプコミックス)

SLAM DUNK 1 (ジャンプコミックス)

昨夜から読みはじめました。連載当時はジャンプ読んでたので、もしかしたら10年ぶりくらいか。単行本もすっかり日に焼けてますが面白さは色あせないぜ、というベタな文句をつい口走りたくなるくらい面白いです。

主人公、桜木花道がふられ続けて50人、というシーンからはじまるということはすっかり忘れてたけども、花道のハルコへの忠誠心というか認められたい心は母親へのそれみたいな感じで、思わず「アイデン&ティティ」の「わたしのことマザーだと思ってるでしょ」という台詞を思い出したりした。あのひとりボールを磨く場面のいじらしいことといったらない。そしてそれを主張する屈託のなさ。こういう主人公って最近あんま見ないような。

ともかく、花道には最初から才能がある。それが周囲の寛容さ(辛抱強さ)にもつながっているのだが、まだその使い方を知らない、というのが1巻まで。

根性なし、と罵倒されて、つい意地を張ってしまう花道だけども、2巻の冒頭ですでに反省している。この素直さがまた花道の憎めないところなんだろうなぁ。そんな花道を見守る友人、2巻p23の水戸君にはときめく。こういうのなんていうんでしょうね。でも2巻はそのまま2、3年対1年の試合に突入し、流川のプレイに一瞬目を奪われた桜木が、自らバスケットボールを「選択する」という展開(柔道部の勧誘で)につなげるわけですね。うーん。

そして3巻、庶民のシュート。ハルコとの早朝練習の場面は当時もすごく印象的だった。ハルコの飛んだときの到達点と、花道の位置の違いがね、これまた主人公の方向の定まらない/でも特別な才能を感じさせていい。そしてそのシュートが入ったときの喜びみたいなものが、バスケそのものの楽しさにつながっていくんだな。いいな。この当時私にもレイアップシュートできるような気がしてこっそりやってみたけど全然だったのを思い出した。せつない。

そして3巻後半からはじまる陵南との練習試合。4巻全編通して、試合に出たくても出られない花道のイライラ、そして余裕の仙道…。でも食らい付くゴリと流川とメガネ君たち。そして5巻にてようやく火がつく仙道。

こう考えると、きちんと意図的に山場が分散されたドラマ作りなんだなーと思うけど、試合そのものが、面白く高揚感をもって読める不思議、というのは「茄子アンダルシアの夏でも思ったことだった。あれの場合はツールドフランスとか見たこともないのに、ルールのわからなさとかを感じさせないとこがすごい、と思ったのだったけど、それはスポーツの展開の中に、きちんとドラマの伏線が絡んでいるからなのかもしれない。試合に出たい、と思いはじめるほかの一年生、とか、負けず嫌いさ、とか、昨日の特訓、とか、そういう伏線がこれでもかとくり出されることによって、ページを捲る手も早まり、自然とルールも理解できた気になれるということかしら。(続く?)

SLAM DUNK 5 (ジャンプコミックス)

SLAM DUNK 5 (ジャンプコミックス)

[] 現実逃避

ここ最近、ほんと起きて会社行って、行き帰りに本読んで帰宅してご飯食べて日記書いて寝る、というそれだけの生活をしているので、どんどん部屋が散らかっている。その散らかった部屋で久々に買ったクウネルを読むことほどの現実逃避ってのもないよなぁと思ってへこんだ。

[] へこみついでにクリィミーマミについて考える。

おとこのことちがう/おんなのこって/すきときらいだけで/ふつうがないの

という主題歌『デリケートに好きして』の歌詞については当時から首を傾げていたのですけど、未だに実感がわきません。好きと嫌いだけじゃない私は女の子じゃないのかとか思ったりしていた全てが自分に繋がる子供時代。

しかも2番の歌詞がすごくて

きょうみないひとと/いちびょうも/いっしょにいられない/わたしたち

いちびょうもってそれひどいなぁ、とか思いつつ、興味ないことと嫌いは違うよなぁということを最初に考えたのはこの歌詞でだった。アニメの主題歌の刷り込みってすごい。

で、やっぱりその後20年近く考えた結果、好きの反対は興味ない(どうでもいい)な気がする。どうでもいいに比べたら、嫌いはむしろ積極的な感情に思えるし、だからこそ嫌いなものには何か言いたくなったりもするんだろうな。どちらにせよ「いちびょうもいっしょにいられない」ってことはないかと思うけど。

でもまあ今調べてみたら、この歌詞の場合は、少し前に『きらいとかんじたら/ておくれみたい』という部分があるので、ここは「きょうみない=きらい」ということになってるのだろうなと思います。嫌いの末に興味ないに行き着くのか。それはあるかもしれない。つまり「興味あると興味ない(使用前、使用後)だけで/それなりはないの」ということか。それもどうだろう。それなら、女の子とちがう男の子には普通があるんだろうか。(ってそういうアニメじゃなかったですけど)普通って何かなー。来るもの拒まず的ななにか。そんなのあるかな。

あっ、もしかしてこれは優(主役)がトシオ(彼氏?)に「はっきりしてよね」という歌詞なのだろうか。きっとそうだ。なんかすっきりした。(いや、まあ結論はでなくてもいいんだけど。今日はなんかどうでもいいじゃん、というようなことを考えてみたかった)

ちなみに『デリケートに好きして』の作詞は古田喜昭さん。「デリケートに/好きして」という語感がもうすごい。

マミ歌の中では「トマトのゆうひ/かかとにあびながら〜」っていうマミのデビュー曲『BIN・KAN ルージュ』が好きだった。

2006-03-29

[][] 「長い道」/こうの史代

長い道 (Action comics)

長い道 (Action comics)

ほんともう、うまい言葉なんてみつからないけど、私はこの漫画が好きです。

ちゃらんぽらんで女好きな男、荘介のもとに、ある日「おんどれのヨメじゃ」と父親から送られてきたお嫁さん“道”。そのふたりの生活のお話です。

かみ合っているようで、かみ合わない、でもだからこそしっくりきている、二人の暮らしには、おもわず吹き出してしまうような場面もたくさんある。いとおしい空気。でも、その合間にはさまれる道の見ている風景が、この漫画の中の空間に奥行きを作り出している。期待や安心からは、少し距離をおくような。たとえば「最初の日」や「水鏡」などに描かれてる、このぽっかりとしたひとりだけの世界から、もどってくるあの感覚に、私は鼻のおくがじーんとしてしまう。

ひととひととの関係は、ただお互いが向き合っているときだけでなく、このように、それぞれの世界の中で重なりあい、積み重なっていくのかもしれないと思う。

あとがきを読んで、とうとう泣いてしまった。こんなすてきな漫画を、読めて嬉しい。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/17号

ラストイニング
そうきたか。ううーん。ラストイニングには、ポッポの事情より、そのオリジナルな野球理論みたいなのを求めてたのになぁ。
ハクバノ王子サマ
うん、わからなくもない。わからなくもなさすぎる。これを読んでいる男性の感想が読みたい。
闇金ウシジマくん
瑞樹のヒミツしりたい!
中退アフロ田中
ロボかわいいよ…そして面白い…。あのアップの絵の口元が気合いはいってるなと思いました!
バンビ〜ノ!
そういう意地とかプライドとか、いいと思います。楽しみだ。ベーネ。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
あー久々に宮本節だ。でもちはるのキャラクターがわかんなくなってきたなぁ。
fine
この二人は似た者同士っていう話はまえにもあったっけ? それにしても主人公がひどい。いろいろせつない。
テレキネシス
今回は「アラバマ物語」。
団地ともお
姉ちゃんの交換日記はまだつづいてたのか! 吹いた。
美味しんぼ
芋焼酎、佐藤が飲みたい。飲んだことない。山ねこはラベルかわいくて好きです。

[] バームクーヘン

桜が咲いている。花の重みで、ぽったりと枝がしなっている。梅はずいぶんさっぱりした顔をして、もう緑への準備をはじめている。そういえば近頃、散歩をしているひとをよく見かける。こんにちは。こんにちは。

* *

仕事中、目にゴミが入って思わず「目がぁー目がぁー」と言っている自分に気付いてびびった。ぼんやりしすぎ。「目がぁーいたぁーいー」と言ってごまかした。いや、実際痛かったんだけども。

* *

ちょっと体調崩してしまって、いつもよりはちょっと早めに帰宅。

電車のなかでうとうとしていたら、懐かしいひとを思い出した。否定も肯定もしないで逃げ回りたい気分なのは、私が期待するのもされるのも苦手だからなのかもしれない。でも、そうまでして守りたいものなんて、別になくなりはしないもののような気もする。うーん、なんだかぐらぐらしている。ああ、でも、欲しいものは、あったほうがいい。ひとつくらいは。

* *

入門を読み終わった。とても面白かった。感想を書きたいけど、でも、まんべんなく面白かったので、どこから手を付けようかなという感じ。そのうち。

* *

晩ご飯を食べながら、「世にも奇妙な物語」を途中から見る。なんか合間にショートコントみたいなのがある、ということに途中で気付いた。しばらくはCMかと思ってみてた。

その後、この日記を書く。3つ、と決めているわけじゃないのに、いつもだいたい3つの文になるのはなんでなんだろう。

* *

スラムダンク読みながら寝る。

IMAOIMAO 2006/03/29 23:48 『長い道』・・やっぱり泣かされてしまいました^^
荘介どのはダメ男だけど、女の人から見ると男って皆あんな
風に見えているのだろうなー、って気になりました。
でもどうしてこうも昔の事を思い出させてしまうのでしょうね、
この人の漫画は。

ichinicsichinics 2006/03/30 01:48 IMAOさん、こんばんは。『長い道』はたぶんきっと泣く漫画ではないのだと思いますけど、なんででしょうね。あの、お互いにまったく束縛してない感じが心もとなくもあり、心地よくもあります。でも、ああいう関係性っていうのは現実では難しいでしょうね、やっぱり(笑

IMAOIMAO 2006/03/30 03:09 こんばんわ。
そうですよねー、こんなに良い意味で無神経なフリ(?)をして
いられるのも難しいですもんね。
でも『るきさん』とか『ハルチン』が結婚したみたいかも?
と思って今もまた読み返しております^^

2006-03-28

[] 夕食を食べながらニュースをみている

23時頃帰宅、ご飯、といっても何かする元気がなく、もずくスープとご飯と漬け物と納豆とで夕食。夕食を食べながら久しぶりにテレビのニュースを見る。

ネットでは見つけられなかったけど、韓国のロッテワールドで「無料サービス」をやったら10万人が押し寄せて大混乱、というニュースをやっていて、すごくこわかった。定員オーバーで入場制限がかかっているのにもかかわらず、ゲートを突破する人々。警備員が何か叫んでるけど、まるで歯が立たない集団の勢い。映像で見る限り、そのゲートの前にいる人で帰ろうとしている人がほとんど見られないのがすごいなと思った。いや、まあ帰れる状況じゃないんだけど。映像に映っている人の中には、こどももたくさんいて、けがしたひともたくさんいるみたい。うーん。明日あたりにはもうちょっと詳しいニュースがあるのかな。

例えばディズニーランドの入園料っていくらか知らないけどまあだいたい五千円くらいとして、それがただになるからといって、もう身動きとれないくらい人がいるのに、中で乗り物とかのって楽しめるわけがないし、それでも入園したいか? と思ってしまうんだけど…。私は五千円もらってもあんな混雑したところに行きたくない。

ほかにもたくさんニュースを見たけど、何だか鬱々とするニュースばかりだった。なにか、世の中は世の中という生き物のようだとか思う。

[] くよくよがとまらない

頭の中で考え事をしているときにも、私はわりと文章とか会話とか映像とかで考えてるんだけど、ほかの人の場合どうなんだろうというのは、そういえばまだ訊いたことがない。考え事をしていないとき、というのもあまりないのだけど、考え事をしてないときには考えてないんだから気付いてないだけかもしれない。

ともかく、頭の中には常に5つくらいの懸案事項があって、それについてぐるぐる考えているとともに、現実でいろんなものに出くわすたんびに、それが入れ替わったりする。ちょうどはてなブックマークのトップページみたいな感じで「最近人気のエントリー」はわりと長い間そこにあって、「注目のエントリー」が入れ替わりつつ、上段に加わることもあるというような。

で、その注目のエントリというのに頻繁に顔を出す「考え事」は、わりとくよくよするものが多くて「あんなこと言わなきゃよかった…」とか「これ明日までに終わるのかな…」とかそんなんなんですけど、それはなるべく「人気」の方に入ってしまわないように、つまりあんまり深く考えないように心掛けていたりする。

でも、それを心掛けすぎると同時に執着も薄れて、衝動とか勢いを削ぐのかもなぁと最近感じたりして、くよくよするのは疲れるけど、くよくよ出来ることがあるってのも大事なのかもとか思ってくよくよから脱出しようとしているけど、やっぱり脱出できんと思ってくよくよしている。

[] 松本被告側の控訴棄却、裁判打ち切り

この裁判については、精神鑑定の結果が出た段階で少し触れたけど(id:ichinics:20060221:p2)結局「控訴趣意書を期限内に提出しなかった」ということが棄却の理由になるみたいです。弁護団は3日以内に異議申し立てをすることができるけれど

異議が認められれば公判が始まったり、被告の精神状態の治療のために公判停止となったりする可能性がある。退けられた場合、弁護側は最高裁に特別抗告できるが、これが退けられれば、死刑が確定する。一般的には、こうした異議や特別抗告が認められる例は少ない。

http://www.asahi.com/national/update/0327/TKY200603270335.html

と、ここにあるように「意義が認められる可能性は低いでしょう」とテレビのニュースでも言ってた。

いいのかそれで、という気持ちが拭えない。オウム関連のニュースでは、河野義行さんの意見が自らも被害者であるにもかかわらず、常に冷静だなと思う。msn毎日にもインタビューがのってたので引用すると

何が不服で控訴したかについて、分からないままそれを知る道が閉ざされてしまい、残念に思う。松本被告の訴訟能力について、裁判所と弁護団の鑑定結果が相反していたが、鑑定人の選定には両者の意識が作用しないような方法を保つことが必要だったのではないか。人の命が関わる鑑定に、公正さが保たれていないことに恐さを感じる。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060328k0000m040124000c.html

と、至極まっとうなことをいっているなぁと思う。

遺族や被害者の方からは、この決定を支持する声とともに、「きちんと審理してほしかった」という声もある(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060328k0000m040108000c.html)のだけど、このままいくと事件の真相は「首謀者」とされている人の口から語られることはないんだろうか。

真相っていうのは、決して起こった「事実」だけのことでなく、今回のように、「宗教」や「思想」がその根底にある事件の場合、被告の口から語られることがとても重要なんじゃないかと思うのだけど。

2006-03-27

[] 『森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」』

テレビ東京で3/26の10:30〜放送されたもの。

いやー、面白かったです。見終わったとき思わず「うわ!」と言ってしまいました。まともに画面みてなかった家族も興奮してた。これは本のほう読んでないのですけど、読んでなくてよかったのかも。再放送あるかもしれないので、ネタばれになるようなことは書かないよう注意しつつ、うっすらと感想を。(詳細はこちら→http://www.tv-tokyo.co.jp/literacy/060326.html

メディア・リテラシー特別番組、という企画の中の一本として制作されたものらしく、メディアの中の、ドキュメンタリーというもの、についてを描いた番組だったと思います。

つまり、テレビに映る「ドキュメント」の映像も、撮影者や監督やレポーターの主観が入り、編集という演出を経たものである、ということを、ちょっと面白い(そしてショッキングな)手法で描いている。中には何人かの監督(原一男監督や佐藤真監督など)へのインタビューもあって、ドキュメンタリーの監督はそれぞれに、自分の言葉でドキュメンタリーがいかにフィクションであるかを語っていた。

それでも鵜呑みにする人がいるのは疑うのが面倒だからなのかもしれないし、「真実でない」ということが「事実でない」とイコールではないなんてことは、当然のように感じるけど、常に意識していられるわけでもなくって、そのせいなのかもって思った。頭の中には無意識の前提がたくさんある。でもそれに気付く瞬間て、面白い。

[][] アトモスフィア 1巻/西島大介

ichinics2006-03-27

ISBN:4152087110

西島大介さんの漫画を読むのは『凹村戦争』以来だったりして、それは凹村がいまひとつしっくりこなかったからなんですがこれはわりと面白かった。

ある日、わたしの分身が現われた。

わたしに何の断りもなく、

世界はわたしの居場所を奪った。

それでもわたしが「ふざけんな」って言わないのは、

あらかじめ、みんなを赦してるから――

(カバーそであらすじより)

4月21日に出る2巻で完結らしいので、感想はそれから書こうかなと思うのですが、とりあえず今は、このお話の中での「赦し」は無関心なのかしら、と理解して読んでいるのだけど(冒頭にそういう一文もあるし、あの「赦されないひと」の扱いにしても)、帯に小さく入ってたイラストが「ゆるされたいなぁ」とつぶやいているということはそれはわりとポジティブなあれなのかそれとも1回転してな感じなのか混乱するなあと思った。でもでも、物語の先を予測して読むのはやめとこう。

追記

2巻の感想 → id:ichinics:20060507:p1

[] 断片いろいろ

朝起きて、テレビを見て、ファミレスに居座って仕事をして、場所かえてまた続きをやって、そんでつい先ほどかえってきたのだけど、時々ちょっと手を休めて朝見た番組のことを考えてた。

あの「真実」と「事実」は違うっていう話だ。

言葉の使い方はそれぞれあるので、ここで「真実」という言葉を当てはめると誤解もあるかもしれないけど「事実」はひとつでも、それを見る人の数だけ捉え方があるという意味で異なっているということと言って差し支えないと思う。

ただ、その捉え方の方は、それをあらわすために「それではないもの」との共鳴が必要になるみたいで、つまり輪郭は内側からしか描けないということがドキュメンタリーなのかとかぼんやり考えたりした。うーん?

何で仕事しながらそんな方向に考えが進むのかというと、仕事をしてる時には「理解させるための言葉」を使っていて、つまり誤解を避けるための言葉選びが必要になる。それにはまず、その理解させるべき何か(例えば別の人の言葉)、を私がきちんと理解しなければならない。そこにはちょっと不安もある。

でも、考え事をするときや、いまここで書いている言葉は、自分の文法でOKなので楽しいんだと思う。フリーダム。でも自由というのも規則があるとこにしかないのですよとか誰かが言ってたような言ってなかったような、つまり世の物事にはすべて対象となるもの(反対というわけではなくて)があって、つまりそれは生と死とかで、死がなければ生は影をなくしてしまうのになんで「不死」はいろんな物語の中で求められたんだろとかそんなことまで考えはじめるくらい疲れた。でも「そして王様は不死になりました。めでたしめでたし」っていうお話ってあるっけ? ない? 私の知る限りではないような。

ああ話がずれた。でももちろん「理解させるための言葉」ではないということがイコール「理解されないための言葉」ではなくて、言葉にならない部分をふくめられるというような感じ。

そうだな、例えば感謝をあらわす時に、「私はあなたに感謝している」と書くか「このご恩は一生忘れません」と書くかみたいな。それでも「あなたのしたことを忘れることができないだろう」とは書かない。それじゃあまるで恨み言だ。

2006-03-26

[] 東京国際アニメフェア 3/25

妹と行ってきました。楽しかった。あんまり時間なかったので好きなとこしか見てないけど、満足。

STUDIO4℃

4℃ファンなので入場して即4℃のブースへ。期待通り、「鉄コン筋クリート」の予告ムービーが流れていました。これがもう、素晴らしかった! やばいです。映像もストーリーの導入も風景もちょっと鳥肌ものだった。ちょっと興奮し過ぎてたから、傍目にはやばい姉妹だったろうと思う。ああーもう、早くみたい。2007年お正月公開予定らしいです。公式サイト(http://www.tekkon.net/)も出来てた。いつのまに!

