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2006-05-31

[][] ザ・ワールド・イズ・マイン新井英樹

ザ・ワールド・イズ・マイン 1 (ヤングサンデーコミックス)

ザ・ワールド・イズ・マイン 1 (ヤングサンデーコミックス)

新井英樹が描く「世界」の物語。

この作品は1997年から2001年にかけてヤングサンデーにて連載された。つまり20世紀から21世紀にかけて連載されたわけだけれど、20世紀においても21世紀においても、この『ザ・ワールド・イズ・マイン』と比肩しうる作品生まれないのではないかと思う。作品としての価値とかそういうことではない。単純に、比べるものがなく/その必要もないような気がするのだ。

なにしろ題材は「世界」だ。そして、そのあまりにも大きく、混沌とした題材を、新井英樹は描ききっている。私はこの作品を連載当時誌上で読んでいたのだけれど、今改めて読み返してみると、この作品が週刊連載されていた、ということに驚かされるし、その構成を見れば、連載当初から綿密なプロットが組まれていたことは明かであり、その演出力、的確な構成力にはただ圧倒される。そして新井英樹という漫画家を、恐いとも思う。

大げさに思えるかもしれない。私も、再読する前は、もう少し、コンパクトに作品を俯瞰できるのではないかと思っていた。しかし、そういうことではないのだ。そこに明確なメッセージのようなものを見ようと期待すること自体が、間違っているのだろう。

もちろん、ここには確かに「宮本から君へ」*1から続く新井英樹の「価値観」がある。それは怒りに基づき、多少屈折してもいるし、しつこい。そして、それこそが新井英樹作品の魅力でもある。しかしこの物語の中では、作者のそれと同じように、たくさんの登場人物、つまり価値観の持ち主が存在する。――その多様な価値観を一つの物語の中で平等に描くということ。それこそが、新井英樹の目指したところであり、この作品の特筆すべき点なのではないだろうか。

彼らは、それぞれの物語の主体であり、先の見えない断面に、同時に生きている。現実において「休憩」している登場人物がいないように、この作品では登場人物の全てが同時に動き続けている。

もちろん、それを「物語」として生かすのは、新井英樹という観察者の存在である。彼の操るカメラは、クローズアップもズームアウトも的確に明確にこなす。そこでは個人の物語も、世界の物語も、同じ地平の上にある。それは決して「コンパクト」に語れることなんかではないのだ。

しかし物語は彼らを描くためだけのものではない。彼らの命は、不可侵な/説明のつかない「力」によって等しく「価値のない」ものとして扱われる。

その状況を作り出し、描くことで、世界が社会の集まりで構成され、社会の集まりが人と人とのつながりによって構成され、そこにルールが、あるいは宗教が生まれ、つまりそれらは人を「縛る」ものであったということを再認識させる。そうやって価値観を崩壊させ、その先に何を見るのかを問いかける。

もしこの物語にテーマのようなものがあるとしたら、そういうことなんじゃないかと思う。

もし私が、この物語の中にいたとしたら、間違いなく町中で声もなく殺される一市民だろう。もしくはただの傍観者かもしれない。

しかし、この物語を読む間くらいは、数ある登場人物の中の誰かに、自分を投影したくなる。せっかく読み返したので、何回かに分けて、何人かの登場人物それぞれについて書いてみようかと思う。(続き→http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20010101/p1

[] 風邪と漫画

風邪ひいたみたいで、一日中微熱。たぶん雨の野音ライブの影響が今さらきたのだと思う。

 *

ところで、『ザ・ワールド・イズ・マイン』は集めようと思いたってから既に半年くらい経っていて、先日やっと揃ったところなのだけど、もしかするとこれ、絶版なのかもしれない。『宮本から君へ』にしろ、これにしろ、手に入りにくいのはなんで? と思う。『あまなつ』も復刊してくれないかなぁ。『愛しのアイリーン』は比較的手に入りやすいけども。シュガーもそろそろ集めとこうかな(心配性)。

ともかく。コミックスで『ザ・ワールド・イズ・マイン』を読んだのは初めてだったのですけど、もう、すごい面白かったです。連載当時も「すごい」とか言ってた気がしますが、全然だ。なんか勘違いしていた。

気分は移ろうだけだ!

ってまりあも言ってたように、人の価値観なんて変わっていくものなんだと思うけど、自分の中で、あの頃思っていたことと、今思うこととの隔たりにはちょっとびっくりする。もちろん、状況が変わったっていうのが大きいんだけど、一番大きいのは、この漫画で描かれていることに、興味があるってことだと思う。

 *

そういえば、ちょっと前飲んでたときに話にでてから、気になってる言葉に「セカイ系」というのがあって、それからいろいろ見てはいるんだけども、いまいちどういう意味なのかがわからない。ニュアンスはなんとなくわかるんだけど、例文が多様すぎる。『ザ・ワールド・イズ・マイン』はセカイ系なんだろうか?

toukatouka 2006/06/01 17:43 リアルタイムで読んでいた時に最も印象深かったのは、警察署襲撃の冒頭、ロケット砲をぶっ放したときに画面が切り替わって夜の住宅地からさまざまな歓声が沸き起こるシーンでした。
その頃はインターネットもなにもなくて(やってなくて)、9.11もまだ起こってなくて、外ヅラだけは深刻そーなフリして、そしてそれがうわべだけのものだと本人自身が気づいていない馬鹿ヤローどもの本性を、初めて日の光の下に引きずり出してくれた、と戦慄しました

ichinicsichinics 2006/06/02 02:29 toukaさん、こんばんは。22話の冒頭ですね。あの場面は本当に、新井英樹ならではの、強烈な場面だなと思います。日常にありふれている場面だからこそ、ぞっとするというか。
以前、新井英樹がインタビューで、描く原動力は「怒り」と答えているのを読んだのですが、「ザ・ワールド・イズ・マイン」には、その怒りが満ち満ちているのを感じて、それを目の当たりにするたびに自分が恥ずかしくなったりもするのですが、だからこそ、新井英樹の漫画が好きです。

2006-05-30

[] 第59回カンヌ国際映画祭

パルムドールはケン・ローチの手に!

今年のカンヌ映画祭は、イギリスの社会派ケン・ローチの『THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY』の、パルムドール(最高賞)受賞で幕を閉じた。 本作は、1920年代アイルランドの独立戦争を背景に、運命に引き裂かれた家族の悲劇を描いた力作だ。監督のケン・ローチは8回目のコンペ出品で、初めてのパルム・ドール受賞の快挙となった。

http://movie.goo.ne.jp/special/cannes/result.html

おー! ケン・ローチの受賞はうれしいかも。とうとう、という感じですね。

ここ何年かでドキュメンタリー周辺(ドキュメンタリー/ドキュメンタリー出身の監督/ドキュメンタリータッチの作品)らにスポットが当たるようになったと感じるし、それはカンヌでも『エレファント』以降の流れに現れてる。そんな中で今回はケン・ローチの作風/取り上げる題材がうまくはまったのかもしれないな、とか思いました。かなり大雑把ですが。

この流れでもっと国内外のドキュメンタリー映画にもスポットが当たってくれれば個人的には嬉しい。

しかも監督賞は『バベル』(監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)なんですね。『アモーレス・ペロス』はかなり好きな作品で、しかも今回は役所広司ブラッド・ピットが競演(どっちも好きだけど役所広司がとくに大好き)っていうだけで、もうすごい楽しみにしています。ストーリー情報とか全然知らないのだけど。

コンペティション作品リストでほかに気になったのをいくつか

『SUMMER PALACE』(監督:ロウ・イエ)
監督に興味がある。
『RED ROAD』(監督:アンドレア・アーノルド)
制作にラース・フォン・トリアーが参加。審査員特別賞受賞作。ストーリー概要読んだら面白そうだった。
『EL LABERINTO DEL FAUMO』(監督:ギレルモ・デル・トロ)
ミミック』の監督。おとぎ話が題材のSFっていうだけでそそられる。でも恐い映画な気もするけど。

ナンニ・モレッティ、アキ・カウリスマキの新作は公開されたら見にいくつもり。ペドロ・アルモドヴァルはもしかして苦手なのかもって最近思いはじめたけどペネロペさんがかわいいので見たいなぁ。ソフィア・コッポラの映画も苦手なんだけど『マリー・アントワネット』は予告がすごいかわいかったので見たい。

[][][] コーラス7月号/ビッグコミックスピリッツ2006 26号

コーラス

ハチミツとクローバー
ああ・・・なんかもう、ついていけないかもしれない。それは私がはじめっからはぐちゃんをヒロインとしてみてなかった(いや、ある意味ヒロインなのだけど、女性としてみていなかった)からなんだと思いますって前回も書いた気がするけど、あああ。
たまちゃんハウス
落語家一門シリーズ。芸人として活躍する白春の回。いい話。逢坂みえこさんはこういう人情ものがうまいなぁーって思います。
星乃谷荘にようこそ
…なんだろこの読後感。内容が、ないような。
涙の理由
榎本ナリコさん新シリーズ。こういう、泣かない、気の強い、女の子の話に弱いです。
悪いのは誰
最終回。面白かった。なんというのか、「悪意」は誰の中にでもあって、でもそれぞれに形が違うんだよというお話だったような気がする。こんな話だとは思わなかった。単行本出たらもう一回読もうかと思う。
スパイラル ホリディ
谷川史子さん読み切り。結婚式の一日の、それぞれのドタバタで、恩田陸さんの「ドミノ」をもうちょっとコンパクトにしたみたいな感じ、といえそうです。いい話。なんかちょっと泣けた。

スピリッツ

バンビ〜ノ!
予想どうりの展開ですが、むしろ見せ場はこのベタな展開をどんな台詞で引っくり返すかだよね。期待してます伴の巻。『ディナーラッシュ』見たことないけど見たくなった。こんなかんじかなぁ?
中退アフロ田中
飲み会に遅れて参加すると、そういうことになりがちだよね。あんまり酔わないタイプなのでなんとなくわかるわ、と思った。しかし猫の話題は…?
CAとお呼びっ!
あーもしかして、これドラマ化用に用意された展開なのかしら。今までのストーリーは1話読み切りだったけど、前回から登場した操縦士(たぶん沢村さんがこの役なのではないかと)の人とバトルの末に恋が・・・というドラマ?
闇金ウシジマくん
瑞樹と杏奈が深夜のファミレスでお話。なんかウラがあるのかと思ってたけど、そっちからかー!と思った。
ボイーズ・オン・ザ・ラン
やっとだよ…やっとボクシング少女が登場したよ…。

さくらん映画化

ところで今さらですけど安野モヨコ「さくらん」蜷川実花監督で映画化されるんですね(写真がたくさん → http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/geinou/200604/graph/01/)。主演は土屋アンナさん。蜷川さんていうと、前にどこかのサイトで短編映画公開してたの見たけど…どっちかっていうとイメージビデオな雰囲気だったなぁ。長編ははじめてなのかな。脚本はタナダユキさん。PFF出身の監督さんですね。

[] 世界はひろいらしい

ちかごろへん、へんだなーと思っても、だからといってどうしようもないのでへんなまんまなんだけど、なんかへん。

思い当たるふしはいくつかあって、うちの一つは、例えば、ピアノにはそこそこ自信があるって思ってた人が、しばらく弾かないでいたら指がなまってることに気付いてしまった、という感じで、別に、それを拠り所にしてたわけじゃないんだけど、というのは言い訳で、実際ちょこっとは拠り所にしていたので正直焦っている。それがなくなったら、私のとりえなんてなんもないんだということはわかってるのでむしろ泣きたい。そもそもとりえといえるほどのレベルですらなかったのに。でも、その勘を取り戻すには、すごい練習しなきゃいけない(ピアノの例でいえば)ということも分かってるし、でもピアノは好きなのでやりたいんだけど、気持ちに余裕がない。そして余裕がないせいにしているだけでしょ? というのがわかりきっているので嫌だ。

でもそれはどうにかする。ピアノはちゃんと好きだし、やめるつもりもないから、だいじょうぶ。(と自分に言い聞かせるのをなんでわざわざネットにあげてるんだじぶん、と思いますけど、それはいつも思ってるのでこれからはできるだけ略そうと思います)

でもこういうのって世界の広さにこわくなる、というのとおんなじ構造の気持ちで、それは同時に視界が狭くなっているということでもあり、世界の広さによって勇気づけられるものでもあるんだろうな。なんだそのきれいごと。でも、世界を構成するほとんどのことは表裏一体なのですと思う。そんなこと口に出して言ったことないけど、きっと世界には口に出されたことのないたくさんの気持ちがあるんだろう。

私はそういうの、なんにも知らないんだな。

2006-05-29

[] 65daysofstatic/One Time for All Time

One Time for All Time

One Time for All Time

UKシェフィールド出身の4人組バンド65Daysofstaticの2ndアルバム。

bounce.comで連載されてる「podcast向井」の目隠しCDプレイでこれ取り上げられて興味をもって購入。なんかもう、私の情報仕入れ能力はすっかり錆び付いているような気がします。アンテナに登録させてもらってるサイトさんでもきっとレビューされていただろうに、そういうひっかかりを見つける目が衰えているような気がする。

なんて悔しくなってしまうくらい、きた。すごく格好良い。MOGWAIの延長線上と表現するのが一番イメージに近いのだけど、そこから抜けて、次に行こうとする力強さを感じる。ライナーを書かれているタワーレコードの方の言葉にあるように、『MOGWAI×APHEX TWINじゃない、MOGWAIAPHEX TWINを初めて聴いたときのあの衝撃、ここから何かが始まるというあのワクワク感』という心境がびったりです。サマソニ来るんだって! どうしよ…。

音の美しさ、時に泥臭さもかいま見せる疾走、その濁りを振払う轟音、それらの形作るドラマ。その饒舌さは、何度かアルバムを繰り返し聞いた後にやっと、そこにヴォーカルがないことに気付くくらいだった。なんだか格闘技みたいだと思う。視線が俯瞰から、地におりてくる感じ。ヘッドフォンを被って、音に身を浸したい時のための音楽。

  • #1:ピアノの高音から始まり、遠くなり、混沌に落ちてく感じ
  • #3:ブレイクが気持ち良い。
  • #5:前半のピアノと、後半の下腹にくる低音が良い
  • #7:少し印象が変わる。バンドの懐の深さを感じさせる楽曲。ギターの音が丸い。
  • #8:変拍子、緩急が格好良い。

と、全体的にかなり気に入ったアルバムでした。強いていえば、ギターの音触にもう少し幅が欲しい。今のところはポストロック系列の音におさまっていて、それもいいのだけど、このバンドならもう少し外れても格好良い音になりそうで期待。

[][] 指定型バトン/Thom Yorke

id:kissheeさんにいただきました。お題を指定する形のバトン。こんなのもあるんですね。『 』に当てはめるみたいですね。

そしていただいたお題は『トム・ヨーク』。なんか照れますね(なんでだ)

というわけで、回答してみたのですが、なんかただ単にトムについてだらだら語る、になってしまいました。

最近思う『トム・ヨーク

ソロアルバム出すなんてどういう風の吹き回し?

でしょうか。こちら→(id:ichinics:20060518:p1

この『トム・ヨーク』には感動!!!!

初めて行ったRadioheadのライブで、新宿リキッドで、整理番号なしだったからすごく早く行って、階段で待っていて、スタッフの人がリクエスト聞きにきて、私はその時一番好きだった「When I'm like this」(タイトル表記が違うこともある)をリクエストして、そして、ライブの終盤で「special request」と言って演奏してくれた時のトム、およびリクエストにそれを選んでくれたメンバー全て。

直感的『トム・ヨーク

Radioheadの魅力の大きな部分を占めているのは、その楽曲よりも、トムの声だ、と私は思う。しかしそれは、トムだけがカリスマであるというという意味ではなく、Radioheadの楽曲、演奏、アレンジ、と同じようにあの声もまた、音を形作る重要な要素であるという意味だ。ライブで見ると、その身体から歌が放たれているかのように感じる。そして、その声をもっとも生かす場所が、あのバンドなんじゃないかなって。

その辺りの気持ちについては前にも少し書いたので参考までに→(id:ichinics:20050928:p1

好きな『トム・ヨーク

その声と同じくらい、私はトムの顔、というかあの表情がとても好きです。特に好きな顔、として思い描くのは、2005年のサマソニで、マリンスタジアムで、アンコールで、「CREEP」をやってくれた時の、歌が終わったあとの、トムの照れくさそうな顔。

こんな『トム・ヨーク』は嫌だ!

楽曲のジャンルで言うなら、トムの声でメタル、とかトムの声でユーロビート、とか、トムの声でボサノヴァ、とか、想像できないけど聞いてみたいです。有機的なヴォーカルも無機的なのも、もうすでにやっているし、どちらも良いと思うし。

嫌だ、と思うのは、なんだろうな。強いて言えばインギ様みたいになったら嫌かな(笑

ちなみにインギ様についてはこちらを→(http://www.st.rim.or.jp/~r17953/impre/Other/Ing.html)何度熟読しても最高に面白く、愛に溢れたインギ様レビューです。でもこれはイングヴェイ・マルムスティーンだからこそ。

この世に『トム・ヨーク』がなかったら…

Radioeheadの音楽に出会えて、そしてその頃から10年以上経った今でも彼等が活動を続けていてくれることには、1ファンとして感謝したい気持ちです。ほんと、世の中には長続きしないバンドも多いし。長続きすればいいってもんじゃないのかもしれないけど、やっぱ好きなバンドには続いて欲しいです。

次に回す5人(『指定』つきで)

聞いてみたかったことを聞けるチャンスだ! と思ったのですけど、なんか恥ずかしいので(なんででしょう)やめておきます。あ、でももし拾ってくれる方がいたらお題考えるのでぜひ(ってそんな)。

[][] 「ヨロンヨロン」束芋展

tranquilityさんの日記(http://d.hatena.ne.jp/./tranquility/20060528#1148797184)で束芋展があることを知りました。

わーい。原美術館で6月3日より、です。もうすぐだ!

新作「ギニョラマ」は日没後のみご鑑賞いただけます。

原美術館HPより(http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html

なんだその気になる文句は! と思いました。楽しみ。

[] 君は僕を好きかい

昨日書いた、theピーズライブの感想を、今朝読み返したらちょっと気恥ずかしくなったので追記してみる。

昨日は、なんていうのかな。私の中が、その音が好きだっていうことだけで満たされた感じを書きたかった。うまくできなくて、結局「楽しい」とか「好き」とか、そういう簡単な言葉に頼ってしまって、もどかしくなるんだけど。

でもそれが、自分の中にある、持て余してもいる、厄介な気持ちにすごく近いところにあるっていうのは、きっとピーズの音楽を好きな人なら、わかってくれるんじゃないかなと思う。ダメはダメなんだけど、そのダメを肯定するわけでもなくて、なんて言えばいいんだろう。受け入れる、とか、赦す、って言っていいのかな。あーもう、言葉はめんどくさい。

結局、聞きたいことなんて「君は僕を好きかい」って、それだけなのかもしんなくて、そしたら「好きだよ」って言いたい。

それじゃあ自慰行為みたいだけどさ、でも、ダメでも最悪でもしょうもなくても否定されても、好きは好きだよなって。善悪とか良い悪いとか、関係ないとこにある単純な好きとか大切さを、思い出せるから好きなんだ。そしてそれが欲しくて押しつぶされちゃう感じも。

slowriderslowrider 2006/05/29 20:09 65daysofstaticとトム・ヨークに思わず反応してしまいました。サマソニ、行って参ります。65daysofstaticはしっかり見る予定です。
あと、2005年サマソニのトム・ヨーク、あのとんでもなく素晴らしい「CREEP」のあと最後の最後で「コンバンハー」と言ったのが何とも素敵だと個人的に思ってます。ソロアルバム、想像つかないんですけど楽しみですね。

ichinicsichinics 2006/05/30 00:51 コメントありがとうございます。サマソニ、いいですよね…。私もいく気満々だったのですけど、今年に限って周囲がみんなサマソニはパスしてて(混んでるから嫌だそうです。それもわかるんですけどね)、今かなり悩んでるところです…。うーん、でも行きたい。
2005年のサマソニは、すばらしかったですね。今まで見たライブの中でもかなり特別なものになってます。中でもやっぱり、『CREEP』には鳥肌がたちました。ソロアルバムも、楽しみです。

2006-05-28

[] theピーズ日比谷野外音楽堂

曇天。朝からぱらついていた小雨は、夕方少しだけ止んだけれど、私が日比谷についた頃にはまた降りはじめていた。降るというよりは、霧に吹き付けられている感じ。

でもそんなことはどうだっていいよね。去年も日比谷は雨だったらしいけど、でも今日の私は絶対に楽しい。だって初めてのtheピーズライブだもの。

17:30開演、theピーズ入場。はるくんは踊っている。うわああ、と思う。そしてしょっぱなから「とどめをハデにくれ」だ。〈ダメだもうダメだ 思いきり深くダメ 始めるぜ 終わらすぜ わけわかんねーまま散るぜ〉ぶわっと鳥肌がたつ感じ。今までずうっと一人で聞いてた音が、今ここに放たれてるってことに感動してしまって、ちょっと泣きそうになる。雨合羽で耳塞ぐなんてもったいないので、早々にびしょぬれを覚悟する。雨が気持ちいい位だよ。そして「シニタイヤツハシネ」で我慢できなくなって、ビールも買いに行く。ああ、楽しいなぁって頭の中で何回も言った。

MCも楽しい。なんかちょっとよく分かんないことでも、とにかく楽しそうでこっちも楽しくなる。「神様とかさ、もういないみたいだけどさ、いたとしてもいらねーよ、おれたちもうじゅうぶんしあわせだからさ」*1っていうMCが、らしいなぁっていうのと、ライブの雰囲気を象徴していたような気がした。

鼻歌めいたMCも、ちょっと触れた時のベースの音も、ああこういうもので、theピーズは構成されてるんだなぁというのが垣間見えて、嬉しい。そしてなんと、来年で20周年だそうです。ほんとに、やっと出会えて、良かった。

「線香花火大会」あたりでビール二本目。買いにいく間も踊ってるくらい、なにかもうちょっと振り切れているのは雨のせいもあるかもしれない。曲は次々に演奏される。「体にやさしいパンク」の後に「君は僕を好きかい」をやったり、心地よい緩急をつけながら、ほぼ三分台で作られてる曲たちが入れ替わり立ち代わり、ライブならではの疾走感で演奏される。でも決して走らない。安定した演奏だなと思った。頼りになるエンジンて感じ。そして「好きなコはできた」でノックアウトだよもう。かっこいい!!

