凪渡り及びその他の短編/高浜寛

凪渡り ― 及びその他の短篇 (九竜コミックス)

凪渡り ― 及びその他の短篇 (九竜コミックス)

様々な男女の交わる風景を描いた短編集。それぞれは独立した物語で温度差もあるのに、長い物語を味わったような読後感がある理由はきっと、書き下ろしで収録されている冒頭の「introduction」にあると思う。
欲望と、エゴと、乾いた無関心と、執着とが描き出すその物語はまるで蜘蛛の巣のように繊細だ。そしてどことなく、初期の(といってしまっていいものか)吉田修一の中編小説を思い出します。
特に気に入ったのがアパートの壁越しにやりとりをする「Hygro-45」と、その関係が最後まで明かされずに描かれる「水いらず」。「水いらず」はすべてのやりとりが素晴らしく、とても切なくて喉が詰まるような気持ちで読み終えた。

メモ

HPはいつの間にかなくなってる?
高浜寛さんのブログ → http://takahamak.exblog.jp/

 その言葉のチカラってのはどんなものなのか

「言葉に救われた。 言葉に背中を押された。言葉に涙を流した。言葉は人を動かす。私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言朝日新聞
今回のCMは、前回と同じく「言葉のチカラ」をテーマにしていますが、「言葉には人を救ったり、勇気を与えたりするポジティブな力もある。だから、朝日新聞は言葉の力を信じている」と、朝日新聞社の決意を再び伝えます。

前回が感情的で残酷でときに無力なネガティブさだったので、今回はポジティブをということでしょうか。ううーん、なんだかちょっと言い訳めいているような。

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも、私たちは信じている、言葉のチカラを」

これが前回。前もいろいろ書いたけど(id:ichinics:20060201:p3)結局、感情的であることからは逃れられないみたいだ。
確かに言葉によって人が救われたり動かされたり背中を押されたり涙を流したりすることはあるだろうし、それはときに残酷で無力かもしれない。しかしそれは言葉のもつ力というよりは、むしろ発する人間の感情の力ではないのだろうか。言葉が単体で力を持つ時、というのは、それはもう感情というより、装置というかフィクションの域にあるような気がする。
そしてそのような「言葉のチカラ」というのは、ジャーナリストに求められていることなのかな? 違うような気がする。
考えようと思ったけど、まとまらない。
とりあえず私は、朝日新聞がどうこうというより、この一連の広告が好きじゃないみたいだ。

 ビッグコミックスピリッツ 2006/29号

今週はあまり動きなし、かな。

cherry
連載再開。うーん。
電波の城
天宮のFM時代の過去が明かされていく。おもしろくなってきた。
バンビ〜ノ!
まず客を知れの巻。アモーレですね。
テレキネシス
パットン大戦車軍団
ハクバノ王子サマ
繋いだ手の描写に葛藤が現れてる感じが良いです。
中退アフロ田中
飯ごうで炊いた御飯うまい。