それから、かなりまえから新作として話があがっていた『GENIUS PARTY』(公式は今見れないみたい → http://www.genius-party.com/)のチラシももらいました。これは短編オムニバス作品のようなのですが、公開日などの詳細は不明…。チラシを見る限りでは1「青春の彷徨」2「魂の咆哮」に別れてるみたいなので「10ミニッツ・オールダー」のような公開方式になるのかな、という感じ。ラインナップは超豪華。

『時限爆弾』森本晃司、『夢みるキカイ』湯浅政明、『リミットサイクル』二村秀樹、『MOONRIVE』中沢一登、『GENIUS PARTY』福島敦子、『わんわ』原田慎之助、『陶人キット』田中達之、and more

となっています。福山庸治さんの参加が噂されてましたけど、画像にどう見ても福山さんの絵があるのでこれもほんとっぽい。早く公式サイトできないかなぁ。

しかし、なんといってもうれしいのは田中達之さんの『陶人キット』の製作が中断したままではなかったってことですね。これ予告みてからずっと楽しみにしてたんだ。

これだけで今日はもうかなり満足。

f:id:ichinics:20060326003648j:image

GONZO

ここはもう『ブレイブ・ストーリー』めじろ押しでした。声優陣が芸能人ばかりでびっくりしたけど、予告見る限りでは松たか子さんとウエンツさんは良い感じでした。新作では『ガラスの艦隊』がちょっと気になった。

あ、あと「サムライセブン」が4月7日金曜の24時半からNHK総合でいよいよ地上波全国放送とのこと。この時間なら見れそう。

マッドハウス

こっちは『時をかける少女』。ああそうか、もうすぐ夏休みだもんねとか思う。楽しみです。

Production I.G

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXの続編、Solid State Societyの予告編ムービーも無事見れました。詳細はこちら(http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060323/taf1.htm)。私は早く2ndを見なくちゃと思いました。まだ見てないんですじつは。

それから、「立喰師列伝」の公開を踏まえた押井守監督と神山健治さん(SAC監督で列伝にも登場)のインタビューも見た。「立喰師列伝」はほんと、本編を見てみないとどんなことになってるのか想像できないのですが、このインタビューで初めてあのミニパトのペープサートの進化形なのだと知った。なるほど。とにかく、押井監督がとても楽しんで作ったのだなというのが感じられるお話でした。それから、神山さんは信頼されてるのだなぁということを思った。前売券も買ったよ。

スタジオジブリ

ゲド戦記はなんだかいつものジブリからすると考えられないスピードで制作されてるような気がしないでもない。予告見て、もうあそこまで出来てるってことに驚く。それから、ジブリ美術館で放送予定の短編アニメーション3本もちらっと見れたんだけど、これがまたかなり素敵。放映開始したらまた美術館行こうと思います。

CREATOR'S WORLD

半崎信朗
代表作「Birds」は、どこかでみた覚えがあるのだけど(メディア芸術祭かな)、今回はイラストも展示されてた。好きだなー。Birdsに出てくるマンションの絵が特にすき。
POEYAMA
ゴノレゴシリーズが有名なポエ山さん。サイト(http://www.poeyama.com/)もいつも拝見しています。画面でかかってた「quino」はサイトで見たことがあったんだけど、あらためて音楽がすごく良いなと思って思わずCD買ってしまった。もちろんquino本編も収録されててお買得。そういえばポエ山さんのご結婚記念の曲(ブログの方で公開されてた)も愛聴してます。アニメも作れて音楽も作れるんだから、ほんとすごいなぁー。でも今日は「Lido」のプロモを見るつもりで行ったのに、CD買って満足して忘れてた。残念。CDの感想は後日改めてかくかも。
神風動画
楽しみにしてたんだけど、展示があまりなくて残念でした。
吉浦康裕
STUDIO六花(http://www.studio-rikka.com/)として個人でアニメーション制作されている、すごいひと。ペイル・コクーンのDVD、アマゾンのカートに入れたままだったんだけど(そればっかり…)そろそろ買いたいな。

[] きょう1日と買い物記

朝起きて出かける準備して、さて出るかって段になってTAFがメッセじゃないってことを思い出した。あぶない。ビックサイトに行くのはいつぶりか思いだせない。

ともかく妹とは見たいものが共通してるので、さくさくと見て回って、「鉄コン」の予告数回見たりとかして満足して、会場を出たのは3時頃。そこから妹はバイトで私はお買い物。とりあえず本屋で漫画とか本とか買って、無印で布団カバーとか買って、お茶しながら本読んで、ちょっと洋服とか見て、ツモリで春物を買って、化粧品コーナーぶらぶらして、マニキュアとか買って、地元戻ってまた喫茶店行って買った漫画とか読んで帰宅しました。なんて楽しい休日だ。……明日は仕事する。

[][] さよなら絶望先生 1〜3巻/久米田康治

さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)

さよなら絶望先生(1) (講談社コミックス)

最近やっと1巻を読んで、そしたらすごく面白かったので続きも購入。やっとできた。少年マガジンのコミックスで、お金を出して買ったのはヴィンランドとこれだけかもしれない…。

さよなら絶望先生(2) (講談社コミックス)さよなら絶望先生(3) (講談社コミックス)

基本的には「物事を何でもネガティブにしか考えられない」先生を中心とした学園漫画(といっていいのか)で、とにかく先生のネガディブさが事細かなところと、ポジテイブ(というかエキセントリック)少女、風浦可符香(PN)をはじめとした生徒たちとのやりとりが楽しいです。毎回、お決まりのように先生のネガティブトークがあって、そのネタが微妙に共感できたりするからまた面白いんだけど(財布をかざして改札通過はわたしもかなり不安に思ったことがある…)、でも、そういう小ネタがなかったとしても、お話として十分楽しめそうだ。でもこれでもかというほどにこってりした作りになっていて、巻末についてる作者のネガティブあとがきとかあらすじとか絶望文学集とかいろいろ面白い。

かってに改蔵」は読んだことないので(でももう読むよ)これが初めて読む久米田康治さんの漫画なのだけど、女の子がみんなかわいいというのが気になって仕方ない。特に足がいいです。それから毎回いくつか入るコマぶちぬきの全身絵がみんないい。特に十五話の藤吉さんの座ってる絵の足がいい(こまかい)。キャラクターは小森霧木津千里が好きです。あ、でも太朗もエド(ビバップの)みたいですき。

一巻は基本的に登場人物紹介のような導入部で、二話、七話などはちょっとないくらい笑った。2巻あたりからちょっと落ち着いてきて(まだちらほらと増えてるけど)今後はこのペースなのかなぁという感じ。いやでも面白いなぁ。

2006-03-25

[] 文芸春秋の記事を読んだ

先日、中途半端に触れてしまって*1気になっていたので、文芸春秋4月号に掲載された、村上春樹さんの記事「ある編集者の生と死−−安原顕氏のこと」を読みました。

村上さんの、小説ではない文章を読むのが久しぶりだったのだけど、やはりこの人の文章は、小説的だなというのが第一印象。それから、私が安原氏についてほとんど何も知らないからか、この文章を読んでもやはり、安原さんがどういう人だったのか、わからなかった。ニュアンスは伝わってくるけど、ぼんやりしてる。

それは、ここに書かれているのが「村上春樹の見た安原氏について」だからなんだろうけど、ここには同時に「僕」についても書かれている。そりゃそうだよね、と思うけど、警鐘としての役割を果たすための文章ならば、必要ない部分もたくさんある、のでまあそれだけの役割ではないのだろうけど、要するに「安原氏への手紙」と「世間への警鐘」が一緒にあるとこが、危うい。

安原氏のやった行為云々については、やはり「犯罪」だろうと思うけれど、作家の直筆原稿の流出がある意味プライバシーの侵害である、と書くならば(そしてそれは至極もっともなことなのだけど)、「世間の小説家をめった切りにしていたのは、自分が小説家になれなかったフラストレーションが大きかったからかもしれない」などという推測を書くことにためらいはなかったのだろうか。その関係が一時期だとしてもお互いに友人と認めあったものであったなら。

というか、私自身もこれを読む前から、なんとなく、そういう理由だったら嫌だなとか思い描いていたんだけど、それを匂わせる文章を村上さんが書く、というのが少しひっかかる。

なんというか「知っている」人について書くのって、難しいのかもしれないなと、そんなことを思った。

* * *

私は村上春樹さんの小説はどれも複数回読み返しているほど大好きなんだけど、エッセイは読み返したものがないし、インタビューなどは見た記憶もないってのは、その作品があんまりにも好きなので作者自身についてあんまり知りたくない、という気持ちがあるのかもしれない。

もちろん、インタビューとか読みたいタイプの作家さんもいるんだけど、その基準は自分でもよくわからない。そのへんは、これ(id:ichinics:20060207:p3)の続きとして気が向いたらまた考える。

[] 「明日があるなんてオラもう関係なし」

頭の上に水の入った盥を乗っけてゴールを目指してたら、ゴール寸前でリセットされたような気分。うーん、最良の形(それは最良の結果を導くための、だけど)が定義できない仕事って難しい。私の意見が必ずしも正しいわけではないけど、それ以前に見据えてるゴールが違うような。

ジムに通うのが今年の目標だったはずなのに、そもそも、そんな体力がない。

んで、疲れたときは「赤羽39」です。特に「サマー記念日」がくるとほっとする。5月の野音のチケットもとれました。ちょう良い席。楽しみ。

とりあえずあしたはTAF行くつもりだけど、起きれるかなぁ。

 * *

そういえば今日も本屋さん行ったのに先生置いてなかった。むー。遅いってことか。むかついたので他の欲しい本も後回しに。つか積んである本読んだ方が良いって、というのはわかってるんだけど…。だいたいからして、この日記に「今読んでる」と書いといてまだ読了してないのが私の覚えている限りで4册あるのですが、実際は6冊くらいってのもどうかと思う。

 * *

あーさらにそういえば、今日打ち合わせに出かける直前に猛烈に凹むメールがきて、でも急がなきゃって状況で電車乗って打ち合わせして、その後一人でしんみり昼ご飯食べてたんだけど、そういうときって何か本読む気になんなくて携帯でアンテナとか見てまして、なんというか、アンテナっていいなぁとしみじみ思いました。思ったので私もたまにはアンテナで見れる文字範囲の日記とか書こう、と思ったのは忘れてた。今の携帯だと見にくいので新しいの欲しい。

2006-03-24

[][] 「二〇〇二年のスロウ・ボート」/古川日出男

ichinics2006-03-24

ISBN:4167679744

買った時に「トリビュート村上春樹」シリーズの中の一作だ、と気付いて、その発案者が古川さんだった、ということがちょっと意外だったのですけど*1、とりあえず「中国行きのスロウ・ボートRMX」であるところのこの作品は、とても面白かった。あとがきを読むとRMXってそういうことか、と腑に落ちます。が、読んでいる間はトリビュートであることを忘れていた。でもまあ、強いて言えば「国境の南、太陽の西」の匂いがしないでもない。

* * *

さて、これは主人公(名前はまだない/たぶん/でもあえてつけるなら「僕」だ/だってこれはトリビュート村上春樹なのだから)が、「東京」から脱出を試み、失敗し、その負け続けた「歴史」を越境するまでの物語だ。

正直、第一艘(スロウ・ボートだけに)を読みはじめた段階では、この本にはのれそうにないなという気がしていた。文章のリズムが捉えられない。でも徐々に、しかし確実にアップビートになるそのリズムに、中盤ではもうすっかり踊らされていた。このリズムを、もしかして意図的に作り出してるならすごい、と思うけど、この本に関してはそれは違うかなという気もしている。私が、本を読む際にリズムを気にし過ぎるたちだというだけかも。

ともかく、この物語は、その内部を精密に描くことで、その外へと至る道を開拓する物語だ、と私には読めた。そして、そのディテールがとても面白い、エンタテインメントになっているところが素晴らしい。その「ディテール」の中に一つ、とても興味深いものがあったのでそれは以下に。

そして断片は集められ、ラスト・シーンはいかようにも読むことのできる(と私は思う)味わい深いものになっているのだけど、ふと、ノーテボーム「これから話す物語」を思い出した。

[][] 夢を見る夢を見る

「二〇〇二年のスロウ・ボート」の「僕」は小学生時代に「眠り続ける」という経験をしていて、夢日記をつけ、夢を分析している。

完璧な解釈がしたいと僕は思った。夢の。それは無意識世界へのアクセスであって、〈死〉を知ろうとする挑戦だった。p18

で、ここからは私の話なのだけど、私もけっこう長い間、夢日記をつけていた。枕元にノートを置いておいて、目覚めるなり「それ」を書き付けた。ただ、その目的は彼とは違っていて(実際、この彼の「動機」は私にはあまり理解できなかった。)「最初の夢」があったから、夢日記はあったのだった。

なんて風に書くと、あたまおかしい、とか思われるかもしれませんが、それはまあいいとして、結論から言うと、夢日記をつけるってのは、ちょっと精神衛生上よろしくないかもしれないと実感するに至ったんでした。

私はもともと、眠りが浅い。小さい頃から立ったまま突然寝たりしてたらしい。今でもたまにあるけど、もちろんそれは単に眠いからであってちょうど良い睡眠をとった日にはそんなことない。でも、ともかく、眠りが浅いということは、よく夢を見るってことでもあるみたいで(まあ「よく」とは言っても、統計とかないからわからないけど、周囲の人よりはよく見ているみたいだった)、夢の続きを見る、ということに成功したと思えることも、それが錯覚にせよ、わりと頻繁にあった。

そして、私の夢日記は、だいたい1年半くらいは続いたのだけど、そのうち夢を見ない日はないようになって、半年経ったくらいから、だんだんと夢の中でも夢を記憶しようとするようになってしまった。これはとても疲れる。

つまり夢の中に、視点が二つある/もしくは視点が二つあるように感じられる夢ばかり見る。それでも私はそれを続けていて、次第に夢の中でも夢を見ている夢をみることが増えた。ちょっと前に目が覚める夢を見たけど(id:ichinics:20051127:p2)これとはちょっと違ってて「それが夢であることを認識していながら、そこから出られない夢」をちょくちょく見るようになったのだ。これもすごく疲れる。

そんな訳で、私は夢日記をやめた。とにかく疲れるし、そもそも私がそれをつけはじめたのは、おおまかに言えば夢を楽しむためだったからだ、今でもここにたまに見た夢のはなしを書いたりしてるけど、それはやっぱり夢を見るのが面白いからで、でもなるべく起きてすぐにはメモしたりしないようにしてる。

前置きが長くなったけど、もう一度「二〇〇二年のスロウ・ボート」に戻る。

「僕」が出会う女の子の一人に、針が飛びまくるレコードのような話し方をする子がいる。この子のしゃべり方の感じが、夢から出られない夢にすごく似ていたんだった。なんというかね、視界が定められない感じ。すごい超特急の電車の窓から、過ぎ去ってく看板の文字を読むような、そんな感覚だった。

で、結局は、そんな夢の中でこの小説のような邂逅があったなら、どんなにかすてきだっただろうなぁという話ででした。言葉が通じるって大事だ。まあ、夢の中での話だけど。

[] FACTORY見た

昨夜、この前収録を見にいったFACTORYの放送があったので見たのですが、これちょうダイジェストなんだな。3割くらいしかやらないし、曲の最後フェイドアウトだし。がっくし。スカパーではまるまるやるらしいので、スカパー入れということか。ううーん。

で、ちょっと気になったのが、収録のとき見れなかったインタビューシーンで、イースタンの人が「ザゼンの音楽が、ポップな受け取られ方(きゃーという声があがるなど)をしていることが興味深い」というようなことをおっしゃっていましたが、例えば「きゃー」という声があがることが、イコールポップではない、と思いました。私はザゼンが好きなので何を言ってもひいき目になるなとは思うのですが、なんというか、声をださせるようなフックを作るのがうまいですザゼンは。むしろ、カタルシスに至らせるまでの緊張感を作り出すのがうまい、と言った方がしっくりくるかな。

まあ、あれはたぶん、あのときの空気について言ったのかなとは思うけど、ちょっと面白いのが「ばかものの音楽なのに/ポップな受け取られ方をしている」という文脈で、「ばかものの音楽」の中に自分達をカテゴライズしてる彼等にとって、「ポップな受け取られ方」は批判ではないにしろ、自分達の側にはないもの、ととらえてるってことだろう。

それで、そもそもポップな受け取られ方って何かってことをちょっと考えたいなと思ったけど……なんかその結論と、彼の言葉が噛み合なそうな気が既にしている。あの言葉を拾った司会者はちょっといじわるかもしれないと思ったりした。(そしてこれを書いてる私も、だ)

見にいったときの感想→ id:ichinics:20060312:p2

[] 中古ビデオ宝の山

絶望先生」の一巻があまりにも面白かったので続き買いたいのに近所の本屋に売ってない。新刊はあるけど間のがないんだよ! 追い付きたいのに! という訳で明日は給料日だしブックファーストにでも行って散財する。

そんな中、帰りに往生際悪くブックオフ行って糸色望先生探してたら、ついでに見た中古ビデオの棚に素敵ビデオが満載だった。いや、もうレンタル落ちビデオとか買い過ぎだと思うんだけど、だって安いんだもんということで、「ゴーストスープ」(岩井俊二)と「機動警察パトレイバー劇場版」を購入。うわーい!

パトレイバー劇場版は、相当好きです。もう5回くらい見てるけど、欲しかったんだー。いろんな意味で私の原点です。初めて見た押井守監督映画でもある。見たらたぶん暑苦しい感想書く。

*1:それ気付いたの時の日記 → http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060203/p1

2006-03-23

[][] Touch the sound

ichinics2006-03-23

「音」に触れるとはどういうことだろう?

パーカッショニストのエヴリン・グレニーを主人公としたドキュメンタリー作品であるこの映画は、そのことを表現するものだったと思う。エヴリンのことは、映画の公式サイトでこう紹介されています。

10代で(私たちが言うところの)聴覚を失い、プロフェッショナルなミュージシャンとしての活動を通じて「音」にこだわり続けてきた

エヴリンが失ったのは、あくまでも私たちが言うところの「聴覚」のことであり、映画で彼女を見ていると、彼女は誰よりも聴こえている、と思える。ただ、その聴覚を失うという体験は彼女の「音」に対する感受性を人一倍「敏感」にすることの一因であったにせよ、それが全てではない。彼女が聴いている音は、私たちの中にも響いているのだ。ちゃんと。そして、人は一人一人違う体を持っているのだから、当然聴こえ方も感じ方も異なる。自分だけの音があるのだと発見させられる。

そして「音」に触れるとはどういうことなのか?