終盤は楽しみにしてた曲がめじろ押し。「ノロマが走っていく」「脳ミソ」そして「サマー記念日」。あの曲の、開けていく感じは何度聞いてもすくわれる気がする。

アンコールも2回。「底なし」とか「何様ランド」とか、そのまんま、どっか行けそうな心強さだ。〈ここが世界だオラの世界だ 勝手な世界で夢を見るんだ〉ありがとう。大好きだ。ピーズがいて良かったなぁ!

行けて良かった。ほんとうに! 楽しかった。 雨は降り続けていたけど、このまま終わらなけりゃいいのにと思ってしまうくらい楽しんだ。

ichinics2006-05-28

そしてライブが終わって、飲みに行って、帰宅。正直、ちょっと酔っぱらってたので(ライブ中にビールおかわりするなんてフェス以外でははじめてだ)、どの曲をやったか、というのはだいたい覚えてるんだけど*2、順番とかの記憶がほとんどないです。でもあのはるくんの張りのある、でも息づかいがちょっぴりこもる感じが優しい声と、ステップと、体に沿った感じのするベースと、アビさんの渋いMCと(ラモーンズのね)色んな音がでる(エフェクター云々とかじゃなくて)ギターの開けてく感じと、シンイチロウさんのタイトだけどゴージャスなドラムとあの裸体(上半身だけどね)と、は、ちょっと忘れられそうにない。

でも忘れてもいいんだ。また次がある。たぶん、ぜったい。

というわけで、これから会場で購入したDVD見ます。

〈とりあえず今日も死んでねー〉です。

追記

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060529/p4

[] へこみ

聞けば嫌な気持ちになったりとか、悲しくなったりとか、さみしくなったりとか、することがわかってるなら、見なきゃいいし聞かなきゃいいよね、と思って、そう思っているうちにだんだん「噂話」的なもの(噂話一般ではなく)を避けるようになったのだけど、それを避けているということは、つまり私は「噂話」を聞くと気持ちがざわざわする、のだろう。例えば、○○は今◇◇だよ、とか、そういうこと。知らなければ知らないで、困ることなんてないのに。

でも時折、それを訊ねられることもある。その話はあんまりしたくないなぁ、と、私はいえてしまうのだけど、それじゃあまるで、なんだか過剰に、気にしているみたいじゃないか。でも気にしてるわけじゃないからね、と言えば、代わりの何かを訊ねられる。だから、それについてはとっておきたいのです、という場合には、じゃあまあ気にしているということにしておくのだけど、結局避けてるのは自分が気にしてるから、なのかもしれない。

そして最近は、自分もやっぱり「知らなきゃへこまないですむようなこと」を知りたいと思ってしまうんだなぁ、と思う。認める。知りたいことがある。その引力の具合はよくわからないけど、へこむのわかってて、近付いてるんだからあほだと思う。

でも、その凹みを克服する/知っても凹まなくなる、の二択以外があるんなら知りたい。なんて欲張りか。もう、跡形もなく、あっさりしたい。

*1:記憶で書いてるので、だいたいこんな感じ、です。

*2:とりあえず先日の楽しみリストからは(id:ichinics:20060526:p1)6曲やってた。

2006-05-27

[] あんしんなぼくらはたびにでようぜ

ichinics2006-05-27

近所に咲いている薔薇。薔薇の花を見ると、反射で「ばらの花」が流れる。

「ばらの花」は大好きな曲で、あのイントロを聴くと今でも気持ちがさぁーっとするんだけど、でもそこにある風景は、いまはもう遠いような気もする。

夜は友人とごはん。少々飲み過ぎる。何を話しているかわからない感じ。そして、手を振って、別れるときに、なんとなくスイッチが切れる。なんだろうな、これ。そして、このスイッチ切れた状態の時に話ができたら、私は何を喋るんだろうな、なんて考えながら、すこしうたた寝する。駅に着いたら、もう次の日だった。

[] モザイクの象

ちょっと前に見た夢。私の視点は第三者で観客。

 ◇

舞台は外国。主人公は女子高生? ビルの中に入っている飲食店で働いている。元同級生の男の子に、好かれている。でも断り続けているらしい。女子高生は、なんというか結構きつい性格なんだけど、素直になれないだけ、だったりする。そんでその元同級生が、心優しい男の子、という、よくある設定といえば、そうかも。

でもまあいろいろあって(何があったのかは夢らしく省略された)二人はつきあいはじめる。元同級生は女子高生が働く飲食店と同じフロアにある紳士服店で働いている。周囲の人に茶化されたりしつつ、平穏な日々が続く。

そんなある日、そのビルで事件が起きる。

主人公が、いつものように店から顔をだして周囲を伺い、紳士服売り場に彼の姿が見えないことに気付く。そして彼の同僚に声をかける。「あれ? どこ行ったのかな」なんて会話を交わして、二人は何の気なしに非常口へと向かう。その時、向かいのビルから、何かが落ちる。人影だ。ビルの足下には様々な色のモザイクで形作られたゾウが寝そべっている。しかしその人影が落ちて、それがかき消え、モザイクは人だかりだったことがわかる。ひどくあつい。そこはタイだ。

主人公は、自分の背後にカメラ(VTRカメラ)があることに気付き、これは何かの撮影だ、と了解するのだけど、でもそれはやはり事故なのだった。

そしてその人影は彼であることを彼女は知っている。

なんかのドラマの断片みたいな内容だけど、その非常口から見下ろしたモザイクの象、およびそれがかき消える様子がすばらしくきれいだった。非常口は白いモルタルの床で、そのふちは膝くらいの高さに囲われているだけで柵はない。左斜め下にあるビルの屋上には緑が溢れている。右斜め前のビルは、視界を塞いでいる。

[] 『ひぐらしのなく頃に

「暇潰し編」終了、ということで、この1話〜4話までを『ひぐらしのなく頃に』と称するのであってるのかよくわからないんですが、ともかく前編は終了。レナのお勧めもあったことだし、「目明し編」をはじめる前に、いろいろ考えてみようかなと思っています。

ともかく、面白かった!

はじめたばかりの1月には「テンションに着いて行けない」なんて書いてたのも今は昔。もはや部活参加したい、とか思う。

エンドロール見て、ミニゲームで惨敗して、スタッフルームも見て、そこでの話が半分以上わからなくて、そもそも私は同人ゲームをやるのも初めてで(たぶん)、きっとこれを制作された07th Expansionおよび原作の竜騎士07さんには、こんな私みたいな末端ゲーム好きにまで届いちゃう、なんてのは予想外のことだったのかもしれないなぁ、なんて思ったりもしましたが。

届いて良かったです。そしてほんとははやく『目明し編』はじめたい。

ほんと、貸してくれてありがとう!! という気持ちです。やりたいと思ってたときは、どうやったらできるゲームなのかもわかってなかったので、身近に持ってる人がいたことが奇跡的だったなぁ。でもどこまで借りたんでしょうか? そして今まだ完結はしていない? 間に合う? でも世の中の、リアルタイムでやりつづけてる人たちは、終わっちゃうのはさみしいなぁ、という気持ちだったりするんでしょうか今。さっぱりわかってなくてごめんなさい。

【以下だらだらと雑感】

続きを読む

2006-05-26

[] ライブに向けて

今週末、theピーズのライブ@日々谷野外音楽堂に行きます。

ピーズのライブは初めてなので、どんな雰囲気なのか全然わからないし、どのへんの曲が演奏されるのか全く予想がつかないのですけど、予想できないついでに、i-podで聴きたい曲ベストフォルダ作ったりしてそればかり聴いている。楽しみすぎる。天気予報だと雨らしいけどいいよべつに。

お気に入りはこのへん。

「ノロマが走っていく」「サマー記念日」「底なし」「手おくれか」「シニタイヤツハシネ」「ゲット・バック・アブ」「Hey君に何をあげよー」「じゃますんなボケ(何様ランド)」「ハトポッポ」「実験4号」

まあ全部すきといえばそうなんだけど、アルバム単位では「どこへも帰らない」に好きな曲が多いみたい。でも、相変わらず毎日繰り返してしまうのが「どっかにいこー」だったりして。

あーもう きみとしみじみする奴なんか どこにもいないのさ

ずっと待ってんだ 結構前から 好きなんだ 二人で どっかにいこー

「どっかにいこー」

ここだけじゃなくて、歌詞ぜんぶ書きたいくらい。どっかにいこー、といいながらうずくまりたくなる。そんな歌。そしてたぶん、いまはそういう気分なんだと思う。ずっと待ってんだー。なにを? なにかを、だけど。なんて。

あとライブ会場でDVD売るみたいだ。というのをサイトで見た。欲しい。上記の好きな曲からも5曲収録されてる!

[] ですます/脱落

昨日久々に「ですます」調で文を書こうとしてみたら、すごく難しく感じたので、今日も練習してみようと思います。昨日の文章については、あんまりにも気持ち悪いので、結局ちょっとづついじってしまい、もう原型はとどめてないのですが「もう私はですます文章が書けないのだろうか」などと考えはじめたらこわくなったのでやはり練習します。

しかし結局、それは場所の問題なのでしょう。

もう475日も日記書いてるくせに、私は未だにここではどんな文体(文体?)で書けば良いのかわからなくなるときがあって、だいたい、独り言っぽいときは話し言葉、ほんのりお勧めしてみたり、とかしてるときは「ですます」、まじめに考えてるときは「だ、である(&話し言葉)」という具合に使い分けてるつもりだったのですが、どうやら、しっかり話し言葉の癖がついてしまっていたようです。まあ、それで別に問題はないのですけど。

なんて具合で書いてると、なんかやっぱり居心地が悪いので話し言葉に戻す。今日は久々に高校時代からの友人たちに会い、誕生日プレゼントを渡したり、いろいろと話をしたりした。楽しかった。少し心強く思った。ビールも飲んだ。夏になったら、沖縄にいこうねーという話をしたけど、どうなることやら。

そして本を読んでいる。本を開かない日なんてほとんどないのだけど、のめり込んで読んでいるときは、生活の中心に読書があるような気がする。今読んでいるものと、平行して、久々に村上春樹を読み返してもいる。平行読書のコツ、というか、物語をごっちゃにしないために私が心掛けていることといえば、読む場所を分けることで、外で読むもの、と、部屋で読むもの、という具合に分けておくと、案外平行してる感じがしなかったりもするのだけど、ということはつまり、実は二冊しか平行できていないということで、二冊に集中している間は読みかけの数冊がほったらかしになっているのだなぁということに気付いた。常に手いっぱい。

そして唐突に「プライス・コレクション」見たい! です。

チケット当たらなくてももちろん行きます。

これ(http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05-06.html)も行きたいんだけど、なかなかタイミングがない。来週行こうかな。

[] スクリーンと真っ黒の目

知ってるひとと知ってるけど知らないひとがたくさんでてくる妙にリアルでこわい夢。

 ◇

実際には行きたいけど行けずに終わった映像イベントに行く夢。M-NとK-Mと一緒に行く。コンクリ打ちっぱなし系の会場で正面にスクリーン。椅子が並んでいて、私たちはスクリーンに向かって左側に、前後になって座る。後ろには私1人。上映スケジュールを見ると、結構な長丁場で、まあのんびり、出入りしながら見る雰囲気のようだ(この辺から、野外音楽イベントとごっちゃになってきている)

場内が暗くなり、最初のプログラムが始まる。白いTシャツで声の張りがいい人が挨拶をする。あーあの人がAさんかぁ、意外と恰幅が良いのね、と思う。

M-Nが飲み物を買っている間にK-Mが隣にきて、少し喋る。喋っていたら、怒り出す。ずっと*******だって言ったろ? いつか********はずだろ? と言われる。そんなこと言ってないし、そんなわけがないのに、その目が、瞳孔全開の真っ暗さで恐ろしくなる。(この辺ひぐらしの影響だと思う)

M-Nが戻ってきてくれてほっとしたところで、映像が見難いから、と言って席を移動する。スクリーンにはビルが移っている。

休憩時間に明るくなった場内を見ると、見知った顔がちらほらあった。すぐ後ろの席にはSさんとDがいて、久しぶり、と話をする。なんでこのイベントに? と思う二人だったのだけど、プログラムの最後の方に出品する人の友達だという話を聞いて納得する。そんな話をしながらも、私はずっとK-Mの視線を意識している。その目は見えなくても、暗いのがわかってこわい。再び場内が暗くなり、今度はアニメーション部門。コロッセオが破壊されていく映像。風刺画のようなタッチだ。

M-NのMとK-Mが話をしている隙に、M-NのNにだけ声をかけ、先に帰ることにする。見たかったプログラムはまだ始まってもいなかったのに。それから、もしかしたらM-Aに会えるかもしれなかったのになぁ、と思ってかなしくなる。外はまだ明るい。ビルの表面に太陽が映りこんでいる。

 ◇

夢に現れることが、自分が考えてることなんだとしたら、いやな夢だ。それ以外は楽しかったけど。

2006-05-25

[] 素敵な伊勢丹

新宿伊勢丹がすきです。何が良いってあの百貨店な感じがいいです。歴史あるぜっていうそこはかとないプライドと謙虚さが同居している感じの建物もいい。

今日は帰り道に友達の誕生日プレゼントを買いに寄ったんだけど、もう閉店間際だし、雷鳴ってるしでお客さんほとんどいないのにも関わらず、まず、誰も嫌な顔しないのがうれしいなぁと思った。

買うものは決めてたんだけど、ラッピングしてもらってる間に終業のお知らせが流れる。あわてて出口に向かったら外は相変わらずすごい雨。やっぱり地下道からかえろう、と思って出口に立っていた方(なんだろ、フロアチーフさんとかなのかな)に「地下道への出口ってまだ開いてますか?」と訪ねたら、すごく丁寧に説明して下さって、表情は完璧に優しげで、これにも感動してしまった。

しかも地下道に向かうまでには、どのお店の人もみんなありがとうございましたって言ってくれるの、ちょっと照れくさいけど、自分も長年小売店で働いていたからか、「いらっしゃいませ」とか「ありがとうございます」とか、そういう言葉がとてもなじみ深く、心地よく感じる。

まあ、私は決して愛想の良い店員ではなかったと思うけど(レコード屋で愛想良くというのもどうしたらいいのかというのは言い訳ですが)、それでも今でも「いらっしゃいませ」とか、言いたいなぁーって思う。そうやって、見ず知らずの人に話しかけることができるって、ちょっとすごいことなんだよなぁ、と、そこを離れてやっと気付いた。コミュニケーションとりたいとか、そういう欲求とはまた違って、なんていうのか、ちょっと語弊があるかもだけど、親切心(のようなもの)を振りまいても、相手に気を使わせないでいられるというか。「仕事ですから…」というのが自分としては楽で居心地が良いのかな。まあ、これはきっと自意識の問題なんだと思うけど。

で、もちろん小売店の楽しさってのはそれだけじゃなくって、そういうのを思い返すたびに、やっぱり店で働きたい…なんて思っているのですが(とくに最近は)、それはともかく。今日は久々に「ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事」*1を読み返したりしています。影響されすぎです。

ところで、地下道へ向う途中に、工事中のブロックがあって、そこにかけてあったのが画像の写真(閉店間際に写真とるなという話ですけど)。何年の写真だったか見るの忘れちゃったんですけど、これが実写(実写?)ってのがすごいよなぁと思った。なにこの近未来! と若干興奮しつつ、やっぱ伊勢丹最強だよなーなんて思いながら帰宅しました。

f:id:ichinics:20060525013448j:image

何度見てもすてき写真だ…!

[] アイドル

誰しも青年期に独自の「神」(アイドル)を持つ。ニーチェの場合ショーペンハウアーワーグナーがそれであった。『ニーチェ入門』p28

誰しも、というからには私にもアイドルというか神はいたはずなんだろうけど、その感覚がよくわからない。ここら辺が、最近ちょっとずれてるのかなぁ、と思うとこでもあったりして、少しひっかかってる。前にもちょっと書いた*2けど、例えば、私がある「小説」をすばらしい、すごい、出会えて良かった、一字一句記憶したい、と思うことがあったとしても、それと作者を同一線上に感じるということはあんまりない。だから、すごい嫌いな人が描いた絵をすばらしい、これこそまさに私が求めていたものだと思うこともあるだろうと思うし、好きな人が書いてるものがつまんなくてもその人を見損なうわけじゃない。

まあ、往々にして好きなものは好きな人によって生み出されている確率が高いんだろうとは思うし、それを確認できる範囲では高確率だし、「作者」を感じさせる作品を作者と同一にとらえることを自分に許してる気もするけど、それを「神」と言い表すなんてちょっとただごとではない。

好きになるというのは良いとこも悪いとこも好きに凌駕されるということで、全肯定したいくらい好きな存在ってのは私にもあるけれど、でもそれは「神」とは違うし、ここでいわれている「神」とも違うだろう。もしくは啓示といえるようなひらめきというか、受け取る体験のことかもしれないけど、それも、別にアイドルからもたらされるもの、というわけでもなく、むしろ不意に道ばたで出くわしたりするものなんじゃないかなって思う。

でもこれは、それを知っている人には、お前はなにもわかってない、と言われるようなことなのかもしれない。ちょっとくやしい。

*1:高野文子

*2id:ichinics:20060207:p3

2006-05-24

[][] 『陽気なギャングの日常と襲撃』/伊坂幸太郎

陽気なギャングの日常と襲撃 (ノン・ノベル)

陽気なギャングの日常と襲撃 (ノン・ノベル)

陽気なギャングが地球を回す』の続編。

物語は成瀬、響野、雪子、久遠のそれぞれを中心とした「日常」からはじまり、「襲撃」へと移行する形になっている。あとがきを読むと

今回の続編は当初、四人の銀行強盗を中心に、毎回主人公を変え、短編の作品を書いてみよう、ということではじまり、全部で八つほど『小説NON』に掲載する予定でした。

ただ、四つほど掲載していただいたあたりで不意に、単純に八つの短編を並べることに疑問を抱きはじめてしまいました。

というわけで少々、我儘を言わせていただいて、最初の四つの短編については、独立した短編ではなく、長編の第一章として組み込み、第二章以降は(略)書き下ろさせていただきました。

とあるので、当初はこの物語の中心となっている事件は想定されていなかったのかもしれなくて、それなのにきちんと、伏線が消化されている(若干気になるとこもあるものの)のが、さすがだなぁ、と思った。

とはいえ、このシリーズで楽しむべきなのは、主人公四人のやりとりのほうだと私は感じていて、そのトリックを読み解くことよりも、むしろひっかかってしまうことのほうが、楽しかったりする。

ここしばらく「魔王」「砂漠」「終末のフール」と伊坂さんの作品については追いかけ続けてたから感じるのかもしれないけれど、たぶん、このシリーズでは意図的に文体がかえられているのだと思う。ほかのもそうかもだけど、特にこのシリーズは各ページの「 」の多さを見れば一目瞭然で、そうして会話を中心にすえ、平文は極力状況描写に当てられていることから、それはまるで映画のシナリオのようにも見えなくはないんだけども、各台詞を取り違える、ということが全くなく読めるというとこ、これ大事と思った。キャラクターが確立されている感じで、それは映画を見た後でも左右されるとこがなかったりする。

面白かったです。でも第一巻から読まないともったいないです。

[][] 世の中が不得意

竹田青嗣さんの『ニーチェ入門』を読んでいます。とても読みやすい本で、あっという間に一章読み終えてしまったんだけど、若干混乱するとこがあるので、雑感的なものを勢いでメモ。

まず、永井均さんの『これがニーチェだ』と比べると(なぜ比べるのかは昨日の日記に)、「哲学」というものの捉え方からして違う、という気がする。あーそうか、といろいろ納得するところも多くあるんだけど、その腑に落ちる感覚は竹田さんの言葉にではないように感じるしニーチェの言葉にでもない。つまり、教科書的な文章だなぁ、と、とりあえずこの本については感じる。例えば教科書を読むときに、それを誰が書いたのかを気にしないでいた頃のような。

そして、第一章までで語られているのは主に「世界」についての話だ。世の中でそれがどう受け取られ、変遷していったか。うん、ちょっと言い過ぎかもしれないけど、そういう印象を受ける。そして、私はたぶん、その「世界」についての話が苦手というか、それにあまり興味を持てないのかもしれない、と思った。興味が持てない、というと強すぎるかもしれないけど、私は多分「世界(世の中)」というものを俯瞰するのが苦手なのだと思う。つまり、それを見るときは内側からの視点になってしまう。だからその視点に興味がもてない、ということであって、それは決してこの本を気に入らないということではないし、内容に興味が持てないということともちがう。

ただ、それは私のいる世界の話ではないのだ。歴史に興味がないと言うこととも違う。これまでに語られてきた歴史の中に、語られていない存在があるはずだということのほうに興味がいってしまう。そういうのは近視眼的というのだろうか。どうか。

例えば私が好む映画というのは、そのほとんどの物語が個人の物語であったりする。人々が、全体で、どう動いた、ということを理解しようとするとき、どうしてもそこにある個々人の事情、及び属さなかった人のほうに目がいってしまうことと、似ているかもしれない。

さらに例えば、野球観戦をしているとする。自分の好きなチームを応援しているとき、同じチームのファン同士が味方に思えたりする。楽しい。ライブでもいいや。とにかく集団で喜んだり悔しがったりするのは楽しい。しかしその好き方は統一されたものではなくて、個人がそれを好きになり、たまたま集合となっただけの話だ。

それを歴史として集合で語る視点に対する違和感みたいなものは、なんなんだろうなと思う。言葉を知らなさすぎることへの言い訳かもしれない。そしてこの違和感を私は初めて発見(確認)したので、この本を読んで良かったなぁと思っている。