それは物理的な「振動」のことでもあるけれど、彼女が伝えようとしているのはそれではないみたい。それが響くときに、触れる何か。

私が思ったのは、例えば拍手をするときの、手と手が触れあう前の、あの感じ。音の輪郭に触れるような、あの空気の形と、そこから自分の中に思い描かれる風景のようなものが、触れる、ということに近いかなと思いました。うまく言えないけど。

そして、聴くことと音を発することは裏表で、どちら側にも同時に存在できるような気がした。

とにかく、映画の全編を通して、エヴリンの楽しそうな様子が印象に残りました。それから、フレッド・フリスさんとともにCDの録音をしている場である工場跡での演奏が、気持ち良かったです。

映画館を出てしばらくは、イヤホンを耳に入れるより、町の音を聞きたいと思ってしまう映画でした。(でも駅前まで出るとうるさくて駄目だった)

* * *

ちなみにこの映画のことは全く知らなかったのですが、makisukeさんの感想(http://d.hatena.ne.jp/./makisuke/20060312#p1)を読んで興味を持ったので見にいってきました。行って良かったです。感謝。

公式サイト → http://www.touchthesound.jp/

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/16号

グラビア(と思い出)
紺野さんピンです。あああー私がかつて娘。ファンだった頃(そういうこともある)、回りに誰もいないので妹に私は新メンバー(当時はそうだった)のイチオシは紺野だ!と言いまくっていたことだなぁ、と思い出しました。相変わらずかわいいです。ちなみに私が娘。ファンになったのは「ミスタームーンライト」が切欠なのですが(つうかその後にあれを越える衝撃が得られなかったため、ファンだった期間もあっという間だったんですが、勢いでコンサートにも参りました。女が女アイドルの真剣なファンになるのは結構難しいです☆)、それは西村知美さんもツボだったらしく、あるテレビ番組で「いえい、って言うところをエンドレスリピートで聞いている」と発言していたのを聞いてえらく共感いたしました。あれは宝塚のようなものだったのだと思いますが、私は宝塚は通っておりません(いっぱいいっぱいなので)
闇金ウシジマくん
「フーゾクくん」編その1。話の流れから社長が目をつけてるのは杏奈なのかと思ってたら柱の文句に「瑞樹に、丑島は獲物のニオイを」って書いてある。ひっかけ?
中退アフロ田中
引き続き井上のお話。しゃちょうー!
fine
引っ越しやのおじさんと出会うお話。元彼女がこわい……。あおり絵ってこわいな。
バンビ〜ノ!
自らの失敗に凹む伴の巻。意地はる場所を間違えてしまった感。
ハクバノ王子サマ
眼鏡君は気が利くのか利かないのかどっちなのか気になる!
ボーイズ・オン・ザ・ラン
えええええー? いやいやいやいや。まじで? いけるの? 信じていいの? という葛藤はないのでしょうか。

[] 私信

それを思った時期は、私にもあった、と思います。

完璧な共感などありえない、とはいうけれど、言葉であらわすなら、全く同じ言葉を使っても、私のそれと相違ないという意味で、私にもそう思った時期があった、と感じています。

そもそも言葉というラベルを通して描かれた言葉に、似た感情を抱く、というのは、その感情に至るスイッチがオンになって、回路が開いているかどうか、ということなんじゃないでしょうか。だからやはり、完璧な共感などありえない、と言うより「完璧な共感を確認するすべはない」という方が、私にはしっくりくる。

ともかく。

そのスイッチをオンにする出来事は、起きました。起きた、と過去形で書くけれど、それは今の私の中にも混じりあっているので、時折、戻ってくることもある。私は常に、今の私と混じりあい、そのように変わり続けているけど、それが混じっているということは、きっとずっと変わらないのだと思う。

ただ、日によって光によって角度によって場所によって、そういった様々な要素によって、目に映る景色が(たとえ全く同じフレームからのものでも)変わって見えるように、「それ」をどう感じるかということは、否応なく変化していくのではないかと、今は、そう思う。

だから何だ、と思うかもしれないけど、私にとっても、この「いつか」にいるのは予想外のことでした。でもその予想外が、違って見える瞬間も、確実にある。ずいぶんとのんきな話に思えるかもしれないけど、別に急ぐような理由もないし(どうかな?)やりすごしていくのも、悪くないと思います。そして、いつか、まできたら、またそれが戻ってきても、違って感じるかもしれないんだ。

もしかしたら、違ってしまうことは悲しいことかもしれない。でも、その悲しいも、たぶん少しずつ変わる。

何よりも、あなたは(そして私は)、誰よりも自分のためにいる。そして、そのことは、誰かに(例えば私に)とって特別な要素になるかもしれない。もしかしたら、そのことを責任に感じているのかもしれないけど、でもそんなことは次の話で、今は、目の前にある小さなものを、心地良いと思えるものを、遠慮なく手にとって、それが少しでも力になればいいと思う。

うまく言えないので、昨日読み終えた本から引用も。

不変の未来がどんな姿をしていようとも、ぼくは確信していることがひとつあるーーいまなおぼくという存在が、未来をつねに決定してきて、そしてこれからもつねに決定していく要素の一部分であることだ。

『百光年ダイアリー』

これはあくまでも私信だけど、その相手は過去やこの先の自分にもなるかもしれない。

その時は、また違うこと思うかもしれないけど。それもまたよし、と今は思う。

makisukemakisuke 2006/03/23 23:21 ああ、なんだか、ステキな感想です。たくさんうなづかせてもらいました。

michiakimichiaki 2006/03/24 00:10 http://www.eel.co.jp/03_near/01_seigowchannel/now_events/020427diva.html
こんなお話はどうでしょう。

ichinicsichinics 2006/03/24 01:03 makisukeさん、こんばんは。少し前にmakisukeさんの日記を発見してから(ピーズの記事でした)、楽しみに拝見しております。makisukeさんの感想もとても素敵でした。ほんと、見にいくきっかけを下さって感謝しています。

ichinicsichinics 2006/03/24 01:07 >michiakiさん
面白そうな記事ですねー(というかこれを見つけてこれるのがすごいです)。contentsの方も興味あるので国会図書館にでも行ったとき見てみようと思います。ありがとうございます。そういえば、スピーカーに手のひらは私も小さい頃よくやってました。

2006-03-22

[][] 「祈りの海」/グレッグ・イーガン

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

表題作を中心とした、日本オリジナルの短編集。はじめてイーガンという人の本を読みましたが、すごく面白かったです。この本におさめられている短編のアイディアは、そのアイディアの亜流だけでいくつもの映画や小説が生まれてしまいそうな、新鮮さと密度、そして目を見開いてしまうような瞬間に溢れている。しかし、私には想像もつかなかった状況がそこにあるのに、主題として扱われているのは、どこか覚えがある、「自分」についての話で、だからこそ、どんなに突飛な状況が、当たり前のようにそこに提示されていたとしても、物語の中に入っていくのは決して困難ではなかった。全ての人にとってそうである、とは言わないけど、この短編集に限って言えば、SFファンに限らず幅広い人に受け入れられそう(いや、すでに受け入れられてるのかもしれないけど)。例えば、保坂和志さんの小説のように、読みながら「考える」ことを楽しめるような作品が好きな人には、面白いんじゃないかなと思った。

とても濃密で、語るべきことに突き動かされているかのような文章が印象に残る。小説としては、まだプロットの段階のように思えるものもいくつかあったけれど、これはプロットというよりは、やはり「視点」の問題なんだろうな。

以下、長々と感想を書きますので畳みます

続きを読む

[][] のび太の恐竜2006

ichinics2006-03-22

公式サイト → http://dora2006.com/top/

のび太の恐竜」見てきた。すごい良かった。良すぎてびびりました。と言うわけで、べた褒めします。

まず、私はそういえば新声優陣で「ドラえもん」を見るのは初めてだったんですが(うっかり)これがいい。かつてのキャラクタを最も踏襲してるのはジャイアンで、あとはかなりイメージがかわっているのだけど、いい。特にドラえもんが素晴らしい。新しいキャラクターになっていると思った(でもそれは映画だからかも)。そしてのび太はやはり、若くなった。

それから作画も良い。手書きっぽい荒い線で「漫画版」を彷佛とさせる目の演技なんかは素晴らしくて、それでも「動き」には滑らかさがある。特にドラえもんの動きが素晴らしい。ドラえもんて、柔らかいんだ!ということを改めて発見した。作画監督は『千年女優』『TOKYO GODFATHERS』の小西賢一さんだそうです*1。タッチとしては「クレヨンしんちゃん」や「マインドゲーム」のディフォルメ感に近いとこある気がした。センスが良い。CGがなじんでない気がするとこもあったけど、特に気にならない。

それから町。かつて幼い頃に見ていたあの「町」なのだけど(実際見覚えのあろ路地とかも出てくる)けれど、それが立体となって見える。町の広さが違う。そしてその描かれ方も昭和っぽくて良いんだよな。のび太の部屋はテレビで見てたときよりずっと狭いんだけど、だからこそ、平面ではなく、立体の表現が生きてると思った。

それから脚本は、私の見てきたドラえもんシリーズの流れをきちんと汲んでいて、のび太は相変わらず、見栄っ張りというかわがままなとこもあるのだけど、結構ちゃんと恐竜の本読んだり化石堀りに行ったり、飼い主としての自覚も芽生えていったりと作品のなかでどんどん成長していく感じが良かった。映画版だとジャイアンが突然いいやつにってのはお決まりだったけど、今回はそのいいやつっぷりにも説得力がある。そして会場内で笑ってたのは私たちだけだったのがしずかちゃんの入浴シーン(子供連ればっかだったからね)。しかし何よりも、随所にいれられたやりとりの面白さが際立っていた。ほんとにあちこちで笑えて、飽きるところがない。展開は濃密。こどもは「うんち」とか好きだなと思ったけど、私も子供と同じくらいいろんなとこで笑った。

まだいろいろ書き足りないけど、とにかく面白かった。たくさん笑ったけど三か所くらいで泣きました。「のび太の恐竜」を覚えてない気がするのでもう一回見たい。

ichinicsichinics 2006/03/23 00:14 ogawamaさん、はじめまして。読んだ方にそう言っていただけるなんて、とても嬉しいです。興奮が先走り気味で、なんだか覚え書きみたいな感想ですが(笑)
実は、あちこちで絶賛されてた「ディアスポラ」を買ったので、その予習にと思ってこれを読んだのですが、予想以上に面白くてびっくりしました。

ichinicsichinics 2006/03/23 03:16 michiakiさん、こんばんは。そう言っていただけるなんて、かなり嬉しいです(笑)
あの文章は、ほんとにお気に入りで、ブクマしたもののコメント書くのすらためらわれたほどでした(と書くとちょっと気持ち悪いかもしれませんが)。あと、ほかにもいつか言及したいと思ってるお気に入りエントリがあるのですが、それはまたチャンスが巡ってきたら。
最近、michiakiさんに本をお勧めするのが流行ってるみたいなので(失礼)『祈りの海』を読みながらこれは、と思ったのですが、もう購入されてたみたいで(というのは感想書いてから気付いたのですが)ちょっと残念でした(笑)

ichinicsichinics 2006/03/23 03:45 あ、もしかしてまだ読んでなくてネタばれになってしまってたらごめんなさい。そのために畳んだのに畳んである場所にリンクしてたら意味ないじゃんてことに今気付きました…。

2006-03-21

[][] ラストデイズ

ichinics2006-03-20

監督:ガス・ヴァン・サント

カート・コバーンをモデルとした、ブレイクというミュージシャンが自殺に至るまでの二日間を描いた作品。

彼が亡くなったというニュースを聞いたとき、私は高校生だったと思う。監督も触れていたけれど、リヴァー・フェニックスの死と重なったことをよく覚えている。

私は特に熱心なニルヴァーナファンではないけれど、ロックの歴史、というものが仮にあるならば、重要なポイントとしてエルヴィス、ビートルズに次いでニルヴァーナの名前を挙げるだろうなとは思う。それはいろんな情報の刷り込みかもしれないけれど、それほど圧倒的な存在だった、と記憶している。

* * *

この映画は、ブレイクがリハビリ施設を抜け出してくるところからはじまる。

家に辿り着いてからのブレイクは、なかなか一人にはなれない。家には住み着いている誰かがいて、電話が鳴り、人が訪ねてくる。彼は離れの温室に籠る。そこで行われる自問、それは例えば文章を書くことだったり、は、途切れがちだ。焦点があわない。

例えば、電話帳の広告セールスマンがやってくる場面。彼とブレイクの会話はまったく噛み合ないまま、セールスマンによる一方的な了解のポーズをもって断ち切られる。それと対比させるようにして描かれる、モルモン教徒の相手をする居候たちの場面。居候たちは「話をきいているふりをする」。その居候たちの行動は、ブレイクへの態度にも通じている。(それらの場面を、視点を移動しながら見せるやり方(編集方法)はとても興味深かった。)つまり、ひとりにはなれないブレイクは、でもやっぱり、だれともコミュニケートしていないという意味で、ひとりなのだ。

ブレイクにとって、何が必要だったのか、私にはよくわからない。ただ、この映画は、監督がカート・コバーンという人の最期の日々を、自らの中に映して、想像したものなのだろうと思う。

その想像が真摯なものだからこそ、そこに見える役者(マイケル・ピット)の自問とともに沈んでいく様子にはリアリティがあり、ああ、こんなふうにして沈んでいくことに抵抗しなく/できなくなってしまったら、そしてそんな状況で、自問に対する答えを見てしまったら、もうだめかも、と思った。

* * *

ただ、映画として、あそこに歌をもってこなきゃいけなかったのは理解できるのだけど、あの歌、マイケル・ピットの歌も、良いと思ったのだけど、あそこであの歌詞はあまりにも客観的ではないかと思った。ああいう瞬間を言葉にするのはむずかしいだろうってのはわかるけど、ちょっと違和感が残る。

なんだか凹む映画だったけど、エレファント以降の作品はみんな好きだな。

[] いつでもだいじょうぶ

無事今日までの仕事が終えられたので、会社で同僚に缶ビールおごってもらって、その後映画見に渋谷へ。

映画見にいく前に、ずーっと会いたかった人にばったり出くわして、でもそういう時に限ってまた、なんかちょっと噛み合えなかったような気がして、もやもやする。しかし、いつまでたっても気分の読めない人だ。けど、こんな機会ももうないだろうに、もったいないことをした。いろいろ話してみたいことあるんだけど、しなくてもいいことなのかもしれないな。

で、「ラストデイズ」を見て、いささかへこんだ気分で帰りながら、電車に乗っていたらいつのまにか浮かんでいた。コンビニのおじさんにもらったあんまん食べた。今日の晩ご飯はそれ。安上がり。わたしのわたしは頼りになる? たぶんね。

[][] FEEL YOUNG 4月号

うさぎドロップ/宇仁田ゆみ
いきなりミステリー。先の展開がまったくよめない。
パリパリ伝説/かわかみじゅんこ
インドのバッティーってうまそう。全粒粉みたいなののパンでギーというバター油に浸かってるのだそうです。食べてみたい。
ピース・オブ・ケイク/ジョージ朝倉
両思いとはいっても、このような不安はつきまとうことがやはり多いものなのだろうなぁというかそんなこともあったようななかったようなで、やっぱりこういう精神状態が一番疲れる、と思う。自分が自分でコントロール不能のような。かといってそうならないときは落ちてくばかりということもあったりして、むずかしいっすね(なげやり)。
RUSH/西村しのぶ
アキミツの気持ちだけは今だによくわからなない。
サプリ/おかざき真里
すごいなぁ。すごいなぁ。このコーエツさんの台詞。「白い子猫がいて」っていうの、それだよなぁ。
スクナヒコナ/南Q太
紫ー! こうして人はペットに走るの巻。こういう場合は猫より犬だよねえ。
ペネトレ/ねむようこ
読み切り。もうちょっといろいろ読んでみたい。

2006-03-20

[] ビシッと終わった

ここには私が考えたことを書いたりしているけど、これは「私」であって私じゃない、私の「私」つまり一部で更新されてく、というのは何もここのことだけではないけど、でも私がたくさんの言葉を繋げるたびに、どんどん部屋は広くなっていって「私」が遠くなってくような気もする、でもたまに焦点があう。

なんてことを繰り返し、書きながら考えたりしてるけど、それがどういうことなのか、私にはまだよくわからない。私にはたいていのことがわかっていない。

でもそうだ、それを言葉として思いついたきっかけは、たぶんこっちを読んだのが先だった、ということに今日になってから気付いた。例えばつい最近の、「世界についての新しい情報」という言葉だ。ああそうか、世界はきみですか。ということは私の世界は私なのか。と。

その読み方が正しいのかどうかはわからないけれど、そうやっていろんなものを吸収して変換して、私はいるし、そんなことより、私はあの文章が好きだったなぁ、というそのことを考えながら、今日は一人きりで会社のパソコンで、仕事しながら、ときどきだけど、言葉が消えていく様を見ていた。

そこにあるものを好きだということは、それが誰によるものかに拠らず、好きなものが好きだというのは、それを自分の世界に映してるときの見え方なのかもしれない。これもまだわからないけど、結論を出す必要はまだない。いつかあるのかもわからない。そんなことを考えることに意味があるのかもわからないけど「意味」なんてそもそもあるのか。なくてもいいと私は思う。

あー、違う、そんな話ではなかった。

なんだろう、ながーい物語を読み終えた感じだ。ということもあそこにはちゃんと書いてあった。自分自身がアテになるんだってことも。

読めて良かった。

ってことを、今日は、どうしても書きたかったんだ。

* * *

ぎりぎりまで残されてた「負け犬」の歌詞の、あの「ビシッと」というときのはるさんの声がわたしは好きだ。

それから今日は『放浪者の軌道』を読んだ。それはなんだか今日の気分にぴったりだった。グレッグ・イーガンてすごい。

[] 風の強い日でした

結局土日両方会社行った。昼間にひとりきりの会社は良かった。コーヒー飲みまくった。けどなんだかのんびりしすぎてしまって、パソコンなしで作業できる状況になってからはファミレスに移動した。移動したらおなかが空いてたことに気付いたので丼ものと豚汁を注文したのだけど、豚汁の中にかつお節が入っていてむせた。びっくりした。でもなんとか明日までに終わらせなきゃいけないのは終了したのでよかった。

けど、明日が月曜日だということが信じられない。火曜が休みで良かった。明日は映画見にいく。ってわたしはどんだけ映画が好きなんでしょうか。あ、ついでにビールも飲んじゃおう。

今、行くつもりでいたキセルのインストアに行き忘れたことに気が付いた。がっくし。

[] しゃんぷー

たぶんこの前の空耳のあれの影響だと思う(久々に見て久々に大笑いした)。

* * *

薬局で旅行用のミニボトルのシャンプーを買おうとしてるんだけど、目がよく見えなくて探せない。

結局その店にはなくて、向かいのマツキヨ行け、と言われる。

そんで、閉店準備をしてるマツキヨに入れてもらったはいいけど、たな卸し中で、シャンプーが全然ない。「海藻シャンプー」なんていう中途半端な大きさのシャンプーしかなくて(そしてそれはクリーム色に緑色のキャップで筆文字のシールが貼ってあるというデザインも中途半端なものだった)、結局わざわざ入れてもらったしなぁ、と思ってそれを買う。ものすごく安い。

でも店を出てからよく見たら、それはシャンプーではなくて、髪の毛の栄養剤だった。

* * *

そういえば夢の中に自分が出てくるときに、自分の性格が変わってることってあんまない気がする。自分が出ていない夢のときはわりと何でもありだけど。

2006-03-19

[][] ブロークバック・マウンテン

監督:アン・リー

ゴールデングローブ賞アカデミー賞などを筆頭に、数々の賞を獲得した作品。キーワードページを見るとそのすごさがわかる。

けれど、個人的には、それほどの威力を感じられませんでした。

同性愛を描いた映画、ということばかりが取りざたされているような気がするけど、去年みた「バッド・エデュケーション*1だって「キンセイ・レポート」*2だって「メゾン・ド・ヒミコ*3だって、同性愛を描いた作品であったわけだけども、そのどれにもあったのに、これにはないものがあったような気がする。それはたぶん、私にも共感できる切欠のようなものだと思う。映画はたしか1963年から20年間の物語だったと思うけども、その当時のアメリカにおける社会状況などはわからないものの、その3分の1くらいは私も体験した時代なはずなのに、全然ピンとこないのは日本人だからなのか、無知なのか、多分両方か。

(以下、内容に触れています)

まずこの映画の中でも何度も回想されるブロークバック・マウンテンでの日々の描き方が、あまりにもあらすじ的に感じられた。風景の美しさは印象に残るけども、正直、二人がどの瞬間を切欠に好意をもったのかすら、よくわからない。例えば、あのイニスが酔っぱらった日の夜は、大事なターニングポイントなはずなのに、彼が何故酔っぱらったのかってことが、よくわからない。

それでもまあ、別れが辛いものだったんだろうということはわかる。

その後、彼等はそれぞれ結婚して家庭を持つ。子供も産まれる。だが不満が募る。

そこでの女性の描かれ方は、非常に現実的で、男性を生活の為に「捕らえる」存在のように映った。ここで女性に感情移入してしまうのは私が女性だからなんだと思うけれど、それにしても、あの仕事場で子供を預ける場面とか、イニスの行動は、彼は主人公なのにもかかわらず、言い訳とか理由の部分があまり描かれていないので戸惑うとこが多かった。

それでも、メインの二人のうち、感情を素直に表すジャックには好感を持った。いかんせん性欲重視だなとは思ったけれど、その辺りは上に挙げた映画で感じた違和感と同じで、ラストでそれだけではないところが、きちんと補完される。

だけど、彼等がお互いに、何故お互いでなければならないのか、という根幹がわからない。一緒にいて、自然でいられるということなんだろうなとは思う。でもそれほどに必要な相手なのにも関わらず、彼等はお互いの妻には嫉妬しない。そのくせメキシコに行ったというジャックにキレるイニス…。この辺は、風俗は浮気か浮気じゃないかとかいう話と同じだと思った。でも奥さんは「無い」ことにしてるのが、何かなと思う。愛情がないなら別れればいいのになと思ってしまうのだけど、それは出来ない時代だったんだろうか?