これらは全て「ニーチェ入門」とは関係のない話だ。たぶん。

[] ビッグコミックスピリッツ 2006/25号

闇金ウシジマくん
巻頭カラー。今回は瑞希も杏奈も登場せずに、闇金業者の世界をクローズアップ。
電波の城
ますます天宮の得体の知れなさに拍車が。
the 3名様
シュヴァスマン・ヴァハマン彗星の話が。あれ5/25って話だったんですね。日にち確認してなかったな。そうか。そう考えると終末のフールはなんだかとてもタイムリーなお話だったのだな。
CAとお呼びっ!
運命の出会い? の巻。ドラマ化のキャスティングは観月ありささん、香里奈さん、西田尚美さんがメインキャストのようです。
Quojuz
うん、すももはかわいい。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
男の人になりたいなぁ、とそんな単純なことはいいたくないけど、思った。シンプルなものを、例えば肉体的な強さとかを、信じたいなぁ、と思うことがある。そんな感じ。
ハクバノ王子サマ
タカコサマーー! 今日のは名場面だよ。ときめくよ、私がコータローなら好きになる。が、打ったのは恋心ですか。そうなんですかもしかして。せつなー。
美味しんぼ
初めて料理対決(?)とかの判断基準を理解できたきがした。
中退アフロ田中
田中が好きです。この自分に正直なところが大好きです。捨て猫に向かって「この際、正直に言おう。/育てるのが、めんどうくさいのだよ!!! キミを育てるにあたってのさまざまな苦労、気づかいを考えると…とても!!! めんどうくさそうなのだよ!! まあ…キミに言ってもわかるまい…/なぜならキミは、まだおさないからね。」これが誠実さというものではないですか。ちがいますかそうですか。

[] かかさずみてます

毎週火曜日深夜を楽しみにしています。こんばんは。なにが楽しみって火曜はホスト部の日だからで、毎回かかさず見てしかもようつべさんで各話5回くらいづつ見返しているほどのはまりようなんですけども、感想なんて「おもしろかったー」しかかけてなかったので自粛しようと思ったりもしましたが今日もやっぱりおもしろかったのです。なんでなんでしょう。この面白さを解明したい。メタなネタがベタに王道になったみたいな感じ。いやいや。そんなんじゃなくて、なんてのかなぁ。みんな好きだわ。部の面々からお客さんできている女の子までみんな好きで、それはなんかちょっとと思うけどまあいい。コメディというのは悪役や敵を必要としないものなのかもしれない。いやそれも違うな。ともかく、今日は海に行く回だったのですけど、猫沢先輩のエピソードがなくなってたので、あーアニメ化は全ての話じゃないのかもしれないというのを初めて感じてちょっとさみしくなったりしました。

なんてホスト部でうかれてたら、全然脈絡もなく『宇宙船サジタリウス』がすきだったことを思い出したのでメモ。そういやレンタル店とかでも見かけないんだけど…。

2006-05-23

[] ラベルとしての言葉とそこに満たされてるもの

言葉について考えている。

まず、言葉はラベルに過ぎない、ということを忘れないように。文法については保留。文体はリズム。でもここではまず、ラベルとしての「言葉」について。

言葉はラベルに過ぎない。でもそのラベルを貼った瓶の中に、何が満たされているかは、ひとつひとつの世界で異なっている。これ、も、今これを読んだ誰かの頭の中で発された「これ」も、異なっている。

だから、あれとこれとがイコールだとか、正しい正しくないとか、そんなところには意味がない。「意味」だってない。意味は見つけるかどうかだ。

例えば音楽や絵から受けとる「何か」があるように、言葉からもそれを受け取れるはずなんだ。文章でも同じ。むしろ、それが何かの説明書などの「役割」を持った文書でない限り、私が文章というラベルから受け取りたいのはその「何か」のほうだ。たとえそこに「フィクション」とか「ネタ」などという説明書きがなくたって、そこに内包されている「何か」を受け取ることを躊躇する理由なんてない。

そう考えていても、ラベルと中身を間違えることはある。しょっちゅうある。

例えば誰かの言葉によって、自分の信仰するものの根幹が揺るがされたと感じたとする。自分の誇りを傷つけられたことにたいして、怒っている「私」は、その信仰の根拠を証明しようとするかもしれない。でもその行動が何を明らかにするだろう? だって、その信じるという気持ちを支えるものは、「私」自身でしかない。それなら、それを証明することで明らかになるのは、また別のものなんじゃないだろうか。

その感覚を説明するのは、難しい。

でも、その難しさが目の前にあるからこそ、私は、例えば誰かの言葉を読んで、それをその人の意図した通りに受け取るなんていうことはできないと思っているし、ましてやラベルとして、使う/読むなんてことは、前提に過ぎない。すべては、そこに満たされている何かが、私の受け取った「何か」とは異なっているというところではじまる。

そして、その何かと「何か」が触れあっているかもしれない、と思えること。さらにそれらを可能な限り近付けたくなるくらいの「何か」に私は興味がある。そしていつか、その「何か」を重ねることが出来ればいいなと、ほとんどそれだけを夢見ている。重ねる、という言葉は違うかもしれない。それを言い表す言葉はまだ私の中にはない。真っ白なラベルと、からっぽの瓶があるだけだ。それをいつか満たしたい。そういうことだと思う。そしてその色を、味を、音を探している。

だから、私にとって、本を読んだり音楽を聞いたり映画をみたりするのは、そのときまでに自分の様々なラベルの奥にいろんな要素を含ませておきたいということでもあるんだと思う。だって「何か」を見つけたときに、気付けないと困る。そして、言葉の新しい使い方を教えてくれるような本は、例えばこういうことだと思う。

あと、もう一つぼくが強く感じたのは、ニーチェの本を読むと言うことは、「そのときの自分の本質を読むようなもの」だと言うこと。ニーチェの本は、本というより、何かの装置なんだ。

http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/./fromdusktildawn/20060519/1148035055

『これがニーチェだ』の感想をあさってて見つけた記事だったのですが(michiakiさん経由でもあり)いい言葉だなぁ、と思いました。でもなんかつい先日までいろいろ書いてたので、ああああ、という気分もあるんですけど、ともかく早速おすすめされてた竹田青嗣さんの『ニーチェ入門』を買ってきました。そんで読みはじめたけど…という先はいつかまた。

そしてラベルの話に戻る。この文はきっと、ある人にとってはあまりにも稚拙で、ある人にとっては全くからっぽな文章なんだろうなと思って書いてる。でもいつか、空っぽ、もしくは、色付きの文章を書きたいなと思う。

だから、私はもっと、うまく言葉を選び、使えるようになりたい。

[][] 陽気なギャングが地球を回す

ichinics2006-05-23

監督:前田哲 原作:伊坂幸太郎

楽しみにしてた映画化。

キャスティングが良かったです。この映画化について書いたとき(id:ichinics:20050915:p2)は、成瀬のイメージ違うなぁと思っていたんですが、見てみると違和感はなかった。成瀬については、響野と元同級生という設定含めもろもろないことになってるみたいだし、あくまでも映画の成瀬ということでしっくりきました。

ただ、やっぱり原作が好きなので、映画で省略されてる部分が結構気になった。原作での伏線はかなり分断されていて、ミステリとしては別物の作品になっていたと思う。

それと、全体的に、何か、すごく「惜しい」感じがただよう映画でした。

決してつまらない訳じゃないんですけど、なんとなくテンポが悪い。そして、リアルなんだかリアルじゃなくしたいのかよく分からないCGとかカーアクションとか70年代テイストとか笑わせたいのかたくないのか設定なのか誤解なのか、全てがなんか曖昧。

そんなもやもやとともに微笑しつつ首を傾げる場面は多々あったものの、きちんと持ち上げてくれるのが佐藤浩市さん扮する響野だったと思います。さすが。

久遠君も良かったな。ただ「柴犬」とかで見分ける設定は残して欲しかった。

第二巻も読んだのでその感想は明日にでも。

IMAOIMAO 2006/06/18 21:31 今更何ですが、この映画のDVDの特典のお仕事させて頂きました^^
非常にマニアックな内容ですが・・・・

ichinicsichinics 2006/06/19 03:04 そうだったのですかー。なんかあんまり褒めてなくてあれなのですが(笑)DVDも見てみようと思いました。ところで、DVDのお仕事って、もう映画を作ってるときからはじまってるんですね(当たり前?)

IMAOIMAO 2006/06/19 03:40 あ、別に無理せんで見ないでも良いです^^
そうなんですよ、最近はもう映画完成した時点からDVDの作業に
入っているのが多いみたいですね。要するに興行はDVDのプロモーションという意味合いが強いのでしょうね。
僕はもう仕事で何回もこの映画観たのですが・・・・

ichinicsichinics 2006/06/20 01:02 いえいえ、非常にマニアック、といわれると興味をそそられます。もともと原作は大好きですし。
でもソフト化前提の作品が多いということは、やっぱりDVD売れてるんですね。わたしがCD屋だった頃も、DVDの棚は日々拡張してましたが、いまだ上り調子ということなのかもしれませんね。基本的には映画館派なので、映画館の入場料が安くなってもっと深夜までやってくれればいいのになぁと思うのですが、今はもう自宅で見る人のが多いのでしょうか。

IMAOIMAO 2006/06/20 01:59 DVDが売れるのはやはり値段のせいもあると思います。
まあ、裏を返せば映像業界の著作権がクリエーターにない、という
証拠でもあるのですが。つまり音楽業界などはクリエーター(作詞、作曲、演奏等)に著作権がちゃんと確立していますが、映像業界では映画でさえ、監督と脚本家くらいしか著作権料が入ってこない訳です。だからDVDは安く出来る。
でもやはり映画は出来れば映画館で観たいです。日本は作る側はかなり努力していると思いますが、興行の努力があまり見れない気がしています。世界中見渡してもこんなに映画の料金が高い国もないので。
すんません、グチになっちゃいました^^

2006-05-22

[][] アンジェラ

監督:リュック・ベッソン

出先で手持ち無沙汰になり、ふらっと見にいった「アンジェラ」。リュック・ベッソン監督の新作(待望の、6年ぶりのetc)ということなんですが、そういえば私、ベッソン監督の映画とはあんまり相性が良くないんだよなぁということを見始めてから思い出す。すみません。

今日はネタばれです。

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[] ひぐらし祟殺し編終了

こわかったーー! 

昨日は「心の平安」とか書いたけどやっぱこわかった。

でもやっぱりこれまでで一番感情移入してやったことには変わりなく、でも結局誰に感情移入してたんだかよくわかんなくなってしまった。こわかった……。

とにかく、3つのシナリオ終えてやっと、いろいろと推理できる材料が揃ったような気がして、面白くなってきた(はまった)。こわいの苦手なのに。

とりあえず暇潰し編までやったらいろいろ考えてみて(何をかはわからないけども)、そんで解をはじめようかな? と思ってます。

ほかの人の感想も見たいけど、それは解が終わってからのが良いんだろうか…。

michiakimichiaki 2006/05/23 02:12 「心の平安」とか見て、その後を楽しみにしてました(趣味悪)。
沙都子かわいいですよねぇ。コミックス版も祟殺し編だけはお薦めします。

ichinicsichinics 2006/05/23 02:45 いやほんと「平安」はないよ学習しようよと思いました。けどやっぱ沙都子はかわいいですねぇ。だからこそ「にーにー」とかいわれるとちょっと切なくなったりもしつつ(感情移入しすぎ)。
ちょうどコミックスどうしようか迷ってたんです。感謝。早速読みます。

2006-05-21

[] 思考停止文章ってなに? その2

先日書いた「思考停止文章ってなに?」という文に、米光さん(id:yonさん)からレスをいただきました。感謝。

これはもともと「がんばれ思考停止ちゃん!」「がんばれ思考停止ちゃん2」という文章を読んで(「がんばれ思考停止ちゃん3」もですが主にこの2エントリ)を読みながら書いた文章でした。

そしてわりと古い(一年半前)のエントリだったこともあり、もともと米光さんが何を読んでこれを書かれたのか、の「何を」の部分にあたるリンク先は消えていて参照てきず(なんとなく察するくらいで)、私の文章は主に以下の箇所に関する違和感になってしまっていた。

2.“と思うのだが”“ではないか”を多用する。

ろくに考えずに書くので、根拠も自信もないのが文末からにじみでてしまっちゃう。

http://blog.excite.co.jp/yone/1368848/

「と思う」や「ではないか」は、ろくに考えてないことの現れというよりも、保留の現れではないのかな? というのが主に私が考えていたことだった。もしくは「個人的意見ですよ」のエクスキューズか。

でもコメントいただいたことで、かなり見え方が変わった。

根拠を重ねて、最後に「と思う」と自分の考えを述べるのならいいけど、「と思う」「ではないか」で言ったことを前提に考えを積み上げて、推論に推論を重ねて結論を投げつけるような文章は、どうよ、ってことです。多用して積み上げるのが問題。

あぁ、そうか、

「と思う」「ではないか」で述べたことを根拠として論を進めるとトンデモになる、って書けば、もっと適切だったかもしれません。

http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060511/p3#c

なるほど、そのとおりだ、と思った。

でも、例えば(あくまで例えばですが)「この事件の原因は犯人のゲーム脳ではないか?」という発言の思考停止は「ゲーム脳」という前提を疑ってないことにあり、「ではないか」を多用することではないんじゃないの? ということを、コメントで返しました。

でもこれも、私の思考停止だったのですよね。

思考停止しているから、それが言葉になって現れている。だから、その多用された言葉を禁止して書くと思考するきっかけになる、と考えます。

(上記リンクと同じ日付けにいただいたコメント)

これが二回目にいただいたコメントです。

わーなるほど! と思いました。つまり前提を疑うという作業を怠ることが、思考停止に繋がる。例えば「ではないか?」という箇所が一つの文章の中に複数回でてくるとする。でも、それが推論である、ということを、自らが忘れてはいませんか? という問い返しがきちんと行われているのかどうか。そしてその推論が「いまのところ」成り立っている根拠となっている「それ」、についても、疑う余地はあるはずだ。もちろん、それを言い出したらキリがないし、「疑う余地が完全になくなる」ことなんて、ないんじゃないかなぁ、というのが私の思いでもあるわけなんですが、ともかく。

自分の「思考停止」を発見するきっかけ作りとして、「ではないか」を疑ってみる、例えば「〜と思う」から「なんで私はそう思うんだろう…」へ、「〜ではないか」から「でも、ほんとに?」へ、って感じに問い返しを行うというのは、確かに効果的だと思います。

特に、個人的な思いを書き綴る場ではない場合(公的な文章など、信憑性が求められる文章や、誰かを傷つける可能性のある文章の場合)に、それはとても重要なことだと思う。

今回の文章についても、私はきっと「これはきっと特定の文章に対する反論なんだろうなぁ」という前提のもとに「書かれた文章」についての文章であることを疑ってなかったんだと思う。でも、それを「書く時の自戒、思考停止発見の用法」(って最初からちゃんと書いてあったんですよね。ごめんなさい)としてきちんと読み直すことで、自分の思考停止にも気付くことができた気がします。

昔のエントリだし、レスをいただけるなんて思ってなかったので、考えを先にすすめる切欠をいただけて嬉しかったです。「これがうぇぶにーてんぜろか!」とか思いました。そしてここの「思いました」には「うぇぶにーてんぜろとか、わかるまで調べるのがめんどくさいなぁ…」という思考停止があるのです。そもそも1.0がなんなのかもわからないのですけど。

[][] IKKI 6月号

月館の殺人
最終回。あー最初のフリはここにつながったのか、と思った。単行本で読んだらまた印象が違いそう。
金魚屋古書店
「らんま1/2」を読んでその結論にいたるのか…と思った。子供の頃すきでした。
土星マンション
この漫画はどの回も背景がすばらしく好みなのだけど、今回でてくる仁さんの「知り合い」の部屋も良かった。いいなぁ。
あいらぶ日和/アキタコウ
第16回イキマン受賞者デビュー作、とのこと。受賞作を覚えてないんだけど、掲載されたっけ? どことなく入江喜和さんの作風を思い出したりした。往復書簡の回答がちょっと難解(ボケなのだと思うけど)なのが残念。2月3日の味ってどういうことだ…?
乙女ウィルス
最初は面白かったと思うんだけど、どんどん話についていけなくなってる。今回は、学校ものなのだけど、子供たちの側、教師の側、どちらにラインがあるのか見えない。オチが教師の方になってるなら、冒頭も教師の「今日から赴任」場面などで始まった方がわかりやすかったのではないかと。あの神社の話は面白かったのになぁ。
SWWEEET
最終回。面白かったです。コミックスでそろったら読み直そう。
雪は舞い…/武嶌波
第19回イキマン受賞作。面白かった。家族もの、ともいえるし、家族ができるまで、ともいえるし、しかし決して押し付けるのではなくて、主人公の思考が円のようにぐるりと閉じ、次の扉を開く感じ、にいいなぁ、と思いました。これからにも期待。ただ、右向きの顔を描くのが苦手なのだなぁというのは伝わってきて、それは仕方ないとおもうけど冒頭に出てくるのはもったいないと思った。ラスト2ページはすばらしい。
ブランコ
「小説家」の回。イカロス…とか思いましたが、ちょっと泣いてしまった。やわらかい絵柄だからこその迫力。
period
第三部完。四部再開は冬かららしい。

[] ひぐらし祟殺し編

鬼隠し編」をはじめてからもう半年近く経ってしまいましたが、まだやっています。やっている、というか読んでいるのですけど、やっている気分になれるのが面白いとこでもあり。

「鬼隠し」は、あのコントラストがひたすら恐かった。「綿流し」でちょっと印象がかわって、「祟殺し」については、これまでで一番感情移入してやってるような気がする。というか、とにかく沙都子がかわいい。好き。野菜炒めありがとう…! とか言いたい。あーもう!

まあ、これからどうなるのかはわからないけど(現在「綿流し」の前日)、いまのところはこれまでのシナリオと確実に違う方向への展開になりそうってだけで心の平安だったりします。

最初は絵柄に戸惑ったけど、もうすっかりなれてしまったなぁ。部活シーンも、なんていうのか、こう、目を細めてみてる感じです。

2006-05-20

[][] ナイロビの蜂

監督:フェルナンド・メイレレス

ichinics2006-05-20

シティ・オブ・ゴッド』を見てすごい、と思ってからずっと待っていたフェルナンド・メイレレス監督の新作。これは、すごい。原作者であるジョン・ル・カレの作品はひとつも読んだことがないのですけど、この作品と監督を結び付けた人はすごいと思う。

世界の手に負えないくらいの広さを感じて背筋がぞっとするような気持ちと、もっとここで見ていたいという気持ちがないまぜになる。

主人公は英国外務省一等書記官のジャスティン(レイフ・ファインズ)。物語は、彼の妻が旅先で亡くなったという知らせを受けるところからはじまる。植物を愛する、穏やかで控えめな男性だったジャスティンは妻の死の真相解明に乗り出す……というあらすじはまるでミステリなのだけれど、この物語の主題は「謎」にあるのではないと思う。ナイロビの風景、ジャスティンそしてその妻テッサの人生。それらの要素が複雑に、しかし明確な物語の筋に絡み合って、言葉だけでなく、映像でも繋がっていくことで、ひとつの映画としてすばらしいものになっている。

例えばサンディの表情、「二日後に」と念を押すような台詞、それらのちょっとした違和感、ひっかかりに全て意味がある。特にあの冒頭のショットはすばらしかった。静と動のコントラストが残像のように焼き付くメイレレス監督ならではのカメラワークが、この脚本を「ラブロマンスもの」とか「サスペンスもの」などというジャンルから解放していたように感じた。

この原作と関連があるのかは分からないけど、主題はグレッグ・イーガン『祈りの海』*1に集録されていた「イェユーカ」にとてもよく似ている。設定は違うけど、あれ、これ読んだことあった、と思うくらい似ていた。「知らないでいる」ことよりも、知ることを選ぶ。知ることは、最終的には、とてもシンプルな核のようなものにたどり着くための作業なのかもしれない。

それからまた伊坂幸太郎さんの『砂漠』*2に登場する西嶋の台詞を思い返していた。

「目の前で、子供が泣いてるとしますよね。銃で誰かに撃たれそうだとしますよね。その時に、正義とは何だろう、とか考えててどうするんですか? 助けちゃえばいいんですよ」p205

それは「自分のために」だ。

レイフ・ファインズさんについて

好きな俳優さんなのですけど、特にこの役柄はとても良かったです。テッサに告白(?)されて、照れて誤魔化したりお礼言ったりするところがたまらなかったです。テッサ役のレイチェル・ワイズさんもすばらしかった。たくましく凛々しく美しくチャーミング。ジャスティンが彼女を好きになるのはとてもよく分かる、と思った。

が、しかしあのポスターがよくない、というか内容とあってない気がする。

[] おめでとうございます

第十九回三島由紀夫賞古川日出男さんが受賞

http://book.shinchosha.co.jp/mishimasho/

嬉しいニュース。仲俣暁生さん(solarさん)のところで知りました。

受賞作は『LOVE』。今まさに読んでいる最中なのです。この前のトークショウで購入して、サインしてもらった。大事にする。

*1:『祈りの海』感想 → id:ichinics:20060322:p1

*2:『砂漠』感想 → id:ichinics:20060107:p1

2006-05-19

[][][] 『これがニーチェだ』を読む/その5

これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

私が嘘と呼ぶのは、見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることである。p162/『反キリスト』五五

第五章の感想の最後に、この文章を引用した。そしてその境地に立つとはどういうことだろう? と想像してみると、それは以前書いた「考えることのイメージ」でイメージしていたことに近い風景だった。

でもいつか、その亀裂の暗く覆われている部分が全部照らし出されるときがくるんだろうか、と想像すると、それは立体が解体されて平面になっちゃうようなことなのかもしれない、という漠然としたこわさもあって(id:ichinics:20060311:p3

この文章を、私は最初「想像すると、それは死に似ている」と書いていた。でもそれはなんかネガティブすぎるような気がして、書き直したんだった。しかし、おこがましくも、先に引用した「見まいとすること」を嘘ととらえているニーチェの文章を読んでいると、その嘘を自らに禁じたために、それが平面になっていくような恐さがあった。

しかし第六章の序文にはこうある。

私はまだ生きている。私はまだ考える。私はなお生きなければならない。私はなお考えなければならないからだ。p168/『知識』二七六

感動しちゃうよね。と思って、ぞくぞくした。そして六章。長々と書いてきたけどこれでとりあえずおしまい。

第六章 第三空間――永劫回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定

永劫回帰」という考え、発想については、うまく自分の言葉に置き換えられないのだけど、それはつまり究極の「肯定」だと思う。幾度か重ねて読んでいたからかもしれないけれど、西島大介さんの「アトモスフィア」で描かれていたのも「永劫回帰」だったのではないかなと思う。すべては既にあったこと、それは善でも悪でもなくただ「あったこと」という、究極の「赦し」。

しかし、それを「受け入れる」「欲する」という言葉に置き換えてしまうと、それはルサンチマン的な価値転倒になってしまわないだろうか? そのような疑いを持ちながら読み進めていくと、これは永井均さんならではの解釈なのかもしれないけれど、すごいとこに行き着く。

「世界を解釈するのはわれわれの欲求だ」と答えたのでは、それはまた別のものを背後に挿入したことになるだろう。欲求、欲動、欲望、衝動、等々もまた、捏造され、背後に挿入されたものだからである。だが、背後に何も挿入されていないとは、どのようなことであろうか。p187-188

〈略〉

世界と自分は、分離されない形式そのものであり、それがすなわち内容なのである。p188

強調部分は原文にて傍点をふってある箇所です。以下の引用も同様。

ここで、視点が跳躍する。うーん、跳躍、はちょっと違うかな。でもとにかく見える風景がぐるりとかわる。こういう瞬間が、哲学の面白いとこなのかなぁ、とか思いはじめていますが、つまり比較対象のない、ただひとりの開闢としての私*1、ということなのだと思う。

真の世界の存在が否定されると同時に、実在と仮象の対立そのものが消滅し、科学的・実証的にとらえられた実在をする世界もまた一つの「寓話」となる。「寓話」とは要するに、実在ではなく解釈によって構成されたものという意味である。ニーチェはこれを「正午」と評してここで過程を終えている。p199

その「正午」の世界が、私のイメージしていた「立体が解体され平面になること」の状景に近いのかもしれない。でもまだ先があるんだ。唯一残された「捏造」である光源を取り去り、「仮象」が「実在」になる。すべてが最初からあった、と、そういうことだと私は思ったりした。

私はあまりに満ち足りている。それで、私は自分自身を忘れてしまう。p213

上に引用した「私はまだ生きている」の文章と、同じ年に書かれた言葉がこれです。なんだかちょっと、かなしい言葉に感じる。でも、この言葉が「永劫回帰」の肯定というゴールではなく、脱出につながっているのだとしたら?