私が悲しいなと思ったのは、結局最後まで、イニスは誰にも本音を明かさないというところだ。別れた妻に問いつめられる場面にしても、彼は最後まで取り繕うことを考えている。ジャックとの生活を選べなかった理由として子供を挙げたくせに、娘にすら本音をあかさない、自分の領域に立ち入らせない。そして、それらのものを捨ててまで、ジャックを選ぼうとしなかった、そのこともわからない。社会がそれを許さないから? それにしては、そのトラウマに当たる部分の描写が弱すぎる気がする。

そういった全てのわからなさは、やはりブロークバック・マウンテンでの日々の描き方が不足していたからなんじゃないかと思いました。でもなんか被害妄想的なことを言えば、それも全部、お前にはわからないよ、と言われているような気もちょっとして、もやもやする映画でした。

[] ブロークバック見終わって

仕事が終わらないので明日も行くことにして、とりあえず最終回の「ブロークバック」を滑り込みで見た。なんかカップルだらけだった。女一人は私だけだったんではないかというような、そんくらいの偏った入りがちょっと意外。

映画の中で最も感情移入できたのは、ミシェル・ウィリアムズが演じたイニスの妻だったんですが、彼女が被害者に感じられてしまうのは、私が女だからなのか、ということをすごく考えてしまって、なんというか、カテゴライズされることを苦手としているのは私の不自由なところなんですけど、お前は女だぞーと脳に言われてる気がしていやだった。

けど、それはきっと、AさんがBさんを好き、ということを想像するのと同じわけで、でもそれが想像できるからといって、自分がBさんを好きになれるわけではない。

異性愛者だからといって、異性なら誰でも良いわけでなく、それはきっと同性愛者でもどちらも好きになれるひとでも同じだろうと思うけど(それは理想論なのかな)、その、何故お互いか、というとこがやっぱ弱い気がする。うーん。

ちょうど「祈りの海」(毎日これのこと書いてるけど)で『繭』を読み終わったとこだったので、余計いろいろ考えてしまったのだけど、

「生まれつきのことを、なぜ誇ることがある? 誇りはしないが、恥じもしない。あまんじるだけのことだ。それを証明するために行進に参加する必要はない」(『祈りの海』p110)

という台詞にはすごくしっくりきたんだけど、これはまたちょっと未来の話だしな。

とりあえず、エンドロールでルーファス・ウェインライトがかかったのは嬉しかった。

[][] コーラス4月号

PONGPONG/小沢真理
男子高校チアリーダー部の第二回。シリーズ化になったみたいです。先輩の「了解(と書いてラジャーと読ませる)がいいね、と思った。そういう設定いいね。
ハチミツとクローバー羽海野チカ
竹本君の葛藤は、これはすごく、見てない部分を見せられてる気がして痛い。
星乃谷荘へようこそ/桜沢エリカ
新シリーズ、とあるけどコーラスのシリーズってもしかして「連載(ただし毎号載るかは保証はしません)」ってこと? ともかく、主人公がバックパック背負って取りあえず東京に出るという、なんだか角田さんの「東京ゲストハウス」みたいな話になるのかなという感じ。私はこの漫画家さんの描く登場人物を好きになれたことがない気がする。
みずいらず/渡辺ペコ
さてこの先どう展開するのか。楽しみ。
アイスエイジ/もんでんあきこ
この漫画家さんの漫画を読むのはヤングユーからコーラスに以降して買いはじめて初めてなので、この話もどういう話なのかさっぱりわからないのですけど、出てくる人たちがやたら美形な漫画、ということにして読んでます。正しい?
Happy tomorrow/宮川匡代
着ぐるみバイトはシリーズだったんですね。前の登場人物と同じなのかと思って最初「え?」とか思った。このお話は好きじゃないです。あの決め台詞が特に嫌。スカッとするとこだけメインにした方がずっといい。こういういじめられっこの逆襲もので好きなのあったんだけど思い出せないな…。

[][] デスノとかSACとか

00年デビューの17歳、戸田恵梨香が話題の映画「デスノート」(金子修介監督、10月公開)のヒロインを演じることが15日、分かった。

http://news.goo.ne.jp/news/nikkan/geino/20060316/p-et-tp1-060316-0006.html

この方ですね。いい感じだ。早くみたい(特にミサを)。

 *

それからIGのサイト(http://www.production-ig.co.jp/)で知ったのですが、「攻殻機動隊SATND ALONE COMPLEX」の新シリーズが制作されるらしいですね。「Solid state society」。とりあえず、TAFには行くつもりなので、プロモーション映像見てきたい(でもああいうとこ行ってちゃんと目的達成できたためしがない)。立喰いも来月には公開だなーどうかなー楽しみだなー。ミーハーです。

2006-03-18

[] CAKE@渋谷クアトロ

ichinics2006-03-18

カルフォルニアサクラメントからやってきたCAKEのライブを見てきました。昨年のフジに来てたらしいですが、単独での来日は実に8年ぶり(!)だそうです。

良かったー気付いて。チケットとれて。行って。

なんてにやにやしてしまうくらい、すばらしいライブでした。お客さんも最高。一曲目から、まるでアンコールのようなテンションで、お客さんとの掛け合いもばっちり。特に「一酸化炭素!」と叫んだ女性たちはすてきでした。ここまで会場全体で息のあっている感じは珍しいです。あの「○」の仕草とOで歌わせてた下りは、そのことをいいたかったのだろうと勝手に解釈しました。じつはまだ新譜聴いてなかったのですが(すみません…)ぜんぜん大丈夫。知ってる曲満載でした。いやーほんと、とにかく楽しいライブだった。

CAKEの音は、なんというかクリスピーというか歯ごたえのよい感じで、それはたぶん、あの安定した声と音のせいかもしれませんが、満ち足りた、昼間の空気がする。夜に飲む酒を楽しみにしつつ、わいわい働いてる冗談の通じる仲間みたいな感じ。

途中でやった、何か地元のカントリー歌手のカバー(「知ってる人? あーあんまいないね、まあいいけどさ」みたいなことを(超訳)言いつつやった)も楽しかったなぁ!!

Tシャツも買ってしまいました。かわいい。現在、セカンドを聴きながら、余韻に浸っております。

公式 → http://www.cakemusic.com/

[] だめだった

ライブ行くために早く仕事を終わらせるつもりが、急に打ち合わせが入ってしまい、できずじまい、おわらずじまい。そんな訳で明日は出勤になってしまった。がーん。でも転んでもただでは起きん、と思って明日は絶対映画を見る。そんなことをここに宣言してもあれですけど。

で、今日はライブ終わった後、一緒に行った友人とごはん。センター街にあるアジア料理屋に行ったのだけど、ここがかなり美味しかった。(でも店の名前忘れちゃった)CAKE見ながら、この歯ごたえはソムタム…とか思ってたので直後に食べれて嬉しかったけどなんか違った。むしろとんがりコーンかな。タコス?

ともかく、ソムタムやらココナツスープやらビールやらでお腹いっぱいになって幸せな気持ちで帰宅。

帰宅途中に「祈りの海」の続きを読んでたんだけど、すごいすごいと思うことがたくさんあった。目が見開きまくった。世の中には私のしらないすごいものがとてもたくさんあるんだなぁ。でもそんなすごいものの中に、何か見覚えのあるもの見つけたりすると、ぎゅーっという気分(うまくいえない)になる。嬉しい感じです。

ichinicsichinics 2006/03/19 01:49 morirukiさん、こんばんは。こちらでははじめましてですね(笑)
CAKEのライブは、とても良かったです。評判もとてもよかったみたいなので、また来てほしいですね。今度は8年後とかじゃなければいいんですが…。

2006-03-17

[] そして来月には桜

毎日日記はかいてるけど、何もできていない日々が続いていて、いつのまにか梅は満開。それも散らしてしまいそうな勢いの強風で、今日の帰り道、傘がおちょこになった。びしょぬれになりながら傘を直してたら、ふと沈丁花の匂いがして、昔うちの玄関の前にあった沈丁花の木のことを思い出した。

家に帰ってからは、いつもどおりネットとか見てて、いつもどおりの中にも、世の中はすごい勢いで動いてるのね、と思う日と、停止してるんじゃないかと思う日の両方があって、今日は前者の日だった。新しいことたくさん知った。ありがとうございます。たくさんのひと。

今週末はやっとゆっくり休めそうなので、見たい映画をはしごでもしてやろうかなと思ってわくわくしてる。でもそもまえに、部屋の掃除か。髪も切りたい。月末はとりたいチケットいろいろあるし、行きたいとこもあるし、天気はよさそうだし、楽しく過ごせるといいなぁ、と思う。

[] ポツネン「○-maru-」3月16日19時@グローブ座

小林賢太郎ソロコント第二弾「○」へ行ってまいりました。

新大久保駅から10分ほど歩いたとこにあるグローブ座につくと、当日券に並ぶ長蛇の列。雨なのでたいへんだなぁと思ってみていたら、途中で販売終了していた。あー、枚数数えて並ばせてるわけじゃないのか、と思って少し驚いた。そんなものなのかな。

* * *

「○」の全体的な印象としては、ポツネンが「黒」なら○は「白」だなあというのが第一印象。ポツネンは結局三回も見にいってしまったんだけど、あの時よりは、小林さん自身の印象が柔らかくなっていた気がする。慣れ、もあるのだろうか。

内容的にはポツネンの延長線上にあるのだけど、同じカテゴリの中で、正反対のものをやろうとしたのかなというイメージでした。

確かに面白い。とても面白いし、すごいなぁと心から感嘆してしまう場面も多々あった。それでも、どことなくバランスのとれていない印象も受ける。笑いなのか、美しいものを見せたいのか、そのどちらもなのだろうけど、舞台の上に表現できたはずの何かが残っていたような気もする。

改めて、ラーメンズというコンビのバランスの良さを感じた、なんて言ってしまうのはちょっとためらわれるけど、無性に本公演が見たいと思ってしまった。

(以下簡単な覚え書き/ネタばれ注意)

続きを読む

[] うまくいかない料理

何かが足りない。

とつぶやいてはみるけれど、でもその何かがわからない。

そもそもこの料理が、何なのかもわからないのだ。

鍋の中では煮くずれかけた材料たちが、

もうもうと湯気を巻き上げつつ、決断を迫っている。

こんなに混じりあっているんだもの。

私にできるのは、足すことしかない。

でも何を足せばいいのかはわからないので

それじゃあもう、何も足さずに、

足りないと思ったことを忘れる方が

早いじゃないかと思うのだけど、

実際口にしてみたそれはやはり「足りない」そのもので

仕方ないので「足りない」という名前をつけてごまかす。

でもこの「足りない」すら、きっともう二度と作れないので

せめてこの足りなさを噛み締めて

来るべき足りないの瞬間に、備えようと思う。

2006-03-16

[][] 毎日エス(×5)カップを飲んでいる

ichinics2006-03-16

けんしょうえんか、と思ってたやつは、どうやら筋を痛めてたらしく悪化してしまい、PCを打つのはまあ大丈夫なんだけど、手首を捻れなくなってしまった。どうしよ。とりあえずテーピングとかしてみた。

 *

今日は9時半くらいまで仕事して、「神はサイコロを振らない」の最終回を見るために急いで帰宅。

原作を読んでなかったので、どう終わるのかは知らなかったし、あえて想像もしていなかったんだけど、個人的には、とてもしっくりくる終わり方だった。

あるかもしれない、ないかもしれない。その世界のことを思うのは、ときには寂しさを伴うことかもしれないけれど、でもそれは、あり得なかったことを、あり得た可能性のように感じるということとは、違うだろうなと思う。

その他

  • 来月のキセルのチケットを買った。あやうく逃すとこだった。
  • なんか回収されてるらしいという噂のポーションのんだ。エスカップっぽい。
  • あややのスケバン刑事はとてもすてきな企画だと思います。

[] 香港映画、そしてあまりにも日常

なんか映画みたいな夢。

たぶん香港。ギャングに追われている女がいて、町工場に逃げ込む。 そこにいる白タンクトップに油染みのあるシャツを羽織った男は、寡黙で無愛想なんだけども、なんだかんだいって女を匿う。

バーナーで溶接とかしている。(←穏やかな日々の描写)

そこに黒塗りの車がやってきて、工場の裏に横付け。

すわ乱闘か、というとこなんだけども、男は超強い。

実はギャングのボスの、後を継がなかった息子がその男だということが明かされる。

ドッグヴィルジョニー・トー的アジア映画な夢ですが、その男はカシオメンでしたというとこがポイント。

<二度寝>

街頭でメモ帳を配っている。 一茂と広末の奴が大人気で、いらないなーと思ってたらディランのがあってもらう。雨が降っていてびしょびしょだけど、表紙に書いてある文章が面白い。

バスに乗って、途中で降りて、スーパーに寄る。

筒状の箱に入ったチョコと、ココナッツのエンゼルパイみたいなのを手にとったらドンけつしてしまって、「あ、すみません」と振り返ったら母親だった。おなじエンゼルパイを手にもっている。

<三度寝>

最初の香港映画的な夢をみたはなしを会社の同僚にしていた。

起きて、会社で、ほんとにした。そこまで夢だったらどうしようかと思ったけど、まだ目は覚めてない。(←ホラー)

[][] だいたい考え中、たまに鱗が落ちる

前にもこっそり書きましたが、今「ヴィトゲンシュタイン入門」を読んでいて、それがとても面白いんですけど、それは「論理哲学論考」に挫折した(というかよくわからなかった)から予習、というかちょっと梯子を探してみようという気持ちで読みはじめたんでした。

でもね、昨日書いた『世界って自分?』(要約)てのは、つまり

私の言語の限界は私の世界の限界を意味する。[五・六]

世界が私の世界であることは、この言語(それだけを私が理解する言語)の限界が私の世界の限界を意味することの内に示されている。[五・六二]

ということか、ということが、その辺りの解説にたどり着いて(「ヴィトゲンシュタイン入門」p80)やっと腑に落ちた気がした。目から鱗だ。

いや…でもなんかまだ理解してない気がするけど、とりあえず私が昨日思っていたことは、私の中では、上の言葉に置き換えても、そう、だと思える。というか『世界をどのように見るかという一つの目』って書いたのも『私・今・そして神』に書いてあったあの「開闢」ということか。かな?

でも私にはまず序文の『そして限界の向こう側は、ただナンセンスなのである。』というとこのナンセンスという意味合い(意味なしのとこに意味合いってのもなんですが)がわからない。だって『知らないということを知っている』じゃないのか? と思ってしまうので、もうちょっと用心深いまんまで読むつもりだけども、でもなんか、すごい面白い。今まで読んできた、たくさんの物語の断片がここにある気がするし、それが何故、自分に響いたのかというとこが、そのナンセンスなとこにあるような、そんな気がする。ナンセンスって、もしかして「意味」について、語れない/重ならないということなのかなとか。うーん、また迂闊なことを書いてるけど。私の言葉の中では、そう感じる。とりあえず、今日のところは。

ともかく『論考』がちゃんと読めなかったのは、専門用語の意味合いが全然実感を伴っていない、つまり使ったことがない言葉だったからってとこが大きい気がする(しかしそれが全てではない)ので、入門読み終わったら再挑戦したい。

なんかもしかして、毎日すごいばかみたいなことばかり書いてるような気もするけど、私はいったん自分の言葉に置き換えないと考えられないし自分が何を考えたのかも理解できないし、だからまあいいかと思ってます。それを公共の場に出す必要があるのかという葛藤についてはとりあえず停止。

2006-03-15

[][] さんさん録 1巻/こうの史代

さんさん録 (1) (ACTION COMICS)

さんさん録 (1) (ACTION COMICS)

妻に先立たれた「参さん」が息子の家族と同居をはじめる。妻の残したノート「さんさん録」を片手に、生活することの楽しみを知っていく参さんの物語。生活の知恵も満載です。

「この世でわたしの愛したすべてが、どうかあなたに力を貸してくれますように」

という言葉の通り、参さんの生活は、妻の愛したものたちに囲まれていて、それはまるで、彼女の愛し方を知るような作業だったりもする。いなくなっても、知り続ける。見ていなかったものを、見てくれている人がいることの、その喜びに満ちたおはなし。

飄々とした参さんのキャラクターがまた魅力的。

[] そっちからはどうみえますか?

いま考え中のこと。

哲学の本とかを読んでいて、たまにわからなくなるのが「世界」ってなんだ? ということだったりする。私がいて、世界がある。うん、あるな。たぶんある。

でもその世界って地球でも宇宙でもないんだよな、たぶん、と思う。ひとがいるところ、は、すなわち、やっぱり社会かなと思う。私がそこに属してるにしろしてないにしろ。で、社会にいるとき、は、なんというか、本番で、参加している。重力がある。見られる側だ。私も「私」を見る側だけど、その「私」の像が分裂してるようなかんじ。

それを含めたぜんぶ、が世界なのかもしれないけど、じゃあ、それってなんだっていったら、やっぱり自分じゃないのかなと思う。どうかな。

私は、世界をどのように見るかという一つの目であって、その目を通して、「私」は何かを思う。私は「私」の目から出ていけない。見える(物理的にではなく)ものすべてが世界の輪郭であって、最後は自分の目を覗き込んでいるような気すらする。だって私はそこに写るものしか知らない。

ただ、私は、誰かも同じように、何かを見ているということを知っている。

だから私は、そっちからはどうみえますか? と訊きたいんだと思う。

前に書いた「X」の話がしたい(id:ichinics:20060228:p3)ということは、つまり、その私の目じゃないとこから見えるそれを、想像したいということなんだと思う。本やネットで文章を読んだり、映画を見たり、音楽をきくのは、私にとって、そういうことなんだけど、人と会話をするときに、それをするのは結構難しかったりもして、でもあきらめたくない気持ちもあったりとか、するわけです。

でも、そうやって、私から見えるもの、に新しい角度をもらったりすることで私の世界の輪郭は広がっていくというか、って、もしかしてそれを「世界が広がる」とかいうのかな。ああ、なるほど。うーん?

[][] 道がまっすぐ

ichinics2006-03-15

今日はipodをシャッフルにしていて、そうすると聞こえてくる曲がたまに「あれ?これなんだっけ?」と思わせるものだったりもするのだけど、今日の帰り道に、耳の奥に「チーンカーン」という金属音みたいなのが響いて「え、ラピュタ?」と思ったのがキセルの「道がまっすぐ」だった。

スピーカーで聴いているときは、その金属音を意識していなかったんだけど、それはやっぱりラピュタっぽい音で、そこからの連想で、もし私がアニメーションを作れたらということを考えていた。その曲にどんな映像をつけるかな、とか、そういうことを考えるのが結構好きで(というか大学ではそういうことを勉強していたのだけど)この曲の場合は、そうだな、いろんな道とかダンジョンとかジャングルとかを進んでく映像から全部の道が一つになって、海に入って沈んで空になって飛んで宇宙に出てチーンカーンとかヒューとかいう音にあわせて星がぐるっとして白く飛んで(バルス!)道に戻ってくるみたいな、そんな感じかなぁと思ったら家に着いた。無意識で歩いてるときの道はまっすぐな感じだ。と無理矢理まとめる。画像は関係ない。どっとはらい。

IMAOIMAO 2006/04/01 00:16 『長い道』につられて読んでみました。
やっぱりホロリとさせられる瞬間があるのですが、
結構麻薬性がありますね、この人の漫画は^^

2006-03-14

[] 「The View From This Tower」/Faraquet

View for This Tower

View for This Tower

EX-SMART WENT CRAZYのメンバー3人で構成されたFaraquetは活動時期も1997〜2001と短かかったのですが、とても印象に残っているバンド。DISCHORDらしい音。最近の、ザゼンに傾倒しっぱなしな流れで思い出して、CD掘り返してたんだけど見つからなくって買いなおした。けど、前は音響ブームな流れて聴いてたような気がするんだけど、今聴くと全然印象が違うんだな。まあ今はまた別の流れで聴いてるんだけど。

ともかく、プログレッシヴ・ロック的な変拍子の中に、しなやかな強靭さのある音作りがやはりこのバンドの魅力です。最近特に、こういう音を求めてる自分を再確認して、聴いてるだけでなんかもう嬉しい。

3ピースバンドだけど音は3つ以上鳴ってたりもする。でも、音はわりとソリッドに統一されていて、ドラムもタイトで軽やか。(ザゼンで例えるなら松下さんじゃなくてアヒトさんタイプだ)だけど、要所要所できめてくる感じが気もちいい。#3の迫りくる感じとか、#8タイトル曲の終盤のギターの重ね方なんかは、ぞくぞくする緊迫感がある。そして#9から再び打ち寄せるノスタルジックな音の粒。

ロバート・ワイアットが好きな人なんかは、ぐっとくる音なんじゃないかとか思います。

惜しむらくはアルバムとしてはこれ一枚しかでてない(たぶん)ことかな。ドラムのDEVIN OCAMPOは現在Medicationsとして活動中らしいですが未聴。

うーん、ちょっとDISCHORDを漁ろうかな、という気分です。楽しい!