ニーチェはほかの牧人たちとは違って、牧畜たちが自分の牧場を脱け出し、各自の方向を見いだすことを教えたのであろうから。p215

最初から、世界は自分の手のひらの中にある。私がいる限り私がいる。そんだけのことを肯定して、何かが始まるっていう、そんな物語を想像しました。

なんだかこの本(およびニーチェ)については、だいぶうがった見方をしつつ、楽しんで読んでしまったので、永井均さんの提示していたところからもさらにずれているのかもしれない。正しく読めるようになりたいとは思う。でも感じたことは感じたこと、でとっておいてもいいかなと思います。結びの文章がちょう格好良いのですが、もったいないので引用はしない。

まとめ

  1. 最初に/id:ichinics:20060513:p1
  2. 第五章について/id:ichinics:20060513:p2
  3. 第一章と「なぜ人を殺してはいけないのか」/id:ichinics:20060514:p2
  4. 脱線/id:ichinics:20060515:p2
  5. 第二章と「ルサンチマンについて」/http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20060517/p1

[] 逆走ルサンチマン

昨日「見返り(自分がいい気持ちになりたい、とかそういうことも含め)を期待して行動することも赦しちゃうし」とか書いておいてなんなんですけど、これがさらに逆転することもたまにあるなぁと思ってルサンチマンの用法とともに考えてみる。

例えば、仲良くなりたいなと思ってる人が落ち込んでるとする。そんでなんとかなぐさめたいな、と思う。でもまだ気心知れてない人なので、何を言っても余計なお世話かもしれない、とか思う。でも何も言わないよりは言った方がいいだろうとか思う。そこら辺ぐだぐだに考えて、結果、言う。もしくはメールしたり、する。でも、これは結局相手にいい顔したいだけだったんだとか思う。そんで自己嫌悪に陥る。そして相手に見透かされてるような気分になって、うわーとか思う。落ち込んでる時に、下心丸出しで言葉をかけるなんて…なんてとこまで思って、そんな私は嫌われてしまえばいいとか思う。で、言葉をかけてよかったんだって結論に至る。(ここでルサンチマン

そんで数日後、でもその落ち込みが、実は、冗談だったらしいよ、とか言われて、自分が「ネタにマジレス」したことに気付く。あれ、ショックだ、と思う。そして素直に「落ち込んでなくてよかった!」とか思えないよごれた心にまたがっくりくる。やさぐれる。そんな時に「お前バカか? ネタにマジレスはかっこいいんだぜ」と声をかけられてフラグが立つと同時に逆ルサンチマン成立…という妄想をしましたが、なんか間違ってる気がする。ルサンチマン2回なだけか?

ついでに告白すると、私は数年前まで「ルサンチマン」はマラソン選手の名前だと思ってました。多分何かと勘違いしてる気がする。

あと個人的にはなんでも基本はマジレスです。それしかできないのかもしれない(わかんないけど)。のっかれてる人見てるのはわりと好きで(状況によるけど)うらやましく思うこともあるんだけど、残念なことに私はむいてないみたい。だー。

[] 正直な話

ニーチェはちょっとへこむかも、と思った。

それからルサンチマンについては、なんとなく理解したけど、私が思い描いてるのと、よく見かける文脈の中でのそれとにちょっと隔たりがある。たぶん私がわかってないってことなんだと思うけど。

とにかく私は結局永井均さん(と野矢茂樹さんのもおもしろかった)の文章が好きなわけで、それ以外ほとんど読んでないんだけど、読んでくうちに興味の対象がどんどんしぼられてきて、それはやっぱヴィトゲンシュタインニーチェみたいだ、というとこまではなんとなく察した。

けど、うわ! すごい! おもしろい! と思っても現実で(対面で)そんなこと友達とかに話したらどんびきされるということも察してる(つもり)なので、それがちょっと残念な気もしないでもない。SF(哲学は好きってのとまた違いそうだし)好きな友達が欲しいなぁ…。とりあえずこれからいろいろ感想をあさろうと思います。

次は何読もうかなぁ。

*1永井均さんの『私・今・そして神』からの言葉

kokezaru753kokezaru753 2006/05/19 01:57 「お前バカか? ネタにマジレスはかっこいいんだぜ」
いい日本語だな〜と微笑。
ちなみにこれまじれす(^^)

ichinicsichinics 2006/05/19 03:13 あー慣れないこと書いたのでやっぱやめようかなぁと思っていたのに(笑)でも、私はいわれたら結構グッとくる台詞だったりします。よ。

ichinicsichinics 2006/05/21 01:08 ありがとうございます。
個人的に『これがニーチェだ』という本については「結語」の結びの言葉を読めただけでかなり満足してしまったので、結局ニーチェではなく、永井均さんの本を読んだ、という方が正しかったなと思ってます。
ただ、あそこにたどり着くためには、どのような意味合いでその言葉を使っているのかというルールのようなものを、ちゃんと理解しなきゃなとも感じてるんですけどね。

2006-05-18

[] トム・ヨーク ソロアルバム!

Radioheadトム・ヨークがなんとソロアルバムを発売するそうです。タイトルは『The Erasers』ってところが、トムらしいなぁと思ったり。

発売元はXLレコーディングス(ちょっと意外)、7月11日に世界同時リリース(日本は先行発売で7月5日)予定とのこと。公式サイトも出来上がっています。(こちら → http://www.theeraser.jp/)

レディオヘッドのメンバーとしては、過去にジョニーがソロアルバムを出していましたが、トムがソロを出すのとはちょっとわけが違うというか、正直にいえばちょっと複雑な気持ちでもある。でもその直後にレディオヘッド自体の新譜も待っているので、なにかつながりというか、狙いがあるのかもしれないなぁ。

プロデュースはナイジェル・ゴドリッチ、演奏/ヴォーカルは全てトムによるものとのことなので、かなりRADIOHEADの音色に近いものにはなると思うし、トムの声がそこにあるなら、きっと自分は気に入るんだろうなぁと思う。

期待しています。

参考記事

http://listen.jp/store/news.aspx?id=13957

http://www.bounce.com/news/daily.php/7910/headlineclick

[] エウレカセブン見始めた

エウレカをやっと見始めました。とりあえず1話〜5話まで。

まだその世界の構造がどうなっているのかが全く把握できないでいるんだけど、うん、面白いです。キャラクターがいいな。タルホが好きだ。ビバップでいうフェイみたいな感じ?

世界観については、たぶんこれからあかされてくとこがあるんだと思うけど、いまはまだあのメカの形態と動きの繋がりに慣れないでいる。

[] 最近

GW終わっても仕事が立て込んでるのは終わらなくて、最近も残業続き。見にいきたい映画がたくさんはじまって、終わっていってしまうのが悲しい。毎日7時くらいにはムービーウォーカー*1とにらめっこしてこれからでもいける映画はないかーと探してたりするのですけど、結局それにも間に合わずに、フロアに一人になるとyoutubeとか見始めてよけい時間かかって帰宅したりとかね。さいていだ。なんかもうちょっと生活改善したいなぁ。

とりあえず絶対見たい2本があるので週末は映画館行こうと思う。

あと、毎年サマソニ一緒に行ってた友達が今年はやめとこうかなーというのでちょっと困ってる。私の周りはみんな忙しくて、フェスは朝霧orフジ一本な人ばかり。周囲ではサマソニ人気がないのです。うーん。まあ行くけど。

それから昨日の文章書き直す間においといた話を読んだ方がどのくらいいたかはわかりませんが、相変わらずグダグダしていて、やっぱり放り出したい気持ちに戻ってきてしまっている(早!)。なんか「がんばれ問題」の時にも書いたけど、困っている人を前にして、でも自分なんもできない、という時ってどうすればいんだろ。何か言いたいと思って何回もチャレンジしかけたんだけど、何もできないってのがわかりすぎててへこんであきらめるの繰り返し。言葉で理解したと思ったことでも、思ったとおりには動かないものだなぁ。当たり前か。

それとはまた全然別の話で、私は「自分で自分を認めてる」人が好きだなぁと思った。輪郭のくっきりした人を見ると、安心するし、心強い。ちょっとさみしくもなるけど、でもそれは悪い気持ちじゃないなぁと思う。

2006-05-17

[][] 『これがニーチェだ』を読む/その4

第二章 ニーチェの誕生と『悲劇の誕生』のソクラテス

この章では、ニーチェの生い立ちから、ニーチェの哲学空間がはじまるまで、が解説されている。短い章なので、気になった部分のみ抜き書きしてみる。

「お互いが理解しあうためには、同一の言葉を使うだけではまだ十分ではない。同じ種類の内的体験に対して同一の言葉を使うのでもなければならない、結局は各人が共通の体験を持たねばならない。」p66

強調部分は原文にて傍点をふってある箇所です。以下の引用も同様。

この辺りの流れには、ニーチェの「言葉」への恨みのようなものが透けて見えるような気もするし、それはむしろ、そういう感じ取られ方こそを忌避していたということなのではないかとも思える。迂闊を承知で書いてしまうと、それはなんというか、他者への「期待」のようなものでもあったんじゃないかと。でもそれはきっと、私の感覚を映しているからこそ、そう見えるものなのかもしれない。永井均さんによる

ニーチェは、自分があこがれる「高貴さ」それ自体が、自分が言う意味で原理的に「隠喩」でしかありえないことに、少々鈍感であるように私には思われる。

という指摘がいいです。うん、たしかに。ニーチェについての文章を読んでいると、あこがれが先にたって、そこにたどり着く道筋を考え続けているような印象を受ける。

そして「ルサンチマン」について

最終章については感想書きたいけど、そのほかの章については、まだ理解できてないところが多すぎるので、当初の目的であった(もう今は目的でないけど)「ルサンチマン」について思ったことだけメモ。

ルサンチマンについて主に書かれているのは第三章。最初に「怨恨感情」と訳されている。

「生の上昇運動を、出来のよさを、力を、美を、自己肯定を、この地上において示すあらゆるものに対して否を言いうるためには、天才となったルサンチマン本能が一つの別の世界をここで捏造しなければならなかった。この別の世界から見れば、あの生の肯定は悪と、非難すべきもの自体と、見なされることになる。」p88/『反キリスト』二四

いきなりすごいです。ちょっと強烈すぎて、まずなぜ「否を言いうる」必要があるのかがわからないのだけど、その動機としては以下に引用する「ぶどうに手が届かない」というものに重ねていいのだろうか?

ぶどうに手の届かなかった狐が「あれは酸っぱいぶどうだ」と言ったとしても、それはすでにある価値空間の内部で対象の価値を引き下げているにすぎない。

そこではまだ価値の転倒は起こっていない。価値の転倒が起こるのは「ぶどうを食べない人生こそがよい人生である」と――ひとに言いふらすだけではなく――自分の内部で実感したときである。p95

さらに、これをこの本では

「『目には目を、歯には歯を』と言われている。しかし私は言う。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら左の頬も傾けなさい」

という聖書の言葉に重ねている。

なるほど、と腑に落ちたのだけど、ちょっと疑問がのこる。まず最初の引用の範囲では「価値空間の内部で対象の価値を引き下げているにすぎない」のままに感じるけれど、次の引用で「自分の内部で実感したとき」とまで言われていることが、つまり「捏造」なのだろう。うん。そこまではなんとなくわかる。

例えば、自分の言葉でなら、先日書いた「でもいつかはこの分岐で良かった、と思うときもくると思うし、そういう方向に気持ちをもってくこともできるんだけど」というのがルサンチマン的な発想なのだろう。しかし、それは価値転倒を「時間」にゆだねているということ、のような気もする。つまり「時間」を経て「内部で実感」までたどり着くということ?

うーん、でもその由来が「怨恨感情」である限りは、内部での実感は訪れないのではないだろうか? もともとの目的が、その渇望(ぶどう手に入れたい)からの解放、であるように感じられるのはあまりにも即物的というか俗っぽいかもしれないけれど、価値を転倒させようという「意志」に捕われている限りは、その価値と向き合っていることから逃れられないのではないかしら、と思う。

そういうことじゃないのかもしれないけど、その辺りに疑問が残りました。だからこそ、第二章にでてきた

最小の幸福でも最大の幸福でも、幸福を幸福たらしめるものはいつもただ一つ、それは忘れることができるということ、あるいはもっと学者っぽく表現するなら、幸福が続くかぎり非歴史的に感じる能力である。p68/『反時代的考察』第二編一

という一文の方が、ニーチェの目指すところには近かったのではないかと思ったり、する。ただ、本当に「忘却(内部での実感とも置き換えられる)」してしまったら、それはもう怨恨からも解放されてるはずだから、また価値転倒は起こせる、といえるんじゃないだろうか。絶対的価値というものがないならば。あるのか。あるのかも。そこは保留。

というわけで、ルサンチマンでは私はすくわれないなぁと思ったけども(そういう話じゃないか)、しかしここがあるからこそ、最終章の跳躍が沁みてくるんだと思います。また、ルサンチマンのキリスト教との重ね方はとても興味深く、なるほどと思うところがたくさんありました。

[] 嘘のないきもちってどんなの?

まだそれか、という感じですけどもうちょっと。

世の中のためになることをもって善とし、世の中に害を与えることをもって悪とする、これまでの倫理学説は、すでにひとつの倒錯なのではないか。

『これがニーチェだ』p29

三回目の引用ですけど、もうちょっと自分に引き寄せて考えてみたい。

まず「善であることをしよう」と思ってなされた時点で、それはすでに善ではなく「嘘」になってしまうんだ、という気持ち。

キリスト教の教えは、めちゃめちゃ大雑把にいえば「人は生まれながらにして罪を負っているのだから、天国にいきたければ善をなせ」ということだと受け取っています。

私は親戚に牧師さんもいるし、小さい頃は教会にも通っていたし、まあクリスチャン(かなりゆるいけど)の家庭に育ったといっても過言ではないと思う。ただ、幼い頃から、信仰(や「善」とされている行為)の見返りとしての「天国」という方程式には、ずーーーっと違和感があって、それって全然美しくない、なんて生意気にも思っていた。本当にそれを信じているのなら、見返りが保証されていなくても、信じているという気持ちだけがあればいい、それがほんとなんじゃないか、なんて思っていたわけです。

だから私にとって、「これがニーチェだ」を読むことは、ニーチェの言葉のなかに、私のその違和感を見ようとすることだった、と思う。

例えばちょっと前に書いた「でも、その言葉の正しさは、「すべき」という言葉に従った時点で、正しさが損なわれてはいないだろうか?(id:ichinics:20060428:p2)」という疑問を重ねて読んだりもしていた。そしてその答えについては、まだ何ともいえないんですけど。

でもですね。そのもともとの「善」を善ととらえておかなければならない、ということはないんじゃないかな、と最近は思うんです。それはやっぱり、自分以外の誰かによる価値観、つまり想像でしかないんじゃないかなって思う。行動からの見返り、をある程度計算して選択するということ。その経験の積み重ねが「善悪」ということに置き換えられるのかな、と。「善」とされてることのほうが、受け入れられるっぽい、とわかったら、「受け入れられたい」人はそちらを選ぶだろう、って、なんだかみもふたもないけど。「受け入れられたい」というところには、嘘がないはずじゃない?

と、やっぱりまだフィルターが多すぎて混乱しているんですが、ただ、私は自分が大事だと思う気持ち、それは正しくも善でもないけど、しっかりとした輪郭を持っていてほしいと思うそれ、に近付きたいし裏切りたくない。そして、他人にもそれに代わるものがある(だろう)ということだけが、私にとっての前提としての善というかルールだと思う。

それ以外については見返り(自分がいい気持ちになりたい、とかそういうことも含め)を期待して行動をすることも赦しちゃうし、それが結果として善悪に振り分けられることは覚悟している、と思う。その「行動」は「嘘」かもしれないけど、その見返りが欲しい、という気持ちには、嘘がないはずだ、と思います。要再考。

2006-05-16

[][] 読書の友

好きな物語それぞれに、なんとなく共通する要素とか、雰囲気つながりみたいなの見つけるのは楽しい、というわけで今日は個人的読書の友な音楽を考えてみた。昔はしょっちゅうテープ作ったりしてたけど、あの楽しさに近いかも。CDだと作るの簡単すぎるからなぁ。

LUNA/Penthouse

Penthouse

Penthouse

Galaxie 500のディーン・ウェアハムが率いていたLUNAの3rdのアルバム。ジャケットデザインのせいもあるのかもしれないけど、イメージするのは夜で、このアルバムを聞くたびに思い出すのが、ポール・オースターの『ムーン・パレス』。「Moon Palace」つながり*1というのもあるけども、ディーンがNYに移りすんだことと、『ムーン・パレス』の冒頭で描かれるのが主人公がNYへ引っ越してくる場面であることを重ねてみたり。例えば、親密さと、疎外感がないまぜになったような、って、都会ってどこも、そういうイメージだけど、そこに砂埃のにおいが混じるのが『ムーン・パレス』とLUNAのイメージです。

BOB DYLAN/Blood on the Tracks

Blood on the Tracks (Reis)

Blood on the Tracks (Reis)

ディランの作品の中で一番好きなアルバムです。ほぼアコースティックギターのみで演奏されている、ディランの原点に立ち返ったアルバムとも言えるし、なんかもうとにかく凹んだ気持ちにはぴったりの名盤。(だって「ブルーにこんがらがって」が入ってるし)

このアルバムを聞くと思い出すのが「そして彼女は、ボブ・ディランの古い唄を聴き、雨ふりを思うのだ」という村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の中の一節。べたべたですけど。「まるで小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」というからには、このアルバムだな、と思います。でも実際に物語の中でかかっていたのは違うアルバムのような気もするけど。

R.E.M/Document

Document

Document

これは文句なくサリンジャーのイメージです。ライ麦です。なんでだろうなぁ。「It's the End of the World As We Know It (and I feel fine)」のクリップのイメージかもしれない。うろ覚えだけど、部屋でどたばたしている男の子のクリップだったような。好きな曲です。

TELEVISION/MARQUEE MOON

Marquee Moon (Dig)

Marquee Moon (Dig)

ギターの重ね方がほんのすこしずらされることで生まれる不安感と、トム・ヴァーレインのヴォーカルにぞくぞくする。しびれる。近頃は「MARQUEE MOON」のイントロを聴くと条件反射でZAZENのライブが始まるような気がしてしまうんですけど、とにかくいつ聴いても常に完璧にかっこいい、と思うすごいアルバム。で、またNYなのですが、このアルバムを聴いててしっくりくるのはなぜかカポーティ。しかも『カメレオンのための音楽』に収録されている「うつくしい子供」(マリリン・モンローを描いた短編)あたりを思い浮かべます。かけ離れてる気もするけど、共通してるのはアンバランスなイメージ、かも。

Jeff Buckley/素描

素描

素描

そして、そのトム・ヴァーレインプロデュースによって録音されたものの、結局発表を見合わせることとなった(Jeff自身の意志によって)幻のセカンドアルバム、およびデモトラック集がこの「Sketches」です。Jeffの意志には反しているのだよなぁ、というのが気になりはしていたものの「Grace」以降もJeffの音楽は確実に生きて成長し続けていたのだなということをはっきりと感じられるアルバムでもあり、もうこの先を聴くことができないのが本当に惜しいです。「Morning Theft」で思い浮かべるのはスタージョン『輝く断片』。この曲にあう物語がやっと見つかったような気がした。それから「Sky Is a Landfill」は「空は埋め立て地」というその言葉のイメージからも、レイモンド・カーヴァーしかない、と思う。