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/15号

中退アフロ田中
今日の主人公は大学生の井上くん。あまずっぱい!
日本沈没
「うーむ…見事に反論できん」
ハクバノ王子サマ
そういうモノ(写真)を手に入れると加速しますよね。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
田西がやっとちはるちゃんを見た、気がした。
バンビ〜ノ!
熱くなって失敗する伴の巻。この漫画はじまって以来はじめてほんとにそりゃバンビが悪いさー、と思った。落ち着こう。
団地ともお
バーコードバトラー!!なつかしい!パートナーだけども。そしてそのパートナーとの日々の描写がとてもよい。
fine
自分が否定していたものを受け入れる際の葛藤、にどう折り合いをつけるか。
Quojuz
女装ですか…。たのしそうだな。女は男装とか出来ないしなぁ。

[][] 羽生ラインとは

結構前だけど、うるるんで石坂さんが「出会った」回を見たときに、私は石坂さんにときめいてしまったのだけど、それが何故かといえば、いままであの人は単にうんちくの人だと思っていたのだけど、そのうんちくはたぶん誰も聴いていなくても発されるうんちくなのだと思ってしまったというか、その他者の視線を意識してない感じにときめいてしまって、もうそこからは現実の石坂さんから離れて私は私のイメージする石坂さんにときめいているんだけど、私はそもそも、そういう自分世界に没入している人にときめきがちで(羽生さんとか(一人で詰め将棋してたらいつの間にか夕方とか))それはたぶん、二次元的な妄想なんだろうなと思っていたのに(そして私はそれに羽生ラインと名付けている)、この前現実でも、あきらかに空気読めてない感な対応をされて、むしろときめいている自分がいてびびった。これはなんだ。(なんでもないよ!)ところで私は一日の文章がまとまりなさすぎると思う。

[] バランスから離れて、保留したい

少し前のBさんの記事『正論への忌避感−松本被告の次男が入学拒否された件で』を読んで、「考えたい」と書いてブックマークしてから、ずっと気になっていた。

でも、Bさんの感じていること、この文章で書かれていること、が把握できているのかどうかに自信がないまま、まだ考えているのだけど、個人的には、正しさが正しいがゆえに歯止めがきかない、ということに対する不安感、しかし無意識に逆を考え、バランスをとろう、と思ってしまうこの自分の中にある意識の流れは本当に私のものなのだろうか、という点で、私はこの文章が気になり続けている。特に、

僕らが共感しているのは、虐げられている人間という個人ではない。「虐げられている人間がいるという状況を是正しようとする、法律的な正しさが発揮されることに対する共感」ないしは「期待」である。

という部分を読んで、自分の思いがよくわからなくなった。「法律的な正しさ」というのは本来なら、社会の多数意見であるはずなのに、それは個人的な思いをしばしば裏切る。しかしそれを法律的なものに委ね、自らの生活と、切り離しているのは私の選択なのだ、とも思う。

そんなことを考えながら、このまえ(id:ichinics:20060307:p2)のなかで「大多数の「良いこと」の為に、黙認されてるものが、あるはずだ」でも「私と社会は明らかにイコールじゃない」と書いた。

そう、それで松本被告の次男が入学拒否された件について。

僕が気にするのは、なぜこのことを批判する人が権威の正しさまでも「代理」しようとするのかということ、この点につきる。

実際に、Bさんがどのような批判を読まれたのかはわからないのだけど、オウム真理教にまつわる様々な意見の中には、私はどうしても立ち止まってしまいたくなるものが多い。例えば先日触れた松本被告の精神鑑定についてもだし、教団の犯した罪とは無関係な末端信者にまで矛先が向けられている様も、恐ろしい、と思う。しかし、入学を拒否する側の意見も、わからないでもない。それはたぶん「多数」側の意見なんだろう。そして同時に差別や偏見がよくない、というのも、たぶん「多数」の意見だ。でも、私はその意見の偏り、バランスの悪さ、に違和感を感じているだけなのかもしれない。

ただ、私はその人が、どういう人か知らない。それゆえに、何も言えない、と思うんだった。私はその人に自分を代入できない。

同時に、もし何かを知るならば、過去で停止しているものでなく、それを含めて「今」あるその人を知らなければ、とも思う。何故なら、私は罰を受けることよりも、自分の今が誰にも見られないということの方が、恐いと思っているからだ。結局自分だ。

どちら側に立つか、を常に選択しなきゃいけないわけじゃないんじゃないか、と思うけど、逃げてるだけな気もする。でも、これはまた違う話かもしれない。

2006-03-13

[][] カンバセイション・ピース保坂和志

ichinics2006-03-13

この本を読むのは、私にとってごちそうを食べるようなものだった。

ついこの間、私はヴィトゲンシュタインさんの『私は、私が世界をどのように見たか、を報告したい』という言葉を知って、なんだか目から鱗が落ちたような気分になったのだけど、この本に書かれていることは、まさしく保坂さんの『報告』であって、こんなふうに、誰かの『報告』を聞いて、触発されるということは、私にとってのごちそう、なんだと思う。

「この本はずっと手もとに置いておくだろう」と思った本には、遠慮なく折り目をつけていくのが習慣なのだけど、この本にはほんとうにたくさんの折り目をつけてしまった。画像を見ると、ちょっと気持ち悪いかもしれないけど、私は少なくともこれだけの回数は立ち止まり、この本と会話をしたような気持ちになっている。

例えば私は一昨日、『(考えるということは)頭の中にある、たくさんの亀裂の奥を、高くから照らしているような』なんてことを書いたのだけど、今日350頁あたりから読みはじめたところで、

言葉が光でその光が闇を照らしたのではなくて、言葉が光になったから言葉の届かない場所が闇になってしまったということで(p365)

という一文を見つけて、返答というかまた新しい光に触れたような気分になり、その少し後で、この本の最初の方で気になっていたテルトゥリアヌスの言葉、に「物が悲しみを知ることはありえないがゆえに事実なのだ」(p368)という台詞で腑に落ちたりしていた。

そんな風に、物語の中にある思考の流れを、その場で一緒に見ているような気分になりながらこの本を読んでいたし、この物語はストーリーではなくて、そこでどのような思考が流れたかという物語なのだろうけど、

おれだって、いつも何も取材したり資料集めしたりしないで好きなことしか書いていないように思われがちだけど、小説の中に何でもかんでも詰め込んでるわけではなくて(と、そこで妻が「あら?」と驚いて見せた)、いろいろ取捨選択はしている。

おれにもし莫大な財産があって、収入なんか一銭もなくていいって言うんだったら、書き上げることなんか考えずに、書いている時間そのものだけになるような、いつまでも書き続けている小説を書くだろう。

そうなったら職業じゃなくて趣味で、まあ、それが究極の趣味のあり方かもしれないな。(p259)

と書いてあるのはやはり保坂さんの言葉なのだろうと感じられるし、この物語でも、もちろん何かが取捨選択されている。そして主題として選択されているのは「容れ物」についてなのだろうと思っている。「家」そして命の容れ物としての「チャーちゃん」など、様々な容れ物について考えながら、常に生まれ続ける闇の部分をまた、考え続けている。

「わからないときにすぐわかろうとしないで、わからないという場所に我慢して踏ん張ってかんがえつづけなければいけないんだな、これが」p304

というのがまた、良い言葉だなと思った。ぜーんぶ理解してしまうなんてことが仮にありうるのだとしたら、それは死に似ているとか、ふと思う。だからといって、それは知りたいという気持ちを止めない。

カンバセイション・ピース

カンバセイション・ピース

読でる最中の記録

その1 → id:ichinics:20060304:p3

その2 → id:ichinics:20060309:p1

[] ブックオフと読書とコーヒー

今日は暇な一日の定番コース。

本を読もうと思って、駅前の喫茶店へ行くついでに、オフで本を売ろうと思って持っていったのだけど、結局売るのはやめてしまった。

ちょっと複雑な気持ちのまま、店内を見ていたら、掘り出し物がたくさんあって、でも買うときにまた、がっくりきた。本を入れたビニールに余裕がなくて、帯切ってしまうし、しかも背表紙に触れるようにテープを貼られたんだった。「それはやめてください」と言ったのに、なんか通じなかったみたいでそのままべったり貼られてしまって、びっくりした。本は紙なのに、テープ貼るの嫌だってわからないのかな。まあ破れても読めるけど、本の状態を見て値段決めてるなら、状態の良いまま売って欲しいと思う。オフといえば、あの客の背後で突然大声をあげるのも、やめてくれないのだろうか。びっくりするんだけど。客を店内に居着かせないためなのかな?

なんて文句言いつつ、安いからつい行ってしまうのだけど、なんかへこむ。反比例か。

ともかく、今日の収穫は荻原浩さんの新しいやつと「沈思彷徨」のハードカバーが100円! (いいんですか?)あと「祈りの海」の文庫を購入。

その後、喫茶店で読書。「カンバセイション・ピース」を読み終えてから、しばらくぼーっとして、場所をかえて「祈りの海」を読みはじめる。面白い。

夜は、友人からお土産にもらった鯖のみりん干しを焼いて食べる。とてもおいしい。

そして休日も終わった。

[][] すごい! ほしい! 演奏したい!

世の中にはすごいことを思い付く人というのがいるんだなぁと感動しました。

マウスを前後に左右に動かすとギターのコードの「じゃらーん」って音が聞こえるの。早く動かすと「ジャッ」って。ゆっくり動かすと「ポロンポロンポロンポローン」って。

http://d.hatena.ne.jp/./yurusu/20060220/1140461349

ちょっと前の記事に今頃反応してしまって申し訳ないのですけど、これはいいなぁ、と思いました。めちゃめちゃ欲しいです。でもわたしには作れないので、誰か作ってほしい…。

この前「文化庁メディア芸術祭」で見た『Six String Sonics, The』という久野ギルさんの作品がちょっとイメージに近いような気もする。

たとえばギターの代わりに、6人のギタリストが6本の1弦ギターを演奏します。これによって一般的なギターで押さえられなかったコードやメロディーが奏でられるようになり、音楽表現の幅を広げることができました。

http://plaza.bunka.go.jp/festival/sakuhin/sakuhin/art02.html

この作品ではコードに縛られないで演奏する、という方向みたいだけど、実物(調整中で触れなかったんだけど)と演奏風景の映像を見てたら、かなり触覚で演奏しているような雰囲気だった。

コードがおさえられなくても、高い、低い、みたいな感覚、例えばハーモニカを吹く時みたいな感覚で楽器、特にギターが演奏できたら、いいのになぁと思う。それにはマウスの操作で、というのはすごくイメージにあってる。

誰か作ってくれないかなぁ。

最初は記事をブックマークしてコメントかこうと思ったのですが、私のマックだとブックマークで文字入力できないのはなんでなんでしょうか。文字化けしちゃうの。そんなこともわからないくらい、私は機械おんちです。

2006-03-12

[][] ドッグヴィル

監督:ラース・フォン・トリアー

2003年公開作品。ようやく見ました。

飛行機に乗らない/乗れない映画監督であるトリアー監督がその国を見ずに「アメリカ」を切り取る、というのが公開時の宣伝文句にあったような気がするけれど、かなり普遍的な人間社会を描いた作品だったと思う。

本作の最大の特徴でもある、床に白線がひかれたスタジオで最小限におさえられたセット、という特徴的な舞台美術はもちろん、その脚本と演出における試みは、あまりにも綿密であり、その内容よりも、むしろそこに窺える監督のストイックさに驚かされる作品だった。

(以下内容に触れています)

* * *

アメリカ、ロッキー山脈の村に、ひとりの美しい女性、グレースがギャングに追われ、逃げ込んでくるところから物語ははじまる。

村人たちは、彼女を匿うことを選択し、彼女からの奉仕を受け入れるようになっていくのだけれど、その釣り合いのとれない力関係は簡単に破たんする。

この過程を描くのには、やはり透明であるセットが効果的だったと思う。その箱庭のような舞台の上にいる人物たちには「見えない」ものが、映画を見る私たちには「見える」。そのことによって、その登場人物たちは、それを「見ていない」のだと感じさせられる。

グレースを匿う、ということは当初、村人たちの「美徳」であったはずだ。しかし、それがやがて見返りを求める「権利」だと錯覚され、彼女の奉仕は「義務」へと変化していく。個人の意志よりも集団の倫理が優先され、それは外部の人間であるグレースを許容しないことから、真実は「見られ」ない。だれも立ち止まらない。そしてそれが集団の倫理として「許された」と感じた瞬間に、彼等は「権利」を振りかざす。それがもともとは求めていなかったものだとしても。

そして物語の結末、グレースは彼等に審判をくだすことになる。

その場面がきて、ようやく、これは、グレースの父であるギャングのボスを「神」そして、ドッグヴィルという地に遣わされたグレースを「キリスト」とする、明確な暗喩のもとに描かれた作品だったのだなということに気が付いた。すると、物語の全般を通してグレースの視点が俯瞰であったことが腑に落ちる。彼女は「見る者」だったのだ。

しかし人々は彼女の奉仕を忘れ、十字架(首輪と重し)を背負わせた。

その事実を元に、グレースと権力者である父親は問答を繰り返す。彼等に罰を与えようとする父も、許しを与えようとする娘も傲慢である、と。

問答の後、グレースはしばし一人で逡巡するのだけど、その瞬間、グレースの人格が分裂したように感じられた。遣わされた者であり、見る側であったグレースは、そこの町にいた「自分」をまた対象に加え、彼女(つまり彼女に向けられた人間の醜さ)を見てしまう。そして、その為に、権力を行使することになる。

* * *

トリアー監督が、この村の側、グレースの側のどちらに「アメリカ」を重ねていたのかは、正直わかりませんでした。

キリスト教をモチーフにした作品であることは確かだと思うけれど、物語の筋としては、キリスト教的価値観に批判的だったとされるトウェイン不思議な少年」にとてもよく似ていることから(といっても読んだのかなり昔なのでちょっと自信ないけど)、この物語の結末が、ある程度幅を持たせたもののように感じられたのは意図的なことなのだろうと思う。

テーマは多様であり、例えば「社会」という集団が均衡を保つということはとても難しいということ、そして、欲望の側に流されることはあまりにも簡単だということ。そういう点では実験的な映像ながら、伝承民話のように、普遍的な罪の構造を描く物語だといえるかもしれない。そしてこのセットもまた、俯瞰という視点を補強するものだったのだろうと思う。

重く息苦しい作品ではあるけれど、謎を解くような楽しさもある作品。

[] FACTORY LIVE 0311

フジテレビの番組「FACTORY」の収録ライブに当たったので行ってきた。スタジオはわりと近所なので気軽です。地上波での放送は3/22 25:43 - 26:43。

ZAZEN BOYS

4月のAXまで見れないのかーと思っていたところだったので、嬉しかった。やったのは全部で8曲。なにをやったかは放送のネタばれになるのかなぁ。まあ番組見たときに改めて書くとして、とにかく今日もザゼンは冴えわたっていた。

向井秀徳という人は観客に寛容だと思う。彼の矛先は常に自らに向かっていて、音を誤読されることを怖がらない/怖がっていないように、見える。

だからこそ、私は安心して、彼等の音に踊らされることができる。集中している。まるで泳いでいる最中のように、音と歌を聞く、というそれだけのことに集中しきっている。たまに向井さんのカメラ目線を発見して、何かこそばゆいように思ったり、カシオメンの踊りを見て笑ったりもするけれど、常に体は音と言葉にしびれている。

一曲だけ触れときたいのが「COLD BEAT」で、これがまた新アレンジになっていました。カシオメンのリフ、あれは何だったかな。たぶんZEP。放送が楽しみだ。

桝本航太

「お前らおれのことしらねぇだろう!」と出てくるなり一喝されたんだけど、ほんとにしらなかった。フロム尾道となってたのでたぶん広島の人なのだと思う。

うまく説明できないんだけど、轟音ギター、ハウリングしまくり、シンセ、歌、ピアノ、踊り(アクション)、などを一人でこなす、というか走り回ってこなせてなかったりもする。シールド抜けまくり。でもその必死さが彼のロックなのかなと思った。音は「おっ」と思うとこも多かったのだけど、わりとすぐやめちゃうのね。とっかかりを与えないというか、つねに彼の気分で変化してくような感じ。に、翻弄されつつ「一人一人にだよ!皆で楽しく騒ぎたいやつはでてけ!ロックってそういうもんだろ?」という言葉の切実さにうたれたりして、ちゃんと見てるからな!と言いたい気分になった。なんだそれ、と思われるかもしれませんが、そういうライブだと感じました。生き様。ソーキュート、とか言いたいです。

miscorner/c+llooqtortion

フロム旭川なので北海道の方なのだと思います。スタンディングドラムとドラムとエレクトロニカ。中断なしで30分くらいぶっとうしの演奏だったと思う。そもそもドラム好きだし、音の厚みもアダム・ピアースを彷佛とさせるとこがあって、かなり好みの音だったのですが、惜しいのが時折音が途切れることだった。二人の呼吸があってしまって、息を吸うところが重なってしまう、それがブレイクになるならいいけど、ブレイクではなくて音が躊躇ったように感じられてしまった。

もう少しアクセントとしてのブレイクを入れてくとよりドラマチックで好みなんだけどなとも思う。でも期待大です。かなり。

eastern youth

トリはイースタンユース。今回のメンツはザゼン以外はイースタンの人のセレクションらしいです。eastern youthは『雲射抜ケ声』『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』『孤立無援の花』くらいしか聞いたことがなく、ライブを見るのもはじめてだったのだけど。

まず題名とあらすじのような語りが最初にあって、轟音ギター、という展開の曲が続いて、そのイントロではすべてその切実さにぐっとくるのに、音の洪水に飲み込まれると、声が全然聞こえなくなっていた。そしてギター、も、そのエフェクトは固定なのだろうか? その言葉とは裏腹に、音には ぶれ や ゆらぎ がないように感じた。全ての楽曲で、ギターの音は常に鳴り響いているのだけど、その蛇口が開きっぱなしのように感じて、なにか寂しい。手をかける部分がないから思い出せるメロディがない。覚えているのは、ただその最初にあった言葉の輝きばかりだ。

録音されたCDを聞いていれば、手をかける場所があったのだろうか?

2006-03-11

[] ようこそ

友人が、旅先で知り合ったひとと、長い遠距離恋愛を経て結婚をした。

ビザ云々の紆余曲折を経て、やっと日本に住むことになった彼と、今日は初めて会って、一緒にご飯を食べたのだけど、

長い間、もう5年くらいかな、彼女からたくさんの彼についての話を聞きつづけていたので、はじめてあった人とは思えないくらい、彼のまとう空気はなじみ深いもののような気がした。

私の、へたくそ以前の、単語の羅列でしかない英語と(「ティスイズツナ!フレッシュオーケー?」」、彼の覚えたての日本語と(「ナットーイガイゼンブオーケー!」)、さらに彼の国の言葉をごちゃまぜにしながら(エナ!)、囲んだご飯はとても楽しくて、

さらに、今までたくさんの苦労をして、彼と一緒になることを選んだ友達の、その苦労もすっかり消し飛んでしまうくらいの柔らかい顔を見ていたら、

二人の今後が、ちゃんとしっかり、守られていますように、なんて、そんなことをしみじみと思った。

[] 村上春樹さんの直筆原稿流出について

村上春樹さんの直筆原稿が、本人に無断で古書店へ大量流出していたことが分かった。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/news/20060310k0000m040171000c.html

ちょっと、耳を疑うようなニュース。もちろんそれは職業柄やってはならないことだし、上のリンク先に、村上さん自身の言葉として引用されている「一種の盗品売買にあたるのではあるまいか」という言葉に、やはりあてはまると思う。

しかし、彼は何故そんなことをしたのだろうか?