 ◇

なんてだらだら書いてみたら、自分の好みがアメリカ生まれの作品に集中していることに気付いた。知らなかったなぁ。長くなりそうなので続きはまた。あんまりにも個人的趣味なので、だれかの参考になるかはわからないけども。。

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006年/24号

ボーイズ・オン・ザ・ラン
巻頭カラー。ドア閉まる間際の鈴木さんがかっこいー。次号は後楽園でボクシング観戦か。
電波の城
天宮が地震を予知の巻。未だにどんな話になるのか予想がつかないのですけど…。主人公が多すぎる(三人?)からかなぁ、なんとなくつかめない。
美味しんぼ
和菓子食べたくなった。鎌倉「美鈴」の”をさの音”というごぼうを餡でくるんだお菓子がでてきたんだけど、食べてみたいなぁ。
SKIN
賛否両論大反響、と扉に書いてあるのだけど、この大反響はなんだろ、葉書とか? 送る人そんなにいるのかって方が意外だ。週刊誌なのになぁ。(懸賞ついで?)設定?
テレキネシス
ロバート・アルドリッチ監督の「ふるえて眠れ」。「ブルー・ベルベット」との共通点についての話が興味深い。見てみようかなぁ。
バンビ〜ノ!
いよいよ野上デーの巻。「そつなくこなす」はダメなのかな?
中退アフロ田中
岡本がすごいよ。ナンパのメッカメッカって久々に使った!)に出かけてっての格言。「ここにいる全員が考えてる事だから… 周りのみんなはロクでもないけど、自分だけは違う…と…!」そんで「現にオレも、そう思っている」というのがいい。
出るトコ出ましょ
縦ロールのみずきかわいい。
fine.
すごー。ホームレス生活3日で終了。そして来週は斉藤の逆襲。なんかものすごいドロドロというかこってりというかコールタールのような漫画だなぁ。「ヤサシイワタシ」は常識人が主人公だったけど、このfine.は主人公がヤエのような感じです。(雑な説明ですみません)

ところで「CAとお呼びっ!」で検索してくる人が多いなぁ、と思ったら、ドラマ化なんですね。意外、だけどドラマ化にむいてそうな話ではある。情報なくて申し訳ないです…。「バンビ〜ノ!」もドラマ化とかしそうだなぁ。

[] 

久々にお気に入りの服を着た。暖かかったから、素足で靴を履いてもだいじょうぶ。足が軽い。ふくらはぎがひんやりとしていて、背すじがちょっとのびる。あったかさは遠いけど、日差しはまっすぐだ。

いろんなことを信じるのは勝手だけど、それを間違えちゃいけないって言い聞かせてるのに、なかなかうまく動かない。すぐに忘れるから、すぐに間違える。もうだめだってしちゃえばせいせいするんだろうけど、いつか心の底から100パーセントにそれを思いたかったし、それができなかったら、おしまいだと思っていたのは、じつはそうじゃなくて、それができたらおしまいなのかもしれないというのを考えたらせいせいしない。いつだって新しくて、つまり変化するのは状況でなくて自分でしかないなんてことはとっくなんだから誤魔化すのはもうやめればいいのに、いったいそれがなんだったのかがよくわからない。よくわからないことだらけなのはわかろうとしてないからだ。ずるいから逃げる。

でもとにかく、伝わればいいのになぁ、と思っていた。でももういいんだ、ってまだ思わない。

*1:収録曲タイトル。ってもしかしてほんとに関係あったりして。

mikkmikk 2006/05/16 21:26 「読書の友」イチニクスさんらしい素敵な企画ですね!
ひとつかんがえて、ぐるりと繋がっていく様が面白いです。
私は昔からどうもアメリカ文学は挫折しっぱなしで。。改めて読んでみたいな。オースターとか。

ichinicsichinics 2006/05/17 01:09 mikkさん、こんばんは。mikkさんにそういっていただけると嬉しいです。
私も、アメリカだけでなく海外文学全般で挫折しがちなものが多いのですが、それでも好んで読んでいる作家はアメリカの方ばかりだったようです。音楽もイギリス中心だと思ったのに、いざCD棚を見てみるとアメリカばっかりで、昨夜はちょっとした発見でした。次はがんばってほかの国のを選んでみたいです(笑)

2006-05-15

[] 鳥ポーチ

PAUL&JOEから新しく出るポーチ*1がすごい。かわいい。鳥モチーフ好き(集めてたりする)としては、これはぜひとも買いたいので明日忘れずに予約すること(自分メモ)。同じ柄の壁紙もサイトでDLできます。HP → http://www.paul-joe-beaute.com/

[] 『これがニーチェだ』を読む/その3(の2)

昨日引用した箇所についてもうちょっと。かなり間抜けな話になります。

世の中のためになることをもって善とし、世の中に害を与えることをもって悪とする、これまでの倫理学説は、すでにひとつの倒錯なのではないか。

これ、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いだとなんでそんなに混乱するかなぁ、と思うのですけど(まあ当然といえば当然なんだけど)、この前提としての善悪を、多くの人が軽く(もしくは重くても)越えられるものが「恋愛」だと思った。

例えば、恋人(仮にAさん)が「別れたい」と言ってきたとする。別れたいって言うくらいだから、Aさんにとっては、別れた方が「幸せ」である、と思われる。でも、別れ話をふられた方は「別れたくない」、という場合とか。

でも、「好きな人の幸せを願う」ことが世の中的(倫理的でも道徳的でも)には「善」とされている(と感じる)。家族や友人、または「恋人」という関係上にある相手ならば、相手の幸せを喜び、願うことは簡単なのに、なんで恋愛感情のバランスがとれないと、前提が覆される(ことが多い/簡単な)のか。

それは、本来「自分」は「自分」の利益を一番に考えてしまう生き物だからなんじゃないかなーと、思います。だから、善悪関係なしに、こうしたい、という希望があるのは、純度の高い感情なんじゃないかなぁ、とか。そして、そこをも越えて、でもやはり自分といるよりも、Aさんの幸せはあちらにあると思うし、自分はそれを願う、と、感じることもあるだろう。どちらにしても、そこに嘘が混じっていないか、心からその答えを選べるかってとこが、ニーチェにとっての「誠実さ」なのかな、とか思います。……ということにしたいけど、やっぱり違うだろうな。「Aさんの幸せはあちらにあると思うし」という前提のある時点でニーチェ的には「嘘」かもしれない。「〜した方がいいから」というフィルター越しではなくて、「これがしたい」が切実なものであるならば「しろ」という方が、近いのかも。ただ、そこらへんには抵抗を感じるとこが、私に根付いてる倫理観なのかもなぁ。

うーん、やはり恋愛で考えるとどうもなんか座りが悪いというか、相手の気持ちについては想像の範囲を出ないところで結局利己的になってしまうし、そもそも何ををまじめくさって書いてるんだ、って気分なんだけど。でも、つまり大多数の人に迷惑をかけちゃいけませんよってとこで倫理は出来上がっていて、その倫理が先にあるわけじゃありませんっていう順序の話、なはず。

倫理の話はちょっと考えるのやめとこう。煮詰まり過ぎて違うものになってしまってる気がする。

[] タイミング

人生のほとんどは、タイミングでできてると思う、とか言ってみる。

でもほんと、そうなんじゃないかなぁ、と思う。それは決定論、ってのに近いのかもしれないけど、決定しててもしてなくても、同じことだろうって思う。この前読んだ、イーガンの「百光年ダイアリー」の感じに近いかな。

ともかく、タイミングでできている、と思ったのは、目の前を通り過ぎていく時には気付けなくても、あとから振り返ると「あそこが分岐点だったのか」と思うことが多いから、だ。

もちろん、目の前を通り過ぎていく時に気付けたとしても、別の分岐に行けたわけではないだろう。この道にくることは、あらかじめ決められていたのかもしれないから。でも、逃したタイミングに気付くのは、いつもそれが過ぎ去ってからで、だからこそ、なぜ行動しなかったんだろう/行動しなかったということは逃しても良かったということでしょ/ちがうよー/ちがわない、とか考えはじめてしまうのが、いや、というか疲れる。そしてこのところ、そういうのが乱立している。もうやめちゃいたいなぁ!

でもいつかはこの分岐で良かった、と思うときもくると思うし、そういう方向に気持ちをもってくこともできるんだけど(だからやっぱり「後悔」をしてるわけじゃないと思うんだけど)ここのとこの積み重ねはちょっと手に負えない。

つまるところ、いつの日にか私は、ただひたすら肯定する者となりたいのだ!/『悦ばしき知識』二六七

ニーチェの文章はなんで「!」が多いのかなぁ、ってのはちょっと気になるとこだけど、この一文はとてもいい、と思いました。もうぜんぶ肯定したい。でもそれって、あの「アトモスフィア」での「赦し」と同じこと? だったりして。

へこみすぎるのはいけない気がするので、早急に気分転換しなきゃ、と思うけど、とりあえず今日のところはへこんでいる。へこんでることにびっくりもしてる。懲りないなぁ。

2006-05-14

[] 俺は俺を売る

今日は髪切ったり喫茶店はしごしたり友達と飲んだり飲み屋はしごしたりしたんだけど、下北の喫茶店で本を読んでたとき、となりの席に座っていたカップルの男のひとが何かすごくて、雨のなか白いスーツで髪の毛は重力に逆らってる感じで、ここは新宿か? とか思っていたら、聞こえてきた台詞が「サラリーマンとかさぁ、まじでクソだぜ、負け組」で、おお? と思ってたら「歌舞伎町だよ!」と言い出して、なんか期待どおりすぎてそれってどうだろ、と思った。「俺は自分を売るッ!」というのが決め台詞のようで何回も繰り返してたけど、どうなんでしょうか。まだその業界は盛んなのかな。とかよけいなことまで考えてしまった。

[][] 『これがニーチェだ』を読む/その3

第一章 道徳批判 諸空間への序章

この章に書かれていることは、とても腑に落ちるんだけど、問いは何回も反転して、しまいには放り出したくなるようなところまで反転していくから、説明するのは難しい。

でも、その反転(それをメタというんだっけ?)こそが、ニーチェの「誠実さ」なんだと感じたりもした。

道徳家や僧侶や哲学者の嘘を告発する、彼のその道徳的パトスそのものは、いったい何に由来するのか。そして、彼のその道徳それ自体には、嘘がふくまれていることはありえないのか。ニーチェのほんとうに素晴らしいところは、このようなさらなる問いを自らに立てたところにあるだろう。(p37)

ほんとうにすごい、と思う。でも、そのすごさを説明する言葉が私の中にない。それでも、とりあえず今のところの理解をメモしてみる。

なぜ人を殺してはいけないのか

この章で、一番最初に扱われている問いは「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問です。私も前に考えたことがあった*1おかげもあって、とても興味深く読めました。この質問に興味がある人はこの章だけでも読んでみてほしい、というか、読んでどう思うかがすごい気になるので教えてほしい、と思う。

なぜ人を殺してはいけないのか」と問われたときに、多くの人が道徳や倫理を前提として思い浮かべ、それを疑わないのはなぜか、という疑問が、この章で書かれているニーチェの問いに重なるのではないかと思う。

その前提を通して考えるということは、その質問の指し示しているところから、目を逸らしていることになるんじゃないか? なぜならそれを思い浮かべ、問いそのものを否定するということは、その問いには含まれていない「不穏さ」を読み取っているからこその反応だから。しかし実際は、「いけない」と言っているものなんて「ない」のだ。しかし、そのことは忘れられている。

世の中のためになることをもって善とし、世の中に害を与えることをもって悪とする、これまでの倫理学説は、すでにひとつの倒錯なのではないか。煎じつめれば、これがニーチェの問いである。p29

私にはうまく言えないのだけど、たとえばこの言葉に対し、倫理や道徳の観点から批判をすること、それはつまり倫理や道徳を使って嘘をつく、ということになり得る。ニーチェが言っているのはそういうことだ、と思う。

そしてそれは至極もっともだ、と私は思う。だから、自分の中で、それを確実に善だと判断する気付きを得ること、そうして自分の経験として身に付けた規範、それだけが私の真実だ、と言うこともできるだろう。しかしそれは他者には理解され得ないものだ、という前提を含んでいる。またそこに行き着いてしまう。理解されてしまったら、そこにはまた嘘が混じるし、私の気付きに私が従うことにもまた、嘘は混じる。

うーん。でも、それでも私は、世界が私であるように、世界はあなただ、と思う。そこのところ、をどうにかしたい。でもそれもまた裏返る。

敵は私を理解しようなどとはしない。だから、私の固有性は敵からはいつも守られている。だが、同情はちがう。彼らはいつも自分自身の知性と完成を携えて私の内面深く入り込んで来て、私を理解という名の暴力でずたずたにしてしまう。同情されたとたん、私はそのことで殺されるのだ。p45

このような同情によって「羞恥」を与えることに対する嫌悪感(といっていいのか)に対しては、ただひたすらに全てを、あるがままに肯定するしかないように思う。でもニーチェはこうも言っている。

おまえと苦悩を一つにし、希望を同じくするがゆえに、その困苦をおまえが完全に理解するような、そういう者たちだけを、――つまり、おまえの友人だけを、助けよ。p50/『知識』三三八

この場合の「友人」とは誰のことだろうか? 同情を拒否しながらも「苦悩を一つにすること」を可能と考えるのはどういうことか、と考えていくと、やはりその同情の中に、道徳に基づく「嘘」を見るからこその、拒否であったのだろうかと思う。しかしその嘘の有る無しを知る方法なんて、ない。

嘘のない共感、の可能性を、私はただ信じている。それはただ、信じているだけでいいことなのかもしれない。でもそれは、信じてほしいからなのかもしれない。

例えば、映画「クラッシュ」の中で、名前がない以下の、敵ですらない扱いで犯される殺人の場面があった。そして、そのシーンを見ながら、私はこういう扱いで死ぬのは嫌だな、と思った。それもまた、共感の可能性を信じたいということにつながる、かもしれない。でも、確実に心から「嫌だな」と思っていても、わたしは、目の当たりにしている相手が「私」である可能性を考えずにいられるだろうか? ちょっと自信がない。というかそんなこと考えてる暇はないと思うけど、ともかく、そういう意味では、私は「ただ誰も殺したくない」というのが本音だと思う。それは私の性別のせい(そして「力」がないせい)もあるかもしれない。でも同時に、だれか、のためになら、なにかができるのかもしれない、とも思ったりする。どうかなぁ。話がずれた。

続きます。

[][] コーラス/feel young 6月号

コーラス

君のいない楽園
最終回。途中からなので、ほとんど内容はわかってないと思いますが、八神君が外国にいく?って話はいつでてきたんだろ…。
アイスエイジ
乙女ゲーみたいな漫画だなぁ、と毎回思う。絵もうまいし、そういう漫画も書いてみればいいのに…とちょっと思うけども、作者ののりが違うのかな。
ハチミツとクローバー
どんどん竹本くんの影が薄くなっていくような気がします…。はぐがこの漫画のヒロインだったのかということにここまできてやっと気付いた。
チェリッシュ
吉住渉さん新連載。なつかしいー!この人の漫画をまた読む日がこようとは。漫画の内容と全く関係ないけど、吹き出し内のフォントの使いわけがうまいなーと思った。
Green Green Green
稚野鳥子さんの「クローバー」番外編だそうです。クローバーは読んだことないので、どのキャラクタの番外編なのかわからなかったけど、面白かった。次回が気になります。
おちゃのま通信
岩館真理子さん読み切り。世にもおそろしい(けど落ち着く)コタツのお話。うーん、嫌だ、と思った・・・。
悪いのは誰
ここにきて「悪いのは誰」というタイトルになるほどと思う。悪いのは誰か。誰だろう? そろそろ最終回、かも。

Feel Young

サプリ
丸謝り*2できる女、藤井の巻。そしてソーリーよりサンキューのがすきな男。
ピース・オブ・ケイク
あーいやだいやだ。うまくいったと思ったらすぐ嫌な予感が。でも劇団の衣装係になった志乃はかわいくていい。
天下茶屋スタイル
シリーズ連載スタート、のようです。大阪下町純情物語、とある。第一話はちょっと意外な落ちだったけど、第一話ととらえたほうがよさそう。
たましいのふたご
今回は中国を舞台にした「魂の双子」のお話。アレックス(だっけ?)がほとんど出てこない話で、今までのシリーズでなく読み切りっぽい。双子というとあの双子しか思い浮かべられなくなってますが。
ケーキホリック
ねむようこさん読み切り。ケーキアディクトな女の子のお話。ケーキのひとを思い出した。ケーキ食べたい…。
オーケー
かわかみじゅんこさん読み切り。うれしい。カラー絵かわいい!かわかみさんの描く女の子はみんなすきだ。「こわくなかった事が/コワイなーとか…」

*1:その1/id:ichinics:20050821:p1 → その2/id:ichinics:20060226:p3

*2:ってはじめてきいた。平謝りはよく聞くんだけど。でもgoogleさんに聞いてみたらよく使われてる言葉のようだ

kokezaru753kokezaru753 2006/05/16 05:50 こんにちは。哲学はいろいろ考えることあって楽しく、個人的に哲学者の中でもニーチェ凄いなあ、と思うのですが、う〜んと思うところが正直あったりしたのですが、たぶんそれが、「問いは何回も反転して、しまいには放り出したくなるような」なのかなあ、と。”目の前”にあるような”当たり前”のことを”認識する”のは、ある種一番難しいことだったりします、自分にとって。なんかちょっとすっきりしたような。。「反転」を見据えてまた読み直したいと思います、ニーチェ。

ichinicsichinics 2006/05/17 01:01 はじめまして。コメントありがとうございます。
ニーチェは、私は初体験で、ニーチェの著作を読んだことすらないので、私の感想自体はアテになるものではないと思うのですが、それでもニーチェの問いの立て方は容赦がなく、すごい、と思いました。まるで死角をなくそうとしているかのようで、読んでいるとちょっと心配になるほどです…。でも、結局は一番近いものが一番見えにくいものだったりするのかもしれませんね。

2006-05-13

[][] 『これがニーチェだ』を読む/その1

つまるところ、いつの日にか私は、ただひたすら肯定する者となりたいのだ!(『悦ばしき知識』)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

これがニーチェだ (講談社現代新書)

この前友人と話してて、「ルサンチマン」という言葉の、ニュアンスはわかるけど意味がわからない、ということに気付いたので、何か読んでみようと思いたち、永井均さんの「これがニーチェだ」を読みはじめました。で、もうかなり読み進めてるのですが、すごい面白いです。刮目しまくり。すごいすごいといいながら読んで、誰かにいいたい、と思うんだけど、なんかいっちゃいけない感じもするので(?)ネットがあって良かった、と思った。ただ、本来の目的である「ルサンチマン」納得には至れそうになく、まだなんとなく、常に裏返り続ける感じかと思ってるくらいなんだけどそれはニヒリズムの方かもしれない。その辺はまだ微妙ですけど、まあそのうち理解したい。

ともかく、ニーチェという人の考えていたことを、この本を読むことでかいま見て、彼の言葉を全て受け入れることはできないと思うけど、だからこそ、響くところがあると感じた。影の存在を感じつつも、光に目を奪われる感じ。なんというか、血が通っているなぁ、なんておこがましいことすら思った。

何度も繰り返しになるけど、私が「哲学」に「哲学」として興味を持ったのはつい最近のことだ。そして「SF小説」にジャンルとして興味を持ったのもつい最近。そしてこのふたつをほぼ同時に知り続けているのは、私にとってとても幸運なことだと思った。もちろんSFだけではなく、全ての物語には哲学の要素があると思うのだけど、特にSF小説を読むときのイメージの仕方は、哲学にまつわる本を読んでいるときのイメージに似ているところがある。なんでだろうな? 世界を世界として再構築している感じ、だからだろうか。そのへんはまだ分からないけど。ともかく。

これまでいくつかの哲学書(ほとんど永井均さんのものだけど)の感想を書いてきたけど、一つの文章にまとめるのに苦労するので、今回は一章づつ別エントリで感想かこうかなと思った。そして今日はいきなり五章から。

[][] 『これがニーチェだ』を読む/その2

第五章『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉

この本を読んでいると、ニーチェの生きた時代、国、環境において、キリスト教こそが道徳であり倫理だったのだろうと痛感する。そしてニーチェはきっと、そこに疑問を投げかけ続け、疑い続けていたのだと思える。それは現代の、しかも日本に暮らす私が想像するより、ずっと重いことだっただろう。でも、「疑うこと」に罪の意識を感じるということ。それはキリスト教においてだけでなく、いま、この世の中における「勝てば官軍」の後にあるものもすべてにおいて、疑うことが禁忌とされている、ような気がするからじゃないだろうか? でもなんで? そう考え続けていたのがニーチェであり、その罪の意識こそが、かれの文章、そしてそこから伺える思考に悲観的色合いがにじむ理由のような気がする、といったら言い過ぎかな。とりあえず私はそう感じている。

「このとき以来、私のすべての著作は釣り針となった。たぶん、私は誰にも劣らぬ釣り上手だ。……何も釣れなかった。だが、それは私のせいではない。魚がいなかったのだ……」p152/『この人を見よ』

強調部分は原文にて傍点をふってある箇所です。以下の引用も同様。

この部分だけ読んでみれば、それは傲慢な物言いにも読める。しかし、それでもニーチェの言葉が(たとえそれに共感しないとしても)価値のあるものである理由は、彼に対して最も痛烈に批判を投げかける者が彼自身だから、なのだと思う。そうやって、自らの容赦のない批判の目にさらされながら、しかしそれをもねじ伏せて生み出されたもの、それを私は信頼に足るものだと感じる。その過程については、私が想像するしかないにしても。

そして「牧師の子」として生まれたニーチェは、「反キリスト」の中でこう書いているという。

私はキリスト教の本当の歴史を物語る。すでに「キリスト教」という言葉が一つの誤解である。――根本においては、ただ一人のキリスト教徒がいただけであり、その人は十字架上で死んだのである。p154/『反キリスト』三九

ここを読んで、私は目から鱗が落ちたような気がした。

私の親戚には牧師さんがいて、私も幼い頃は教会に通っていたので、キリスト教についてはある程度の知識があり、その考えに共感している部分ももちろん、ある。ただ、ずっと感じていた違和感に、なんとなく新しい光をあててもらったような気になった。

この前書いた「ただ、私が不思議に思うのは、自分の中にある何か、ではなくて、外側にあるものを信仰しようとすること、というか、他者のイメージを受け入れるというやり方、だったりする。(id:ichinics:20060504:p1)」というのは、まさにそれだ。ううん、うまく言えない、し、なんとなく認めたくないのだけど、もしかして、何かを完全に信仰するということは、「疑わない」ということなのではないか。そして疑うという可能性すら忘れ去るということ。だからこそ、誰かがそれを「真似る」ことには嘘(演技)が混じってはいないか、ということ?