そのモラルは、簡単に見失うような境界線ではないはずだ。

私はその著名な編集者の人のことをほとんど知らないので、全く想像がつかない。なぜ知らないかといえば、私はこれまで長い間、本でも音楽でも「作られたもの」以外のものに興味がもてなくて、特に村上さんの場合には、その作品が好きすぎてインタビューとかエッセイとか書評とか全く読みたくなかった時期があったからかもしれない(ここ7、8年くらいはそんなことない)とか思うけど、それはまあ関係なくて、ともかく村上さんの担当編集者で知ってるのは一人だけでそれはこの人じゃないし、この有名編集者の人のキャラクターなどは全然想像もつかないのだけど、どんな人であったにしろ、お金のため、なのだろうか? そうじゃなかった場合のほうが、より恐ろしいことだけど。

流出問題については、単純に言って、漫画も含む直筆原稿の場合、やはり刊行後には著者に返却するというのが一番良いやり方だと思う。

あと、村上春樹さんが、直筆で執筆をされてた、というのは意外だった。最近だと「シドニー!」にはPCで書いてるという記述があった気がするけど、当時は直筆だったのか。

[] 考えることのイメージ

毎日ごちゃごちゃと、ここに言葉とか文章を書いたりしてるけど、私はわりと、自分の書いた文章についてよく覚えている、と自分では感じていて、それが増えていくたびに、ほんの少し、いまいる部屋がどんどん広くなって壁に手が届かなくなっていくような、そんな頼りない気分になる。

例えば「考える」ということのイメージとして私は最近よく「俯瞰」という言葉をつかうけど、そのほとんどは(全部じゃない)、頭の中にある、たくさんの亀裂の奥を、高くから照らして見るような気分のことだ。

でも遠くにいけば、奥まで照らせるけど、対象物は小さくなって見えにくいような気もする。それがもどかしいのと同時に、焦点があった、と思うときは嬉しかったりもするんだけど。

でもいつか、その亀裂の暗く覆われている部分が全部照らし出されるときがくるんだろうか、と想像すると、それは立体が解体されて平面になっちゃうようなことなのかもしれない、という漠然としたこわさもあって、

だからこそ、自分以外の人が何を考えているのか、ということが、永遠に照らしきれないものとして必要とされるのかも、なんてことを、ちょっと酔っぱらった頭で思った。

なんだか、すごくおこがましいことを書いているような気もするけど、

もしかしてわたしは…って自分の考えてることもやっぱわかんない、のかわかりたくないのか。

kissheekisshee 2006/03/11 02:48 村上さんの字は、昔なにかで見たことがあるんですが、かわいらしい字ですよ。
それにしても、本当に今回の直筆原稿流出事件は、許せません。一介の文学ファンとして、すごく悲しいです。

ichinicsichinics 2006/03/11 03:14 kissheeさん、こんばんは。確かに、悲しいというか、正直あきれてしまうような事件なのですが、なぜそんなことが「可能」な状況にあって、なぜ彼はそのような行為に至ったのか、というところをもう少し知りたいです。亡くなっている方なので、詳細を調べるのは難しいとは思うのですけどね…。

toukatouka 2006/03/12 07:45 この編集者は生前かなり有名な人だったようで、私も名前だけは知っていました〈たしか中島梓の本の中で出てきた…「夢みる頃をすぎても」かな?〉。どうしてこういうことになったのかはわかりませんが、晩節をけがすってこういうことかと思いました。たとえ本人の意思ではなかったとしても(←フォローのようでいて実は恐いこと言ってる)。

ichinicsichinics 2006/03/12 23:44 toukaさんこんばんは。私もその人についてはbk1の…というのと大江健三郎と喧嘩したことがあるらしい…というくらいしか知らないのでこんな遠回しな書き方をしてるのですが、「晩節をけがす」という意味では彼のファンだった人たちが気の毒だなと思ってしまったりします。うーん、何か単なる傲慢さ、以外の何かがありそうな気がしてしまうのですが、考え過ぎでしょうか…。

2006-03-10

[] これはもしかして

ichinics2006-03-10

腱鞘炎なんじゃないか、と思ったけどただの肩こりに伴う痛みみたいだ。

左右山積みになった机で肩をすくませて仕事してるせいだと思うけど、片付けているくらいだったらさっさと終わらせた方がいい。

今日はちょっと面倒くさい権利関係の問題が起こって、仕事中はずっと気持ちが塞いでいたのだけど、ひとたび会社をでれば、電車に乗りこむ頃にはすっかり自分の生活のことだけを考えている自分がいて、そのことがほんのちょっと頼もしい。もちろん、忘れているわけではないけれど、くよくよしても解決しないのだ。

そして電車を乗り継ぐ。急行ではなくて、各駅停車に乗って本を読みながら帰るのは私のいつもの習慣で、今日は向かいに座っていた男性とその隣に座った女性のあいだでちょっとしたやりとり、というかいざこざがあって、電車内の雰囲気が毛羽だっているような感じがあったのに、幾つか駅をすぎ、車内の構成人数が代謝を繰り返していくたびに、その毛羽立ちもおさまっていく、ということ、というよりそれを感じてるのが私だけではないような気がするのが、不思議だなぁ、なんてそんなことを考えながら、でも意識は小説の中にあった。

(なんて、こんなふうに文章の息継ぎが少ない感じになるのは、完全に保坂さんの語り口に影響されているのだと思う)

駅からの道のりは、約20分。暗がりでも、梅の匂いというのは際立っていて、匂いからの連想で、おなかがすいたなぁ、なんて色気のないことを思いながら、ふらふらと歩く。

それでも、帰宅して最初にしたのは、空腹を満たすことではなく、洗面器に湯をはって、手首を浸すことだったりして、何が言いたいかというと、人というのは意識せずにいろんなことを、同時に考えているのだなぁということなんでした。

痛みはちょっとひいた気がする。

[] それが誰のことばか

数日前に、音楽におけるセンス競争、にまつわる話を幾つか読んで、個人的な思いとしては以前に書いた

そんなのは結局その音楽の本質にはなんら関係のないことだと思う。だって、「それ」を知ってても知らなくても、感覚で受け取ることが出来るのが音楽の良いとこだと思うから。

id:ichinics:20050624

というところからほとんど変化していないのだけど、ただ、ちょっと最近「えー」と思ったことがあって、その理由が見つかったような気がしたので書きたくなったので書く。

それはこの前、ほぼ初対面の人と話をしてちょうど音楽に話題が移ったときのことで、なんでかは忘れたけど、最近聴いてるのは何? とかそんなことを訊かれ、私はたまたまtheピーズを挙げた。そしたら、まあありがちだけどビーズと勘違いされて、とにかく、その人がビーズが好きだという話に移行したんだった。それはいい。でも私はあんまビーズをしらなくてGSの主題歌とかそんくらいのイメージしかないので(すみません)、でもなんかいわなきゃと思って「じゃあガンズも好きなんですか」と訊いた。それはつまりビーズのひとたちはガンズに影響うけてるらしい、という刷り込みがあったからで、実際私がインタビューとかでそう発言してるのを読んだことはないけど、その関連性はある程度の共通認識だろう、とは思う。でもね、それで「知ってるけど聴いたことないね」「好きなバンドの好きなものとか、気になりませんか?」「あーそういうのはマニアだけでしょ、俺はそういうんじゃないから」みたいな展開になって、ちょっとカチンときたんだった。あと「小説とか読んでも役にたたない」とも言われたんだそのひとに。えー。だったらセンス競争とか言ってる方がよっぽど和解の可能性があるような気すらしてしまう。

私は、何かを話す時に、その人個人の意見ではない断言とか「それは○○だから」とか「説明はいらない(できない、じゃなくて)」とか「意味ない(興味がない、じゃなくて)」とか、そういうのが苦手なのだけど、例えば、興味がないものについて、興味がないだけであるということを認めない/気付かない人と話すのはちょっとこわい。そして、自分の中にそういう可能性があるんじゃないかってことも。

これは例えば音楽とかそういう趣味の範囲の話だけじゃなくて、例えば「ドイツといえばビールが有名」というイメージから「ドイツ人はビールばかり飲んでいるものだ」と決めつけて話すのと同じようなことだと思う。

それが自分の言葉なのかどうか、とか、そういうことをなるべく考えていたい。

けど、そういうとこに突っ込みたがる性格はなおしたい、と思っていたりもする。むじゅん。

* * *

ところで、誰かの文章を読んで思ったことを書こう、とするときにちょっと迷うのが、結局全然関係のない話になっちゃったりとかした時で、そういう時に、この文章を読んで考えました、というのは書いておくべきなのかべきじゃないのか…ってことだったりするのだけど、今日は特に関係なくなってしまった。でも個人的な覚え書きとしてリンクさせていただくと、こちら(http://d.hatena.ne.jp/./wtnbt/20060305)とそのリンク先を読んだのがきっかけです。

2006-03-09

[][] 体験する読書、のような #2

あるいは言葉を形からだけ見れば「ある」と「ない」は同等のようだが、視覚などの感覚にとっては「ある」はあっても「ない」はなくて、視覚にとってはあるものがすべてで、「ない」のためにはないことを気づくための手続きをひとつ別に介在させる必要があって、しかもその手続きが起った途端にないものも内的過程では「ある」の残像に入れ替わっていて、その内的過程というのは普通に心と呼ばれているような文化によって生まれたものではなくて、文化を生み出す元となったような原初的な、空間との関係で要請された感覚と同じくらい強いもので、視覚や聴覚が空間にないものを感知できないように、内的過程も空間と引き剥がせないのだから「ない」とは「ある」の一様態でしかなく、(略)あるいは(略)たとえば一枚の絵に猫が描かれているとき、その描かれた猫という個別性の向こうに作者が思い浮かべてる個別の猫の系列があり、その絵を見る者にも個別の猫の系列があり、それらは別々のものなのだが、見る側がその絵に対してある思いを抱くなら、その描かれた猫は作者と見る側それぞれの個別の猫の系列の一端でなく普遍性を媒介する機能を担っているはずで(略)……というようなことなのだが、(略)ボッコが手摺にいるかいないかを同じにできるとしても、チャーちゃんがいないことまでは救わないようだった。(p253)

またしても保坂和志さんの「カンバセイション・ピース」からなのだけど、今日はこの部分を読んでいて、うわ! と思った。(あんまりにも長いので略だらけになってしまったけど、大意は損なっていないといいなと思う)

そして、うわ! と思ったのは、前に『「ある」ということ「ない」ということ』という文章を書いたときのことを思い出したからでもあるし、そもそもあれがあったからこそ、今この文章を読んで「うわ!」と思っている私がいて、もしそれがなかったら読み過ごしてしまった可能性も、あるかもしれない、ということでもあるし、その後に続く、普遍性を媒介する機能、という部分に、なにか他者の視線を借りるような、交差があるんじゃないかな、と興味をひかれたからでもある(このへんは何度も書こうとしてるのに、うまく捕まえられない)。

そしてまた、引用した文章の結びの言葉によって、まず「ある」ということのすごさ、そして、それが「ない」になるということの欠落の深さを思い知ったような気持ちになったからでもあるのだけど、わたしが「ない」じゃないのは、なんでなんだろうとも思う。というか、ほんとにわたしは「ある」? 

そんなふうに、最初の「ある」がどこからはじまるのか、ということを想像するのはとても面白い。俯瞰に俯瞰を重ねるような感じ。

そもそも、「ない」を語るときに「ある」を介在させている、というのはたぶんそんなにイメージしづらいことではないと思うのだけど、「ある」を他者と共有できていない可能性、例えば「空間との関係で要請された感覚」のようなものについては、得てして見過ごされがちだ、と思う。大差ない、ということにしておいて、それほど不便ではないからかもしれない。ただ、そこから派生するイメージや意識のようなものについては共有されない、と切実に感じることが、たぶんきっとあるはずで(とりあえず私にはあって)、でも実は重なっている可能性も「ない」とはいえないということがうまくとらえられないんだけれども、この本を読んで感じていることなんかは、それに近いのではないか、と思ったりしている。

もうちょっとで読み終わる。

#1→(id:ichinics:20060304:p3

[][] FEEL YOUNG 3月号

新しいのが出てからまだ書いてなかったのに気付いた…。今月はちょっといまいちだったかも。

サプリ
この主人公の「女であること」を確認できない不安についてはちょっと共感しにくいのだけど、それでも「似合う似合わないの問題ですよ!」という台詞にはとてもぐっときた。似合わない、から、やりにくい、ことはどんどん増えてくような気がする。ためらう必要なんかないかもしんないのだけど、似合わないというラインを越えるのって結構難しい。
スクナヒコナ
あああー。ううん、これ書くのはちょっとためらわれるけども、最近のスクナヒコナの展開には、作者の感触がありすぎるような気がする、なんて思っていたのだけど、そこか、そこなのか、というとこに愕然とした。紺ちゃんに愕然としたのではなく、あとからやってくる、その可能性がありえるものなのだろうか、というところが恐ろしいのだ。
CGH!
この漫画をどうとらえればいいのかが未だに私にはわかりません。この主人公は苦手だな。

[] サイコロを振れ、って

それが決め台詞になるのだろうな、というど真ん中な台詞であっても、やっぱりぐっとくる。仮にすべてがあらかじめ決まっていることだとしても、今選択しないことの、諦めの理由にはならなくて、今、私が「私」にしてあげられることというのを、改めて考えてみたりする、けど、実際はなかなか踏ん切りがつかないものだったりもして。

だからこそ、今回の、小林聡美さんの台詞がしみるんだなぁ、と思った。

伝わんない、と思ってることも、伝えてみなきゃ伝わるかどうかわかんないんだよな、とか。

2006-03-08

[] 「Feels」/Animal Collective

Feels (import)

Feels (import)

NY、FatCatのバンド、Animal Collectiveの7thアルバム。彼等の音楽を聴くのはほぼはじめてなのですが、これはすごい、傑作だと思いました。素晴らしい。

以前聴いたアルバムは、もっとサイケデリックというか、フォーク色の強い音だったような気がするなあ、と思って、bounceのインタビューを見てみたら→(http://www.bounce.com/interview/article.php/2238)わりとアルバムごとに色合いをかえるバンドであり、なおかつ作品ごとにメンバーの編成もかわったりするみたい。で、今回の「Feels」は久々のフルメンバー(パンダ・ベア/ヴォーカル:ドラムス、エイヴィー・テア/ヴォーカル:ギター、ディーケン/ギター、ジオロジスト/エレクトロニクス)で制作されたアルバムなのだそうです。

* * *

水に溶けてく絵の具みたいに、その音はすんなり耳に入ってくるのだけど、ゆっくりとにじんで、広がって、沈んで、きらめく。瞼の裏の光みたいに。その過程がほんとうに気持ちよくて、耳が吸い寄せられていきます。例えば、グループの中心的な存在でもあるベアさんのドラムが、というか私はなにかとドラムを聴いてしまいがちなのだけど、#11では遠雷のようにひびく。そして残像だけが残される世界に、再び祝祭的な音が還ってくる。そのドラマ。なんかもう、うまくかけないけど、すばらしいです。

70年代初頭のサイケデリックが一番感触としては近いのだけど、そこに散りばめられた音色は洗練されていて、やはり「今」だなという感じ。ビーチ・ボーイズスピリチュアライズドを彷佛とさせる箇所がところどころにあるものの、全体として、集合体として見ると、これはもうAnimal Collectiveの音でしかない。うわー来日行きたかった。今さらですが、個人的に昨年のベスト3には入れたい感じ(聴いたの今年だけど)。

Hp → http://fat-cat.co.uk/fatcat/artistInfo.php?id=53

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/14号

20世紀少年
蝶野ひさしぶり! 鉄郎?
Quojuzコジューツ
どんどん電車内で読めない漫画になっていくなぁ。まあいいけど。かえで話ばかりが印象に残る。長女はあんまりクローズアップされてない気が(最初のほうだけな気が)
バンビ〜ノ!
仕切り直しで店内を見回す伴の巻。こういう話をタイミングよくいれてくる漫画家さんだなと思います。いいねぇ。「Heaven?」と合わせて読むのもいいかもです。いやただレストラン漫画だというだけですけれども。
CAとお呼びっ!
スピリッツっぽくない…といいながら毎回ちゃんと読んでます。主人公はやるきあるのかないのかわからないかんじ、だけどあのキメ台詞のコマはもうちょっと迫力ほしかったです。右向きの顔ってインパクトうすくなんのかなとか思った。
ハクバノ王子サマ
過去の卒業アルバムとか見て、タカコサマの変遷を知る小津の巻。この表情とか髪型の変化の見せ方がよかったです。つーかもう、なんか…小津の気持ちがわかるような…。
美味しんぼの料理
ザーサイ粥の作り方。米を五倍強の水に浸して一時間→しょっつる入れて火にかける(強火〜煮立ったら弱火)約一時間→塩抜きして千切り、ごま油で和えたザーサイを乗っけて食べる。ん?メモしてから気付いたけど、しょっつる入れてお粥作ってザーサイのせるだけか。でもまあおいしそう。
団地ともお
今回はアクション漫画です。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
ちはるちゃんがどんどんかわいくなってくる。でも田西はなんでちはるが好きなの? ボクシング少女マダー?

田中のいないスピリッツなんて…とちょっぴりさみしい自分がいます。

[] 帰り道

いそがしい…とかもう書き過ぎてる気がするけど、ちょっともう、なんかもう、容量オーバーなのは明らかで、日々、早く乗り切りたい一心でいるのだけど、家に帰ってきて日記書いたり漫画読んだりしてるときは、仕事のことなんてさっぱり、考えないでいられる自分がいるのが、ちょっと不思議だけど便利な頭だ、とも思う。それには、帰り道、という時間がうまく作用してんのかもとか思ったりした。通勤にはだいたい一時間半くらいかかるのだけど、そのあいだに、考え事がだんだん個人のことにシフトしていく感じ。

その帰り道に、だいたい毎日立ち寄るコンビニがあって、そこには、なにかといろいろくれたりして、私もCD屋時代に社販でCD買ってってあげたり、なんて付き合いをしている、わりとなかよしのおじさんがいるのだけど、そのおじさんが、現在の私の職業について何か、完全に勘違いをしてらっしゃる、ということに今日気が付いた。どうすっかなーと思ったけど、そのまんまにしてしまった。

その帰り道に、わたしはだいたいipodで音楽を聴いているのだけど、いつかに、誰か、そのミュージシャンが、吹き込んだ歌声が、いま私の耳に聴こえている、という、そんだけのことで泣けそうな、センチメンタル過剰な私がいるのですけど、周囲からはクールだ、といわれたりもします。女の子らしくないよね、としみじみいわれたりもします。自分がどんななのか、さっぱりわかりません。

その帰り道に、考えることというのはだいたいその日におこったことではなくて、ふと、何かのきっかけで思い出した「ある日」のことだったりするのだけど、こうやって何回も何回も、記憶の中で繰り返し再生される記憶というのはその度に少しずつ新しく上書きされていく部分があって、いつか、全然、まったく、違うものになってしまうのだろうかなんて考えると、さみしいような気もするけど、なくなってしまったものもまた、ちゃんと新陳代謝しているということなのかもしれない、なんて思ったりもする。

そんな帰り道の断片が集まって日記になってたりする、こともあるなぁと思った。つまり、なんか、なやんでる。

2006-03-07

[] 文化庁メディア芸術祭東京都写真美術館

毎年楽しみにしてるメディア芸術祭、最終日に行ってきました。つまりもう終わってしまってるのですけど、一応覚え書き。ちなみにメディアアートって何だかは未だにわかりません。

アート部門

今年のこの部門は全部「すげー」と思いました。おおはしゃぎです。楽しいです。

Khronos projector
スクリーンに触れると、凹んだ部分だけ時間がずれる。触ってみなきゃわからない感じですが、作者の方が「バームクーヘンを押して年輪(みたいな)部分が現れるかんじ」とおっしゃってたのがわかりやすかった。面白い。
Six String Sonics, The/久野ギル
1弦ギターを6人が演奏するっていうものらしいんだけど、演奏風景を見る限りでは、感覚で演奏できるような感じだった。この思い描いている感じが実際ならすごい、と思う。触ってみたかったけど調整中でむりでした。残念。
Spyglass/村上史明
望遠鏡をのぞいて、横についてるバーをまわすと、ズームになる。すごく目がよくなったような感じ。アップしていく過程がドラマチック。
Gate Vision/小林和彦
これ好きです。新幹線が進む様を円形に見せるもの、なんだけど、二次元が三次元になるような感触。前デジスタでscan gateって作品で受賞されてた方ですね。(それは下のseasonsのとこのリンクで見れる)
Conspiratio
ストローで「吸う」感触を体験できる装置。ラーメンとか納豆とか「うえー」と思いました。楽しい。かなりリアル。

アニメーション部門

浮楼/榊原澄人
傑作だと思いました。人の一生をアルゴリズム方式の箱庭絵で見せるものなのだけど、とても魅力的で暖かい絵柄ながら、みんなおなじ一生、というところに恐ろしさを感じたりもする。これは私が屈折してんのかも。
年をとった鰐/山村浩二
ダイジェスト版しか見れなかったんだけど、これはかなりよさそう。ちょうみたい。絵柄もね、なんか版画のようなペン画のような、ちょっと懐かしいタッチですてきです。
seasons/藤田純平
確かデジスタかなにかで見たことあった作品なんだけど、これも大好きです。色鉛筆のような水彩のような手書きアニメーションで描かれる、少年の迸る想像、どんどん変化してって、ぐるり。傑作だと思います。→ ここ(http://www.nhk.or.jp/digista/onair/hall_2004.html)で見れます。当時はタイトルが「MIND THE GAP」だったみたいだ。
かみちゅ!
見たい。かわいいよ。

マンガ部門

マンガ部門は何かほかのいろいろとあまり大差ない感じでした。そんだけ『失踪日記』が圧倒的だったといえばそうなのだけど。そういや「アンダーカレント」とかメディア芸術祭むきな感じもする。

地下にあったの

この画像のは、URLが出て、飛んでく過程を映像であらわしてるみたいです。たぶん。(解説とか見つけられませんでした)で、これが低空飛行の飛行機みたいですごくときめいた。電子の海を泳いでるきぶん?(すみません)↓f:id:ichinics:20060307023536j:image

受賞作品一覧などはこちらから → http://plaza.bunka.go.jp/festival.html

[] 私が「私」にできることは、例えばこんな感じ

『勝てば官軍』ってことのほんとうの意味はね、勝ったから官軍になったってことが完璧に忘れ去られて、その勝利をみんなが心から喜んでくれるようになるってことなんだ

『翔太と猫のインサイトの夏休み』/永井均

という一文を読んだとき*1に、私は「道徳というものは、その時大多数の人によって信じられている良いことに過ぎない」ということなんじゃないかと理解した。

それは、いまある道徳が完全に覆される、という可能性を指しているというよりは、大多数の「良いこと」の為に、黙認されているものが、あるはずだ、という方向を指し示しているような気がする。

でも、なんというかですね、私と「私」、社会と「社会」って別物なんじゃないかなと思うのです。「 」つきのものを、また外側から見ている括弧なしの本体がいるような感じといえばいいんでしょうか。

例えば私は「私」をわりと居心地良く、進めてきたいなぁと思って毎日過ごしているわけですが、まあなかなかうまくいかないこともあったり、予想外の嬉しいこともあったりして、生活しています。そして「私」が育っていく。でも「私」にとっての良さを目指すがゆえに、見てみぬふりしてる部分もたくさんある。

そして社会ってのは、例えば、おなかをすかしてる人がいる。その人が私の身近に居たならば、私は何かごちそうしてあげることもできる。それを「知った」なら。でも外国でお腹すかしてる子がいる。それを知っても、私にできるのはせいぜい募金するくらいのものです。そこまで行って、何かしてあげたいと思う気持ち、がゼロだとは言わないけれど、ゼロじゃないと言っても偽善のようだと思う。私は「私」の生活を優先してしまっている。そのあたりの罪悪感については、見てみぬふりをしてる部分がとても大きい。

その手の届く範囲が社会であり、その集合体が「社会」なのではないかと、漠然と考えています。

でも、その社会のルールは、ほんとに多様で、ひとりひとりの「私」に良いようには出来ていないことが多い、と思う。でも私くらいは「私」の良いことを、考えてあげてもいいんじゃないかと思うんですよね。でもそれには「私」が属している社会のことも、考えなきゃいけない。だって「私」は私だけがもってるものじゃなくて、みんなに「私」がいるんだし。そうやって、倫理や道徳が形作られてくのじゃないかなと、思います。でも私と社会は明らかにイコールじゃない。

って、そんな机上の空論ばかりいじってても何の役にも立たないかもしれませんが、役に立たなくても、考えたい、と思っているということが、私にとっての「いいこと」なんだと感じてます。そしてその「いいこと」が見えている状況っていうのは、とても幸せだと思うんですよね。

何か回りくどくなってしまいましたが、

やりたいコトがない人は生きるべきではない、では強すぎだけど。

やりたいコトがない人は生きなくてもいい、では弱い。

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20060304#1141453857

というmichiakiさんの文章について考えてたのですが、これは「やりたいコトがない人は生きるべきではない、では強すぎだから、やりたいコトがあるということの大切さを認識できるといいよねー」くらいが、自分にはちょうどいい気がする。ちょっときれい事すぎるけど。

「無理して生きなくていいんじゃない?」という問いかけに「だよね」と言ってしまえなくて、なんか問題あるような気がするのは、「無理して生きたくない」と思って欲しくない誰かがいるからなんじゃないかな、と思います。生きててほしい人がいるから、生きてる。それって幸せだと思います。

でも、前に「なぜ自殺をしてはいけないのか?」というmichiakiさんの質問に答えた時(id:ichinics:20051015:p2)、「じゃあ社会に属してない人、無人島に暮らしてる人とかには?」というところで私の考えはとまってしまった。プライドに訴えかけるしかないんじゃないか…なんてことを書いた気がするんですけど、それはつまり上記の「やりたいコト」はほんとに何もないのか、考えてみて、と言いたいということだったんだと思います。今なくても先にはあるかもしんない。義務ではなくて、私が「私」を生かすことを選択している、という感覚はとても心強いものだと思います。それは事実そうだ、というよりは、上記の「プライド」に近いと思う。いまある社会に属せない、と感じても、目的や興味や欲望があるということは生に繋がる。(ここで何をするのも個人の自由だ、と言ってしまうのが危険、と感じるなら、それは「社会」を想定してるからだと思います)

で、その質問を取り上げていただいた時の一文が私はとても気に入っているのですけど。

どう考えたって、世界には、一生かけてもアクセスしきれるはずもないほど大量の(美しい・よい・素敵な・面白い・不思議な・おいしい・カッコイイ、あるいは、そうでもない)モノゴトがあるれてる。ビョーキとかにならない限り、世界は「終生、楽しさ保証つき」にしか、わたしには思えないのです。

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20051016#1129399528

私は、死ぬことを選ぶ自由はある、と思ってたい。自殺するとかじゃなくて、なんというか、終わりがあるからこそ、大事にできることもあると思う。不老不死の薬とかあっても、私は飲みたくないです。

ただ、ここにいることを面白いと思えること、もしくは思えるかもしれないという希望が生きてる理由になるなら、それは素敵なことだなと思うのです。

そして、それを喜んでくれる社会にいられるのなら、それも素敵なことだと思う。

長くてまとまってないくせに、ちょっと弱い気がするのですが、今日のところはこんな感じです。

kissheekisshee 2006/03/07 02:47 「私が「私」にできることは、例えばこんな感じ」、とても興味深く読ませていただきました。ちょうどうちのブログでも自殺のことを取り上げていたので、いろいろ考えさせられました。
「終わりがあるからこそ、大事にできることもあると思う。不老不死の薬とかあっても、私は飲みたくないです。」という部分、ぼくも同意です。
ただ、自殺するひとというのは、世界にアクセスできないほどのすばらしいものがあふれていると思えないひとたちだと思うんです。手っ取り早く言えば、未来に希望がもてないひと。
うーん、考えれば考えるほど、難しい問題です。

ichinicsichinics 2006/03/07 03:04 kissheeさん、こんばんは。ええと、もちろんkissheeさんのエントリも拝見していて、この文章を書く間も頭にあったのですけど、ちょっと論旨がずれているので、言及はいたしませんでした。kissheeさんには読んでいただけるかな、という甘えです(笑)
私は自殺の善悪を問うよりも、生に執着できなくなってしまった誰か、に響くような言葉を見つけられたらいいなと思っています。まあちょっと偽善になりかねないですけどね。でも自己責任という言葉を、私だけが「私」にしてあげられることと、捉えたかったのです。
確かに難しい問題で、たぶん答えは一人一人にしか見つけられないような気もするのですけど、すばらしい、ということに気付けた瞬間を大事にしたいなぁと、思います。これもなんだかきれい事みたいですけどね。

2006-03-06

[][] スティーヴィー

ichinics2006-03-06

監督:スティーヴ・ジェイムス

「フープ・ドリームス」の監督として知られる(私は未見)、スティーヴ・ジェイムス監督は、大学生の頃、妻の勧めで、スティーヴィーという少年の更正を助けるビッグ・ブラザーとなる。

数年後、映画監督としてのキャリアを築くため、監督はシカゴへと移り住むのだけど、そのとき「正直ほっとしていた」という告白から、映画は始まった。

そして10年がたち、監督は再びスティーヴィーの住むパモーナという町を訪れる。彼等が離れていた10年の間にスティーヴィーは幾度も軽犯罪を重ねていた。そして彼は母親から「見捨てられた」と感じており(そしてそれは一定の意味において事実だ)、養護施設にいれられ、そこでも虐待をうけた、ということを監督は知る。そして彼を被写体に映画をとることで、スティーヴィーを理解しようとするのだけど、長編映画をつくるチャンスに恵まれた等の事情から、再び2年間のブランクがあいてしまう。

そしてその期間に、スティーヴィーは親戚の少女に性的虐待をした罪に問われていた。

* * *

この映画では、監督自身も被写体となって、その内にある矛盾にまでカメラが向けられている。

とても、たくさんのことを考えさせられる作品だった。映画にはスティーヴィーの家族を中心として、たくさんの人が出てくる。皆それぞれの言い分があって、いい所も悪い所もある。それはスティーヴィーにしてもそうだ。彼は犯罪者、なのだけど、ただ助けを求めているだけなのに、というところが、あまりにも明らかに「見えている」。でも映画の途中で、「彼は「罰」を克服することで、ルールが「無視できる」と気付いてしまった」という言葉があって、その裏と表しかない感じが、すごく恐ろしいなとも思う。

だからこそ、人は少しずつ、距離を置きたがる。映画全編を通して、ずっと彼の味方に見えていた存在すらも、守るものができると、彼を遠ざける。それが「ひどい」とは言えない。ほとんどの人はみんな、自分の生活が一番大事なのだ。だからといって、彼にとって、ただ刑務所に入れられることが必要とも思えない。隔離することよりも、彼に必要なこと、を求めながら映画は進んでいく。

スティーヴィーには彼女がいて(その彼女がまた名言を連発するのだけど)「彼にはだれか見本となる人が必要なの」と言っていた。きっとそうなんだろうなと思う。でも、誰かの「見本」となるなんてことは、個人にとっては重荷なのだろうなとも思う。でも見本にはなれなくても、彼を「理解」できるというただ一点において、彼女はスティーヴィーから離れられない、と言う。その言葉を心強く思うとともに、だからといって、スティーヴィーを見捨てていい理由にはならない。そんな葛藤が見えるようでもある。でもそれは私の中の罪悪感なのかもしれない。

良心とそれに向かい合うことを辛いと感じる本心との自己矛盾、欺瞞、葛藤、それでもやれる限りのことはするという覚悟、それらの代表としてカメラの前に身をさらしている監督の真摯さにうたれる作品でした。ドキュメンタリーってすごいよ、としみじみ思ってしまった。

「フープ・ドリームス」も見ようと思います。

公式サイト → http://www.moviola.jp/stevie/

[] 「意味」なんてないんじゃないか

例えば何か、映画や小説とかそういうものを、撮りたい、書きたいと思うのはなんでなんだろう、という話を昨日映画を見た後に友達と話した。

それが「楽しいから」か、「誰かに何かを伝えたいから」か、「自分を理解してほしいから」なのか。

「楽しいから」、だったら「書くだけで楽しいなら人に見てもらわなくても良くない?」になってしまう。

「誰かに何かを伝えたい」だとしたら、そんな伝えたいメッセージをお前は持っているのかということになってしまう。それを解らせる必要があるのか? って聞かれたら、ないかもしんないし、ある、としても自分がやるよりもっと良いやり方してる人がたくさんいるのも知っている、かもしれない。その葛藤を越えてくのは結構重いけど、それでも、と振り切れる、もしくは最初から気にしないでいられるなら、心強いことだろう。でも私にはちょっと無理っぽい。

「自分を理解してほしいから」というのが、私としては一番実感できる感じなのだけど、そんなこといったら全て自慰行為になってしまう。誰か一人に理解されること、ではだめなんか。だめじゃないかもしれない。それで充分かもしれない。それは信じる、信じないの領域の話だけども、信じられるならそれでいいかもしれない。でもそれだけじゃ満足できないってのもあるかもしんない。

でも、そういう葛藤を全部無視してもある、何か自分の中から取り出したいっていう気持ちはなんなんだろうなと思う。でもそれはあるところにはあるし、あるのならやってみたい。それを取り出してみることが、無意味だ、とは言えないというか、意味ないとか意味あるとかって何でしょうか。価値?でもそれって誰が決めるの?流通するかしないか?とか考えはじめるととまりません。

でもとりあえず、知りたいものは知りたい、でいいんじゃないだろうか(ということにしたい)。そして、その対象が自分自身ってことだってあるわけです。でも、その対象が他人って場合には知りたくても知れないという状況のが多かったりもして、だから人はソレについてすごく悩んだりするのかなと思いました。

と、こんな支離滅裂な文章書いてるのも知りたいものは知りたい、の上で自問自答してる感じなんだと思う。あー、もう、とか考えてたら凹んだんだと思う。吹っ切って身軽になることだけがいつも最良なわけではないんだろうな、とか思ったりします。

* * *

そんなことをだらだら考えていた今日、うわー!と思ったのが、今読んでる「ヴィトゲンシュタイン入門」(入門したいんです)の中に引用されてた一文で、

歴史が私にどんな関係があろう。私の世界こそが、最初にして唯一の世界なのだ。私は、私が世界をどのように見たか、を報告したい。『草稿一九一四 - 一九一六』より

ヴィトゲンシュタイン入門』(p25)

これ言えるってすごいなぁ、と思って感動したのです。

並列に書くのもおこがましいんですけど、でも報告されたくない、と言われてもやっぱり、それを報告したい、という気持ちが私にもあるんですよね。…って全然意味合いは違うのかもしれないけど。という弱腰が日記のタイトルが疑問形になりやすい原因です。

michiakimichiaki 2006/03/06 01:08 >私は、私が世界をどのように見たか、を報告したい。
「遊覧日記」ってそういう意味だと思ってましたけど(笑)

ichinicsichinics 2006/03/06 01:21 それいいですね(笑)ほんとは単に好きな本からとった名前(遊覧日記)だったんですけど、そういう意味ということにしたいです。
「報告したい」という気持ちは明かなんですけど、たまには日和ることもある感じです。

kissheekisshee 2006/03/06 02:01 『ウィトゲンシュタイン入門』と言えば、永井均さんですか?
「私は、私が世界をどのように見たか、を報告したい。」という一節は、『論理哲学論考』の最後の一節「語りえぬものについては,沈黙せねばならない」ということにつながるのではないか、とふと思いました。同じことを、正反対の方向から言っているような気がします。
イチコさん、『論考』お読みになったんでしたっけ? お読みでないなら、やはり一度目を通されてみることをおすすめします。そして、読まれたら、野矢先生の『ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を読む』をぜひ。

ichinicsichinics 2006/03/06 02:24 kissheeさんこんばんは。そうです。永井均さんのです。
実は、ここのところ『倫理哲学論考』を読んでいて、一応『論考』の部分は読了したんですが(野矢茂樹さんの訳なので論考が先だったので)、私が言葉を知らなすぎるせいか、かなり歯がゆかったです。
何かいまいち見えない、イメージできない感じがして、言葉がシンプルなだけに誤解してそうな気がしたので(限界の向こう側はナンセンス、という冒頭の言葉からして、何か誤解しつつ読んでたと思います)、予習しようと思ってこれを買ったのです。でも、最初から日本語で書かれてるからか、すごく読みやすくて面白いです。ちょっとくやしいですけど(笑)
論考に再挑戦できたら、『ヴィトゲンシュタイン「倫理哲学論考」を読む』も読みたいです。ぜひ。

2006-03-05

[] 泥酔っておそろしい

昨日はともだちと映画を見にいって、飲んで、かえってきたはずなのですけど、なんか珍しく自分で自分が酔ってるなぁというのを感じておもしろかった。なんかいつのまにか日記更新してるの見てびびったけど(見苦しい一文見た方がいらしたらごめんなさい…)そんな凹むようなことはなかった、ような気がする。

IMAOIMAO 2006/03/05 15:55 結構面白かったりしたんですけど^^

kissheekisshee 2006/03/06 00:20 いつもとちょっと違うイチコさんの一面が垣間見られて、おもしろかったですよ。
たまにはああいうのもいいんじゃないでしょうか。

ichinicsichinics 2006/03/06 00:31 うわー! あー! やっぱりそうですよね…。朝起きて、そういや日記を書いた気がするけどあれは夢だったかしら、と思ってみたらほんとに書いてあってびびりました(笑)。いや、申し訳ないです。穴があったら入りたい気分です。でも、いたたまれない気分だったので、コメントしていただけて救われました。ありがとうございます。ほんとはずかしいです…(笑)

2006-03-04

[] ひなまつりマシュマロー!

同僚が持ってきてくれたちらし寿司をふるまわれてはじめて、今日がひなまつりだったということに気付いた。でもひなまつりってそもそも何だっけ、と思って考えてたらそういや主目的は厄よけだけどそういやうちのおひなさまはどこいったんだろう、そしてそれにともなう厄はどこへ…なんて考えつつ食べたちらし寿司は(その間の思考の辛気くささに反して)おいしくて、おかわりまでしてしまった。なんでも厄のせいにすりゃすむってものじゃないです。でも豆はまめまめしい、とか蓮は見通しが良い、とかそういう語呂あわせはわりと好きです。ふんいきだけ。

そんな感じでのんびりした後は、今日は何が何でも終わらせてやるぜ、と思っていた仕事があったので、かなりまじめに働いた。そして終わらせるつもりだったのが終わったので、いま現在とても気持ちが良いです。でもフロアに一人のときにいきなりブレーカーが落ちて(一部だけ)かなりびびった。PCが落ちなくて助かりました。データ飛んだら泣いてた。

ichinics2006-03-04

で、今日のすごい、は通販で頼んだマシュマロクリームなんですが、これ、マシュマロがクリーム状になってるんです。ココアに入れてもよし、パンに塗って食べてもよし。あの焼いたマシュマロが大好きなので、今日はパンに塗って食べてみたのですが焼いてる段階ではまるで焼きもちです(画像汚いけど…)。でもうまーい。あまーい。明日ココアかってこようと思う。冬が終わんないうちに。

マシュマロウマーとか言って部屋に戻ったらつけっぱなしだったストーブの前にマフラーが落ちてて、ちょっと焦げてた。猛烈に焦った。あぶないです。ごめんなさい。

[][] IKKI3月号

月刊誌ってどうも書くの忘れる…というわけでもう4月号でてますが。

フリージア松本次郎
ずっと面白い漫画だったけど、今視点の主となっているヒサエというキャラクターは、この漫画の雰囲気をかなり、がらっと変えたような気がする。久々に通して読みたくなった。
乙女ウィルス/鈴菌カリオ
メガネの子とギャルだった子のキャラクターが入れ替わっているのに食いしん坊キャラだけがおいてかれてるような気がする。そんなバランス気にする必要はないのかもしれないけど…30時間しかいられないってとこが面白かったので、ちょっともったいない。チャイナの下りはランチョン日記(沙村さんの)を思い出したな。
海獣の子供/五十嵐大介
水族館がやたら好きだった頃があって、いつかあんなふうに大きな水槽で泳いでみたい、と思ってた。まともに泳げないのに。
ブランコ/ウィスット・ポンニミット
良かった!ブランコ(ヒロイン)がとてもかわいい。そして回想シーンから「今」に戻るこの演出がドラマチックでよかった。連載なのね。楽しみ。でも次のページめくってオレオレ(三代目)でがっくし、とか思った。温度差ありすぎ。
ぼくらの/鬼頭莫宏
ついにジアースの形態が変化。この挙動の不自由さがよかったなぁ。もうちょっと引き絵で見たかった。
土星マンション/岩岡ヒサエ
いいです。暗雲もありなんだなこの漫画は。でも三話めにしてすでに空気があるのがすごい。ねがわくばパノラマ画でこの町を見てみたいなぁ。ツボです。地下の町。手を振られるコマにぐっときた。
金魚屋古書店芳崎せいむ
ひきつづきねこたま堂のおはなし。「孤独のグルメ」と「ハニーハニーのすてきな冒険」。
SWEEET/青山景
おもしろい!つか奈名ちゃんはアスカみたいだな。ススムはシンジみたいだし。いや、でもそういう漫画じゃないです。でもこっからが勝負な感じだ。かなり期待。
フライングガール/笠辺哲
ライオンが喋れるようになったらというおはなし。キラー・エルザ…過去形ヒドい(笑)
アングラ・ドール/古屋兎丸
π以来だったから、久々に古屋さんのこのタッチの絵をみたきがした。すごい。特にスノードーム(スノーじゃないけど)越しの絵がいい。お話も、これ別の絵で見たらこんな感触じゃないかもしれないけど、すごい生理的に受け付け辛いというか、見るのこわいかんじだった。
ライドバック/カサハラテツロー
「昔はなんでも共有できた仲だけど……今はりんが何を想ってるのか全然わからない」というところから、ラストまで、この上村さんの言葉と感情がまっすぐ繋がってるような気がして印象に残った。素直なひとってこういうひとかもしれないとかおもう。

[][] 体験する読書、のような

最近、保坂和志さんの「カンバセイション・ピース」を読んでいる。保坂さんの本を読むのは久しぶりなのだけど、でもこれを読んでしまえば、小説では読みのがしているのはほとんどないはずだから、保坂さんは最近あまり「小説」を書かれてはいないのかもしれない(この本だって2003年のものだ)。ともかく、それくらい久しぶりなんだけど、この世界/文章をとても懐かしいと思うと同時に、新鮮だと感じながら読んでいる。