私が嘘と呼ぶのは、見えるものを見まいとすること、あるいは見えるとおりには見まいとすることである。p162/『反キリスト』五五

これは「思考停止」しないとはどういうことか、にもあてはまる言葉だと思う。でも、ここでも反転し続けている。ううん、そもそも疑うということは、善でも悪でもない。その境地にまず立つこと、地平を開くこと、でもそこに立つというのはどういうことなんだろう?

ちょっと発見したこと

ルナンがイエスを「英雄」という類型で捉えたのに対し、ニーチェはそれを批判して、イエスを「白痴(idiot=語源的には「自分だけの世界に生きる者」)という類型で捉えた(二九)。

(略)

だが、その根源にあるのは、「どんな接触をも痛ましいほど深刻に感受するがゆえに、およそもう『触れて』ほしくない」(三〇)と感じるような、極度に敏感な感受性の型値なのである。(p156)

このidiotという言葉は古い版では削除されてたらしいのですけど、この言葉はすごい。

そして(またですが)スタージョンの『人間以上』第一章「とほうもない白痴」で描かれていた白痴の着想は、この言葉にあったのではないかと思った。

かれは、どこかひとりはなれて、言葉と意味をつなぐ小さな環が切れてぶらさがっている世界のなかに住んでいた。彼の眼はすばらしくて、笑顔と怒りをすぐに見わけることができた。だが、自分自身は笑ったことも怒ったこともなく、相手の気嫌の良し悪しもわからないという、感情移入に欠けた生きものだったから、そういったことはなんの影響もおよぼさなかった。/『人間以上』p10

そう考えてみると、あの物語で描かれていたことを、もう一度捉え直すことができそうな気がして、楽しい。わー!

『人間以上』の感想 → id:ichinics:20051115:p1

[][] ゲゲゲの鬼太郎 実写化について

ゲゲゲッ!ウエンツ鬼太郎…来年4月、初の実写映画化

http://www.sanspo.com/geino/top/gt200605/gt2006051001.html

サンスポの写真がすごい。「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎は私の初恋のひと(ひと?)であることは前にも書いたことあるような気がするんですけども、このサンスポの写真【銀髪で左目を隠し、イケメン風の鬼太郎】は、風っていうかまんま美形だと思います(すみません実際ウエンツさんの素顔良く知りません)が、 鬼太郎は少年で、戸田恵子さんの声っていう刷り込み(その世代なので)があるので、大人な鬼太郎って時点でなんか戸惑います。が、ブレイブストーリーの予告でちらっと聞いた声が良かったので、イメージ的にはなんとなく想像つく気もする。が、この顔で妖怪アンテナ立つって状況は冗談にしか思えない。

でも、このビジュアルで目を奪われるのはむしろねずみ男。【ねずみ男そっくりに変身した】 とあるんですが、この写真は、どうみても、顔になにか書いてあるのが見えるというか…とりあえず、そっくり、ではないと思うというか、なんかすごいです。

でも(いろんな意味で)楽しみです。

その他キャスティング妄想

猫娘
宮崎あおいちゃん希望ですが無理っぽい。木村カエラさんとか、加藤ローサさんとか、ハーフな方だとウエンツさんとのバランスも良いかと思います
砂かけばばあ
室井滋さんか、もたいまさこさんやってくれないかなぁ
子泣きじじい
竹中直人さんてもうやってたっけ?「妖怪大戦争」の時のイメージで阿部サダヲさんでもいいなぁ。
ぬらりひょん
どうせぬらりひょんが悪の親玉役だと思われるのですけど、これどのくらい水木しげるビジュアルにあわせるかによって全然違いますよね。主人公にあわせて美系でいくとかいろいろパターンがありそうですが、キャシャーンの時の唐沢さんが脳裏をかすめたのでそれか、松尾スズキさんとかでも面白そう。でも悪役キャラじゃないかな。

目玉のおやじやぬりかべや一反もめんはCGで声優さんかな。

2006-05-12

[] 鈴木慶一向井秀徳@秋葉原CLUB GOODMAN

CLUB GOODMAN10周年企画ライブに行ってきました。アコエレと、今年ムーンライダース30周年を迎えた鈴木慶一さんを同時に見れるなんて大チャンス。期待以上に、とても充実したライブでした。

向井秀徳アコースティック&エレクトリック

アコエレはJAPAN CIRCUITid:ichinics:20060212:p1)で見て以来、今回が二回目なのだけど、前回が一人二本ギター(アコギとエレキ二刀流だった)のに対し、今回はテレキャス一本だった。こちらがいつもどおりなのかな?

手もとを見ていると、エレキギターをピック使わずに、アコースティックギターのように指で弾いている(ピックを使う曲もあるけど)。細かいことはわからないのだけど、ピックアップの使い方がうまいんだろうなっていうのは、ギター弾けない私でもなんとなくわかる。リズムとメロディを同時に作り出すギター。繊細な手つきとエモーショナルなボーカル。しびれるなぁ。

「KU〜KI」は何度聞いてもいい。あそこで描かれてる風景。明け方四時半から六時の間の中野の駅前、に自分もいたことがあるような気になる。私の脳裏に浮かぶのは別の町だったりもするけど、あの白くかすんだような、夜明けの光に鼻の奥がつんとする。それから今日は大好きな「YOUNG GIRL 17 SEXUALLY KNOWING」をやった。あの曲はちょっと泣きそうになる。

猫町からだったか、あの自分でエフェクター(かな?)に音を貯めて、それをあやつりながらギターと歌を重ねていくやり方がまた見れて、向井さんの頭の中にはランドスケープ状に音が見えてるのだろうなと思い鳥肌が立つ。「性的少女」「自問自答」も良かった。そしてアンコール自己申告で「KIMOCHI」。

鈴木慶一

鈴木慶一さんをライブで見るのは初めてなのですが、見れて良かった。しょっぱなから「はちみつぱい」の曲を数曲やって、音の洪水感というか、トラックのセンスの良さと、あの英語っぽい歌の付け方と、を目の当たりにして、おお、と思った。

正直鈴木慶一さんの曲やアレンジは好きでも「歌」はあんまり好みじゃないと思っていたんだけど、なんか違った。角度によって聞こえ方が全然かわるな、と思って再発見しました。バートン・クレーンのカヴァーも良かったです。

ああ。でもこんなすてきな人がもう30年以上音楽をやり続けているんだなぁ、と思うとなんだかうれしいです。MCもたんたんとしていて、良かったです。「けーあいえむおーしーえいちあいKIMOCHI」というフレーズがおきにめしたようで、ラストの曲で使ってました。茶目っ気だ!と思った。

しかし、最上川の歌とか、よかったなぁ。気持ち良い。民謡っぽい間の手が入る曲はなんていう曲だろう?

[] 土地カンがないと辛い

今朝、Wiiのヌンチャクっぽいコントローラを引きちぎる(繋がってるコードを)夢を見た。たぶん同じ夢を見たことある人が世界に数人はいると思う。

 ◇

今日は仕事で外出し、その後直帰ということで(GW返上の埋め合わせ的ななにか)いろいろ用事をすませた後、秋葉原へ。ライブが遅めのスタートだったので時間的にもまあまあ余裕があって、じゃあなんかちょっと買い物でも、と思ったのですが、久しぶり(たぶん2年ぶりくらい)に降りたらなんか知らない風景になっててびっくりした。

中央口(だっけ?)から出たせいもあるんだけど、あれ、ここ違う駅?って思うくらい新しくきれいなビルと工事中な風景でびっくりした。つくばエクスプレスもはじめてみた。

結局ぶらぶらしててもさっぱり道がわからず、モニターでやってるアニメ版ひぐらしをぼーっと見たり(やっぱOP曲がかっこよくて川井憲次はさいこうだとおもった → 【追記】が、勘違いだったということを教えていただきました。感謝。OP曲は〈作詞:島みやえい子 作曲:中澤伴行 編曲:中澤伴行・高瀬一矢〉というスタッフでした。知らない…けど、イントロがやたら格好良いです。youtube様々です。)あちこちでハルヒ(憂鬱の方)のED見て、ネットでしか見てなかった盛り上がりを実感してみたりしたくらい。ほんとはちょっと探してるものがあったのだけど、なんか負けた気がして探せず、普通にお茶してからライブに行きました。

なんか移動ばっかりで不思議な一日だったなぁ。

 ◇

ところで「もういいや」と思うとすぐに「やっぱよくない」と思う出来事がおこるのはなんでなんだろ、と思う。

michiakimichiaki 2006/05/13 02:02 いちおうフォローしとくと、OPは川井さんじゃありませんw
こんなURLをここに貼ってよいのか。
http://www.animate.tv/nf/detail.php?id=0000000604

ichinicsichinics 2006/05/13 03:19 うわ! 何回も聴いてる(見てる?)くせにまったく疑ってなかったです。思い込みって恐い。守備範囲外なのがあからさまですね。ありがとうございました(笑)でもあの曲すきです。

2006-05-11

[] 手塚治虫文化賞講談社漫画賞

第10回手塚治虫文化賞発表

マンガ大賞/『失踪日記吾妻ひでお

新生賞/『おおきく振りかぶってひぐちアサ

短編賞/伊藤理佐

特別賞/小野耕世

http://www.asahi.com/tezuka/

失踪日記』は文化庁メディア芸術祭賞に続いての受賞ですね。ほかにもあったかな?

おおきく振りかぶって』の受賞は個人的には嬉しい。ただ、完結してない連載作品ってどのタイミングで受賞するのがいいのかとかよくわからないよなぁ、と思う。昨年の『PLUTO』受賞はちょっと早いんじゃって気もしたけど。

短編賞は、昨年が西原理恵子さんで、ことしが伊藤理佐さんで、そのうちネタ切れになるのではという気もしなくないけど。なんで短編は別枠なのかなぁ?

講談社漫画賞

こちらも発表になってました。

児童部門/「キッチンのお姫さま」(原作・小林深雪氏、漫画・安藤なつみ氏)

少年部門/「エア・ギア」(大暮維人氏)

少女部門/「ライフ」(すえのぶけいこ氏)

一般部門/「蟲師」(漆原友紀氏)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000187-kyodo-ent

今年はオール講談社作品。「蟲師」がまだだったのがびっくり。

でもこれまでのラインナップを改めて見直してみると、平成14年度の「西洋骨董洋菓子店」の受賞はちょっと画期的だったのかも、とか思います。

そろそろ「よつばと!」がどこかで受賞しそうな予感。(もうしてたっけ?)

[] 最近のいろいろ

GW明けからゲーム関連のニュースがめじろ押しで、もうなんかすっかり「Wii」という名前にもなれたような気分になってしまっておりますけども、あんまりゲーム詳しくない(下手の横好きです)私の雑感としては、SCE任天堂はすっかり道を違えた感があるというかなんというか。DSとPSPにしてもだけど、狙ってるターゲットが違うのかなぁという印象で、まあ、簡単にいうと、PS3はあんま使いこなせる気がしない。とりあえず「Wii」は買うよねということで(兄弟間で)結論した。PC壊れてネトゲやれない禁断症状な弟は今DQをやっていて、久々に家庭用ゲーム機に興味が湧いたといってたけど、そういうものなのか。

PSPにしても「街2」が出るし塊魂もやりたいし、やっぱ欲しいかも、と思っていたのだけど、個人的には「ニンテンドーDS用ブラウザ」のが気になっていたりもして(比較対象ではないけど)。私のDSはすっかり妹のものになってしまってるので、Liteを手に入れるつもりです(なんだそれ)。

とりあえずDQ8やりたいなぁ…。夏休みが欲しい。

[] 思考停止文章ってなに?

現在「ブログ文章術」を書かれている米光さんが「BGK米光」にて2004年11月28日に書かれた記事(こちら→ http://blog.excite.co.jp/yone/1368848/)を今日偶然見つけた。リンク先が消えてしまっているので、どういう経緯で書かれたものなのかちゃんとわからないのだけど、趣旨は「思考停止な文章を書かないために」心掛ける注意事項なんだと思う。

全部で10項目あるんだけど(後に別エントリで1項目増えてるけど)私の文章は、これにほとんどあてはまってるなぁ。

ちょっと気になったとこを挙げてみると

2."と思うのだが。" "ではないか。"を多用する。

ろくに考えずに書くので、根拠も自信もないのが文末からにじみでてしまっちゃう。

え。「〜と思う」「〜ではないか?」って「自分を軸にかきはじめよう」のときに目指してたとこじゃなかったっけ?

5.”の方がずっとかっこいいと思う”とか”が素敵だと思う”という表現に逃げる

というのも同じことなんじゃないかなあ、「と思う」。

つまり、たぶんこれは明確に批判したい特定の文章に向けて書かれたエントリで、しかもその批判対象は「研究結果」のような確実性を求められるなにかであるべきな文章なのだろうな、「と思う」。たぶん文章を書かれた2004年11月当時だったら、何を指していたのか「わかる」文章だったのかもしれないし、まあ、リンク先のタイトルを見れば、あの話かってなんとなくわかるといえばわかるし、これを書きたくなる気持ちも察することができるような気はするのだけど。

でもこれを「思考停止文章」の条件として挙げるのは何か違うと思う。例として挙げられてるリンク先についてではなく、一般的な文章(レポートなどではない文章)を含めたものについて言うなら「〜ではないか」はむしろ考えてる途中の発言に感じるし、「〜と思う」って私が書くのは、むしろ「個人的な意見ですよ」というエクスキューズなのだけどなぁ。そういうのが

3.“原則的には”“基本的には”を多用する。

いいわけがましいズラ!

いいわけがましい、ということなのかな?

一年半も前の記事を取り上げるのってちょっとためらいがあったんだけど、ちょっと気になったので。自分でも「思考停止」ってどういうことなのか、もうちょっと考えてみたいです。

しかし我ながら「と思う」ばっかりの文章だなぁ、と思います。

[] 綿流し編

長らく停止していた「ひぐらし」を数カ月ぶりに再開。今日は「綿流し編」を終了して、崇をはじめるとこまでやりました。

悪質という噂を聞いてた「綿流し」ですけど、なんかもう、一番恐かったのはやっぱあの電話のシーンだったなぁ。あれでちょっとしばらくやる勇気なくしてたんだ。まだ忘れられない…。シナリオ的にはラストの畳み掛けが「悪質」でよかったですけど(よくないが)、恐さとしては「鬼隠し」のが全然こわかった。あれはないです。

オマケに癒されたりしつつ、祟はじめたら祟を崇と読んでたことに気付いていきなり恐い。

IMAOIMAO 2006/05/11 05:40 伊藤理佐って僕大好きですけど・・・・

ichinicsichinics 2006/05/12 01:52 私も伊藤理佐さんの漫画好きですよー。あ、ネタ切れ、というのは「短編賞」に該当する漫画家さんが、そんなにいないのでは、という意味です。長編と分けて考えるのがもったいないような気がする、というか。

IMAOIMAO 2006/05/12 02:17 あ、すんまへん、なんか誤解されやすい書き方しちゃいました^^
でも本当に伊藤理佐にしても短編って枠の人かなーって気しますし。
この人お手軽なんだけど、後から考えると人間観察の鋭さにいつも
感心させられております。あとその仕事量の多さに・・・

2006-05-10

[] 

レディオヘッド/クラブツアースタート

こちら(http://www.barks.jp/news/?id=1000022720)に5/6デンマーク公演のセットリストが掲載されてるのですが、新曲が8曲もあるってことにまず興奮するな。早く聴きたい。タイトルだけだと「15 Step」って曲が気になります。

その他、これまでのアルバムからプレイされた曲も好きなのが多くて(「A Wolf At The Door」とか「Black Star」とか)、なんとなく雰囲気を想像してみたり。ところで、レディオヘッドの曲の中で私が唯一あんまりすきじゃない「Street Spirit (Fade Out)」は今回も演奏されてて、私が見にいった公演でもだいたいやってたし、やっぱ好きなんだろうなぁ。そろそろ私も好きになる頃かもしれない。

summer sonic

今年は2日ともいく予定です。いつのまにか楽しみなメンツが増えていてうれしい。PHOENIXDJ SHADOWyour song is goodあたりは絶対みたいなー。でもステージ割り見てると、いろいろ重なりそうなのが不安でもある。

あの頃は背伸びして聴いていた

私がGo-betweensを知ったのは、ちょうど背伸びして音楽を聴いていた頃だったので、その音楽に、自分からぐっときたのはアルバムを集めて後という、なんだか恥ずかしい順序だった。それでも、のんびりと彼等のアルバムを聴き続けて、その名前は私にとって、ずいぶんなじみ深いものになっている。

彼等を知った時には既に解散していたバンドだけど、でもまた再結成(2000年)して、っていうのを、ほんのり、あーちゃんと世界は動いてるんだなぁと嬉しく思ったりしていました。

今頃2003年の来日(初来日だったはず)に行っておけば良かった、なんていっても遅いんだけど…でも、これからも聴く。

http://www.barks.jp/news/?id=1000022745&m=oversea

[][] 東京ゲストハウス/角田光代

角田さんの小説の中でも、特に「バックパッカーもの(仮に)」については、あらすじを読んでも、どれがどれだかよくわからなくなっていたりもして(文庫だと題名が変わっていたりするし)、ちょっと困る。でもこれは題名と内容が直結しているので、わりと記憶に残ってた、と思ったんだけど、先日フィールヤングではじまった「星乃谷荘へようこそ」で思い出して(id:ichinics:20060319:p3)再読してみたら全然覚えてなかった。

東京ゲスト・ハウス

東京ゲスト・ハウス

数カ月のアジア旅行を終えて、成田へ帰り着いた主人公が、そのまま旅の延長線上にあるような生活をする、というお話。

だれもぼくを待っていない。話している言葉は聞きとれるけれどそのどれもぼくに向けられていない。ああ帰ってきたと思える場所がどこにもない。だとしたらそれは、帰る、ではなくて、いく、の続きだ。いく、進み続ける、というのはたしかに魅力的だけれど、それが魅力的なのは帰るところがあるからじゃないの、と続けて思うのだった。(p5)

それは全てにあてはまるよなぁ、と思ったりした。

角田さんの書く旅の空気は久々で、面白かったんだけど、このお話のラストはしっくりこない。

前に「角田さんの小説に共通する題材は「日常の中に紛れ込んだ異物」だと思う」と書いたことがあったけど(id:ichinics:20050403:p1)、ここでの「異物」である王様は、そのキャラクターはとてもよくできているのに、主人公の世界に波風を立たせるまでに至っていないような気がする。主人公には最初から「帰る場所」が見えているし、それは「異物」との関わりのないところで見えている。だから、この物語が何を描きたかったのか、つながりが少しわからないような気がして読了した。

[] 伝わらない

「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」*1の続きをまだ考えてる。

あのときは、そこに例えば「愛」があっても、それが特別であることと特権的であることとは別のことだ、というような感じに頭がいってしまったけど、そうじゃなくて、そもそもの「伝わらなさ」について。

伝わらない、分かりあえない、が最初にあるとする。あると思う。それは理解する気がないとかでなくて、視点が重ならないとかそういうことを含め、歴史や思想を直接的に全体であらわす方法なんて、自分自身にたいしてだって、ない。

でもたまに、自分に(もしかしたら自分だけに)理解できるかもしれないなにか、逆に相手に(もしかしたらその相手だけに)伝わっているかもしれないなにか、と出くわすことはあって、それはなんか、いろんなことの切欠になる。そして、そのなにかが自分にとって、重要なことだと思えるとき、というのが、ある。それは本読んだり音楽聞いたり、そういう体験も含まれるし、ただひとりの人に向いてることもある。

でも、その発見の「すごさ」っていうのは、なかなか伝わりにくい(二重になってしまってるけど)ことだったりするんだなぁ、と思う。そして、その「すごさ」は自分にとってだけのものかもしれないんだよね、というのが、もちろん前提としてある。

だからこそ、最初の「かもしれない」から、「伝わった」と思えるようになったときは、嬉しい。しかしそのすばらしさは、意識され続けるものじゃなかったりもして、いつのまにか伝わらなくなってしまっていたり/そもそも伝わっていなかったりもする。するんだよな。

でもそこで、ちゃんと努力したのか、といわれれば、してなかったんだろうけれども(努力が何かはおいておいて)、してなかった間も、それが「ある」とは思っていたわけで、そもそもの支えにしていたものが、実はなかった、とか、分かりあえないってことだけを分かりあってしまった、なんてこともあるわけで、それを恐れないでいることは、難しい。だから自分の判断基準を、そこにゆだねることは出来ない。私が前にもやもやしていた、「〜すべき」への抵抗感は、たぶん、そこにあるんだと思う。

でも、それでも見てみたいと思うものは、まだあって、空中楼閣でもいいから建ててみたいと思うこともある。そんでまた後悔したりするかもしれないけど、それはきっと、ずっと先の話/かもしれないし、先の話も過去になる可能性だってある。

って、そんなふうに希望だけを見ることもできる。でも、戻れるのはどこまでだろう、と同時に考えてしまったりもする。

自分が何考えてるのかわからない。ただ、したいことと放り出したい気持ちがあることだけが見えてるような気がして、それが何なのかに名前をつけたくない。うわー!

いったい、私はなんの話をしているんだろう?

一夜明けて読み直したらまたわけがわからない。要するに「わけのわからん言葉で、意思の疎通をはかりたい」っていう「KIMOCHI」の歌詞がいちばんしっくりくる感じ。なんかおかしい。五月病?