前に集中的に保坂さんの作品を読みあさっていたときも、もちろんすごく面白いと思っていたし、繰り返し読んだ作品もあるのだけど、今では確実に自分の中での受け取り方が変わっている。この本のなかで「思っている」のがまるで「自分」のような気もしてしまうくらい、この私でない他者の視点、に重なるというのがすごく不思議な感触なんだ。例えば今日、

いまではもうチャーちゃんが死んだあの頃ほどの強さで悲しみが襲ってこないことが普通になっていて、私は悲しみから解放されたのではなくて取り残されたように感じるのだ。p155

という部分を読んで、いくつか思い出すことがあって、本を閉じていろいろ考えてみた。

悲しみ、とか悩みとかの渦中にいるときには、この辛さのようなものから抜け出したい、という気持ちも働いているのと同時に、この辛さをわすれてはいけない、とも思っている。特に、何かを失うということに伴う悲しみについては、それを覚えていることこそを大切にしがちだったりもするのだけれど、閉じられていた入り口が開くにつれ、新しいものが入り、混じり、それがなくなるのでもなく薄まっていく。

今の私が、前の私と明らかに別人であって、その思いを共有できないということは、その瞬間ごとの切断面に自分がいるからこそなのだけど、振り返ったときにその距離を見て、「取り残された」と感じることもあるのは、私が切断面だけでなくて、過去の私、に感情移入できるからなのかもしれない。

それと同時に「あの私」と繋がっている場所にいる私は、新しい何かを自分のなかに溶け込ませているからこそ、この本を読んで見えるものが、たぶん発売当時の2003年の私や、保坂さんの作品を読みあさっていた頃の私とは確実に違うのだ。

なんてことを考えるのが、まるでこの小説の語り手の思考と地続きにあるように感じられる瞬間がいくつもあって、面白い。

そんでまた本を開くと、ごく自然にそこに書かれていること、ではなくてそれを考えはじめている。

2006-03-03

[] わんわん

仕事終わって、さてPC消すかって前に、ちょっとだけワンワンワールド入ってみた。

家のマックだと、たぶん無理なので入ったことなかったんだけど、覗いてみたらなんかすごい。とりあえず外国行って、戻ってきて地図上でこれからの帰り道を犬で走ってみて、すれちがう犬とかもいたりしつつ(でもなにもできません)家までドラッグしてみて、さて、と会社の外に出てみたらなんかこう、不思議だった。

私はあの犬のいたここに立ってて、今ここに誰かの犬(しなもん?)もわんわんわんと(いや私に見えないだけなんだということはなんか理解してる)いるのかもしれないんだなぁとか思ったらなんかすげーとか思いました。

[] 属すことを否定/肯定するだけじゃない物語が読みたい

この前theピーズの「やっとハッピー」という曲の感想の中に

「出来るだけ無理してでも同じトコにいよう」と言うのは、とても勇気のいることだ。

と自分で書いておきながら、なんとなく見てないものがあるような気がしたのでもうちょっと。

前に共同体に生きるということは、例えば大きな盆に入った水のようなものをみんなで支えているイメージ、というようなことを書いて*1、そこから手を離すということは、覆水盆に返らずのようなものになりうる、から手を離してはいけないよというルールがある、とされているんではないかというようなことを書いた。

でも、だからこそ、その盆を持ちたくない(持てない、持つ自信ないを含む)、と考えてる人も、実は多いんじゃないかと思う。守るものがある、維持したいものがある、というのは人を弱くもするし強くもする。でも身軽は楽だ。執着しないですむのは楽だ。

でも、そこを推してでも、その盆の持ち手に加わる、という決意がそこに見えるからこそ、上記に引用した歌詞を勇気のあることだと書いたんだと思う。

で、たぶん私が感情移入できないと感じる物語の多くは、その盆を持つことに対する葛藤が描かれていないものなんじゃないかと思った。

でも、属すところが最初からない、もしくは必要としていない、ところから始まる物語は確実に増えて(もしくは発見されて)いて、かといってその行き着く先が「僕はここにいていいんだ!」(シンジ君)というだけじゃなくて、なんかこう、その葛藤こそを描いてる何かが読みたい。例えば(って挙げるのは乱暴かもしれないけど)スタージョン「輝く断片」のような。

* * *

私にとって、「終わらないのが怖い」という気分は結構前からあって、それは例えば、宗教の行き着くところとして用意されている概念に、何かしらの違和感があるということでもある。で、大きな勘違いを覚悟で書くと、あの「人類補完計画」とかARTIFACT@ハテナ系さんの「個と個として繋がりたいのではなく「みんな」になりたい世界」という記事を読んだときにも、その「終わらなさ」と同じようなものを感じた。私にとって盆を持つということは、結構その「終わらなさ」や「終わることへの抵抗感」に近い。(ここで挙げたような一体ってことと、個々の関係性の上にある共同体をごっちゃにできないとは思うけど)

でも逆にそういった「集団」に属することに対する盲目的な反発というものもやっぱりあって(それはバランスなのだと思うけど)、どちらかというと、統一されることに抵抗を感じることが多い気がするものの、だからといって単純に反発することには、もちろん、違和感がある。

そういった違和感をこえて、この盆を支える手に加わるという決意をすること、の物語が描かれている何か、漫画でも小説でもいいから、を読みたいなと今思ってるんだけど、自分でもピンときてないものを探すのって難しい。

はやくこい はやくこいよ/どこみてんだ ホラここだ

みんなして手を振ってた/まってくれてたってのに ひでえ

気がつかないまま/わざと逃げたのさ 逃げたのさ

びびってたよ しあわせだったよ

theピーズ「手おくれか」

こんな感じが一番近い、かも。

[] 「The Everglow」/mae

Everglow

Everglow

ジミー・イート・ワールドなんかと比較紹介されてたりして気になってたので、2ndアルバムをジャケ買いしてみた。

エモ、というよりはデラミトリ(DEL AMITRI)などを彷佛とさせるポップさがあるバンドだなぁという第一印象。それは「Mistakes We Knew We Were Making」あたりの声の重ね方とかのせいかもしれないけど。

正直な感想としては、なんかすごくギリギリでツボに入らない感じでした。惜しい…。たぶん私はシンセの音と、このギターの音が好きじゃないんだなぁ。各曲イントロでは「おっ」と思うだけに、なんか残念。あああキーボード入れないでーボーカルにエフェクター(コーラス部分だけとかね)かけないでーとか思ってしまうんだけど、それは完全に個人的な好みの問題。

人気出ると思います。

2006-03-02

[] Clap Your Hands Say Yeah

Clap Your Hands Say Yeah

Clap Your Hands Say Yeah

昨年の6月、完全インディペンデントでリリースされたアルバムが口コミとライブで全米ヒットチャートにのし上がる、という快挙を成し遂げた噂のバンド。をようやく聞きました。というかネットラジオで流れてるのを聞いて買おうと思ったったのですけど、あちこち(ネット)でジャケットを見かけてはいたものの、聞いてみるとちょっと意外な音に感じた。

そのジャケットのイメージや、いろんなレビューを見るにつけ、サイケデリックでローファイ、というイメージがなんとなく出来上がっていて、それは確かに、という感じだったのだけど、一聴して最初に思ったのは、R.E.Mみたいだなーということだった。(なんかソフトボーイズとかもこういう雰囲気があった気がするけど今手もとにないので自信なし)ちなみにその時聴いた曲は「Details Of The War」。

Clap Your Hands Say Yeahの楽曲自体は、とても良質で、綿密に構成された、わりと正統派ロック(そんなつまらない言い方したくないけど)に感じる。でも、そこに楽器のチョイスや耳に残るアレンジ、そしてこの一度聴いたら忘れられないボーカルが乗っかることによって、個性が生まれているんじゃないかな、と思う。

私の耳の中では、R.E.Mってわりと背骨のしっかりしたロックバンドというイメージなのだけど、そこからもうちょっといろいろ手を伸ばして、ポップもアヴァンギャルドもサイケデリックも全部消化して自分達のものにしようとしている、のがClap Your Hands Say Yeahの「今」な感じで、なのに随所に懐かしさもある。その懐かしさが彼等の背骨というか、音楽への態度なような気がしています。

個人的には#3「Over And Over Again (Lost And Found)」#9「Heavy Metal」#11「Gimmie Some Salt」あたりが好き。

ところで、#2の「Let The Cool Goddess Rust Away」はどうしてもRadioheadの「Stop Whispering」に聴こえてしまいます。だから懐かしいのか…?

[] SUMMER SONIC第二弾まで!

METALLICALINKIN PARKDAFT PUNK

MASSIVE ATTACKTHE FLAMING LIPSARCTIC MONKEYS

MY CHEMICAL ROMANCEAVENGED SEVENFOLD/THE KOOKS

STONE SOUR/LITTLE BARRIE/10YEARS/LADY SOVEREIGN

TWO GALLANTS/65DAYS OF STATIC/PLAN B

http://www.summersonic.com/index.html

サマソニは行くこと決めてるので(かろうじて皆勤だし)、今回も相変わらずよく知らないバンドがたくさんあるものの、THE FLAMING LIPSARCTIC MONKEYSMASSIVE ATTACKって時点でわりともう満足です。中でもリップス!!あの富士急サマソニ時の風船ライブにはほんと感動してしまって、それからリップスといえば遊園地のイメージ、になってしまいました。それからARCTIC MONKEYSも見てみたかったのでうれしい!マッシヴは単独行くほど思い入れはないのだけど、フェスなら見たいバンド(バンド?)だし。あとちらっとケミカルロマンスも見たいなー。

欲を言えば、あと3バンドくらいはお目当てが欲しいところです。何がくるかなぁー。わくわくだ。

[] 飛ぶ会話

ちょっと前まで残業中といえばフロアに一人で怖かったんですけど、近頃は同僚もおんなじようにグロッキー状態で残業をしており、そんな時の会話がすごくおかしい。

私たちの仕事は、なんというか、文章を読むのが中心なのですけど、何かを読みながら、人の話を聴く、というのはすごく難しいことであって、例えば「コーヒー飲む?」とか訊いてから、返事をするまでのタイムラグがどんどん長くなる。ああコーヒー、のみたい、ええと…(読んでいる)…「飲むの?」「ん?」。なんて具合にいつの間にか返事をするのを忘れてしまうのです。頭の中に「のみたい」という答えが浮かんでから、それが舌の動きに繋がるまでが長い。まるで傷だらけで飛びまくるレコードのようです。

かと思えば、今日は上司のおじさんが珍しく残業なさってたのですけど「ヘロー!はうあーゆー元気?」なんてアヴァンギャルドな電話のかけ方してるのはばっちり耳に入ってきていて、「筑紫(てつやと思われる)に会ったらぶん殴ってやりたい!うふふ!」なんて言ってらっしゃるのが聴こえてくると、どうもこう集中できなくなってしまいます。なんで?なんで筑紫を殴りたいの?と訊きたかったけど訊けなかった。でも明日になったら忘れてる。

[][] ブギーポップは笑わない

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

先日書いた妄想(id:ichinics:20060224:p2)はあれ読んだ妹に「生き恥さらしてんね」と言われるのも当然なくらい全然カスってもいなかったんですが、まあ、シリーズものだということで、なんとなく群像ものなんだろうなとは思っていたところはイメージに近かったと思います(負け惜しみ)。ただ、ブギーポップという存在そのものがちょっと予想外で、でもこれこの先に何か明らかになったりするのでしょうか? なんて訊きたくなるくらい、この1巻はまだ導入部、という雰囲気でした。希望としてはもっとこう、都市伝説的な広がりがあると楽しい。別の学校にもいる、とか。七不思議的ななにか。その辺はまた続きを楽しみにしとく。

それでこの前、ライトノベルというものが何だかわからない、みたいなことを書いたのですけど、これを読んでからいろいろ見てみたところ、どうやらジュブナイルとほぼ同意なんだなと思いました。その内容はともかく会話文と状況解説のような文章で進むところが、少し脚本のようにも感じられて、慣れるまでは戸惑ったけれど、読み進めればあっという間。

第一巻ではやっぱり最終話「ハートブレイカー」が面白かった。でもそれはその一つ前に「君と星空を」という伏線があるからこそなのかなとも思う。群像もののぐっとくるところは、こんな風に、一人の人物(この場合紙木城さん)がいろんな側面から描かれることで立体的になることかなと思います。

でも新刻敬はあんな見せ場がある役なのに、唯一イラストと文章の雰囲気が噛み合なかったような気がしないでもない。

だからぼくは夢の中で「あー、キライだったアイツとももうちょっと仲良くなりたかったな」とか教室のすみで考え続けてはいるのだ。今でも。p283

というあとがきのまとめが、この本の雰囲気をよくあらわしてるような気がする。

あ、あとジョジョと同じくプログレ周辺の言葉がちらほらある感じはわりと好みです。二巻へ続く。

kissheekisshee 2006/03/02 05:05 Clap Your Hands Say Yeah、Amazonでさっそく買ってみました。R.E.Mにいろいろな要素を加えた感じというのに惹かれて。
聴いたら、また感想書きますねー。

ichinicsichinics 2006/03/03 01:23 わ!うれしいです。自分のイメージが正確かどうかにはちょと自信ないんですが(笑)でも、とても良いバンドだと思ったので、興味もってもらえてよかったです。kissheeさんの感想楽しみにしてますね!

2006-03-01

 気が重かったんですけど

いろいろ考えたら別に問題なかった。自己解決。身軽だ。

[] フジロック出演アーティスト第一弾発表

Broken Social SceneFlogging MollyFranz Ferdinand

THE HIVESMOGWAI/North Mississippi All Stars

大江慎也Red Hot Chili Peppers /Scissor Sisters

http://59.106.12.188/fro05/modules/news/article.php?storyid=147

苗場になってからは一回も行けてないフジ。でもなぁ。いいなぁ。なにこれ。すごい見たいよ。どうしよ…。日程出たら考えることにしようかな。考えてどうにかなるかはわからないけど。

で、あー、ライブと言えば、今週末のマイス・パレード行きたいのに用事が入るか入らないかわからなくてこまってる。月曜のとれば良かった。

[] どこへも帰らない/theピーズ

去年の6月に「とどめをハデにくれ」を聴いてから、しばらくあのアルバムばかり聴いていて、ちょっと前に「赤羽39」聴いてからは、どっぷり39だったんですが、その間に聴いていた「どこへも帰らない」というアルバムは当初、何か耳に入りにくい感じがしてたんだけど、聞き直してみたらすごいよかった。

なんというか、弱音吐きつつ悪態ついて喧嘩売って負けて酒飲んで寝るみたいな(id:ichinics:20060125:p2)気分は私にも確実にあるわけですけど、それが出来ない自分もいて(長女気質)、それなのに、ちくしょう(それはもう畜生の意味とはかけ離れている。もちろん)、とか切実に言いたいときがあるわけです。で、「赤羽39」聴いた時には、もちろんすごい好きなアルバムになったものの「まだ私はここまで来れてない」って感じてたのに、先に行きたい気分はあって、今やっと「どこへも帰らない」に焦点があったような気がする。勝手に。そんでまた私はあーこれをリアルタイムで、今の私の時間で聴きたかったとか思うんだけど、でもそうやって遅れてくるものっていうのもやっぱあって、単純にこれ聴くとこまでやってきた巡り合わせを喜ぼうとりあえずという感じです。

どこへも帰らない

どこへも帰らない

以下長々と思いの丈。

「脳ミソ」

「脳ミソが邪魔だ/半分でじゅうぶん」という吹っ切れからアルバムは始まる。頭で考えるから行動できない、と思う時の、あの見えなさから、見えるもんがすべてでいいじゃん、ってとこに突き抜ける感じ。そう考えられたら軽いはず、っていうか、もうそれしかないという時の感じ。

「底なし」

イントロのギターが良い。脳ミソ半分で軽くなったはずが、飛んだ、と思ったら落ちて潜った底なしの歌。

おう、どうだい いい眺めだぜ 我ながらグウ

さんざんバカやって やっと手に入れたんだぜ

とんだ堕ちた潜った 思い知れ 受け入れるしかないぜ

この諦め吹っ切って「ちくしょう」って感じがすごく愛おしい。

「どこへも帰らない」

諦め身に纏いつつ未練も引きずって、でも、先のことなんてわかんないのがいいじゃん、とりあえず先に行くぜっていう強がる気分。「我に返ったらオシマイだ」ってのにどきっとする。でも「行ってらっしゃい」って置いてかれちゃう気分。ちくしょう。

「ザーメン」

ライブとかで見たら躊躇いもなく歌ってしまいそうですが、でも好きな曲。ロックンロール。「最低最高全部一緒」って、ちくしょうの後はそれだよな。でもこの吐き出す感じを実感として理解できないのが残念。

「とどめをハデにくれ」

もういいよ!好きにしてくれよ!と言いたい気分。どうせ俺はかませ犬ですが悪態はつくぜってかどうせやられんならサッサとやってくれと言いつつ勝手にリング外に飛び出る。

「負け犬」

飛び出たものの、リングにはやっぱ未練もある。「人んせいにできてりゃいいさ/プライドがなんだ/ねぇよそんなもの」という逆切れなんだけども、確かに人のせいにできてりゃ楽だ。じゃないって知ってるから自分を負け犬呼ばわりしちゃう。しっかり棒にふれ。負けるが勝ちとか言ってしまえ。

「ヘイ君に何をあげよー」

泣く。私が思う好意ってこういうことだなとか思った。

彼女を自由に飛ばしたい/そんで追い付きたい

はまってるヒマはねぇ/何をあげよー

何もしてやれないまま/ひとり暗くなっていく

焦ってダメになっていく/カラッポでボロんなってく

君に何をあげよー

「ゲット・バック・アブ」

ハッピーぶっていきなりしらけちゃうのはむしろ照れな感じですが、すごい楽しい曲。ライブとかだと盛り上がるんだろうなぁー。

「何も憶えてねー」

弱音吐きつつ悪態ついて喧嘩売って負けて酒飲んで寝た次の日の朝。でも最後ちゃんと謝るの。

「やっとハッピー」

泣く。幸せぶってしらけてみたけど、やっぱ格好つけてないで「ここにいたい」と思うかんじ。「カン違いでもいー」って言葉がいいなぁ。「調子ん乗っぞー」ってのもいい。「出来るだけ無理してでも同じトコにいよう」と言うのは、とても勇気のいることだ。

「何様ランド」

ものすごい名曲。すげー。大好きすぎる。

ヒトの気分はヒトの気分だ

使えないんだ つき合えないんだ

自分自身がアテになるんだ

夢の中で夢をみるんだ じゃますんなボケ!

このサビの部分がまたすごい良くて、この後に「逃げねーんだ/アテにするしかねーんだ」ってのが沁みる。弱音も吐ききって突き抜けた。

「ハニー」

さて女の子を口説こうかっていう歌なんだけども、ライブのラストみたいな軽快さが気持ち良い。

* * *

実際にこの曲とこの詩がどのようなところから書かれたのかは私には知ることができないのだけど、それでもなんていうか、ねじれた輪っかみたいに、表も裏も紙一重で、もしかして全部そうなんじゃないの、でも何かに決められたくねー、と言いたい気分の時に、とても勇気づけられるアルバムです。そこにあるものを「理解」は出来なくても、そこに自分の中のもやもやを写して、その輪郭を見ることは出来る。たとえそれが自慰行為でも、そこ越えると、もうちょっとよく見えるようになることもある。とても大事なアルバムになりました。

過去感想

「とどめをハデにくれ」id:ichinics:20050625:p1

「赤羽39」id:ichinics:20060128:p3

[][] ビッグコミックスピリッツ

fine
見下す男の背景がちょっと見えたとこで次号は三つ巴。この見下す男を否定するような方向にもってくのも厳しい気がするけどなぁ。どうなるんでしょうか。
バンビー〜ノ!
そりゃなくよな伴…の巻。
中退アフロ田中
ここは田中応援日記です。「これじゃあ”ユミちゃんとデート”ではなく”おっぱいとデート”になってるじゃないか!!!」「なんか今日の田中くん つまんなーい!!」「まあこの際、正直に言ってみるとだね、その…今までのオレはだね…女の子と会う時に…その……エロい事ばかり考えてたワケだ…」で、どうなる?と思うのだけど、どうもならないのよ…だって田中だもの…。もったいねぇ。
団地ともお
泣けた。熱い人はたまにうっとうしいけど、そこに正直さが加わるとなんつーかこう、あれだね。
テレキネシス
上司にも優しくなければヒーローじゃない。「シェーン」。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
ストーキング後、やっと対話。時既に遅し。