[] ホスト部

面白い。なんかやたら楽しみにしている。登場人物みんないいしテンポもいいしベタだけどちゃんと笑えるし、面白いなぁ。

前回の双子の話では、サイファを思い出したりした。双子を見分ける云々というやつ。

で、今回は「やんちゃ系」の話だった。やんちゃ系は…人気あるんでしょうか。れんげの解説は面白かったけども。

ちょっとずつ漫画も読んでいて、来週は好きな話なので楽しみだ。

しかし、ホスト部について話できるのが妹しかいないというのが悔しい。

2006-05-09

[][] ビッグコミックスピリッツ 2006/23号

Quojuzコジューツ
連載再開。一番人気は誰なんだろうなぁー。私はかえでがいいです。
中退アフロ田中
大沢名言吐きまくりの回。そして井上は痩せない。
闇金ウシジマくん
フーゾクくん編はこわいけど面白い。杏奈が瑞樹のとこに乗り込むとこまでが今回。次号が楽しみだ、と思ったら休載か…。
バンビ〜ノ!
ちょっと褒められる伴の巻。高梨さんいいな。
ボーイズ・オン・ザ・ラン
うん。ボクシングの匂いが漂ってきた。例えば男の人にとって「強さ」へのあこがれがあるとしたら、女性にとってのあこがれってなんだろ?
fine.
上杉、お前は本当に馬鹿だー!こわいよー!

そういや20世紀少年の「最終章」はほんとにあるようです。よかった!(今号は竹熊健太郎さんの「それいけ!!20世紀少年探偵団」が掲載されてる)

[][] 萌えとかフェチとかそそられるとか

萌え」という言葉をほとんど使ったことがない、というか使うのには若干抵抗があるのは、私がその言葉をちゃんと(今もまだ)理解してないだろうからなんだけども、言葉というのは不思議なもので、なじんでしまえば、それを以前はどのように言い表していたのかがよくわからない。

「〜が好き」とか「〜にときめく」とか、そういう言葉ではなんかしっくりこない衝動のようなものはやっぱりあって、それとニュアンスが近いのかなと思って理解してきたけど、でもそれは「萌え」のキーワード解説にあるいろいろとは何か違う。

例えば特定のキャラクターではなくて、特定の状況下におけるキャラクターにたいしてとか(例えば見栄を切るような場面の、こそばゆいけど、いいねーと言いたい感じとか(アニメ版ホスト部の第三話のことです))、例えば風景とか建築物とか飛行機の離陸とか、そういうものに対する「そそられる感じ」を「萌え」といってもしっくりくる気がするのだけど、使用法としては間違ってるのかもしれなくて、でもなんかもう「そそられる」では弱いし「フェチ」では強すぎる。

その辺の、新しい言葉はまだなのか、それとももうあるのかなぁ。

[] ほっけのお刺身

f:id:ichinics:20060430234032j:image:h150

連休中(わりと)がんばって、今日いろいろカタがついた、と思ったら、別の方角から最悪なお知らせが。吉報の反対って何ていうのかな? 凶報?

もう怒る気もしないし、むしゃくしゃもしない自分にちょっとびっくり。

ただ、最悪な状況を楽しみたい気持ちもあったので(悪趣味)、月曜だというのに飲みに誘われてしまった。そしてちょっといい気分になって、私はもう少し、といわずたくさん、いろいろ考えなくてはと思った。

ほっけのお刺身がおいしかったなぁ。

画像は青森でとったやつ。なんていう花か忘れてしまった。

 あちこちに地雷が

今日はどこへいっても地雷だらけだ・・・。今週のジャ○プ・・・。何があったのか猛烈に気になる。単行本派に切り替えたことを悔やむばかりです。あー。

2006-05-08

[][] 「ソラニン」2巻/浅野いにお

かなりグッときた。どーっと押し寄せるいろいろに飲まれてしまって、どうしようって、ちょっとおろおろするくらい。客観的な感想は書けそうにないけど、つまりとても簡単にいえば、一番痛いところを直に触れられているような気分になる物語だった。

ソラニン 2 (2) (ヤングサンデーコミックス)

ソラニン 2 (2) (ヤングサンデーコミックス)

1巻を読んだ時(id:ichinics:20051210:p2)、私は芽衣子にイライラしていた。展開のベタさにもむかついていた。でも、それは、私がこの物語を、種田の物語だと思って読んでいたからなのかもしれない。でも違った。2巻を読んだら、ちゃんとあの苛立ちの先があって、ベタにもベタを越えるものがあって、だからきっと、あの苛立ちも、物語に組み込まれてたんだと思う。

15話を境に、物語は裏表になって、つまり芽衣子の物語になる。

ビルがあって 道路があって 車が走って 人がいて、

うれしいことも かなしいことも、

すべてが奇跡のバランスで成り立っていて

街のエネルギーみたいなものに

今の私は簡単に呑み込まれてしまいそうで、

自分が、前よりも随分弱くなっていることに、気付く。

#23

いろんなことに気付かないで、疑わないで、赦していられれば、たぶんきっと無敵でいられる。でも一度立ち止まったら、奇跡のバランスに気付いてしまったら、「ふざけんな」って思ってしまったら、そこから抜け出す/続けるには、何かを発見しなきゃいけない、ような気がする。でも、もし「見つけた」と思っても、その先また抜け出せなくなるときがこないとは限らない。いろんなものが、裏表でくっついていて、ぐるぐる同じところを回っているような気分になる。

でも、もしかしたら、良いこと、悪いこと、大事なこと、意味のあること、そういうもの全部が本当は何でもなくて、自分が発見してはじめてそれに名前がつけられるのかもしれない、なんて思う。安全で、確かで、まっすぐな道なんて、たぶんなくて、どうやったらこの輪っかから飛べるのかもわかんない。そんなことを考える自分を笑うのは、いつも、いつかの自分なんだよなぁ。そして、そういう小さな気づきが、いつか「見つけた」に繋がるのかもしれない。なんてことを考えた。

そのへんの葛藤に答えるビリーの台詞がいい。

たぶん俺にとって、人生ってのはただ生きてくってことでいいのかもな。#25

物語の中に何度も出てくる、この河原には、私も居たことがある。というか、私はここで、卒業制作の映画を撮ったんだった、ということに2巻でやっと気が付いた。

あの頃の私は、真っ青だった。そして無敵だった。こんな「今」にいるなんてことをまるで想像していなくて、その足下がずっと先まで続いていることを信じて疑わなかった。でも、私はそれを笑わないし、この「今」に名前を付けるのはもう少し先でもいいと思ってる。

輪っかはまだ、閉じてないし、いつだって最新だ、と思うけど、時々足の裏にあるそれを思い出す、そんな漫画でした。

[] UP&DOWN,SLOW FAST

f:id:ichinics:20060508023530j:image:h150

久々に下北に行って、下北つながりの友達とお茶。

思いで話とか、最近のいろいろとか、とりとめもなく話していたら、もう数年前のことをつい先日のことのように思い出して、ぐわーんとなる。楽しくてしあわせだった。けど、悲しいことも少し思い出して、なんだか感傷的な気分になったところに、「ソラニン」読んで、よけいにぐらぐらした。大丈夫なときもあれば、だめなときもあるんだよ。ただ、大丈夫なときのほうが、確実に多くなった。なくなることはないと思うし、それでいいと思う。でも、もうすっかり遠いなぁ。

帰り道、雨の降る中を歩いてたら、突風で傘がおちょこになった。でもむきを変えたら勝手に復活してちょっと笑った。修理に出していた靴を受け取る。「まだ雨降ってる?」「はい、さっきまで、やんでたんですけどね」とか、それだけの会話が、うれしい日もある。

帰宅後、暗くした部屋でビール飲みながらDVD鑑賞。楽しい。暗がりでゲラゲラ笑ってたら妹に気味悪がられる。

[][] 茶の味

茶の味 グッドテイスト・エディション [DVD]

茶の味 グッドテイスト・エディション [DVD]

監督:石井克人

面白かった・・・。笑って、爆笑して、クスクスして、泣いて、じんわりした。見ている間中ずっと幸せな気分で、子供の頃の、世界がはてしなく広かった感じを思い出したりした。

大好きな映画。もっともっとあの映画の中にいたかったなぁ。

 ◇

物語は春の春野家のひとびとをめぐるお話で、全てがバラバラの場面のようで全てが「物語」。そのバラバラっていうのは、まさにそれぞれの頭の中で、それぞれがそれぞれの思考回路で動いてるんだけど、家族はちゃんとおんなじ空気につつまれてる。あったかい。それはたぶん、あの夕焼けみたいなもので、誰のとこにもあるんだろうなぁ。

アニメっていいなぁ、とあのスケッチブックのシーンでしみじみ思った。

さっちゃんはひたすらかわいいし、恋してるはじめもかわいくて面白い。

うちの弟もそういやよくシャドウボクシングしてたけど、あれはもしかしてそういうことだったのか・・・とか思いました。

IMAOIMAO 2006/05/09 00:08 昔、狛江に住んでいた事があって、休みの日にはその時付き合って
いた彼女と遊びに行った事があった様な気がする。
多分行ったのは一回か二回なんだけれど、本当にあの頃の気持ち
がそのまま蘇ってきてこの『ソラニン』という漫画には本当に
泣かされてしまいます^^

ichinicsichinics 2006/05/09 02:33 IMAOさんこんばんは。狛江に住んでらしたことがあるんですね。あの辺には友達が住んでいるので、今もわりとよく行きます。以前はよく多摩川で魚焼いて食べたりしてました(笑)
「ソラニン」にはいたいとこ突かれました。もうちょっとしたら、もっと冷静に感想書いてみたいと思ってます…。

2006-05-07

[][] アトモスフィア西島大介

アトモスフィア (2) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

アトモスフィア (2) (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

一巻を読んだとき(id:ichinics:20060327:p2)には、なんか釈然としない感じもあったのだけど、読み終えてみると、ちょっと「やられたー」って感じがした。面白かった。

どう考えたってふざけてる。

だから それと同じくらい 自分がふざけなくちゃ つりあわない。(p144)

この台詞以降の展開は、古川日出男さんの『ルート350』に入っていた「一九九一年、埋め立て地がお台場になる前」、および昨日聞かせてもらった朗読の内容ともつながるところがあった。それを「うるう日」と表したのが古川さんで、西島さんの場合は、あれで。さすが、と思う。特に、最後の4話はアニメで見てみたいなぁ。

[] 「宇宙」/フィッシュマンズ

宇宙 ベスト・オブ・フィッシュマンズ

宇宙 ベスト・オブ・フィッシュマンズ

ここ最近こればかりかけている。買ったのは、もう約1年前で、時が経つのは早いような、とまっているような。

「空中」が「晴れ(昼)→夕暮れ時→夜」をイメージして選曲されたものであったのに対して、「夜→深い夜→夜明け」をイメージして選曲されたのがこの「宇宙」。

disc1は大好きな「ずっと前」からはじまって「新しい人」で終わるから、「空中キャンプ」を聞きまくっていた頃の、ヘッドフォンで聞きながらねたりとかするくらい、ほんとにあのアルバムばかり聞いてた、「空中キャンプ」のプールに漬かっているみたいな気分を、思い出したり、する。「エヴリデイ・エヴリナイト」はこの流れで聞くと全く印象が違うなと思った。

そしてdisc2が、やっぱりすばらしい。「ナイトクルージング」はデモの時点で歌が完璧に出来上がっているのにも驚かされるし「バックビートにのっかって」のデモもいい(これだけ欣ちゃんの解説がないのが気になるけど)。なんかあったかい感じがする、こもった打ち込みがいい。リミックスでは「MAGIC LOVE」のソウルセットmixがいいなぁ。ボサノヴァ風。未発表曲「A PIECE OF FUTURE」は映画「long season revue」にも随所で使われていて印象的だった。

いくつもの季節がすぎさって年をとっていく

きのうのことさえも ずっと昔みたいに

「ずっと前」

もうすぐ夏だ。

[] 時空ポケット

今日は一日かけて、部屋の掃除をした。

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2006-05-06

[][] 古川日出男トークショー@青山ブックセンター

ABCで行われた、古川日出男さんのトークショー(『ルート350』の刊行記念)に行ってきました。行って良かった!

わりと最近まで作家(小説家)さんのサイン会とか、講演会って、自分の中にある小説のイメージが、何かかわってしまいそうな気がして、縁遠かった。同じ理由でエッセイもあんまり読まない方だったのだけど、でも最近は読書をしていて「どう読めばいいのやら」と戸惑うことが減ったというか、自分の読み方で(特に小説は)いいのかなぁと思えるようになってる。という訳でABCのイベントはかなり活用させていただいてるのですが、今回の古川さんの場合は、行く前から、大丈夫に決まってる感じがしてて、そして実際に話を聞いてみたら、やたらと感動してしまったんでした。

 ◇

前半の仲俣暁生さんとの対談でまず「ルート350」から想起されるアメリカのハイウェイとか、そういう「みち」についての話があって「車や電車での旅におけるサウンドトラックとなる本をを書いている。サウンドが文体であり、風景が物語だ」と語ってらしたのが*1、まさしく古川日出男作品を言い表してるなと思った。ってまだ私は全部の作品読んでないのでおこがましいんですけど、なんというか「書く」ということにたいして、きちんと客観的な視線を持ってる方なのだなという印象だった。そして、書くことへのストイックさと、読者への寛容さが同居しているような気も、して、そこにとてもひかれた。

そして手でなくてタイプライター(およびキーボード)で書くことについての話がまた面白くて、タイプライターも楽器も車も、自分の延長線上にある「自己拡大マシン」のようなものだ、とおっしゃっていたのもなるほどと思った。手書きのスピードは、やはり遅い。言葉がのっているときに、手書きではそれを捉えきれない、というその感覚も、わかるような気がした。もちろん、一文字一文字を矯めつ眇めつしながら書くやり方の作家さんもいるだろうけれど、古川さんの文章は、あの疾走感こそが命なのだと思う。文章にも、その言葉をとらえようとする、焦燥のようなものが、かいま見れる気がするし、と言ったら図々しいかもしれないけど、それは私が古川さんの作品に感じている魅力の一つでもあるのだ。つまり、読書がまるで、ライブのようで、それに踊らされるという感覚。

そして「書き方」についての質問で、エディタで横書きで書きながら別のブラウザで縦書きに変換しつつ書くという話をされていて、これも「おおー」と思いました。どのフォントで読んでも、縦でも横でも格好の良い「のれる文章」。のるよ!

 ◇

でも今日の一番の感激は、古川さんによる朗読だった。初めて発表され、そして今後も発表されることはないだろう、とおっしゃっていたそれを、会場にきた人たちのために朗読してくれたのだ。その読むリズム、呼吸、全てが私がそれを読んでも同じように息継ぎをするだろう、と思ってしまうくらい、しっくりきて、耳に心地良い。けれどその内容は、じんわり沁みるボディブローのようだった。

『ルート350』を読んだときに、私は『物語卵』と『一九九一年、埋め立て地がお台場になる前』の間に、何かがあるような気がしてて、感想ではイメージの「統合」の仕方についてしか書いていないけど、そこをうめるものが、これだったのかもしれない、と今は思う。私も見た。ただ見ていた。何回も繰り返される、□□のお話。□を埋める言葉が、イメージでしか浮かばない。でも、私は、うるう日から抜けられるんだろうか、もしかして眠り続けてるんだろうか。そんなことを考え、ちょっと鳥肌が立つ。

 ◇

私はほんと、一人でいるとやたら感激屋なんだけど、その朗読された物語が、この耳で聞く一回きりのものであるということにもまた感動していた。すごい。何がかわかんないけど、すげぇ。かっこいい。しびれる。

そしてサインは二冊してもらえると聞いて、会場で『LOVE』を買った。ゲンキンだなと思ったけど、でもいいんだ。ミーハーだ。並んでみてたら、一人一人に違うサインをして下さってたみたいで、私のも二冊とも、その二冊のためのサインをして下さって、なんかものすごくうれしい、と思った。

サインしていただくときに、何か朗読の感想を言いたいと思っていたのに、結局は「これからも作品楽しみにしてます」しか言えない自分がふがいなかったですけど、でも握手してもらって、手があったかいなぁ、とか思ってまた感激した。

そして、家に帰ってきて、『LOVE』にもらったサインの文字が、会場では『LOVE』に見えてたのに、実は『LIVE』でまた感動する。わー!

古川日出男作品感想など

[] 靴を一日持ち歩き、持ち帰る

13時からのトークショウに間に合うように家を出て、ABC行って、青山でランチでも、と思ったけどなんか頭の中がそんな具合ではなく、古川さんのこと考えながらボーっとしつつ電車に乗る。ヤバい人みたいですけどヤバい人です。にやにやしていたと思う。

そして会社について、仕事。意外なほどさっくりと終了し、ネットで見たかった映画を、と思って調べてたら、メルキアデスエストラーダが終わっていて大ショック!あああ、恵比寿じゃなきゃ会社帰りでも行けたのに、と思いつつ、どこかで再上映してくれることを願い、ブロークンフラワーズ見にいくことにする。

ご飯食べながら本読んでじっくり時間を潰した後、買い物とかして映画館へ。

そんで今この日記を書きはじめてる訳ですけど、はてなのキーワードからだけでも、ABCのトークショー行かれてた方が数人いらして、びっくり。世間って狭い。ってなんか違うか。でもなんか、不思議だなぁ。

で、トークショウの感想書こうと思って鞄からサイン本取り出したら、今日修理に出そうと思って持っていっていた靴を持ち帰ってきてしまってることに気付いた。道理で鞄が重いと思った。

[][] ブロークン・フラワーズ

監督:ジム・ジャームッシュ

見にいってきました。新宿にて。

ビル・マーレイ演じる、女たらしの中年男、ドンの元に届いた一通の「ピンク色の手紙」が謎をよび、友人ウィンストンにのせられてかつての恋人たちを訪ねあるくというロードムービー。

とにかくドンはずっと、見てるこっちが「しょうがないなぁ」といいたくなってしまう感じなのだけど、きちんと「たらし」の片鱗もある。でもなんか可笑しみもある。そんで、どうみてもよれよれなんだけど、あー、実際モテるでしょうとも思う。なんだろ、ほっとけない感か。

手紙の「謎」自体は、あれ冒頭のワンカットでネタばれしてると考えていいんだと思うんですけど、それでもなんか、浮き草みたいな自分の人生に気付いてどっか捕まりたくなっちゃう、みたいなラストシーンの「ぐるり」はこの物語で唯一(たぶんね)の切実さを伴った場面ともいえると思います。

しかしジム・ジャームッシュの特徴でもあるあのフェイドアウト/フェイドインで場面をつなぐやり方は眠気を誘うようで、会場からはいびきも聞こえてました。

個人的には、うーん、面白かったんだけど、ひと味足りない感じがした。総括する台詞がもしかして、ラストのあれだったのかと思うのですけど、それはちょっと、というかんじ。でもその「しょうもなさ」がこの映画かなぁとも思うのだけど。

ところで作品中で「ドン・ジョンストン? ほんとに?」と聞かれ「Tが入る」と答える場面が数度あったのだけど、あれどういう意味なんだろ?(←人気刑事ドラマ「マイアミ・バイス」の俳優と一字違いということらしい)

*1:記憶で書いてるのでこの通りじゃないですが、ニュアンスは近いと思います

IMAOIMAO 2006/05/06 01:48 おばんです。
「メルキアデス〜」観逃しちゃいましたか。
周りでもあまり観ている人が少なくて、ある意味すごく
男臭い映画なので、女の人の感想を聞いてみたいので残念です。
しかし吉祥寺のBAUSあたりでやってくれそうな気が・・・・
ところで最近は映画館がDVDのプロモーション化しつつあって
回転が早すぎて困りもんですね。
早く終っても良いから「そろそろ終るよ」的なメールサービス
とか配給会社も工夫してもらいたいものです。

ichinicsichinics 2006/05/07 02:33 こんばんは。見逃しちゃいました…。公開前から楽しみにしてたのに、なにやってんだか、です。でも確かにバウスあたりは期待できそうですね。できればスクリーンで見たい(DVDやビデオだとあんまり集中できないので)ものです。
都内では順番に一館づつ回ってくれたりするといいんですけどね。個人的に恵比寿はなかなかいけないので、恵比寿のは逃すこと多いです。見たいのも多いのに。

2006-05-05

[] もとのもくあみ

朝起きて、衣替えとかして、洗濯機ガンガンまわして干しまくって、その合間に処分する本選びの続きをやって、でかい紙袋二つを持って近所のオフへ。CDもちょっと売ったので、しめて三千円くらいになったんだけど、結局三千円以上買い物してるっていう。なんでそうなるかな…。行く前は買っちゃダメだ…とか思ってたはずなのに、着いたらもう、まあ読んだらまた売ればいいって清水國明もいってたもんね、というあっさりな感じだった。負けた。というわけで、これからのオフは貸本屋感覚で利用しようと思います。でも、本来の目的である部屋の片づけとしては失敗だ。もとのもくあみだ。

ちなみに「元の木阿弥」を辞書で検索してみると、

一説に、戦国大名の筒井順昭が病死したとき、その子順慶が幼かったので、死をかくして順昭に声の似た盲人木阿弥を替え玉として病床に置いた。順慶が成長したのち、順昭の死を公にし、木阿弥はまたもとの生活にもどったという故事からという(msn辞書より)

とのこと。知らなかった。なんというか…これは元の生活に戻れて良かった、という話なのかな?

帰宅してからは、Uターンラッシュが始まっているらしいというニュースを横目に、仕事。私のGWは始まってないのか、それとも終わってるのか。でもなんとか終了して、あとは明日出かけたついでに会社寄って少し作業すれば終了なはず、だー。

* * *

ところでオフで査定みてて思ったんだけど、あそこってほんとに「本のきれいさ」で査定してるんだなと思った。本屋のカバーかかったままで査定してるんだもん、びっくり。そしてCDの買い取りは以外と高いのねと思った。ユニオンで買った時の値段以上で売れたよ。これもびっくり。

IMAOIMAO 2006/05/05 13:25 僕も先日段ボール箱一杯の本を売って?1500になったかと
思ったら、その古本屋で?4500の本を一冊買ってしまいました^^
結局そういうもんなのかもしれないし、省スペースにはなった
とは思うのですが、一日一冊づつ増えてゆく様な気がする本や
雑誌はどうすれば良いんでしょうかねー???

ichinicsichinics 2006/05/06 00:33 やはりそういうものですよね(笑)なんかもっとすっきり暮らしたいという願望はあるんですけど、本やらビデオやら、積まれていく一方です。私は一体一生に何冊本を読めるんだろう、とかふと考えちゃいます。ほんと、どうすればいいんでしょうね? いつか執着がなくなる日がくるのでしょうか? でもそんなのもいやだなぁ。

2006-05-04

[] 宗教も倫理も似たようなものなんじゃないかな

宗教にまつわる話題を見聞きしていると、特定の宗教を信仰している/したことのある人、と、ない人の間には、壁というか、越えにくい溝のようなものが「ある」とされているような気がする。

例えば、外側から宗教を見る人が「理解しがたい世界」というような言葉を使ったりするのだけど、そもそも、同じ宗教を信仰している人同士でも、その「世界」観は共通してないんじゃないだろうか。なんて質問形にしてみると、なんだかそんなの自明なこと、な気もする。

個人的な感覚では、宗教というのは、倫理や言葉と同じで「それにあるていど共通の意味合いを伴って使う人々」の集まりが「宗教」という括りに集められているような、そんな気がする。

例えば、神という言葉にしても、それがどの神を指すのかは、たとえ宗教を信仰していなくても、属している慣習とか国とか、そういうもので、かわるだろう。例えば、この前行った青森で「山と暮らす」人たちの生活をかいま見たりすると(というか友達の話を聞いて、だけど)、今まで民話や神話のたぐいでしか認識していなかった「山岳信仰」(と言っていいのかもわからないけど)というものは、今もちゃんとあるんだなぁと思ったり、した。自然の神聖さというのは、そこに暮らしている人でなければわからないものなのかもしれないけど、それが「ルール」としてあるという意味では、社会における倫理、道徳と同じようなもの、ってとらえてもいいような気がする。

でも、その宗教の捉え方、信じるようになる切欠、体験、動機、というのはその人それぞれなはずだし(たとえそれが生まれた場所に拠る、とかでも)、その人の「信じ方」というのは、他者に理解されうるものなんだろうか?

それが宗教でなく、その人にとって大事な何か(家族、仕事、理想、なんでも)だとしても、それどれくらい大事なのか、なんて、他人にわかるだろうか?

それが仮に「神」を信仰する宗教だったとしたら、それを理解するのは「神」だけであったりしないのかしら。そして、その「神」っていうのは、その人個人の中にあるんじゃないかなー? とか、言ったら怒られるだろうか。でも、例えば「悟りを開く」とかって、そういう感じじゃないのかな、とか、イメージしている。

だから結局何か、といえば、例えば特定の宗教の信仰者同士だって、同じ考えを持ってるわけじゃないんじゃないかということ。

例えば「ゴミのポイ捨てだめ」という「倫理」があったとして、でも例えば「たまたまポケットから落ちたゴミを拾わずに行ってしまう」「ゴミ箱でないところにゴミを捨てる」「不法投棄」の、どこまでを許すか、許さないか、そういう「自分」にかえってくる問いと、つながるのではないかと思える。

ただ、私が不思議に思うのは、自分の中にある何か、ではなくて、外側にあるものを信仰しようとすること、というか、他者のイメージを受け入れるというやり方、だったりする。例えば自分の中にある、いくつかの疑問に答えを与えてくれた「宗教」を信仰したとして、でもその宗教は、これから生まれるだろう疑問に「確実に答えを与える」とは限らないという可能性を考慮しないやり方、もやっぱりあるんだろうなぁと思って、でもそれって、先に世界を限定するやり方にならないのかなぁ、とか、思う。

なので私も最終的には「一人一宗教」に賛成、というか、基本的には(とりあえず私は)そうなんじゃないのかなぁ、とか、思います。前に宗教についてちょっと書いたとき(id:ichinics:20051209:p1)とは少し考えがかわった、ような気もする。

それは例えば、こんな感じ、かな。

「ああ 彼はついに 全世界を 部屋にして そして そのドアを 開け放ったのだ」

『ロストハウス』/大島弓子

あんまり好きすぎて、この部分ばかり何回も引用している気がするので、そのうちちゃんと感想書こうと思う。

[] さよなら本たち

GWなので、部屋の掃除をしている。ゲームもしているけど、掃除もしている。でもこの、ちょっとした古書店を開けてしまいそうなくらいの本たちについては、もうどうしようもなく、増えていく一方なので、読み終えており、かつもう読み返さないだろう本たちについては、処分することにした。

紙袋に入れる基準、というのは、いまいち不鮮明なのだけど、その本につまった思いで(どこで買ったとか、どこで読んだ、とか、誰に貸した、とか)が重くても、その中身について思い入れがあまりない本、というのは割合はっきりしていて、でもそれはつまらなかった、という訳ではないんだよなぁ。

漫画雑誌に関しては、読み終わってメモして捨てる、というのでなんというか消費した達成感あるので捨てやすいんだけど(ってコミックス買うからか?)。で、なんでIKKIは感想書き忘れるかというと、捨ててなかったからなんだよね。創刊号から全部あったけど…もう捨てることにしました、さみしい…。

[][] IKKI/5月号

という訳で一月遅れだけど一応メモ。

さらい屋五葉
独特のしっとりした感じがいいなぁ。乾ききっていない墨みたいな感じ。それは絵だけじゃなくて、この主人公のくよくよとか、人々の言葉遣いとか、なんかしっとりしてる。そして決心するって回。
ぼくらの
切江編。事態の輪郭が少し広がっただけで、見えるものが全然違う。「ぼくらのこの地球は、継続に足る存在なんだろうか?」
金魚屋古書店
今回は「気分はもう戦争」。
海獣の子供
空と海、の関係を見て、久々に「昴」を思い出したよ・・・再開しないのかなぁ。でも空と海は兄弟じゃないのかな?
ブランコ
ついこの前の「世にも奇妙な物語」にこんな話があったな。
SWWEEET
うううう、おしい。さくらの畳み掛ける台詞の場面、なんかもうちょっと迫力が欲しい…、というか全画面文字が上ってのが偏って見えるのかなぁ。あと左はしのコマの写植が中央じゃなく見えてスペースが気になる…(ページ左端が(こまかい))。こういう罵倒シーンというか、感情の起伏が激しい場面って難しいだろうなぁと思う。
period
うわーん! かなしい。でもよかったね。でもさみしいい。
ナツノクモ
クロエがスイッチ(?)する場面がすごい。すごいよ。うまいなぁ。声付きで聞こえる気がする。
フリージア
ヒサエ編は相変わらず面白い。途中から読んだ人はきっとヒサエが主人公だと思うんじゃないかなぁ。驚いたの映画化のお知らせ。知らなかった。監督は熊切和嘉さんだそうです。

2006-05-03

[][] SLAM DUNK(その5/23巻〜31巻)

スラムダンク (23) (ジャンプ・コミックス)

スラムダンク (23) (ジャンプ・コミックス)

あー書くより読む方が早くてすっかり忘れてたスラムダンク感想はもうそのまんまにしようかな、と思ってたけどなんとなくすっきりしないので続きを。

いよいよインターハイへ出発。23巻の冒頭での水戸とハルコの会話が、よく読むと切ない。

「ハルコちゃんにはバスケは不向きだったんだよ」/(略)/「桜木君にはきっと…バスケはぴったりだったんだよね」

豊玉のラフプレーに翻弄される湘北。でも悪役になりがちなラフプレーと「ラン&ガン」にこだわる気持ちにつなげていくことで、この豊玉高校はかなり印象に残ったチームでもある。『勝てば官軍』という言葉で語られるかつての監督の言葉が、後の山王にかぶる。

「日本一の選手ってどんな選手だと思う…/きっとチームを日本一に導く選手だと思うんだよな」という流川の名言&伏線、それに花道の合宿シュート成功。p71の「母鳥の心境」というのが、大事なターニングポイントのような気がする。アイデン&ティティの感想でも書いたけど(id:ichinics:20060411:p1)こういうのは少年の成長ものの法則のようなものなんだろうか? 27巻冒頭の「NO1ガード」(好きな場面)とかも。逆に少女もので父的なものからの脱皮、というテーマはそれほど多くないと思うんだけど。

ともかく、25巻から、いよいよ山王戦。この段階では名朋工業の森重「山王って何?」発言があるので、もしかしたら森重との対戦もプロットにはあったのかなぁ、とか思いながら読む。

山王戦は、長いということもあるけど、誰対誰、という単純な図式で読めない、入り組んでいる試合で読んでいる最中の一場面一場面をクローズアップして試合が描かれている。もうあっちもこっちも行き止まりに見えたところで「あきらめたらそこで試合終了ですよ」の名台詞が・・・!(27巻p148)

No1を目指す男、No1になれなくても、勝ちは譲らないと言う男。そしてあきらめの悪い男三井は自分の体力のなさを認め、リングだけを見る。味方を信頼しきる事でなんとか支えられてる――。ってのがまた泣ける。

28巻は桜木のリバウンドが認められ、河田にマークされるところで終了。そして流川の出番だ。

流川と対決するエース沢北の過去はなんとなく、これまでのと比べると物足りない気もするけど(すみません)まあ「ボールは友達」っていうキャラはそういやこれまでいなかったしな、なんてことより、あの1on1で抜いていく沢北の迫力で納得。で、流川と沢北を中心に話が進んでいくなかで、流川と仲間を結ぶ線が見えてきて、なんかもう全てが名場面。スポーツはあまり見ないので、比較対象がないのが残念だけど、語りぐさになるような試合ってそういうものなのかもしれない。

30巻p139の安西先生の語り。#268と#269の展開で、この物語は決着しているとも言える。

そして「オレは今なんだよ!!」から始まる最終巻。桜木から流川へのパス、そして倒れている桜木の目、そして「左手は添えるだけ」の桜木への流川のパス。

ここで描かれるのは、むしろ決着ではなくて、新しい物語の始まりを予感させている気がする。

スラムダンク (31) (ジャンプ・コミックス)

スラムダンク (31) (ジャンプ・コミックス)

感想まとめ

1〜5巻/id:ichinics:20060330:p1

6巻〜11巻/id:ichinics:20060331:p1

12巻〜16巻id:ichinics:20060402:p3

17巻〜21巻id:ichinics:20060407:p3

2006-05-02

[][] 「ルート350」/古川日出男

ルート350

ルート350

読んだ。面白かった。

古川日出男さんの新刊で、短編集、なのだけど、世界観には共通するところがある。世界観、というのはそれこそ「世界の見方」みたいな意味で、物語の中に入ると、どんどん視点が持ち上げられていくのがわかる。凧に乗せられて、風を孕んで舞い上がるみたいにして。

そして、それは古川さんの作品全体に共通する部分なのかもしれない。とりあえず、ここ最近に読んだ四作品についてはそう感じる。だから、昔読んだ時には、しっくりこなかった「アビシニアン」も、今読めば、おお、と思うところがあるのかもしれないし、あの公園での生活は今も私の中にある、という意味ではしっくりきていたのかもしれない。ともかく、読書というのはそのように、出会う時によって全く見えてくるものが違ったりするし、それが面白いところであるとも思う。

以下、特に印象に残った作品について覚え書き。

お前のことは忘れていないよバッハ

最初、少しのりにくいと思った。それはその語り口になじむための準備期間でもあって、古川日出男の文章、というものにある程度なれてきた今ではそれを了解して自分がのれるまで待つことができるけど、古川さんの作品が「人を選ぶだろう」とよくいわれる(いわれているのを目にするし、私もそう思う)のは、このイントロによるところも多いと思う。この短編については、その中で描かれる話はとても魅力的だった反面、外側の輪郭についての情報がなにもないのが、すこし気になった。なぜ彼女は今それを語ったのか。そこは含まれなくてよかったのかな。

カノン

ボーイ・ミーツ・ガールのお話といってしまったらあまりにもおざなりだけど、この話に詰め込まれている、様々な断片の気配が、面白いなと思う。レプリカであることと、本物であることの、表裏一体さというか、最近話題のマウス君の話にも応用できる。でもラジオの使い方がいまいちしっくりこなかった。

物語卵

ここにつまっているのは、孵化寸前の物語の卵たちで、私はこんな小説を初めて読んだ、と思う。頭の中にある断片たちが入れ替わり立ち替わり語りはじめ、追い越し追い越される。それは何か統合されるべき器のようなものを見つけたとき、改めて孵化するのだろう。

一九九一年、埋め立て地がお台場になる前

そしてその「統合」のイメージは、例えばこの短編で描かれる「夢」の並べ替えと同じようなものなのではないだろうか。夢の順に記憶されていることを、並べ替え、意味を見つけだす? 何か違うかもしれないけど、「物語卵」のすぐ後にこの作品があるのはそういうことなんじゃないかと思ったりした。そして、でもその点を抜かして見ると、この作品は素晴らしく面白いSF(もしくは奇想)小説なんじゃないかと思う。

メロウ

面白かった。「頭が良すぎて、いっさいを理解するが、それを小学六年生の程度に合わせて解答することができない」子ども達の「戦争」の物語。面白かった。

僕たちは一つだ。僕たちははなから複数化して存在するが、ある瞬間、単数化している。p221

ここ読んで、これは古川日出男版『人間以上』なのかもと思った。これを長編で読んでみたいと切実に思う。面白いなぁ。

[] レンタル落ちビデオ積み

ブックオフやツタヤで最近良く見かけるレンタル落ちセルビデオを買い過ぎてしまって困っている。どうするつもりなんだろう、って自分でも思うんだけど、でも、レンタルするより安かったりするから、つい買ってしまう。この前なんか押井守祭りで、今日は劇場版クレヨンしんちゃんが大放出されてたり、ある日は相米監督特集だったりとか、しかもどれも300円とかで、いいのかなぁ、って思いつつ、買ってしまう。そしてさらなる掘り出し物を見つけようとしている自分に気付いて、あきれる。

ともかくGWには、積んであるそれらをひたすらそれを見よう、と思っている。

しかし、もうビデオはカセットテープのように消えていくつもりなんだろうか。誰のつもりかはわからないけど、なんかさみしい、けどやはりビデオは場所とる。

[] 買ってしまった

荒木飛呂彦T、妹に買ってきてもらった。格好いいです。キラークィーンぽいです。しかも千円て! すごいな。

でもどこで、どう着ようかが迷うとこだったり。

http://www.uniqlo.com/L4/getitem.asp?hdnItemMngCD=u36350

[] 夏かと思った。

今日は気持ち良い天気だった。今日くらいの気温の季節が、もう少し続けば良いのにな。

天気がいいと、ちょっと元気になる。体も軽い感じがする。気分のいいうちに、いろいろかえたり、決めたり、整理したりしなきゃな、と思う。億劫だ。最近なかなか100パーセントの気持ちになれない。それはとても寂しいことだと思う。

IMAOIMAO 2006/05/02 04:18 こんばんはです。
仕事柄ビデオテープは最近は大量に処分し始めておりますが、
確かにビデオでしかないモノや、人から貰った貴重なモノとか
処分にこまりますー。
あと「最近なかなか100パーセントの気持ちになれない。」って
なんか良いフレーズですね。気に入りました^^

ichinicsichinics 2006/05/04 01:35 こんばんは。ビデオはほんと置き場所に困りますよね。私は大学の頃にビデオテープ使って勉強(?)してたので、その頃のも大量にあって困っています。ですがその当時の名残もあって、未だにビデオのがなじみ深いんですよね。でもやはり処分されてるのですか…。
あと、100%のくだりは、なんか弱音ですけど、反応いただけてうれしいです(笑)なれるようになりたいものです。

2006-05-01

[][] 「よつばと!」5巻/あずまきよひこ

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

「おわらない夏のおわり」、と帯に書かれてるのをみて、4巻の感想をいろいろ読んでいた時に「おわらない夏」について書いてる方が多いなぁと思ったことを思い出し、おー、と思った。やっぱり舞台が夏であることは、ほかの季節に比べるとずっと特別で、それはなんでだろって考えると、やはり「夏休み」だからって浮かぶんだけど、でもそれだけじゃない、あの特別さは何なのかなぁ。夏は、やたらと楽しい。あんまり深く考え込む気がしない。晴れている日が多い。思い出がいっぱい。全部夏休みのような。

よつばとてつだい!」はオチがうまいなーと思った。確かに子供って、因果関係抜きにして最後(最新)のことを言うよな。「よつばとやんだ!」は最初やんだの見た目がなんか、あずまさんの絵っぽくないような気もしたけど(高校生かと思ったよ)、珍しくよつばが敵意をあらわにしている回でおもしろかった。それから、ビデオレンタル店でよつばが歌ってる歌はもう元の歌詞思い出せない。「よつばとうみ!」は風香面白い。「手を埋めて波がきても流されない遊び」は次海行ったらやりたい。(だめか?)

5巻は全体的に、なんとなく、よつばが大きくなってるというかボキャブラリーが増えてるような気がした。次の季節ではどうなるんだろうな。

夏の終わりはさみしいけど、でも私にはこれから夏がくるんだよな。なんかうれしい。

[][] 「殻都市の夢」/鬼頭莫宏

殻都市の夢 (F×comics)

殻都市の夢 (F×comics)

コップを伏せたような形の「殻」を積み上げて増殖していく都市「殻都市」を舞台にして描かれる短編7作品。女管理官とすこし間の抜けた(でもおいしいところをもっていく)男性管理官の2人組を中心にお話が進む。

入り組んだ建造物や架空都市を舞台にしたお話は個人的に大好きなジャンルなので面白かったのですが、この短編集に物足りなさを感じるとすれば、その都市の設定があまり細かくなされていないという点にあると思う。あとがきには、当初シリーズになるつもりではなかった、と書かれていたので、それは仕方ないかなとも思う。

しかし、この物語の核はむしろ、「都市」にあるのではなく、やはりこれまでの鬼頭さんの作品同様「少女」にあるのだろう。

四季賞クロニクルで「ヴァンデミエールの右手」を読んだ際にも思ったことだけど、鬼頭さんの描く少女像に共通しているのは「無垢と意志の強さ」の共存だと思う。そして、この「殻都市の夢」では、例えば短編集「残暑」に収録されている「ポチの場所」を読んで感じた「少年が少女に対して抱いてる、わからなさ、および理想」を、打ち壊すような形(それは否定ではないけれど)で、少女が描かれている。例えば無垢であるはずの振る舞いが、実は強い意志に基づいている、もしくは、そこには意図しているだろう何かなどない。などという「裏切り」の展開が多くみられるのだけど、基本的には同じことをテーマにしていても、ひとつひとつの作品の色合いがきちんと輪郭を持っているところがさすがだと思う。

ただ惜しむらくは都市の設定だ。ここでの物語を、もっといろいろな話で読みたかったと思う。でもそれは鬼頭さんの目指すものではないのかもしれない。

[] 善いこと/悪いこと

一般論、というときに私が思い描いているのは「経験則」および「社会の共通認識」というかそれってたぶん「倫理」とか「道徳」に近いものなんだと思う。

こういうものについて考えたり書いたりしていると、自分以外の人はそんなこと全て承知で、わたしだけが見えてないんじゃないのかとかそんな気がすることが、たまにあるんだけど、まあそんなことは考えても仕方ない。自分が自分で見えたと思えるように考えてるんだろうなということで、やっぱり考える。

例えば、一般論的に「善い」とされてることが、なんで善いかといえば、それが「一般論」、というか、例えば大多数にとって、都合のいいことだからなんだろう、ということ。でも、それは平均じゃない。あくまでも大多数の部分なのだろうし、私がこういう時になぜこれを考えるんだろうってことを考えてしまうのは、それが少し、ずれそうで(もしくはもうずれている)、ずれることを「善」から外れることだと感じているから、なのだと思う。

でも、例えば「善いこと」をしようと思う時に、それが「善いこと」だからしようと思うことは、本質的に「善」と同じではなくなってしまっていないだろうか? ということを考えてしまうことは、自分にとって、ごく当たり前のように、感じている。何が善いのか、それはなぜ善いのか。自分に都合が良いからなのか、自分にとって大切な人にとって良いことだからなのか、それとも、その全く逆か。

それを考えなきゃいけない、というのではなくて、その善(もしくは悪)を理由に、自分以外の世界を非難することには、なにか矛盾がないだろうか。

こんなことを考えはじめたのは、先日友人と話したことがきっかけだった。その友人の同僚に、他人の悪口ばかり言う人がいるらしく、なぜその人が臆面もなく悪口を口にするのかと友人が尋ねると「思ったことは口に出していい」と誰かに言われて「そのとおり」だと思ったから、と答えたのだという。「もともとが他人の影響なら、言われた人がどう思うかを考える切欠があれば、かわることもあるかもね」みたいなことを、その時の私は答えた。でも、例えばその「悪口を言う人」が、自分の意志で、思ったことは言っていい、という結論に達してそれを口にしているなら、そしてそのことによって、私の友人のように、それを好ましく思わない人もいる可能性を受け入れているなら、それを止めさせる理由はあるのだろうか? 例えばそれが、明らかに善くないこと、だとしても、聞きたくなければ聞かないという手段もあるだろう側が、それをやめるべきだと言う、その理由はなんだろう?

友人は、それを止めない、ということが悪口を肯定することになってしまうという、と言う。でもそうだろうか?

私は、その彼女の悪口がどんなものだか知らないので、周囲がどのように不快に感じているのかもわからないのだけど、自分が不快だから止めてくれ、と言うことはできても、「言えることは言っていいでしょ」と言われたら、そうだねとしか言えないなぁとおもう。そして「そうだね」と言ったからって、私がそれを選択するわけではないから、肯定することになる、というのはやっぱり違うんじゃないかなぁ。あえていうなら肯定も否定もしてない。

でも、ここで私は「自分でそれを選択したなら」というような条件を考えているけども、それはなんで私にとって「善い」ってことになってるんだろ?

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